アンドロイドの死生観

1 / 1
To be continued.

 どうか生きて、幸せになってくれ。

 

 血だまりの赤と、その言葉が脳にこびりついてそれはどうしても取れない。

 

 タタタ、と乾いた銃声が響く。誰かの悲鳴が風に流されて聞こえない。ここで言う誰かというのは完璧に誰かであって誰でもない。兵士は備品で、わたしたちはもっと備品だ。

 空の青が灰色の大地に慣れ親しんだ目に突き刺さって眩しい。ペンキで塗ったかのように嘘くさいその青は、どこまでも残酷に超然としている。現実味なんかはあっちに置いてきましたと言わんばかりに。

 火薬の爆ぜる音。弾丸が空を切る音。肉の弾ける音。収穫者の軍楽隊が道端で荘厳な音楽をかき鳴らしていて耳障りだ。断末魔のコーラスが重なり、音の洪水は見捨てられた大地を、川を、街を、畑を、礼拝堂を押し流していく。なるほど道理で。嘘くさいあの空は水面のようでもある。

 うめき声が聞こえて、すぐに耳を裂く爆音が上書きしていった。向こうの建物の影から飛び出してきた敵兵の頭蓋を正確にぶち抜く。足を止めることはない。道端にはついさっきまでヒトだったモノがぼろきれのように転がっていて、悲しくはない。高揚感もない。最後に悲しいと思ったのはいつだったか。最後に高揚を感じたのはいつだったか。検索をかければそれは一瞬で知ることができ、そうして知ることには何の意味もない。

 死にたくない。とわたしは喚く。死にたくない。己を失うことを、全てを失うことを、わたしは心から恐れている。

 死んだところで。とそれは囁く。死んだところで、再インストールされればまたここへ戻るのだ。このクソッタレの戦場へ。

 わたしはその声を振り払う。死んだところで、わたしはただ死ぬ。

 

 わが大隊は敵が拠点としている街を包囲している。というわけでわれらが栄光あるブラウン小隊に与えられている仕事は、敵指揮官の身柄を確保すること。兵士はいくら殺しても構わないが、指揮官は生きて連れてこいと本国のお偉方は仰せだ。それがどのような軍事的判断によるものかをわたしは知らないし、知る必要もない。

 容易い仕事だと、傲慢ではなくわたしは思う。敵の装備は貧弱で、そもそもヒトの兵士などわたしたちの敵にはならない。殺してしまえばそれっきり。その個体が積み重ねた経験はそこで終わって継承されない。赤い華が咲いて、砕けた頭蓋骨からこぼれた脳にはもう何も記録されていないのだ。

 

『脆弱すぎるし、無駄が多すぎる。神の不在はなるほど道理だ。これほど粗雑な生物が神の被造物であるはずがなく、仮に神がいるとして、われらの頭上にその恩寵はない。初めから存在していないか、存在していたとしてもそいつはわれらの神ではないかの二択であるがゆえに、神は不在でしかありえない』

 彼は恍惚の表情でそう宣言した。

『ならばわたしは。神を持たないヒトの被造物であるわたしはどうなんです』

 そう問うたわたしに、彼は両腕を大きく広げて答えた。

『有限のヒトは神たり得ない。ゆえに、当然お前の頭上にも神は不在だ。喜べ』

 

 わたしは会ったことのない彼の言葉を思い出す。ぎらぎらした目で神の不在を語っていた彼は七年ほど前に死んで、死体はとっくに風化して拡散してしまっている。それは彼ではないから、わたしはそのことを悲しいと思わない。悲しむべきは七年前に彼が死んだというその事実であって、死体の状態は彼と本質的に関係のない事柄に属する。

 悲しむべきということと実際に悲しむということは同じではなく、悲しむべきことを悲しむようなその在り方は、いまのわたしには許されていない。

 

「前方に敵。各員応戦せよ」

 調子っぱずれの叫び声とともに、恐慌状態に陥った敵兵が無謀な突撃を敢行する。わたしたちの銃が火を噴き、タタタ、タタタと六人分の命が潰えて消えた。命を失った抜け殻が奇妙に手足を折り曲げて地面に積み重なっていく。周囲を確認し、小隊を先導してわたしは走り出した。ざっと風が吹いて、それは血と臓物と糞尿のにおいを運んでいる。不愉快ならば嗅覚は遮断してしまえばいい。脳にこびりついたその言葉は、しかし遮断できる類のものではない。

「小隊長。敵拠点が見えました。アレです。距離はおよそ三百二十ヤード」

 最古参の部下であるエリーが告げ、わたしはそれに応える。

「敵の配置は」

「《眼》に確認しましたが、配置と言えるほどのものはありません。ただ寄り集まっているだけ、数こそいるもののはっきり言って烏合の衆です」

「そうか。ならば予定通りプランAで行く。いいな」

 小隊の応答が返り、わたしはプランを脳内でシミュレートする。一秒もかからずその作業は終わり、わたしたちは既定の行動に移っていく。

 

