全地球防衛戦争―EDF戦記―   作:スピオトフォズ

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非戦闘回になります!


第四十九話 理解者

――2023年 3月30日 18:00 大阪市内 軍病院――

 

 

「ふー」

 口元から紫煙が吹かれ、夕暮れの大気と混ざり合い霧散する。

 

 病院の屋上から、目を細めて景色を眺める男が一人。

 鷲田篤少尉。

 

 第88レンジャー中隊第二小隊第一分隊”レンジャー2-1”の副分隊長だ。

 数日前海岸沿いでの奇襲を受けて、またそれ以前の度重なる負傷が積み重なってついに入院となった。

 

 そんな彼が見る景色は、ただの夕暮れではない。

 確かに景色は紅に染まってはいるが、その意味する所は夕日の鮮やかな色ではなく、爆撃と猛火に彩られた災禍の紅蓮色だ。

 

 今まさに、彼の眼の向く方、京都では日本存続の鍵を握る京都防衛戦”アイアンウォール作戦”が決行されている。

 

 そこで戦う戦友たちを思い、鷲田は一人ただ景色を見つめている。

 その表情が険しいのは、傷が深いからではないだろう。

 

 仲間は、水原は、ちゃんと生き残っているだろうか。

 

(我ながらクソみてェな事言っちまったよなァ……。ひでェ話だ……)

 

 

「こら」

 

 そんな鷲田の頭を、松葉杖で器用に叩く女の声がした。

 

「いてーな。一応オレ怪我人なンだけど?」

 軽くたたかれた場所に怪我がなかったのは偶然か。

 なんにせよ、屋上のドアを開閉する音すら気付かなかった事に鷲田自身驚き、苦笑した。

 

「怪我人なんてもんじゃないでしょーが。一週間は絶対安静って聞きましたけど?」

 

 声の主は、同じ病院に入院した結城桜伍長だ。

 右腕はギプスと三角巾で厳重に固定され、頭部や腹部などに包帯が巻かれている。

 右足も骨折しているので左腕で松葉杖を一本ついている。

 

 一方の鷲田は見た目は多少包帯が巻いてあるのと、ガートル台と呼ばれる金属のスタンドから点滴を行っている事以外は異常が無く、一見して桜よりも軽傷に見える。

 

 だが、欠損や骨折こそないが、全身に数多の切創と失血、酸や炎による火傷、更には治癒剤の過剰投与による内臓系へのダメージが深刻で、軍医曰く「生きてるのが不思議なくらい」との事だった。 

 

「だから、安静にしてンだろ、十分」

 何かおかしなことがあるか? と言わんばかりに桜を見る。

 絶対安静の意味なぞどこに吹く風である。

 

「はぁ~だめだこりゃ。後で看護士さんに怒られてもし~らないっと」

 呆れた様子で、叱るのを早々に放棄する桜。

 

「あァそれなら大丈夫だ。もう慣れた」

 どうやら常習犯らしい。

 そういう所をまったく気にしない鷲田らしさを感じて、桜が笑みを零し、つられて鷲田も少し笑った。

 

 桜が松葉杖をついて隣に並ぶ。

 遠く東の地平線では、相変わらず炎や爆発が絶えず空を彩る。

 その下では、同じEDFの仲間たちが命を賭してフォーリナーの侵攻を食い止めている。

 

「傷は、どうだ?」

 

 新たに火をつけた煙草を吸って、鷲田は桜の方をちらと見る。

 重傷だが、α型に噛まれたと考えれば腕が残っているだけでも大したものだ。

 従来の戦闘服なら間違いなく死んでいただろう。

 

「え~っとですね、幸い背骨とかは無事だったんですけど、見ての通り右腕が骨までズタズタでですねぇ。右足は単純骨折と捻挫とかだから早いっぽいですけど。肺とか内臓系も結構やられてて、全部合わせてだいたい一ヶ月は見といたほうがいいって話です」

 

 それでも、この重傷でもうある程度動けるようになっているのは数年前の医療レベルでは考えられないくらいの進歩だ。

 

 フォーリナーの機械兵器や巨大生物の内部を巡る半液体状の未知の物質、エナジー・ジェム。

 その数多の作用の一つに、細胞の活性化が発見されてから、医療体制は一新された。

 

 とはいえ、非常時だから使っているものの、その効果は未だ謎が多い。

 軍医からは一ヶ月と説明されてはいるが、軍医すらどれくらいの効果があっていつ完治するのか手探りの状態だ。

 

