転生者と雪の花   作:yuykimaze

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4話

 

 

「なんだこれ……」

 

 人工全体を揺るがすような異様な気配と爆発の振動から、古城はベッドから跳ね起きた。

 そして圧倒的に強大な、意思を持ち荒れ狂う魔力の塊を感じ取り、顔を歪めた。それは破壊の権化。

 暁古城に限りなく近い存在である、吸血鬼の眷獣(けんじゅう)。恐らくこの身を震わすようなほどの魔力から名のある“旧き世代”だろう。

 

「何だってんだ……!」

 

 良からぬ胸騒ぎに慌てて古城はベランダから探せば、漆黒の闇を照らす爆炎を見つけた。

 戦場になっているのはアイルランド・イーストの食倉庫。ほとんど無人の工業地帯だが、すでに大規模な工場火災程度の被害が出ているのが遠目にわかる。吸血鬼が何者かと戦っているのだろう。しかし、それほどの被害が出てながら、戦闘は尚も続いている。その事実が意味するのは、ただひとつ――“旧き世代”の吸血鬼が戦っているのは、“旧き世代”と同格の戦闘力を持っているという事だ。

 古城たちの住むこの街のどこかで今、誰かが、強大な旧き世代の吸血鬼を追い詰めている。とてつもない非常事態だった。

 

 

 神妙な顔で真っ先に古城はリビングへと足を運ぶ。ソファで寝っ転がってダラシなく眠る妹を目にし、どこかホッとすると同時に、ある一人の少女の姿が脳裏に浮かんだ。

 その直後、インターホンが部屋に鳴り響いた。急ぎ足で古城が玄関の戸を開ければ、高等部の制服を着た見知った少女が表情を険しくして立っていた。

 

「良かった。やっぱり暁君じゃないよね」

「あのな、俺はついさっきまで寝ようとしてたんだぞ」

「えっ? あ、あははは、そうだよね……」

 

 ホッとどこか胸を撫で下ろす羽波唯里に、ジト目で見つめ返す古城。

 確かに古城は寝間姿だ。おもわず唯里はぎこちなく視線を泳がせるも、誤魔化すようにすぐに表情を引き締めた。

 

「暁君はこの災害を起こした正体は気づいてる?」

「ああ――吸血鬼だろ?」

 

 コクっと唯里は神妙に頷き肯定した。

 

「多分、かなり名のある使い魔だから相当な大物だと思うよ」

「ああ、しかも未だに――」

 

 古城の声が断続的に響く巨大な爆発音にかき消される。人口の大地が震えて軋んだ。

 

「暁君はこのままここに居て。わたしは少し様子を見てくるから」

「は? ちょっと待て、羽波。見に行くのなら、俺も――」

 

 顔を顰めたままだった古城は、慌てて唯里を呼び止めた。唯里はやんわりと首を振り、

 

「ダメだよ。暁君は、第四真祖なんだから。他の吸血鬼を攻撃すれば大問題だよ」

「だ、だったら羽波も無理に行く必要ないだろ! 俺を監視してろよ」

「うん。本当はそうしなくちゃいけないのかもしれないね」

 

 「でもね」と彼女はしっかりと前を見据え。覚悟を示しながらも、優しく微笑んで見せた。

 

「ゆっきーだけじゃ心配だから行かなきゃ。大切な親友だからね」

 

 お茶目っ気たっぷりにペロッと舌を出し、銀色の長剣を持ち身を翻し駆け出していく。その背中を眺めて古城は思わず拳を握りしめた。

 戦闘、戦場とは冷静な言葉の通じない相手が、何のルールも縛られずにこちらの命を絶つことだけを目的にあらゆる手で迫ってくる環境。多少の知識があろうとも、素人の古城では自身の身を護ることすらできないかもしれない。そんな環境に自分が向かっていくなど、弾丸の雨が飛び交う地雷原に入っていくようなものだ。

 それに彼は第四真祖。世界最強の吸血鬼の肩書を持つ不安定な存在。ひた隠しにしてきたが、それが今以上に露見すれば、更なる災難が彼を襲うだろう。――でも、

 

「ま、待ってくれ!」

 

 その小さな背中を古城は思わず呼び止めた。驚いたように唯里は振り返る。

 

「暁君?」

「あ、いや、姫柊も行ったって言ったよな?」

「う、うん、そうだけど」

 

 それがどうしたの、と不思議そうに見つめてくる唯里。古城は呼び止めた理由を慌てて懸命に探し、閃いた疑問を口にした。

 

「冬真も行ってるのか?」

「えっ? そ、そんなことないと思うけど……」

「……おい、まさか――」

「えっ? あ、暁君?」

 

 急に何を思ったのか血相を変えて古城は隣の部屋の住人の扉まで走り、何度も呼び鈴を押した。

 

「おい、冬真! いるのか!? 返事しろ!」

 

 懸命に中にいる筈の少年の名を呼ぶが、やはり返答はない。古城は強硬手段を行う為にドアノブに手を掛けた。

 カギは締まってない。すんなりと部屋に入れば、空き家のような物静かさ。リビング、寝室を調べても中はもぬけの殻だった。

 

「あのバカ野郎……っ」

 

 思わず苦虫を噛み潰したような顔で、低く唸る古城。他人の、ましてや男の部屋に無断で入ることを躊躇っていた唯里も遅れて侵入し、人気のないリビングに古城の険しい顔つきから事の重大さに気付く。

 

「ま、まさか、ふ、藤坂君……まで?」

「ああ、行きやがった。でも、これで俺も行く理由ができた」

「えっ」

 

 彼の思わぬ言葉に唖然とする唯里。古城はどこか困ったように苦笑し、言葉をつなぐ。

 

「俺も冬真が心配だ。大切な親友だからな。だから、行こうぜ」

「ええっ? で、でも……」

「同じ理由な筈だ、羽波と。それに俺は――羽波も心配だしな」

 

 柔らかい物言いでの彼の言葉に、キョトンと目を瞬く唯里。そしてため息を一つ吐いて、上目遣いに古城を睨む。

 

「そんなこと言われたら何も返せなくなっちゃうけど、でも暁君……たらしっていわれない?」

「は? いや、なんでそうなる!?」

 

 わけもわかず非難されて、古城は声を荒げた。唯里はどこか諦めたように首を振る。

 