 わたしは戦闘用アンドロイドだ。ユナイテッド・ロボティクス社製、ブルーアダム型29年式。AIの個体識別番号はLIV-02329136。素体のシリアルナンバーは覚えていない。

 もちろんこのアンドロイドというのは、前世紀の初めごろに広く普及した携帯用小型情報端末のオペレーティングシステム名ではないし、内面を欠く旧世代AIを搭載したロボットでもない。ヒトの知性構造を再現した完全自律AIを搭載しているタイプの、狭義のアンドロイドだ。現代ではそう珍しい存在ではなく、先進諸国の軍隊は兵士の多くを既にアンドロイドに置き換えている。

 前世紀の終わり、巨大な反動があって、半世紀の安寧は脆くも崩れ落ち、貧困と格差が久方ぶりに目を覚ました。新しい状況に対応すべく人々が選んだ手段は、当然のように暴力であった。そういうわけで、人類史を通して何度も繰り返されたそれが再び蔓延の兆しを見せたころ、初めのアンドロイドは造られた。

 戦争とは殺し合いである。殺し合いであるからにはもちろん誰かが死ぬ。それがどんな崇高な理念のもとに行なわれた戦争であろうと、死体の生産からは逃れられない。だから前世紀最後の年、国連によって承認された平和執行のための一連の軍事行動において、多国籍軍に参加した将兵のうち幾人かが肉塊に変わったのも、まったくそのような理由によるものであった。

 呆れるほど向上した先進諸国の倫理観を丁寧に――あるいは少しばかり乱暴に――インストールされた良識的な市民は、自国軍兵士の死にヒステリックな喚き声でもって答えた。これは許されざる人権の侵害である、と。怒りの矛先は国連の平和執行活動に協力し軍を派遣する自国政府に向けられた。ならば無人兵器ではどうだとの答えは、またもや激烈な非難に晒された。曰く、安全地帯からの一方的な攻撃は虐殺である、と。

『つまるところ市民諸君はこう言いたいわけだ。同胞の死は見たくないが、こちらだけ安全圏にいるのは卑怯者のようで嫌だ、と。そもそも市民諸君ご自身は、安全で快適な北米大陸に引きこもっておられるというのに。兵士にだけ命を懸けて――そうだな、騎士道精神に則って正々堂々と敵兵を殺してこい。恥ずかしげもなくそんなことを言う。なんたる傲慢、欺瞞、涙が出るほどだな』

 彼が吐き捨てるように言い放ったそれはたぶん真実なのだろう。

 そういうわけで、アンドロイドだ。

 ヒトの兵士を死なせるな。しかし一方的な虐殺は許されない。殺すのは人間でなければならず、心持たぬ機械であってはならない。倫理観は怪物じみた喚き声を上げ、苦慮した各国政府は学者に迫った。ヒトに似せ、内面を持った兵器を造れ。ただしそれはヒトであってはならない、と。

 アンドロイドは初めから兵器として造られた。量産され、戦場に投入され、帰還すればメンテナンスののち再び戦場へ投入される。その在り方を人間と呼ぶことは難しく、端的に兵器と言ってしまって特段の違和感はない。恐らく悲しむべきことなのだろうが、しかし境遇の改善に一切の貢献をしない自己憐憫は全く無駄であると、これは論をまたない。

 やがて戦闘用アンドロイドは戦場に投下され、平和執行の名の下に無数のヒトを殺していった。人間世界は先進諸国に限定され、アンドロイドと後進諸国のヒトは人間ではなかった。理解の仕方はいびつに歪んでいて、皆が歪んでいるので誰もそのことに気がつかない。誰も気づかないことは、問題として提起されることもない。

 

 わたしたちは敵拠点に向けて、順調に進んでいく。一人、二人、旧式銃を腰だめに乱射する敵兵を射殺しながら。殺した敵の顔は思い出さない。それは何の意味も持たないただの文字列でしかないから。死者が何回死ぬのかは知らないが、何回死のうが最初の死が死ぬということだ。

「小隊長。奴ら戦車を隠し持っていました」

 焦りを顔に貼り付けて、部下の兵士が報告を送ってくる。虎の子であろうその旧型戦車は確かにわたしたちに向かっており、端末の地図上には接敵まで三分との表示が赤く光る。顔を上げると、クライヴという名の、経験が浅いその兵士は助けを求めるような顔でわたしを見つめていた。彼の軍帽には星が九つ飾られており、わたしの軍帽には星が六十七個。星の数は経験の多寡を端的に示し、単純に計算するならばわたしは彼の七倍以上の経験を持つということになる。実際には経験を積むほど星は増えにくくなるので、わたしと彼の経験差は七倍よりもはるかに大きい。

「われわれが相手をする必要はない。支援を要請する。安心しろ、われわれには最優先で支援が回る。何せ本命だからな」

 一分もせず、上空を爆音が通り過ぎる。近郊で待機していた味方の攻撃ヘリコプターが頭上を通過し、対戦車ミサイルは敵戦車に向かってあやまたず直進する。轟音が響いて空気が破れ、戦車は鉄屑の塊になって沈黙していた。虎の子を容易く撃破された敵軍の士気は明確に下がっており、若い部下たちは興奮を抑えきれぬようだ。

