#1.One Day
―――血濡れの背中が、そこにはあった。
自らの身体は、酷い痛みを訴え、その意思に反し反応を示さない。
「……動け……」
それでも、知ったことかと必死に身体に指示を送り続ける。痛みが何だ、目の前の彼女が味わっているのはこんなものと比べ物にならないはずなのだ。ならば。
「動けよ……!!」
ああ、けれど。どれだけ想い、願おうとも。ただただ単純に限界を迎えてしまった肉体は、反応を示すことはない。
「動いて……くれよッ……!!」
「無理をしなくていいさ」
やめろ、やめてくれ。そんなに満足気に笑わないでくれ。そんな顔をされたら、諦めてしまう、納得してしまう。
「アタシはもう充分幸せを味わった」
そんなはずはない。まだだ、もっとたくさん、この先幸せなことはあったはずだ。だからそんな顔をしないでくれ。だってそんな満足気な顔をされたら……もう、何も言えないじゃないか。言っても無駄だと、理解してしまうではないか。
「大丈夫さね、大切な人を守れたなら」
言わせてはいけない。それだけは、絶対に。だが頭では分かっていても、口を動かすことができない。いつも通り、底抜けに明るい笑顔を浮かべる彼女が、どうしようもなく綺麗で。儚くて。そんな場合ではないのに見蕩れてしまって。ああ、もうお終いなのだと、否定しようがないほどに理解してしまったのだ。
「その結果として死ぬのなら、それもまた幸せなことさ」
「姉、さん」
「……だぁー、クソッ、久々に見たなオイ」
懐かしい夢だった。昔は毎日と言っていい程に見続け、魘された夢だった。
とは言え自分の境遇ではそう珍しい話ではない。ただ血も繋がらない育ての親とも言える義姉が、自分をかばって死んだというだけの話。ここらに住んでいる人間は、その仔細に差はあれど皆似たような目にあっている。だから自分が特別不幸なわけじゃない。
―――そう、割り切れるのにどれだけの時間がかかったことか。既に自分も年齢は二十四。この歳にもなれば、特にこの精神性の成熟が早くないと生きていけない環境においては、過去を過去と割り切り、気にせず生きていくのはそう難しいことではない。
それでも、決していい思い出ではないので汗をかいている。寝巻が肌に張り付き気持ち悪いので、一先ずはシャワーでも浴びておくことにする。
「昔は、シャワーなんざ浴びれなかったんだがなァ……」
懐かしい夢を見たせいで、どうにも過去のことばかりが頭を過ぎる。昔、そうまだ義姉が生きていた頃は、ここいら一帯に水道は通っておらず、綺麗な水は貴重品だった。それが今では、バレないように正規の方の水道からパイプ繋いで水を公共機関からパクることで、水を安定供給できるようになったから楽になったものだ。いや、まぁちょいちょいバレてその都度新しくパイプを繋ぎ直しているのだが。
風呂場から出て、タオルで適当に水気を取る。電気に関しては、完全に個人個人でパクってきた発電機で賄っているために、あまり無駄遣いはできない。ドライヤーなど人生で使ったことが一度か二度あるかどうか……いや、仕事の関係でホテルに泊まったこともあるので、使う機会はあったのか。ただ自分がものぐさで使わなかった、というだけだ。
そんなことを考えながら家の中が濡れない程度には水を拭いたあとは、自宅ということもあってパンイチで朝食の準備に入る。と、言ってもお湯を沸かしインスタントコーヒーを用意するだけだ。パンはバターロールをそのまま何かつけることもなく食べてしまうので、わざわざ用意するものはコーヒーしかない。
いつも通りの朝であるため、特に何か手間取ることもなくインスタントコーヒーを作り終え、テレビを付けてから椅子へと座る。電気はやはり、勿体ない……が、それ以上にニュースとか、そういったものでの情報収集は大事だ。それが表層的なものを語っただけものでしかないとしても、知っているか否かでだいぶ違うのはここで生きてきて身に染みている。
『今日もオールマイトは―――』
「うーん、相変わらずのオールマイト人気」
ニュースで映し出されるのは、V字型の髪型が特徴的な、アメコミ調のヒーローだ。
―――そう、ヒーロー。
この世界にはヒーローと呼ばれる人々がいる。それはいつからか、個性と呼ばれる特殊能力が人々に発現するようになったこの世界において、それを使った犯罪者たちに対し同じく個性を以って対抗したのを始まりとする職業になる。資格を取得することでなれるヒーローは日夜
「ま、キョーミねェけど」
ヒーローとか、ヴィランとか自分の
