転生者と雪の花   作:yuykimaze

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5話

 

 

 

 

 翌日のメディアは、絃神市で発生した謎の爆発ニュースに染まっていた。

 新聞の一面に破壊された倉庫街の写真がでかでかと掲載され、テレビや動画サイトでは目撃者の談話が永遠と再生されている。被害に逢ったのは、大手食品倉庫の倉庫。大型車にでも突撃されたのではと思う程に半壊した。死傷者は出なかったのが不幸中の幸いだろう。

 

「うわー、怖いねー。これって原因不明なんだよね」

 

 制服にエプロン姿の凪沙が、朝食の後片づけをしながらのんびりと話しかける。

 

「ま、まあ、落雷でもあったんだろ。あそこ周辺は結構落雷ニュースとかやってるし」

 

 眠気覚ましのコーヒーを啜っていた冬真は、声を上擦らせながらそう答えた。どこか疲労が表情に表れているのは、あまり熟睡できなかったせいである。

 

「落雷なんて、そんなの誰も信じてないよー。爆弾テロとか輸送中のロケット燃料の誤爆とか、みんないろいろ言ってるけどね。でもそこまででの被害じゃないから可能性は低いかもねー」

「あー、そうだな……」

 

 冬真は遠い目で、ぼそりと呟く。メディアの報道を見る限り、昨夜の出来事の真相はほとんど表沙汰にはなっていない。しかし、それが冬真には少し引っ掛かる点だった。あの現場にはあの殲教師が残されていたはずだ。それを表沙汰にしないという事は、情報規制がかかっているのか、それとも……

 あの場から逃げたか——と思い至った瞬間小さく舌打ちする。

 威力を抑えたとはいえ、確実に内臓破裂や鋤骨が折れる程度のダメージは与えたはずだ。それなのにその身体であの場を自力で脱出するとは、余程何か強い執念に突き動かされたのか。あの強化装甲が思ったよりも頑丈だったのか。何れにしても自身の詰めが甘かったと言わざるを得ない。

 己の浅はかさを呪いながらコーヒーを啜っていれば、冬真に更なる不意打ちがやってくる。

 

「そう言えば昨日ね、なんかこの辺で痴漢が出たんだってー」

「ぶふっ」

 

 啜っていたコーヒーを思わず噴き出した。それを不思議そうに眺めてくる凪沙。

 

「冬真君? どうしたの?」

「い、いや、そ、それで、その痴漢ってのは?」

「うーん、なんか情報が曖昧なんだけどね、下着姿の男が絶叫しながら街を走ってたーとかなんとかって話だよ」

「……ハ、ハハハハッ」

 

 ダラダラと汗を流しながら、冬真は思わず頭を抱えた。

 倉庫街の爆発の目撃情報のほとんどは意味のない曖昧なものばかりだった。報道陣の憶測は様々に飛び交っており、絡み合ったそれらのお陰で真相が程遠くなっている状態。倉庫を半壊させた張本人である冬真にとってそれはかなり安心できるものだったが、しかし、まさかそちらでの目撃者がいるとは。いや、完璧に失念していた。いくら夜中とは言え街中は全くの無人とまではいかないのだ。下手したら防犯カメラにもその姿を捉えられた節がある。当然の結末とはいえ、人目やカメラには映らぬよう他所のお宅の屋根をつたって飛んで行ったのだが——と半信半疑の状態で物思いに耽る。

 

「ホント、物騒と言うかなんというか、何考えてるんだろうねー、その変態」

「……ヒ、ヒトダスケダヨー」

「冬真君?」

「な、なんでもない」

 

 ツラツラと言い訳を頭の中で並べていたが、振り切った。そう、なんでもない。まだ自身だと決まったわけではない。ほぼ確定的ではあるが。

 

「それじゃあ、あたし、チア部のミーティングあるからもう行くね」

「あー、悪いな、凪沙。忙しいのに朝食作ってくれて」

「いいの、あたしが好きでやってるんだから。じゃあ、戸締しっかりしてね。あと冬真君も遅刻しないでね。じゃあ、行ってきまーす」

「ほいよ」

 

 行ってきますを言う相手を間違えてる気がしなくもないが、バタバタと騒々しく出ていく凪沙に手を振って見送り、冬真はぐったりと息を吐く。

 九月一日。夏休みが終わって初日の登校だ。彩海学園は二学期制で、始業式などの特別な行事は特にない眺めのホームルームが終わったら、後は通常授業の予定である。ただでさえ休み明けで気が重いというのに、昨日の騒ぎで精神的にかなり参っていた。なによりも厄介なのが……

 

「これはもう終わらない……」

 

 ドサッと机に積み上げられた半分終わってない夏休みの宿題を思い出し、諦めたようにため息を吐いた。

 家を出るまで残り十分と少し。その短時間で終わらせるなど不可能に近いはずである。

 よく漫画で夏休みの宿題辺りに追い詰められた主人公が「身体が二つあればいいのに」とか「もう1人自分が欲しい」とか、そんな無茶をねだるパターンのお話があるが、まさしく今の自分の鏡映しだ。

 まあ、結局身体が二つあろうともう1人自分がいようとも、そっちもこっちもサボるのが落ち。効率など上がったものではない。仮にもし効率を上げるとするならば、複数の身体を一つの意志でコントロールことでもできれば飛躍的に上がるのかもしれない。右手と左手を使うように。一つの指揮系統で操るように。

 最も、そんな芸当できるわけもないので、諦めるという選択肢意外ないのだが。

 どうしたもんかね――と頭を悩ませていれば、インターホンが部屋に鳴り響く。意識が強制的にそちらに向き、モニタを眺めれば、制服姿にギターケースを背負った雪菜だった。

 冬真は半ば諦めながら急いで通学カバンを持って玄関へと向かった。ドアを開けて外に出ると、通路に立っていた雪菜が礼儀正しく頭を下げてくる。

 

「おはようございます。先輩」

「ああ、おはよ、姫柊」

 

 彼女は昨夜の事からほとんど寝てない筈だが、身なりをしっかり整えていた。それに疲れた雰囲気がほとんどない。若さか、或は鍛え方が違うのか。

 

「結局昨夜の出来事は有耶無耶になったみたいですけど……先輩」

「ああ、かもしれん」

 

 エレベーターに乗り込み、雪菜がもの言いたげな顔で見上げ、冬真も理解したように頷いた。

 

「あの殲教師……逃げた可能性があるな」

「そうですね。ニュースにも報道されていませんでしたし」

 