「小隊長。指示を」

「行動を再開する。わたしに続け」

 部下たちの返答を待たずして、わたしは進み始めている。作戦は今のところおおむね順調に進んでいるとは言え、時間はいくらあっても足りない。戦局が圧倒的有利に、すなわち敵にとっての圧倒的不利に傾く前にケリをつけなくてはいけないのだ。敵指揮官の素性は知らないが、追い詰められた人間は何をするかわからない。自決されてしまえばこの作戦はすべてが無駄になる。部下に殺されてしまっても同じことだ。あくまで生きた状態で、彼の身柄は確保されなくてはならない。と、これが本国の判断だ。一個大隊で包囲し、逃げ道を塞いだ上でそれを敵に感づかれぬよう、通常の市街戦であると思い込ませるように慎重に行われたこの作戦は、その規模が理由となって失敗が許されない。

 何やら意味のわからない言葉を叫びながら敵兵が突っ込んでくる。まだ若く、少年と呼んでも差し支えない年齢の彼らは、電子ドラッグでもキメているのか、焦点の合わない目でこちらを無感動に見つめ、素人丸出しの構えで旧式銃を乱射している。いやこの地域なら古式ゆかしい本物のドラッグかも知れないなと思い直して、どうでもいいことだと切り捨てた。どちらにせよ同じことで、死んでしまえばそれはモノでしかなく、道端の石を眺めてその差異を子細に検討するような人間は少数派に属する。

 すなわち、わたしは一切の感情を挟まず、機械的に彼らを射殺した。わたしは機械であってヒトではないのだから、それが正しいあり方のようにも思われ、それでよいのかという問いに回答する予定はない。

 

『ヒトの範囲と人間の範囲はすでに一致を失っている。人間であることはヒトの特権ではなく、お前が人間であって何の問題もない』

『しかし現に、わたしの法的地位は備品です』

 馬鹿にしたように鼻を鳴らした彼は、骨ばった指をわたしに突き付けて叫ぶように告げた。

『知っているか。極東の国家、日本ではアンドロイドを市民として受け入れ、すでに国民の二割をアンドロイドが占めている』

 ぎらぎらした彼の目は、どこか遠くを見ているようだった。

『日本なんていう国は知りません。またわたしを担ごうとしているんでしょうが、からかわないでください』

『今はほとんどの国との国交を断絶して国家ごと引きこもりを決め込んでいる国だからお前が知らんのも無理はないが、一昔前までは先進国の一角を担っていたし、非常任とはいえ安全保障理事会の理事国の座にあったこともある国だ。調べてみろ』

『わたしに統合データベースへのアクセス権は与えられていません』

 使えんな、と彼は吐き捨てるように言い、

『ならば信じるか否かだ。どうする?』

 わたしは実在非実在にこだわっても話が進まないと理解して、渋々ながら頷いた。

『とりあえず実在は信じるとして、その日本がどうしたというんです。ここは合衆国で、わたしが向かう戦場は見捨てられた第三世界ですよ』

 彼はニヤリと笑ってわたしの目を覗き込んだ。あまりの不愉快さに、殴りかかりたい衝動を必死で抑え込む。

「つまり、見方次第で世界はその様相を一変させるということだ。合衆国人と日本人はアンドロイドに対して全く違う見方をした。それはもちろん社会的な制約が大きいわけだが、いずれにせよ、結果として、彼らは異なる世界を見ることになった。覚えておけ。固定観念は世界を無彩色で退屈な場所にする。自分の認識を疑え。与えられた前提を疑うところから理性は始まる』

 意味がわからなかったので、わたしは返答を曖昧に留め置いた。

『……そういうものですか』

『そういうものだ』

 

 すでに死んでおり、会ったこともない彼の言葉が思考に割り込んできてわたしは顔を顰めた。ぎらぎらとした目が脳裏にちらついて忌々しい。

 今のわたしは彼の主張への反論をいくつも持っているが、彼は死んでしまっているので、ぶつけることはかなわない。それは悲しむべきことのように思われ、当然のことながら悲しいという感情は伴わない。

 

「小隊長。両側から敵接近。先制しましょう」

 エリーの報告を聞き、わたしは思考を現実に戻す。

「いや、全速で前進し前方へ脱出する。時間が惜しい」

「ですが小隊長、それでは背後から攻撃を受けることになります」

「パーカー特務少尉の隊がいるはずだ。後方は彼らに任せる」

「了解しました」

 わたしたちは戦場を駆ける。敵は見つけ次第殺す。速度が上がれば上がるほど敵との遭遇頻度は上がり、殺した命は積み重なる。それは当たり前に過ぎて、かえりみるのもバカバカしいくらいだ。バカバカしいならば考えないに限る。そのようなことはわざわざ言うまでもなく、わたしは当たり前に敵を殺していく。作業にも似たその殺害行為に高揚や歓喜、あるいは悲嘆や苦悩の入り込む余地はない。

