ただ一人、君の為なら。   作:ぶんぶく茶の間

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 そして大変お待たせしました最新話! 例のごとく深夜投稿で申し訳ありません!
 本日より新キャラ加入のためタグ『幻想神域』を追加します!
 詳しいことはあとがきにて!
 それでは最新話をどうぞっ!


第七話 捻じ曲がる平穏

 その日の夕刻。アステルは自室でトランクへと荷物の最終確認をしたあと、玄関に立っていた。

 振り返ればフィーベル家に住まう人々がおり、彼の出立を喜び半分、不安半分に待っている。

 

「アステル君、着替え持った? 歯ブラシは? あっ、シャンプーは持ってるっ?」

「セラさん、帝都のホテルに泊まるんですだからそういうのは揃ってますよきっと」

「う、うう……。なんていえばいいのかな、可愛い弟を送り出すお姉ちゃんの心境が分かっちゃって……」

 

 眉根を寄せ眦に涙をうっすらと溜めたセラはシスティへ窘められ、ルミアは苦笑を浮かべている。一方でシャルはアステルへと歩み寄り、「何かあったら連絡する」と耳打ちしてからスッと離れた。

 アステルは彼女の耳打ちに小さく頷いたあと、「んじゃっ、せいぜい頑張ってこい!!」と背中をぶっ叩かれて屋敷を出る。

 夕陽が沈みかけ空が少しだけ闇色に染まり出す中、アステルは屋敷の門前でそれを振り返った。

 

「……行ってきます」

 

 珍しく白衣ではなくケープを肩に掛けた制服姿のアステルは、そう呟いて学院へと向かってゆく。

 ……だが。

 少しして、彼の後ろから誰かが駆け寄ってくる足音が聞こえた。

 

「ルミア――?」

 

 とんっと彼の胸に身体を預けてきたルミアは何も言わず、その腕を彼の背へと回した。

 ――行って欲しくない。そんな感情が、鈍感なアステルにでも分かるほどにルミアから流れ込んでくる。

 今日から五日ほど、帝都で行われる魔術学会に出席するアステルに、ルミアは周囲の人々よりも一層強い不安に刈られていた。

 もう帰って来ないのではないかと。そのまま自分の事を忘れ帝都で研究の日々に追われてしまうのではないかと。

 ルミアはうつむいたまま彼の胸元に顔を押し付け、精いっぱいに抱き締める。

 そんな彼女の様子にアステルはくすっと微笑むと、右手をルミアの背に回し左手で頭を優しく撫でた。

 

「大丈夫だよ、ルミア。僕は必ず君の許に帰ってくる。約束する」

「……本当……?」

 

 ようやく顔を上げたルミアの瞳は揺れており、アステルは満面の笑みで頷く。

 

「だって、みんなのいる処が僕の帰るべき場所だから」

 

 その言葉にルミアは目を見開き、頬につうっと涙が伝う。

 アステルは頭を撫でていた手を頬に滑らせ、指でそれを拭い取った。

 

「行ってきます」

「……うん。行ってらっしゃい、アステル」

 

 二人は最後に抱擁を交わし、踵を返して歩いてゆくアステルの背中を、ルミアは見えなくなるまで見送るのだった。

 

 

       ◇

 

 

 学院の転移塔からやってきた帝都の街並みを見て、アステルは小さく笑みを浮かべた。

 あまり変わりのない景色に少し不安が和らいだのだ。

 

「そういえばお前は帝都出身だったか」

「ええ、まぁ。といっても下町なので、こんな高級街をまじまじ見るほど来たことありませんよ」

 

 隣に居たハーレイの荷も預かりながら、アステルは苦笑を浮かべつつ、他の教師陣の流れに沿って帝都の中心部にある転移門から出てゆく。

 これからは自由行動の様で、夜の帝都に繰り出すのも良し、団体で予約した帝都のホテルで睡眠を摂っても良しとなっていた。

 

「久々の帰郷だろう。馴染みの場所へ顔を出しても良いのではないか」

「え、ですが……」

「構わん。私の発表は三日目なうえ、お前は二日目だ。一日目は大御所の発表と懇親会だ、気にせず行ってこい。チェックインだけは先に済ませておけ」

 

 ハーレイはふっと微笑みながら自分の荷物をアステルから受け取り、彼の背中を押すと、そのまま宿泊先のホテルへと歩いて行ってしまった。

 手持無沙汰になってしまったアステルは彼の背中を見送ったあと、ふうっと息を吐いて困ったように眉根を寄せながら周囲を見回す。

 この区域に知り合いなど片手の指で足りるほどしかいない。ましてや両親が亡くなった際にこの帝都の人々とは疎遠になっているのだ、今更顔を合わせずらいというのもある。

 