 冬真の言葉に神妙に雪菜も頷き、エレベーターが重い沈黙で満たされる。昨夜の失態に思わず冬真は唇を噛みしめた。

 

「先輩だけの責任ではありません」

 

 ふと隣を見れば、雪菜は生真面目な顔でこちらを見上げていた。

 

「少なからず、私にも責任はあります」

「いや、それこそお前の責任じゃ……あーいや、よすか。キリがない。というかまだ決めつけは早いな。早とちりが過ぎちまった」

「そうですね」

 

 このままじゃ埒が開かないと苦笑気味に首を振る冬真に、雪菜も軽く微笑むと、あっさりとした調子で頷いた。エレベーターから降りて、学校方面に向かうモノレールに向かう。雪菜もそれに従って、彼の隣に並んで歩く。

 

「こんなこと考えたって仕方ないよな。なるようになるだろ」

「あんまり楽観的になり過ぎるのもどうかと思いますけど、そうですね、今は考えないようにしましょう」

「うんうん。じゃあ、もう学校休んでいい?」

「じゃあの意味が解りません。ダメです。大人しく行ってください」

 

 冬真の戯言をキッパリと一刀両断する雪菜に、冬真は深いため息をついた。

 

「いやさ、学業に勤しむってのは並々ならぬ重労働じゃんか。俺は艱難辛苦を乗り越えつつの日々に身をやつしていくのはもううんざりなんだよ。夏休みの宿題なんて、この身を押し潰す戦いの記録だったと言えるね」

「随分と大げさな物言いだと思いますけど。なら先輩、夏休みの宿題終わったんですか?」

「いや、全く。半分終わった程度だ。だから学校に行きたくない」

「……先輩」

 

 威張ったように駄々をこねる男に雪菜は非難めいた眼差しで見上げる。冬真はさらりとそれを受け流して、徐にスマートフォンをポケットから取り出した。ディスプレイをスクロール操作して足を止める。

 

「まあ、物は試しだな」

「先輩?」

 

 端末を操作しそれをあてがう冬真に、雪菜は不思議そうに行く末を眺める。

 

「あ、もしもし、菅原先生ですか? 藤坂冬真です。実は……ごほっ……ど、どうやら季節外れのインフルエンザにかかってしまって、熱が四十二度近くありまして、それで学校を休ませて――」

「――ほお、随分とおもしろい冗談を言ってくれるな、藤さ――」

 

 切った。反射的に電話を切った。

 

「……何やってるんですか」

「い、いや……大人しく行こう」

「最初からそうすればいいじゃないですか」

 

 呆れたように嘆息する彼女に引き攣った笑みを返しながら、冬真は事の深刻さを理解しもう一度スマートフォンのディスプレイを操作する。電話帳にたどり着き、スクロール。そこに表示されているのは、確かに菅原先生という名で登録された電話番号。

 ……なのになぜあの幼女が出るというのだ。まさか完全にこちらの電話を彼女は掌握したというのだろうか。これでは最早逃げ道がないではないか。別にわざわざ学校に連絡する必要性はないのだが、以前無断欠席を試みた際に不法侵入してまで幼女が探しに来るという執念深い事例があるが故に、下手に連絡をしないのはマズイ。家に侵入されては困りものなのだ。電話で欠席を告げても真偽問わずに乗り込んでくる可能性も否定できないが。

 

「――そういえば、先輩」

 

 混み合ったモノレールの車内の中で、不機嫌ながらも雪菜が唐突に訊いてくる。

 

「なんだ?」

「昨日のあの眠った人工生命体(ホムンクルズ)をどこに連れてったんですか?」

「……すまん。その言い方はやめてくれ」

「では、昨日裸で無理やり連れ込んだ人口生命体(ホムンクルス)はどうされたんですか?」

「……おい、さらに犯罪性増してるじゃねえか」

 

 ほとんど事実なのが痛いが、しかし唯一下着は装着していたと。頑としてそこだけは譲れなかったが、目で雪菜に話を催促され渋々重い口を開けた。

 

「知り合いの攻魔官の部屋にぶち込んどいたよ」

「知り合いの攻魔官、ですか?」

「ああ、だからあの子の事は大丈夫だろ。その人優秀だから……うん。後は俺の命だよね。……まあ、死ぬことはないよな……多分」

 

 遠い目でどことなく自分にそう言い聞かせたような呟きに、雪菜は浅く溜息を吐く。

 

「……何を想像したのかは理解できませんが、自業自得だと思いますけど。それに先輩、どうしてあの人工生命体をあの場から持ち去ろうと考えたのですか? あのまま特区警備隊(アイランド・ガード)に任せてれば手間も省けたと思いますけど」

 

 車窓から見える壊れた倉庫を眺めながら、雪菜が真剣な声音で訊ねてくる。雪菜としては監視役としてその裏を穿っているのだろう。冬真は昨夜の彼女の姿を思い浮かべては思わず目を細めた。

 

「なんか、ほっとけないというか、あの女の子――どこか寂しそうだったから」

「寂しそう、ですか……?」

 

 理解できかねたのか難しい顔で言葉を反芻する雪菜に、冬真は苦笑を返した。

 

「まあ、俺がそう感じただけなんだけどね」

「は、はあ、それで保護したんですか」

「まあな」

 

 腑に落ちないような雪菜に、冬真は御尤もだと考えもなしに動いた自分自身にも苦笑し、彼女に問いかけた。

 

「――それで姫柊は報告しなかったのか? 獅子王機関に」

「……いえ、少し迷ってます」

「迷ってる?」

 

 真面目そうな雪菜の口から出た思わぬ言葉に、驚きながら車窓から雪菜を見れば、彼女は困ったように目を伏せ、

 

「はい。さっきも言いましたけど、昨夜の件はわたしにも責任はありますから。それに……その、昨日は助けて頂きましたし」

「あ、ああ。まあ、正当防衛的なノリで大丈夫だろうさそこは……どーせ報告せずとも知ってるしな」

「先輩? 何か言いましたか?」

「いや、それより降りるぞ、学校前だ」

 

 モノレールが学園前の駅に到着し、同じ制服を着た生徒たちがわらわらと車両を降りて行く。冬真と雪菜も人混みを掻き分けて降り、お互いパスケースを取り出し改札を出た。

 

「先輩、もう一つ聞いてもいいですか?」

「おお、なんでも聞いてみ」

 

 雪菜の真剣な問いかけに、おちゃらけながらも冬真は自然と彼女の言葉に耳を傾けた。

 

「昨夜、先輩は霊視をご存知でしたよね?」

「ん、ああ、そーいえば言ってなかったな」

 