「……それに俺のヒーローは、あの人だけだしな」
思い出すのは夢に見た義姉の背中。誰か、なんて不明瞭なもののためにではなく、自らの大切なものを守って胸を張って死んでいった彼女。当時は勝手に死んで、と憤ったものだが割り切った今にして思えば、自分の命を捨ててまで守りたいと思え、それを成してしまうことがどれだけ凄いことかが分かる。きっと彼女は残されたこちらがどんな思いをするか、分かっていたと思う。だけどそれでも、大切だからと自分の意思を貫いた彼女こそ、自分にとってのヒーローだと思ったし、尊敬していた。
「っと、やべェ、今日はガンギマリ爺んとこ行かなきゃいけなかったんだ」
呑気に過去を振り返っている場合ではない、と慌ててパンを口に詰め込み、コーヒーで流し込む。コーヒーカップを流しに突っ込んでおき、鍛えられた傷だらけの肉体を隠すように、黒いインナーを着て更にその上からミリタリージャケットを着こむ。下は収納の多いカーゴパンツを履いて、悪路にも対応できる特注のブーツに足を突っ込めば準備完了。
「ああ、いや、こいつを忘れちゃいけねェや」
飾られた義姉の遺影の前に置かれた、形見であるゴーグルを回収し、頭に付ける。義姉はいつも視界が悪くなるからと、目には付けずこうして頭に付けていた。だから自分もその真似だ。
「んじゃま、行ってくるわ」
一言、遺影に向かってそう告げ、家を出る。扉に鍵をかけ、一応開かないことを確認してから出発。解錠とかあとは無音での壁破壊に向いた個性とかもあるから、施錠に意味があるのかは微妙なところではあるのだが。
「お、ソーヤ、爺んところか?」
「おうよ、仕事さね」
「なんだソーヤ、あの爺んところ行くんか。だったらクスリ貰ってきてくれよ」
「ァン?あとで金寄越せよ」
「任せとけって、もうそろそろ手が震えて来てな……ヒャア我慢できねぇ!!」
「おーい、馬鹿が発狂したからぶっ飛ばすぞー」
「うぃー」
相変わらずここは騒がしい、と思わず苦笑しながらスラム街を歩く。そう、スラム街。ここはスラム街なのだ。
個性が発現したことによる犯罪率の増加。それの余波として犯罪者によって会社が潰された、帰る場所を失った、家を失った……。あとは個性の有無、有用性のなさで親に捨てられたなどの理由で居場所を失った人々。そういった人々の受け入れ先として存在するのが自分が住んでいるようなスラム街だった。
特にここは特殊で、居場所を失った人々の行き場として政府が黙認している場であり、犯罪だろうが何だろうが何をしても咎められることはない。ただしその結果として何が起きようが、ヒーローによって滅ぼされようが政府は一切関与しないという場所だった。
それ故、ここにいる多くの人は犯罪で生計を立てており、かく言う自分も今から仕事となる犯罪を斡旋してもらいに行くところだった。
「オラ、クソ爺いるか?」
「ひぇっひぇっ……よォ来たよォ来た……ほれそこ座りナ」
「うげ、クッセェ。また新しいクスリキメてんな?」
「これが生き甲斐じゃけェナァ……」
ひぇっひぇっひぇ、と笑う爺をガン無視し、窓と扉を開け放ち換気を行う。クスリを好まない自分が、こんな妙な匂いの煙だらけな場所にいられるわけがない。ちょうど近くを通りがかった軽くだが、風を操ることのできる個性持ちに換気を手伝ってもらいながら、何とか人が過ごせる場所にする。
「おーおー……綺麗にしちまってマァ……。また後で溜めんといけんナァ……」
「誰もが自分と同じだと思うんじゃねェよ。テメーの薬物耐性が異常なんだろうが」
この爺曰く、個性の副作用と若い頃からクスリをキメ続けていたら耐性が付き過ぎて、一日中クスリを服用していなきゃ酔えないらしいが……まぁ事実は知ったことではない。ただ本名も年齢も、個性も何もかもが不詳なこともあって、その年がら年中クスリを摂取していることから通称ガンギマリ爺と呼ばれているのが、目の前の人物だった。
「まァ細けェことはどうでもいいんだよ。仕事、なんかあるか?」
「ちィーっと待ちなネ……今確認するサ……」
椅子に座って、背もたれに寄りかかりながら何かを探す爺を見る。一応、目の前のカウンターテーブルにはこちらを迎えるための飲み物が置いてあるが……まぁ十中八九クスリが含まれているだろう。この爺にとってクスリこそが歓迎の証になっているのだろうし。
