転生者と雪の花   作:yuykimaze

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3話

 

 

 耳元で鐘が鳴り続けていた。古式ゆかしい、アナログ式目覚まし時計のベルだ。冬真は苦悶の息を吐き、その時計を叩き、黙らせる。そしてもぞもぞと寝返りを打ちながら、再び安らかな眠りに戻ろうと睡魔に身を委ねた。が、

 

「冬真君、起きなよ。朝だよ。目覚ましなったし今日追試あるんでしょ。朝ごはん作るから一緒に食べ――あっ、ホントにまた寝ないでよッ!」

「……た、のむ…ッ」

 

 早口でまくし立てられた挙句にシーツを奪おうとする凪沙に、冬真も不機嫌な寝ぼけ声で取られまいと応戦。頑なに手放そうとしない彼に、凪沙は「もうッ!」と腹を立てて頬を膨らませる。そしてここぞとばかりに、

 

「こうなったら凪沙も手加減しないからね」

 

 彼女は力任せにシーツを勢いよく引っ張った。思わず「うおっ」と情けない悲鳴と共に、冬真は為すすべなくベッドから転げ落ちる。焦点の合わない目で見上げると、短パンにタンクトップというラフな格好に、オレンジ色のエプロンを上につけた凪沙が、呆れたように腰に手を当てていた。

 

「昨日雪菜ちゃんと勉強頑張ってたのはわかるけど、起きないと南宮先生に怒られちゃうよ? というか中学生に勉強教えられてるとか情けないよ、冬真君」

「……そんなプライド、当の昔に捨てたさ」

「……なんか無駄にカッコいいセリフだけど、床に寝っ転がってるから台無しだよ。あ、で、でも、冬真君んはその、普通にしてればか、カッコいいというか……その……」

「……すーーーー……」

「あぁっ、もうっ、冬真君ッ!」

 

 必死な凪沙の世話焼きが功を奏したのは、それから十分後の事だった。

 

 

 

 

 

「……何も抓んなくてもいいじゃないよ」

 

 赤らめた頬を摩りながら、冬真は母親にお灸を据えられた子供のように不満げな小言を呟いてみる。

 

「だっていつまでたっても起きない冬真君がいけないんだからね」

 

 地獄耳かと思うようなささやかな声量を聞きとった彼女は、ムッとしたようにリビングから顔をだしてそう言ってくる。どうもすみませんね、と心中で毒づきながら、冬真はボーっと何も置かれてないテーブルを眺める。暫くして、トン、トン、トン、と何かをまな板で刻む規則正しい音が冬真の耳に届く。ああ、慣れてるな、と判断がつく程に子気味の良い音だった。

 

 凪沙は若干中学生にして家事全般を器用に卒なくこなせる。元々両親がほとんど仕事で家にいない事情で致し方なく子供たちでやらないといけない環境だったこともあるが、その環境が活きたのか特に料理スキルは大人顔負けの腕前に成長していた。もうそこら辺でお店を開いても恥ずかしくないレベルである。実に古城の妹であることがもったいないと何度思った事かわからない。

 

 おまけに容姿も可愛らしく、スタイルも発展途上ながらに成長見込みがある、優しくてしっかり者の少女――暁凪沙。彼女こそ正に男の理想の女性であること間違いないだろう。

 

「ホント、お嫁さんに欲しいくらいだな」

「――ッ!?」

 

 ガタン、とリビングが慌ただしくなる気配がしたが、冬真は気にした様子なく料理をする凪沙の後姿を眺めながら徐々に眠気を覚ましていく。次第にリビングから味噌汁が優しく匂ってくる。見ればコンロに置かれた鍋から掴みどころのない湯気が立っち上っていた。凪沙は何かの焼け具合を点検している。

 そろそろだな、とのろのろ立ち上がった冬真は、リビングへと足を運んだ。

 

「凪沙」

「――ッ!? な、なに? どうしたの? まだお魚とか焼けてないよ?」

 

 かなり裏返った声で凪沙はビクッと大きく肩を跳ねさせた。そして手元から目を離して、慌てて距離を取る。心なしか顔が赤い。

 驚かせちゃったのかなと、苦笑気味に彼女の早口に首を振った。

 

「ようやく目が冴えてきたから何か手伝おうと思ってさ。ご飯とかよそる?」

「う、うん。お願い。あ、えっと、凪沙の分もね」

「りょーかい」

 

 何を思ったのか恥ずかしそうに言う凪沙の言葉の真意を不思議そうに受け取り、冬真はかぱんと炊飯器を開けてピカピカとした白米を自分と凪沙の茶碗に盛り付ける。

 

「凪沙、麦茶で良いよね?」

「うん」

 

 今度は冷蔵庫に入っていた麦茶をコップに注ぐ。凪沙が次々とお皿に盛り付け終えたのを確認してから、冬真もそれを手伝うようテーブルに朝食を並べていく。目の前には大根の漬物と豆腐と大根の葉の味噌汁と、鮭の塩焼きと卵焼き。最初こそパンやバナナ等の簡単なもので極力洗い物が少なくなるメニューだったが、凪沙がこうして朝食を作ってくれるおかげで、絵に描いたような食卓が出来上がる。だからこそ毎度その有難さに心を打たれるのだ。

 

「ありがとな、凪沙」

「ううん。あたしが好きでやってるんだから気にしないでよ」

「……まったく。ホント良いお嫁さんになるよ、凪沙は」

「う、うんっ、あ、ありがとう」

 

 照れたようにはにかむ彼女に、ドキッとしながらも、お互いテーブルを挟む形で向き合って座り、手を合わせて唱和する。「いただきます」。

 冬真は真っ先にほかほかの湯気が出ているお椀を手にとり一口啜る。みその絶妙な加減もそうだが、温かかくて優しい味付けだ。これが所謂、家庭の味というやつだろう。

 

「味は変じゃない? 一応冬真君が好みそうな味付けにしてるつもりなんだけど」

「いや、美味いよ。というより、凪沙の手料理をマズイと思ったことが一度もない」

「も、もう、褒めても何も出ないからね?」

「ばか、ホントだっての」

 

