日々が、何事も無いかのように物静かに過ぎていく人生を過ごしていた。それでも自分なりに重量感を伴わずひらひらと自由に生きようとした。そんな矢先だった。フィルムが切れるみたいに突然ぷつんと人生が終わった。十四歳だった。原因は衝突事故。轢かれそうになっていた少女を助けて、身体ごと吹き飛ばされたのだ。
生命への執着などほとんどなく、皆が等しく持っている根源的な『死』への恐怖はあまり感じなかった。それ程までに一瞬の出来事だった。今でこそ思うが、随分といい加減な死に方をしたものだと思う。親孝行など何一つすることなく順番を間違えて先に旅立ってしまったのだから。でも、あの女の子を救えたのなら、それで……
――蘇生しました。
そんな時声が聞こえた。若い女性の声だった。ただし全く感情の籠ってない。それでも確かに女性はそう告げた。まさにそれは彼の人生を大きく変えた青天の霹靂。枯れた花から種が落ちるように、あっけなくこの世を去ったはずの自分に与えられた第二の命。そして、転生。
なぜ自分だけがそれを許されたのかはわからない。でも許されたからには次こそはと、雑草のようにしぶとく生きる決意をし、この『ストライク・ザ・ブラッド』という未知の世界に足を踏み入れた。
そうして藤坂冬真の第二の人生がスタートしたのだが、しかし、始まってみれば何もかもが白紙へつく墨のように目新しい経験ばかりだった。尤もそれは当たり前のことではあるのだが、デジャブと言ってもいいくらいありきたりなストーリーを過ごしていた冬真にとっては、魔族や魔術。自身の可笑しな身体能力に霊力。そして巫女装束の母親の存在。どれも新鮮な気分だった。何より前世でもそうだったが、優しい母親だった。
転生者としてこの世界に迷い込んだ自分を受け入れ、彼女――
雪の降りしきる中。走った。唯ひたすら走った。雪の中を心臓が破裂しそうに脈打っても、肺が悲鳴をあげようとしてもとにかく走った。真っすぐに。一つの命を護り、走った。そしてその日、彼女は消えた。
理由はわからない。でも、この世から消えたことは確かなのだろう。あの日を境に彼女は帰ってこなかったのだから。
幾度となく自分の内臓を噛み潰してやりたいほど後悔した。感謝もろくに言えずに、何もできない自分の不甲斐なさに苛立ちが募るばかりだった。勿論生きてるかもしれないと自分でも探した。しかし、八年経った今でも消息は不明のままだった。唯一の手掛かりは、彼女は巫女で剣巫だったということ。そして獅子王機関に所属していたということ。
だからその言葉を耳にするたびに、魂の奥深くに畳み込まれていた記憶が呼び起こされる。
――あの子は、今頃元気でやっているだろうか。
もう記憶を歳月という風雪が埋めつくし、顔は余りはっきりと覚えてはいないが、それでも綺麗な女の子だったことは確かだった。宝石のように大きな黒の瞳に黒髪の――
「――先輩!」
「――ッ!?」
思い描いていた過去の短編小説の世界から、強い口調に半ば強引に意識を戻される。はっとした冬真は夢からさめたように前を見ると、心臓が止まるかと思うほど美しい美貌の少女がムッとしたような表情をしていた。
「もうっ、冬真君! さっきからボーっとし過ぎ!」
現実を超越した圧倒的に美しい世界に見惚れていれば、これまた攻撃的な声音が飛んでくる。導かれるように視線を向ければ、大きな瞳が印象的な表情の豊かな少女が瞳に映る。長い髪を結い上げてピンでとめた顔立ちはまだ幼さを残しながらも、可愛らしい女の子だ。
「あーっ、悪い。それで、なんだっけ? 凪沙」
意識がだんだんあるべき場所に戻り、身体の感覚が通常に復してきたところでそう長い髪を結い上げた少女――
「ホントに何も聞いてなかったんだね!? まったく、古城君もそうだけど冬真君もしっかり人の話は聞いてよ! 昔っからいつもそうなんだから」
「わ、悪かったよ。それで、なんだっけ?」
「……ハァ、だ・か・らっ 唯里ちゃんと雪菜ちゃんとも夕飯一緒になるけどそれでいいのかって聞いてるの!」
「は、はい……俺は大丈夫です」
年下のおっかない剣幕に姿勢を正して素直に頷く冬真。
『唯里』『雪菜』と聴き慣れない人名に思わず首を傾げそうになったが、すぐさま合点がいった。
茶髪のセミショートの高等部の制服を着た少女――
