殺戮の凶王が竃を前に安らぐのは間違っているだろうか   作:くるりくる

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凶王と剣姫

 ベル・クラネルというレベル1の少年の名前は、その日を境に瞬く間に広がった。

 

 『凶王(ジェノサイダー)』クーフーリンが所属する零細ファミリアに入団したとされるヒューマンの少年。無謀にもクーフーリンに剣を向け、そして生き残った唯一の存在。クーフーリンは敵対者には一切の容赦も慈悲も向けない存在とされ、相手が二大巨頭のロキ・ファミリアだろうがフレイヤ・ファミリアだろうが食らいつくと噂されている殺戮の凶王が、何故かその少年を痛めつけるだけで見逃された。

 

 そして本当かどうか定かでは無いが、早朝、オラリオの街のどこかでベル・クラネルをクーフーリンが手ずから鍛えているとの事。

 

 その噂を確かめに、アイズ・ヴァレンシュタインは朝焼けの街を行く。己の中で沸き立つ衝動に従って、代わりの剣を片手に。

 

 

 

 

「……居た」

 

 朽ち果てた教会の前、そこでナイフを構え腰を落とす白髪の少年にアイズは見覚えがあった。遠征の帰り、17階層でミノタウロスの集団に対処していたが一方的な戦闘に恐れをなしたのか、ミノタウロスたちは上層へと上がっていった。上層の冒険者に被害を出さない為に、アイズを筆頭とした第一級冒険者が前に出て、そしてアイズが最後の一頭を倒した時に、白髪の少年ベルを助けた時にアイズとベルは出会った。

 

 出会いとしては良いものではなかっただろう、と彼女なりに思う。

 

 石レンガの建物に脇に体を隠して、ベルの姿をじっと見てから視線を移す。そこには上半身の黒衣を脱ぎ、堂々と上半身の半裸を晒したクーフーリンが居た。

 

 冒険者は背中に刻まれた己のステイタスを見られるのを嫌う。それは同じファミリアの人間であってもだ。自分の情報、強さが漏れ出るのを恐れる為だ。その辺りに無頓着なアイズと言えど己の強さを気心の知れない他人に知られたらと思うと僅かに表情が渋い顔になってしまう。

 

 それでも他人のステイタスを知りたいと思うのは人のサガか。

 それもオラリオ最強の冒険者であるオッタルに匹敵するほどと影で噂されるクーフーリンのステイタスなら、好奇心を抑えるというのが無理というもの。

 

「いきます!」

 

 心の誘惑・葛藤を振り払うかのように恐れと緊張、幼くも決意のこもった声がアイズの意識を切り替えさせた。

 

 ベルは右手に逆手で持ったナイフ片手にクーフーリンへと突貫する。レベル1、冒険者になりたてで技術も疎かな身で自分から声を出して攻撃を仕掛けるなど愚かだと、アイズはなんども死地をくぐり抜けた冷静な冒険者として判断する。

 

 石畳で舗装された地面を踏みしめ、クーフーリンへと駆け抜けたベルは右手に握ったナイフを足元から腹部へと抉り込むような鋭さで斬りかかった。側から観察していたアイズの目には、クーフーリンの足元に到達したベルが地面と顔が擦れるのではと思うほど沈み込みナイフで斬りかかったのを見て、その瞬間だけ駆け出しのレベル1とは到底思えない鋭さに驚いてしまう。

 

 しかしそれではクーフーリンに決して届かない。

 気怠げに左手の人差し指と中指の間でナイフの刃を挟み込み、たったそれだけの動きでベルの渾身の一撃を防いだ。

 

「やぁっ!」

 

 武器に不慣れな者は、武器に固執する。武器という己の最強の攻撃手段を手放すことを恐るからだ。アイズも駆け出しで、武器の扱いに不慣れな時は武器の存在に固執した。

 

 だが、ベルはナイフの柄から容易く手を放し、体を捻ると共に右足をさらに踏み込ませ、拳を固めた左のパンチをナイフの柄頭に向けて放った。

 

 止められて微動だにしないベルのナイフだが、その柄頭に力が加わればどうなるか。地面に向かって釘を金槌で打った時、釘が地面にめり込むように、ベルの拳はナイフという釘を動かした。ガリッと耳障りな音が離れた場所にいるアイズにも聞こえる。

 

 ベルの動きはそこで終わらず、指と指による拘束が緩んだと思われるナイフを取り戻した事によって、確かな喜びを感じながらクーフーリンから距離を取った。

 

 自分の攻撃が通じている事に喜びを感じているのだろうとアイズは容易く想像できた。あの『凶王(ジェノサイダー)』と名高いクーフーリンに攻撃を通した。それは彼の皮膚をほんの少し傷つけるだけのものなのかも知れないが、それでも確かに傷を負わせたのは事実。

 

 アイズはその視線をベルに向けた。

 次は、一体どんな攻撃を仕掛けるのか、気になって仕方なかった。

 

 次にクーフーリンへと視線を向ける。

 クーフーリンがこの程度の実力なはずがないと、そんな信頼を彼に向けて。

 

「おい」

 

 アイズは一瞬自分に声が掛けられたのではとドキリとする。自分の監視は完璧であると密かに思っていたアイズの心にショックが走るもそれは彼女の勘違い。クーフーリンはアイズの隠れて窺っている建物に一瞥もくれず、ベルへと視線を向けていた。