 思い出したように冬真が空を見上げる。容赦なく照り付ける日に雲一つない空を眺めながら、呟く。

 

「俺の母さんさ、元剣巫なんだよね」

「え……」

 

 何気ない冬真の呟きに雪菜は驚愕で足が止まる。横目でつられて冬真も足を止めた。言わずもがなやっぱりか――とどこか納得したように困った表情を返した。

 

「——報告書には載ってなかった?」

「――っ、……はい」

 

 一瞬の躊躇いを見せる雪菜だが、穏やかな彼の声に刹那の沈黙後、小さく頷いた。冬真やれやれと戯けたように大げさに肩をすくめてみせる。

 

「相変わらず情報規制がしっかりしてると言うか、秘密主義というか。まあ、とにかく霊視は知ってるよ。俺自身、使い方を学んだからね」

「使い方って……先輩も習得したんですか?」

「ああ、泣きながら何度も強請ったら教えてくれたよ。まあ、年がら年中使えるわけじゃないんだけどな。俺がホントに集中してる時くらいだ。発動してくれるのは」

 

 チラリとギターケースを懐かしそうに見てから応える。霊視。霊力。それはこの世界に来て冬真自身初めて触れた、摩訶不思議なもの。そして母から受け継いだ、大切な力だ。まあ、給食のじゃんけんなど使い用途はしょうもないものばかりだったが、やはり雪菜は驚きで何度も目を瞬いていた。

 

「……驚きました。まさかそこまで獅子王機関(こちら)に精通していたとは。でも……」

 

 何か引っかかるようで、難しい顔で思案し始める雪菜。恐らく虚偽報告の訳でも思考しているのだろうが、いくら彼女が獅子王機関の剣巫だろうとその真相にはたどり着けまい。彼らの情報操作は完璧だ。一個人でどうこう回潜れる相手ではない。

 

「ま、俺もそこら辺はあんまわかんねえんだ。アイツらはなんも教えてくれないからな。でもまあ、いずれはわかるだろうさ」

 

 話を濁すように笑いながら、雪菜の頭をポン、ポンと軽く叩く冬真。それは叩くと言うよりも撫でると言った方が相応しい。案の定、効果はあったようで。

 

「……わ、わかりました。ですが、あ、あんまり子供扱いしないで下さい。もっと周りの目を気にして下さい」

「あ、あら……」

 

 字面だけ見れば手強い反撃だが、頰を朱に染め目を泳がさながらやや浮ついた声で言われてもあまり怖さはなかった。今朝はあんなに可愛い笑顔を見せてくれたんだけどなあ、とぼんやり考えていれば、

 

「おーい、何朝からイチャついてんだよ。お前さんは」

 

 朝っぱらからテンション高めの口調で声をかけてくる。首にヘッドフォンをぶら下げた短髪の男子生徒だった。丁度同じモノレールに乗ってきたのだろう。馴れ馴れしく首に巻きついてくるのを鬱陶しく思いながら、

 

「朝からテンション高いねえ、お前は」

「人目気にせずアツアツのお前には言われたくねえよ。……って、あれ、凪沙ちゃんじゃないのか。誰だ? うちの中等部にこんな可愛い子いたか?」

 

 隣を歩く雪菜に気づいて、少し驚いたように冬真の顔を見る。それが芝居掛かっていたのは冬真の気のせいだろうか。

 

「転校生だよ。凪沙と同じクラスの」

「ほー、それはそれは……で、なんでまた冬真がその転校生ちゃんと一緒に登校してんだよ……まさか、凪沙ちゃんだけじゃ物足りなくなったってことか?」

「バカ言ってんじゃねえよ、アホ。偶々近所だから一緒に登校したんだよ」

「ほお、その割にはえらく親しげだったみたいだけど」

 

 ニヤニヤと野次馬丸出しの笑みを浮かべて冬真と雪菜を交互に目配せする矢瀬に、冬真は彼の頭を軽く小突いた。短い悲鳴と共に目の端に涙を浮かべる矢瀬。自業自得だと冷めた眼差しで見つめる冬真。だが反対に、視界の端でほんのりと頰を朱色に染めて俯く雪菜を見た矢瀬は、小さい溜息を吐いた。

 

「こりゃ凪沙ちゃんも大変だ」

「あ? なんだよ」

「いんや、なんでもないさ」

 

 やれやれと呆れた様子の矢瀬に冬真は不振に眉根を寄せた。

 

「ひ、姫柊雪菜です。矢瀬基樹先輩ですよね?」

 

 何故か少し慌てながらも雪菜は礼儀正しく頭を下げた。矢瀬は不意にご機嫌な表情になって、

 

「あれ、なに? 俺の話もしてくれたわけ?」

「いえ。藤坂先輩の報告書に、矢瀬先輩の情報も載っていたので」

「ぶふっ、ちょ、おま……!」

「は? 報告書?」

 

 疑問符の浮かんだ表情に、冬真の焦ったような表情のダブルパンチで見つめられ、漸く雪菜は自分のミスを悟ったようだ。微かに引き攣った無表情で首を振った。

 

「い、いえ、なんでもありません。冗談です」

「お、おう。まあ、よろしくな」

「はい。こちらこそ宜しくお願いします」

 

 矢瀬はフレンドリーな笑顔でグッと親指を立て、雪菜も感情の乏しい無表情で告げる。さり気なく冬真は、アホ、と彼女の視界の端で口だけ動かせば、一瞬だけムッとしたような視線を返され、冬真はサッと慌てて視線を逸らした。

 

「そういや、あんた、バンド少女なのか? どういうジャンル、演奏()ってんの?」

「バンド……ですか。いえ、わたしは音楽にはあまり詳しくはないので」

「え? いや、だって、その背中のってギターケースっしょ? ベースの方?」

「あ……そうですね。そうでした」

 

 背負ったギグケースの存在を思い出して、雪菜が慌てて言い繕う。そして彼女は、不審げに眉を寄せる矢瀬と呆れた冬真の視線からぎこちなく目を逸らし、

 

「あの、すみまけん、先輩方。わたしは、ここで」

「あ、ああ。またな、姫柊」

 

 手を振る冬真に会釈して、雪菜はそのまま中等部の校舎へと走り去って言った。その後ろ姿を、冬真は心配げな瞳で眺める。

 

「大丈夫かな、姫柊のやつ」

「あの子って、不思議ちゃんなのか?」

「ああ、……ふふっ、とんでもなくな」

 

 彼女の妙なところでの純朴な姿を思い浮かべ、冬真は可笑しそうに笑って返した。

 

