「……知らない天井だ」
いや、まぁ、様式美として。スラム街で見た、日本のサブカルチャーではこういった場合、こう言うのがお約束、というやつらしいので一応言っておく。
実際、目覚めた自分の目の前に広がるのは全く知らない、白く清潔な天井だ。自分が暮らす、スラム街の建物の天井とは似ても似つかない。
周りを見れば、同じく白を基調に整えられた、掃除と整頓が行き届いた綺麗な部屋が目に入る。自分が寝るベッドも、清潔なもので、周囲の棚には薬品などが並んでいる。
一応、その光景は初めて見るものではある。だが、知識として、またここまで清潔ではないが、近しいものをスラム街でも見たことがある。ここは。
「病室、か」
見れば、自分の身体は包帯で覆われている。痛みも、大きくはないが、まだあった。
おそらく、自分は治療されてここに運ばれたのだろう。
―――気を失う前に、何があったのかは、はっきりと覚えている。
結局、自分はルリを守りきることができず、ある男が助けに来てくれたことで安堵から失神してしまったのだ。
情けない、とは思う。そこからくる、自己嫌悪もある。だが、今は現状の把握が最優先だろう―――そう判断し、ナースコールとか、そういうものがないか探す。
多分、気を失う直前の光景的に、やってきた男が自分たちを助けることに成功したから、今自分はここにこうしているのだと思う。
だから、ルリも大丈夫だとは思うのだが……それでも、やっぱり不安に思ってしまうのが人の性だ。
そのため何はともあれ、まずはルリの安否を確認するために、人に会いたいのだが。
「……ナースコールとか、そういうのないぞ」
それに加え、よく考えてみたら薬品の入った棚が、病室の中にあるとは思えない。
となれば、もしかしてここは病室ではないのでは、という考えに行きつく。
一応、この状況に合致する場所は知識として知っているが……そうなると、今度は何故自分がその場にいるのかがわからなくなってくる。
状況が分からずに、思わず首を傾げていると。
「―――おや、目が覚めたようだね」
引き戸の開けられる音と共に、そんな声が聞こえてくる。
それに思わず、音源の方に目をやれば、そこにいたのは。
「……ネズミ?」
「ふっふっふ、ネズミなのか犬なのか熊なのか、かくしてその正体は―――」
「あ、校長先生、どうですか、彼の容態は?」
「………………」
何とも、リアクションに困る状況だった。
キメ台詞を言おうとした、人型のネズミっぽい男は動きを止め、ひょろっちい男ははそんな男のキメ台詞を邪魔してしまったことを、後から自覚したらしく、目が忙しなく泳いでいる。
これ、自分はどうすべきなのかなぁ、なんて悩んでいると、最初に復活したのは、ネズミっぽい男だった。
「……ちょっと、後でお話しようか」
「えっ、あ、はい!」
完全にひょろっちい男が気圧されていた。離れている自分ですらヒヤッとしてしまう気迫を、ネズミっぽい男は身に纏っていた。
あのネズミっぽい男は怒らせないしよう、そう心の中で決め、そこで改めてこの部屋に訪れた二人を見る。
ネズミっぽい男は、ネズミという比喩ではなく、ネズミが人型になった、という表現がしっくりくるような容姿をしている。
着ているのは、白のカッターシャツに、黒ベスト。赤いネクタイに黒のスラックスで、そのどれもが上等な品であることが分かる。
確か、動物に個性が芽生え、人のようになった、という話を昔に少しだけ、聞いたことがある。
彼は、その一件に何らかの関係があるかもしれない、そう思いながら、もう一人の男を見る。
個人的には、こちらのひょろっちい男の方が、違和感を覚える男だった。
無論、単純な容姿ではネズミっぽい男の方が違和感はある。ひょろっちい男は、Tシャツに、だぼついたズボン。パッと見は、どこにでもいる訳では無いが、いてもおかしくない、そんな一般人だ。
だが、自分のようなある程度、武術に通じる人間からすると、とてつもない違和感の塊になってくる。