(……展望台にでも、行ってみようかな)

 

 だとすれば自分の時間に少し当てることができる。アステルは気分転換も含め、ホテルにチェックインした後最小限の荷物だけを持ち帝都上部にある展望台へと向かう。

 歩けば半刻ほどで到着するそこは、夜であるからか非常に人気が少なく、道中の植物公園には年頃のカップルが何組かベンチを占領していた。

 独り身には居辛いデートスポットの一つではあるが、彼は構わず路を進んでゆく。

 ……やがて白い建造物が見え、高地の端へと建てられたそこは、満点の星空が上を、帝都の街並みから発せられる光が下を占め、その境界線には数多の星々が煌めいていた。

 

(いつ来ても、ここは変わらないな……)

 

 道中の街には新しい店舗が構えられていたり、以前もあった店が店先をリフォームしたのか改築されていたりなど、細々としたところに変革の兆しがうかがえた。しかし、ここの景色だけは変わらない。

 

「はは……」

(そういえば、ルミアをお城から連れ出して、ここに来たこともあったっけ)

 

 懐かしい思い出にくすっとアステルは微笑むが、今は笑い合う人物はここに居ない。だからこそ、その声を少しだけ抑えた。

 思いを分かち合う存在がここまで尊いものなのだと自覚したアステルは、夜空を見上げる。

 月夜が彼を照らし、風によって靡いた白髪は月光によって蒼銀の様に煌めいており、それは星の様な幻想的な色合いを醸し出していた。

 そんな時だ。

 

『――君は、星が好きなのですか?』

「え――」

 

 空を眺める自分の頭上から、少女の声がする。

 銀色の髪を三つ編みのツインテールおさげにした少女。そして長い前髪から覗くアイスブルーの瞳。奇しくも少女はアステルと同じ様に月光によって蒼銀の燐光を纏い、白と群青色の生地が組み合わされたアカデミックドレスを着こんだやや無表情な少女は彼の背後から顔を出し、回り込むように滑らかな動きで彼の眼前へ躍り出る。

 しかし彼の眼前はかなりの高低差のある崖。少女が落ちないかと心配したが、その心配はない。

 一見天球儀の様なそれに腰かけた少女は、それによって中空に留まり続けている。アステルと視線を合わせながら再び尋ねた。

 

「星が好きなのですか?」

「え、あ……うん、そうだね。……考え事をする時、よく空を見るかな」

 

 なぜならそこに自分達の目標が見えるから。その言葉が喉を出掛けて、彼はそれを胸の中に押し込む。

 シャルの眷族であるテネブラエも中空を浮遊していたことからそういった奇想天外な事柄に若干の耐性を持っていたと自負していたアステルだったが、流石に人の形をした少女が浮遊しているところを見るとハラハラしてしまう。

 彼は率直に彼女の問いへ答えると、少女は小さく笑ったかと思えば、次には無表情へ戻って「そうですか」とうなずいた。

 

「あの、君は……?」

 

 自分の知り合いであったなら絶対に忘れることがないほど強い印象を持つ少女へ彼は訪ね返すと、少女は小首を傾げる。

 

「私ですか? ……あぁそうですよね。忘れてますよね………間違いなく」

 

 そしてぷくっと頬を膨らませ半眼で彼を睨み付け、むにっと彼の両頬に手を添えたと思いきや、額をぴとっと押し当てた。

 接近したことによる恥ずかしさからか頬をほんのりと赤くした彼女の頭にのせていた学士帽が揺れ動き、落ちかけたところで彼の両頬から手を放しそれを支える。

 

「……記憶の残滓もなし。ふむなるほど、これは完全にアレですね。一方的に君の事を知られていて怖がられるってやつです……むぅ……もっと強く刻んでおけばよかった……」

「あ、あの……?」

 

 唇を数回つついて思案し、悔しがるように渋い顔を見せた少女に、流石のアステルも疑いの視線を向けた。

 すると彼の視線に気づいた少女は彼へ視線を戻すと「ごめんなさい」と言ってから、

 

「改めまして、はじめましてアステル=ガラードさん。わたしの名前はクロノス。無限にある時間の中で、君を待っていました。また(・・)、よろしくお願いしますね――」

 

 月光を背にして一礼した少女は、そう名乗るのだった。

 