「分かってないならいいよ。でも、取り敢えず行くことには賛成かな。ただし、様子を見るだけだからね?」

「ああ、わかってる。ハナからムチャする気なんてねえよ」

「うん。なら行こっか」

 

 すんなりと彼女は頷き身を翻し玄関へと向かう。古城は自身の要望がすんなり通ったことにかえって驚き問いかけた。

 

「……俺が言うのもなんだが、信用してくれるのか?」

「まあ、暁君が悪い人じゃないのはここ数日でわかったから」

 

 「それに」と彼女はふわりと茶髪を揺らしクルリと回って、どこか悪戯っぽく微笑んだ。

 

「信用してるから。暁君のこと」

「……羽波の方がたらしなんじゃないか?」

「ええっ? ひ、ヒドイよ暁君!」

 

 こうしてお互いの共通目的を晴らしに、古城と唯里は夜の街へと赴いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 倉庫街のあちこちで、大規模な火災が起きていた。

 街灯の消えた街を燃えさかる炎が紅く照らしている。自動消火装置も動いていたが、火の勢いが衰える気配はない。

 幸いにも、火の街の中に人の気配はなかった。もともと人口の少ない地区だし、倉庫街の管理をしていた人々も避難を終えているらしい。爆発に巻きこよれて、送電が停止したのだろう。アイランド·イーストに到着した直後に、モノレールが停止した。雪菜は動かなくなった車両の屋根から飛び降りて眷獣が暴れている現場へと向かう。

 戦闘中の眷獣は、巨大なワタリガラスに似た 漆黒の妖鳥だった。

 翼長は余裕で十メートルを超えている。闇を固めたような巨体は、時折溶岩に似た色に輝き、吐き出す火球が周囲に凄まじい爆発を巻き起こす。その全身を包みこんでいるのは爆風だ。どうやらあの眷獣は、爆発そのものを象徴しているらしい。

 

 

 ビルの屋上に立って眷獣を操っているのは、上品な背広に身を包んだ長身の吸血鬼だった。年齢は三十歳前後に見えるが、この魔力の凄まじさを見る限り、おそらくその数倍は生きているに違いない。“旧き世代”の名にふさわしい、圧倒的な存在感と迫力である。

 絃神市内の企業に雇われた幹部社員か傭兵、あるいは夜の帝国から派遣されてきた軍の高官クラス。だが、それほどの力を持つ吸血鬼が攻撃を繰り返しているにもかかわらず、いっこうに戦闘が終わる気配はない。それどころか男の顔には、くっきりと焦りと疲労の色が浮かんでいた。“旧き世代”が、圧倒されているのだ。

 

「あれは……」

 

 闇を裂いて伸びた閃光に気づいて、雪菜が困惑の声を出す。

 それは虹のような色に輝く、半透明の巨大な腕だった。

 生身の肉体ではない。眷獣と同じように実体化した魔力の塊だ。だが、雪菜の知っている眷獣とはどこか気配が違っている。数メートル近い長さのその腕が、漆黒の妖鳥と空中で接触する。

 そして次の瞬間――妖鳥が苦悶の咆吼を上げた。妖鳥の翼が根本からちぎれて、溶岩のような灼熱の鮮血が飛び散った。そして体勢を崩した妖鳥の巨体を、虹色の腕が貪るようにして引き裂いていく。

 実体化を保てなくなった妖鳥が、単なる魔力の塊へと変わって地上に落ちる。しかし虹色の腕は攻撃をやめない。屍肉を漁る獣のように破壊された眷獣の身体を蹂躙する。

 

「魔力を……喰ってる!?」

 

 その異様な光景に、雪菜は戦慄した。倒したほかの眷獣の魔力を喰らう——雪菜が知る限り、そんな眷獣の存在は聞

 そして、その眷獣を操っている宿主の姿を見て、雪菜はさらに動揺した。

 虹色の腕の宿主は、雪菜よりもさらに小柄な少女だったからだ。

 素肌にケープコートをまとった藍色の髪の娘である人工的な美しい顔立ち。そして薄水色の無感情な瞳――

 

「吸血鬼じゃない……!? そんな……どうして人工生命体(ホムンクルズ)が眷獣を!?」

 

 呆然と立ち尽くす雪菜の背後で、ドッ、と重いなにかが投げ落とされたような音がした。驚いて雪菜が振り返った先にいたのは、重傷を負って倒れた長身の吸血鬼の姿だった。深日かと肩口から切り裂かれた傷は、心臓に真まで届いているだろう。人間ならば勿論即死だ。並の吸血鬼もだろう。未だ息があるだけでも“旧き世代”の強靭な肉体さが伺える。

 

「――ふむ、目撃者ですか。想定外ですね」

 

 聞こえてきた低い男の声に、雪菜がハッと顔を上げた。

 燃えさかる炎を背にして立っていたのは、身長百九十センチを超える一巨躯の男だった。右手に掲げた半月斧の刃と、装甲教化服の上に纏った法衣が、鮮血で赤く濡れている。吸血鬼の返り血だ。

 

「戦闘をやめてください」

 

 雪菜が、法衣の男を睨んで警告する。

 男は、そんな雪菜を蔑むように眺め、

 

「若いですね……この国の攻魔師ですか 見たところ魔族の仲間ではないようですが」

 

 値踏みするような表情で淡々と言う。

 男の身体から滲み出る殺気を感じて、雪菜は重心を低くした。

 

「行動不能の魔族に対する 置法違反です」

「魔族におもねる背教者たちが定めた法に、この私が従う道理があるとでも?」

 

 男は無造作に言い捨てて、巨大な戦斧を振り上げる。

 

「くつ、雪霞狼――!」

 

 槍を構えて、雪菜が疾走った。負傷した吸血鬼を目がけて振り下ろされた戦斧を、ぎりぎりで受け止める。

 

「ほう……!」

 

 戦斧を弾き飛ばされた男が、愉快そうに呟いた。巨体からは想像もできないほどの敏捷さで後方に飛び退き、男は雪菜へと向き直る。

 

「なんと、その槍、七式突撃降魔機槍ですか!? 神格振動波駆動術式を刻印した、獅子王機関の秘宝兵器。よもやこのような場で目にする機会があろうとは!」

 

 男の口元に、歓喜の笑みが浮いた。眼帯のような片眼鏡が、紅く発光を繰り返す。男の視界に直接情 鞦を投影しているらしい。

 