武術を修めている人間というのは、多かれ少なかれ、その影響が日常の動きにも出てくる。無意識下で重心の位置や、音を殺したりと動きが最適化されていたりするものだ。これが、暗殺が生業だったりすると、意図的に日常では普通の動きに落とし込んだりするものなのだが。
目の前のひょろっちい男は、その明らかに効率化された動きをしているのだ。それも、
そのせいで、確かな技術に基づいた動きなのに、自身の体格には合っていないというちぐはぐな動きなのだ。どうにも、気持ち悪い光景だった。
とはいえ、初対面相手に言うことでもない。だから、体格の変わる個性でも持っているのか、とあたりをつけるだけに留め、目の前で喋り込む2人へと声をかけることにする。
「……あの、これはどういう状況で……?」
聞きたいことは、山ほどあった。ここが何処だ、とかルリは無事か、とか。……スラム街の住人は、本当に死んでしまったのか、とか。
正直、冷静に考えて全滅だろうとは思っている。だが、最後に助けにきてくれた男であれば、あるいは。そう、期待してしまう自分がいた。
だがそれも何も、現状を把握してからの問題だった。あの男に助けられたのであればまずありえないだろうが、目の前の人物達が信頼できるとは限らないわけであるし。
故に、確認のため目の前の二人に声をかければ、ネズミっぽい男の方がああ、すまない、と一言詫びてから口を開く。
「こちらの個人的なことに集中し過ぎてしまったね。私は根津、気軽に根津校長と呼んでおくれ」
「私はオー……じゃない、八木、八木俊典だ」
「あー、まぁ知ってるのかもしれませんけど、一応。喚導想也です」
スラム街での影響もあって、基本的には敬語は使わない主義だ。単純に、得意じゃないというのもある。ただ、助けられたかもしれない、ということもあって、一応、最低限の礼節は保つべきだろう、と判断した。
そんなことを考えていると、チラリとネズミのような男―――確か、根津校長、であったか。彼が壁にかけられた時計を見たのに気づく。シンプルなデザインのアナログ時計は十五時ほどを示しており、一般的には食事時、などではないだろう。
ならば、単純にこの根津校長、という男が忙しい身なのだろう、と考える。
「……時間とか、大丈夫なんですか?」
「うん?ああ、大丈夫だよ。予定がないわけではないけれどね、君の一件は、それなりに重要なんだ。私の都合で君に応対しているのだから、君は気にしなくていい」
その言葉が、こちらの心情を気遣ってのものなのかは、先ほど顔を合わせたばかりの自分では見抜けない。これが、スラム街の交渉を担当する連中だったら、話は違ったんだろうけど。なんて思いつつ、今は額面通りに、その言葉を受け取っておくことにする。
「さて、これから事情の説明に入るけれど」
「色々聞きたいことは多いだろうが、まずは頭から一通り話すから、それから質問をしてほしい」
八木、という男からの提案に頷いて肯定の意を返す。下手に聞きたいことだけ聞いて、情報が錯綜するよりかは、しっかりと順序立ててもらった方が理解はしやすい。
だから、色々確認したい気持ちを抑え―――ああ、でも、と一つだけ、一つだけどうしても確認しておきたいことがあって、口を開く。
「ルリは―――ルリは、無事ですか」
「彼女なら、元気だよ」
「既に君より早く目を覚まし、我々の保護の元だけど普通の生活を送っているよ」
その言葉に一先ず安堵する。この二人がどれだけ信用できるかは、分からない。スラム街の頃のように、ガンギマリ爺を経由していないので、信頼できるかは自分で判断するしかない。
ただ、スラム街で多くの悪意と接してきた自らの感覚では、彼らから悪意、あるいはそれに近しいものを感じ取ることはできない。
それに、と八木という男を見る。
確証があるわけではない。けれど先ほどの自己紹介の時の様子。それから彼の体捌きから予測できる体格。それらの要素から考えるに、おそらく八木さんは、彼だ。