「あっ、雪菜ちゃんは好き嫌いとかある?」
「い、いえ、特にはありません」
雪菜ちゃんと呼ばれた中等部の制服を着た黒髪の美少女――姫柊雪菜。彼女もまた冬真の監視の為に獅子王機関から派遣された剣巫らしい。唯里の話によれば見た目とは裏腹に戦闘能力はかなり高いらしく、かくいう唯里もまた、何気なく行われている呼吸や歩行など日常的な立ち振る舞いが物凄く洗礼されてるように冬真の目からは感じた。それはどことなく母親の美しい所作に似ており、やはり、訓練の賜物なのだろうと感心していた。しかし――
「なんで俺なんかに監視なのよ……」
それが冬真の疑念を強くした。暁古城の監視の理由はわかる。なんせ第四真祖なんてバカげた肩書を持ちながらも本人は全く以てその自覚がないのだから。危なったらしくてしょうがないと上層部は感じたのだろう。しかし、藤坂冬真はどうか。見た目は兎も角、肩書はごく一般的な学生という身分。しいていうならほんの少し、平均より身体能力が高いだけ。地面を殴れば五十メートルほどの些細なクレーターができるくらいのものでしかない……
「……やっべ……それって人間じゃ無くね?」
「先輩?」
「えっ? あ、いや、なんでもない」
不思議そうに首をかしげる雪菜に、大げさな身振りで応え思考を中断する。
兎に角今は、現状大人しくしている他はない。なんせ彼女のギターケースの中にはとんでもない武器が入っているのだから。下手に動けばサクッと刺されてお陀仏である。正直命が惜しい。
「よしっ。じゃあ、さっそく作っちゃおう! 良かったよ、いつもより多めに買い物しといて!」
「あっ、わたしも手伝うよ、凪沙ちゃん」
「わたしもお手伝いします」
凪沙の快活な声に誘われ、女性陣が揃ってキッチンへと赴く。
そうしてリビングに取り残された古城と冬真は、まず現状確認から会議を始めた。
「古城。これかなり面倒な事になったぞ」
「……ああ、というより認めたくはないがなんで俺だけじゃなく冬真まで監視なんだ? ……お前まさか魔族だったのか?」
「あーっ、いや、普通の学生のはずなんだけどな……」
どこか心理的抵抗を感じながらも核心をつく質問に、遠い目で何かを諦めたような顔で濁す冬真。訝し気に「冬真?」と呼ばれ、なんでもないと首を横に振った。
「兎も角、これからどうする……といっても今更か」
「ああ、完全な包囲網だろ、これは」
間違いないと冬真も神妙に頷いた。
今彼らがいる場所はありふれたマンションの一室。そして暁家でもあった。
冬真がこの場所に居合わせたのは、古城の妹である凪沙に夕飯の御呼ばれをしたから。元々昔からの知り合いで現在隣の住人というだけはあり、決まってほぼ毎日この一家にお世話になっているのだ。まあ、凪沙が冬真の私生活を見過ごせなかったのが理由の大方を占めるが、本日こうして暁家にお邪魔するのは何の問題もないあり触れた日常である。
しかし、その日常を脅かす人物が約二名ほど紛れこんでいた。それが唯里と雪菜である。
あの監視役だと告げられた夕方の帰り道に、奇しくも凪沙と偶然遭遇してしまい、そこで意気投合。転校生で、ましてや同じマンションに住む住人だと認識した途端、凪沙が輝かしい目つきで話し始めたのだ。もともと凪沙は裏表のない、真っすぐで人懐こい性格だ。それを受け取った2人も警戒心を解けば、台本が有って何度も稽古したみたいに息が合い始めていた。お互いちゃん付けに呼称が変わるほどに。
その勢いで凪沙の口から夕飯を一緒に食べないかという誘いが零れ――こうして今の現状に迄至るのだ。
「あんだけ仲良くなって適当に俺たちが対応したら、凪沙絶対怒るだろうな」
「……おい、よせよ。鳥肌立っちまったじゃねえか」
忌まわしいあの日の記憶が古井戸の底から這い上がってくるように甦ってきた瞬間、ブルッと冬真が身震いした。凪沙は確かに真っすぐな性格で他人の悪口など滅多に口にはしないが、怒らせたときはかなり怖い。中学時代、友人が持ってきたエロビデオを暁家で鑑賞しようとしたが、凪沙にそれが見つかり、彼女の怒りが嵐のようにその持ち主に襲ってきたのだ。しかしいつの間にか、持ち主やその場に居合わせた兄より、何故か怒りの矛先は冬真に向けられ、「ヘンタイ!」「スケベッ!」「信じられないッ!」等様々な苛烈な言葉攻めによって女性恐怖症になりかけたほどである。