 謂われて嬉しいくせに拗ねたようなまなざしで睨んでくる彼女が可笑しくて、つい冬真はクスッと笑みをこぼす。

 そうしてお互い言葉を交わしながら箸を動かしていれば、不意に気になったことを冬真は口にした。

 

「そういえば、古城のやつほったらかしで大丈夫なのか?」

「うん。作り置きはしてきたし、これで寝坊しても古城君が悪いんだし」

「そ、そうか……でも那月ちゃんなんだかんだ言って優しいから大丈夫だろ。それにいざとなったら浅葱や羽波だって追試くらい手伝ってくれるだろう」

 

 投げやりに冬真は卵焼きを一つ箸で摘まみ、それを口に放り込む。だが冬真の言葉に納得がいかないのか、凪沙は、うーん、と唸る。

 

「浅葱ちゃんならまだしも唯里ちゃんに手伝わせちゃうのは申し訳ないような……それに馬に蹴られたくないし」

「は? 馬?」

「うん。浅葱ちゃんの恋は応援するって決めたからね!」

 

 恋と馬をどう結びつけたら良いのか判らず咀嚼しながら首をかしげる冬真だが、声の鞭を打つ彼女の様子と浅葱という名に昨日のモノレールでのやり取りを連想した。そして、古城の一方的な男友達宣言を思い出し、渋い顔をする。

 

「……あのバカ、まるで浅葱の気持ちに気付いてないからな。浅葱って普通に美人だしスタイル良いし、まあ、性格も優しい?しホント古城にはもったいない」

「そう、そうなんだよ!」

 

 冬真の言葉にどこか興奮した様子で凪沙が頷いた。

 

「浅葱ちゃん。頭良くて、優しくて、格好いいんだよね。みんなに言っても分かってくれないだろうけど」

「……わかってくれない? アイツ結構人気あるような気がしたんだけど」

「そうだよ。でも浅葱ちゃんの見た目しか褒めないんだよ。特にうちのクラスの男子! 雰囲気がエロいとか、いろいろ手取り足取り教えてくれそうとか、援交やってそうとか……んもーあいつら!」

 

 朝食時に不相応な言葉が何度か飛び交ったが、思い出して腹が立ってきたのか、まるで自分の事のように怒り出す凪沙。確かに彼女の怒りも……いや、男目線からそう映るのは仕方ないとしか言いようがない。冬真自身も暁古城専用という特別な事情がなければ、彼女の艶かしい雰囲気にそう思っていただろう。まあ、最も今そんな事口走ったら間違いなく命はないため言葉を慎重に選ぼうとするが、

 

「ま、まあ、その分良かったじゃんか。古城はなんだかんだ言って中身を大事に……する筈…だな」

 

 言葉にするほどに目の前の少女からの剣呑な気配が伝わってきて、冬真の語尾が尻すぼみに小さくなっていった。

 

「ふーん。中学の時に胸の大きな子が好きだったのに?」

「……い、いや、それは偶々じゃないか? あの子綺麗だったし」

「……バスケの授業中、その子の胸ばっか見てたよね」

「……」

 

 まるで冬真君もだよね、と言わんばかりにじーっと彼女に見つめられ、大量に脂汗をかきはじめる冬真。思わず口を閉ざしてしまう。口にすればするほどに冬真自身も墓穴を掘りそうな気がしたのだ。しかし、あの揺れは誰でも男なら目につくはず。と反論する。だがそれも心の中だけである。

 

「ね、ねえ……冬真君も気にするの? やっぱり胸の大きな子がいいとか」

「あほ、俺は大きさなんて気にしてねえよ。揉めればじゅ……」

 

 不安を滲ませた問いかけに素直に応えかけて、しまったと慌てて口を閉ざす冬真。だが、途端に部屋の気温が下降した事で、時は既に遅いと悟った。目の前に座る少女の憐れみというより冷たい軽蔑で意地悪く光った眼差しが、冬真に突き刺さる。どうやらその目の光が部屋の冷たい気配の根源となっているようで、先程から背筋が寒い。決してクーラーの風量によるものではないだろう。

 

「……冬真君のすけべ」

「う、うっせ。男はみんな女性の胸部には興味津々なんだよ。女には分からねえだろうけど」

「分かりたくもないもんね。冬真君のスケベ」

「なぜ二回言った!?」

 

 それからしばらく凪沙に口を聞いてもらえなかった。

 

 

 

 

 南宮那月(みなみやなつき)は、彩海学園の英語教師だった。

 年齢は自称二十六歳だが、実際はそれよりもかなり若く見える。美人というよりも美少女、あるいは幼女という言葉が似合うほどだ。

 顔の輪郭も体つきもとにかく小柄で、まるで人形でもある。

 その一方で、どこかの華族の血を引いてるとかで、妙な威厳とカリスマ性があったりもする。そのせいか教師として有能で、生徒からの評判も悪くない。――が、

 

「おい、藤坂。だらけてないでさっさと問題を解け。これでも私は忙しいんだ」

「……へいへい」

 

 教壇の中央。どこからか勝手に運んできたビロード張りの豪華な椅子にもたれ、淹れていた紅茶を飲みながら、那月が冬真を咎める。だらしなく制服を着崩した冬真は、気だるげに突っ伏していた身体を起こし声の主を見て、思わず顔を顰めた。彼女の纏う服装はレースアップした黒のワンピース。襟元や袖口からはフリルが覗いており、腰回りは編み上げのコルセットで飾り付けをしている。つまり、真夏日に相応しくない、時と場所をわきまえないファッションセンスをしているのだ。これが彼女の唯一の弱点と言えるだろう。

 

「なんだ。私に見惚れたか? 藤坂」

「あーそうですねー」

 

 忙しそうな様子もなければ、意味の分からない視線の捉え方に適当に返し、英語のテストに目を向ける。紙に映るのは見慣れない文字の羅列。思わず本能的な不快感を味わい顔を顰めながらも、昨夜の雪菜の指導に自身で購入した参考書を思い返し、記憶通りにペンを走らせる。

 

