愛しのリシュリュー   作:蚕豆かいこ

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時系列の概念は置いてきた
考慮はしたが、ハッキリいって俺のわがままにはついていけない


L’amour, on ne le discute pas, il est.(愛は語るものではない。そこにあるじゃないか)

「こないだ、amiralの部屋にpornographique(ポルノグラフィーキ)があったのよ、痴漢モノの」

 

 スワロフスキーのシャンデリアで演出された半個室で、蒸し若鶏に甘酸っぱいキュウリ漬けの糖醋黄瓜(タンツゥホワングァ)、クラゲの冷製など5種の前菜と、若い紹興酒が運ばれてくるや、リシュリューは初月と長波に切り出した。リシュリューが、話がある、とふたりを誘ったのである。

 

「ポルノグラフィティー?」

 

 無邪気なくらいにさっさと箸をつけていた長波が訊き返した。

 

「pornographique. セックスのビデオ」

 

 リシュリュー自身が翻訳した。

 

「ああ、AVか」

「あいつ、見つかるようなところになんてものを……」どうせまた提督の愚痴だろうと高を括っていた初月が頭を抱えた。

 

「“わたしがいるのにAV観るなんて許せない”ってか?」

 

 長波が豚肉のサワースープを掬いながら茶々を入れた。

 

「それのどこが面白いのか、ふたりで見ながらレクチャーしてもらったの」

「ジャコバン派も真っ青の拷問だな」

 

 初月はガーリックソースを纏った豚肉ボイルを苦み走った顔で齧った。

 

「Amiralがいうには、“だめ”とか“やめて”とかの拒絶の言葉が、日本ではあえぎ声として認識されているとか。逆に女性が乗り気すぎたら冷めるんですって。これがオクユカシサってやつなのかしら」

「あくまでフィクション限定の話だ」

「Amiralもそう言ってたわ。でも、ファンタジーには多かれ少なかれ理想を投影するものでしょう? Amiralも理想(AV)を現実の女に再現されたらうれしいはずなのよ」

 

 初月と長波は、参考資料としてリシュリューが渡してきたスマホで男性向け成人漫画を読んでみた。リシュリューはわざわざ漫画の定額サイトに入会して成年漫画を読み漁ったのだという。

 

「ところで、官能小説専門の出版社の名前がフランス書院っていうのだけれど、これはなぜ“フランス”なの?」

 

 とリシュリューが訊いてきたので、初月は顔も上げず、これ以上なく道義的かつ人道的に正しい答えを返した。「さあな」

 

「どらどら」長波もクラゲをすすりながら覗き込む。画面の中では、ヒロインがセックスの最中に「だめぇ、そんなにされたらあなた専用の子宮になっちゃう~」だの、「すごいぃ~! バカになるぅ~!」だの、「卵子の逃げ場がないくらい射精して!」だの、なかなか気の利いたユニークな台詞を叫んでいる。

 

「男ってこんなんで興奮すんの? ヤッてるときに実況とかされたら笑うでしょ」長波が理解不能といった笑みを片八重歯とともにもらした。

 

「それで、ある法則を見つけたの」長い足を組んだリシュリューが長波に頷きながら海老入り蒸し餃子を口に運ぶ。「実写の、“えーぶい”だったかしら、それに比べると、漫画のほうがより詳細に女性が実況してるのよ」

 

 公序良俗に配慮してイヤホンを装着した初月と長波が、アダルト配信サイトでAVのサンプル動画をいくつか視聴する。たしかにAVでは女優は基本的にあえいでいるだけで、行為中にはあまり台詞を発していない。せいぜい「だ、だめ、中はだめ」とか「いっぱい出たね」くらいである。成人漫画のように女優が行為中に淫語で実況するAVはむしろフェチスト向けの二ッチなジャンルとして区別されていた。淫語を連発するAVはスカトロやアナルのようにユーザーの好みがかなり分かれるのかもしれない。

 

「じゃあなんで漫画のほうはほぼ100%実況してんだ?」

 

 長波にリシュリューは肩をすくめた。

 

「漫画と実写映像の違いからすると」

 

 初月が口火を切った。

 

「声のあるなしの違いじゃないか?」

 

 長波とリシュリューが興味ありげに防空駆逐艦娘を見つめる。

 