「……ハァ。取り敢えず、俺たちも手伝おうぜ」
「そうだな」
自然とキッチンに視線を移した。なぜか鍋にマヨネーズをぶち込もうとする雪菜に唯里と凪沙がそれを阻止しようとする危なげなクッキング姿が目に入り、古城と揃って顔を引き攣らせたが、それよりも冬真はふと雪菜にどこか既視感みたいなものを覚え始めた。少し、母親の面影があるように思える。それに、彼女とどこかで出会ったことあるような……ないような……
まあ、いいかと暗い森の中をさまよっていた思考を中断し、揃ってキッチンへと足を運ぶ。こうして、まるで時なんて流れていないかのようにいつまでも昔と同じだった風景に、少しづつ変化が訪れていくのだった。
「……んで、なんでここにいんだよ、アンタ」
「――なに、せっかくの弟子がしっかり対象者に近づけたのか見に来たんだよ」
悪戯っぽく目を細めた一匹の猫が艶やかに澄んだ声を発した。場所は冬真のマンションの一室。玄関を開けてリビングへとたどり着けば、そこにいたのは、しなやかな体つきの美しい一匹の黒猫。本来ならこのマンションはペット厳禁だが、この場にいることも、猫がしゃべる事にも驚かず、冬真は不機嫌な顔つきでソファに腰かけ猫を睨んだ。
「ったく。やっぱりアンタかよ。姫柊と羽波をこっちによこしたの」
「ふふん。イキのいいのがちょうどいたからね。なに、雪菜に関しては坊やの好み通りだろう?」
「やかましいわッ! 今それは関係ないだろ! ってか監視いらねえだろ俺に!」
思わず声を荒げる冬真に、猫はクスッと愉快そうに笑った。
「――似てるだろう? 冬佳に」
「……話変えんなし。……まあ、そうだな。少し、母さんの面影を感じたよ」
心の底から湧きあがる懐かしさに目を細め、ふいに感じる寂しさに感傷的になる冬真。猫はそれを見透かしたように真剣な口調に変わった。
「――すまなかったね。冬佳のことは――」
「……いや、いいよ、別に。もう、気持ちの折り合いはつけてるつもりだから。それに、いつまでも引きずってたら怒られるし」
カラカラと明るい声で笑う冬真。しかし糸のように細く引いたかすかな淋しさは拭いきれなかった。母の失踪からもう月日が流れる。それでもあの優しい時間は鮮明に脳裏に焼き付いていた。例え血の繋がりがないのだとしたって、冬真にとっては大切な時間だったのだ。
「ってかその為に監視つけたのか? わざわざ姫柊を」
「ふふん。そのことはいずれ追々だね」
「なんだよそれ……母さんと言い、どんだけ俺に何も教えてくれないのさ」
不貞腐れたように口を尖らせる冬真に、猫は金色の瞳をどこか彼方に向けた。
「なに、冬佳は剣巫である前にアンタの親になることを選んだんだろう。ま、余計な首は突っ込むなってことだね」
「へいへい。そーかい。んじゃ勝手に調べるからな」
「パソコンすら使えない坊やに何ができるのさ」
「うぐっ……いいし、別に。捜査は足で、だからな」
「そうかい。そりゃ頑張ることだね」
ああ、やってやるよ。意気込んでコップ一杯の水を注ぎ口に含んでは、気持ちが空回りして盛大にむせる冬真。猫は次第に静かに見つめていた金色の瞳を細めて、大きく口を釣り上げて笑った。――アンタの息子は元気だよ、冬佳。
そうして満足そうに猫は姿を消した。
翌朝、部活に向かう凪沙と監視役の雪菜と唯里と共に、彩海学園に訪れるために冬真はモノレールに乗っていた。夏休みだというのにわざわざ学校に通わなければいけない億劫さに嫌気を覚えながら、冬真は車窓に映る海辺の風景が流れていくのをどこか遠い目で眺めていた。
「先輩。すみません。付き合わせてしまって」
「いや、いいよ別に。ってかあれを見せられたら黙っていられないって」
申し訳なさそうな雪菜に、苦笑気味にそれに応え今朝の雪菜の部屋の惨状を思い出す。彼女の住まいは冬真や古城の住むマンションの隣の部屋『705』室。獅子王機関の命令でそこに移り住むことになったそうだ。唯里もその隣に部屋を借りて住んでいる。恐らく監視がしやすい環境だからであろう。そこまでは百歩譲って許容範囲ではあった。しかし、許容範囲を超えた問題は雪菜の私物の少なさで、布団すら彼女は持ち合わせていなかったのには流石に絶句。二の句も告げなかった。
彼女曰く、監視をする以上、一人で買いに行くという選択肢はないらしい。おまけに昨晩は段ボールで寝ていたらしい。