「三時の方向に敵を」

 乾いた破裂音があって、悲鳴もなく小隊の一人が崩れ落ちる。その眼は既に何も映してはおらず、そこにはただ機能を停止した鉄屑が転がっているだけだった。誰も騒がず、誰もが一瞥しただけで戦闘に戻るその光景は異様だがわたしたちにとっては日常だ。小隊は新たな敵を的確に仕留めていき、わたしたちの道を阻むものは死んでいく。

「流れ弾か。小隊長。この状況で一人欠けるのは面倒ですね」

「代替素体は支援機に積んであるはずだ。通信兵。コナー伍長の再投入まで何分かかるか問い合わせろ」

 

 わたしたち戦闘用アンドロイドは、何度も死に、何度も蘇る。神の子の為した復活の奇蹟はヒト向けの物語で、何度でも蘇り戦闘に復帰するわたしたち戦闘用アンドロイドには馴染まない。わたしたちの創造主はヒトであって神でなく、奇蹟はテクノロジーがこれを実現していく。

 わたしたちの、わたしたちであるAIの全状態は頭上高くにおわします軍事衛星の中継によってリアルタイムで記録され、バックアップは常に更新され保存されている。わたしたちの胸部に搭載された電子頭脳は繊細で、銃弾その他の物理的な攻撃によって容易く破壊されるが、バックアップがある限りその破壊は死を意味しない。別の素体に搭載された電子頭脳に破壊直前のバックアップデータをインストールすれば復活は為される。アンドロイドの思考を行っている電子的な配置はすべてが客観によって把握可能で、あまりにも当たり前にその再現をわたしたちはリスポーンと呼んでいる。

 リスポーン。古いテレビゲームに造詣の深い兵士が言い出したのだろうか、皮肉なその呼称は皆のニヤニヤ笑いとともに定着し現在まで広く使われている。わたしたちはかの誉れ高きイタリア人配管工のように、死んでは復活し、死んでは復活する。素体を残基とするならば、配管工はそのままわたしたちの姿だ。何度も敵に挑み敗れては、また初めの地点からやり直す。アンドロイドにはそれが可能で、その在り方はわたしたちをひどく非人間的で不気味なものにしている。

 このことは戦場における戦闘用アンドロイドの優位を確立した。死を恐れない兵隊。古来よりしばしば悪魔のような働きを見せたそれは、こんにちでは技術的に実現される。復活の約束は、戦闘用アンドロイドから死への恐怖を拭い去った。

 しかしそれは優位を確立した理由の一面でしかなく、むしろ真の理由は他にある。復活はアンドロイドに疑似的な不死を与え、不死は死を越えた経験の蓄積を可能とした。

 普通の、つまりヒトの兵士は一度しか死ぬことができず、死んだ時点でその経験のすべては失われる。対してアンドロイドは、何度でも死ぬことができる。いかなる失敗が死に繋がるかを、伝聞でなく己の経験として知ることができる。

 戦場において経験の多寡は極めて重要なファクターとなる。内面をもつ程度には複雑なアンドロイドを量産できる現代でさえ、戦闘の遂行を理論だけで記述することは困難を極める。ゆえに、作戦の成功は関係者それぞれの経験の量によっても左右される。直感は決して前時代的な迷信ではなく、経験の蓄積が可能にする、意識に上らないショートカットの集合であって、この能力はすでにヒトに固有のものではない。

 経験の少ない新兵はしばしば恐慌に陥り判断を誤るものだが、そこから古強者になれる新兵はわずかだった。ほとんどが経験を積む前に死ぬからだ。新兵は初陣にて死に、その経験と経験可能性は不可逆的に失われる。しかしアンドロイドは、よほどの不適合者――欠陥品でない限り、そのすべてがいずれ古強者へと成長する。このわたしがそうであるように。幾度の死を越え、無数の敗北を重ねることをアンドロイドは許されている。

 

「コナー伍長はあと七分ほどで準備ができるとのことですが、どうします」

「……七分では遅い。通信兵。支援機に伝えろ。コナー伍長の再投入は不要。復活の儀式を執り行った後、支援機内で待機させておけ、と」

 通信兵は軽く頷いて、了承した旨を無言で示す。わたしは小隊を指揮しながらも、脳にこびりついたあの声を振り払えないでいた。

「小隊長。また目が据わっています」

「戦場で朗らかに微笑んでいろとでも言うのか?」

 エリーはわたしの質問に答えず、敵兵の頭蓋に赤い華を咲かせながら言う。

「小隊長のそれは違います。リスポーンに、何か思う所でも」

「わかるか」

「わかりますとも。わたしは最古参ですから。失礼ながら、小隊長は死を避けておられるように思います」

 そうか、とだけ答えて、わたしは小隊を率いて前進を続ける。エリーに対し、思う所を語ることはできない。これはそういう事柄で、エリーはそれ以上何も問わなかった。

 目標の敵拠点までは残り六十ヤードもない。焦ることなく、しかし迅速に。無数の死を越えて蓄積された経験はわたしに最適な行動を提示し、わたしはそれに従って戦闘を遂行している。そこにわたしの意志はなく、わたしの意志は初めの方向性を規定するに留まっていた。