「いいでしょう、獅子王機関の剣巫ならば相手に不足なし。娘よ、ロタリンギア殲教師(せんきょうし)、ルードルフ・オイスタッハがお手合わせ願います。この魔族の命、見事救ってみなさい」

「ロタリンギアの宣教師!? なぜ西洋教会の祓魔師が、吸血鬼狩りを――!?」

「我に応える義務なし!」

 

 男の巨体が大地を蹴って猛然と加速した。振り下ろされた戦斧が、容赦なく雪菜を襲う。強化鎧によってアシストされたその斬撃の威力は、装甲車すら容易に引き裂くレベルだ。しかし、雪菜はそれを完全に見切って紙一重で避けた。そして反撃。旋回した雪菜の槍がオイスタッハの右腕に伸びる。

 

 

「ぬううん!」

 

 オイスタッハはその不可避な攻撃を受け止め、左腕の装甲を失う。砕け散り顔を歪めた隙を見た雪菜は距離を取る。

 

「我の聖別装甲を打ち破りますか! 素晴らしい!」

 

 破壊された左腕の鎧を眺めて、オイスタッハが満足そうに舌なめずりをする。彼の片眼鏡が、せわしなく点滅を繰り返している。そんなオイスタッハの禍々しい気配を感じて、雪菜が表情を険しくした。

 彼はここで倒さなければならない、と決意する。剣巫としての直感が告げていた。この師をこのまま放置すれば、巨大な災厄をこの地冔びこむことになる、と。

 心の中に大胆な決心が稲妻のように身体中に閃き渡り、

 

「――獅子(しし)神子(みこ)たる高神(たかがみ)剣巫(けんなぎ)が願い(たてまつ)る。破魔(はま)曙光(しょこう)雪霞(せっか)神狼(しんろう)(はがね)神威(しんい)をもちて我に悪神百鬼(あくじんひゃっき)を討たせ(たま)え!」

「む……これは……」

 

 雪菜が厳かに祝詞を唱え、少女の体内で練り上げられた呪力を、七式突撃降魔機槍が増幅。槍から放たれた強大な呪力の波動に、オイスタッハが表情を歪める。

 直後、雪菜はオイスタッハに猛然と攻撃を仕掛けた。

 閃光のように放たれた銀の槍を、殲教師の戦斧が受け止める。その腕に伝わる衝撃に、オイスタッハは顔を歪めた。獣人の攻撃すら易々と受け止めた強化鎧が、小柄な少女の攻撃に耐えきれずに数メートル近くも後退。過負荷によって各部の関節が火花を散らす。

 

 しかも雪菜の攻撃はそれだけでは終わらない。至近距離からの嵐のような連撃に、男は防戦一方になる。その事実に殲教師は驚愕する。

 実は単純な速さでは、人間である雪菜は、獣人や吸血鬼に遠く及ぱない。

 だが霊視によって一瞬先の未来を視ることで、雪菜は結果的に誰 よりも速く動くことになる。さらに様々なフェイントを含む高度な武技と組み合わせることで、雪菜は装甲強化服の人工知能ですら回避できない攻撃速度を得ているのだった。

 

「ふむ、なんというパワー……それにこの速度! これが獅子王機関の剣巫ですか!

 

 見事、とオイスタッハは賞賛する。そして強化鎧の筋力を全開にして、殲教師が背後へと跳躍する。

 

「いいでしょう、獅子王機関の秘呪、確かに見せてもらいました――やりなさい、アスタルテ!」

命令受諾(アクセプト)執行せよ(エクスキュート)、“薔薇の指先(ロドダクテュロス)”」

 

 少女のコートを突き破って現れたのは、巨大な腕。それは虹色の輝きを放ちながら、雪菜を襲う。

 

「ぐっ!」

「ああ……っ!」

 

 巨大な魔力と呪力の激突に、大気が耳障りな音を立てた。

 だが、かろうじて雪菜が激突に打ち勝つ。“薔薇の指先”と呼ばれた眷獣を、銀の槍がじりじりと引き裂いていく。眷獣のダメージがフィードバックしているのか、苦悶の表情の少女は絶叫した。

 

「あああああああああああああ――」

 

 彼女の細い背中を引き裂く様に、もう一本腕が現れる。どうやら左右一対でひとつの眷獣なのだろう。まるで独立した別の生き物のように、頭上から雪菜を襲ってくる。

 

「しまっ――」

 

 雪菜の表情が凍り付いた。

 雪霞狼の矛先は、眷獣の右腕に刺さったままだった。もし一瞬でも雪菜が力を抜けば、手負いの右腕が槍ごと雪菜を押しつぶすだろう。そしてその状態では、雪菜は、左腕の攻撃を避けられない――!

 旧き世代の吸血鬼をも凌駕するその攻撃に、脆弱な人間の肉体が耐えられるはずもない。雪菜を待っているのは確実な死だ。優れた剣巫であるが故に、その結末を雪菜は一瞬で理解した。

 その瞬間不意にまったく同じことをした経験があるような、時間が二重写しになったような既視感がわいてくる。

 記憶が、ともし火の消えるときのように、つかの間生き生きと雪菜の脳裏に燃え上がってきた。

 

 もうそれは遠くでゆらめく蜃気楼のようにつかみ所がない記憶でしかない。でも、雪が視界を純白に埋め尽くした、あの日。降りしきる雪と闇とのぼんやりした明暗の中で、確かに自分に迫り来るものを一度感じたことがあった。

 それはどうにもならない――運命的なもの。不思議な暗い力に引っぱられるみたいに、抗えないもの。

 決して諦めたわけではなかった。でも、どうしようもないものだと悟った。

 確実な死を――確かにこの目で視たのだから。

 

 ――大丈夫。絶対に、護るから。

 

 でも、未来は変わった。半分夢のような、耳の底で優しく囁かれてるような声が、抗えない死の割れ目を『いつか』に捻じ曲げてくれた。弧を描く様に何もかもを包み込んでくれるような少年の笑顔に救われた。

 

 ――んじゃ、約束だからな

 

 どうしてかはわからない。でも、あの出来事が走馬灯のように頭を駆け巡る度に、見知った少年が不思議と脳裏をよぎる。ほんの数日出会ったばかりの、どこか読めない少年の面影が。