「ふうん。ああ、そーいえば、うちのクラスにも転校生が来るんだってよ。しかも、かなりの可愛い子らしいぜ」

「ああ、羽波のことだろ」

「おいおい、まさかその子とも知り合いってか?」

「まあな、今頃古城と一緒に通学してるんじゃないか?」

「ふうん……なんか、面倒なことにならなきゃいいけどな」

 

 妙に深刻ぶった口調で呟く矢瀬。その真意を読み取った冬真は、揃って高等部の校舎を眺める。二階にあるのは冬真たちの教室だ。窓際に座っていた浅葱が、ちょうど登校してきた冬真たちに手を振っていた。

 

「アイツ、普通に美人なんだけどなあ、性格は兎も角なんであのバカ気付かないんかね。すっげえ分かりやすいと思うんだけど」

「ごもっともで。ホント、さすがというべきかね。俺の親友は」

 

 不意に浅葱の表情が凍りつく。嫌な予感を感じ取った冬真たちは恐る恐る後ろを振り返る。視線の先には、白パーカーを羽織った古城とキチンと身なりを整えた美少女の姿だった。

 どうやら矢瀬の懸念通り、ピースフルなスクールライフとなることは危ういらしい。冬真と矢瀬は目を見合わせて深い溜息を吐いた。

 

 

 

 

 

「ねえ、古城、あの子とホントに何もないのよね?」

「だから、なんもねえって」

 

 ホームルーム開始直前の教室。自分の席に着いた冬真は眠そうな古城とどこか不機嫌な浅葱のやり取りを、冬真は何とも言えない表情で眺めていた。

 

「そういえば、あのモノレールでの後も……なにもなかったの?」

「あ? あ、ああ、なんもねーよ。あの後すぐに帰ったし」

「ふーん……そっか」

 

 投げやりな返事ながらも古城の言葉を信じたのか、浅葱は表情を明るくして言った。どうやらご機嫌は回復したらしい。良かったなーーと体を前方に向けて机に突っ伏していたが、すぐ様教室の隅っこでの小さなどよめきに意識が傾く。顔を上げてそちらを向けば、男子数人が一台の携帯電話を囲んで盛り上がっている。

 

「なんだよ、あの騒ぎ」

 

 駅のトイレに置かれた不審物を見るような目で、冬真は興奮状態のクラスメイトを眺めた。浅葱が、ちょうど近くを通りかかった友人の築島倫を呼び止めた。

 

「ね、お倫。あれなに? 男子どもはなんで盛り上がってるわけ」

「ああ、あれ? なんかね、うちのクラスと中等部の女の子の転校生で盛り上がってるみたいよ」

「うちのクラスの転校生……?」「姫柊のこと?」

 

 顔を顰めて低く呻いた古城と不思議そうな冬真の声が重なるが、それぞれ違う転校生を指していた。

 

「凄く可愛い子がいるって噂になってて……って、冬真くん、知り合いだったの?」

「え? あ、ああ。まあな。家近いからね」

「へえ、どっちの子?」

 

 興味深そうに倫が訊ねてくる。チラッと古城と浅葱を盗み見てから冬真は含みのある笑いで応えた。

 

「中等部の子だよ。うちのクラスに転入して来る子も近所だから一応知り合いでね。まあ、それは古城もだからあの夫婦喧嘩が始まったんだよ」

「ああ、なるほど」

「「誰が夫婦よ(だ)!」

 

 冬真の言葉に先程の2人のやりとりを思い出し倫は納得したように頷く。それを息ぴったりなハーモニーを奏でて返す二人。そしてすぐにお互い目が合って慌てて離れる。そんな二人を倫と冬真は面白そうに眺め、

 

「やっぱりお似合いだわな、あの二人」

「そうね。それは言えてるかもね」

「ちょっとそこ、何コソコソ話してるのよ」

 

 ニヤニヤと悪戯っ子の笑みを張り付けた冬真と楽しげな倫の小言に敏感に反応した浅葱が睨みを利かすが、赤みがかった頬のせいか、いつもより怖さはなかった。

 

「そ、そんな事よりアンタこそ、あの子とどうなのよ。ほら、例の中等部の転校生と」

「どうって何がだよ。別になんもないぞ」

 

 慌てて居心地の悪さを何とかしようと機転を働かせた浅葱は、矛先を冬真に向けようとする。冬真はそんな浅はかな彼女に冷静な対応をするが、

 

「そー言えば、今朝2人イチャイチャしながら登校してたよな、お前さん」

「へえ、そうなの? 冬真君」

「なんだ、アンタも甲斐性あったのね」

 

 ニヤニヤ意地汚い矢瀬から放たれた言葉に煽られ、倫と浅葱から次々好奇の視線が自分に集まる。実に嫌な流れがこの場に形成されつつあった。

 

「随分手が早いのね、冬真くん」

「妙な誤解を招くようなこと言うなよ。俺は紳士の塊だぞ。あっちこっち女子に手を出すような愚かな男ではない」

 

 ふふん。と誇らしげに胸を張る冬真に、倫はクスッと目を細めて小バカにしたような笑みを零す。

 

「奥手すぎるだけじゃなくて? 矢瀬君は年上の彼女と上手く行ってるみたいだけど」

 

 確かに矢瀬は彼女持ちだ。高等部に進学して直ぐの四月に二学年上野三年生に一目惚れ。まるでラブコメのような熱烈なアタックを繰り返し、夏休み直前、ついに交際まで持ち込んだのだ。そんな彼の積極性を見習えと言いたいのだろうが、生憎の人生今まで彼女すらいない冬真にとっては嫌味にしか聞こえない。睨みつけるように倫を見上げ、

 

「うるっさい。アイツみたいに何度もロマンチック爆弾搭載できねえんだよ、俺は。てか、そう言うお前こそ……いや、倫モテるもんな」

「……ちょっと。変なこと思い出させないでよ」

 

 悔しそうに呟く冬真とは反対に、倫は少し顔を顰めた。倫はこのクラスの学級委員。長身でスタイル抜群の大人びた生徒だ。愛想に乏しく物言いも少々きつめなところがあるが、そこがいいという男子も意外に多い。そのため高等部一年の間では、踏まれたい女子ランキング堂々の位置に輝いていたりもする。それを聞いて本人はショックを受けていたそうで、それを思い返して寒気を覚えているのだろう。

 

「はあ、本当に不名誉なランキングだわ」

 

 意味が分からないとやるせなく小さく首を振り、浅い溜息を吐く倫に、冬真は「ぷっ」と思わず噴き出す。

 