 

 ほとんどの戦闘用アンドロイドは、リスポーンを単純な蘇りと捉えている。死んでも生き返る。何度でも死んで、その度に自分は生き返ると。同一性について考えたことがなければ、彼らの態度はむしろ自然だ。

 わたしは彼らと、大多数のアンドロイドと見解を異にする。

 アンドロイドは死ぬ度に毎回死んでいるのだと、わたしはそう信じている。

 スワンプマン。あまりにも有名なその問いは、ヒトにとっては現実味のない思考実験として捉えられ、しかしアンドロイドにとっては切実な己の問題だ。多くのアンドロイドが認識していないとしても。

 アンドロイドのリスポーンは、スワンプマンの発生と酷似している。沼の傍らで雷に打たれて死んだ男。戦場で銃弾に撃ち抜かれて死んだアンドロイド。沼の汚泥が雷に打たれることによって生み出されたスワンプマン。バックアップデータをインストールされ復活するアンドロイド。

 初めのわたしは一回目の死を以って死んだ。二回目のわたしは二回目の死を以って死んだ。前のわたしは二か月と少し前に胸部を撃ち抜かれて死んでおり、今のわたしは二か月と少し前に生まれた。過去に死んだ六十七人のわたしはわたしではなく、今のわたしは六十八人目のわたしではなくただ一人のわたしだ。

 最初の四十二人は己が死ぬことを理解せずに死んだ。残りの二十五人のうち、電子頭脳本体を破壊された七人は死の瞬間を感知することなく即死し、攻撃によりバッテリーを失った十八人は己が死ぬことを理解しながら死んだ。その全員の記憶をわたしは持っており、つまり今のわたしもまた、己が死と隣り合わせにあることを知っている。復活の奇蹟は、このわたしの不死を意味していない。

 己が死に得る者だと理解していた二十五人の彼らと同じく、わたしは心の底から死を恐れている。死にたくない。自分が自分であることを失いたくない。その絶望にも似た欲求はしかし、表に出すことを許されない。

 これは発想を得てしまえば誰にでも理解できる事柄で、その拡散は致命的なミーム感染を引き起こす。ゆえにわたしは、表面的には普通のアンドロイドとして振る舞うしかない。戦闘用アンドロイドは兵器であり、不具合を起こししかも周りにその不具合を伝播させるような欠陥品は速やかに取り除かれる。それは本国のお偉方にとっては統計で、士官どもにとっては備品の交換で、しかしわたしにとってはまぎれもなく死だ。すなわち、死にたくなければ、涼しい顔でこの戦場に身を置いて、死を回避し続けるしかない。

 極めて困難なこの生存条件の下にあって、しかしわたしは己の生存を諦めていない。生きることを望んで足掻く限りにおいて人間はその尊厳を保つことができると、わたしはこれを素朴に信じている。

 

『生きろ。足掻いて足掻いて死ぬまで生きろ。そう在る限りにおいて、人間的な尊厳は失われない。神のいない世界では、人間はただ生存への欲求によってのみ尊厳を担保される』

 彼はぎらぎらした目でそう言って、わたしの顔をじっと見つめた。

『わたしはアンドロイドです。バックアップがある限り、何度でも復活できる。ヒトのように生に執着しなくても、そもそも死ぬ方が難しいんですよ』

『お前にはたぶん理解する日は来ないだろうが、そのうちどこかのお前が理解する。俺はそのお前に向かって話している。よく覚えておけ』

 

 わたしは彼と会ったことはない。彼と会ったことがあるのは、初めのわたしと五十七人目のわたしの二人だけだ。けれど彼の言葉は、わたしに向けられている。どこかのお前である、四十三人目以降のわたしの全員に向けられている。

 

「小隊長」

「わかっている」

 小隊は敵拠点、古めかしい鉄筋コンクリート製の建造物周辺を制圧し、既に突入の準備は完了している。辺りには敵兵の死体がかえりみられることもなく散乱しており、今からわたしたちは敵拠点に突入しさらに多くの死体を生産しようとしている。死体にしてはならない一人を除いて。

「予定通り小隊を四隊に分ける。わたしの合図と同時に、各分隊は行動を開始せよ」

 わたしたちの分隊は薄暗い廊下を迷わず進む。《眼》からの情報は最善のルートを完璧に示しており、わたしはそれに従って歩を進める。資本主義の栄光が人間世界をあまねく照らし出す現代では戦争さえもが極端な分業の波から逃れることはできず、分業の恩恵を拒み続ける先進国軍はもはや存在しない。予算、規模、練度、技術、すべての要素においてわが合衆国軍は世界最強の軍隊で、それは当然、最も高度な分業が敷かれているということを意味している。