 思えば本当に可笑しな先輩だった。監視されてるくせに妙に優しかったり気を遣ってくれたり。自分が監視されてるという実感がないのだろうか。それに、人の好意には鈍感なくせに、妙に気配に鋭かったり。そもそも雪霞狼を持たせてまで監視すべき人間ではない気がする。

 

 でも、彼と共有した時間は、雪菜の瞼を見たこともないほど華やかな花でいっぱいにさせた。 

 何より彼は優しかった。兄のように優しくいたわってくれた。それが茨に刺された傷の痕を、親切な手でさすってもらってでもいるような心地よさを与えてくれた。

 きっと自分が死んだら、彼は悲しむだろう。だから強く生きたいと思った。それに、彼との約束を破るわけにはいかなかった。そんな自分に驚きながら、そして、

 

「――ったく。1人で突っ走るなよな、お前。ホント心配したんだからな」

 

 耳を聾する炸裂音と共に、大気が微かに揺れる。

 ふわりと吹いた風に流れて、苦痛の代わりに見知った温かい声が真綿のように雪菜の耳を包む。

 

「……せん、ぱい」

「よお、姫柊」

 

 震える雪菜の声に、お気楽な声で応える少年。

 そして少しの浮遊感と軽い衝撃。雪菜を担いだまま、何処かに着地したようだ。

 されるがまま雪菜が少年を見上げていれば、気遣うように視線を落とし、柔らかな目色で少年は微笑む。

 

「絶対死なせないからな、姫柊」

 

 雪菜はそんな笑顔に魂を奪われたように、彼の腕の中で少年を瞳に映し続けた。

 ドクン。魂に刻まれた遠い憧れが大きなものになって。あの日感じた温かい何かに似たものが、ほんのりと雪菜の心を灯していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「良かった……怪我はないな」

「は、はい……あ、あの……」

 

 腕を少女の脇に通して、奥の肩をしっかり持って、そして両膝をもう片方の腕で持ち上げた――所謂御姫様抱っこから雪菜を解放し、そっと地面におろした冬真は、雪菜の全身をくまなく傷がないかをチェックする。中学生の全身を隅から隅まで眺める行為は若干危ない気もするが、無事傷一つないことを目で確認し、冬真はホッと胸を撫で下ろした。

 そんな冬真にもの言いたげな雪菜の視線を、彼は不思議そうに見つめ返した。

 

「どうした? 姫柊」

「ど、どうして……」

 

 何故か俯いてプルプルと肩を小刻みに震わせている雪菜。前髪で表情は見えない為、冬真は怪訝そうに顔を覗き込む。そして一つの仮説が閃く。もしかして、戦場に飛び込んできたのを彼女は怒っているのだろうか。魔族でも何でもない一般人の自分を。確かに彼女からみたら死刑囚と自ら名乗って死刑台に乗り込むようなものだろう。でも、冬真だって言い分はある。が、ただ彼女の怒りは冬真の予想の斜め上を行く。

 

「どっ、どうしてそんな恰好なんですか――ッ!!」

「えっ? あー、いや、これはさ」

 

 怒気を帯びて、彼女は一喝した。目じりを険しく吊り上げてグイッと詰め寄ってくる雪菜に、冬真はそっちかと納得する。彼女のチラッと恥ずかし気な視線の残影を辿って自分の格好を見下ろせば、確かに彼女の指摘通り、戦いには些か不向きな風のように軽い軽装。究極のクールビズ。――下着のみである。

 

「なんだ、ほら、俺3日に一回はパンツ一丁で寝るからさ。あ、これ通気性抜群なんだぜ? ほら、この辺とか……」

「そ、そんなこと聞いてません! どうしてそんな恰好で外に出てきたんですか!?」

「ま、まあ、今はいいじゃんか。瑣末な問題だろ」

「だ、大問題です! いいから説明してください!」

「えぇ……」

 

 形相は鬼面を思わせるように殺気立っている。傍から見れば、親に叱られた子供だ。しかし、その殺気が幾分か和らいでいるのは、彼女が冬真の格好を直視できずに、時々恥ずかしそうに視線を背けるからだ。

 確かに彼女の言い分は理解できた。なんせ武装もせずにこの格好では、戦争に細い棒を持って戦いに挑むようなものだろう。だが、今はそれを言い争ってる暇ではない。なるべくはやく彼女の沸点を下げるべく、冬真はゆっくり雪菜に近付いた。が

 

「ち、近寄らないで下さい!」

「……ひ、ひどい」

 

 とてつもなく強い拒絶が返ってくる。グサリと心に刺さり涙が零れそうになるが、できるだけ柔らかい声音で告げた。

 

「心配だったんだ。お前が怪我したらどうしようって。だから居てもたっても居られなくなって飛び出してきたんだ」

「そ、そんなこと……べ、別に私の心配なんか……私は、先輩の監視役なんですよ。先輩が心配する要素なんて――」

「――そうですよ、少年。そのような道具に心配など、無用でしょう」

 

 全く言葉を選ばない。罪悪感など微塵も感じさせない悪魔の囁きが忍び込む。冷静な横やりが雪菜の言葉を遮った。唯その言葉は冬真の怒りを買うのに十分だった。振り返るなり音の方角を睨みつける。

 

「今お前、何て言った?」

「聞こえませんでしたか? そこの剣巫の心配など無意味だと申したのです」

「だからどういう意味だ」

「おや、その様子だと知らなかったようですね。いいでしょう」

 

 人の心を弄ぶように妙に楽し気な口調で口元を歪めるオイスタッハ。その瞳の奥には濃密なまでの狂気が覗かせていた。それに伴ってどんな未来を視たのか、彼口から語られる真実を恐れたかのように、雪菜の肩がびくりと震える。それをオイスタッハは嘲弄するかのように続けた。

 

「彼女は両親に金で売られて、獅子王機関にただひたすらに魔族に対抗するために育てられた存在ですよ。教え込まれた技術で、命令されれば戦場に送り出される。言わば使い捨ての道具と同じ。そうでしょう? 剣巫よ、その歳で、それほどの攻魔の術を手に入れるために、貴方は多くのものを犠牲に捧げたのでしょう?」

「そ、それは……」

 

 オイスタッハの静かな指摘に、雪菜は無言で唇を噛み締めて、表情を蒼白させた。反論は出来なかった。反論しようという考えすら、浮かばなかった。それ程までに、彼の発言は的を射ていたのだ。

 

「……彼の、言う通りです」

 