一度だけ、とはいえ戦う場で、その姿を直に見ている。実力があるものは、同じく実力のあるものを見抜ける、というが……これも、それに近いものなのだろう。
ならば、心配する要素はない、そう考える。
「……どうしても確認しておきたかったのは、それだけです。答えていただいて、ありがとうございます」
「いやいや、あれだけ頑張って守ろうとしたんだ、大切な人なんだろう?それなら、先に確認したいのも当然さ」
その八木さんから言われた言葉に、それでも、ともう一度頭を下げる。
どれだけの時間、気を失っていたのかは分からないが、その間ルリを守っていてくれたのは彼らなのだ。頭を下げるのは当然だった。
「ふむ、その感謝はこちらが受け取るまで続きそうだね。では素直にそれを受け取っておこう。さ、そしたら本題に入ろうか」
「わかりました。……それで、喚導くんは私―――ああ、いや!お、オールマイトが来たのは覚えているかい?」
根津校長に肩をどつかれながらそう言った八木さんの言葉に、この人致命的に隠し事に向いてないな、と思いながらも頷きを返す。
それを確認した八木さんは、そういうことならと、どこからどう話すかを決めたらしく、改めて、こちらへの説明を始める。
―――彼、つまりオールマイトが自分とルリを助けてくれたのは、偶然ではないらしい。
アウェイクさんの一件は、スラム街で起きたことではないので、至極当然の話だが表沙汰になっていた。事実、自分も新聞でそれを見ている。
ただ、あの新聞を始めとする報道では犯人不明とされていたが、実際のところは警察やヒーローの方では犯人の目途がつけられていたらしい。
それがあの、侍然とした男の呼ばれ方らしい。
あの男は過去にも、同じような事件を起こしているらしく、また今までの事件から、人を斬ることに何かを見出しており、見境なく人を斬る、とその人格をプロファイリングされているらしい。
実際、自分があの男と相対した時、そのようなことも言っていた。だから、人斬り、というのはその風貌からもピッタリなようにも思える。
そしてその人斬りが今まで起こした事件の凄惨さ、予想される実力の高さからオールマイトが人斬りを追うことになり、その最中偶然にも自分たちを助けてくれた、というのがことのあらましのようだった。
「それで、そのあと人斬りを撤退させて、喚導くんとアウェイクくんがいたから深追いせずに日本まで帰ってきた形だね」
「ここ、日本でしたか……」
「厳密には日本の雄英高校、その保健室だね。そして僕がその校長さ!」
「ちなみに、何で八木さん現場にいたかのように詳しいんです?」
「え!?あ、えっと、そ、そう、私はオールマイトと個人的な伝手があってね!今回の事件の手伝いをしてることもあって、教えてもらってたんだよ、うん」
ガバガバかよ、と内心で呆れつつも、現状について、少し思案する。
雄英高校、というのはスラム街にいた自分でも知っている、世界的に有名なヒーロー育成学校だ。オールマイトの母校でもあり、教師も実力のあるヒーローが務めているらしい。
そんな場所に匿われて、四六時中ではないだろうが、オールマイトもいる。ならば、一先ずの危険はないだろう。
―――そこまできて、ようやく本当の意味で安心できた。
ふっ、と体から力が抜ける。下はベッドだ、倒れても何の問題もないこともあって、バタリと倒れ込む。そして一つ、溜息。
「……落ち着いたかい?」
「……ええ、まぁ。環境的に、安心できるみたいなので」
どうやら、八木さんと根津校長にはずっと気を張っていたことがバレていたようで、こちらが落ち着けたことに向こうも安堵の笑みを浮かべている。
ただ、自分たちの現状的にこれほど安心できる場もないので、ちょっと、自分も休みたい。だから少しだけ、ベッドに横になったまま、力を抜く。
―――だけど、それでも完全には気を抜けない。
それは警戒してではない。もう、警戒する必要がないことは分かった。
それとは別に、一つだけ。一つだけ完全に気を抜く前に、確認しておきたいことがあった。
