転生者と雪の花   作:yuykimaze

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聖者の右腕篇
1話


 

 

 

 

 

 ――人生の中で、少しだけ不思議な時間を過ごしたことがある。

 

 

 

 

 雪の降りしきる中。白く儚く失われた世界にて。綺麗な顔立ちをした虚ろな少女が1人、凍える指先の痛みもいとわずに無言で歩き続けている。感情を映さない大きな瞳は、ガラス細工のようだった。

 

「やっと、……追いついた…ッ!」

 

 荒い息と共に呟かれた、幼い声。

 思わず足を止めた。振り返った先にいたのは6、7歳ほどの少年だった。

 少年はゆっくりと肩で息を整え、安堵したように一息ついていた。

 そして幼い少女を気遣うよう優しく微笑み、少年は、小さな腕をまっすぐに少女に伸ばした。その瞬間、それまで無感動だった少女の瞳に初めて不安げな色が浮かぶ。

 だが、訪れた感触は、自身の右手に、優しく温かい、小さな温もり。

 虚ろだった瞳が、少年の行動に僅かに目を見開いた。

 

「母さんが足止めしてくれてるから、早く行こう」

 

 そんな少女の戸惑いに対して、優しく少年が告げる。その手を引っ張っていく。されるがまま、しかしお互いに言葉を交わすことなく、2人は降りしきる雪の中を歩いていく。

 そのままどれだけの時間、歩き続けたのだろうか――

 唐突に少年が足を止めた。迫り来る邪な気配に気づいたようで、少年は自分たちの背後を振り返った。

 風の新雪の助けもあって、2人の足跡は残っていない。匂いを辿ることも難しいはずだ。それでも誰かが自分たちの事を追いかけてきてると、少年ははっきりと自覚していた。少女もまた、優れた霊視力の持ち主だ。この先に待ち受けている運命を、今の一瞬に垣間見てしまったのかもしれない。

 少年はそれを見透かしたように微笑み、細い指先に力を込めた。

 確かな決意を瞳に宿し、少年は腕を少女の脇に通して、奥の肩をしっかり持って、自分の方に引き寄せた。そして両膝をもう片方の腕で持ち上げた。

 

「ここをまっすぐ行けば、高神の杜(たかがみのもり)ってところらしい。君はそこで獅子王機関(ししおうきかん)に護ってもらうことになってるんだ」

 

 不慣れな言語に、少女の理解は追い付かない。それでも彼といれば安全であるということは不思議と伝わってきた。

 

「だからそれまでは、絶対……俺が護るから。安心してくれ」

 

 力強い口調と共に、少年が地面を蹴った。

 何度も足を取られそうになりながらも、ひたすら真っすぐ懸命に少年は走る。

 引っかくような痛さを伴った寒風が少女を襲う。それでも不思議と心は温かかった。

 ――なぜ、自分の為に、ここまで少年は必死になれるのか……

 ほのかに心に宿り始めた温かい何かに疑念を覚えながら、少女は大きな瞳に少年を映し続けた。

 

 

 

 そう。これが彼との始まりの記憶。

 少女――姫柊雪菜(ひめらぎゆきな)が心を奪われた、淡い初恋の物語。

 

 

 

 

 

 

 東の水平線が仄かに白み始めたころ、誰もが見惚れる程の整った顔立ちの少女――雪菜は目を覚ました。

 野生の猫を思わせる動きでむくりと音も無く起き上がり、寝癖のついた髪をかき上げる。

 無防備に小さなあくびを洩らすと、目の端に涙のしずくが浮いた。

 それをぐしぐしと袖で拭く。実は雪菜は朝に弱い。意識がまだ少し朦朧としているせいか、やや大人びた冷たい美貌が、普段よりもずいぶん幼く見える。だから目を覚ますため浴室へと向かった。

 何度か二度寝しそうになるが、冷水のシャワーを浴びているうちに、少しずつ目が覚めてくる。

 浴室を出て、タオルで体を拭き、鏡に自分の姿を映す。体調は良好。しかし自身の華奢な体を見て、思わずため息が漏れる。牛乳飲もうかな、などとぼんやり考えながら髪を乾かし、真新しい中等部の制服へと着替え、誰もいないリビングで簡単に朝食を済ませる。

 