 

 

 一体どうしたことだろう。

 アステルは難しい表情でホテルの自室へ戻ると、そこまで付いてきた少女、クロノスは彼と共に入室した室内を見回していた。

 高そうなシングルベッド、柔らかい絨毯に高質な家具類が立ち並んだ一室は、一学士としてのアステルの身にあまり、正直に言えば居心地がとても悪そうだった。

 なぜ一人用の部屋に二人が入室できているのか。それはクロノスの着こんでいるアカデミックドレスの様な衣類には認識阻害の魔術が永続付呪(エンチャント)されていることが起因しており、アステルは現在得体の知れない存在と行動しているからである。

 

「それで、君は一体何者なのかな……?」

 

 不安いっぱいに表情を浮かべたアステルは、声をひりだすようにクロノスへと尋ねた。

 彼女もふうっと自分が乗っていた天球儀の様なもの――時辰儀から下り立ち、ドレッサーの椅子を両手で動かし腰かけ、アステルへと向き直る。

 

「そうですね……。精霊、と表現した方が理解が早いでしょうか? 魔物でもなく、天使でもない。そんな存在がわたしです。本来は更に高次元の存在なのですが、まぁ今は精霊といった認識でよいでしょう」

「……うん。でもどうして僕なんかに付いてきたのか聞かせてくれない?」

 

 こうして再びクロノスはふむ、と唸りながら思案し、アステルはその言葉を待ち続ける。

 待つこと三十秒。彼女は思いついたようにふと顔を上げて目を見開かせ、彼を見つめた。

 

「……えも言われぬ時の運命に惹かれたというか」

「運命って……」

 

 そんなものでいいの、とアステルは内心で思いながらも苦笑を浮かべると、クロノスは「それです、その顔」とぴっと小さな手の人差し指で彼を指差した。

 その指摘に気づかないアステルは再び内心で混乱を起こし、困ったように小首を傾げる。

 第一、こんな幼女――もとい幼気(いたいけ)な少女を連れ回す趣味を彼は持っておらず、自室にまで連れて帰ってきたことでさえ彼にとっては信じられない出来事なのだ。頭の良い方と本人は否定しているものの完全に今置かれた状況に容量オーバーを起こしていた。

 

「はぁぁ……っ。こんなことも最初から話さないといけないなんて思いませんでした。………まぁいいです。それでこそ燃えるというものっ」

「えっ? え、クロノスちょっとっ!?」

 

 クロノスは席を立ちアステルへととてとてと歩み寄ると、両頬をがっちりホールドして彼の額に軽く口付けした。

 すると、まるで右目が切り付けられたように痛み出し、それが視神経を通い脳神経まで焼き切るような痛みに代わる。

 不思議と声は出なかった。何故か耐えることが出来たことにアステルは驚き、しかめた顔から徐々に和らいでいった彼の顔には、奇しくもセラ=シルヴァースの刻印と似ても似つかない緋色の刻印が施されていた。

 その刻印は右半身の上腕部まで伸び、不思議な紋様を描いている。

 一瞬の出来事でアステルは目を白黒させ、一方でクロノスは満足気に口元を緩めた。

 

「ちょっとした契約です。これでわたしは貴方の契約者。どこまでも――この世の果てまでもお供しますよ? マスター・アステル」

「こ、こんな押し売りみたいな真似して大丈夫なの?」

 

 アステルは自分の額を右手で抑えると、クロノスは大きく頷き満足気に微笑む。

 

「一切合切問題ないです。むしろ光栄といいますか……一世一代のチャンスといいますか」

「ん、どういうこと?」

「なんでもないですっ」

 

 頬を赤らめてそっぽを向いてしまったクロノスの後ろ姿を見て、アステルは一つため息を吐きながら思う。

 ――僕も人の事は言えなくなっちゃったか、と。

 シャルの眷族達は目立つが故に現状は彼女の胸元にある宝石入りのペンダント内で現世を見ており、通常はこの世の裏となる魔界と呼ばれる場所で過ごしている。

 だがひとたび彼女の意思が彼らを呼べばすぐさまに現れ、命令を実行する存在だ。あれほど心強いメンバーであるなら彼女はある種無敵の存在なのかもしれない。

 そして自分も予想外な形で契約者となったわけで。だがこの人のなりをした少女を果たして眷族や精霊の類と考えても良いものかは不明だ。

 

