今回も『炎殺の邪眼師』と同時更新なので、よければそちらもどうぞ。
『海兵のわしでさえ、あいつを嫌いになれんかった……だからエースを引き受けたんじゃ…』
――――海軍本部中将〝ゲンコツのガープ〟 モンキー・D・ガープ
とんとん、と狭まった壁の間に規則的な音が反響する。木を踏み鳴らす時の渇いた音だ。その発生源は歩く少女の足元からである。
歩き慣れたいつもの階段を、少しゆっくりと彼女はあがって行く。手には洗面器と清潔な白いタオル、そして包帯が握られていた。タオルなどは洗面所から、包帯は道場に備え付けてあったのを拝借したものだ。
そのまま彼女は二階へとのぼる。そのまま廊下を少し歩くと、光が洩れていた扉を開いた。脇にあったサイドボードの上にそれを置いて、自分の机へと近寄っていく。
「ユーノくん、どう………?」
「なのは………うん」
テーブルの上に乗っていたユーノが、なのはへと向き直った。その彼の目の前、クッキーのお皿と水差しの横の生地上に弱弱しく発光する赤い珠、待機状態のレイジングハートがある。大きさにしてビー玉ぐらいとなったなのはの愛機には、目に見えるほど大きな亀裂がいくつも走っていた。
「レイジングハートはたぶん大丈夫だよ。かなり破損は大きいけど、今自己修復機能をフル稼働させてるから、明日には回復すると思う。それよりも………」
ユーノが辛そうな表情をしながらベッドの方を向いた。正しくは、そこで静かに寝息を立てている一人の人物へと。
「エースくん………」
なのはがきゅっとパジャマの裾を握り締めた。規則正しく彼女のベッドで寝ているエースに、目が潤みそうになるのを堪える。ユーノがそんな彼女を横目で捉えながら、同じように彼を見つめた。
全身裂傷という大怪我を負って倒れた彼を連れ、なのは達がここに戻ってきたのは二時間ほど前の事だ。本当なら桃子などの手を借りたいところだが、事情を知らない彼女達に今の彼を見られればかなり不味いことになる。
そこでユーノが部屋への転移魔法を使用して彼を運びこみ、それなりに医術の心得がある彼の指導の元、簡易的な治療を行っていた。治療と言っても、傷口が広がらないように彼の魔法で保護して自己治癒力を促しつつ包帯を巻き、あとは滲んでくる血を拭いてあげるだけ。
そんなことしか出来ない自分達に怒りを覚え、目の前の彼の姿が二人の胸を締め付ける。しかし、あれだけの血を流した割に傷がそれほど深くはなかったことが幸いした。ともかく命に別状はないらしい。
「あ、いけない。そろそろエースくんの包帯を換えなきゃ」
「あ、僕も手伝うよ、なのは」
ユーノが机から床へ降り立つ。なのははそれに苦笑すると、サイドボードに置かれていた包帯を手に取った。布団を脇に退け、作業の邪魔にならないようにする。そして、すこしぎこちなさが残る手並みで巻かれた包帯をするすると解いた。
「え……!?」
「な……っ!?」
その瞬間、二人の動きが止まった。少し血の滲んだ包帯を手にしたなのはは目を見開き、ユーノは驚きに口を開いたままだ。どちらも目の当たりにした光景に言葉を失くしている。
なのはが震える声でその理由を口にした。
「傷が塞がって……ううん、消えて、る………!?」
そう。最初に包帯を巻いた時に見た痛々しいほどに全身を覆っていた傷が、影も形もなかったのだ。そのほとんどが、そこに傷があったのかも分からないほどにまで塞がり、ほぼ消えうせている。大きかったものも僅かな跡を残している程度だ。
なのはは絶句し、ユーノは目を疑った。
「そっ、そんなバカな………確かに見た目ほど酷くはなかったけど、軽傷なんてものじゃ済まない傷だったんだ……それも、さっきまでは確かにあったのに……それがこんなに早く……傷が塞がるどころか、治ってるなんてありえない………!」
「い、一体何がどうなってるんだろう………?」