「AVは映像作品だから声がある。おそらく女のアノ声は、男にとっては極めて刺激的な要素なんじゃないか? このサイトにも音声だけのアダルト作品が一ジャンルを築いている。ということは、男は女の“声”を求めているのかもしれないな」

 

「あー、たしかにあえぎもしないマグロは嫌われるっていうよな」

 

「だが漫画には声がない。だから性的興奮を補うため、やたらと凝りに凝った台詞という手段が編み出されたんじゃないか」

 

 いっそ吹っ切れた顔で推論を述べた初月に、リシュリューも長波も(たなごころ)を打った。

 

「そう考えると、逆にAVで女が実況しないのは、あくまで実況はあえぎ声がないメディアにおける苦肉の策であって、音声があるなら素直にあえいでいたほうが遥かに効果的で、あえぐ時間を減らしてまで実況するのは映像作品としての利点を捨てているだけともいえるな」

 

 長波も自分でいって何度も頷いていた。そして正気に戻る。「なんの話をしてたんだっけ?」

 

「そうそう、だからAmiralにいったの。“えーぶい”みたいに、amiralのしたいようにしてって」

 

「いいことを教えてやる」初月が貝柱入り春巻きを齧りながら牽制射撃する。「江戸時代、まあ今から200年以上むかしに詠まれた歌だ。――“馬鹿夫婦 春画の真似して 手をくじき”。ポルノは見て楽しむファンタジーだ。教科書じゃない」

 

「そのまま真似するってわけじゃないわ。ただシチュエーションに変化をもたせようって」

 

 リシュリューは提督とともに簡単な台本をつくったのだという。提督の私室の本棚を図書館の書架に見立てて、そこで立ち読みしていたリシュリューに提督が痴漢行為を働き、最初は嫌がって抵抗していたリシュリューもしだいに快楽に抗えなくなり、最後は受け入れてしまう、という大筋だけ決めて、基本的にはふたりのアドリブで進行した。

 

「で、基本的にあえぎ声が“いや”とか“だめ”とかだから、本当にそれはしてほしくないときとの区別がしにくいでしょう?」

「台本つくったんじゃないのか」

「アドリブありきのセックスだもの。だから、痛かったり本当にだめなときの合図として、セーフティサインをあらかじめ決めておいたの、amiralの提案でね。これをRichelieuがしたらその場で中断するって」

「歯医者みたいだな」初月に長波が続ける。「歯医者は痛かったら手あげてっつったくせに手あげても無視するけどな」

「だからもう、どんなすごいことするつもりかしらって、ドキドキして」

 

 リシュリューは胸に手を当てて、南仏の太陽のような笑顔をほとばしらせた。かと思うと、感情が急速冷却。つまらなさそうに頬杖をついた。

 

「でも、そのセーフティサイン、一度も使わなかったのよ、結局」

 

 フランスでは、会話の途中に訪れる妙な沈黙を、天使が通り過ぎた、と表現する。だがいま通り過ぎようとしていた天使は、なにか気まずさを感じて引き返していったように初月には思えた。ため息をつく。

 

「なんか癪だが、ランチに免じて訊いてやる。いいことなんじゃないのか。嫌なことはされなかったんだろう?」

 

 リシュリューは待ってましたといわんばかりに完璧な造形の顔を活き活きと輝かせて、

 

「だって、こっちとしては限界まで試してほしいじゃない(これに初月と長波はまったく同じ動作でかぶりを振ったが、リシュリューは患者に手を上げられた歯科医よろしくまったく無視した)。Richelieuは100までいけたはずのに、60や70で止められたのよ。手加減されたの! それじゃ意味がないわ」

 

「そこまであいつにしてやる義理がこの星のどこにあるんだ」

 

「Richelieuほどの美人で、しかもほかの女にはできなそうなセックスができるってなったら、もう絶対離れられないでしょ?」

 

 初月は想像した。いや、してしまった。リシュリューが「いや」だの「やめて」だのと抵抗するも提督に組み敷かれ、最終的には頬を赤らめながらもおねだりする……そのさまだけを切り取れば、あたかも提督がリシュリューを支配しているように見える。しかし実際は、提督はむしろリシュリューに支配され骨抜きにされているのだ。

 

