愛しのリシュリュー   作:蚕豆かいこ

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Tout le monde joue au jeu de l'amour.(だれもが恋のゲームを楽しんでいる)

 まず、前提としてリシュリューは美しい。瞳は雨上がりの(中略)

 

 女性の美とは、24時間気を抜かない錬成によってつくられ、おなじくらいの努力によってようやく維持できるものである、それがリシュリューの持論である。

 

 では女性の美しさとはなにか。それは動物と人間の区別からはじまる。動物の美しさと人間の美しさは別だからだ。

 

 動物の美しさは、あるがまま、生まれもった形質を十全に発揮して、大自然で生命力を燃焼させるところにある。

 

 では人間の美しさとは? 動物の美しさにそのまま当てはめれば、素っ裸で笑いながら草原を走り回るということになる。それは美しいか? 美しくない。

 

 創世記によると、最初の人間たるアダムとイヴは、楽園エデンで一糸まとわぬ生活を謳歌し、それに疑問も覚えていなかったが、知恵の実を食べたことで羞恥が芽生え、そこらへんにあったイチジクの葉で股間を隠したという。裸身を隠す、すなわち衣服をみずから身にまとうことこそが、人間と動物の分岐点という見方もできる。

 

 人間の美とは、服装にある。自分に合った服、自分を引き立たせる服、シチュエーションに沿った服を見極めて、着こなさなければならない。

 

 リシュリューは言う。

「人間は内面がだいじだとだれもが言うわ。それはまったくそのとおり。だからこそ外面が大切なのよ。なぜなら、外面は、いちばん外側の内面だからよ」

 

 このように、美を追求するリシュリューが服にこだわるのは、至極当然の流れであり、給与の許すかぎりを、ファッションにつぎこむことも、なんら不自然なところはないのである。

 

「なにを表現するかということよ。極端なことをいえば、Robe de cocktail(カクテルドレス)les baskets(スニーカー)は合わないでしょ。髪、服、靴、sac(バッグ)、頭から爪先まで、すべてがひとつのThème(テーマ)をもって調和してないといけないの。“Si une femme est mal habillée, on remarque sa robe mais si elle est impeccablement vêtue, c’est elle que l’on remarque.”っていうでしょ」

 

 “下品な服装は服だけが目立つ。上品な服装は人物を引き立たせる”。ココ・シャネルの言葉である。

 

 では、リシュリューのこの哲学が招く事態とはいかなるものか。

 

 暇潰しに寄ったブティックで一目惚れしたブラウスがあったとする。買う。するとそのブラウスに合うバッグやスカートや靴を新たに揃えることになる。ストールや帽子も必要になるかもしれない。かくしてリシュリューのワードローブのほうがブティックと化す。

 

「しかしだな、そんなに服を買いだめする必要はあるのか? わたしでさえ、まだ着てるところをみたことないのが、かな~りある気がする」

 

 非番でも外出時は制服着用が義務付けられる海軍に身を置き、部屋着といえばピゾフのおもしろTシャツばかりの提督には甚だ疑問である。

 

「当然でしょう、さきざきの季節のものを買うんだから。必要になってから慌てて買いに行ったっていいものがみつかるわけじゃないわ。もしかしたらamiral(提督)が急にお休みがとれたとかで旅行に誘ってくれるかもしれない、観光で歩くことが多いかもしれない、amiralと並んで歩くならpantalons(パンツ)よりjupe(スカート)よね、なら足下はjupe(スカート)に合う、それでいて足に優しい履き心地のmule(ミュール)がいいわとか、いろいろ事情があるんだから」

 

「取れてもいない休暇と、誘ってもいない旅行のために服を揃えることの是非について意見書を提出したい」

 

「Amiralが旅行に連れていってくれないから、日の目をみられない服も多いのよ」

 

「確定していない未来を当て込んだことについてわたしのせいにされても……」

 

「去年にキョートへ一泊二日で旅行したときだって、旅館に一日中こもりっぱなしだったせいで、結局ただの荷物になっちゃったんだから」

 

「それをわたしだけのせいにされても……」

 

 しかしクロゼットには那由多(なゆた)の服が眠っている。

 

「フランス人は10着しか服を持っていないと風のうわさで聞いた」

 

「世界中の気候を集めたようなこの国で、女が10着だけで生きていけると思う?」

 

「そういうものかな……」

 

「それに、ことしのRichelieu(リシュリュー)に合う服と、来年のRichelieuに合う服はかならずしも一致するとは限らないんだもの」

 

「それなら去年のは処分すれば……」

 

「再来年のRichelieuには合うかもしれないでしょ?」

 

 リシュリューの返答には迷いがない。

 

 それに、と脱いだ衣装をハンガーにかけていきながらリシュリューは続ける。

 

「たとえば気に入った靴をみつけたとして、そのとき買っておかないともう二度と手に入らないかもしれない。だから買う。ところが、手持ちの服ではその靴と調和する組み合わせがない。ならその靴は、手元にあるのに、存在しないも同然なのよ。もったいないでしょ?」

 