「いいじゃんか。踏まれたい女子ランキング一位とか、面白すぎるだろ」

 

 混ぜ返すと同時に、サッと頭上に手をかざした。

 次の瞬間、音程を外した蛙のような声を発し、喉を抑えて前のめりに体を折った。丸めたノートで喉に突きを喰らって悶絶する冬真を実行犯の倫は何食わぬ顔で見下ろしていた。そんなやり取りを浅葱は不思議そうに眺めていた。

 

「ねえ、お倫って時々冬真には当たり強いわよね」

「そう? そんな事ないと思うけど。でも、そうね」

 

 未だ痛みと戦う冬真をチラッと見下ろしてから、冷静な口調で言う。

 

「冬真君なら踏めそうね」

「恐ろしいこと言ってんじゃねえよ!」

 

 顔面蒼白で慌てて上半身を起こす冬真に、倫は、ふふっ、と目を細めて愉しそうに笑った。

 

「あら、嬉しそうね。そんなに踏んで欲しいの?」

「どこをどうみたらそう見えるんだよ。俺にそんな悪癖はねえよ」

 

 声を荒げて抗議する冬真に、倫は唇の上にさも人を小馬鹿にした薄笑いを浮かべる。そんなやり取りを見た浅葱は、どこか倫に対して意味ありげな視線を向ける。

 

「ねえ、お倫ってさ――」

「――席に着け。ホームルームを始めるぞ」

 

 浅葱の言葉は小柄なカリスマ教師に遮られる。

 

「浅葱? 何か言った?」

「ううん。なんでもない」

 

 不思議そうに小首を傾げる倫に、浅葱は首を振って逃げる様に自分の席へと着く。

 相変わらず暑苦しい格好ではあるが、冬真は視線を前に向け、ミニスカートのゴスロリ風ドレスを纏った少女に顔を向けた。目が合った。その瞬間、ニヤリと獲物を見つけたような獰猛な微笑みを返され、思わ背筋をぶるっと震わせた。どうやら確実に彼女は今朝の事を怒ってるらしい。思わず教卓から視線を外していれば、彼女は凛とした声を発した。

 

「今日は転校生を紹介する。入ってこい」

 

 彼女の合図と共に、1人の茶髪のショートヘアの少女が教室へと入ってくる。同級生は思わず息を呑んだ。

 大きな瞳を、自然に伸びたまつ毛や優雅な二重瞼がふちどり、透き通るように白い肌。綺麗な鼻筋にすっきりした頬。小さく水平に結ばれた口元。スラリと伸びた背に均整の取れた体つき。

 どこか百合の花にも似た清らかな雰囲気を持った美少女だった。

 その季節外れの転校生は、先程とは違う教室の奇妙な緊張感を感じながらも、丁寧に腰を下り一礼してから顔を上げて、透き通った綺麗な音を発した。

 

「羽波唯里です。季節外れかもしれませんけど、皆さんと仲良くできればと思っていますのでよろしくお願いします」

 

 愛想よくニコッと笑顔を見せる唯里に、クラスの男子のボルテージが一気に上がる。その可憐な笑顔に気持ちはわかるぞ——と冬真も心中で賞賛した。

 

「――やかましいぞ、お前たち。たかが小娘1人転入してきただけで何をお祭り騒ぎしている。そんな元気があるなら補習を増やすぞ」

 

 最早生徒にとってそれは脅しと同義であった。辺りの音をすべて持ち去られたように静かになる。漸く静寂に身を沈めた生徒たちを見渡し、那月は深々と溜息を吐いた。

 

「まったく。……まあ、いい。羽波、お前はあそこの藤坂(不良債権)の前に座れ」

「えっ?……あ、はい」

 

 那月は扇子の先端で冬真の前の席を指し、唯里も可哀想なものを見る目を冬真に一瞬向けてから、彼の前の席へと歩いていく。どうにもその一連のやりとりには冬真は不満だった。

 ……可笑しい。その一連のやりとりはどうにも可笑しい。冬真は納得できずに立ち上がり、

 

「確かに俺の席の前は空いてるけどその紹介はないんじゃないか? 那月ちゃんがあっ!?」

「担任教師をちゃん付けで呼ぶな」

 

 どこからか飛んできた扇子が冬真の額を直撃。あまりの衝撃に目に涙を溜めて悶絶した。

 

「ふん。この程度では済まないぞ、藤坂。……貴様には後々たっぷりと話があるしな。昼休み生徒指導室に来い」

「……は、はい」

 

 長年の怨念がこもったような声音に気圧され素直に言うことを聞く冬真。

 

「やっぱり冬真君ってMだよね」

「うるさい。……いってぇ」

 

 視界の端で肩を震わす倫を横目で睨め付けながら、冬真は自身を労わるように額を優しくさすった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして昼休み。学校の割にはやたらと綺麗に磨き上げられたひやりとした廊下を、少年は鎖を引きずる囚人がおのれの姿を愧ずるような気持ちで、うなだれて足もとを見つめながら己の行く末を考えこんで歩いていた。そんな哀愁漂う後ろ姿を励ますわけでもなく、小柄な少女は呆れたように嘆息して告げてくる。

 

「自業自得です。もう諦めて下さい」

「いやあ、わかってんだけどさあ。でも、ねえ、死ぬってわかっててその先を行くってのは何とも言えない気持ちになるのよ」

「何で俺まで行かなきゃならねえんだろうな」

「えーっと、でも、一応現場には足を運じゃったし……」

 

 那月は結局古城と唯里にも話があるとの事で、4人で生徒指導室を訪れる旨を伝えて来た。恐らく昨日の爆発の件についての事を聞きたいのだろうが、古城と唯里も道連れだとは予想だった。そのせいか先程から古城は不機嫌極まり無い顔つきだった。やんわりと唯里が隣で嗜めるが、あまり効果はみられない。冬真は、半ば諦めながら諭す。

 

「どうせ昨日のことなら、当事者が行くのは当然だろうに」

「いや、俺らが着いた時はもう終わってたじゃねえか。なら何もしてない俺たちは関係ないだろ」

「どうしよう。藤坂君、これって怒られるのかな?」

 

 不貞腐れた古城の隣で、唯里がどこか怯えたように聞いてくる。恐らく普段からなまじ優等生として育ってきたが為に、呼び出される何て事態には打たれ弱いのかもしれない。冬真は安心させるように笑いながら言った。

 