 それでも、そんな未知の技術に頼ってでも、今の人類は、日本は、一刻も早く兵士を前線に復帰させなければならない。

 敵の技術だろうが未知の物質だろうが、使えるものは何でも使う貪欲さが求められているのだ。

 

「そォか。アーマースーツが改良されてなけりゃァヤバかったな」

 フォーリナーの技術を活用し、アーマースーツも日に日に進化している。

 今は初期型の何倍もの酸や糸に耐え、鋭い牙でも簡単に千切られないような防御力を誇るが、それでもEDF兵士の負傷や戦死者は絶え間ない。

 だがもし、アーマースーツが初期型のままだったなら、日本はとっくに滅んでいただろう。

 

「ホントそうですね~。開発部の並々ならぬ努力に感謝です。ワシちゃんは?」

 

「あー、三日ありゃ治ンな」

 

「み、三日ぁ!? げほっ、げほっ!」

 驚きのあまり、大声を出してむせ返る桜。

 巨大生物α型――巨大蟻に噛みつかれ地面に叩きつけられた桜は、折れた肋骨が肺に刺さったため、まだ大声を出すのは体に障る。

 

「オイオイ大丈夫か? まだ体ン中ズタボロなンだろ?」

 鷲田が背中をさすると、桜も落ち着きを取り戻す。

 

「う~いてて……。ワシちゃんだって私以上にズタボロのくせに~」

 恨めしそうに鷲田を見上げる。

 二人の身長差は10㎝以上だ。

 

「はっ。オレは昔っから傷の治りが早くってな。この程度の傷、何度も直して毎回医者にドン引きされてきた」

 

「ドン引きなんだ……」

 傷が早く治れば普通は喜ばしい事だが、その範疇を超えているとそういう反応になる。

 

「人間とは思えない、なンて言われたりしてよォ! ひでぇ話だぜまったく!」

 

 鷲田は大げさに言って笑いを誘うが、桜は珍しく釣られない。

 

「ワシちゃんはさ……昔からその……そんな無茶するんですか?」

 鷲田の負傷を顧みない戦い方について、桜は前から思うところがあった。

 

「……無茶はしてねェよ。兵士としてやれる事やってるだけだ。一人でも一体でも多くの敵をぶっ殺す。やってることは変わらねェさ、今も昔もな」

 桜の、珍しくふざけていない態度を感じて、鷲田は視線を燃える地平線に移して答える。

 

 ただ、その言葉からは使命感というより吐き捨てるような嫌悪感が現れていた。

 

「そうですか……。すっごい心配ですけど、やっぱり優しいですね。ワシちゃんは」

 鷲田の言葉を聞いて、見当違いな言葉を返す桜。

 

「優しい? オレが? どこを見たらそう見えるんだ……。敵をぶっ殺すしか能のない野郎で、死者を侮辱して気に食わねェ部下をぶん殴る男だぜオレは」

 

 心底理解できないという顔をして、桜の方を向きまくし立てる。

 同時に自己嫌悪を自覚するが、それを悟られぬように尊大に言い放つ。

 

 他人に、鷲田篤が自己嫌悪でうじうじと悩むような女々しい男であることを知られたくないし、まして部下にそれを見せることは士気に関わる。

 それを見抜かれるようなヘマは今までしなかったはずだ。

 

「どうして、スーが気に食わないって思ったんですか?」

 水原亮介を殴った時のことを聞く。

 

 まっすぐに見つめる桜の瞳に耐えられなくて、鷲田は目を反らす。

 

「いつまでも死んだ新垣の事でピーピーうるせェと思ったからだ。だから殴った。後悔はしてねェ」

 

 嘘だ、後悔している。

 だが、それを悟らせるような真似はしていない。

 していない、はずだ。

 

「……それは嘘だよ」

 

 だがそう思う鷲田の心情は、あっけなく桜に見破られている。

 

「……何?」

 何もかも見抜かれているような気分になり、心の中で身構えてしまう。

 

「顔、やつれてる。元気も無いし」

 桜が鷲田の顔を指さす。

 確かに、言っている事は間違っていないが。

 

「そりゃ、こンなンでも重傷なンだからやつれもするし、元気だったらやべェ奴だろ……」

 桜らしい見当違いな指摘に、思わず脱力する鷲田。

 いくら鷲田でも、病院内で安静にしていたらいつもの戦闘狂モードのままではいられない。

 

 あれは戦場でアドレナリンが湧き出ているからこそ、重傷でも激しい戦闘を乗り切れるだけで、要するに無茶しているだけだ。

 