「……とりあえず、そういう事なら君を繋ぎ止めなければならないわけでしょう? 僕に出来ることはある?」

「そうですね……。しいて挙げるのなら朝は一緒に食事を、昼にも食事を、夜にも食事を。そして湯浴みの後に髪を梳いて欲しい、くらいでしょうか?」

「……なんというか、あまり人と変わらないね?」

「一応人から成りあがった身ですから」

「色々とツッコミたいところはあるけれど……まぁ、それくらいなら全然問題ないよ? でも加減なんかはあまりよく分からないから、そこは君の匙加減を教えて欲しいかな」

「………」

 

 アステルが照れくさげに頬を掻く姿を見たクロノスは目を見開いて驚き、そしてぼそっと(天使だ、天使がおりゅぅ……)と顔を赤くしながら呟く。

 兎にも角にも、彼の接し方がたとえ彼女がどんな存在だとしても一人の女の子、それも自分にとってある意味で特別な存在だとすれば、皆と同じ様に接することに変わりはない。

 それだけ見ればある種胆が据わっている様に見えなくもないが、むしろ冷静かつ知的そうに見える(というよりそうなのだが)彼女が胸を張って「わたしは精霊です敬いなさいっ!」などと言われようものなら流石の彼も対応に困る。

 常識的な部分に於いて本当に人間らしく落ち着いてくれていた彼女のおかげで、彼も変な気を遣わず接することができるのだ。

 

「いいでしょう。わたし好みに染めてあげますよ」

(前言撤回)

 

 彼は額に脂汗を滲ませながら、冗談交じりに若干黒い笑みを浮かべたクロノスへとほほ笑むのだった。

 

 

       ◇

 

 

 アステルが帝都へ渡った翌日。

 例によって前任だったヒューイがひと月も不在となったために授業が遅れていたシスティ達のクラスは、魔術学会による休校日であっても登校を余儀なくされていた。

 しかし、気怠そうに登校する者は片手で事足りるほどであり、ましてや休日扱いとなっている他クラスの生徒でさえも登校し、現担当講師となったグレン=レーダスの授業の見物にやってきて立ち見の生徒まで出るほどの人気ぶりだ。

 シャルはシスティとルミアの九割がたアステル、一割がグレンの談義に付き合いながらも張り合いのなさそうな表情を浮かべており、机上でインクの入った小瓶をころころと転がしていた。

 なぜこうも露骨に暇そうな表情を浮かべているのか。それはグレンの到着が予想よりも遅く、授業時間もすでに三十分ほどが経過し、生徒達の不満がそろそろ爆発しそうになっている。

 そして教室の扉が無造作に開かれ、新たな人の気配が現れたのは、その時だった。

 

「あ、先生ったら、何考えてるんですか!? また遅刻ですよ!? もう――え?」

 

 早速説教をくれてやろうと待ち構えていたシスティは、教室へ入ってきた人物を見て言葉を失った。

 シャルの表情が一瞬強張り、そして緊張感から引き締まってゆく。

 グレンの代わりに、見覚えのないチンピラ風の男とダークコートの男がいたのだ。

 

「あー、ここかー。いや、皆、勉強熱心ゴクローサマ!」

 

 頑張れ若人! と突然現れた謎の二人組に教室全体がざわめき始めた。

 

「あ、君達の先生はね。今、ちょっと取り込んでるのさ。だから、オレ達が代わりにやってきたっつーこと。ヨロシク!」

「ちょっと……貴方達、一体、何者なんですか?」

 

 正義感の強いシスティが席を立ち、二人の前まで歩み寄ると臆せず言い放つ。

 

「ここはアルザーノ帝国魔術学院です。部外者は立ち入り禁止ですよ? そもそもどうやって学院に入ったんですか?」

「おいおい質問は一つずつにしてくれよ? オレ、君達みたいに学がねーんだからさ!」

「……っ!」

 

 システィは苦い顔で沈黙し、男たちは自分たちがテロリストと名乗る。そして女王陛下に喧嘩を売る怖い人間だとも。

 そしてこの学院の防衛システムは強固たるものだと信じていた生徒達は、それがいとも簡単に突破され、現に証として自分たちが居ることを知らされる。

 クラス中のどよめきが強くなってゆく中、システィがそれでも問答を続け――やがて。

 彼女の首を、腰を、肩を。光の線が掠めて走った。

 

「―――……」

 

 シャルは自分の頬から流れ出た血を気にするでもなく、目を鋭く光らせ、胸元のペンダントにばれないように触れた。

 それからルミアが彼らに連行され、挙句この場の全員に黒魔【マジック・ロープ】で縛り上げ、呪文の起動を封じる黒魔【スペル・シール】が施され完全に拘束されるまでにあまり時間はかからなかった。