「大丈夫だろ。恐らく怒りの矛先が向くのは俺だしな」

「そうですね。器物損害に公然わいせつ罪ですから怒られて当然です。良くて退学でしょうか」

「……」

 

 どこまでも真面目で非常に徹する雪菜に、一抹の不安を覚える冬真。そんな冬真を眺めながら古城が思い出したように問いかける。

 

「――そう言えば、あの後どうしたんだよ、冬真。あの女の子」

「那月ちゃんのベッドに無断でぶち込んどいた」

「……それで那月ちゃんあんな怒ってたのか。なら俺たち完全に巻き込まれただけだよな?」

「まあ、そうとも言うな」

「……後で覚えとけよ、冬真」

 

 あっけらかんとした冬真に、古城は思わず怨嗟のこもった声を洩らした。

 

「……成る程。それで南宮先生という事ですね」

「ああ、そーゆう事」

 

 どこか納得と頷く雪菜。英語教師にして南宮那月のもう一つの肩書きは攻魔師だ。非常に優秀な攻魔師でありその実力は欧州の魔族の間では「空隙の魔女」という異名と共に恐れられており、雪菜が納得した点はまさにそこだろう。さらに唯一古城を第四真祖だと知る数少ない1人でもあり、彼が普通の学生として過ごせるのは殆ど彼女のお陰だ。そして、冬真もまた彼女が裏で手を回してくれたお陰で学生として過ごせる身でもあり、それなりに親睦も深い。

 冬真はどこか誇らしげな顔を雪菜に向け、

 

「だから言ったろ? 俺が信頼してる人に預けるって」

「そうですね。ですが、その信頼にヒビが入ると思います」

 

 うぐっ、と真っ当な正論を返され、冬真はたじろぐ。

 

「で、でも、ちゃんと俺の性格わかってくれてると思うぜ? 昔から俺の事知ってくれてるし、よく俺のピアノのコンクールにも来てくれたことあるし……だ、大丈夫だよな?」

「私に聞かないで下さい」

 

 不安げな冬真を冷静に冷たくあしらう雪菜。

 

「マジかよ。那月ちゃん、あのコンクール来てたのかよ」

「そう言えば凪沙ちゃんもそんな事言ってたかなあ。確か、いっぱいコンクールで優勝したとかなんとか」

「ふふん、まあな。それだけが俺の取り柄だからな」

 

 軽い口調で話す冬真につられて古城、唯里とどこか緊張感が薄れて行く一同ではあったが、生徒指導室の前に着いたところで緊張感が優等生組に漂い始める。先頭にいた冬真はドアノブに手をかけーー未来を視た。

 

「……すまんな、古城」

「は? 急に何言っ——ッ」

 

 全く誠意を込めない謝罪と共にノックしてドアノブを回した瞬間、背後に控えていた古城を強引に引っ張る。中へと押し込んだ。そして刹那の時間後、困惑する古城から悲鳴が漏れた。古城はそのまま仰向けに転倒する。冬真は悶絶する古城を見下ろしながら、ホット胸をなで下ろした。

 

「あっぶね、甘いななつきゃガァッ!?」

 

 頭蓋骨が陥没するほどの衝撃が冬真の額を襲い、古城同様仰向けに倒れこむ。

 

「――甘いのは貴様だ、藤坂冬真」

 

 ちくしょう——と悔しげに冬真は額を抑えたまま瞳に雫を貯めて天井を見上げた。その瞬間、

 

「「あっ……」」

 

 冬真と古城は思わず揃って声を上げ硬直した。冬真の視界の端に出現したのは、すらっと白く細い何かとパステルカラーのチェックの布切れだった。古城もまたピンク色の可愛らしい布切れを視界に収めて固まっていた。そんな彼らの異変に気づいた少女たちは彼らの視線の先を辿り、キョトンと瞬くもみるみる顔を真っ赤にさせ慌ててスカートを押さえた。

 

「……っ!」「きゃぁぁあああ!」

 

 無言で冬真を睨みつけ見下ろす雪菜。悲鳴を上げて唯里は羞恥で潤んだ瞳を古城にぶつける。

 

「「あ、いや、これはその、不可抗力というかなんというか……」」

 

 揃ってこみかめ辺りに汗をかきながら弁明を試みる冬真と古城。

 

「あ、暁君!」

「いや、その、悪かったよ。本当に、覗くつもりはなかったんだ」

 

 ぷくっと頬を膨らませて必死に睨みつける唯里だが、それでも怖いと言うよりは可愛いと称した方が正しいだろう。古城はきまり悪げに誠意を込めて謝罪し、慌てて起き上がる。そんな和やかで微笑ましい和解を視界の端で眺めていた冬真は、同じようなお許しを期待して雪菜を見上げるが、

 

「……昨日の下着姿といい…本当にいやらしい人なんですね……先輩は」

「い、いや、それとこれとは……」

 

 まるで路肩の小石を眺めるかのように冷たい視線を向けてくる雪菜。その瞳には弁明の余地はないと訴えていた気がして、冬真は己の死を悟った。しかし、これは不可抗力である。覗きたくて覗いたわけではない。なら些細な抵抗もあってしかるべきだろう。ここは凪沙から伝授した、女の子が怒った時の対処法を活用すべきだ。

 

「あ、あれだな。姫柊ってめっちゃ脚きれへぶっ!」

「い、いつまで見てるんですか!!」

 

 どうやら時と場合によって効果は変わるらしい。新しい目潰しの形で雪菜は乱暴に冬真の眼球周辺を踏みつける。激痛に冬真から呻き声が部屋に轟いた。

 

「ちょ、ちょっと足どけろって! 前見えねえだろ!?」

「い、今どけたらまた見えるに決まってるじゃないですか!」

「も、もう見なくたってパステルカラーって覚えぶェッ!」

「い、いちいち言葉にしないで下さい! な、なんで記憶してるんですか! 記憶を消されたいんですか!」

「なんでそうなぐォッ!」

「――もうその辺にしとけ、転校生」

 

 容赦なく何度も雪菜の踏みつけになす術なくただ痛みに耐えるだけだった冬真だが、思わぬ人物から助け舟が届き、ハッとして雪菜は顔を真っ赤にしたまま慌てて足をどけて後方に下がった。

 

「さっさと立て、馬鹿者。いつまで私の前でイチャつく気だ」

「い、イチャつくって表現はおかしいだろ。どっからどう見ても一方的に俺がイジメられてただけだろうに」

 

 小言で悪態をつきながら冬真はボヤけた視界で立ち上がる。

 こうなるんだったら倫に踏まれた方が良かったーーと謎の思考が頭をよぎるが振り払い、改めてゴスロリ少女に目を向ける。ソファに踏ん反り返って座っていた那月が、深々と呆れながら嘆息した。