 沈黙に耐えきれなくなったのか、これ以上隠し通さないと悟ったのか、雪菜がふつふつと言葉を紡いでいく。その隠しようのない寂しさに彩られた言葉に、無言で雪菜の横顔を眺めた。

 

「私は、使い捨ての道具です。ずっと前から気づいていたけど、認めたくなかったんです。私は両親からお金で売られて、ただ魔族と戦うために育てられたんです……だから、その時から私は――痛っ」

「バカ言ってんじゃねえぞ――ッ!」

 

 びっくりするような胴間声で怒鳴る冬真。加えて頭頂部への衝撃。鉄骨を落とされたその痛みに思わず雪菜の目の端に涙が溜める。

 

「せ、先輩……?」

 

 そのただならぬ冬真の気配に、身を竦めながら恐る恐る見上げれば、これでもかと怒り心頭な冬真の姿が視界いっぱいに映った。

 

「なにあのバカに踊らされてんだ、そんなもん勝手に決め込んでんじゃねえ!」

「で、でも……」

「ああ、確かにあのバカの言う通り、お前はそうやって育てられたのかもしれない。非人道的な訓練だってあったんだろうさ。そうやって当たり前の日常を捨ててきたのかもしれない」

 

 「でもな」と彼は真っ直ぐに雪菜を見返した。その力強い瞳に吸い込まれたかのように周りから音が消え、雪菜は視線が逸らせなかった。

 

「認めたくないんだろ? だったら足掻いてみろよ! もがけよ! なにたかが14年しか生きてねぇで自分の価値は道具でしかなかったなんて卑下してんだよ! そんなもん、てえめの人生駆け抜けてから口にしろ! 結局そうやって誰よりも道具扱いしてるのは他でもない、自分自身じゃねえか!」

「――ッ!?」

 

 冬真の叱責に、雪菜はハッとしたような顔になる。

 

「どんな環境で育っても、そこでどう考えどう頑張るかでお前は何色にでもなれるんだぞ? なら今度こそ、視野広げてこの世界を見てみろよ。世界はお前が思ってるより広いんだから。決してお前が剣巫として歩いてきた道のりだけが姫柊雪菜の価値を測る全てじゃねえはずだ。お前の事を、剣巫としてだけじゃなく1人の女の子として大切にしてくれた人達がいる筈だぞ。高神の杜の仲間、恩師、クラスメイト。それと――」

 

 冬真は艶のない黒髪をクシャ、と乱暴に撫で、

 

「お前の為に、命投げ出してまで駆けつけるバカな男がいることも、忘れないでくれ」

「先輩……」

 

 彼の柔かい声が、やさしさが膜を張ったような瞳が、陽だまりのような愛情が、孤独だと思い込んでいた雪菜の心を柔らかく包み込んでいく。次第に雪菜の胸の奥が白湯でも飲んだように温かくなった。

 

「だからさ、もう自分を道具だとかいわ……お、おい、ひ、姫柊……? ど、どうした!?」

「えっ? あ、あれ……」

 

 思いっきり狼狽し始めた冬真に、雪菜は初めて自分の頬に一筋の涙が流れてることに気付いた。

 

「こ、これは……その……」

 

 必死に言い訳を考えながら涙を隠そうとするが、意思に反してほろほろと彼女の瞳から雫が流れていく。

 

「初めて……本気で、叱ってくれる人がいたので……それで……」

「そっか」

 

 閉じた瞼を指先で拭う頭半分低い雪菜を、冬真は子供をあやすように優しく二度、三度と髪を撫でた。雪菜は最初こそ困惑気味に見上げてくるが、次第に気持ちよさそうに目を細め、無意識に小さな微笑みを浮かべた。

 

「失くしたもの、捨ててきたものはお前次第で取り戻せるんだから。また新しく見つけていけばいいと思うぞ」

「……はい」

「……大丈夫そうだな」

 

 コクっと頷き、雪菜は顔を上げてその瞳を向けてくる。もう揺るぐことのない堅固な決心が宿った、真っすぐな瞳だった。冬真はその双眸を見つめ返し、瞳に宿る覚悟を見届ける。そして好戦的な笑みを浮かべてオイスタッハに向き直った。

 

「感謝するぜ、おっさん。どうやら姫柊は、一歩前に踏み出したみたいだぞ」

「……どうやらそのようで。私には半裸の男が少女を泣かせる姿にしか映りませんでしたが」

「ご、誤解を招くような言い方をするな! い、いや、誤解じゃないかもしれないけど……と、とにかく次はてめえだ、おっさん。覚悟しろ!」

 

 ビシッと指をさして宣戦布告をする冬真。その隣で、クスッと小さな笑い声が耳に届いた気がするが、気に留めずにコンテナから飛び降り、オイスタッハと対立するように向かい合う冬真。それを虹色の眷獣を実体化させたままの小柄な影が、遮るように割って入ってくる。その無表情な瞳に、冬真はハッとしたように彼女を見つめた。

 

「せ、先輩は後ろに下がってて下さい。相手は私がします」

 

 慌てて雪菜もコンテナから飛び降りて、冬真を護るように前に出た。

 

「い、いや、待てって。てかなんだアイツ。背中から気味の悪い腕出してるぞ」

「あれは人口生命体の眷獣です。それと彼はロタリンギアの殲教師だそうです」

 

 困惑する冬真に淡々と端的な説明を口にする雪菜だが、帰って益々冬真の疑念を募らせていく。眉間にどんどん皺が寄っていった。

 

「人口生命体の眷獣? 何だそのミスマッチ。ってかあのおっさんもヨーロッパからわざわざここで暴れてんのか? 意味わからんぞ」

「私も分かりません。ですから――」

「そうだな、取り敢えず、コイツらから聞くしかないな」

 

 警戒したように重心を落とす雪菜。冬真は彼女の小さな背中越しから冷静に殲教師と人口生命体を交互に見て観察、分析を開始した。恐らくこの騒動発端は彼らだ。男の武器は大きな戦斧。ヒビが入っているのは恐らく雪菜の攻防に耐え切れなかったからだろう。おまけに左腕の鎧もはがされている。

 そして人口生命体の少女。無表情で感情があまり上手く読めないが、その糸を引いたようなささやかな悲しみを感じ取り、夕方の視線は彼女だと確信がついた。問題は、あの背中から飛び出している虹色の眷獣だ。右腕に突き刺さったままの雪霞狼は兎も角、地面が陥没するほどの威力をもつアレをなんとかしなければ勝ち目はなさそうだ。