ユーノが何度も目を若干険しいものにしながら、難しい顔で唸った。一方のなのはは起こっている事態についていけず、ひたすら首を傾げている。そんななか二人のに反応したのか、ベッド上のエースから声が洩れた。
「ぅ………うぅ、ん………」
「っ! エースくん!?」
なのははハッとして彼の顔を覗き込んだ。ベッドに手をつけた重みで、ギシッとした音が辺りに響く。二人が見つめるエースの口元から、寝苦しそうな呻き声が洩れた。
そうやって、眉を寄せたり身を捩ったりする。しばらくそんなことを繰り返した後、眠たげだった瞳がゆっくりと開かれた。
「……、う……ん? なの、は………?」
「~~~っ!! エースくんっ!!」
瞳が水気を帯び、端正な顔がくしゃりと歪む。そして一瞬後、エースは感極まったなのはに全身全霊の勢いで飛びつかれ、思い切り抱きしめられていた。
「ふ―――へっ!? お、おいなのは、何泣いてんだよ………っていうか、何時の間に寝たんだおれは?」
「エース、憶えてないの……?」
ユーノがなのはが抱きついたまま混乱するエースに声を掛ける。当の本人は一瞬「何の事?」といった風な顔をするが、徐徐にあったことを思い出したらしい。その顔に確信と共に険しさが満ち、しかしすぐにまた穏やかな表情へと変わった。
「………ああ、そっか。おれ、ジュエルシードを抑えようとして気ィ失っちまったんだっけ。はは、割って入ったのにカッコ悪ィ………けどお前らは怪我もなかったみてェだな。ま、それならよかったぜ」
「よ、よくなんかないよ!!」
苦笑気味に笑う仕草に、なのはが険しい表情で声を荒げた。言葉の端々には、彼女にしては珍しく怒りも感じ取れる。間髪いれず至近距離まで詰め寄ったなのはは、強い瞳でエースを見つめた。
「どうしてすぐ逃げなかったの!? そのほうがずっと簡単に出来たでしょ!? あの時、もしジュエルシードが安定しなかったらエースくんは死んでたかもしれないんだよっ!?」
堪えていたものが決壊してしまったのか、涙をポロポロ零しながら彼女は言い募った。エースはそんな彼女の様子に驚いて目を大きくし、「悪ィ……」とバツが悪そうに頭を掻く。そして、説明を求める目で此方を睨むなのはを正面から見やり、僅かに深呼吸した後に話し出した。
「なんで逃げなかったのか、か………確かに、なのはにとっちゃ見過ごせねェ事だろうな。けど、おれもこれまで考えてきて、それでわからなかったんだ。何より、そうしちまうおれ自身が一番不思議で……あーくそっ! 上手く言えねェな………!」
それは本当に曖昧な口調だった。自分の中にあるものを思い出すという感じではない。自分でも分からないことを確認して形にしていくような、そんな作業にも見えた。
なのはもユーノもエースと出会ってまだ十日足らずだ。彼のことはその人となりぐらいしか知らないから、その言葉の裏にあるものを読み取ることなどできはしない。しかし、その響きは彼の行動が何か強い思いによって為されたものだということを二人にはっきりと理解させていた。
「昔から……そう、ずっと昔からそうなんだ。時々………カッと血がのぼるんだよ。逃げたら何か………大きな物を失いそうで恐くなる………あの時は――――」
そこまで言ったエースは一度言葉を区切って逡巡し、
「――――おれの後ろに、お前らがいた」
「「『!!』」」
しかしはっきりと口にした。エースの言葉になのは達、そしてエールすらも息を呑む気配が伝わってくる。エースはそれに関しては何も言わず、強い光を宿らせた瞳で話を続けた。
「フェイトの嬢ちゃん達もそうだけどな、おれはお前らに傷ついて欲しくなかった。お前らに、味方じゃねェあいつらに……突っ走って無茶されるのが………それをただ見てるだけのおれがなんか嫌だったんだよ………だから、あの時何考えてたとかはよくわからねェ………お前らが死ぬかもしれないって思ったら、身体が勝手に動いてた。たぶんそのせいだ」
「「エース(くん)………」」