その時はすかさず唯里にもの言いたげな顔を向けたが、「あははは……」と彼女は頼りなく笑うだけ。どうやら雪菜は昔から少し融通の利かない性格のようだ。そのためまずは転校手続きを終えてからこの周辺の案内を兼ねて、こうして学校に赴いているのだ。
「いいなぁ。凪沙もお出かけしたいよ」
「なら部活サボって一緒に行くか?」
そんな苦労を露ほども知らず、羨ましそうな凪沙の声が届く。思わず冬真は意地悪く笑い、そんな提案をする。
「あたしは冬真君みたいにサボり魔じゃありません」
「おい、こら。人聞きが悪い。誰がサボり魔だ。真面目に学校には行ってるだろ俺は」
学生として最早当たり前のことを誇らしげに胸を張る冬真に、凪沙は心底呆れたように深い溜息を吐いた。恐らく遅刻や欠席の常習犯である兄と差別化を図ろうとしているのだろうが、
「学校に行ったって、授業中どうせずっと寝てるじゃん。凪沙昼休みすら忘れて眠りこけてるおバカさん何度も見てるんだからね?」
「うぐっ。そ、それは偶々だろ」
「
「……すみません」
ますます強くなる非難めいた彼女の眼差しに加えられた友人の証言のあまり、反論できずに素直に平謝りする冬真。最早年上としての威厳や立場などあったものではない。ましてや冬真は転生者であり、実年齢は彼女よりさらに上なのだが、それでもこの少女に口で勝てる日が訪れるなど微塵もこの先なさそうに思えた。
「先輩。もっと真面目になさったらどうですか?」
「うん。流石にそれはダメだと思うよ」
「……以後気を付けます」
ふと気づけば駄目なものを見る視線が更に集まっていた。くそっ、こんな時にあの白パーカーの同志がいれば。と悪友に毒を吐きながら実に身を縮めて居心地の悪さを感じていると、「あっ」と唯里が何かを思い出したように声を上げた。
「凪沙ちゃん。昨日借りたやつの返却は今日の凪沙ちゃんが帰宅してからでも良いかな?」
「あ、うん。全然大丈夫だよ。それで、どうだった? 面白かったかな? 私すごく好きなんだぁ」
「うん! 凄く面白かったよ! 特にあの最後の場面は――」
浮かれたような熱を帯びた眼差しで唯里は何かを饒舌に語り出し、凪沙も負けじとまくし立てる様に応えていた。おしゃべり好きな凪沙はまだしも、どこか優等生を滲ませた雰囲気の唯里が興奮気味に話す姿には、流石に意外感は禁じえなかった。呆然と冬真がポンポンと彼女たちの言葉のラリーを眺めていれば、
「昨日凪沙ちゃんが貸した少女漫画が原作の映画のDVDのお話みたいです。そういったお話が唯里さんは好きみたいで」
「ああ、そゆこと」
雪菜の小言に納得だと冬真は頷いた。特に唯里は周囲に男性の少ない環境で育ったことも重なり、少女漫画のような恋愛に強い憧憬を持っているらしい。まあ、その趣味を貶すつもりはないが、冬真からすればチョコレートとハチミツを混ぜた様な甘ったるさに思わずアホらしいと思ってしまうが。今ここでそれを口に出せば火に油である。
「いいよね。わたしもあんな恋愛してみたいなあ」
「うんうん。わたしも憧れるよ」
「あれ? でも凪沙ちゃんって――」
「――ッ!?」
何かを語る前に唯里の口を慌てて小さな手で覆い言葉を霧散させる凪沙。見ればほんのりと頬を紅潮させて首をブンブン振っていた。その気迫に慌ててコクコクと唯里が頷けば、そっと凪沙は手を放し、ぷくっと可愛らしく頬を膨らませた。
「むー、唯里ちゃん」
「ご、ごめんね? ついつい……でも、そんな素敵な出会いがあって凪沙ちゃんは羨ましいなぁ」
「うぅ……は、恥ずかしいからやめてよ」
凪沙をどこか羨ましそうでいて、柔らかい目色で見つめる唯里。特別揶揄っての言葉ではないが、凪沙は羞恥あまり顔を真っ赤にしてうつむいていた。『素敵な出会い』という単語に凪沙の赤面。時たまチラリとこちらを伺うように向けられる凪沙の恥ずかしそうな視線。冬真の頭にある一つの結論が導き出された。
「凪沙、お前、そんなに(映画)好きなのか?」
「――えっ?」
不意に顔を上げる凪沙。虚を突かれたように沈黙が訪れ、そしてわかりやすいくらい凪沙は赤面した。
「ちっ、ちち違うよ!? これは映画の主人公の話をしていただけで、べ、別に冬真君の事話したわけじゃないよ!?」