「胃袋ならぬ金玉袋をつかむってやつか」

 

 長波の薄笑いは実に正鵠を射ているといってよかった。これがフランス女の手管かと初月は提督に同情しかけ、やはりそんな必要はないと思い直した。

 

「離れてほしくないもの。思ってるだけじゃ伝わるわけないんだから、できるだけの努力はするべきでしょ」

「努力の方向を間違えている」

 

 初月の指摘もリシュリューは意に介さない。「で、けっきょく、“たとえリシュリューの合意があっても、リシュリュー自身が楽しめないことはしたくないよ”っていわれたわ。まだRichelieuに溺れきってないのね。だからきょうも仕掛けるつもり」

 

「きょう?」焼き飯をかきこんでいた長波の瞳に疑問。「おまえら週に何回やってんだ」

 

 リシュリューは手帳を取り出して確認した。

 

「先週は13回ってなってるわ」

「待てよ、勝手に新しい曜日を作るな」

「だってそうなんだもの」

 

 リシュリューがふたりに手帳を見せた。フランス語で数字が書かれてある。月曜に1回、火曜は3回、水曜は2回……たしかに先週1週間を合計すると13回であった。

 

「これは、amiralが達した回数」

「汚らわしい数字だ」

「ああ、数字がかわいそうだな」長波も同意した。「だいいち、それは“回数”っていえるのか?」

「逆に訊くけど、セックスの回数って、どこまでが“1回”なの?」

「そりゃあおまえ」長波が答えようとして、笑みが硬直。しだいに思案顔となり、視線を宙にさまよわせて、腕を組んでうなり、息を吸いながら首をひねって、ふたたびリシュリューを見る。「……射精の回数……?」

 

 リシュリューが我が意を得たりと無言で長波を指差した。

 

「男には残弾数の概念があるからな。まあ男に合わせてやるのが世の情けだろう」

 

 初月がデザートのシャーベットをすくいつついった。

 

「よくそんなにできるなー。疲れないか?」

「おしゃべりみたいなものだもの」

 

 長波にリシュリューは即答した。

 

「おしゃべりが音声言語による会話なら、セックスは肉体言語による会話よ。どれだけ大切にしてくれているか、セックスでは人はうそをつけないの。言葉では伝わらない想いをお互いに伝え合うのがセックス。だから愛し合ってる関係だとセックスはとても気持ちがいいの。それを幸せっていうのよ」

 

 長波はたじたじとなった。

 

「結局あたしたちはなにを聞かされたんだ……タダ飯食えたけど」

 

 店を出てリシュリューと別れたあと、長波が初月に訊くでもなく訊いた。

 

「話を聞いてもらいたかっただけだろう」

「なんかアドバイスが欲しいとかじゃなくてか?」

「あれは自分のなかですでに結論を出して、その上で他人に聞いてもらうことで再確認したり、背中を押してほしいタイプの女だ」

「女心って面倒だなー」

「おまえも女だろ……」

 

 なお、鎮守府でコマンダン・テストに長波が、

 

「でもさすがフランスだよなー、毎日だぜ毎日」

 

 げらげら笑いながらいうと、リシュリューと付き合いの長いこのフランスの水上機母艦娘は、

 

「いえ……さすがにフランスといえども毎日は……」

 

 と困惑しきりであった。

 

  ◇

 

 大学時代の同期の結婚式に招待された提督は、花婿らと久闊を叙していたおり、不穏な話を小耳に挟んだ。それは花嫁の招待客らしい女性陣の屈託のないおしゃべりであった。会場の喧騒のなかでも彼女らの砲声は確実に提督の耳朶へと流れ弾を飛ばしてきた。

 

「――でも、そういえば会うたびすぐエッチだし……」

「大丈夫? セフレじゃないそれ?」

「前いってた正社員の彼でしょ?」

「でもいつもは優しいよ……」

「去年のクリスマスも仕事でデートドタキャンされたっていってなかった?」

「うう……やっぱりあたし大事にされてないのかなあ……こないだ生理だったとき、生理きたからできないっていったら逆ギレされたし……“それくらいコントロールしろよ!”って」