 冬真は眼に移った対象を映像で記憶できる。ペラペラと頭の中で教科書をめくっていれば、必然的に問題の解読など容易い。ただそれは、解像度がそれほど高くはなく、彼が覚えようと好奇心が燻ぶられた時だけ。英語なんて、以ての外であるが、留年だけは避けたい思いから、渋々記憶に留めた。そしてものの数分で空欄がすべて埋まる。

 

「……うん。終わった」

「ほお、そんな数分で終わったのか。なら真面目に授業を聞け」

 

 「どうもすいませんでした」と大してすまなくもなさそうな口調で言う冬真を睨みつけながら、那月は書き終えた追試の解答用紙を摘まみ上げる。そしてとんでもないスピードで採点を進める那月だが、ある箇所で赤ペンが止まる。

 

「……藤坂。お前は英文を本当に理解してこの問題を解いたのか?」

「い、いや、暗記したのを羅列しました」

「……そうか」

 

 確かに冬真は記憶は良い方だという自負はあった。しかし、英語の文章を作る作業は苦手だった。なんせそのまま見た例文を書き記すことしかできないからだ。いや、彼がそれしかしないだけなのだが。

 

「‟He has an eccentric habit of pulling his hair while he talks.(彼はしゃべっている時に髪を引っ張る奇妙な癖がある)」

「えっ?」

 

 突然流れるように滑らかな話し方で流暢に冬真の書いた英文を読み上げる那月に、驚愕に染まる冬真。心なしかトーンがいつもより低い気がして、背筋に寒気を覚え始める。見ればピクッと彼女はこみかめ辺りを引くつかせている。もしかして、何か癇に障るようなことを書き記したのだろうか。

 

「‟He is as cool as a cucumber.(彼はきゅうりのごとく、とても冷静だ)」

「な、那月ちゃん?」

「‟He will live by the sea or he will live in a cave.(彼は海のそばに住むか、洞窟の中に住むだろう)」

「あ、あの……」

「‟He was so depressed that he lay down,rubbed his butt and smiled.(彼はとても落ち込んでいたので、横たわって、自分のケツを揉んで、少し笑った)……ふふふっ、随分と教師をなめ腐ってくれるじゃないか、藤坂冬真」

 

 そして残された英文を読み上げる事はせず、那月は何故か不気味な笑みをこぼし答案用紙から顔を上げた。目が据わってる。笑ってない。そんなまるで人形の目のような冷々とした視線を向けられ、途端に全身に汗が流れるような不気味さが襲い、冬真の顔色はおしろいを塗ったように血の気を失った。ただ、どうしても彼女の怒りの意味が分からない。

 

「あ、あの、み、南宮先生?」

「……藤坂冬真。この例文を、読み上げて見ろ」

「は、はい……」

 

 不機嫌さを凝縮して、すごみさえ感じる低音に素直に従いペーパを向けられ目を通す。震える声で文字を音にし始めた。

 

「な、Natuki was a very indecent bitch three years aゴッフ――ッ!」

「よくもそんなことを教師の前で言えたものだな、素直に感心するぞ」

 

 突然の頭部が陥没するのではというほどの衝撃に、冬真は仰向けに転倒する。地が避けて熱い溶岩が流れ出したような恐ろしい激痛だ。これではロキソニンなんて効きやしないだろう。

 

「り、理不尽だ……っ」

「仕方なかろう。どうやら貴様にはやはり徹底的な教育が必要らしいのでな」

 

 黒レースの扇子を彼の額に一閃した那月は、愉快そうな声で死の宣告を告げ地面に倒れ込む冬真を踏みつけた。そしてどこからか何の前触れもなく現れた鎖で彼を縛り上げ、那月は実にその滑稽なざまで慄く冬真を、心理的にいたぶるようにグリグリと足で踏み、愉しそうに唇を歪めていた。どうやら完全に彼女の中の何かのスイッチが起動したらしい。

 

「安心しろ。一瞬で楽にしてやる」

「そ、それ安心できぎゃぁあああー!」

 

 獲物を嬲るような口調で、那月の容赦ない教育が施される。直後稲妻が走ったような痛みが、全身を駆け抜ける。

 

 あっ、でもなんかちょっと懐かしい感覚が……

 

 そこから冬真の記憶はあまりない。

 ただ、のちに知ることになるが、『那月は3年前、それはそれは淫らなメスだった』。それが彼が教師に言い放った英文らしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひ、ヒドイ目にあった……」

「自業自得です……」

 

 あれから何とか那月のお仕置きから解放され、何とか辿り着いた食堂。夏休みなだけあり人はまだらだが、しかし、昨日と同じように好奇の視線がちらほら集まる。が、冬真は気にも留める気力すらなく、ぐったりと食堂のテーブルに突っ伏せる。それを同情のカケラもない無表情で突き放す雪菜。

 

「第一どうしてそんな文を解答用紙に書いたりしたんですか」

「いや、ほら、ウケ狙い?」

 

 反省の様子なく応える冬真に、この人は、と呆れた眼差しで雪菜が深々と嘆息した。そしてこの上なく不思議な疑問を投げかけた。

 

「どうして獅子王機関は監視対象を先輩に選んだのかよく分からなくなってきました」

「なんか、そこはかとなくバカにされた気がするが、でも俺も実際それは知りたい」

 

 冬真も渋々同感だと言わんばかりに返し、一匹の猫を思い浮かべる。

 

「……あのばあさん何考えてんだよホントに」

 

 冬真の怨嗟の声に、雪菜が首を傾げた。

 

「ばあさん?」

「ああ、猫のばあさんだ」

「はい?」

 

 全く説明になってないと怪訝そうに形の良い眉を寄せる雪菜。たしかに随分とメルヘンチックじみ物言いにはなってしまったが、正体はそれに喋る要素が加わった彼女のお偉いさんの使い魔である。まあ、ここで話さずとも彼女との繋がりはいずれ露見するだろうと、やんわりと冬真は首を振り、本題に入った。

 

「それよりも、この後は姫柊は暇か?」

「そうですね。特にこれと言って予定は監視以外ありませんけど」

「いや、もうそれ全ての予定じゃんかよ」

 