なのは達はそれを黙って聞いていた。エース言葉は自らの心が分からない、と言うような迷うようなものだ。しかし、その端々伝わってくるものから、それが彼にとって比類なき強さを持つ思いであるということは理解できた。
『……………』
そんななか、なのは達とは違う雰囲気を放つものがいた。先ほどの会話に一言も口を挟まず、ただ沈黙を身に纏っている。それを感じ取ったなのはは少し不思議に思い、彼女(?)に声を掛けた。
「エール? どうかしたの?」
『っ………い、いえ……何でも、ありません………』
「? ならいいけど………」
なのはは首をかしげながらも納得し、再びエースとユーノで話し始める。エールはエースが助かったことに内心安堵の息を吐きたい念を覚えつつ、じっと考え込んでいた。エールの考えの先にいるのは、自らが主と仰ぐ少年の姿をした青年、そして今は亡きもう一人の人物。
(「逃げない」のではなく、仲間を傷つけるモノを………「敵を逃がさない」………そのためなら、自分の命すら容易く受け皿にするその気質………恨んでも血は争えないのですね……世界を超えても、体が子供に戻ってしまっていても………やはり、貴方は『彼』の………)
自分の中にある『記録』が、明確に理由を決定付ける。それはエースにとって呪いに等しかったもの。だが同時に彼が彼であることを、その存在を明確に示すもの。
(受け継がれる事の証………尤も、マスターは嫌がるでしょうが)
苦笑するがごとき結論に達し、エールは思考の海原から意識を浮上させる。ともかく今はマスターの無事を喜ぼう。彼の背負ってきた運命は軽くはないが、必ず力に力になるだろうから。
そんなことを考えながら、一人傍観に徹する。穏やかな空気が流れる中、エールは笑いあう三人を静かに見守っていた。
-Side Fate Testarrosa-
「平気かい、フェイト?」
「うん………」
暗い部屋の中に私とアルフの声が響く。ここは、先ほどまでいた海鳴市の隣の市にある高級ホテル。ジュエルシード探索のために渡された資金によってすべて前払いし、完全な貸し切り状態である。スイートルームと言っても差し支えない設備と高さにある私達の部屋からは、都市部の明かりを一望することができた。
だが、普段は気紛れ程度に見下ろす街並みでさえ今日は見る気にもなれない。部屋に住み始めた時は驚いていた絶景のごとき眺めすら、私の視界には入ってこなかった。
静かに黒塗りのソファに腰を落ち着ける。
「大丈夫………私は大丈夫だよ。でも………」
アルフに言葉を返すが、声に力がないのは自分でもわかった。それを分かっているのか、アルフもいつものように話しかけてこない。頭に思い返されるのは、先の光景ばかりだった。
目標をを捕獲しようとした自分。白い魔導師の女の子。暴走したジュエルシード。そして、血だらけになった『彼』。その姿が脳裏にフラッシュバックする。同時に、私に向けられていた言葉が鮮明に頭の中で再生された。
[まァ………気に、すんなよ………]
こちらに向けた精一杯の笑顔が強く浮かび上がって来る。拳がきつく握られる。噛み締めた歯の間からは、ギリッと音が響いていた。
「私の、せいだ………」
「フェイト?」
ぽつりと零した言葉にアルフが反応した。心配するようにこっちをじっと見つめてくる。その目に私が映り、気付けば胸に抱えていたものを吐き出していた。
「私が………私が傷つけた…………私のせいで………あの人に………怪我、させちゃったんだ………」
ズキン。ズキン。
戦闘によるものではない、きゅっと締め付けられるような鋭い痛みが胸に走る。別に本当に傷など出来てはいない。だが、それは今の私に外傷以上の苦痛を与え、消えることなく心を責め苛んでいた。
「私、何してるんだろう………私のせいなのに………全部私が悪いのに………あんなになってまで守ってくれたのに………なんで、逃げてきちゃったの………?」
「そ、それは………け、けどっ、あの時はそうするしかなかったじゃないか!」