「……俺とルリ以外に、スラム街で生き残った人はいますか?」
その問いに、八木さんも根津校長も、目を伏せて黙ってしまう。……それだけで、もう、答えは分かってしまった。
それでも八木さんはヒーローらしく律義なようで、その重いであろう口を、ゆっくりとだが開いてくれる。
「……スラム街の住民が誰で、何人いたのか私たちは知らないが。……少なくとも、君たち以外に、生存者は見つからなかった」
それは、言外にそれ以外なら見つかった、と言っていて。ああ、つまり、人斬りと呼ばれる男の言葉は、本当だったのだろう。
「―――俺、あの街が好きだったんですよ」
気づけば、ポツリと声が零れていた。
「クソみたいな理由であの街に住むことになったし、バカばっかでしたけど。それでも、あの街で過ごす日々は楽しくて、大切なものだったんです」
今、自分の口から漏れる言葉に、意味はないのかもしれない。それを理解していても、それでも自然と零れる言葉と、涙を堪えることが自分にはどうしてもできなかった。
「俺を守って死んでいった義姉の背中を見て、自分も、自分の大切なものだけは守りたいって思ってた。……だけど……だけど、実際は守れなんてしなかった」
「………………」
「ああ、何だろうな……この気持ち、何て言ったらいいのか―――そう、悔しい、悔しいんだ。昔からずっと大切なものを守ろう、なんて思ってたのに、実際はこのざまだ。悔しくて、情けなくて……」
止まらない。どんどん、涙が溢れてくる。けれどそれを拭う気力さえ起きなくて、ただ腕で顔を覆うことしか、できない。
「情けないんだ、ソールが殺されるのを見ることしかできなかった自分が!皆を守ることもできず逃げるしかなかった自分が!!くそっ……くそぉ……!!」
―――そんな風に叫ぶ自分の頭に、ポン、と何かが置かれる。それは、八木さんの掌で指は細く、あまりにもひ弱に見えるはずなのに、不思議と暖かな力強さを感じられる掌だった。
「その悔しさを、忘れちゃいけないよ。一生君はその悔しさを抱えていかなければならない」
それは、重みのある言葉だった。きっと、彼がオールマイトで、彼もまた、過去に救いきれなかったものがあるからこその言葉だった。
「けれどそれは、呪いじゃない。抱えて抱え続けて、それでも前へと、糧にしなきゃいけないものだ」
「―――ぅ、ぁ……」
「そして同時に、君が救った命があることも忘れちゃいけない」
「でも……でも!!それはあなたが、オールマイトが助けに来たからで!!」
「それでも、君が戦っていなければ私は間に合わなかった。だから胸を張りなさい、君は確かに、ルリ・アウェイクという少女を守り抜いたんだ。……その二つを忘れなければ君は、次は必ず大切なものを守り切れるよ」
「っ……うぁ―――」
その言葉は、じんわりと胸に染み込んでいって。自分は、ルリを守れたのだと。それだけは誇っていいのだと。
ソールや、スラム街の皆を守れなかった悔しさや、悲しみは消えないけれど。それでも―――自分が戦った意味は、あったのだ。
―――やはり、涙は止まらない。止まらないが……悪くない、気分だった。
「落ち着いたかい?」
「ええ……多少は」
根津校長から差し出されたタオルを礼と共に受け取り、顔についた涙を拭う。泣いている間、ずっとタオルで押さえ続けていたのだが、既に一枚びしょびしょにしていたために、新たなタオルはありがたかった。
これほど泣いたのは、義姉が死んだ時以来か、なんて、どこかボヤついた頭で考えていると、申し訳なさ気に根津校長が言葉を続ける。
「さて、本来なら疲れただろうし、もう少し休むといい……と、言いたいところなのだけどね」
根津校長の言葉に、ベッドに横になった体勢で首を傾げる。
思いっきり泣いて、落ち着いたからか。疲労と、傷の痛みが一気に来てしまって、些か起きるのが辛い。だから申し訳ないが、そのままの姿勢で話を聞かせてもらおうと思っていると、それを見抜いたかのように根津校長が口を開く。