「えっ? あ、ああ。俺そのつもりで聞いたんだけど。というよりなんでそこで俺が出てくるんだ?」
「へっ!? う、ううん! な、なんでもない!」
「いや、なんでもなくないだろ。顔真っ赤だぞ、お前」
「あ、赤くなんてなってないもん! い、いいからこっち見ないでよっ、冬真君のバカッ!」
「お、おいっ……」
耳まで赤く染め上げた凪沙は勢いよくプイッと怒ってそっぽを向いてしまう。冬真はその真意を測りかねて困惑を顔に表した。
「凪沙……反抗期かな」
「……先輩。少し唯里さんの少女漫画でも借りたらいかがですか?」
「……わたしもゆっきーに同意かな。良かったら今日オススメの漫画持って行くね」
「いや、俺がそんなの読んでたらおかしいだろ。というよりそれだったら古城に貸してやってくれよ。あのバカとことん人の好意には鈍感だからな。乙女心を勉強させるには丁度良い教ざ……な、なんだよ?」
あるクラスメイトの片思いに毛ほども気付かない
「いえ、ただこれでは凪沙ちゃんが気の毒だと思いまして。唯里さん」
「そうだね。今日藤坂くんの部屋に持ってくね?」
「だからなんで俺なんだよ」
ハァと深々と嘆息し謎の団結を見せる2人。不意に凪沙を見れば、座席に座った彼女としっかりと目が合う。が、彼女は慌ててスポーツバックで視線を遮る。最早1人状況についていけない冬真は、思わず天を仰いだ。
彩海学園は、中高一貫教育の共学校だ。生徒数は合計で1200人弱といったところ。都市の性質上、若い世代の人口が多い絃神島では、ありふれた規模の学校だと言える。しかし、慢性的な土地不足は、しょせん人工物である絃神島の宿命で、学園の敷地も、広々としてるとは言い難い。体育館やプールなど多くの施設は中等部と高等部の共用で、そのため高等部の敷地内で中等部の生徒を見かける機会も意外に多い。だから中等部の学生と食堂で昼食を取る事などさほど珍しい光景ではないのだが、それでも好奇の視線が冬真に集まるのは誤算だった。
「……夏休みとは言えミスったな。計算外だ」
「先輩?」
居心地悪そうに呟かれた冬真の言葉に、可愛らしくサンドイッチをほうばる雪菜が不思議そうに小首をかしげてくる。どうやら彼女はこの惨状をあまり気にしていないようだ。
「……気になんないのか? 視線」
だから思わずそう訊いてしまう。
「えっ? あ、ああ、そうですね。気にはにりますけど、でも気にしすぎも良くないのでは? 恐らく見ない顔が物珍しいだけでしょうし」
「……本気で言ってる?」
「え? は、はい。そうですけど」
何か可笑しなこと言いましたか、と頭に疑問符を浮かべて純粋に聞いてくる雪菜に、冬真は即座に物言いたげな顔で唯里を見た。そして返ってきたのは苦笑い。
「え、えっと、ゆっきーはちょっと天然なところがあるから……」
「いや、羽波もだろ」
「えっ、わ、わたしも? ど、どうして?」
「どうしてって……ま、マジか」
自分の事を指さしキョトンとする唯里に、冬真は顔を引き攣らせた。
三人、特に雪菜と唯里が食堂に入った瞬間、騒がしかった食堂が氷の詰まった部屋のように冷ややかに静まり返ったのは記憶に新しい。あるトレーを持った男子学生はトレーを落とし、ある女子生徒たちは己の時を止めて箸を持ったまま固まり、ある食堂の接客する者も接客を忘れて行く先を呆然と眺めていた。それ程までに白く透き通った艶かしいまでに美しく可愛らしい顔の2人に見惚れてしまったのだろう。
ただ、唯里は居心地の悪そうな顔ながらもその原因は雪菜だと思い込んでるようで、雪菜もまた物珍しい顔だからと的外れな結論を結びつけ、全くお互いが無自覚であり無頓着なのだ。
高神の杜ではほとんどの時間を訓練に充てていたせいで、そう自覚する機会が少なかったのだろうか。
「……わ、悪いな。待たせたな」
疲労感を顔に露わにしながら遠慮気味にかけられた声に、冬真は目の前のうどんが入った器からふと顔を上げた。
「おせーぞ古城。もうみんな飯食ってるぞ」
そこには白パーカーを羽織った少年。ようやく補習から無事帰還を許されたようだ。他でもない、わざわざ食堂で昼食を食べたのは彼を待っていたからだが、約束時間より三十分以上も待たされた冬真は急かすように睨み古城に言う。
「あ、ああ。というより冬真。お前なんかしでかしたのか?」
「は? いきなりなんだよ」
