―――走り続けて、どれほどの時が経っただろう。
どことも知れぬ廃工場。崩れた天井からは、憎らしいほどに美しい星空が見える。
「ソーヤ……」
「………………」
ルリに言葉を返す余裕がない。
走り続けた疲れは、既にない。ただソールを失った痛みが、未だ逃げ切れたと確信できない現状が、自分の精神に負荷をかけ続けていた。
現在地がどこか、分かりはしないがそれでもそれなりの距離を逃げてきた。
普通であれば、十分なだけ逃げたように思う。それでも何故か、どうしても安心できなかった。
「―――こんなところにいたか」
だから、そんな言葉が聞こえても、さほど驚くことはなかった。
「……ハハ、見つかっちまったかァ……」
「俺自身は斬るしか能がないがね、有能な探索個性持ちがいるのさ」
つまり、ここまで逃げてきたのは無駄だった、ということだ。
何だか自分がやったことがバカらしくなって、笑えてきてしまった。
「……他の連中は?」
「全員斬り捨ててやったぞ」
「有能な探索個性持ちがいるんじゃなかったのかよ」
「いやァ、俺、所謂人斬りってやつだからさ?ついつい全員斬りたくなっちゃったのよ」
「マジか……」
「おう、全員、確かに斬ったぜ。……ああ、でもあの爺だけは別な。ありゃ勝てねェわ。それ以外は綺麗に首落としてやったぜ」
「つーことはもう俺とルリだけか……」
つまり、雷生さんも、ディティーも。偵察班の連中も、後衛部隊の連中も、爆破班の連中も。風の個性持ちも、ドMの個性持ちも、ヤク中も、接着の個性持ちも、発火の個性持ちも。店を開いていたやつも、マッドサイエンティストなやつも。そして、ソールも。
バカ共が、自分たち以外皆、死んでしまったということだった。
ああ、そうか、そうかよ―――
「―――テメェはブッ殺す!!」
「いい気迫だ―――斬り甲斐がある」
言ってろ、と吐き捨て、個性を発動する。自重はしない、最初から自分が持つ、奥の手を切る。
「外装召喚〝
刹那、自分の身を赤黒い鎧が包み込む。
両手の籠手からはそれぞれ、両刃の剣が伸び、グリーブの前面には刃が取り付けられている。鎧の材質自体も、自分が知る限り最硬のものだ。
硬く、鋭く―――それだけのシンプルな全身鎧。
特殊なものは召喚できない自分が出せる、最大戦力がこれであった。
「―――――――」
胸の中には、激情が渦巻いている。怒りも悲しみも、多くの感情がごちゃ混ぜとなって、目の前の男への殺意と化しているが……それでも頭だけは冷静に、一度呼吸を整える。
敵は完全な格上、勝率は低い。だから、熱く熱く、けれど冷静に―――。
そして感覚が研ぎ澄まされたその瞬間、加速。重心移動、歩法、そういった技術を以って一息で間合いを詰める。
それと同時、相手の呼吸、瞬き、心臓の動き、そういったものからリズムを掴み、相手の意識の間隙へと潜り込む。それは意識の死角へと入る技術であり、その瞬間、相手はこちらを認識できなくなる。
故に、接近の勢いを流すようにして、ステップでその指向性を変え、背後へと回り込み。
「ッ!?」
逆に、意識の死角へと入り返されたのを理解する。
この技術は基本的に、相手は知覚することができない。だが、同種の技術を持つ場合は別だ。同種の技術を持つ人間だけは、意識の死角へと入られたことを知覚し、そしてそのレベルによっては、入り返すことすらできる。
だから自分も男がこちらの意識の死角へと入ったことを理解し、けれど既に攻撃のモーションへと入っていたために、そのカウンターを回避する動きへと切り替えることができないのを理解する。
攻撃のための流れはもはや、途中で切ることはできない。
ならば、
右下から、左上への切り上げ。それを振り切る。無論、こちらを既に知覚している相手は、それを姿勢を低くすることで回避する。
そしてそのまま、同じく切り上げを返してくるのに対し、自分は攻撃の勢いを利用して、身体を流す。
結果、敵の斬撃が通る位置から身体は逸れ―――回避し切れず、腹部が鎧ごと斬り裂かれる。
「がっ――ー」
だがその痛みで動きを止めれば、間違いなく斬り殺される。それが分かっているため、身体に残る勢いのまま、後ろへと下がって距離を取る。
それを相手は……なぜか、追ってこない。