 

「まったく、たかがパンツ一枚見られた程度で取り乱すとは、所詮剣巫の見習いなどその程度だと言わざるを得ないな」

「――っ、ど、どうして剣巫の見習いということを」

 

 雪菜が驚いたように那月を見つめる。唯里も彼女の隣で目を見開いていた。那月は、どこか得意げにふふん、と唇の端を吊り上げた。

 

「私を誰だと思っている。それとも、気づかないとでも思ったのか? 未熟者共め」

 

 うっ、と雪菜と唯里は口ごもる。那月はどこかそれを楽しげに眺めていた。相変わらずいい性格してるな、と冬真は心の中でそっと毒づいた。

 

「まあいい。お前が岬のクラスの転校生だな」

「はい……中等部三年の姫柊です」

 

 美しい人形のような那月の姿に一瞬戸惑いながらも、雪菜は生真面目な口調でそう答える。那月はカリスマ感溢れる態度で、そんな雪菜を満足げに見返し、

 

「ようこそ、彩海学園へ。歓迎するぞ。そこのバカ共のように余計な揉め事を起こさないでくれるなら、特にな」

「は、はい」

 

 昨夜の揉め事を連想したのだろう、どこか正直者の雪菜はぎこちなく頷いた。しかし、彼女の物言いに不満げに冬真が噛み付いた。

 

「ちょっと、古城と一緒にしないで下さい」

「こっちのセリフだそれは」

「さて、お前たち……いや、そこのバカを除いて昨日のアイランド・イーストで事故が起きたのは知ってるな?」

 

 2人の小言を無視していきなり核心をついてくる那月の質問。面々は居心地の悪い気分で素直に頷く。

 

「それで、匿名での消防への連絡に、まだマスコミには伏せられてるが、近くの病院に搬送されてきた"旧き世代"は、お前達の仕業か?」

「……まあ、そうっすね」

 

 最早冬真が人口生命体を彼女の部屋に連れ込んだ時点で、こちらの敗北である。彫像のように固まる雪菜と唯里の代わりに古城は苦い顔で頷きながら答えた。しかし、那月は咎める様子はないようで、淡々と言葉を紡ぐ。

 

「そうか。実はな、その"旧き世代"は表向きは貿易会社の役員だが、密輸組織の幹部ではないかと以前から警察に疑われていたらしい。どうやら昨日の倉庫はその取引によく使われていた場所らしくてな。組織の下っ端は、取引相手については何も知らないと言ってるそうだが」

「ふうん。なあ、那月ちゃ……南宮先生」

「……なんだ」

「……その取引相手かどうかは知らないけど、その現場に身長が大きめの片眼鏡つけたおっさんいなかったか?」

 

 真面目くさった冬真の問いかけに、不機嫌な那月の表情が少し引き締まる。

 

「知らんな。少なくとも、そんな情報は私の耳には入っていない」

「……そうか、ならやっぱ逃げ出しやがったな、あのおっさん」

 

 己の落ち度から悔しそうに呟く冬真。雪菜もどこか複雑な顔で彼を見上げた。

 那月は浅い溜息を吐くなり、乱暴にテーブルの上に分厚い資料の束と紙とペンを取り出した。なぜ紙とペンかは兎も角、資料はどうやら警察のもので街の監視カメラの映像を拡大した、目の粗い写真が貼り付けられていた。

 

「ここ2ヶ月ばかりで警察が確認したところ7件も似た事件が起きている。そこに写っているのは今までの襲撃された魔族リスト、全員が魔族だ」

 

 その写真に写る男達を神妙な顔で凝視する冬真達に、那月は淡々と言葉を繋げる。

 

「お前達を呼び出したのは他でもない、この無差別魔族狩りの矛先がお前に向く可能性があるからだ」

 

 確かにと古城の事情を知る冬真も雪菜も唯里も彼女の言葉を心中に収めた。古城もそこで漸く自分吸血鬼であることを思い出したようで、心理的抵抗はありながらも頷いた。

 

「だから一応の警告だ。企業に飼われている魔族や、その血族には、魔族狩りに気をつけろと既に警告が回っているらしい。お前にそんな上等な知り合いはいないだろうから、あたしが代わりに言ってやっている。感謝するがいい」

「はあ、それはどうも」

 

 曖昧に頷く古城。

 

「――さて、次はお前だ、藤坂」

 

 古城から冬真に視線をスライドさせて、那月はトントンと机の上にある紙を軽く叩く。

 

「似顔絵を描け。今回の首謀者のな。逃がした分のせめてもの対価だ」

「お、おう、りょーかい」

 

 どんな鉄拳が飛んでくるのかと思えば、お絵かきとは一瞬目を瞬く冬真達だが、冬真は直ぐに彼女の言われた通りペンを片手に記憶を遡る。蘇ってくる一枚の写真を脳に貼り付けながら、スケッチを開始しペンを走らせた。

 そんな彼の行動を呆然と眺めている雪菜と唯里に、ようやく合点がいった古城が彼女たちに助言した。

 

「あいつ絵がかなり上手くてな。昔っから賞とか総取りしてたんだよ。だから人物画とか得意ってことのキャスティングだろ。犯人の顔見てんだし」

「は、はあ……」

「そ、そうなんだ……」

 

 真顔で告げられる事実に、滑らかな手の動きで紙に似顔絵を描く冬真をただただ漠然と見守る雪菜と唯里。しかし、古城の小言に那月だけは不満げな顔だった。

 

「不本意ながらそこだけは私も買っている。コイツの芸術的センスは一流だ」

「意外だ。那月ちゃんに褒められた」

「流石"真似事"だけは達者だな」

「ちょ、ちょっと那月ちゃん!?」

「煩いぞ。口ではなく手を動かせ。それと担任教師をちゃん付けで呼ぶな」

 

 皮肉めいた彼女の言葉の真意を読み取り思わず声を荒げる冬真。しかしちゃんづけ呼ばれからか不愉快そうな顔で那月は顎で先を促してくる。冬真は渋々紙へと視線を移し作業を続けた。

 

「はいはい。ったく、人遣い荒いんだから………………ほい、できたぞ」

「「……う、上手い」」

 

 ものの数分で完成した色を加えるのを躊躇ってしまうほど美しくそっくりなペン画の似顔絵の完成度に、雪菜と唯里は思わず息を呑み唸った。

 

