敵の兵士もまた月の兎たち。実際には兎のヘルメットをつけているだけの女の子というわけだが……その様子は少しおかしい。
なんとも虚ろというか、敵意は感じるのに感情を感じないというか……これは、精神に作用する魔法だか妖術だかがかけられていると思われる。月の民は洗脳技術もあるのだと紫から聞いたことがあったが、敵はそれを利用しているということなのだろうか。
「罠はしかけといて……」
そんな敵の兵士たちの脇を走りながら、設置型の魔術を置いていく。戦闘になると、こういった隊列のようなものは広がって横に戦闘領域が作られることが多いが、横に移動しようとしたやつらを吹き飛ばす罠というわけだ。
兵の展開が早い軍隊のほうが先に場の利を得ることができるのだ。死ぬほどの威力じゃないのもまた、戦争における重要な威力制御である。まあ、外の世界とは違い月の医療技術なら片足吹き飛んでも時間が経てば治せるだろうしいいだろう。
自分自身には気配が薄くなるように魔術をかけている。それに、外の世界の経験で単純に隠密行動できる動き方が分かっているのでそれも併用しながら、敵にバレないように走り抜けていく。
「……あれか」
そうして走っていると、やっと敵の拠点らしきものが見えてきた。近くに来ると分かるが、未知の素材のように見える金属のようなプラスチックのようなもので作られている。少なくとも、簡単に斬ったりできるようなものではなさそうだ。
残念ながら、俺の能力が変化したせいで神の剣術が使えなくなってしまい、依姫のなんでも斬れるあれは再現できなくなってしまった。もう一度本人に見せてもらって継承しなければ使えない。模倣の感覚でなんとなくの再現はできるけれど……流石にあれを斬るのは無理だと直感的に分かる。
体力の回復率は九十パーセントといったところ。肉体的な回復率は七十パーセントくらいだ。少なくとも、この大量の兵士と長々と戦ってはいられない。急襲して、大将っぽいやつの頭をとって逃げることにしよう。それができれば、だけどな。
「俺はあくまで依姫までのつなぎっと」
敵拠点が良く見える位置まで移動してきた。入口のようなものは見えるが、どうやって開くのかは分からない。ああいうタイプは、誰かが建物の中にいて合図で開けるタイプだ。つまり、鍵とかが存在するような扉ではないということだ。
ということは、鍵を盗んで隠密のまま中に入るということはできそうにないな。ふーむ……こういうときルーミアがいてくれると闇の力で奇襲ができるのだけど、俺はあまり奇襲できるような広範囲or高火力を持ってないからな……
「……継承か」
少なくとも、奇襲をかけるのは豊姫たちと敵がぶつかって大きな戦いになったタイミングだ。それまでに、用意をしておかないといけないな。
………
「……」
「頭は冷えたか」
大量の目が浮かんでいる謎の空間、通称スキマ。
そのどこかで、一人の大妖怪と一人の神が座り込んで話していた。先ほどまで怒り心頭であった紫は、ミキによる強力な一撃によりまたもや意識を刈り取られた結果冷静になったようだ。
元より、未だに回復しきっていない体であったというのに全力戦闘を仕掛けたのだ。途中で息切れしてしまっても仕方のないことである。
「あいつは現在月面で何かしてるみたいだな」
「そうね。元気ならいいわ……あなたは絶対に許さないけど」
紫は今すぐにでも定晴に抱き着いてでも傍に行きたい。だが、今の定晴を邪魔するのはあまりよくないのも分かっている。それに、紫自身ミキとの戦闘もあってしばらくは回復しないといけない。
ということで、スキマ空間で雑談しながら回復待ちというわけだ。尚、ミキの方から回復促進的なものは何も提供されていない。飲んだら一瞬ですべての傷と体力が回復するような薬も所持しているが、それをしてしまうと紫が飛び出すので放置したのである。
「回復したらまずは幻想郷に戻れよ。どうやら月に行きたいのに行けなかったやつらがいるみたいだからな」
「そうね……この状況で定晴を連れて帰っても嫌がるだろうから、それなら戦力を送ってあげた方が定晴も嬉しいわよね」
定晴が回復したということを理解して、既に行動を開始しているということも把握した。故に、紫はもう焦る必要はないのだ。だから、未だに焦ってしまうこの気持ちは、紫がただ現状を受け入れ切れていないだけなのだと。
紫はそう結論付けた。
………
「どうしましょうか。ここにいて、月に行ける確証はあるのでしょうか」
「紫次第ね。向こうで合流できているなら、きっとスキマを開いてくれるはずだけど……」
定晴が一足先に月に行ってしまったのだと判明してからはや数十分。彼女らは紅魔館にて待機をしていた。だが、未だに音沙汰がないためにそろそろ身の振り方を考え始めたのである。
ここにいる彼女たちでは月に行く術がない。ルーミアや幽香などは定晴の無事が確認できるまでは動くつもりはないが、萃香や妖夢などは帰るかどうか考えているというわけだ。因みに、勇儀は既に帰った。
「ルーミアさんはここで待機するんですよね」
「そうね。私だけはいつでも力になれるようになっておかないと」
「あら、私だっていつでも助ける準備ができてるわよ。待ってる間に妖力も回復したもの」
何もなしに待たせるのはレミリアの矜持が許さなかったのか、全員分のお茶が用意されている。そして、そのお茶には妖力回復の効果があったのである。紅魔館印の妖力回復茶のおかげで、月で戦闘をしたあとの人々も妖力はばっちり回復済みである。
いつでも戦闘できる準備はあるのだけど、向こうから接触してくれないと参加できない。なんともむず痒い想いをしている途中なのだ。
「……私ももう少し待つことにします」
「幽々子は大丈夫なの?」
「はい、幽々子様からは一日自由を頂いています」
「私は帰ろうかなー」
各々どうしようかを決めて、行動を始めたくらいのとき。ふいに部屋の中に妖力の反応が生まれる。
「なにっ」
ルーミアがいち早く反応すると同時に、部屋の中にスキマが生まれる。
「あなたたち、準備はできてるかしら?」
現れるのは元気もりもりな紫。回復ばっちり精神もばっちり。準備万端な大妖怪が意気揚々と現れる。
「ふふ、いいわよ」
ゆらりと部屋の中が揺らぐ。妖力が立ち上り紅魔館全体にかけられている咲夜の空間拡張がぶれる。
さあ、好きな人を傷みつけたお返しを改めてしようか。