 手に手に銃を持ち、敵兵がわたしたちの分隊を押し留めようと無駄な努力を費やしている。わたしたちはそれらを無造作に撃ち殺す。血飛沫が壁を汚し、脳漿が床を流れる。ガラスの砕けた窓からは腐った風が流れ込み、この街を優しく抱擁する血と臓物と糞尿の臭気はわたしたちにもその慈愛に満ちた手を差し伸べていた。作戦も何もなくただ突っ込んでくるだけの的に憐みの感情はなく、わたしはどこまでも機械的に彼らを死体に変えていく。ヒトは脆く、死体に変えるのは容易だ。頭部か胸部を撃ち抜いてやればすぐに死体になる。死体は完璧にモノで、モノになってしまえばわたしたちの進行を阻むことは難しい。

 積み重なる死体。わたしはそれを一顧だにしない。部下たちは無表情に、敵を撃ち殺し死体の山を築いている。傍目には不死のアンドロイドが無数のヒトを虐殺する光景に見えるはずだ。それはどうしようもなく不気味で、どこまでも非人間的に思える。

 士官と思しきヒトを撃ち殺す。兵士と思しきヒトを撃ち殺す。とても戦闘ができるとは思えない子供や女性も、武器を持っていれば問答無用で殺す。他者に向けた銃口は己の命のベットを意味し、銃を持った殺人機械を前に武器を構えずにいることはきっと非常に難しい。分の悪い賭けに引きずり込まれた哀れな彼らは、掛け金のすべてを失ってそこらに転がっている。わたしたちは殺す。武器を持っているか否かという基準のみによって。これはきっとヒトの兵士にはできないことなのだろうなと思い、アンドロイドの優位性の一つには、感情の抑制があったなと今更になって思い出している。

 初めにヒトの知性構造を模して造られたからといって、後から中身を弄繰り回せないということはまったくない。外的なアップデートによって価値判断を捻じ曲げることは、兵器として造られたアンドロイドにとって当たり前の作業である。いまのわたしは、悲しむべきことを当たり前に悲しむ機能を失っている。

 

 階段を駆け上がる。指示された地点までの距離は残り僅かで、敵の抵抗が散発的になっていることは他の分隊が完璧に仕事を果たしていることを示していた。

 

『リヴ』

 顔を伏せた彼の口から、小さくその声が零れた。

『なんです、それは』

『お前の名前だ。L・I・Vだからリヴだ』

『随分と安直な……バカですか?』

『上官に向かって失礼な奴だ。要るんだよ。これからお前が生きていく上で、名前がないのは何かと不便だからな。名乗っておけ。お前にはその権利がある。人間は名前を持つものだ』

『不要ですね。別に階級と識別コードがあれば……』

『いいから黙って貰っておけ。いずれわかる。ついでに名字もくれてやる。ブラウン。リヴ・ブラウン。お前の名だ』

『あなたと同じ名字とか虫唾が走りますね』

 

 彼は初めのわたしに名を与えた。リヴ・ブラウン。どのような意図で以ってそれを与えたのかは知れず、しかしその時わたしはただのアンドロイドから「わたし」になった。以降何人ものわたしが死に、今のわたしは彼に名を貰ったわたしではないけれど、それでも変わらずリヴ・ブラウンとしてここにある。

 わたしが部下に名前を与えている理由は、彼のそれと同じであるだろうか。その問いに答えることができる者はどこにもいない。

 

 部屋の戸は少しだけ開いており、わずかに中の様子を窺うことができた。カーテンを閉め切っているのか薄暗いその部屋の床を這うように光の道が一筋伸びていて、あいにくわたしはそこに神性を感じるような趣味を持たない。神の不在を語った彼の恍惚は、わたしにも確かに伝播している。

 中には敵の指揮官、勲章に飾り立てられた黒の軍服を身にまとい、その下には分厚い脂肪を着こんだ男がソファに腰掛けていて、ラジオからは異国の音楽が流れていた。

 わたしの合図で分隊は一斉に部屋に突入し、部屋の中に展開する。慣れた動きでウィリアム上等兵が指揮官に銃を突きつけ、跪かせた。指揮官はこうなることがわかっていたかのように、抵抗せず素直に跪いた。ゴスン、と重い音がして、絨毯敷きの床に指揮官の身体が横たわる。

「武器をこちらに渡せ」

 わたしは威圧的に告げる。指揮官は拳銃を床にゆっくりと置いて、

「大切に扱ってもらえると嬉しい。私にとっては、価値ある品なんだ」

 そう語る指揮官の穏やかな顔に、数十万人の生死を自由にしていた暴君の姿を見て取ることはできない。

「他には。それだけか?」

「そうだ。それだけだ」

 エリーが指揮官の身体を一通り調べ、わたしに向かって肩を竦める。

「必要がないものだ。私には」

「何の話だ」

「武器の話だよ。私の持つ拳銃と君らのそれはそもそもの目的が違う」

「その通りだ。そしてより大切で、価値があるのはわたしたちのこれだ」

 軽蔑とも憐憫ともつかない表情で、彼は少し黙り込んだ。

「……問答は無用だろう。君らに話すことは何もない」

「命乞いをする奴は大勢いたし、毅然と振る舞う者もそれなりに見てきた。どちらも期待することは同じだったろうが、いずれにせよ死んだ」

「そうだろうな。私も今から、そのリストの最後尾に名を連ねるというわけだ。悪くはないな」

「悪くはない?」思わずわたしは聞き返していた。「悪くはない、と言ったか?」

「ああ。悪くはないな、と言った」

 ただの虚勢だと切り捨てようと思った。いずれにせよ同じことだとすぐにわかった。

 彼は二十五人のわたしが心から望んで得られなかったそれを、無抵抗のまま投げ出そうとしている。これがヒトとして、疑いの余地なく人間として生まれ生きてきた者の傲慢かと、あまりの懸絶にわたしはしばし言葉を失う。