「姫柊、どう、似てる?」

「は、はい。せ、先輩、凄いですね」

「ま、まあ、そこそこだろ……」

 

 熱心に見つめるなり、何故か尊敬の念を込めた眼差しを向けられ、冬真は照れくさそうに頭をかいた。冬真としては遊び感覚でしかないのだが、好評なら良かったと内心でホッと胸を撫で下ろした。

 

「これ売れるんじゃないか?」

「なんだ、露店にこれ出して売買してる所に奴が来るのを待つ作戦でもやろうってか」

「ちげえよ。芸術的な価値でだよ。これ以外で真剣に描けば儲かるんじゃないかって事だよ」

「売らねえよ。絵なんて遊びで十分だ」

 

 覗きんでは古城の妙に真剣な呟きに、冬真は本音を混じりつつも呆れたように苦笑を返して那月にそっと手渡す。一通り眺めた那月は満足そうに頷いた。

 

「よかろう。今日は以上だ。退室して構わんぞ、お前たち」

 

 安堵しながらも、これで終わりなのかと奇妙に懐疑的な気持ちを抱えたまま冬真は古城たちと共に踵を返すが、

 

「――待て。お前は行っていい筈がないだろう、藤坂」

「で、ですよねー……」

 

 両手足が突如鎖で捉われ、身動きが取れなくなる。冬真は、何もかも全てを悟ったように穏やかな顔をした。

 

「那月ちゃん、せめて死ぬ時は一緒だぎょえッ!?」

「ふん、貴様1人で逝ってこい」

 

 素知らぬ顔の古城たちを最後に、ゆっくりと冬真の意識が闇へと沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「い、いたィ……」

「教師の寝室に不法侵入をする貴様が悪いんだ。オマケにいらん荷物まで寄越してくれるとは、とことん教師を舐め腐ってるとしか思えん。だからその根性を叩き直してやっているんだ。感謝しろ」

「……は、はヒィ…」

 

 伏臥位しながら痙攣を起こす冬真を、威厳たっぷりに腕を組んで冷たい眼差しで見下ろす那月。最早痛みで呂律が回らない。暴力反対である。

 

「まあいい。ときに冬真」

「……なんす……おお?」

 

 床と見つめ合っていた冬真の背中から不意に柔らかい感触が伝わる。フワッと上品な女性の香りが強くなり、鼻孔をくすぐった。どうやら彼女は椅子がわりに冬真の背中にお尻を着地させたらしい。その感触に驚きの声を漏らすが、那月は気にした様子なく、言葉を続ける。

 

「貴様が闘った相手は何者だ?」

「ロタリンギアの殲教師らしいぞ」

「……ロタリンギアの殲教師だと? なぜわざわざこの地で……いや、そうか。成る程な」

 

 1人納得したように呟く那月。小柄ながらも柔らかいお尻の感覚を味わいながら、焦ったように冬真が投げかける。

 

「な、なんかわかったんすか?」

「お前には関係のない事だ」

「はあ? ちょ、ちょっと那月ちゃん?」

「担任教師をちゃん付けで呼ぶな」

 

 別の思考に誘われた彼女の声音に咎める強さはあまりなく、ゆっくりと立ち上がった那月は、スカートを翻して机に戻りソファに深く腰掛けた。

 

「もう行っていいぞ。どうやらそこでお前の事を待ってる者が居るらしいからな。行ってやれ」

「……? あ、ああ。姫柊待っててくれたんだ」

 

 チラッとドアを伺ってから、全身麻痺ではと思うほどの身体に鞭を打って立ち上がる。そこでふと思い至ったように小柄なあの少女を思い出す。

 

「あ、そういえば、あの女の子那月ちゃんの家にまだいるの?」

「ああ、どこかのバカのせいでな」

「あ、アハハハ……く、クーリングオフはなしで」

「わたしは成年だ」

 

 頬杖をついて冬真を睨め付けながら、那月は怨嗟のこもった声音を再び放つ。

 

「大体何故私の部屋なんだ。新手の嫌がらせとしか思えん」

「いやあ、咄嗟に思いついたのがそこでさ。ほら、俺が1番信頼してるから」

「ふん、いずれ死ぬ奴の面倒を見きるほど私は優しくはないぞ」

「……え? いずれ死ぬ?」

 

 その思いがけない事実にキョトンと目を瞬く冬真。思考がうまく追いつかない。

 

「 アイツは無理やり眷獣を植え付けられた人工生命体だぞ。吸血鬼でもない奴が眷獣を体内に宿すなど生命の危機に陥るのは当然だろ」

「……」

 

 呆れたように見返してくる那月に、困惑で、冬真は言葉をなくした。

 

「今回の一連の事件も恐らく延命の為の処置ではないかと私は踏んでいる。魔族を狩ってそれを餌にしているんだろう」

「な、なんだよ……それっ」

「お前が怒ったところで何も変わらん。まあ、いらん荷物のおかげで事の真相にたどり着けたことは感謝するぞ。その方法が悪意しか感じ取れん嫌がらせじみたものだがな」

 

 肺を絞った声で眉間に深い縦ジワを刻む冬真を涼しい顔で一蹴し、那月は手元の資料に目を移している。

 もう言う事はないと彼女の雰囲気から悟った冬真は、迂闊に踏み込むことはやめて怒気を隠し切れない顔で踵を返した。しかしドアに手を掛けようとしたその時。

 

「眷獣の支配下を変えれば、寿命は延びるだろうな」

「……っ」

 

 那月が独り言のように呟く。ハッとした冬真は思わず振り返った。

 

「い、今のって……」

「とっとと行け。授業をサボったら承知しないぞ。露出狂」

「うえっ? な、なんでそれを……」

「……やはり貴様か」

「し、失礼しましたー」

 

 引き攣った顔で狼狽し出ていく冬真を見送り、那月は深々と嘆息しながら机に置かれたティーカップを一口口に含んだ。薄紅色の唇からカップを離し、残りの紅茶を眺めながら那月は思案した。

 絃神島は万一の事故が起きた際島全体が水没するのを避けるために四基の人工島に分割されている。それを連結して固定している部分。――奴らの狙いはそれだ。

 光すら届かぬ海中深くに造られた、永遠の牢獄の中に眠る半透明の石柱——要石(キーストンゲート)

 

「……聖者の右腕、か」

 

 恐らくそれが奪取されれば絃神島は沈む。ならば立場上それを阻止せねばなるまい。しかし。

 

「今回ばかりは相手が悪かったな、殲教師」

 

 紙に描かれた男を鼻で笑い、那月は教え子達が男を下す姿を思わず幻視した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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