 チラリと時刻を確認すれば、時刻は午前六時を少し過ぎた辺り。時間にはまだ余裕がある。

 雪菜は壁に寄りかかるようにして置かれたギターケースに手を伸ばし、銀色に輝く金属製の槍を取り出した。それは納められたケースに相応しくない、正真正銘の武器。今年の15歳の少女にはあまりにも物騒な代物だった。しかし、戸惑うことなく少女は慣れた手つきでその槍を磨きにかかる。

 槍の名は雪霞狼(せっかろう)。なぜ少女がそれを所有しているのかと問えば、彼女は一般的な中学生とはかけ離れた存在だから。――剣巫(けんなぎ)。幼い頃から槍術や格闘術、未来視などの戦闘訓練を受けてきた、霊能者の素質を持った攻魔師。それが少女、雪菜の裏の素性。

 

 幼いある時期に、高神の杜という政府の国家公安委員会内に設置された特務機関――獅子王機関の下部組織である攻魔師として育成する養成機関に身を預けられ、そこで見習の剣巫として育てられたのだ。

 しかし、そこに至るまでの経緯を、少女はほとんど覚えていない。幾度となくはっきりと思い出そうとあせればあせるほど、つかみどころなくぼやけてゆく記憶の頼りなさに、何度顔を顰めたことかわからない

 

 でも――

 

「――ッ!!」

 

 はっきり覚えているものがある。脳裏に映し出された、一枚の写真のようにはっきりと浮かんでくる少年の姿。

 モノトーンだった世界を色づけてくれた、優しい笑顔。光のような、あの温もり。

 思い出した瞬間、熱湯を浴びたように顔が熱くなり、慌てて雪菜は頭を振った。気を紛らわすように再び雪霞狼を見つめる。しばらくすれば自然と攻魔師として表情を引き締めた。

  

 

 ――姫柊雪菜。獅子王機関の名において、この者の監視をしなさい。

 

 京都府の大江山に存在する全寮制の女子高がある高神の杜。そこにある神社の広い神殿に足を運んだ雪菜は、凛とした声でそう告げられた。それは絶対的な命令。逆らうことは許されない。

 その任務を遂行するべく、雪菜は京都から絃神島(いとがみじま)と呼ばれる東京の南方海上330キロメートル付近に浮かぶ人工島にやってきたのだ。そして絃神島と呼ばれるその島には、吸血鬼や獣人、精霊などの種族の魔族と呼ばれる者が住む「魔族特区」の1つとなっている。絶滅の危機に瀕した魔族の保護とともに彼らの肉体組織や特殊能力に関する研究が行われている場所なのだ。

 

 そんないわば魔族と人間が共存する世界で、監視対象者や魔族から身を護るためのもしもの対処法として送られてきたのが、この銀の槍。元々剣巫として呪力を高める訓練を積み上げてきた彼女の戦闘能力は、同年代でもトップクラス。それに加えてこの“神格振動波駆動術式(DOE)”と呼ばれる魔力無効化術式を組み込まれた唯一の武装“七式突撃降魔機槍(シュネーヴァルツァー)”の1つであり、対魔族戦に真価を発揮すると謂われている雪霞狼。古代の宝槍を核にした高度な金属精錬技術で造られているために量産できず、世界に3本しか存在しないそうだ。

 

 いずれにせよ、個人レベルで扱える中では間違いなく最強と言い切れる秘宝。大方これさえ持ち合わせていれば、もしもの戦闘には有利に事を運べるだろう。しかし、雪菜はそこではない他の面で、この任務自体に疑念を覚えていた。

 

 思い返すのは、雪霞狼と共に獅子王機関から手渡された一枚の被写体。そこに写るのは黒髪でくりくりとした大きな瞳をした、平均的に見れば整った顔立ちの男子学生。そこで一体なぜ未熟な自分にこのような任務が与えられたのかは理解できたが、しかし、わざわざ雪霞狼を持たせてまでの監視をしなけれなければいけない凶悪な相手には見えなかった。彼の今までの経歴も全てごくありふれたパーソナルデータでしかなかったのだ。しかし、これほどの武器を手渡すという事は、彼がよほど獅子王機関にとって危険人物であるとそう判断したからであることには違いない。――油断は禁物である。そう自分に言い聞かせて立ち上がる。それに――