 ――つまるところ然程問題はないということだ。

 彼の「常識」がそう結論付け、雪菜に並ぶように一歩前へ出た。

 

「せ、先輩?」

「いや、なに、姫柊。一つ聞くぞ」

 

 真面目くさった声で問いかけた。

 

「戦場で隙のない相手って、どんな奴だと思う?」

「は、はい? きゅ、急に何を……」

 

 その真意がわからず、上ずった声で横顔を眺める雪菜。しかし、それに応えることなく冬真はどこか虚空な瞳で前を見据えていた。先ほどまでのどこかおちゃらけた雰囲気から一変して、異様な静かな佇まいに、雪菜は思わず息を呑む。

 

「俺はさ、どんな相手にも敬意を払い続けるやつが、戦場で隙がない奴だと思うんだよ」

「せ、先輩……?」

 

 冬真は物怖じせずに泰然とした足取りで進んで行く。殺意も恐怖もない。戦おうという意志すら感じない。身体のどこにも余分な力を入れていない。オイスタッハは次第に瞳に侮蔑の色が宿り始めた。それもそのはずだ。半裸の少年が、戦闘経験を豊富に積んだ強靭な肉体の男を前に、何ができるのか。

 身の程を弁えない冬真に、オイスタッハは最後の警告を告げた。しかし――

 

「殺る気ですか? そのような見窄らしい姿で」

「ああ、んじゃ――行くぞっ!」

 

 慢心はあった。それでも油断したつもりはなかった。だがオイスタッハが構えようとした刹那、強化強化装甲の砕けた音と共に気づけば身体は宙を舞っていた。続けてトラックにでも突っこまれたような衝撃が腹部を襲い、後方に吹き飛んだ。

 そのあまりの一瞬の出来事に、静かというにはおそろしすぎる底なしの無音の世界が訪れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「い、今……何が……」

 

 雪菜の端正な唇から、漸く震える声が漏れた。それでも上手く言葉が紡げない。呼吸すら忘れてしまう程に、驚愕で立ち尽くした。

 

「まったく、相手がパンツ一丁だからって油断しすぎだ」

 

 ふんす、と鼻息を荒げて勝ち誇ったように仁王立ちをする冬真。気付けばオイスタッハと入れ替わるようにしてそこに彼は存在していた。しかし、すぐに前方への興味を失ったのか、吹き飛ばした相手を背に反転し、自然と人口生命体に目線を固定する。目が合う。その瞬間、少女は初めて生物としての原始的な恐怖に駆られ、反射的に震える唇をから言葉を紡ぐ。

 

命令を続行せよ(リエクスキュート)、“薔薇の指先(ロドダクテュロス)”」

 

 巨大な腕が鎌首をもたげる蛇のように伸びる。

 

「先輩――ッ!」

「……安心しろ」

 

 虹色の鈎爪を鈍く煌めかせ、猛禽のように冬真を狙う。雪菜は堪らずに叫んだ。その真剣な声に、冬真は薄く微笑みを返し、真っすぐに敵へと向き直る。その瞬間、再び冬真の纏う空気の色が変わった。見ている者に視野狭窄を起こさせるようなプレッシャーを、彼は放っているのだ。

 右の掌を相手に向けて、真っすぐに右腕を伸ばす。そして、

 

「――ッ!」

 

 掌から暗闇にも似た何かを創造。異空間のような小さな闇が、彼の身体を覆うほどの巨大な腕を受け止めたのだ。

 まるで吸収したかように衝撃がない。音がない。風がない。

 思わぬ事態に瞳を見開き、藍色の髪の少女が硬直した。その一瞬のうろたえが、完璧な優位を砂のように崩した。

 冬真は創り出したものを消し、一瞬の間合いを詰める。少女の背後に回り込み、空手チョップの姿勢で手を掲げた。

 

「悪く思うなよ」

「――うぐッ」

 

 容赦ない呪力を込めた手刀を首の後ろに叩き込む。短い悲鳴と共に、少女は糸が切れた人形のようにその場に前のめりに倒れ込んだ。危なげなく抱き留めた冬真は、ふうと一息ついてそっと彼女を地面に寝かせる。気づけばあの禍々しい眷獣も大人しく引っ込んだようだ。

 一件落着かな、と転がる銀の槍を大事そうに拾って、雪菜の元まで持っていく。

 

「はい、姫柊。この槍、大事に持っとけよ。ーー大切なものだろ」

「えっ、あ、は、はい。……え?」

 

 一応雪菜は言われた通り素直に受け取るが、やはり脳の処理が追いつかずに、ただ為すべき事をなしたような彼に困惑するばかり。そんな雪菜のポカンと口を開けた姿に、つい状況に似つかわしくない笑い声を冬真は上げた。

 

「あはははは、なんだその、鳩が豆鉄砲を食らったような顔。可愛いぞ、それ」

「へっ? あ、いや、これは、その……」

 

 可愛いという響きに反応してほんのりと頰を紅潮させる雪菜だが、ハッと我に返り慌てて首を振った。

 

「い、いえ、それより先輩。先ほどのは……?」

「疑似空間ってやつだな。まあ、ちっちゃいけど」

「て、掌に疑似空間を作り上げたのですか!? で、では、あの殲教師を吹き飛ばしたものは?」

 

 マジマジと見つめ、硬い声音で彼女は問いかけてくる。やはり隠しきれぬ驚愕が故だろう。なんせ彼の初撃には、魔術や呪術の痕跡は見当たらなかった。それなのに彼は音速を超えるほどのスピードで100メール近くも人を吹き飛ばしたのだ。もしかしたら雪菜はこの世界の根源を覆すようなものを見てしまったのかもしれない。彼の言葉を並々ならぬ覚悟で待っていた。が、彼はあっけらかんと応えた。

 

「なにってただ殴っただけだろ」

「――は? え?  な、殴った?」

「え? あ、ああ。走って殴っただけだよ。だってあの鎧邪魔じゃね?」

「は、はあ……」

 

 邪魔だから殴ったという理屈は兎も角、最早雪菜は何も返す言葉が見つからなずに曖昧に頷くしかなかった。

 常識が音を立てて崩れていった気がした。少しづつ雪菜は彼の非常識さと監視の意味を垣間見た気がした。彼が報告書の記載通り本当に人間なのかすら怪しくなってくる話である。それに、何より雪菜がショックだったのが、霊視を持ってしても、彼の動きを見切れない事だった。