 呆れたように呟きながら、冬真は懐からサービス券を三枚ほど取り出して、テーブルに扇状に広げた。

 

「実はな、この近くでケーキバイキングたる店がオープンしてな。そのサービス券を頂いたのよ。んで、そのお誘いをと思ったんだが、どうだ?」

「ケーキバイキング…ですか?」

「なんだ、ダメか?」

「いえ、行くのは構わないのですが、どのような場所なんですか?」

 

 どこか現代カルチャーに疎い雪菜の天然発言だが、昨日といい冬真にとってはもう耐性ができたのか動じる様子なく端的に応えた。

 

「つまり、ケーキ食べ放題のお店だ。姫柊はケーキ嫌いじゃないって昨日凪沙たちと話してたよな?」

「え、ええ。甘いもの自体は好きですから」

「よしっ、なら行こぜ。あ、ああ。後凪沙も行くからな」

 

 付け足すような彼の言葉に、視線をサービス券に落とし納得する。

 

「……それで三人分のサービス券を持ってき……」

 

 言いかけた自分の発言にふと、雪菜は今朝のモノレールでの彼の様子を重ね、彼の突然の誘いの別の思惑を理解する。

 

「凪沙ちゃんの機嫌を直すための措置ですか?」

 

 ギクッと冬真の肩が跳ねる。

 

「い、いや、行ってみたいなと思ってな」

 

 あははは、と視線を泳がせては乾いた笑みを零す彼に、雪菜は心底呆れたようにため息を吐いた。

 

「それでしたら、凪沙ちゃんと2人でいかれてはいかがです?」

「あー、まあ、それも考えたんだが、サービス券余るのもったいないだろう? それに姫柊とお出かけしたい的なこといってたからさ」

 

 頼むよ、と顔の前で手を合わせて懇願してくる冬真。

 確かに凪沙が自身も行きたかったと口を滑らせていたのは身に覚えがあるが、それはどちらかと言うと彼と行きたかったというニュアンスに近い気がしなくもない。

 しかし、ここまで彼にお願いされれば、と折れる形で渋々雪菜は頷いた。

 

「は、はあ。まあ、凪沙ちゃんが良いのなら私は別に構いません。そもそも私は先輩の監視役なんですから。私の意思は先輩次第です」

「おしっ、なら決まりだな」

 

 どことなく捉え方次第では重い発言ではあったが、気にした様子なく白い歯を見せてどこか子供っぽく笑う彼。雪菜も少し楽しみな気持ちで食堂を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり意外と混んでるな」

 

 どこか甘ったるい匂いを感じながら、冬真は改めて室内を見回しながら言う。冬真と雪菜、そして凪沙がケーキバイキングのお店に着いた時には、既に肌と肌が触れ合うとは行かずとも、平日の夏休み期間というだけはあり特に若い女性を中心に賑わっていた。

 

「もー、せっかく来たんだからそんな感想じゃないでしょ、冬真君。こんな沢山のケーキが目の前に広がってるんだよ? 目移りしちゃうよ〜。あ、テレビでやってたぶどうケーキだ。こっちはメロンのケーキだよ」

「落ち着けよ、お前は」

 

 目の前に広がる数えきれない種類のケーキを前に、愛嬌のある微笑みを満面に湛えながら、快活な、磊落な調子で早口で言う凪沙に、苦笑気味に宥める冬真。そして、反対にやけに静かだなと、心配げにチラリと横目で雪菜を見遣れば、

 

「……こ、これがケーキバイキングですか」

 

 どうやら目の前の光景に圧倒されたようで、呆然と立ち尽くしていた。確かにここはケーキバイキングと称しながらも、ケーキ以外にフルーツ、ジェラート、サラダ、パンに加え、季節ごとに展開されるフードメニューが豊富に並べられているのだ。彼女が驚くのも無理はない。

 

「ま、時間制限はあるけど全部一応食べ放題の範疇だから、好きなの食べろよ? じゃなきゃ勿体無いし」

「ほ、本当にいいんですか?」

 

 代金やメニュー全てという言葉を含め不安げな眼差しで見上げてくる雪菜に、クスッと冬真は笑って肯定の意を示し頷いた。

 

「ああ。だから姫柊は凪沙と先取って来ていいぞ」

「え? 冬真君は食べないの?」

「ばか。席取りだ。二人が戻ってきたらとるよ。席はあそこら辺取っとくから」

 

 予め目星はつけておいた席を指差して、そこにいる旨を伝える冬真。凪沙は申し訳なさそうに見上げ、

 

「う、うん。ごめんね、あっ、じゃあ、あたし冬真君のも持ってくるね。やっぱりショートケーキ? メロンケーキかな? あれ、でもこの前チョコケーキ好きだって言ってたよね?」

「なんでもいいって。取り敢えず、取られる前に陣取りしとくよ」

「うん! 雪菜ちゃん、いこう」

 

 グイッと強引に雪菜の手を引いてその場から人混みに突っ込んでいく凪沙。その瞬間群衆の波が何処と無くサァァァッとはける様子から、やはりここでもこの2人の美少女っぷりに周りの者も反応を示しているようだ。海を割るモーゼさながらである。実に面白い光景だ。去り際に、雪菜の申し訳無さそうな視線に手を上げて応えて、静かに彼女の文明開化を見送りながら冬真も空いてる席を一直線に進む。すんなりと3人用のテーブルを確保し、1人椅子に腰掛けた。

 

「……しかし、暇だ」

 

 白い壁や天井を眺めるくらいしかやることがない冬真は、ボーっと周囲をあちらこちら眺めていれば、ふと思い至ったように携帯端末をスクロールさせて『藍羽浅葱』の名を探す。確か彼女は今日バイトのシフトは入ってない筈である。器用に指でタッチしてメッセージで『後でサービス券やるから古城と2人で行って来い』と送信すれば、端末にものの数秒で返信が返ってくる。

 

 ――何のつもり?

 ――いや、なに。サービス券余ったからお譲りしようと思ってさ。なんもやましいことはないぞ。

 ――……ホントに何も企んでないのね?