「少し、大事な話があるんだ。けれど辛いのならその姿勢で構わないよ」
「ありがとうございます。……それで、大事な話とは?」
「君の処遇についてだね」
根津校長に処遇、と言われ、そう言えばと今更ながらに一つのことに思い至る。それは、スラム街での生活において、生きるためとはいえ、自分は犯罪を犯していた、ということだ。それも、それが悪であると理解した上で、だ。
そして目の前にいるのは、姿こそ今は違うが、No.1ヒーロー、オールマイト。偶然だったが、泣いている最中に勢いで本人である、と確認がとれてしまった。
そんなヒーローが、目の前に犯罪者がいて見逃すだろうか、という話だ。
これ、詰んだわ、と気が遠くなっていると、そんなこちらを見た八木さんが困ったように笑う。
「ただ困ったことがあってね」
「困ったこと、ですか?」
「政府の方から、スラム街がどういう性質か、そしてどんなことをして生活していたかは聞いているんだけど―――具体的な証拠が、ね。ないんだよ、全くといっていいほどに」
それは、ありえない話だった。確かに、証拠隠滅を担当していた人間はいる。無論、それなりに有能だった。だが、それでも自分やスラム街の連中は
今の社会で人が一人消えて、証拠が全く残らないなどありえない。
そうやって、慌てるあまり自分を追い込むようなことを言ってしまうが、八木さんはそのはずなんだけどね、と困った様子ながらも首を横に振る。
「政府の方が掴んでた君たちが殺したという人物、皆事故死とか、別件として処理されていたんだ。あとは、誤魔化しきれなかったのか、いくつかの事件は人斬りに殺されていた人物が犯人、ということになっていたよ」
「そんな……バカな」
「ありえない、とは私たちも思うんだけどね!ただ事実として起こっている以上、よっぽど有能な仲介人なりなんなりがいたんじゃないかい?」
その根津校長の言葉で思い浮かぶのは―――ガンギマリ爺だ。
あの爺は得体の知れない人間だったが……まさか、ここまでだとは思っていなかった。本当に何者なのか、予想もつかない。
一応、情報としてガンギマリ爺について二人に伝えるが、案の定二人は難しい顔をするしかない。
「噂には聞いていたが……実在したのか」
「噂になってたんですか?」
「そうだね、神出鬼没、底が見えない。パッと見はクスリをキメたただのお爺さん、ただ彼が放つプレッシャーに耐えられるものはいない……そんな噂だね」
「正直、噂が一人歩きしていただけだと思っていたが……喚導くんの反応を見るに、どの噂も本当のようだね」
根津校長が言った噂には、どれも心当たりがあった。あの爺、スラム街に突然ふらっと現れたので、本当に神出鬼没であるし、実際最後までその実力を測ることはできなかった。なのに、パッと見は弱そうな爺なのだ。
ヴィラン〝人斬り〟でさえ殺せそうになかったようだし、本当に、何者なのだろうか。
「と、いうわけで君を簡単には捕まえられなくなってしまったんだ」
「……だけど素直に解放するわけにはいかないでしょう?」
「そうだね、いくら逮捕できなくても、君が犯罪者である可能性が残っている以上、無条件、というのは難しい」
当然の話だ。一度、犯罪を犯したらまたいつかやるかもしれないと思うのは当然だ。
そして八木さんや根津校長は事情を知っているが、彼らはヒーローであり、私情で動くなどありえない。
ただこの場合、どうなるのか自分の知識では予想がつかなかった。
だから二人からの言葉を待っていたところ―――根津校長の口から、思いもよらない提案が発せられた。
「―――と、いうわけで君、雄英高校に入学しないかい?」
「……は?」
根津校長の言ったことが心底理解できず、思わずそんな声が零れる。
冗談の類いか、と根津校長を見るも、その顔は至って真剣だ。ふざけている様子はない。
「……いや、いやいや、ヴィランを雄英高校に入れるって、正気ですか?」
「無論正気さ!君が悪人気質でないことは、ここまでのやり取りから大体わかっている。だったら、雄英高校で更生の道を歩むのもありだろう?」