 

 

       ◇

 

 

「ち――何が起きた!? 一体、何がどうなってやがる! クソッタレが!」

 

 魔術学院の正門前にて。

 倒れていた守衛が息をしていないことを確かめたグレンは、思わず地面を叩いた。

 

「一応、学院関係者のはずの俺が結界に弾かれて学園内に入れねえ……結界の設定が変更されてやがる。誰だ、んな面倒臭ぇことしやがったアホは!」

 

 幸か不幸か、この事態の下手人が展開した人払いの結界は効いているらしく、周囲には誰もいない。彼()は落ち着いて状況を整理してみることにした。

 

「天の智慧研究会……だね?」

「ああ。……あのロクでなしの馬鹿共だ」

 

 こと切れていた守衛の目を閉じさせ、祈りをささげた後立ち上がったセラが静かに言う。グレンは彼女の言葉に小さく、怒気をはらんだ声で頷いた。

 彼女の言葉には確証があった。遅刻寸前であったグレンを襲った数名のうち一名を返り討ちにし、嫌がらせに裸にひん剥いたときに判明したこと。

 その男の腕には短剣に絡みつく蛇の紋――あの忌むべき組織の紋章が彫られていたのだ。

 天の智慧研究会。それはこの帝国に蔓延る最古の魔術結社の一つ。彼らの言葉通りに活動する外道魔術師たちの巣窟であり、その常人と相容れぬ思想ゆえに歴史の中で常に帝国政府と血を血で洗う抗争を続けてきた最悪のテロリスト集団、魔術界の最暗部だった。

 

「だが……連中、何が目的なんだ? なんのためにこの学院を?」

「……図書館の地下書庫にある魔導書、というわけじゃなさそう。――静かすぎるよ……不自然なくらいに」

「確かにな……」

 

 セラは己の武器である歯引きされた魔導具仕掛けのハルバードを握りしめ、目の前の校舎を静かに見つめていた。

 グレンも一瞬魔導書や、博物館の封印倉庫に収められている魔導具や魔導器などが目的と推測したが、彼女の言葉によって考えを改める。

 

「くそ……連中があの馬鹿共なら、町の警備官じゃ手に負えん……対抗できるのは宮廷魔導士団くらいしかない……」

「セリカさん、繋がらないの?」

「あぁ――セリカの奴め、早く出ろってんだ!」

 

 グレンは半割りの宝石を耳元に当て、何度も魔力を送っている。これはセリカと直通で会話ができる通信用の魔導器だが、彼女が応じる気配は一向にない。

 

「何やってんだアイツ。まさか、寝坊してるんじゃねーだろうな!? 寝坊は社会人として最低だぞ!? 責任ある立場としての自覚がなさすぎだ、バーカ!」

「グレン君が言えたことじゃないと思うよ……」

 

 グレンは悪態を吐きながら乱暴気味にその宝石をポケットに突っ込み、セラは苦笑交じりにため息を吐く。

 そして懐から一枚の割符を取り出し、見つめる。

 これは消費付呪型の魔導具、要するに使い捨て。一度これを使用して中へ入れば、黒幕を討つまで学院から出られないだろう。

 ましてやもう魔術が扱えないセラを連れて行くのも難しい。彼にとって目の前で彼女が傷つく事など今後一生あってはならない。

 これを使って、自分一人で学院内へ踏み込むべきか――

 ぐっとその符を握りしめたグレンの肩に雪の様な白肌の手が優しく置かれる。

 

「セラ……」

 

 彼女はグレンから放たれた弱々しい自分を呼ぶ言葉に顔を横に振り、そして強く微笑んだ。

 

「貴方の考えていることくらいすぐに分かるよ。でも、それを言っても私が聞かないのも、グレン君なら分かるよね?」

「……あぁ………」

(そうだったな。そうだったよ――)

 

 彼は思い出した。お節介で、世話焼きで、説教臭くて、お人好しで――頼りになる(・・・・・)

 もちろん危なっかしいところもあるが、それでも……

 魔術を失った今でも、セラ=シルヴァースという自分にとって掛け替えのない存在の強さを、彼は知っている。

 セラはそれに、と続けた。

 

「グレン君が、私を守ってくれるんでしょう?」

「ッ!」

 

 その言葉に、彼に雷を撃たれたかのような衝撃が走る。

 ――ちゃっかり聞いてたんじゃねーか! とその場で羞恥心も含めた怒りがぶわっと吹き上がり、彼は声を荒げながら

 

