煙が肺を満たすように大きく息を吸う。無論、煙草嫌いな自分ではそれを心地よいと思うことはできない。むしろストレスになる。
けれど、それが自分を追い込むようで、己のことが嫌いな自分にはちょうどいい。最終的には救う算段があるとはいえ、ルリをより危険な道に連れ込んだことで、余計に己のことを嫌いになった今は、特に。
それでも、最終的な目処が立ち、そこにたどり着くまで戦い続ける覚悟はできている。その分、以前よりかは精神的には楽である。
だから、まぁ、体育祭の時のような無様は晒さない……と、信じたいところではある。
やりたいことも、やるべきことも見えている。迷いはない。そういったものは、ステインと出会って吹き飛んだ。
ブレなければ、個性に飲まれることもない。故に一人静かに覚悟を決めていると。
「……ソーヤ?」
「ん、ルリか」
死柄木と黒霧から与えられた個室。そのベランダにいたところルリが出てきたので、吸っていた煙草を携帯灰皿へと押し付ける。
以前がルリが居ても吸っていたが、そこら辺の配慮ができるだけの余裕ができた、という話だ。だからしっかりと火が消えたことを確認して、携帯灰皿に蓋をして懐へと仕舞う。
「煙草、最後まで吸わなくてもいいの?」
「別に好きで吸ってるわけじゃないしなー」
だからそもそも、吸う頻度自体が少なく、こうしてルリにその場を見られるのもまた珍しいことだった。そしてふと、そういえば以前もこんなふうにルリに煙草を吸っているところを見られたなと思い出す。
あの時は確か、体育祭の前。ルリの前でも仮面を被ることを決めた時だったか。あれから結局、自分は上手く演じることができていたのだろうか。ああ、いや、あれだけ無様を晒しておいて、上手くもクソもないか。
そんなことを思いつつ、自身への呆れから苦笑していると、なにやらルリがこちらをじっと見つめていることに気づく。何か変なところでもあっただろうか、と首を傾げていると、そんなこちらに気づいたルリが口を開く。
「ソーヤは煙草似合うのに、私が近づいたらやめちゃって残念だなって思って。特に今のソーヤはこう……老けた?から」
「ああ……そういや、そうか」
ステイン戦。あの時使った未来召喚は、初使用の奥の手だ。そのため、制御が甘く本来なら未来から経験や技術のみ引っ張ってくるところを、肉体まで未来の状態にしてしまった。
未来召喚とはすなわち憑依召喚の発展形で、未来の自分を憑依召喚する技になる。基本的には経験や技術のみを未来から召喚する形だ。
ただしこれには欠点があり、時間の流れは一方通行であるという性質から、二度と元に戻すことはできない。つまり一度召喚してしまえば、例えそれとは違う方向性に成長したいとしても、切り替えることができないということになる。
また、この未来召喚はあくまで未来の時間を先行して使用しているだけであり、使用した分は無論短くなってしまう。要するに、今十年後の未来の姿になった分、寿命が十年縮んだということである。
とはいえ、寿命が縮んだだけで済んだ、とも言えるとは個人的には思っている。ステインに関しては、寿命を使う価値のあるの強さの敵だった、という話だ。
ともかく、結果としては、三十代の自分の姿になってしまったわけだが、確かにこの歳ではもはや見た目は立派なおっさんだ。中身こそ二十代のままだが、これではもうお兄さんだとは口が裂けても言えないだろう。
けれど代わりにルリが言ったように、煙草の似合うダンディなおっさんになれているのなら、それはそれでありかもしれない。
「ねぇ、私も煙草吸ってみてもいい?」
「あー……」
ルリからのその頼みに、どうすべきかと数瞬迷う。ルリはまだ、二十歳になっていない。日本の法律的には煙草はアウトである。あとは単純に、ルリには健康でいてもらいたい、という思いもある。
けれど、まぁ、今の自分はヴィランである。法律なんざクソ喰らえな立場であるし、自分の性格的にもそちらの方が性に合っているという自覚もある。
だったら、純粋な少女を悪の道に誑かすのもありだろう、と一本ルリに煙草を与え、火をつけてやる。
「―――っ、ぇほっ……何、これ。全然美味しくない……」
「ま、だろうな」
ベランダの塀に背中を預けながら苦笑する。初めての煙草を平気で吸えるのは、よっぽど適性があったか、あるいは身近な人間が煙草を吸っていて煙慣れしている人間だけだと個人的には思っている。
だからまぁ、当然の結果ではあるので、さして驚きはない。勿体ないので、これ以上吸えそうもないルリから煙草を奪いとり、そのまま自分が続きを吸う。
「ぅう……喉がイガイガする……。お父さんとかは全然平気そうだったのに……」
「まぁそれは慣れと、自分に合った煙草だからだろうよ。初めてじゃ仕方ないって」