 ――当たり前だ。それに、使えるものは使っといて損はないはずだろ?

 ――ふーん。まあ、いいわ。一応受け取っといてあげる。というよりアンタのお節介、日が経つごとに基樹に似てきたわね。

 ――うるさい。あの将来ハゲ確定やろうと一緒にするな。

 ――なにそれ。……まあ、その、ありがとう

 

 どこか不器用で接し方が男友達のような彼女だが、やはり女の子なようだ。思わず頰が緩むのを我慢して、続けて暇つぶしに電子書籍を読み耽っていれば、

 

「お待たせ〜、冬真君」

「すみません、先輩。少し遅くなりました」

 

 周りの人の楽しそうなざわめきが遠くにあるような感覚が弾けたような自分の名を呼ぶ音を捉える。端末から顔を上げれば、トレーの上に沢山のケーキを運んできた凪沙と雪菜の姿が目に映る。どうやら凪沙は本当に冬真の分まで運んできてくれたらしい。

 

「悪いな、凪沙」

「ううん。席とっといてくれたから、そのお礼だよ」

 

 重ねて持ってきたトレーを置き、器用にフォークを使い、ちょこんとケーキを置いていく凪沙。チョコケーキ、チーズケーキ、ショートケーキ。どれも冬真の好みのものばかりだ。無遠慮な態度とは裏腹に、彼女は毎回かなり気を使ってくれる。本当にこの子には頭が上がりそうにない。

 

「んじゃ、食べるか」

「うん。じゃあ、あたしはショートケーキからかなぁ、あ、でも……」

 

 細胞の一つ一つが小躍りしているかのような楽しげにケーキを吟味する凪沙に苦笑しながら、冬真もフォークで一口分口に運ぶ。しっとりと焼き上げられたスポンジケーキと口当たりなめらかなホイップクリーム、それに真っ赤に熟れたイチゴの甘酸っぱさ。この三位一体のバランスの取れた味わいすばらしい。やはり、白いホイップクリームでデコレーションしたショートケーキには、いちごが欠かせない。そのあざやかな赤い彩りはもちろん、適度なすっぱさもぴったりのアクセントだろう。

 

「〜〜!!」

「美味しい……!」

 

 どうやら凪沙も声にならない美味しさに感激したのか、だらしなく頬を緩めている。雪菜もまた目を丸くして驚きを露わにしながらも、夢中でフォークを使い美味しそうに口へと運んでいた。そんな2人の顔に喜色を浮かべる様子から、どうやら連れてきた甲斐があったようだ――と内心ホッとしながら、冬真も一心不乱に喰らいつく。そこからお互いしばらくプツンと会話のない時間が続いたが、

 

「そう言えば、冬真君」

 

 ふと食事の手を休めて凪沙が顔を上げる。

 

「どうしてサービス券なんて貰えたの? ここ結構開店前から有名だったからサービス券なんて貰うの難しいと思うんだけど。完全予約制だし」

 

 雪菜も気になったのか、フォークを置いて顔を上げた。

 

「ああ、そりゃアレだ。 昔俺がピアノのコンクール出た時、熱心に話しかけてきたおじさんいたろ?」

 

 いつのだろうと凪沙は頭を捻らせ、一枚の活動写真のような記憶が蘇り、「あっ」と声を上げた。

 

「あの小学校四年生時に冬真君のことスゴく褒めてくれた人だよね!? 凪沙も覚えてるよ。 それにあの時の冬真君の演奏上手だったもん」

「そ、そうだな」

 

 自分から話題を振ったが何やら演奏に話が路線変更しそうな匂いを感じ取り、「それでな」と冬真が強引に話を切り出した。

 

「そのおじさんがここのお店の店長さんなんだよ。俺も2ヶ月前くらいに知ってさ、そのお手伝い的なのしたら貰ったってわけ」

「えー、あたしにも言ってくれたら手伝ったのにぃ」

「ごめんごめん。凪沙部活あるかと思ったから」

 

 不満げに唇を尖らせる凪沙に、苦笑しながら冬真はカップを手に取り紅茶に口をつけた。そんな彼に心底驚いた口ぶりで雪菜が割って入る。

 

「先輩、バイトしてたんですか? でも、報告書にそのような記載は……」

「「報告書?」」

 

 疑念の重なりにハッとした雪菜は、凪沙は純粋な疑問だろうが、冬真の視線にギクッと肩を跳ねらせ視線を泳がせた。

 

「え、えーっと、それで、先輩。バイトしてたんですか?」

 

 どうやら無理やり平常運転をご所望らしい。

 しかし、下手な尾行と言い雪菜はどこかおっちょこちょいだ。きっとあまり嘘がつける正確ではないのだろうが、しかし、監視という役目柄、それで大丈夫なのかと見ているこっちが心配になってしまう。口には出せないが、監視に雪菜の性格が向いてるとは思えない。

 

「……先輩?」

「あっ、いや、えっとな」

 

 冬真の思考を勘づいたのか、鋭くなる彼女の視線に慌てて余計な思考を振り払った。

 

「その問いかけにはノーだ。あくまで俺は無償のお手伝いのつもりだったんだ。けど、結局は押し切られる形でその見返りがサービス券。まあ、ボランティアとは言えないがバイトともいえないよ」

 

 困ったように大げさに肩をすくめてみせる冬真に、感心したように雪菜が呟いた。

 

「先輩、見直しました。無償で誰かのお手伝いを率先してやろうだなんて」

「ふっ、まあな。こう見えても俺は……」

「あー、雪菜ちゃん。ダメだよ、感心しちゃ」

「やさし……あれ?」

 

 どこか鼻高々になりかけた冬真だが、凪沙が割って入ってきたことで雲行きが怪しくなってくる。

 

「冬真君の事だから、絶対にどこか打算的だよ。多分予め券貰えるって分かってたかもしれないよ」

「……そうなんですか?」

「あ、いや……す、少しだけだぞ?」

 

 徐々に冷え冷えとしていく彼女の視線に怯えながら応えれば、何故か雪菜は納得したような顔をした。

 

「やはり先輩は先輩なんですね」

「どういう意味だよそれ。少なくともお金は貰ってないんだからそこは素直に褒めろよ」

 