 入院してちょっとテンション低くなったぐらいで優しいだのなんだのと、相変わらず訳の分からない奴だ、と。

 桜の追及に大した根拠が無かった事に安堵して、鷲田は全く吸っていなかった煙草をすり潰して灰皿に捨てる。

 

「そうかも知れないけど、私はそんな理由じゃないと思う。ワシちゃんはさ、あの時言ったスーに言った言葉、ホントは自分に向けても言ってたんじゃないの?」

 

 三本目に火を付けようとした手が止まる。

 

「……どォいう、事だよ」

 

「あの時ガッキーを無理やりにでも助けにいくべきだったのか、今もまだ、悩んでるんでしょ?」

 

 顔が引きつる。

 図星だった。

 

 本当ならば、助けたかった、助けに行きたかった。

 だが、その時の自分は死にかけだし、仲間と共に行っても成功する可能性は低かった。

 強行すれば、もっと多くのものを失うかもしれなかった。

 

 それに関しては、きっと答えなど出ないし、もしあるとすれば、それは結果だけだ。

 だから、割り切れない思いはあれど、割り切ったように振舞うしかない。

 

「っ……。そんな事、ねェよ。アイツは生き残る力が無かっただけだっつーの。そんな事いちいち気にしてたら、身が持たねーっての」

 

 いちいち気にしてたら身が持たない、というのは本当だ。

 だから、そんな事一切気にしてないような態度をとっていたのに。

 それがなぜだか、完全に見抜かれてしまっている。

 

「手、震えてるよ?」

 

「っ! う、うるせぇよ! だいたい! オレが前の紛争で、何人敵をぶっ殺して何人仲間を殺されてきたか知ってンのか!? まともな精神じゃ、今までもこれからも生き残れるかっつーの! 死んだ奴の事なんてとっとと忘れるしかねェんだ! どいつもこいつもグチグチ引っ張るんじゃねェよ!」

 

 体にダメージがある事すら忘れて、怒鳴り声を上げる。

 だが、それでもしっかりと傷は負っているからか、病院という場所に無意識に配慮したか、あるいはもっと心理的なものか、声量は控えめだ。

 

 それが桜にはますます虚勢を張っているように見えて仕方がない。

 

「でも、一番引きずってるのはワシちゃんでしょ? そうなって欲しくないから、スー自身を責めないで欲しかったから、あんな言い方をした」

 

 だから、桜は諭すような言い方で、ゆっくりと鷲田を見つめて言った。

 

「何……!?」

 

「だから、そうやって自分を恨ませる事で生き残らせようとしたんじゃないの? あのままだと、引きずってそのまま死んじゃいそうって思ったから」

 

 当たりだ。何故かは知らないが、完全に見抜かれている。

 事ここに至っては、もはや否定も強がりも意味はない。

 観念して鷲田は心の内を打ち明ける。

 

「……別に、そンな打算的だった訳じゃねェよ」

 

 取り出したままの三本目に火を付けて、空高く煙を吐き出す。

 そのまま、弱音まで吐き出すことを堪えられない。

 

「そこまで頭回ってンなら、もっとマシな言い方もあったかも知れねェ。新垣を、仲間を貶すつもりは無かった……。それをあんな風によォ……最低だろ。すまねェ、オレは結局、敵をぶっ殺す事でしか仲間を守れねェンだ」

 

 結局、鷲田の原動力はそれだった。

 仲間を失いたくない。

 別に、鷲田だけじゃない、戦場の兵士なら誰もが自分の身を傷つけても隣にいる仲間を守ろうとするだろう。

 

 ただ、鷲田はただ、鷲田はあまりにも死なな過ぎた。

 どれだけ傷付いて仲間を守ろうとしても、自分だけ生き残ってしまう。

 

 中東ディラッカで経験したそれが、全地球防衛戦争が始まった今でも、鷲田を締め付けていた。

 得られた教訓は二つ。

 ”一人でも仲間を救うなら、振り返らずに一体でも多くの敵を殺せ”

 ”死んだ仲間に、意識を持っていかれるな”

 

 本能か勘か、何か分からないが水原に死の気配を感じ、鷲田は水原にその教訓を教えようとしたが、結果はただ新垣を侮辱し水原を傷付けただけだ。

 戦う事以外はとことん空回りする。 

 

「いや、それもあのザマで、戦闘ですら仲間を碌に護ってやれねェ。ま、ンな事とっくに分かってたけどよ」

 