「えーなにそれ信じらんなーい!」

「モラハラでしょモラハラ。別れちゃいなよそんな男」

「そうよそうよ男なんていくらでもいるでしょ、ほらここだって旦那がエリートだからランク高いのいっぱいいるよ?」

「別れたほうがいいのかなあ……」

「見なよほら、あの女なんかいい年してなにあの真っ赤なドレス、背中出しすぎでしょ、完全に男狙いに来てんじゃん。あんたはあのバイタリティ見習うくらいでいいよ」……

 

 提督は、花婿を男連中で胴上げしながら、わが身を顧みて戒めた。そういえば自分もリシュリューと会うたび交わっている。体目当てだと内心思われていたらどうしよう。そのうえ、無意識のうちに、生理くらい、と逆上したくだんの男のような振る舞いをしていたらどうしよう。

 

 思い悩んでいたら花婿が「どうした、実は深海棲艦に降伏することが決まったんだみたいな顔をして」と心配してきた。提督はとっさに「おまえごときに先を越されたのが悔しくて……」と泣くまねをしてごまかした。場は満座の爆笑に包まれた。

 

  ◇

 

 二次会で引き上げた提督はその帰りしな、リシュリューに電話を入れた。終わったら連絡してほしいと言われていたのだ。

 

「いま電話大丈夫? うん、いま帰り」

「疲れてるでしょう? きょうはAmiralの部屋に行くわ。どこかで待ち合わせる?」

「そうだね、きみの現在位置は……」提督はGPSで確かめ、「近くに画廊があるだろう? そこの前にしようか」

「え? どこ?」

「消火栓の標識がないかな、赤いくるっとしたやつ。お店の前にあるんだが」

D’accord(ああ). ブルガリの斜向かいね」

「え? どこ?」

 

 さて待ち合わせ場所に向かうと、夕刻の雑踏のなかに、提督は黄金の光芒を見た気がした。探すまでもなかった。きょうは黒を基調としたパンツスタイルで、冬のパリの曇天を思わせるスカイグレーのロングコートを合わせている。厚着なのに洗練された着こなしはさすがといったところか。向こうもこちらに気づいた。曇り空よりさらに高い天空を覗いているような空色の瞳が光を増す。薄桃色の唇が芽吹くようにほころぶ。左の目元のほくろと、みずみずしい下唇に乗ったほくろとが、微妙な動きで花を添える。それ自体が発光しているかのような金鉱脈の髪は、彼女が手を軽く振るたびに波打って踊った。彼女がもたれかかっている、ブルガリの瀟洒な構えのそばのウインドウに並ぶ光り輝く品々さえ、その魅力を引き立てるための舞台背景と化してしまっていた。

 

「待たせたかな」

 

 提督が詫びながら近づくと、リシュリューは含み笑いした。

 

「きょう一日中、起きてからずーっとね」

 

 提督はただばつの悪い笑いを浮かべるほかなかった。

 

「引き出物のカタログもらったんだけど、いっしょに選んでほしい」

「あなたにくれる引き出物でしょう?」

「ペアグラスとか、ふたりで使えるものもあるからね」

 

 部屋で割と分厚いカタログをふたりして見た。夜は更けていった。とりとめのない話をしながら下着姿のリシュリューが、わざとスプリングを軋ませてベッドに腰掛ける。提督はわざと気づかないふりをする。

 

 ――どうだリシュリュー。わたしはきみの体だけを愛しているわけじゃないんだぞ、いや体も非常に魅力的だと思ってはいるが、何度セックスをしても飽きないどころか毎日新しい発見があって驚かされて、できるのであれば毎日でもしたいとは思っているが、セックスは愛し合う手段のひとつにすぎないのであって、べつにセックスだけが目的じゃないんだ。セックスできないからへそを曲げる男なんてもってのほかさ。きみとの関係を真剣に考えている、わたしの誠実さを、とくと知ってもらおうではないか。……

 

 背中にリシュリューの気配が近づいた。香水とリシュリューの体臭の混ざった、脊髄に直接作用するような妖しい甘い匂い。もし媚薬が実在するなら、それはこんな香気なのだろう。

 

 出し抜けに、背後から右手を下からすくうように握られた。たっぷり肉を持った弾力のあるリシュリューの掌は、提督の人差し指と中指をなだめるように開いた。次の瞬間、柔らかく、熱く、ねっとりとした感触が指の股をなぞった。ぞくぞくっと、背中をなにかが駆け抜けていった。