 不満げに拗ねた様な冬真が面白く映ったのか、2人揃ってクスクスと声を上げて笑っていた。まあ、この子達が笑顔ならいいか――と気にした様子なく冬真は残りのケーキを食べ終え、始めも終も無い煙のようなお饒舌を続ける。

 

「あ、あのね、冬真君……」

 

 漸くして不意に遠慮気味な凪沙の声が聞こえて、彼女に視線を向ければ、

 

「どうした?」

「え、えっとね、その……」

「凪沙?」

 

 言い出しにくいのか躊躇いがちな凪沙に、冬真は益々首を傾げた。心なしか、彼女は頬を紅潮させ、モジモジとどこか落ち着きがない。

 

「う、うぅ……い、いざやろうとすると、は、恥ずかしいよ……」

「は? な、凪沙?」

 

 両手を頰に当てて、ゴニョゴニョと彼女は聞き取れない声量で何かを呟いている。なんだこの症状は――と女性である雪菜に説明を請う視線を向けるも、申し訳なさそうにやんわりと首を振る。仕方なく現実に戻ってもらおうと、冬真は先程より口調を強めた。

 

「おい、凪沙!」

「――ッ! な、なにかな?」

「いや、何かなって。大丈夫かよ、お前。具合でも悪くなったか?」

「う、ううん! だ、大丈夫だよ! うん、わかってるから。で、でもあと少しだけ心の準備が……」

「いや、心の準備ってなんだよ。大丈夫か、本当にお前。全然会話が噛み合ってねぇぞ」

「だ、大丈夫……うん、よしっ」

 

 何故か身体中のありったけの勇気を集めたかのように気合を入れ、凪沙はフォークで自分のケーキを一口サイズに切って差し、恐る恐る冬真の口元まで運んでい……ん?

 

「あ、あーん……」

「……はい?」

「えっ?」

 

 彼女の思わぬ奇行に、目を白黒させて驚きの声を上げる冬真と雪菜。

 な、何やってんだ凪沙……。まるで大理石のように己の時を止めて固まり続ける冬真。凪沙自身も羞恥は感じているのだろう、真っ赤な顔で急かすように彼女は言う。

 

「は、早く食べてよ……!」

「い、いや、急に何やってんだ!? ビックリするわ!」

「だ、だって、その、憧れて……だ、ダメかな?」

「――ッ」

 

 羞恥で潤んだ凪沙の艶のある上目遣いでの懇願に、ゴクリと息を呑む冬真。――卑怯だ。そんな目をされたら断れない。

 言い知れぬ羞恥の情に駆られながらも、引き寄せられるように口を開けて、慎重にフォークに触れないようにケーキだけを口に入れる。――甘い。頭がしびれるほどそれは甘かった。

 

「お、美味しい……?」

「へ? あ、ああ。……いや、甘くてよくわからん」

「そ、そっか……」

「お、おう……」

「……」

「……」

 

 なんだろう。気恥ずかしさからお互いまともに視線を合わせられない。うっかり見つめ合うと、慌てて顔を背けた。

 気が動転して言葉が見つからない。

 気まずい……何か話しかけてくれ。

 

「ゆ、雪菜ちゃん!」

 

 そんな沈黙を凪沙本人が強引に破った。その収拾がつかないほど感情が混乱した様子は気にはなるが、恐らく先程から大人しく空気として徹していた雪菜に助けを求めたいのだろう。これならなんとかなるかもな――と思いホッとした冬真だったが、

 

「ゆ、雪菜ちゃんも、す、する?」

「――はい?」

「――は?」

 

 まさかの矛先に、雪菜はキョトンと動きを止めて固まる。思わぬ核兵器に冬真も凪沙を2度見した。

 ……今なんつったこの子

 

「だ、だから、雪菜ちゃんも、その、お、お礼っ? 的な感じで……ほ、ほら、雪菜ちゃんもお礼したいって言ってたし」

「へ? お、お礼…ですか……?」

「う、うん。 そうだよ、お、お礼……かな? あ、あれ、でもなんか違うような……」

 

 どうにか上手いこと少女を巻き込もうとする魂胆が見え見えではあるが、しかし、最早気が動転し過ぎて自分自身何を言ってるのかわかってない様子だ。だがどこか変に生真面目な雪菜は、釈然としない様子ながらも、なぜか冬真を見つめてくる。

 

「せ、先輩はそれで、お礼になりますか?」

「い、いや、別に姫柊からお礼なんていらないから」

 

 あくまでやんわりと拒絶する冬真。しかし、冬真が紡いだ言葉がいけなかったのか、何故か姫柊はムッとしたような表情に変わる。

 

「わかりました。私もします」

「は? いや、お前何言って……」

 

 正気か、という唖然とし眺める冬真の表情を無視して、雪菜は見よう見まねで凪沙と同じようにフォークで一口サイズのケーキを彼の口元まで運んでいく。

 

「……ど、どうぞ」

「い、いや、どうぞって……」

「……」

「……」

「は、早く食べて下さい……ッ!」

「は、はい!」

 

 羞恥と怒りの混じった瞳で睨まれ、反射的に食らいつく。フォークに口をつけないよう器用にイチゴのショートケーキだけを咀嚼した。……うん。やはり甘い。

 

「……お、美味しいですか?」

「あ、ああ……」

 

 体の中の異様な緊張と共にこみ上げてくるくすぐったい思いが、お互いの頬を染め上げる。

 自然と雪菜と視線が絡まり、咄嗟にお互い瞳からフォーカスを外した。もの凄いデジャブ感である。

 不意にチラッと雪菜を見遣れば、改めて自身の行った行動に俯き加減で羞恥に堪えていた。そんな雪菜の姿に、ドクンと心臓が跳ねる。

 冬真は凪沙同様どう言葉をかけていいのかわからず、喉の渇きを急激に覚え慌てて紅茶に口をつけた。カップから口を放して動揺を何とか無理やりやり沈みこませるように深く深呼吸をする。なんとか落ち着いて冬真が向かいの2人に視線を戻せば、何故か拗ねたような凪沙の視線と交わる。案の定、攻撃的な声音が飛んできた。

 

「むー、雪菜ちゃんとあたし、反応が違うー!」

「い、いや、違うって言われても……」

 

 凪沙の理不尽な文句に困ったような表情になって、視線を明後日に晒す。そこでふとあることに初めて気づいた。

 

 ――す、すごいカップルだね。も、もしかして3人で!?