 だが、それでも構わない。

 たとえ水原に、桜にどう思われようと、自分のやり方がこれしかないのは分かりきっていた事だ。

 どう思われようと、生き残ってくれるならそれで構わない。

 どれだけ傷付こうが、敵を一体でも多く殺し、どれだけ傷付けようが、嫌悪でも反抗心でも原動力にして生き残ってくれるなら、それでいい。

 

「それでも、誰に恨まれたって嫌われたって、オレはこのやり方で――」

 

 鷲田の言葉を遮って、桜が片腕で抱き着いた。

 煙草が指から零れ、松葉杖の倒れる音が響く。

 

 鷲田が目を丸くして息を呑む。

 

「――私は、知ってるよ。ワシちゃんが……誰にも死んでほしくなくって頑張ってたこと。そのお陰で、私はちゃんと助かったよ。あの時私、ホントは結構怖かったんだ。死んじゃうかもって思って。あはは、あんなこと言ってておかしいけどさ」

 

 ”私の、ことは良いです……。自分のミスでこうなったから……。でも、新垣は私を抱えてたから! お願いです! 新垣を助けに……助けに行って下さい!”

 桜は新垣が連れ去られた直後、そう言っていた。

 

「私ね、あんなカッコいい事いいながら、ホントはガッキーを心配するふりしてただけなんだよ。自分が助かりたいって気持ちの方がさ、ずっと強かったと思う。元はと言えば私が引き金になった癖にね。最低でしょ?」

 

 顔をうずめる桜はどんな表情をしているだろうか?

 明るい声を装ってはいるが、背中に回る手が震えているのが伝わる。

 

 今まで見透かされたような事を言ってきたのは、桜の中にも弱さや脆さのようなものがあったからなのか。

 そう鷲田は理解し、桜の体に両手を回す。

 

「そンな事、ねェよ。死にたくねェって思ったからこそ、ちゃンと生き延びたンじゃねェか」

 

「……それはさ、ワシちゃんのおかげだよ」

 

「オレの?」

 

「碌に護れないって言うけどさ。ワシちゃんはちゃんと護ったじゃない。私だけじゃなく、まことんもスーも。あの時、無理やりガッキーを助けようとして戦ったら、きっとみんな死んでた。だから、戦う以外でも、ちゃんとワシちゃんは護れてるよ。仮に誰かに恨まれたり嫌われたりしても、私はちゃんと、分かってるからさ。ワシちゃんは仲間想いで優しいって」

 

 極めて真剣みのある、しかし先ほどまでの見透かしたような鋭さではない、包み込むような温かさを感じる眼差しで見つめ、言葉を切ると、

 

「だからさ、一人で背負ったりなんかしないでいいから」

 

 そう言って少し恥ずかしそう微笑んだ。

 

「お前っ……。はぁ~、負けたよ、完敗だ。そんな目で見られたんじゃァ、意地張ンのも馬鹿らしくなってくらァ。オレの事仲間想いで優しいなンて言った奴ァ、お前が初めてだよ桜」

 

 大きなため息を吐いた後の鷲田の表情は、今までの険が取れてスッキリとした綺麗な笑顔になっていた。

 

「えへへ~。ワシちゃんの初めてになっちゃった」

 いつもの呑気な声色に戻り、鷲田の胸に顔をうずめる。

 

「ばーか。言い方考えろ。しっかし、オレのこと見て良くそんな風に思えたよな~お前」

 

 実際のところ、鷲田にとっての桜は明るく元気なお転婆娘、くらいの印象しかなかった為、あんなふうに強がりや虚勢をすべて見破られた上、慰められて気を楽にしてもらえた桜の印象は様変わりした。

 

 桜のそのような態度は鷲田にとってどころか桜を知るほとんどのEDF兵士にとって意外だろう。

 とはいえ、桜だって特別洞察力が強いという訳ではない。

 

「あはは。いやホント、私らしくない真似したよ~。なんか前から気づいちゃってさ。どうにかしなきゃって思ったのは、やっぱあの時からだけどさ。でも前からワシちゃんってなんか常にボロボロで、棺桶に片足突っ込んでるような感じだしさ。なーんか目が離せなくなっちゃっててね」

 

 軽い口調で言っているが、その真意はどういうことなのか。

 それを考えたい気持ちもあったが、まず言わなければいけないことがある。

 

「そ、そォか……。あー、でもなンだ、すっげェすっきりした。ありがとうな、桜」

 