 

「……そんなことないよね」

 

 胸に、あの時の少年の顔が遠い稲光のように明滅し、雪菜は慌てて頭を振った。磨き上げた雪霞狼をギターケースにしまい込む。よし、と気合を入れてギターケースを背負って玄関に向かい、靴を履き扉を開け監視としての任務がスタートした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あちぃ……焦げる」

「うるさい。いちいち言うな。こっちまで熱くなる」

 

 茜色に染まりかけた西の空からの強烈な日差しに、白いパーカーを羽織った男子高校生――暁古城(あかつきこじょう)が気だるげに唸る。それを不機嫌そうに咎め、これまた制服を着た少年――藤坂冬真(ひじさかとうま)は快晴の空を睨んだ。

 実はこの島は、暖流の影響を受けた気候のせいか、真冬でも20度を超える常夏の島なのだ。

 現在にして気温は約35度。おまけに湿度も高く、温度計の数値以上に体感気温は高い。

 今日は八月最後の月曜日だが、どうやら日光様はまだまだ元気なようで、殺人的な量を人類に浴びせている。

 

「しかし、吸血鬼って大変だなぁ」

「他人事みたいに言うな」

「バカ言うなよ、どう考えても他人事だろうに」

 

 ハァと古城の唇から重いため息が漏れる。それを慰めるわけでもなく、冬真は言葉通り見て見ぬふり。

 見ていてどこか同情は覚えなくもないが、いくら吸血鬼は日光に弱いとはいえ、それをどうにかできる手段をコチラは持ち合わせていないのもまた事実。大方太陽そのものを消せば万事解決するのだが。そんなことできるわけ……できそうだな。

 隣を歩く古城は第四真祖(だいよんしんそ)と呼ばれる吸血鬼。一国の軍隊に匹敵する戦闘力を持つと言われている正真正銘の化物らしい。彼ならきっと……それに、案外自分も破壊できそうだ。そう悲しい納得が心を満たした。

 

「おい、冬真。今日は凪沙がうちに来いって言って……なんでそんな悲しそうな顔してんだよ」

「……いや、俺はまだ人間だ」

「いきなり何言ってんだよ」

「いや、この暑さで頭がやられただけだ。で、その件は了解だと伝えて……」

 

 伝えておいてくれ。そう紡ぎかけた冬真の言葉が途中で止まる。言葉だけでなく足をも止めた。自然と古城の足も止まる。「どうした」という訝しむ彼の問いかけは頭には入ってこず、神経を別に張り巡らせるためそっと視界を遮断する為に目を閉じた。

 

(人数は……2人……でも敵意がありそうには感じないぞ)

 

 今日夕方までファミレスにいた冬真たちは、いつも通り友人と無駄話に華を咲かせたり補習の勉強をしたりなどありふれた高校生としての一日を過ごしていた。喧嘩やもめ事にも巻き込まれてはいない筈。それなのに、ジッとこちらを見続ける二つほどの視線。強い敵意は感じないが、先程から視線を縫い付けられたままというのは、多少の不快感を覚えなくもなかった。一体なぜこちらをコソコソと追い回してくる……これでは監視……

 

 ぽっと小さな豆電球に明かりが灯るように閃いた答えと共にそっと瞳を開けた。視界に映るのは、眩いほどの夕日。思わず目を細めたが、視線を隣の元凶にスライドした。訝し気に、しかしどこか心配な瞳を宿す親友を自然と睨み返す。

 

「おい、俺まで巻き込むなよ」

「は? いきなり何の話だよ! ってかさっきから黙り込んでどうしたんだよ」

「いや、なんか後ろの2人組に見られてんだよ。明らかにこっちをな」

 

 古城が半信半疑で振り返れば、後方15メートルくらい先に居た彩海学園中等部と高等部の女子生徒2人と目が合う。顔立ちの整った眩いほどの美少女だが、古城には全く見覚えがない。誰だ。訝し気に見続ければ、はっとした女子生徒2名は慌てて街路樹に隠れた。「ば、バレたよ!」とか、「ど、どうするの!?」など耳を澄ませばそんな慌ただしいひそひそ声が鼓膜に届き、古城の顔が引き攣った。

 