「当たり前だ。今度は絶対にお前を――」

 

 言葉尻は、セラの柔らかい指先がグレンの唇に乗せられたことで止められる。

 彼女は嬉しそうに微笑んでいた。そして、それが彼女の自分への信頼なのだと気づくまでにそう時間は掛からない。

 意気込んで肩を張った彼から余分な力が抜けていく。セラはその様子を見守り、ふふっと小さく笑ったあと、手に持った得物を握り直す。

 グレンは一つ深呼吸をしたあと、パンッ! と掌と拳を打ち鳴らした。

 そして、二人は強く微笑み合う。

 

「――頼りにしてるぜ……セラ(・・)」 

「ふふっ、久しぶりに名前、呼んでくれたね。――任せてグレン君、お姉さん頑張っちゃうんだから!」

 

 学院へ駆け出した二人の眼前に三閃の黒魔【ライトニング・ピアス】が奔った瞬間、二人の脚はより一層に速まった。

 

 

       ◇

 

 

 システィーナ=フィーベルは拘束されていた。

 ジンに連れられ魔術実験室へ押し込められ、今、凌辱の限りを尽くされようとしている。

 彼と彼女は幾ばくかの問答を続けるが、『自分の弱さに仮面を付けて隠しているだけのお子様だ』というジンの指摘に彼女は言葉を詰まらせてしまった。

 

「私が貴方に屈するとでも……?」

「ああ、屈するね。多分、割とあっさり」

「ふざけないで! 私は誇り高きフィーベル家の――」

「はいはい、じゃー、どこまで保つかなー?」

 

 ばり、と。ジンはなんの迷いもなくシスティの着る制服の胸元に手を掛け、それを引き裂いた。白い下着に包まれた胸と肌が露になる。

 

「……え? ……ぁ」

 

 掠れた声がシスティの喉奥から絞り出される。肌がひやりとした外気にさらされ、いよいよこれから自分がどのような末路を辿ることになるのか、強く実感する。

 じわりと。だが、もう誤魔化し様もなく致命的な恐怖と嫌悪が心の中で醸造される。

 

「ひゅーッ! 胸は謙虚だが綺麗な肌じゃん! うわ、やっべ勃ってきた……おや? どうしたのー? なんか急に押し黙っちゃってさー、元気ないよー?」

 

 相手を煽らんばかりのジンの嘲笑が実験室に響く。

 システィはきつく瞳を閉じる。

 ――負けるものか。屈するものか。私は誇り高きフィーベル家の娘だ。魔術師にとって肉体などしょせん、ただの消耗品ではないか。唇を震わせながら自分自身に言い聞かせる。

 だが。その脳裏に焼き付いた彼の……アステル=ガラードの笑顔が消えてくれない。

 以前、非常勤講師であるグレン=レーダスはこう語ったのを思い出す。

 

 ――お前らが魔術は世界の心理を求めて~なんてカッコイイことよく言うけど、そりゃ間違いだ。魔術は人の心を突き詰めるもんなんだよ――

「――ッ!」

 

 彼女は目を見開いた。

 人の心を突き詰める。確かに彼はそう言った。

 正直に言って、齢十四・五の少女がその言葉の意味をどう受け取ればよいのか戸惑うところでもある。

 しかし、今この場に於いて、己の身体が消耗品などと考えた自分自身を可能であれば打ち倒してしまいたい。

 

(――私は、アステルのことが好き……)

 

 ただこの一点。認めてしまえばすんなりと自分の腹に落ちる己が本心は、しかしそれでも彼女の折れかけた危うい心を持ち直させるには充分すぎるものだった。

 だからこそ、目の前の恐怖に負けられない。

 例えどれだけこの身が穢されようとも、自分の弱い心には、絶対に負けるわけにはいかない。

 

(逃げるな……勝つのよ!!)