「いや、だって隅にいる割には目立ちすぎじゃないか? 正直声かけにくかったんだが」
「あー、まあ、それは、察してくれ」
チラッと周りを盗み見るなり説明を請う彼の視線に、視線で雪菜と唯里が原因だと促せば、ああ、と納得したように頷いた。しかし、冬真には納得のいかないことが一つ。
「……というより何でこの三人の中で俺が何かしでかしたと思ったのか問いただしたいな」
「……じゃあ、俺食券買ってくるわ」
「そうか。なら先行ってるわ」
「おいっ」
「はあ、ならさっさと買ってこいよ。もうこの視線には耐えられん」
「あ、ああ」
置いてくなよ、という睨みを利かせた彼の視線を無視して、ため息交じりに冬真はコップに入った水で咽喉を潤す。
「そういえば、先輩。この後はどちらに向かわれるのですか?」
「そうだな……まずは日用雑貨店だな。あそこのホームセンターでも行ってみるか。手っ取り早く揃えるには丁度良いだろうし」
「あの、先輩……」
うんうんと手に顎を添えて一人納得する冬真に、何故か不安げな姫柊の声が意識に届き、思考を中断して雪菜を見返した。
「ん? どうした?」
「いえ、その、『ほーむせんたー』とは、どのような場所なのでしょうか?」
「――は?」
今度こそ冬真はポカンと口を開けて固まった。
本土から遠く離れた学究都市である絃神島には、怪しげな道具や薬品を扱う闇店舗も多いが、ホームセンターは本土にもあるごく健全な日用雑貨店である。しかし、雪菜は生まれて初めて目にした巨大な店構えを前に困惑を表していた。
「こ、ここが、ホームセンター、ですか……」
「いや、そんな身構えんでもいいだろうに……」
何故か露骨に警戒の表情を見せる彼女に、呆れた様な困ったような表情で苦笑する冬真。
「……というよりなんで俺まで」
「バカ言うなよ。羽波が買いたいものあるって言ってんだから、お前ついてかないと監視できないだろうに」
「ま、まあそうだけど。後で適当に誤魔化せばよくないか?」
「その、ご、ごめんね? つき合わせちゃって」
暑さと追試の疲れが相まって気怠そうに言う古城に、申し訳なさそうに謝る唯里。そこまで本気に謝られるとは思わず、ぎこちなく古城は視線を泳がせた。
「あーっ、なんだ。どうせ暇だったからいいよ」
「う、うん。ありがとう」
ニコッと可憐な笑顔を咲かせる唯里に、照れ臭そうに頭をかく古城。
気持ちはわかるぞ、と心中で同意しながら、店内へと入っていく。唯里は他の物を買いに古城を連れて目的のものを探しに向かい、冬真も陳列されたものに目を丸くして固まる雪菜を引っ張ってベッドなどの寝具から回ろうとお互い自然と別れる形で別行動になった。
「これは何という武器ですか?」
「いや、それは野球のバット、スポーツ用品だって」
「スポーツ? これをどう使うのですか?」
「あー、そうだな」
真面目に訊いてくる雪菜に、冬真は困惑気味に周辺をキョロキョロして、牛革に赤い糸が縫い合わせられたボールを探し手に取った。
「簡単に言えば、少し距離を置いて相手が投げてくるこのボールをそのバッドで打って点を競う競技に使う感じだな」
「なるほど」
神妙に頷く雪菜は、次々と真新しいものを好奇心の宿る瞳で手に取っていく。それに応えながら漸く寝具のコーナーまで辿り着いた時、自然と冬真が口をついた。
「姫柊はさ、もしかして誰かとこうやって買い物するのって初めて?」
「えっ?」
ベッドの柔らかな触り心地を楽しそうに触っていた雪菜が、驚いたように振り返った。
「あ、いや。なんか、楽しそうだったから」
どこか楽しそうな彼女の様子に、つい本音が漏れる冬真。雪菜は思わぬ指摘にほんのりと頬を紅潮させた。
「す、すみません。つい浮かれてました」
「えっ? あ、いや、違うって! 別に咎めてるつもりはなくて、ただ単純に疑問に思っただけだ」
何故か反省を瞳に宿す雪菜に、冬真は慌てて手振りで否定した。
「そ、そうですか。すみません、早とちりしてしまいました。そうですね、先輩の疑問には『はい』です。高神の杜ではあまり外出をすることがありませんでしたから」
「……そっか」
平然と応えベッドに視線を戻す雪菜だが、冬真は複雑な表情に変わった。