 

「あんまり目には頼りすぎない方がいいぞ。未来ってのはあやふやで無敵だ。ただでさえその目は予想しえない突発的なものに弱いんだから」

「……っ、せ、先輩、霊視のこと――」

 

 雪菜は霊視を彼に告げた記憶はない。だが、それをあたかも知ってるかのように話す彼に、募る疑念を晴らそうと言葉にしかけた雪菜だが、甲高い声に遮られ、意識が強制的にそちらに向かう。

 

「――ゆっきー!」 「姫柊!」

「……唯里さん。暁先輩」

 

 見知った高等部の制服を着た唯里と白いパーカーを着た古城が血相を変えて飛び込んでくる。が、

 

「冬真、けがね…ってお前、なんて格好してんだよ!?」

「きゃっ」

 

 冬真の姿を目にした途端、古城は怒声を浴びせ、唯里は可愛らしい悲鳴と共に慌てて顔を手で覆い隠した。冬真はガシガシと頭を掻きむしり、乱雑に返す。

 

「まあ、落ち着けって。色々あったんだよ」

「落ち着けるかっ、どんな事情があったらそんな姿になるんだ!?」

「安心しろ、後で上は着るよ」

「どちらかと言ったら下だろ! 下を履けよ! 友人が公然わいせつ罪とかシャレになんねえぞ!」

「うるせえな! こっちだって焦ってたんだからしょうがねえだろうが!」

「焦ってたからってどうして下を履かない理由になるんだよ!」

「服着てなかった事忘れてたんだよ! 悪いか!」

「悪いわ! なに開き直ってんだ!」

「2人とも、いい加減にして下さい」

 

 緊張感のない古城と冬真のやり取りがヒートアップしそうなのを見かねて、冷静な声で雪菜が制止をかける。こほん、と彼女はワザとらしく咳払いをしてから、

 

「――とにかく今は、状況整理よりまずはこの場から離脱することを考えましょう。説明はその後です」

「そうだな、取り敢えずあの女の子と――ッ」

「ど、どうした冬真?」

「先輩?」

「ふ、藤坂君?」

 

 冬真が驚愕を顔に表し、言葉が止まる。

 不審に雪菜、古城、チラチラと恥ずかし気に唯里が訊ねる。冬真はその視線に応えることなく舌打ちをしてから、険しい顔つきで呟く。

 

「マズいぞ、これは……」

 

 胸の中が煮え返るように動顚しながら、冬真は明後日に視線を向けた。

 

「……これって」

「あ、ああ、これって」

「う、うん。そうだね」

 

 耳を澄ませば聞こえてくる、遠くで犬の鳴くようなけたましい暴力的な音に、雪菜、古城、唯里もその正体に気付く。

 

「ああ、来やがったんだよ、奴らが」

 

 睨みつけた先から次第に近づいてくるその音に、冬真は急いで眠る少女に近付き優しく担ぎ上げた。その行動に古城が驚いたように声を上げた。

 

「お、お前、何やってんだよ」

「何ってこの少女を届けに行くんだ。俺の信用してる人に預ける」

「と、届けるってどこにですか?」

「あとで教える。それよりも今は離脱だ、奴らが来るぞ」

 

 焦りを抑えきれない乱れた声音で雪菜に告げる冬真に、唯里がどこか冷静に呟いた。

 

「え、えっと、救急車と消防車が来るだけだよね?」

「バカ言うな。こんな場所でパンツ一丁の男が少女を担いでんだぞ。そんな光景見られたら――死は免れない」

「いや、自分から担いだんだろ」

 

 これまた冷静な古城の横やりに、うぐっ、と口ごもるが、

 

「と、とにかく、夜道には気をつけて帰れよ、じゃあな――」

「えっ、せ、せんぱ……」

 

 呼び止めかけた雪菜の声を無視して、冬真は目的地へと飛んだ。

 

 

 

 

 

「い、今のって……」

「空間転移の魔術……ですね」

「あ、アイツ魔術使えたのかよ……」

 

 唯里の驚きで漏れた言葉に、雪菜が代弁するかのように言葉を紡ぐ。古城は呆気に取られたように呆然と抑揚の乏しい声で囁いた。

 

「取り敢えず、この人を病院に運んでから私たちも戻りましょう」

「う、うん。そうだね」

「あ、ああ、そうだな」

 

 このまま事故現場に留まったら事情聴取など面倒ごとに巻き込まれるだろう。それに彼らの到着より古城たちが瀕死の吸血鬼を病院に運んだ方が早い。それを瞬時に判断しての彼女の言葉には素直に唯里と古城が頷く。もっとも、それを素早く悟った下着姿の男は面倒ごとを一つ残し去って行ったが。

 

「な、なあ、またここ戻るのか?」

「そ、そうだね」

 

 二基の人工島を連結する長さ約十六キロの連絡橋を眺め、古城が嫌そうに顔を顰めて問いかける。唯里も引き攣った顔で頷いている。どうやら全力疾走で走破したメンタルが今彼らを襲ってるらしい。瞬時に古城は下着姿の男が使役した魔術が脳裏に閃くが、彼がそのために戻ってくることなどないことは良く理解していたために、ガクリと落胆し、男を担いだ。

 

「これも訓練の一環だと思いましょう」

 

 雪菜だけが涼しい顔で前向きに言うが、事はもっと深刻だった。

 

「っておい、ちょっと待て。このまま歩って進んでたら、下手したら鉢合わせにならないか?」

「「……っ」」

 

 ピタッと唯里と雪菜の足が止まる。そしてよからぬ想像に徐々に顔が青ざめていく。古城は戸惑いながら2人に問いかければ、

 

「ど、どうする?」

「「今のうちに走ろう(りましょう)」」

「か、勘弁してくれ……」

 

 見事なハーモニーを奏でた結論に、古城は思わず天を仰いだ。

 

 

 

 

 

 唐突に意識が回復すれば、全身がばらばらに砕けて勝手な方向に駆け出し飛び散っていくような激しい痛みを感じ、仰向けに倒れ込む自身の姿を確認した。起きようにも筋肉と神経がうまく連動していないのか、身体の自由がほとんど効かない。首だけを動かし、周りを見渡せば食糧庫だろうと判断がついた。口の中の金臭い血の味。腹部の砕け散った強化鎧。視線だけ向けて眺めることで、今さっきそこにあったかのように、はっきりと記憶に浮かび上がる。たった一人の少年によって起こされた惨劇を。