しょぼくれるルリの頭を軽く撫でてやれば、徐々にその表情が心地よさげなものへと変わる。男のごつい手で撫でられて気持ちいいものなのだろうか、と内心首を傾げていると、ルリが心地よさげな顔のまま、ふと呟く。
「……ソーヤは、いなくならないでね」
「……それは」
その呟きに、どんな思いが込められているのかわからないほど、自分は鈍感ではない。自分がソールやスラム街の仲間を失ったのと同様に、ルリもまた家族を失っているのだ。だから、ルリの中にあるのはきっと自分と同じ気持ち。
「ソーヤに私しか残っていないように、私にももうソーヤしか残ってないの。確かに学校でお友達は増えたけど……それでも、お父さんたちを知ってるソーヤは、特別だから」
気づけば撫でる動きが止まっていたこちらの手を取って、ルリはそんなことを言う。
その内容は、気づいていないことではなかった。気づいていた上で、無視していたものだった。
自分にとってルリが大切なものであるように、ルリにとっても自分は大切な存在であると。それに気づいていながらも、自分はそれを無視していた。
「ソーヤは私を救おうとしてくれてるみたいだけど、ソーヤがいなくなっちゃったらそこに私にとっての救いはないんだよ?」
―――なぜなら、それを聞いてしまえば、自分は自分を犠牲にできなくなってしまうのだから。
自分は、自分のことが何よりも嫌いだ。だからルリを救うためのリソースとして己を消費することで、ついでに嫌いな自分を殺してしまおうと思っていた。
だが、たった今。自分が死んでしまってはルリにとっての救いはないのだと、本人から明確に言われてしまった。言われてしまってはもう、自分は自分の犠牲を容認することができない。
「ソーヤがね?雄英高校をやめる時に、私のことも連れてってくれたの凄く嬉しかったんだよ?まだ一緒にいられるんだって」
自分はあくまで、己のエゴでルリを救おうとしている。だから、ルリが救いを望んでいないとしても、無理矢理にでも彼女を救うつもりだった。
けれど彼女は、こちらが勝手に救うことを容認した上で、こちらのやり方では救えない、と言ってきたのだ。
自分がどうしてもやりたいのは彼女を救うこと。それができないことだけは、認めることができない。だからもう、自分は決して死ぬことはできない。
「……ったく、俺のことをよくわかっていらっしゃる」
ルリは間違いなく、どうすればこちらが自分のことを犠牲にしないようにするかを理解して、今の発言をしている。どうやら、案の定自分が被っていた仮面は見抜かれていたらしい。
本当は、自分の生命エネルギーを全て個性に回すことで、一時的に瞬間的な出力を上げ、一撃で人斬りを殺しつつその反動で自殺する、というのがプランだったのだが。自殺を封じられてしまった以上は、サブプランの自分も生き残る手法を使うしかない。
「しゃーねェ、俺が生き残れるように立ち回ってみますかね」
「うん、いなくなっちゃ嫌だからね」
念押ししてくるルリの頭を再び撫でる。ただし今度は、少しばかりの嫌がらせとして力を強めに。それに対し、きゃー、と声を上げつつもなんやかんやで楽しんでいる辺り、ノリがよくなったものだと思う。
「―――喚導、少しいいか?」
そんな風にルリと二人戯れていると、ノックの音と共に、死柄木の声が聞こえてくる。
存外死柄木も、ノックする程度の礼儀はあるんだな、と失礼なことを考えつつも、ベランダから屋内に戻り、玄関の扉を開ける。
扉を開けた先にいた死柄木は、いつも通りの無愛想な顔でさほど緊急の要件ではないように思える。それに少し安堵しつつ、何の用かを問いかければ、死柄木は少しだけ困ったようにその口を開く。
「先生が、お前に会いたがってる」
「あんたが、死柄木の先生か?」
「如何にも。オール・フォー・ワンだ。よろしく頼むよ」
オール・フォー・ワン、日本語訳で皆は一人の為に。なるほど、確かにヴィランの裏にいる存在としては充分ありな偽名だろう。
自分は、スラム街での活動でも聞いたことのない名前だが……さて、諜報担当の者であれば知っていたのだろうか。
そんなことを思いつつ、目の前のモニタに映る男であろう人物を見る。
そう、モニタ。会いたい、という話だったが、実際に用意された場は何でもないソファが置かれた部屋で、モニタ越しにというものだった。
しかもモニタに映るオール・フォー・ワンは、暗闇の中にいてその姿を明確に見ることはできない。声音から、何とか男だということ程度しかわからなかった。
「まずはこんな形での相対になったことを謝罪しよう。何せ僕は過去、酷い怪我を負っていてね。その治療で動くことができないのさ」
「ふーん……」
嘘だな、とオール・フォー・ワンの言葉を判断する。暗闇の中、ギリギリ見える下半身から、怪我を負ったのは事実でも、全く動けないわけではないと理解できる。
大きな動きはできないだろう。けれど、多少なりなら動けるといったところか。どちらにしても、こちらに出向くというのは無理そうだとは思う。