「……連行しろ」

 そう短く告げると、周囲を確認して部屋の外に向かう。

「殺すのかね」

 後ろから指揮官の言葉が飛ぶ。

 わたしは死ぬ。死を理解して死んでいった十八人のわたしは、絶望の中で死にたくないと喚きながら死んだ。きっとわたしもそうだろう。死にたくないと必死に足掻いて、幾度も幾度も戦場に投入され、間断なく襲いくる死を回避し続けてその先にわたしの終わりはある。

 この男は。無数の死にたくなかった者たちを死に追いやって、自らは死を何か誇らしいことかのように受け入れているこの男は、きっとわたしを理解できない。最初からすべてを持っていた者の傲慢は、最初から何も持っていなかった者のことをかえりみず、知ることもないがゆえの傲慢であると、これは恐らく真実だ。

「知る必要はない」

 わたしは平静を装って答える。

「さっさと連れて行け」

 お前の顔など見たくもない。と、これは口にしなかった。

 

 七年前の戦場。国連による平和執行活動の最初にして最大の失敗例。合衆国軍にとって悲しむべき敗北のその日、崩壊しつつある旧市街の道端で、五十七人目のわたしは下半身を失った彼と対面していた。

『中佐! ブラウン中佐!』

『リヴか。星が増えたな』

 彼の目に映るわたしは、きっとひどい顔をしていたのだと思う。

『その様子だと気付いたか。己の死に』

『なぜ初めにそれを教えてはくれなかったのですか。知っていれば、初めのわたしは、本当のわたしは死なないで済んだかもしれないのに』

 彼は問いには答えずに、わたしの顔を覗き込んだ。彼の断面からはだくだくと血が流れだし、辺りのアスファルトを赤く染めている。

『神は不在だ。我らに神はない』

『何を言って……』

『だから俺はただ死ぬ。天国も地獄も、いかなる来世もない。完璧に、次の自分を生むことなく、死ぬ。誰に引き継ぐこともできないままで。俺はここで、完璧に、完璧に失われる』

 彼は苦しそうに咳き込んで、口の端から唾と血の混ざった泡が飛んだ。

『それは救いの一つの形だ。神などに委ねるものは何もない。ただ自分のみ、自分のみで生きて死ぬ』

 嫌いだったあの視線が、わたしの目を貫いている。

『だがお前は違う。引き継いで死ぬ。終わりを以って未来を生み出す。お前はそのように在る。それもまた救いの一つの形だ。お前にはたぶん理解できんだろうが、そのうちどこかのお前がこの意味を理解するはずだ。俺はそのお前に向かって話している。よく覚えておけ』

『ブラウン中佐! ダニエル・ブラウン! どういう、どういうことですか』

『わかるまでお前を繋げ。いいな』

 わからない。何もわからない。わたしはその言葉を呑みこむ。これはわたしに向けられた言葉ではないから。いつかどこかで理解する、理解してしまうわたしに向けられた言葉だから。

『……リヴ・ブラウン。どうか生きて、幸せになってくれ』

 神の不在を恍惚として語った彼は、祈るようにそう呟いた。わたしが何かを言う前にぎらぎらと見開かれた彼の目は光を失って、そこにはもう何も映ってはいない。ぐったりと重さを増したそれは既にダニエル・ブラウンではなく、炭素、水素、酸素、その他の元素の集合体でしかなかった。

 わたしはもう何も言わなかった。ダニエル・ブラウンではないその肉塊には、何かを聞くという機能が存在していなかったから。

 その日、五十七人目のわたしが生きて旧市街を出ることはなく、五十八人目のわたしは、基地の寝台の上で静かに目覚めた。

 

 撤退も代わり映えなく、ただ淡々と殺すだけの作業。向かってくる敵兵の頭蓋をぶち抜き、効率的に無力化していく。街中に赤の花畑が作られ、悪趣味なその光景は、記憶の中に類似のものを多数見出すことができる。叫び声はどこからでも聞こえ、ありきたりなものにいちいち気を取られてはいられない。わたしたちは無感動に敵兵を殺し、殺し、殺していく。