 体を少し離して、面と向かって言った。

 鷲田のやった行いが正解か間違いかは分からないが、それでも確実に気持ちは楽になった。

 憑き物が落ちたように、鷲田はいつもの顔になった。

 

「えへへ、どういたしまして。ところでさ、松葉杖取ってくれない? 私まだ歩けなくってさ」

 

 いつも通りになった事を確認して、桜は病室に戻る事にした。

 だが勢いで抱き着いてしまった為、松葉杖は屋上の床に放り投げてしまった。

 

「……いらねェよ。オレが、お前の松葉杖になってやる」

 点滴の腕とは反対の腕で、桜の左腕を支える。

 

「ぷっ、あはは! なにそれ! プロポーズみたい!」

 鷲田の言葉に、肺に響かないように慎重に笑い出す桜。

 

「ばーか違ェよ! 部屋まで送るって言ってンだ! いや……よく考えたら変な事言ったかなオレ……悪ィ、忘れろ」

 茶化す桜に、急に恥ずかしくなったのか鷲田は赤面して松葉杖を拾いに行こうとするが、

 

「えへへ~忘れない! ちゃんと私の松葉杖になってよね。はい、行くよ~」

 桜は嬉しそうにしがみついて離れる様子がない。

 

「しょォがねェ、支えてやっか」

 そうして、二人は松葉杖を置き去りにして、病室へと戻った。

 

 

――――

 

 

「それにしてもお前、まったく敬語使わねェよな」

 病室への道中、鷲田が沈黙を破るように言った。

 

「へっ? あっ! しまった! いえ、しまいました? いや~すみません、敬語って苦手なんでつい~」

 その反応を見るに、あえてタメ口だった訳ではなく素で忘れていたようだ。

 まあ、敬語が苦手なのは桜を知る人間なら皆分かるだろう。

 

 きっと軍の上層部とかでも、長く会話するとタメ口になるに違いない。

 そもそも、そういう状況は来ないと思うが。

 

「あっ、いや別に気にしねェけどよ。……でも、二人でいる時は、敬語なんていらねェよ。今更な気もするけどな」

 ちゃっかり距離を縮める事に成功する鷲田だったが、そもそも桜との距離は皆近いので、縮まったのかどうかは定かではない。

 

「ホント? やった~」

 まあ、桜が喜んでるので良かったのだろう。

 

「いや、お前みんないる時でも結構敬語使ってないときあるけどな……。呼び方だって渾名のままだしよ……。それで、よ。今更、蒸し返すようで余計かも知ンねェけど……」

 

 桜の病室の前まで来た。

 だが、別れる前に言っておかなければならないことがある。

 病室前までに考えてた言葉を必死に並べる。

 

「んん?」

 

 言いづらそうに口ごもる鷲田を、桜は首をかしげて待つ。

 

「それでも、はっきり言ってやる。お前は、最低なンかじゃねェ。死ぬの怖ェって、そう思っててもあンな言葉が出てくるお前は、すげェと思う。だから、あァー、なンだ。自分を卑下すンな。それと、お前が引き金になったンじゃねェ。悪いのはみんなだって、お前自分でそう言ってたじゃねェか。だからオレからもう一回言うぞ。お前は悪くねェし、悪いとしたらオレだって誰だって悪い。それから……クソっ、全然言葉纏まってねェな、オレ……。えェと――」

 

 四苦八苦しながら言葉を並べた鷲田だったが、目を逸らして言葉を考えた後、前を向くと目を丸くして、桜が涙を流していた。

「さっ、桜!? わりィ、なンかひでェ事言っちまったか!?」

 

 途端に罪悪感が胸を刺す。

 やはり余計だったのか。

 

「いやっ! うんん、違うの! なんか……わかんないけど、嬉しくてさ……」

 涙を拭って、なんでもない事を示すように無理に笑顔を作る。

 

「はァ? そりゃ、一体……」

 

「最低じゃないって、言葉で言ってくれたのが嬉しかった……。卑下するなって言われて元気でた。私だって悪いしみんな悪いってのはさ、頭では分かってたつもりなんだけどな~」

 

「ホントにそう思ってたら、自分が引き金、なンて言葉は出て来ねェだろ」

 

 そこが、鷲田の中でずっと引っかかっていた。

 あの時は鷲田の精神状態も良くなかったから上手く反応できなかったが、今ならあれは間違っているとはっきり言える。

 

「ホントそうだね……。それも、言葉にされたら、なんか泣けてきちゃった。はぁ~、慰めに来たのに、最後は慰められちゃうなんて、なんか間抜けよね~。……あ~もう嬉しいやら恥ずかしいやらでなんかもう大変だよ! もう終わり! 今日終わり! ホントありがと! またね!!」