 

 きっと、強い意志の籠った瞳で再び目の前の男を睨み付ける。

 彼は一層嗜虐心が煽られたのか、ニィ……と形容し難いえげつのない笑みを浮かべる。

 そして、システィは静かにこう告げた。

 

「貴方には負けないわ。どれだけ自分が穢されようとも、この気持ちを――想いを、彼に伝えるまで……私はこんな恐怖に、絶対に屈したりはしない!!」

「言葉だけじゃあ分からねーよなぁ? さてさて、いよいよご開帳――」

 

 彼女が啖呵を切ったと同時、ジンはその手を彼女の切られた下着に手をかけたところで――

 

『――《よく言ったぜ・お嬢(食尽せよ炎獅子)》!!』

 

 獅子の顔を模した炎の塊が、システィの眼前を過ぎった。

 その炎を纏った獅子はシスティを辱めたジンへと顔から齧り付く。

 現れた金髪の少女は、その手に銀色に輝く剣を手にしており、彼女へゆっくりと駆け寄りその白い肌を己のケープで覆い被せた。

 

「あ……あ………ッ」

 

 唐突な出来事に言葉にならないシスティ。

 目の前に現れた少女は、現在この学園にある教室の一室で捕虜となっている存在。

 だというのに、金髪の彼女は現れた。

 

「シャ、ル………っ!!」

「……悪ぃなお嬢。ちっとばかし手古摺っちまった」

 

 金髪の少女――シャーリィ=メドラウトはシスティを安心させるようにきつく抱きしめると、その視線を鋭くさせ遂に表皮を焼き切った見るに堪えないジンの姿を見据える。

 炎の獅子は火の粉となって消え失せ、彼女は目を伏せた後システィを抱き上げ、周囲を見渡した。

 

「お嬢達を探してうろうろしてみれば、かーなーり胸糞悪い展開になってたからなァ。お楽しみの所悪いが、思いっきりぶち壊したくなった」

 

 彼女の額には青筋が走り、その口からぎしりと重苦しい歯軋りの音が聞こえる。それでも護衛対象の手前笑顔を絶やさぬところは美少女の鏡であるが、事実システィとしては恐ろしい事このうえない。

 

「だ、だからってやりすぎなんじゃ……」

「おぉい今しがた服引ん剥かれて泣き言吐いてたくせによく言えんなぁ?」

「うぐ……」

「まっ、いいや。――おい、そこのロリコン野郎。だらしなく伸びてんじゃねーよ。テメェら一体何が目的だ? 姫さんはどこだ、答えやがれ」

 

 ゴキリゴキリと指の関節を鳴らしたシャルは瀕死となったジンへと尋問を開始。彼女の後ろ姿からもその怒りの度合いが分かる様に、ゆらゆらとその髪を憤怒の炎が揺らめかせ、フラスコのガラスが反射して伺えたその紅の瞳は爛々と燃えていた。

 問答を繰り返すうちに彼女は彼の指を一本ずつ圧し折ってゆく。そのあまりに残酷な尋問にシスティは涙目でその場に蹲り、耳をふさいだ。

 ……やがてその絶叫が止み、恐る恐る彼女達の方を振り向いてみればその行為は終わっており、完全に気絶したジンと顔を盛大にしかめながら大きく舌打ちしたシャルが居る。

 

「かなり厄介な事になっちまってるな……。あの先公も簡単にくたばってねぇとは思うが」

 

 がりがりと己の金髪を掻きむしったシャルは嘆息交じりに剣を構え、入口を警戒し始めた。

 一体どうしたのか。システィは彼女をただただ見つめながら、シャルは徐々に闘気をゆらめかせていく。

 システィにとって今までに見たことがないほどの、シャルの洗練された闘気は今にも最高潮に達しそうなほど鋭い殺気となって辺りに充満している。

 

「《赤ら」

「うぉおっ!? ちょっ、タンマタンマ!?」

「――先生!?」

「あんだよ、新婚カップルじゃねーか」

「なんだよ、とはご挨拶だなぁ。――って違うからねっ!? まだ私達お付き合いしてな――いやこれでもお姉さん頑張って駆け付けたんだよっ!?」

 

 三度シャルは盛大に舌打ちし、そこに現れた――アルザーノ帝国魔術学院非常勤講師、グレン=レーダス、そしてフィーベル家メイド長、セラ=シルヴァースを部屋へと迎え入れた。

 先ほどの殺気は一瞬で霧散しており、シャルは剣を肩でとんとんと叩きながら二人へと事情を説明し始める。

 

「……なるほどな。かなりやばい状況、ってわけか」

「おう。まァ、そっちにも手立てはあるんだろうが――」

 

 シャルの言葉尻が消される様にして、室内に金属を打ち鳴らしたような甲高い共鳴音が響き渡る。

 何事かとシスティが身を固くしていると、眉間に皺を寄せたグレンがポケットから半割りの宝石を取り出して耳に当てた。

 

「てめぇ、セリカ!? 遅ぇぞ! 一体、何やってたんだ、この馬鹿!」

『すまんな。ちょうど講演中だったんだ。着信は切ってたんだよ』

 