まぁ、そこら辺は個性があればどうとでもなってしまう時代なのだが。だからまぁ、実際のところは他者の協力なりなんなりで個性を使えば割と自由に動けるのだろう。
「……ふむ?その様子だともう僕が実際は動けることに気づいたようだね?予想より些か早い、君については上方修正しておこう」
「ァん?」
こちらの思考を読まれたことに関する気持ち悪さと、上から目線でこちらに評価を下す姿勢に思わず眉が吊り上がるのを自覚する。
今回はルリも同席していい、ということなので、ルリが隣にいるため自重しているが、本来であれば中指を突き立てる程度のことはしているところだった。
いくら死柄木の先生とはいえ、自分にまで偉そうな態度なのは気にくわない。基本的にスラム街出身は何もしていないのに自分の方が上だと思っている連中が嫌いなのだ。その点、目の前のモニタに映るオール・フォー・ワンは典型的な嫌いな相手と言えた。
「ああ、すまない。偉そうに見えたかい?それなら謝罪しよう。個性を使うために正確な分析が必要でね。格付けはどうしても必要なんだ」
「お前、俺の思考を読んでるな?」
思わずそう呟くように言ってから、いいや違うと自分で首を振って否定する。本当にこちらの思考を読んでいるのなら、先ほどのように確認をとる必要はないはずだ。全ての思考を読めるなら断言すればいい。
それが一々確認を挟む、ということは絶対的なものではないということになる。それはつまり。
「……予想してるのか、こっちの思考を」
「正解だ!これはまた驚いたよ。やはり他者から聞いた情報だけでは限界があるね。自分で直接見て、話すのが一番だ。まぁモニタ越しなんだけどね!」
はっはっは、と陽気に笑うオール・フォー・ワンは、どうにもあの死柄木が先生と慕う相手には見えなくて気が抜けそうになる。
だが、それでもこちらの思考を予想するという変態染みた技を披露してくれた以上、警戒しないわけにはいかない。死柄木や黒霧が信用できても、その仲間まで信頼できないのがヴィランなのだから。
「それじゃあ、本題に入る前にまずはネタばらしといこうか?何故僕が君の思考を予想できたのかは気になるだろう?」
気にならない、と言えば嘘になる。どうやら相手には完璧ではなくとも相手の思考を予測できる力があるようだから、例え口だけ否定しても意味はない。故に素直にここは頷いておくことにする。
「うむ、素直なのは美徳だと僕は思うよ。それではネタばらしだが。まずは僕の個性は『個性を奪い、与える』というものだ。聡明な君ならこれだけでわかるんじゃないかい?」
その言葉に、しばし考え込む。シンプルに考えるなら、単純に相手の思考を予測できる個性を奪った、となる。だがわざわざ問いとして出してくる以上、そこまで簡単ではないのだろう。
となれば、である。多分大筋としては間違っていないのだと思う。相手の思考を予測できる個性を奪った、というのは間違いではない。そこに何を付け足すのか、だ。
そもそも、基本的に予測系の個性はその持ち主の頭の良さに依存するところがある。あくまで予測であり、それは計算によって出されるものだからだ。そして人間の頭での計算によるものという都合上、どう足掻いても精度は低くなりがちなのだ。
しかしオール・フォー・ワンの予測はやけに精度が高い。普通の人間の頭ではありえないほどに。
「……つまり、演算能力の上昇する個性か何かを併用している?」
「ああ、それで正解だ。いいね、君は実にいい。気に入ったよ」
相変わらずの上から目線にイラつくところはあるが、先ほど言った個性が本当であるならばその手札の多彩さは自分以上になるだろう。半端な状態での個性の再現と、完全な個性の行使。どちらが上かなど明白だ。
上から目線になるだけの実力はある、そう考えるのが妥当なのだろう。だからまぁ、無理矢理言うことを聞かせるなどの手は取れない。
しかしもしその個性が本当であるならば、とチラリと隣にいるルリを見る。
ルリ自身は会話の内容に関わってこないからか、暇そうに部屋を見回している彼女。もしオール・フォー・ワンの個性が本当ならば、ルリが狙われている直接的な原因であるその個性を奪ってもらうことが可能なのではないだろうか。
もしそれができれば、これ以上ルリが人斬りに狙われることもないだろう。人を超越者へ至らせることのできる個性だ、その強力さから要らないということもないだろう。
そう思い、こちらの思考を予測できるオール・フォー・ワンへと無言で訴えかければ、なるほど、とオール・フォー・ワンはこちらの意図を理解し。
「―――残念だが、それはやらないよ」
返ってきたのは、そんな無情な答えだった。
へへ、やっと小説を書ける環境に戻ってきたぜ……。
そんなわけで、話タイトル通り徐々に終わりに向けて話が動いてきますぜっと。