アルフが擁護の言葉を掛けてくれる。確かにそれは本当だ。あの場にいても、私たちができた事などほとんどなかっただろう。
その事実はほんの少し痛みを和らげてくれた。彼女の存在は私には勿体無いぐらいだと改めて思う。
だが、起こってしまった事は変わらないのだ。彼女の優しさに縋りたいと思うのは、ただ逃げているだけ。直視したくない目の前の事実から目を逸らしているだけだ。
それが分かるから、私は私自身をどんどん許せなくなっていく。心配そうに見つめてくるアルフから視線を逸らし、自嘲気味に言葉を吐き続けた。
「そう、かもしれないね。けど私が無茶をしなければ、ジュエルシードが暴走することもなかった………私が無理に奪おうとしなければ、誰も助けに入る必要はなかった………私なんかを助けなければ、あの人はあんな怪我も負わなかった!」
「フェ、フェイト………」
アルフが肩を揺するが、震えは止まらない。カタカタと揺れる身体を抱きしめて、無理矢理抑えつける。
母さんのためと、割り切ったはずだった。母さんが笑ってさえくれれば………アルフたちと仲良く暮らせるなら、あとはどうでもよいと思ったことさえあった。
だが、それが今は揺らいでしまっている。自分の考えが本当になってしまうことに恐怖を感じる。あの人がどうにかなってしまうことが、あの人から冷たい目を向けられることが、とてつもなく恐い。
もしかしたら命が消えてしまうかもしれないのだ。他ならぬ、私の手によって。それが罪悪感と共に私の内側に傷を作ってゆく。
だから声を上げる。みっともなく涙を流す。懺悔にもならない、醜い言葉を紡ぎ続ける。けれど、そうするより他なかった。そうしないと心が壊れてしまいそうだったから。
「だって、だってあんなに血を流してたんだよ!? 怪我の傷だってすごく酷かった! 私を守ってジュエルシードの力を受けとめたせいで、あんなにボロボロになって! それでも、あの人は怒らなかったのに………何一つ、私を責めなかったのにっ!」
「お、落ち着きなよフェイト!」
肩を掴む彼女の瞳に、大きく目を開いた私が映った。ひどい、本当にひどい表情(かお)。いまの私には何も出来ない。アルフに縋りつき、ただ壊れないように涙を流すことしか。
「恐い、恐いよアルフ。私が…私のせいであんな怪我………ううん、もし怪我なんかで済まなかったら………私が、私が彼から『奪ってしまった』としたら……!!」
「―――ッ! フェイトッ!」
「っ!?」
アルフの一喝で肩が揺れる。覗き込んでいた彼女と目が合った。その彼女は初めて見るような、厳しく、そして泣きそうな瞳で私を捉えていた。
「アイツが心配なのは分かるよ。けど、もう言わないで。今まで頑張って来たんだ、ここでフェイトがどうにかなっちまったら、アタシは………アタシは…………」
「アルフ………ごめん、ごめんね」
「フェイトぉ……ッ!」
アルフが思い切り抱き付いて来る。本当に思い切りで、ちょっと痛いぐらいの抱擁だ。元が狼だから当然だけれど。
けど、私も同じくらい強く抱きしめ返した。負けないくらい強く、思いが伝わるように。
そうしていると、不思議と安らぎが満ちてくる。遣る瀬無さばかりが募っていた心が次第に和らいでいった。アルフから身体を離すと、少し緊張が解けたように彼女は微笑した。
「アイツなら大丈夫さ………きっとね」
「………うん。明日は母さんに報告する日だし、早く寝ないとね」
私の言葉にアルフは少し複雑な顔をしたけど、すぐに穏やかに相槌を返してくる。私もそれに対して笑顔を返した。上手くできたかはわからないけど。
安心したからか、急激に睡魔が襲ってきた。ベッドに行くにも億劫だったので、私は狼形態となったアルフと身を寄り添い合わせる。そしてソファに寄りかかったまま、私たちは夜を明かしたのだった。
-Side out-
――――TO BE CONTINUED...
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