理由は不明だが、こちらとしては幸いのため、鎧の腹部のみ再召喚することで修復する。
傷は―――浅い。回避へと動きを繋げたのが功を奏した。動けなくなるほどの傷じゃない。
だけど、あまりにもあっさりと鎧が斬り裂かれた。自分が召喚できる、最も硬い鎧の中でも、厚さがある腹部がこうもあっさりと斬り裂かれたのだ。これは、防御してもその上から叩き斬られるな、と理解せざるを得ない。
そうやって修復と、現状のチェックを済ませている間も、相手は攻撃を仕掛けてはこない。
疑問に思っていると、それが表情に出ていたのか、男が笑みを浮かべて口を開く。
「折角そこそこ動けるやつと戦えるんだ、相手が全力を出せるように待ってやった方が楽しいだろう?」
「……気狂いめ」
どうやら、本格的に理解できない思考をしているようだった。
とはいえ、今はそれがありがたくもある。痛みを落ち着かせるように、呼吸を整えていく。
そうやって戦う準備を整えていくうち、思考もまた、冷静になっていく。そして先ほどは殺意もあって斬りかかったが、ルリと二人生き延びるのを目的とするならば、戦いだけがその手段ではないと気づく。
「……なァあんた。そんだけ強いのに、何でルリを狙うんだ」
「ァん?」
「正直、
「あー、ま、確かにそうだな」
一縷の望みをかけて話しかければ、存外、男が応じてくれる。その内容も、意外と説得できそうなものだった。だから続いて言葉を発しようとして。
「―――だが生憎、俺は超越者になる必要がある」
「……何でだよ」
あっさりと砕かれた希望に、思わず顔を顰めながら、問い返せば、いいか、と男が前置きをする。
「俺は、オールマイトを斬る」
「――――――」
「あいつは化物だ。それは個性や、肉体がじゃねェ。あいつが化物たる所以は、その精神だ。あいつは精神の化物だ。精神力だけで、個性を百パーセント以上に引き出し、状況を覆す」
「………………」
「だから
そう語る男の目は―――本気だ。どこまでも本気で、そう言っていた。
理解するしかない。どれだけ言葉を尽くしても、こいつは引かないと。戦って勝つしか、自分には道は残されていなかった。
「そうか……よッ!」
故に、前に出る。
先ほどと同じ、技術を以ってその間合いを詰め、再び相手の意識の死角へ潜り込む。無論、先程同様、相手はそれに意識の死角へ入り返してくる。
だからも自分も、意識の死角へと入り返した。
同じ技術を使っているのだ、相手にできて自分にできない道理はない。だから同じことをした。
そうして起きるのは、意識の死角への潜り合い。どちらが優位を取ることもなく―――互いが互いを正しく知覚できる状態になる。
これで、真正面からの不意打ちは不可能。状況はイーブン。
―――手札を切るなら、ここだ。
「オォ!!」
真正面から体当たりするように飛び込み―――そして鎧から飛び出すようにして、後ろへと跳躍する。
結果、重量のある鎧のみが、相手へと向かう。
それを確認しながら自分は、一振りの、何の変哲もない剣を召喚する。ただその剣は極限まで鋭くした一品であり、それの柄の先をつま先に乗せるようにして―――蹴り出す。
真っ直ぐ、男へと射出されるようにして飛ぶ剣。完全に意表を突いたはずだ、と相手の目を見て。
「ッ」
それが間違いだと理解した。
―――刹那、奔る斬撃。
鎧が両断され、剣が斬り裂かれ。そして自分の身体が斬られた。
「が、ァ……!」
熱い。斬られた箇所が、ただ熱い。
先ほどの比ではない。完全に一撃を入れられた。これはもう、動けないレベルだった。
ドサリ、と地面へとうつ伏せで倒れ込む。コンクリートであるため、地面は冷たいが……それ以上に傷口が熱い。
これ、もしかしなくても詰んだな、と理解する。一応、このままであれば死にはしないが、身動きがとれないので相手が止めを刺しに来たらもう、抵抗できない。
相手には止めを刺さない理由がないので、これは死ぬしかないだろう。
―――だけど、充分に時間は稼いだ。
それほど、長い時間は戦っていない。それでも、ルリが逃げるだけの時間はあった。その間に、何とかヒーローとかその辺りに出会えていることを祈り。
そのまま目を閉じようとして。
「……え」