「あとは、打算もあるんだ。君の個性はアウェイクくんに聞いた限りかなり有用のようだからね。ヒーローになってくれれば心強い。それに雄英高校にいてくれれば監視もしやすいし」
確かに、戦力として欲しい、ということであれば納得できなくもない話だった。
ただこれ、それっぽい理由を言っただけで、八木さんと根津校長は、ほぼほぼ善意で、こちらに更生の機会を得て欲しいと願っているようだった。
あまりにお人好し過ぎる。そう思うも、それ自体は、存外嫌ではない自分がいた。
けれどそれとは別に、単純にヒーローになる気が自分にはなかった。
「……俺、ヒーローになりたくないんですけど」
「それは、この時代ではあまり聞かない台詞だね。ちなみに、何故か聞いても?」
確かに、一般家庭であれば大抵の人間が憧れるヒーローという職業。それになりたくない、というのは現代では珍しいのだろう。
ただ、どうにも自分はその珍しい人間で、ヒーロー……というよりかは、ヒーローとなった人間が苦手だった。
「お金稼ぐため、とか名声を求めて、とかそういう目的のヒーローなら、平気んなんすけどね」
そこら辺の人間は、理解ができる。だってそれは、人間らしい願いだからだ。誰だって、幸せにはなりたい。だから理解ができる。けれど。
「他人のために、って本気で言っている人間が自分は、
だからって別に、自分の感覚を他人に押し付ける気はないですけど、と締めくくる。
ちょっと、酷い言い方でこそあったが、紛れもない本心だった。
自分、喚導想也という人間は究極的に、己の為にしか動けない人間だ。ルリやソール、スラム街の仲間を守りたかったのだって、自分が彼ら彼女らを失いたくなかったからでしかない。
だから見知らぬ人の為に、自分の命すら投げ出すようなことをする人間が、自分には心底理解できなかった。
「喚導くん―――」
「では、こう考えるのはどうかな?」
こちらの言葉に対し、何かを言おうとした八木さんを制して、根津校長が口を開く。
八木さん、オールマイトは最も自分が理解できない人間だ。その強さを、在り方を貫く姿勢を格好いいと思うことはあっても、やはり理解することだけはできない。
それに対し、根津校長はまだ理解できる部類だった。根本的にはオールマイトと同じ、ヒーロー的な思考なのかもしれない。だけど、あくまでこちらが理解できる考え方を提示しようとしているのがわかったので、聞く価値はあるように思えた。
「どんな考え方でしょうか」
「君は、この日本で安全に暮らすためにヒーローになる。強くなるため、ヒーローとなることで強力なバックを得るため、生活費を稼ぐため。自分の為という考え方なら、理解できるんじゃないかな?」
根津校長からの提案に、思わずなるほど、と呟く。
確かに、ヒーローという人種が苦手だからと、ヒーローとなるのを断るには些か勿体ないメリットが、そこにはあるように思えた。
しかし、しかしである。
「俺、もう二十五なのに今更学生になれと……?」
「そこは、それ、もう我慢してもらうしかないね!」
勘弁してほしかった。
この歳になって制服着るとか、完全にコスプレにしか思えなかった。
だが、その程度で断るにはあまりにもメリットが大き過ぎるのだ。
「お、お金は……?」
「奨学金で何とかしてもらう形だね。後々返済してもらえばいいし、未成年ヴィラン更生用のものに、何とかしてねじ込めばいけると思うよ」
苦し紛れに言った言葉も、既に回答は用意されていたようで、あっさりと解決法を提示されてしまう。
これ、もしかしなくても最初から逃げ場がなかったのではないだろうか。
「―――ああ、ちなみに。アウェイクくんは雄英に通うそうだよ」
「保護の観点から提案したら、嬉々として了承していたね。……君も、彼女と学校生活、送ってみたくないかい?」
それは、卑怯だろう。完全に止めだった。
―――そんな風に、自分とルリの、日本での生活は始まるのだった。