 

「これで終わりか。さっさと次に繋げろ。俺はまだ立っている」

「は、はい!」

 

 ベルは表情を引き締め、ナイフを順手に持ち替えその間合いを詰めようと走り出そうとして、その体を硬直させた。

 

「どうした。まさかこれくらいで根を上げるか」

 

 クーフーリンの問いにベルは答える余裕が無かった。それはアイズも同じだ。クーフーリンには一切の隙が見当たらないのだ。二人から距離があり、全体を見れて観察できる状況のアイズであっても、第一級冒険者の最強格であるアイズであっても今のクーフーリンから隙を見つけることができなかった。

 

「武器も鎧も持たない相手に尻込みするなどそれでも戦士の端くれか」

「で、でも……どこに打ち込めば——」

「まさかダンジョンのモンスターが行儀よく腹を見せるとでも思っているのか? ガキ、てめぇが経験したようにダンジョンは理不尽そのもの。自分の身の丈に合わない障害などザラにあると覚えておけ。頭を捻れ。知恵を絞り出せ。思考と体を止めるな。でなければ死ぬぞ」

「っ! はい!」

「喋る余裕があるなら体を動かせ」

 

 ベルは先ほど以上に真剣な顔つきでクーフーリンからの忠告を受け入れた。そして必死に頭を捻り、何通りもの考えを浮かべて、最善を選択しようとしていたが——その際に生まれた隙をクーフーリンが見逃すはずがない。

 

 地を蹴り、ベルとの間にあった数メドルの距離を潰すと無防備なベルの腹部に一撃をくれた。くの字に折れたベルの体。衝撃によって宙に浮き、痛みを吐き出すように咳き込んだベル。カランと、ベルの手にあったナイフが地面に落ちたことで鳴った音を耳にしたクーフーリンはここまでだと、ベルに背を向けた。

 

「ガキ。今日は終わりだ」

「ッ! ゲホッ……ガハッ! 僕は、まだっ!」

「痛みで武器を手放した。そこでてめぇは死んだも同然だ」

「……はい。明日も、またよろしくお願いします……」

 

 ベルはそう言って手放したナイフを拾うと、落ち込んだ様子で背中を向けた。腹部を抑えながら拠点である廃教会に戻っていくのをアイズは見送って、暫くそのままであったが彼女に視線が向けられているのに気づく。

 

 早朝、日がまだ昇りきっていないこの時間、オラリオの住民たちは朝早い者以外寝静まっている。それならば答えは簡単だ。

 

「何の用だ、女」

「あの……えっと……」

 

 アイズ自身弁が立つ方ではない。それどころか口数も少なくたどたどしい。クーフーリンにバレたことでワタワタとするアイズであったが、彼にとってはどうでも良いのか気怠げに首の関節をポキポキと鳴らした。

 

「元気?」

 

 アイズの口から出てきた言葉は相手の体調を伺う言葉だった。朝の挨拶としては順当だがクーフーリン相手には意味がない。彼はまるで馬鹿を見るような目をアイズに向けた。アイズもそれには不満を持ったのか、自身の不満を表すように半眼を向けるもクーフーリンには何処吹く風。

 

「あの子……大丈夫、ですか?」

「あのガキの事ならてめぇの気にする事じゃねえ。ましてや他のファミリアの事だ。首を突っ込むのはお門違いだ。違うか」

 

 クーフーリンはそこで話を終わらせるべく、背を向けた。

 

「あの……! また来ても、いいですか?」

「……好きにしろ」

 

 そう言ったクーフーリンは今度こそアイズを置いて、廃教会の中へと姿を消した。

 

 

 

 

 

抉り穿つ鏖殺の槍(ゲイ・ボルグ)!!』

 

 過去、アイズたちロキ・ファミリアが37階層で足踏みを食らい、想定以上のモンスターの数によって少なくない被害を被っていた時に、アイズが聞いたクーフーリンの初めての言葉がそれだった。

 

 37階層に蔓延る全てのモンスターを殺し、挽肉にした槍の投擲。

 

 全員が突然の事態に呆気に取られた。歴戦の猛者であるロキ・ファミリアの団長であるフィン・ディムナや副団長リヴェリア・リヨス・アールヴも、ファミリア結成当初の最古参であるガレス・ランドロックでさえ絶句する中、ロキ・ファミリアの遠征組の視線を集めた存在は体から血の煙を立ちのぼらせながら彼らを放置して、次の階層に行こうとした。

 

 アイズは声をかけた。

 かけようとして、気を取られた。

 

 壁から新たに生まれたモンスターがその豪腕を無防備な背中を晒すアイズに伸ばした。モンスターの巨体に比べれば小さな人の体など簡単に握り潰せる。危ないと——誰かが口にした瞬間、モンスターの肉体が爆ぜた。

 

『女、気を抜けば死ぬぞ』

 

 そう言ったクーフーリンとアイズは目があった。

 

 アイズはまるで自分を見ているようだと、胸を締め付けられた。

 

 その赤い瞳は目の前の何も映しておらず、ただ己の中で燃え上がる復讐の炎に身を費やす悲しい存在。炎に自身が焼き尽くされようがそれで目的が果たせるなら構わないと、アイズにはそう感じ取れた。

 

 その日、アイズはクーフーリンという名前を知った。

 クーフーリンという悲しき復讐者の存在をアイズが心に記した日であった。

 


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