目の前に現れた背中に、言葉を失った。
「ほォ、そいつを庇うか」
「庇うよ、大切な人だもの」
自分を庇うように立っていたのは、ルリだった。ルリが、逃げることもせず自分を守るために立っていた。
てっきり逃げたと思っていたその姿に、驚愕で言葉が出ない。
だけどそんなこちらを無視して、ルリと男の会話は進んでいく。
「私を自由にしていいから、ソーヤを殺さないで」
「別に、その男を殺してから、お前を無理矢理連れてけばいいだけだが?」
「ソーヤを殺したら、私自殺するよ。それは困るでしょ?」
「……くッ、ハハッ!」
自分が関わることなく、とんとん拍子で話が進んでいく。それも、ルリが犠牲になる方向へと。
「なるほど、確かにそれは困る。困るなァ!」
「だったら……」
「別にそれに対処する術がないわけじゃねェが……だが、気に入った。いいぜ、その提案に乗ってやる」
このまま、話を進ませちゃダメだ。守りたいものを犠牲にして、自分だけが生き残るなど、いいわけがない。
それに知っているぞ、自分は、この光景を知っている。
「よかったな、坊主。嬢ちゃんのおかげで生き残れるぜ」
「………………」
「ついでに、俺から生き延びたやつも初めてだ。誇っていいぜ」
自らを犠牲にして、大切な人を守り抜く。そんな光景を、自分は昔に見ている。
―――それを、もう一度繰り返すのか?
―――また失いたくないものに守られるのか?
それは……ダメだ。ダメだろう。昔と何も、変わっていない。何も進歩していない。また悔しい思いをするだけだ。
だから―――だから。
立ち上がる。
痛みも、何もかも無視して立ち上がる。
あの時とは違う。痛い、痛いけど……まだ、身体は動く。だから立ち上がって、まだ戦える。大切なものを、守れる。
「……ソーヤ、もう、いいから―――」
「うるせェ、黙れ」
こちらを止めようとするルリを振り払う。
ああ、そうだ。分かっている。自分がこれ以上家族を失いたくないように、ルリだって失いたくないのだ。だから止めたいのは分かる。
だけど、それでは自分が納得できない。そんな結末は、自分が認められない。
だからこれはルリを守るためとかじゃなくて。ただ自分が、納得するためだけに。
「俺は、お前を犠牲にすることを、許容できない。だから」
そう、だから己の為に、自分は戦うのだ。
―――刹那、理解する。いいや、理解させられる。自分の個性の神髄を。新たな領域に至ったことを。
その感覚は途轍もなく唐突で、また不自然なものだった。だから、理解できる。これがルリの個性、
それによって今、自分は到達者となったのだと。
「刀剣召喚―――〝
左手で無理矢理、ルリを自分より後ろへと押し出す。同時、右手に呼び出した剣を振るう。
そうして
「ハッ、どうした、スラム街で斬った光炎の方が手応えがあったぞ」
「チッ」
その短い攻防で、足りないことを理解する。力も、経験も今の自分では足りていない。到達者となってもなお、目の前の男には届きはしなかった。
―――だから、その先へと踏み込む。
「まだ、まだァ!!」
こちらの気合に呼応して、ルリの覚醒誘因が再び発動する。さきほど同様、無理矢理、理解させられる感覚。自らの個性をどう扱えば、どれだけのことができるか、それを理解させられる。
そうして至る―――超越者へと。
「憑依召喚―――〝
そして超越者と至ったことでできるようになった、新たな力を行使する。
自らの肉体へと注ぎ込まれる力。同時、身体は白き純白の鎧に包まれ、右手には同じく純白のランスが現れ、左手には盾。
何よりも、この新たな力の特徴は、召喚したものの経験、技量、そういったものまで自分の力として扱えるところにある。
―――故に、単純な速度のみで相手に知覚させず間合いへと踏み込む。
「―――ッ!!」
「おォっとォ!?」
ランス故、攻撃手段は突きと、叩くことしかできない。刃がないのだ、他の槍とは違って薙ぎでの攻撃ができなかった。
だからシンプルに―――突く。相手からの攻撃をランスで叩き、盾で弾きながら、その隙間を縫って突き込む。
ステップで位置を小刻みに変え、右腕の高さを変え、突く位置をズラす。時に盾を押し出すことで視界を遮り、相手の行動を制限する。