「もったいないと思うなら、最初から買わないという選択肢は……」

 

「ないわ」

 

「だが、結局着ないままの服もあるのでは?」

 

「あるわね」

 

「それはやはりもったいないんじゃないか?」

 

 リシュリューが蠱惑的な下着姿となる。腰の位置が高い。彼女は「んー」とすこし考えて、

 

「“Le Comte de Monte-Csisto(モンテ・クリスト伯)”ってあるでしょ? あれって文庫本だと7巻あるのよね。でも一度読んだあとは、読み返すときはたいてい1巻と7巻しか読まないでしょ?」

 

「たしかに」

 

「で、もし新訳版が出たので、買うとするわね」

 

「ストーリーが違うわけでもないのに、新訳が出るとなるとつい買ってしまうんだよな」

 

「この場合、どうせ2巻から6巻までは読み物としてはあまり必要ではないけど、でもとりあえず全巻揃えるでしょう」

 

「ああ……なるほど……」

 

「捨てるのはいつでもできることなの。でも手放してから後悔しても遅いのよ」

 

「そういうものか?」

 

「Amiralだって、九一式徹甲弾が改修できるようになるとは思ってなくて、余剰分をすべて廃棄したあとに改修用の素材としていくらあっても足りない状況になって枕を涙で濡らしたって、そういってたじゃない」

 

 提督には返す言葉もない。なお「大規模作戦じゃ烈風とネームド艦戦しか使わないから、紫電改二は全部処分してもいいな!」という前科もある。

 

 人間は痛いところを衝かれると反発したくなる生き物である。提督はつつかなくともよい藪をわざわざつついた。

 

「そんなに着飾って、いったいだれにみせるつもりなんだ」

 

 リシュリューがむっとする。

 

「どうしてそんなこというの? Amiralだって、Richelieuがちゃんときれいに着飾っているほうがいいでしょ?」

 

 まずい、怒らせた、と提督は慌てた。

 

「その、なんだ、ほら、つまりですね」

 

 なんとかして、彼女のご機嫌をとる、ウィットに富んだ返答を即座にひねり出さねばならない。思考が交尾中のヘビのようにこんがらがってからまった提督は、「着飾らなくたって、きみはそのままでじゅうぶん美しいよ」という意味で、こう言ったのである。

 

「脱いだらおなじだし!」

 

 日はまた昇る。南中を過ぎる。遅めの昼食をとるため食堂に入った初月は、「室内なのに雨が降っている」と感じた。ひとりで沈んでいる提督の頭上に雨雲が幻視できたからだ。提督はその雨に打たれていた。

 

「いちおう訊いてやるけど、どうしたんだ」

 

 呆れる初月に提督は頭を抱えながら答えた。

 

「リシュリューが口を利いてくれない」

 

 初月の助言により提督が花束をもって仲直りを申し出て、日仏の友好関係はぶじ保たれた。

 

 つぎの日、

 

「ねえ初月、amiralの私室のおもちゃ、なんとかならない?」

 

 と、今度はリシュリューが相談をもちかけた。

 

 艦船模型つき桐箪笥を全種類コンプリートしている提督だが、ふつう、箪笥はそうそう取り替えるものでもない。せっかく手に入れたのに倉庫で埃をかぶらせるのも忍びないということで、執務室に置いていない桐箪笥から付属の艦船模型だけを取り外して、私室にディスプレイしているという式だった。

 

 しかし、私室もわざわざショーケースを新たにあつらえられるほどの余裕はない。いきおい、数少ない空きスペースである本棚の上が、模型たちの安住の地となる。

 

 なにせ戦艦や空母の模型なのででかい。重い。もし寝ているときに落ちてくればおおごとである。

 

「たしかに、地震がきたりしたら危ないかもな」初月は秀でた顎に手をやりながら案じた。

 

「地震がなくても危ないのよ」

 

 リシュリューは顔の前で手を振った。模型置き場であるふたつの棚は、それぞれベッドの頭側と足側を挟むように隣接している。

 

「振動で落ちてこないか心配で心配で、2日ぶりだったのにゆうべも集中できなくて」

 

「帰っていいか」

 

  ◇

 

 そんなこんなで、この金曜、提督はリシュリューに、

 

「あした買い物に付き合って」

 

 と世間話のひとつのようにさりげなく頼まれた。提督に荷物持ちをさせる心算らしい。

 

 そこで提督は――やめておけばよいものを――ささやかな意地悪を試みた。こう返したのである。

 

「それってデート?」

 

 言った。言ってやったぞ。提督は己の勇気に酔いしれた。きっとリシュリューは照れ隠しに買い物と表現したに違いないのだ。そら、つぎの瞬間には慌てふためいて「違うわよ! デ、デートなんかじゃ……ち、違わないけどぉ……」と、最後らへんなんか消え入るような声で、やけにしおらしくなったりするのだ。期待に胸が高鳴る。

 

 しかるにリシュリューの返答は、

 

「そうよ」

 

 表情筋すら微動だにせず、紅潮のひとつもない、冬のパリの凱旋門を抜ける風のように冷たく、無慈悲な断言だった。

 