 

 そうまくし立てられて、桜は病室へ逃げるように去っていった。

 

「ちょ、オイ! ったく……こっちのほうがありがとうだってのによォ」

 

 照れるように頭を搔き、そういえば松葉杖が屋上に置きっぱなしだったことを思い出し、後で桜に届けてやろうと思い、鷲田は屋上に向う。

 

 途中、喉が渇いたので廊下の自販機で飲み物を買っていると、聴きなれた声が鷲田を呼んだ。

 

「やあ。探し物はこちらでしょうか?」

 

 松葉杖を拾ってきた二ノ宮沙月軍曹がいた。

 彼女も同じレンジャー2-1で、負傷して大阪病院に入院していたのだ。 

 

「あァー、クソ、見てたのかよ……。どこからだ?」

 

 バツの悪そうに反応し、目を逸らしながらも松葉杖を受け取る鷲田。

 

「二人が抱き合っていたところはしっかりと。 ふふふ、いいもの見せて頂きました」

 くすくすと上機嫌に笑って見せる。

 

「……マジかよ。ったく、狙いは何だよ? 口止め料か? 分かった、同室の奴が院長室からくすねてきた旨ェ焼酎があるから、コレとソイツで勘弁してくれや」

 何もしなければ変な噂になりかねないと判断した鷲田はとっさに先手を打つ。

 同時にもう一つ買った缶コーヒーを二ノ宮に投げつける。

 

 尤も、コーヒー豆を栽培している余裕のある国はもはや一握りなので、コーヒーもどきといった方がいい代物だが、それでも癖というものは抜けないらしい。

 

「ふふふ、まだ何も言ってないんですけどねぇ……。まったく、酷い勘違いのされようですね。まあそれはそれとして貰っておきますが」

 

 薄笑いで小さく舌なめずりをしつつ、キャッチした缶コーヒーもどきを頂く。

 そのしぐさを見ていると、嵌められたのか最小限の被害で食い止められたのか、分からなくなってくる。

 こと金銭や、それに類するものに関しては抜け目のない女だ。

 

「ただ、アナタにはお礼も言っておかなければなりませんね」

 

「礼? なンの?」

 桜が前回の戦いの事を気にしていることを知っていたのだろうか?

 いや、桜と鷲田が入院してきたのは三日前の事だし、その間桜とは碌に会えなかったはずだ。

 新垣の事だって、二ノ宮は言伝でしか聞かされていない。

 桜の様子に気付ける事は無いはずだ。

 

「桜の夜の相手が見つかった事ですよ。アナタなら問題なく任せられるでしょう」

「ブフォー!!」

 

 口に含んだばかりのコーヒーを盛大に吹き出す鷲田。

 

「ふふふ……くっ……、ティッシュ貸してあげましょうか?」

「おめぇわざとだな! わざとオレが口に含んだ瞬間を狙ったろ! ったくしょうもねェ事しやがって……! こちとら重傷患者だぞ!」

 

 笑いを堪え切れていない二ノ宮に、ティッシュを受け取って服についたコーヒーを吹きながら恨めしそうにする。

 

「おや? 三日あれば治ると聞きましたが?」

「オイ。おめぇ結局最初の方から聞いてンじゃねェか」

 

「ふふふ、ボクは抱き合ったところを見たと言っただけで、別にその前を見てないとは言っていませんので」

「ハァー、筒抜けかよ。ったくツマンねェ冗談言いやがって」

 

「おや? 冗談ではありませんよ、相手が出来てよかったと思うのは本当です。桜も前から気になっていたようでしたし、上手くいくとボクは思いますけどねぇ」

 

 薄笑いを消して見つめられる。

 まさか短時間に二度もこの、見透かされたような感覚を味わうことになるとは思ってもみなかった。

 そんなに自分は分かりやすいのだろうか、と鷲田は情けなくなってくる。

 

「……そんな気持ちであいつと向き合った訳じゃねェよ。ンな事、今は考えてる余裕なンざねェっての。も

ォいいだろ。オレは部屋に戻るぜ」

 

「新垣の件は残念でした。ですが、戦場とはそういうものでしょう。ボクもアナタも、お互い後悔は残したくないものですねぇ」

 去っていく鷲田に、二ノ宮が最後に投げかける。

 

「あァ、そォだな、本当に」

 振り向かず、鷲田はそう呟いて去っていった。

 

 

 


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