だが―――それでも足りない。
技量も、経験も足りている。だが肉体が足りていない。
憑依召喚は、あくまで対象を憑依するだけで、肉体の改造までは行えない。そのため、理想の動きに、肉体が付いていけていなかった。
なれば、この間合いで戦う意味はない。
ランスと盾を投げつけることで、無理矢理隙を作る。その隙に後ろへと下がって、超越者としての力を、更に発動する。
「従僕召喚―――〝
瞬間、周囲に現れる純白の戦士達。全身鎧に身を包み、剣と盾を携えたその戦士達は、ざっと五人ほど。
そう、自分の力で勝てないのなら、勝てる存在を呼べばいい。今の自分では、超越者として至ったばかりで、さほど強力ではない名も無き勇士を五人が精一杯だ。
それでも、自分がヴァルキュリヤの力を振るうよりは強いのは、間違いない。
だからエインヘリャル達に戦闘を任せ、その場に膝をつく。
正直、いきなり強制的にパワーアップさせられた力を、即興で使っているために身体への負荷がデカい。
それに超越者になったからといって、傷が治るわけじゃない。ずっと、斬られた箇所が痛みを訴えている。
だけど、まだだ。まだ倒れるわけにはいかない。まだ相手は生きている。ルリが奪われる可能性は、まだあるのだ。まだ自分は、戦わなくちゃいけない。
そうやって無理矢理、根性だけで意識を保つ。とうに限界など超えていた。それを根性で何とか保っているだけだった。
「―――ハハッ、ハァーハッハッハッハ!!」
だからその笑い声には、正直絶望しかなかった。
響き渡る笑い声に、思わず男へと視線を向ければ、エインヘリャル達に斬られ、その白い羽織を赤く染めながらも笑みを浮かべる姿が目に入る。
勝っている。間違いなく、現状エインヘリャル達の方が勝っているというのに、それを気にした様子もなく男は笑っている。
「至ったな!?お前、超越者に至っただろう!!ハハッ、そうか、その少女の力は本物だったか!!」
自分が超越者となったことが、あっさりと男に見破られる。まぁ、バレるだろう、とは思っていた。
だが、バレるということは、ルリの力が本物だと証明されることだ。それはつまり、相手にとってルリは是が非でも欲しいものとなった、ということである。
つまり、殺さなければ、今後また襲われる可能性がある、ということだ。
故に、更に追加でエインヘリャルを召喚しようとして。
「……あ、れ……?」
世界が揺れた。
いいや、違う。これは……自分が倒れたのだ。
そして倒れると同時、身に宿していたヴァルキュリヤの力と、エインヘリャル達が掻き消える。それは、要するに。
「限界、かよ……」
あと少し、あと少しというところで、限界が訪れてしまった。
超越者の力はあくまで、元々の自分の個性の発展形なのだ。だから当然の話ながら、召喚すればするほど、体力を使う。
自分は既に、ここまで逃げるのに走って、さらに通常の召喚を何度も行っている。その上で強力な力を振るえば、ガス欠になるのは当然だった。
「チッ、何だよ盛り上がってきたっつーのに、もう終いか。つまんねー幕切れだな」
「うっせーよ……」
もはや悪態にすら力が入らない。ここでこの男を殺さなければ、またルリが自分を庇うのは目に見えている。だから殺さなければならないのに……指先すら、もはや動きはしなかった。
「クソ……クソォ!!」
あとちょっとだったというのに、負けてしまった。もはや逆転の目はない。悔しさから、涙が流れるのを止められない。
どれだけ心は諦めていなくても、肉体が動くことはなく、自分の負けは確定してしまっていた。
すまない、ソール、自分はルリすらも守れなかった―――
―――そしてその瞬間、その男は現れた。
ドォォォン、という派手な音と共に、空から一人の男がクレーターを生み出しながら降り立つ。
青を基調としたヒーロースーツ。筋骨隆々の肉体。特徴的なV字の髪型。
そしてその男は笑みを浮かべながら、こう言うのだ。
「もう大丈夫だ―――私が来た」
ああ、なるほど、これは確かに、格好いいわ―――
そんな考えを最後に、自分の意識は暗転した。
我らがヒーローは、そこにいれば誰であれ救うだろう。
けれど、その場に間に合わなければ?
と、いうことで絶望と共に、次話で一区切り。