だからそれに口を付けることなく、ぼけっとしながら待つ。無論、今から紹介される仕事は犯罪であり、失敗すれば普通に捕まるか、ヒーローによって潰されるかするのだが……そこら辺、もはや今更な話であるのだ。それにこの爺はなんやかんや有能なのだ。こちらの能力に見合った、やらかさなければ何の問題もなくこなせる仕事しか回してこない。だから妙に緊張する意味はない―――そう考えていれば、一枚の紙を爺が手渡してくる。
「ほォれ、お前さんなんかにゃァこいつがいいじゃろ……気を付けていってきんしゃい……」
「おう、言われんでも無茶はしねェよ」
ざっと紙に書かれた内容を確認し、席を立つ。今日の仕事は楽そうだ、と欠伸と共にそんなことを思いながら目的地へと移動する。
夕暮れ、逢魔が時とも言う時間。裏路地にて息を潜める。仕事内容は至ってシンプルな強奪。ターゲットは無個性の犯罪者。どうやら何らかの盗み出された物品を奪い取り、持ってこいという話だった。
目的の物品が何かは明言されておらず……また、興味もない。いや、まぁ全くないと言えば嘘にはなるのだが。もしかしたら高値で売れるものなのかもしれない。だから一応、それを個人的に持ち帰り、売りさばくというのも選択肢としてはあるのだろう。
ただ下手なルートで売れば自身が捕まる可能性だってあるし、あの爺にはどこと繋がりがあるのか分からない怖さがある。だから下手に個人技に走るよりかは、あの爺の下で適当な仕事をこなしていた方が安定した収入にはなる、という話だった。
「……やァっとお出ましか」
そんな風にくだらないことを考えていれば、路地裏へと人影がやってくるのを認識する。明らかに周囲を気にした様子の、挙動不審の男が二人。片方の人物の腕には小包が一つ。望遠鏡で覗き込めば、人相も爺から渡された紙に描かれていたものと一致する。ターゲットで間違いない。
すぐに動く―――そんなことはしない。まずは今、襲えるかどうかを確認しなければならない。場所自体は自身の事前の調査と、爺が指定した場所であることから問題がないことを確認している。だから確認すべきは予定されていない同行者が相手にいないか、ヒーローなどに追われてはいないかだ。
少なくとも、ターゲット二人には慌てた様子はなく、追われているようには見えない。無論、隠れて追跡しているヒーローがいる可能性はあるので、まだ動くことはできないが。
「……なぁ、大丈夫かな」
「何言ってんだ、あれだけ作戦を詰めたんだ。大丈夫に決まってる。……それに、もう後には引けないだろ」
「そ、そうだよな」
ターゲットたちの会話へと耳を傾ける。場所は人気のない街中の喧騒からは離れた路地裏だ。いくら小声であっても、ある程度は聞き取れる。故に、ひたすら息を潜め安全を確認するまで待つ。
「大丈夫、大丈夫だ……」
「ああ、囮が周辺のヒーローを引き付けたのは確認してる。だから無個性の俺ら二人でも―――」
「―――それはいいことを聞いた」
ああ、本当に今日の仕事は楽だと思いながら、今まで張り付いていたビルの壁から飛び降りる。そのまま、その勢いを利用してターゲットの元へ飛び込むようにして、
「刀剣召喚〝
重量のある幅広の大剣を召喚する。そしてその重量と勢いを利用し、こちらの声に反応して上を見上げたターゲットの片方の首元へ刃を置くようにし。
「―――っァ」
―――両断。
いくら骨や肉に厚さがあると言えど、高所から勢いをつけて重量のある大剣を叩き込んでしまえば、引き千切るようにして頭を飛ばすことができる。だから当たったと認識した瞬間、殺したことを確信し舞い上がる血飛沫を無視してステップ。相方が突然死んだことに呆然とした様子のもう一人のターゲットへと距離を詰め、取り回しの悪いトゥハンドソードを返還。
「ッ、テメッ、何者―――」
「刀剣召喚〝
「が、ぁ―――!」
代わりにH型の握り手に、拳の先に刃が付いたような形状の短剣を召喚し、肋骨の隙間から心臓を狙うようにして一突き。引き抜きながらステップで距離を取ることで、返り血を浴びないようにしながら、崩れ落ちるターゲットを見る。
「なんだよ……クソ……し、っぱい……」
「……何者、だっけか?」
絶命し、崩れ落ちたターゲットを視界に収めながら目的の荷物を回収する。一人目の頭を派手に飛ばしたせいで血の海に沈んでいるが……まぁそこら辺、丁重に扱えという指示はなかったし、問題はないだろうと判断して、片手で投げてはキャッチして遊ぶ。
「ま、そうだな……ただのゴロツキさね」
聞こえちゃいないだろうけど、と最後に呟いてその場を去る。もはや知らぬ人間が血の海に沈もうが、動じることはない。何故ならこれが自分―――