――高神の杜。少なくとも一般人よりは内部事情に精通して居る冬真ではあるが、その裏の実態を完全に把握しているわけではない。彼の耳にした限りでは非人道的な訓練等はなく、しっかりと本人の意志や自由はあると説明は受けてはいたが、どこか世事に疎い雪菜のような子が少なからずいるのなら、まだ知らない彼らの裏の顔があるのかもしれない。
――なら、あの子は突然そのような場所に身を預けられ、幸せだったのだろうか。
ふとよぎった疑念が迷路のように複雑に心に浸透する。
「……ぱい、先輩――!」
「――ッ!? な、なんだ?」
「いえ、ただ先程から何か思い詰めた顔をしてたので。何か考え事ですか?」
「あ、ああ。まあな」
ハッとした冬真は余計な思考を捨て、雪菜の選んだ布団をカートに乗せた。そうして寝室用のカーテンやバスマット、トイレのスリッパにコップ、歯ブラシ、マグカップを購入し、今日の買い物は終了。後はレジに向かうだけだが、冬真は不意に足を止めて「なあ、姫柊」と呼びかけた。雪菜も不思議そうに揃って足を止める。
「また良かったら、一緒に買い物行かないか?」
「えっ」
キョトンと目を瞬く雪菜。その視線に耐えかねた冬真は、照れ臭そうにポリポリと頬をかきながら、視線を泳がせた。
「ああ、まあ、といってもどうせ監視だから俺が行くって言ったら付いてくるんだろうけど、さ」
チラッと彼女の様子を窺えば、しばらくして彼女からクスッと笑い声が漏れた。
「もしかして気を使ってくれてますか?」
「ま、まあ、でもあれだぞ。無理強いする気はないからな?」
「ふふっ、いえ」
彼の気遣いに心がほのかに温まり微笑みが浮かぶ雪菜。
「では、お言葉に甘えて、またこうしてお買い物に連れて行って下さい」
「ああ、またな」
ニコニコと嬉しそうな彼女に、ドキッとしながら冬真は頷き彼女を連れて唯里と古城の合流先に向かった。
「そう言えば、2人とも支払いの方は経費みたいなので賄えたのか?」
しばらく観光がてらブラブラと街を四人で歩き、赤い硝子球のような夕日に時刻が移り変わったところで帰宅する為にモノレールに乗り込んだ一同。そこで今更ながらに冬真がそう問いかければ、雪菜は淡々と頷いた。
「はい。必要経費を前払いしてもらった支度金がありますから」
「う、うん。……そうだね」
なぜか気まずそうに遠い目で、唯里は視線を車窓から見える海に向けていた。冬真が不思議そうに唯里に話しかける。
「羽波? どうした?」
「ちょっと現実逃避も必要かなって思って」
「現実逃避?」
意味が解らず訝し気に古城と顔を見合わせる。するとそれを察したように雪菜が頷いた。
「恐らく対象が第四真祖相手なので、金額も跳ね上がるのではないかと思います」
「な、なるほど。つまり古城のせいってわけか」
「俺ッ!? 俺のせいなのかッ!?」
納得がいかないと絶叫する古城を無視して、冬真は好奇心が赴くままに唯里に問いかけた。
「因みにいくらとか言える?」
「ええぇっ!? え、えっと、その……」
ボソリと問いかけられた唯里は、驚愕を染めて周囲を勢いよくキョロキョロと見渡した。もう、その様子が不審度を高めているが、彼女の様子から余ほどのお金が支給されたらしい。
ますます気になってしまう。内心でゲスイ笑みを浮かべながらもじーっと彼女を見つめていれば、観念したのかそれとも心労を共有してほしかったのか、意を決したようにボソリと彼女の艶やかな唇から言葉が漏れた。
「……いっ…まんです」
「えっ? 一万? 少なくない? ってかそれさっきので使っちゃったんじゃ――」
「ち、違います! いっ、一千万です――ッ!!」
モノレール車内に、その音は一条の雷鳴の如く響き渡った。
誰もがその音の発信源と行く先を見て、少女はハッとしたように慌てて口元を覆い隠した。
しかし、口に出した言葉が戻ってくるなどなく、当然周囲の者は『1千万』という大金と少女を結び付けたようで、一斉に叫び出した唯里に視線が固定される。降り注ぐ視線に少女の頬は見る間に真っ赤に染まっていく。
「!!!!!」
声なき絶叫。涙目で必死に首を振り、何でもないですッ――。身振り手振りで誤解であると全身で表わす彼女。
そして挙句の果てには近くにいた古城のパーカーをちょこん、と掴み、――助けて。泣き叫ぶように懇願してくる。必然的に古城の視界には、羞恥で潤んだ瞳を向けて必死に懇願する上目遣いが突き刺さる。それが小動物を思わせ何とも可愛らしく、思わず古城も顔が熱くなるのが分かるが、しかし、この状況はもう耐えろと言う外ないだろう。