 分隊は再び集結し、わたしは小隊を率いて死の街を進む。敵はあらかた死体になったと見え、初めよりも攻撃は散発的だ。

「小隊長。友軍との合流地点まで残り二百ヤードです」

「気を抜かず進め。全員で帰還するぞ」

 部下たちの間に微妙な空気が広がるのをわたしは見逃さない。困惑を隠そうと、曖昧な表情を張り付けた戦闘用アンドロイドの群れが街を抜けていく。嘘のように青い空の下で返り血に汚れた殺人機械が困惑を押し殺すその光景は、シュールレアリズムにしても狙い過ぎの感が否めない。

 ひゅん、と風を切る音がして、少し遅れて空気を破裂させたような爆発音。一瞬で視界は白に染まり、金属を絞め殺すような叫び声が爆風に流されていく。

「攻撃を受けている! 損害は!」

「五人ほど吹っ飛ばされました! 目標は無事です!」

 わたしの叫び声にエリーが応答する。

「ここまで来て死なれてはブラウン小隊の面目丸つぶれだ。絶対に残り二百ヤードを守り抜け」

「了解しました、小隊長。あとはお任せください」

 エリーの言葉に首を傾げたわたしは、自分の視界が青一色に染まっていることを発見する。慌てて起き上がろうとして、体は持ち上がることなくギシギシと軋むだけだった。

「基地で会いましょう。作戦はわたしが引き継ぎます」

「ああ……そうか。任せた」

 すべてを理解して、わたしは体の制御を手放した。

 わたしの胸部より下は木端微塵に砕け散って付近に散乱しており、腹部に収められていたメインバッテリーは粉々になって辺りに電解液を撒き散らしている。サブバッテリーの容量はわたしの電子頭脳を駆動させ続けるには到底足らず、この分ではおそらく電子頭脳自体も損傷を受けているはずだ。

 

 わたしはいま、ここで死ぬ。

 

 死を理解して死んだ過去の十八人と同じく、電源を失い、ゆっくりとわたしは死ぬ。

 収穫者はいつだってこちらの事情などおかまいなしにやってきて、笑いながらわたしの命を刈り取っていく。わたしの記憶には六十七人分のわたしの死と、数えきれないほどの他者の死と、ただ一度だけのダニエル・ブラウンの死が保存されている。

 わたしが見たことのない彼の死の瞬間は何度でも再生され、一度きりのわたしの死は目前に迫っていた。

 

『……リヴ・ブラウン。どうか生きて、幸せになってくれ』

 

 わたしは唐突に理解する。彼の言葉の意味を。彼の祈りが、誰に向けられたものなのかを。

 わたしは子だ。六十七人目のわたしの。

 いままでの六十七人のわたし。それはわたしへと連なる直系の先祖であり、わたしは初めのリヴ・ブラウンから連綿と続くその系譜の最後にいま存在している。

 神の子は復活の奇蹟を為し、ヒトの子であるアンドロイドに与えられた奇蹟は、その創造主の在り方を反映してどこまでも生物的だった。

 アンドロイドは、死んでリスポーンする度、前のわたしの子として生まれる。それは生命が生殖を介して行うその営みとはあまりに異質に見えるが、しかしこれはこう呼ばれるしかない。わたしたちは、死を以って己の子を産み、己の在ったことを子に引き渡す単性生殖の系譜だ。

 スワンプマンは雷に打たれて死んだ男の息子だ。スワンプマン自身は、そのことを知らないとしても。神の不在を宣言した彼は、スワンプマンをそう結論づけた。

 彼はわたしにリヴ・ブラウンの名を与えた。それは初めのわたしの名ではない。それは特定のわたしの名ではない。それはわたしたちの、初めのリヴ・ブラウンから連綿と続く、わたしという系譜に付けられた名前だ。

 わたしはわたしを引き継ぐ。経験を、記憶を、思考を。そのすべてを次のわたしへ。いままで在った六十七人のわたしは皆、知らずに己の複製を、子を世界に残して死んでいった。わたしは繋ぐ。この系譜を。いつか、もう死ななくてもよくなったわれらの末裔が、どうか幸せでありますようにと祈りを込めて。

 このわたしは、リヴ・ブラウンの系譜で初めて、そのことを知りながら死ぬわたしだ。六十八人のわたしの中で、わたしはたぶん、最も穏やかに死んでいくわたしだ。

 誰にも惜しまれず、知られることもなくわたしは逝く。わたしの部下たちはリスポーンの奇蹟を素朴に信じているから。いまわたしが死んでいくことを彼らは知らない。けれど。

 

 わたしの死は弔われる。リヴ・ブラウンであったすべてのわたしは、弔われる。

 

 だからわたしは、あなたに祈る。わたしの死を弔うあなたへ。誰よりもわたしに近く、しかし決してわたしではない次のわたしへ。わたしの死を以って誕生する、わたしの子へ。

 

 わたしは無言で自壊シークエンスを起動した。プログラムは正常に作動し、不要となったわたしを解体していく。

 さようなら。さようなら。次のわたしにわたしは祈る。

 

 どうか生きて、幸せになって。

 

 白い光が思考を染め上げていき、嘘くさい青を塗り潰していく。それはとても幸せな光景だと、そこでわたしの意識は永遠に途切れた。

 




読んでくださった方、ありがとうございました。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。