 宝石から、今はフェジテから遥か遠き帝都にいるはずのセリカの声が聞こえてくる。

 

「こっちはそれどころじゃねーぞ!?」

『……何かあったのか?』

 

 宝石から聞こえてくる声が硬くなった。

 

「ああ、実はな――」

 

 それからグレンはなんとか帝国宮廷魔導士団の応援を要請するなど、増援の手立てを逐一セリカへと訴えるが、学院へ直通している転送法陣も破壊されていると冷静に推測した彼女の言葉によって冷や水を浴びせられた様に彼は押し黙る。

 

「……悪い。冷静じゃなかった」

『人の本質ってやっぱ変わらないな。お前はお前のままだよ。とにかく、こっちは対応を急ぐ。お前は無理をせず、保護した生徒と一緒に――』

「――ちょっと待てやお二人さん」

 

 自分のあずかり知らぬ所で今後の動き方について話が進められていたシャルは、その場で待ったを掛けた。

 グレンは眉間に皺を寄せながらシャルを軽く睨むが、彼女は一切動じずに一歩前へ出る。

 

オレ(・・)にいい案がある。アルフォネア教授、あんたの近くにウチの開発馬鹿はいるか?」

『ん? ガラードのことなら目視できる範囲に居るぞ?』

「そいつは大体の事情は把握済みだ。あと、こっちにも切り札(・・・)がある」

「シャルちゃん?」

「お前ら……一体何者なんだよ」

 

 疑問符を浮かべるセラ、呆れた様に額に手を当てて天井を仰ぎ見るグレン。システィはただ、呆けた表情でニヤリとこれほどまでに邪悪な笑顔はないほどの表情を浮かべたシャルの後ろ姿を見つめていた。

 

「まっ、追々話すことになるだろ。とにかく今は生徒の保護、姫さんの奪還が最優先だ。それには人手が足りねぇ」

「だから、それは今――」

「ちゃんと最後まで聞けって。こういう土壇場になると、授業とはうって違うなアンタは。まっ、それが普通なんだけどよ」

「くっそ……」

「オレが、アイツらを喚ぶ。方法は間違っても他言無用だ。いいな?」

 

 そう言ってシャルは「テネブラエ」と、その名を呼ぶ。

 

「お呼びでしょうか、シャーリィ様」

 

 そこに現れたるは、犬にも狼にも、あるいは狐にも見えるその変わった生き物。

 彼女の眷族であるテネブラエだ。

 

「おう。状況は分かってんだろ? ――マルノクスは《結界》を破壊、レキシファーはアステルとアルフォネア教授をこの場に転移させろ。出来るだけ隠密に、だ。派手にやると後が怖ぇ」

「承知しました。――往きなさい」

 

 テネブラエは恭しくシャルへ首を垂れると、彼の影から二つの影が飛び散って行った。

 シャルはそれを確認し、後ろ頭を掻いた後――さて、と。と呟く。

 

「――おっ始めようじゃねーか、この戦争をよォ」

 

 その場にいる全員を引かせるくらい、獰猛な笑みを浮かべながら。




 ここまでお読みいただきありがとうございます! アステル君が若干強化、精霊(?)のクロノスちゃんが登場しました。
 というわけで今回は申し訳ありませんがわたくしから概要を!


 クロノス
 本作新キャラ。デザインは幻想神域のクロノスちゃんそのものです。
 一応時間を司る女神、ということで本作はクランクイン。アステル君の契約精霊(?)になりましたが、契約した彼に入れ墨(※紋様)を作っちゃうお茶目さん。
 彼についてよく知る人物のようですが、少し意味深な発言も多々あります。詳しくは今後随時開示されていきますのでご期待ください。


 いやぁついに真っ向から原作以外のキャラ出しちゃいましたよ……。大丈夫かな?(震え声)
 色々とカオスになってゆく第一巻クライマックスとなりましたが、なんとかうまくまとめられるよう頑張りますので、よろしくお願いします!
 それでは次回予告を。


 シャルの眷属、レキシファーの転移魔術によって魔術学院へやってきたアステル、クロノス、セリカの三名。先ずはグレン達と合流するべく学院内へ移動を開始するが、何者かによって召喚されたボーン・ゴーレムに道を阻まれる。
 一方でグレン達も生徒達を解放し避難させることを優先するべく動き出すが、肝心のルミアの足掛かりが掴めず歯痒い思いをしていた。
 果たして彼らの運命はいかに。





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