 

「知ってる? Amiralって、手の指の股を舐めると否応なくスイッチが入るの」

「ぬおお……」

「おおかた、自分は体が目当てでこのRichelieuと付き合ってるんじゃない、とでもいいたいんでしょう」

 

 提督は自分の心臓の右心房と左心房が「えっ!」とお互いに顔を見合わせた錯覚に襲われた。

 

「女に手を出さないのが誠実さだと思った? それはね、お話がしたいのに断られるのと同じくらい悲しいの。わかる? Richelieuは、“お話”がしたいの。Amiralはとても誠実だから、毎日でも楽しいのよ」

 

 提督は腹の底から、いや、全身の細胞にいたるまで敗北した。指を絡めるようにリシュリューと手を繋ぐ。「あは」リシュリューが磁器のほほを上気させながらも心底からうれしそうに笑った。

 

「ねえ、きょうは“えーぶい”のまねはいいの?」

 

 提督は、リシュリューの冴えた白の下にうすい青の血管が広がるうなじに顔を埋め、異国の花園を訪れたならきっとそうするように、胸いっぱいに味わいながら、

 

「やっぱり、なにかのまねじゃなく、リシュリューとしたい」

 

 リシュリューはそんな提督を力強く抱きしめ、肉をさらにさらに密着させた。

 

  ◇

 

 呼吸も落ち着いたころ、ベッドのなかで提督は、結婚式場で女性陣の会話を盗み聞きしてしまったことを素直に白状した。

 

「そんなことがあったの」

「わたしもそういうところがあったらまずいなと思ってね……」

「Richelieuは嫌なら嫌とはっきりいうでしょ。いわないってことは嫌じゃないのよ」

「そういえば、あ、いや……」

「なに? いって」

「うーん、かなり失礼なことなので……」

「いわないほうが失礼よ。ほら」

「その、きみに生理で断られたことってなかったな、と」

「Richelieuはピルでずらしたりしてるから」

「そういえばわが鎮守府はピルが経費で落ちるんだった……」

「いい制度ね。でも体質に合う合わないもあるし」

「女性は大変だな」

「大変じゃない人なんて、いやしないのよ。性別関係なくね。それぞれの事情を、それぞれが折り合いつけていくしかないの。わたしたちにできるのは、言い訳して逃げるか、逃げずにどうにかするか、それか」リシュリューは手の甲で提督のほほをやさしくなでた。「いっしょに大変さを分かち合ってくれる人を見つけるか」

 

 提督はこのとき、自分の気持ちを嘘偽りなく伝える言葉が見つからなかった。これは音声言語で伝えられる感情ではない。提督は、リシュリューとおなじように、手指の背中でリシュリューの滑らかなほほをなでた。美しい女はくすぐったそうに笑った。見つめ返してくる青い瞳は、提督の想いが伝わったといっているように見えた。

 

「いやはや、それにしても彼女は大変だよ」提督はわざと増長してみせた。「いい出会いが待っているといいんだが」

 

 リシュリューが長いまつ毛を(またた)かせた。

 

「Amiral, それ恋愛相談かなにかだって本気で思ってる? その子がほんとうに悩んでるって?」

「え、違うの?」

「その場に居合わせたわけじゃないけれど、あぁ、日本語でなんていうんだったかしら、ノ、ノロ、ノロウイルス……?」

「ノロケかな」

C'est ça(そう、それ)! ただ恋人との仲を自慢したかっただけじゃない?」

「どう聞いても愚痴だったが……」

「愚痴も自慢のひとつよ。女どうしで集まって、恋人や旦那の悪口をいってるふうを装って、ノロケるの。ふつうに自慢したら煙たがられるから」

「なんて高度な情報戦なんだ……男は平文(ひらぶん)でしか会話しないのに」

 

 提督はそこで恐るべき可能性に気づいた。

 

「リシュリューも、女性どうしでおしゃべりしてるとき、わたしのことを、その、なんかいったりするのかい?」

 

 リシュリューは目を細め、真珠色の歯をこぼした。枕に顔を半分沈めながら、とびっきりの笑顔で提督を見上げ、いった。

 

「よく“自慢”してるわ」

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