 ――きゃーー! なにそれ!? し、 しかもすっごいあの子たち可愛いし!

 ――男の子の方も意外とカッコいいよね? も、もしかして三角関係!?

 ――もしかしたら2人とも彼女だったりして?

 

 きゃー、と群集が頓珍漢な推論をまくし立てて興奮した様子で声を上げている。そして降り注ぐ、好奇に満ちた視線の集中砲火。無論、冬真、雪菜、凪沙の3人である。全身を耳にして聴かずとも意識した瞬間、3人の硬い氷の緊張が一瞬にして融け、熱湯の羞恥が沸き立つ。

 

「し、しばらくここには来れないな」

 

 そのまま行方知れずになりたいくらいの羞恥の宿った冬真の呟きに、コクっと真っ赤な顔で2人も頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「つ、疲れた……」

「そうですね……」

「うん……」

 

 棚に吊るした橙色のカーテンのように、夕陽の光線の矢が地上に降り注ぎ、夕暮れ時を知らせる。遊具や砂場のある場所と、その奥の雑木林がセットになっている公園のベンチで、3人はどこかぐったりと腰かけていた。雪菜は流石と言うべきか背筋は正していたが、顔には疲労が色濃く表れていた。たかがケーキバイキングでこれほどエネルギーを使うとは想定していなかったのだろう。もっとも、それは冬真も同じだが。

 

「ありがとな、今日」

 

 うっすらとオレンジ色に染まるほの暗い雲を見上げながら、冬真の口から自然と感謝の言葉が漏れた。小言でもがらんとしているので声がよく響いた。

 

「ううん。お礼を言うのはこっちだよ。お金まで払ってもらっちゃったし」

「はい。ありがとうございます、先輩」

 

 申し訳なさそうな様子の2人に、いいって、と冬真は首を振った。

 

「俺は2人と遊べて楽しかったから。姫柊と凪沙はどうだった?」

 

 凪沙と雪菜は顔を見合わせて、

 

「うーん。普通かな」

「そうですね」

「うえぇっ? マジで!?」

 

 素っ気なく応える2人。思わず冬真は素っ頓狂な声を上げた。その焦った表情に、堪えきれなくなった凪沙が「ぷっ」と噴き出す。

 

「ふふっ、冗談だよ。冬真君と一緒で楽しくなかったことなんてないもんね」

「そうですね。わたしもとても楽しめました」

 

 悪戯が成功した子供のように、クスッと雪菜も笑った。

 これは一本取られたな、とつられて冬真も穏やかな笑みをこぼす。

 オレンジ色の光が優しく3人を照らし、しばらく優しい時間が流れていった。

 

「ねえねえ、雪菜ちゃん。今度一緒に買い物行こうよー」

「えーっと、それは……」

 

 チラッと雪菜がコチラを見てくる。監視の事で渋ってるんだろうな。冬真は苦笑気味に頷いてみせた。

 

「行ってやれよ。俺は荷物持ちで同伴でもするから」

「ふうん。じゃあ一杯買い物しちゃうもんねぇ」

「い、いや、それは勘弁を……」

 

 意地の悪い凪沙の言葉に、冬真の顔が引き攣る。

 それを可笑しそうにクスリと雪菜は笑う。

 そんな彼女の楽しそうな横顔を横目に映して、冬真は心底安堵したように温かく微笑んだ。高神の杜はほとんどが孤児だと冬真は聞いている。恐らく姫柊もその一人だろうが、しかし彼女は寂しいだとかさしたる感傷でさえ全く見せる素振りがない。この歳で全く気にしてないと言えば嘘になるだろうが、それでも彼女はしっかりと前を見据えている気がした。きっと向こうで多くの良い人達との出逢があったのだろう。

 だからこれはただの自分の自己満足に過ぎないのかもしれない。それでも少しでも笑顔でいてくれたらと思ってしまう。

 

(やっぱ似てるよ……母さんに)

 

「先輩?」

「い、いや、何でもない。んじゃ、遅くなってもアレだからそろそろ――ッ!」

 

 かえって此方が感傷的になりそうで、ゆっくりと立ち上がってそろそろ帰ろうと帰路を促そうとした瞬間、途端に何かを感知した冬真は、紡ぎかけた言葉を止めて勢いよく背後を振り返った。その先を殺気のこもった眼差しで睨みつけた。

 

「せ、先輩ッ!?」

 

 冬真のただならぬ気配を感じ取り、雪菜も立ち上がり、ギターケースを手に取り気配を探る。

 

「えっ? と、冬真君に雪菜ちゃん? どうしたの? そんなに怖い顔して何かあったの?」

 

 まくし立てるように不安げな声で交互に凪沙が問いかけてくるが、冬真の頭に入ってはこなかった。彼の神経は今別のところに張り巡らされていた。ゆっくりと神経を集中し、肌で音を気配を探る。が、すぐさま気配が消失したようで、冬真は慎重に警戒を解いた。

 

「ほ、ホントにどうしたの? 後ろに何かあるの?」

 

 やや強張った声で凪沙がキョロキョロと後ろを確認しながら瞬時に冬真の背後に隠れる。どうやら昔から何かあったら背後に隠れろとの教えを守っているらしい。ギュッと冬真の制服の裾を摘み不安げに見上げてくるどこか小動物みたいな凪沙に、冬真は安心させるよう穏やかな笑みを見せて頭をそっと撫でた。

 

「いや。なんでもなかったよ。んじゃ、帰るか」

「う、うん」

「……そうですね」

 

 妙に明るい声で言う冬真を不思議に思いながらも、凪沙は表情を綻ばせながら素直に従うことにした。どこか腑に落ちないような雪菜には、後で話があると視線で訴えて、3人は公園を後にした。