古城は何も解決策が生み出せないまま、時間だけが過ぎていこうとした時――
「ふーん。随分と仲がいいのね、あなた達」
「あ、あさ……ぎ……さん?」
九死に一生とはこのことだと、振り返った先で待っていたのはまた窮地。制服を粋にこなし華やかな顔立ちの少女――
「さっきから騒がしいと思って来てみれば、そう言う事?」
低く怒りを押し殺したような声に彼女の視線がある一点に固定される。その視線を辿り、彼の服の裾を握っていた唯里は咄嗟に勢いよく手を放した。
「あ、いや、これは色々あったというか、なあ?」
「へっ? あ、は、はい」
あまりの彼女の圧に、唯里はコクコクと怯えながら頷く。しかし、先程の醜態に古城に泣きつく様が脳裏にフラッシュバックしたようで、唯里は頬を両手で抑え恥ずかしそうに俯いてしまう。
浅葱は思わずピキッ、と額に青筋を張り、今度こそ核心をついた。
「あんた達、付き合ってるの?」
「ば、ばか、ちげえよ。この子は今度うちのクラスに転校してくるんだよ。しかも住まいが近所だったから知り合っただけだ」
「……そうなの?」
「あ、ああ」
不審に眉を寄せたままの浅葱の視線が、じっと今度は唯里に向けられる。警戒心を孕んだその瞳に、唯里は思わず息を呑んで背筋をただした。
「は、はい。あ、あの、羽波唯里です。さっきのはその、わたしがドジを踏んでしまって、暁君に助けてもらっただけです。本当に、他意はありません」
ペコッと頭を下げてから、真っすぐに浅葱を見返す。
唯里の弁明はほぼ正しい。ただそれを受け取っても未だ浅葱は警戒心を解かず、再び古城に説明を請う視線を移した。
「それで、なんでその羽波さんとアンタが一緒にいるわけ?」
「あー、いや、た、偶々学校で会ってな」
「は、はい。それで……その……」
「まあ、浅葱落ち着けって」
視線を明後日に泳がせる古城に、消え入りそうな声で必死に言葉を探す唯里。
それを見ていられなくなった冬真は、堪らず割って入った。元々この騒動の発端は冬真の下種な勘繰りな為、少なからず罪悪感はあるのだ。
「ああ、いたのね、冬真」
どうやら彼女には視界にすら入れられていなかったらしい。やれやれと扱いの差に冬真は肩をすくめた。
「随分なご挨拶だな。ったくお前どんだけ惚れた男に――ぐえっ!?」
「な、ななな何言ってんのよ、アンタ――ッ!!」
瞬時に冬真の言葉に反応を示した少女が、鉄拳を冬真の腹に叩き込む。カエルでも引いたような奇妙な声を上げ苦悶の表情で腹を抱え込む冬真。その悶絶する彼を見下ろしてもなお、同情する余地もなく少女は真っ赤な顔で睨みを利かせた。しかし、先程までの気迫は感じない。
「あ、アンタねぇ、わ、私は別にこ、古城の事なんて……」
「お、俺が何だよ」
「な、なななんでもないわよッ、古城のバカッ!」
「は、はあ……?」
怒鳴り散らした彼女はそのまま車両から去って行く。古城はそんな彼女の後姿を見送り、意味が解らないと怪訝に首を傾げた。
「なんだアイツ」
「ご、ごめんなさい。わたしのせいで誤解を生んじゃったみたいで……」
「誤解?」
なぜか悄然としている唯里を、古城は不思議そうに見返した。そして、ああ、と納得して、
「いや。ないない。誤解とか。あいつはただの友達だから」
「えっ、で、でも……」
真意を測りかねた唯里が心配そうに古城を見上げる。古城は心配ないと首を横に振って、
「まあ腐れ縁というか、男友達みたいなもんだよ」
「そ、そうなんだ……」
あっけらかんと答える古城を、唯里は次第に責めるようなまなざしで見つめた。
「なんか、今朝も同じようなことがあった気がするよ……」
「同感です」
「暁君にも後で持ってった方がいいよね」
「そうですね。そうした方が今後のためかと」
そう言って2人は深々と嘆息した。
後に大量の少女漫画が古城と冬真の部屋に置かれていたのは、また別の話。
「そういえば姫柊、お前いくら貰ったんだよ」
「1500万です」
「……は?せんごひゃくまん?」
「はい」
「じょ、冗談だよな?」
「いえ。経理の叔母さんにこれくらいは必要だろうからって渡されました」
「そ、そうか……は、ハハハッ…………ふぅっ」
「せ、先輩!? 先輩!?」