「……あれで隠れてるつもりなのか?」

「知らん。ってか、原因はお前だ」

「は? 俺?」

「当たり前だろ。どう考えてもお前だろうに」

「なわけあるか! 俺何もしてねぇだろ!?」

「……あほ。……吸血鬼なんだから判れよ」

「――ッ」

 

 ボソリと小言で呟かれた冬真の言葉に、閃光が古城の脳裏に走る。

 真っ先に浮かんだのは第四真祖――自分自身の体質の事だ。吸血鬼などこの島にいればありふれた存在だが、彼は少しだけ勝手が違う。彼は生まれながらの吸血鬼ではない。つい3ヶ月前に世界最強の吸血鬼などという非常識な肩書きをとある経緯で受け継いでしまったいわば異質的な存在なのだ。ただ本人がそれをひた隠ししている努力が実り、その真実を知る者は多くはない。この島で暁古城が第四真祖であるということを知っているのは、古城本人と、隣の冬真しかいないはず。

 それなのに……どう考えても厄介ごとの予感がひしひしと伝わってくる。最も、冬真からすれば、3ヶ月もよく監視一つ付かずに平然と街をウロウロしてたなと思ってはいたが。

 

「いや、でもそれは違うんじゃねえのか? 凪沙の知り合いとかだろ、多分」

「そうだと良いんだけどな。……どうする?」

 

 あくまでしらを切ろうとする親友に、どうする、と冬真は問いかけた。

 まだ尾行だと決まったわけじゃないだろ。と古城はささやかながらな希望と共に歩みを進めるが、歩幅を合わせて彼女達はぴたりと付いてくる。随分と気配を殺すのが下手ではあるが……これは確定だ。間違いなく尾行だ。そう結論付けた瞬間、思わず古城は頭を抱えそうになった。真祖の命を狙う魔族や賞金稼ぎというわけではなさそうに見えるがそれでも面倒な相手に違いなかったのだ。

 

「んで、どうすんだ? 巻くか?」

「……意外だな。お前ひとりで退散するのかと思ってたぞ」

「いや、そのつもりだ、じゃあな、古城! ――お元気でッ」

「あ、おいっ――!」

 

 頼むから置いてかないでくれ。そんな悲痛な叫びが聞こえなくもなかったが、冬真はその場から颯爽と去っていこうと脚に力を込めた。

 追っ手を撒く自信はあった。気配を消すことも得意だったから。それなのに――

 

「ま、待ってください! 藤坂冬真!」

「えぇっ!? ちょ、ちょっとゆっきーッ!?」

 

 何故か自身の名を叫ぶ少女の声に、えっ、と時が止まったように凍り付く冬真。踏み出した足も見事に止まる。

 狼狽したように最早隠すことなく声を荒げる片方の少女は兎も角、未だ混乱を露にしながら冬真はゆっくりとその中等部の少女に目を向けた。ベースギターのギグケースを背負った小柄な少女。迂闊に声をかけることを躊躇いたくなるような、近寄りがたい程に綺麗な美少女。だが、やはり見覚えはない……はずだ。

 もしかして……モテ期でもきたのか。最早トンチンカンな結論を結び付けて現実逃避している最中、少女はゆっくりとした足取りで冬真に近づき、少し大人びた固い声音でこう告げた。

 

「わたしは獅子王機関の剣巫です。獅子王機関三聖の命により、あなたの監視のために派遣されて来ました」

「……はい?」

 

 ……実に可笑しな話である。きっと彼女は盛大に勘違いをしてるのかもしれない。本来監視されるべき相手は向こうである。そう思った冬真は、戸惑いながらも問うた。

 

「あ、あの、吸血鬼退治はあちらでお願いできません?」

「いえ、わたしはあなたの監視を命じられましたので」

 

 バッサリと僅かな希望を切り捨てられ、監視の目は自分に向けられる宣言。

 そして獅子王機関。言わずもがな、聞き覚えのあるパワーワードに思わずガクリと肩を落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え、えーっと。わ、わたしはあなたの監視役に任命されました。第四真祖、暁古城さん……ですよね?」

「……ワタシ、通りすがりのイタリア人です。日本語、よくわかりません。オー ヴォワール! ジュ ヴゥ ルメルスィー!」

「……それフランス語ですよね?」

「……」

「それ以前の問題じゃねぇか、お前」

 

 

 

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