 

「わたしは……負けたのですか」

 

 風鈴の微かな音さえ騒がしく聞こえるような場所に、男の声が静かに溶け込む。

 思えば一瞬だった。油断はあったのだろう。たかが下着姿一枚の少年ごときに後れを取る筈がないと思っていたのだから。しかし、結果は呆気ない敗北。いや、成すべくなったのかもしれない。油断せずともあの少年には勝てまい。一体何を身体に施したのかはわからないが、強化鎧を粉々にする程の威力を放った何かに、少年のあの速度は常軌を逸していた。稲妻のような素早さだった。到底人間の目で捉えることなど不可能に近かろう。

 男は無意識にあいまいな表情を作った。雨が降り出すのか、にわかに晴れ渡るのか予測のつかない空を眺めているかのような複雑な心持だった。

 

「……」

 

 不意にサイレンの音が、獲物を追いつめていく勢子の掛け声のように響く。どうやら幕開けのようだ。これで文字通り捉えられて計画も全て水の泡となって消える。

 ――それでいいのか。これで終わりを迎えるのか。

 不意に自身の気持ちが振り子のように揺れる。

 何のためにここにやってきた。 忌まわしき邪法に手を染め人々に踏みつぶされている肉親を、取り戻すためではないのか? なら、私は……こんなところで何をやっている……?

 

「……ぐっ」

 

 背骨に杭が打ち込まれたような激痛を感じながらも、瓦礫を押しのけていく。あやふやな気持ちを虫けらのように押しつぶしていく。天に祈るほか何の術もないようなダメージの身体を、動かす。――動く。

 ――まだだ。私はそのために来た。この街に續うべき対価を与えるために。

 屈辱、屈辱……屈辱――思索の壁は屈辱という、ちかちかと寒く光る色で、いちめんに塗りつぶされていた。心の一角に悪い衝動が、夏の雲のように立ち現れたかと思うと、みるみる心の空全体に広がっていく。そう。全ては――

 

 ――我らの信仰を……取り戻すために……

 

 墨のような闇に浸される景色を眺め、毒蛇のような殺気だった心を男はポケットにしまい、その場を去って行った。

 

 

 

 

 

 

 くっきりとした朝の光がまるでテーブルクロスでも引き払うように闇を消し去るころ、冬真は一人でリビングのソファにぐったりと身体を沈めて預けていた。夜でも朝でもなく、夢の続きではないが確かな現実とも思えない、夜明けの白っぽい薄明の感覚を受けながら、再び眠りに就こうとした時、インターホンが眠気を遠ざけた。

 

「誰だよ……寝させろよ」

 

 眠そうに眼を擦りながら、トボトボと玄関の戸を開ければ、

 

「おはようございます先輩」

 

 ぺこりと雪菜が規則正しくお辞儀をするが、顔を上げた雪菜の瞳はどこか恨みがましさが宿っていた。

 

「ひ、姫柊……」

「先輩がいなくなってから、あの瀕死の吸血鬼を病院に運んだりしてるうちに今の時間に帰宅しました。……先輩は先に就寝なさっていたようですね」

「……すみません」

 

 ジロジロ寝間着姿を不満げに眺める雪菜に、冬真はすぐさま平謝りをする。そんな冬真を雪菜は諦めたように深々と嘆息した。

 

「もういいです。私もこんな早朝に訪ねてしまったので」

「あ、ああ。んで、どうした、事件の報告か?」

「い、いえ……その……あ、ありがとう、ございました。助けて頂いて」

「えっ、お、おい、姫柊……!?」

 

 ペコッと今度は深々と頭をさげる雪菜に、慌てふためく冬真。数秒の沈黙後に、雪菜はゆっくりと頭を上げて、

 

「あ、あと、あの時かけてくれた言葉。その、凄くうれしかったです」

「お、おう……なんか、説教臭いこと言っちまったけどな」

 

 彼女の言う言葉とは、彼女に鉄骨を落としたあの時の事だろう。しかし、下着姿でよくあんなこと言えたなと、急に気恥ずかしさでガシガシと乱暴に頭をかいた。

 

「あ、あの、それで……なんですけど」

「ひ、姫柊?」

 

 俯き加減で雪菜は何かを言いたそうにぎこちなく視線を泳がせていた。見ればほんのりと頰が朱色に染まっている。冬真は不審に眉を寄せて眺めれば、暫くして沸々と彼女は消えそうな声で言葉を紡いでいく。

 

「わ、わたしは……その、訓練ばかりで、普通の人と同じような生活をしてこなかった人間です。そんな当たり前の日常を捨てて生きてきました。で、でも、先輩の言葉を聞いて頑張って私なりの日常を見つけたいと思いました。な、なので、その……」

 

 身体中のありったけの勇気を集めたかのように、拳を胸の前でギュッと握り、雪菜は決意を込めて顔を上げた。

 

「先輩に、手伝ってほしいです。わ、わたしの、新しい日常を見つけるために……だ、ダメ……ですか?」

「姫柊……」

 

 じっと潤んだ瞳で見つめ、切々と、縷々と、思いの丈を訴える雪菜。

 そんな雪菜の真っすぐな想いが、冬真の胸を貫いた。

 無意識のうちに冬真は口角を上げて、雪菜の癖のない髪を柔らかく撫でる。雪菜はそれが答えだとどこかくすぐったそうに目を細めた。

 

「探すか……一緒に」

「――はい!」

 

 露を光らせて咲き崩れようとする花のような艶やかな笑顔に、冬真はしばし脳裏に焼き付いて離れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







とあるマンションの一室。

「……ほお、帰ってみれば随分と大胆な不法侵入だな、貴様。何者だ? なぜ私の部屋に、しかもベッドで人口生命体が寝ているのか説明願おうじゃないか」
「……不明。彼から伝言受諾。那月ちゃん、後はよろしく。以上」
「……おもしろい……そいつの名を言ってみろ」
「藤坂冬真。下着姿の男」
「……そうか……ふふっ、……あの男め……余程死にたいらしいな」


「うおっ!?」
「先輩?」
「いや、なんか寒気が……」
「風邪ですか?」
「……そうかもな」




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