 

「……」

 

 きいっ、きいっ、きいっ……金属のこすれあう規則正しい音。錆びた鉄のぶらんこが揺れる音。

 公園には人影はなくなった。真ん中に水銀灯が一本高く立っていて、その明かりがうす暗くなった公園の隅々までを照らしていた。そこに人影が一つ。藍色の髪に薄い水色の瞳をした小柄な少女。どこか寂し気に1人佇み、少女は先程まで人のいたベンチを眺めていた。

 

「こんなところにいましたか、行きますよアスタルテ」

「――命令受諾(アクセプト)

 

 無機質な声音で男の声に応え、踵を返し彼の後について行った。

 その後ろ姿にはやはり、どこか寂しさが孕んでいた。

 

 

 

 

 

 

 時刻は零時を回る頃合い。染み一つない天井を見上げながら、冬真はベッドに寝転がっていた。

 結局、直ぐに凪沙を自宅に届けてから、雪菜とあの公園に向かったが何者の気配かはわからなかった。

 元々ダメ元で足を運んだのだから、別に無駄足だった程度で済む話だが、気のせいだったのか。と問われれば、それはないと断言できた。それ程までに、冬真は気配や視線の察知能力を研ぎ澄ませてきた自信はあった。なら、あの悲しみにも似た視線はなんだったのか……

 

「……まあ、いいか」

 

 長いあいだもの思いに耽っていた。それからふと、自分が本当は何も考えていないことに思い当たった。ただあてのない空白の中に身を沈めていただけだ。それに、出ない答えをいつまでも考えたって仕方ない。どうせ敵意は感じなかったし。と思考を頭から追いやり、取り敢えず寝るか、と電気を消そうとしたその時だった。

 

 ズン、と鈍い振動が、人工島全体を揺るがした。一瞬遅れて、爆発音が響く。異様な気配に、冬真はベッドから飛び起きた。

 爆発音は、なおも絶え間無く響き続けている。単なる事故や自然現象では説明がつかない。人為的な破壊が行われているのだ。それどころか常人にも感知できるレベルの、強烈な魔力の波動まで伝わってくる。

 

「おいおい……くっそ」

 

 つい舌打ちをし、反射的に足元に火がついたように慌しく玄関まで進む。取り敢えず姫柊の部屋まで行こうと思い至った瞬間だった。

 

「――雪菜ならもう火の渦中に飛び込んださ」

 

 たんぽぽの綿毛を運ぶような微風がカーテンを揺らし、どこか戯けたように艶やかな声が背後から届く。思わず足が止まった。振り返った先にいたのは、一匹の黒い猫。無限の厚ぼったい海のような夜と同じ色をした、お馴染みの不法侵入者だった。

 

「そうかい。そりゃ行く手間が省けたな、助かるよ」

 

 最早神出鬼没な猫には驚かず、玄関ではなくベランダに向かって真っ直ぐ歩いて行く冬真。猫は芝居がかった口調で彼の行動に心底驚いたように言う。

 

「なんだい、坊やも行く気かい? 最近の若いのは血の気が盛んな事だね」

「んだよ、いいだろ別に。……姫柊心配だし」

 

 小言でボソリと呟けば、ニヤリと猫は意地悪そうに笑う。

 

「もう雪菜を手懐けたのかい? 随分と手の早いマセガキだね」

「手懐けてなんかいねえよ! ったく、無駄口聞いてる暇ねえっての。んじゃ、行ってくるかんな」

 

 7階建てのマンションのベランダから、漆黒の夜を照らす爆炎を捉える。場所はアイルランド・イーストの倉庫街。冬真はベランダの手すりに足をかけて飛び去る決意をするが、

 

「――ここから先は無事では済まないよ、坊や」

 

 みじろぎひとつしない深く鋭い金色の瞳が突き刺さり、生きる気力を奪うような悪寒が冬真の動きを止めた。空気が鉛のように重くなる。それでも、どうしても動かすことのできぬほど堅固な決心が冬真の身体を硬直から動かした。振り返り、決意の宿った瞳で猫を静かに見つめ返す。

 

「……そうかもな。でもな、先は誰にとっても未知の領域だ。地図はない。次の角を曲がったところに何が待ち受けているか、曲がってみなくちゃはわからん。見当もつかない。だからこそ後悔の無いように進みたいんだ、例え、それが危険を伴ったとしてもな」

 

 それに――と猫に向かって不敵に唇を釣り上げた。

 

「姫柊はもう、俺にとって大切な存在だ。なら、それがもう俺が命をかける理由になる」

「泣き虫小僧に何ができるというのさ」

「できるさ。少なくとも、獅子王機関をぶっ潰すくらいはな」

 

 二人の眼と眼が結び合って、酸素熔接の火花のようなものを飛ばした。空気はどことなくピリピリしていて、ちょっと力を入れて蹴とばしさえすれば大抵のものはあっけなく崩れ去りそうに思えた。が、

 

「ふふん、親子そろって頑固極まりないね。まったく、そんな所を譲り受けてどうする気だい」

 

 猫が愉快そうに笑った。次第に張られた弦のような緊迫感が消えていく。

 

「いいさね。行っといで。どうせ死にやしないんだ」

「んだよそれ、んじゃ、行ってくるぞ、ばあさん」

 

 人間臭い仕草で前足を上げる猫に手を振って、冬真は地上七階から大空へと飛び出した。――待ってろよ、姫柊。

 

 

 

 

 一匹残された猫は、眼下に広がる街の夜景を見下ろしていた。街はまるで平板な鋳型に流し込まれたどろどろした光のように見える。あるいは巨大な蛾が金粉を撒きちらした後のようにも見える。

 そこに突如無数の火災が起きた倉庫街。爆発の炎を浴びた漆黒の妖鳥。

 そしてそんな戦場に向かって突っ走る、究極のクールビズを追求した風通しの良い軽装の少年の姿。猫は金色の瞳を伏せて、小さく溜息を吐き、

 

 ――あのクソガキ、本当にあの格好で行ったね。

 

 捕まるよ、と至極真っ当な意見を残して闇に姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 




  
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