 花の都パリはその美称とは裏腹にひどく寒いということを知ったのは中学時代だ。国語の教科書に掲載されていたエッセイで、パリに留学した日本の貧しい非常勤講師が真冬の小さな食堂で困窮からオムレツだけ頼んだら「間違ってつくっちゃった。捨てるのもったいないから食べて」とどっしりしたオニオングラタンスープが配膳されてきて、それが人情込みでいかにも温かくておいしそうだったのがきっかけで、未だにオニオングラタンスープが大好きな提督は、味方のいない、雪のちらつくパリの街を空き腹かかえてさまよう学者に自らを重ねた。提督の完敗、E敗北である。ああ、無情(レ・ミゼラブル)

 

 翌日。

 

 買い物はつつがなく進んだ。だれもが提督と連れ立って歩くリシュリューに振り返った。金糸を編んだような豊かな髪までが楽しそうに踊る。そのたびに黄金のきらめきが花粉のように舞い、大気を浄福の気で彩る。石畳を叩くパンプスの足音ですらひとつの音楽だった。必然的に隣りを歩く提督にも視線が集まる。思わず萎縮してしまいそうになるたび、リシュリューに尻を叩かれた。

 

「ちょっとお腹が空いたわ。軽く食べていきましょう」

 

 提督に拒否権などあろうはずもない。小さいが洒落たレストランに入るリシュリューに続く。彼女は迷いなく入り口そばにある階段を上っていった。一階は厨房とキャッシャーで、席は二階にあるらしい。

 

 四人席しか空いていなかった。とりあえずリシュリューの椅子を引いてやる。リシュリューが礼を述べながら腰かける。

 

 で、彼女の対面に座ろうとしたら「は?」と凄まれた。提督は咳払いをし、荷物だけを対面の椅子に乗せ、自身はリシュリューの隣の椅子に移った。「ん、よろしい」一命をとりとめた。さて、なにを頼もうか。提督は意気揚々とお品書きを開く。

 

「ここね、オニオングラタンスープがおいしいの」

 

 リシュリューに提督のメニュー表をめくる手が止まる。

 

「あなた、好きだって前に言ってたでしょ?」

 

「言ったかな」

 

「言ったわよ」

 

「すまない。覚えがない」

 

 リシュリューはくすりと微笑む。「言ったほうは意外と忘れているものよ。なんでも、むかし学校でおいしそうなオニオングラタンスープのお話を読んだかなんかで、それ以来好きになったとかって」

 

 提督は少々驚いて、それから口元を緩めた。自分でさえ口にしたことを覚えていないということは、おそらくは他愛ない思い出話のひとつだったのだろう。もしかしたら寝物語だったかもしれない。そんなものさえリシュリューは記憶に留めていた。

 

 ならば、もうお品書きには用はない。

 

 さあ、注文のオニオングラタンスープが運ばれてきた。熱したにんにくとチーズの芳香が湯気とともにただよう。受け皿に乗せられた純白の耐熱容器からわざと溢れさせたチーズの無造作な焦げあとが、陶芸における自然釉のように、この世にふたつとない皿を演出する。

 

「それでは……」

 

 スプーンをさしこむ。白銀の匙に濃い飴色が満たされる。およそにおいというものは味覚を裏切らない。とろとろになるまで煮込まれたタマネギの甘さ、チキンブイヨンの旨味、バターのコクがぎゅっと詰まっていて、濃厚なスープが隅々まで染み渡ったバゲットが、腹臓というより足首のあたりから体を温める。水分が少なめなので飲むというより食べるスープだ。寒さに強張っていた体が解かされていく。

 

「いままで食べたオニオングラタンスープのなかでいちばんうまいな」

 

 本音だった。リシュリューも「でしょう」と相好を崩した。「このあたりのお店を食べ比べてね、ここがいちばんだったのよ」

 

 そういうリシュリューはアラビアータとチーズのオープンサンドイッチに舌鼓を打っている。「これははじめてだけど、おいしいわね」

 

「きみもこれを頼めばよかったのでは?」食べ物についてあまり冒険をしない提督が苦笑する。気に入ったメニューがあれば基本的にほかのものは頼まない性格の提督からすれば、おいしいと知っているオニオングラタンスープではなくわざわざ別のものを注文するリシュリューはとても不思議に映る。

 

「どうして? 連れと料理がかぶるなんて、相手に失礼じゃない」

 

 口も指も汚さず食事を進めるリシュリューはさも当然のような顔をした。

 

 フランス人は仲間内でけっしておなじ料理を注文しないといううわさは、日本人はみんなカメラを首から下げているとか、中国人はみんな拳法の達人とかいう偏見のようなものかと提督は漠然と思っていたが、どうやら真であるらしい。

 

 この世界にはまだまだ知らないことがたくさんあることに気づかせてくれる、リシュリューはいままで見えていなかったものまで見せてくれる、参ったな、と提督は微笑しながら、チーズが乗ってスープをたっぷり含んだバゲットを味わう。

 

「しかし、わざわざ店をさがしてくれたのか。こんないい店があるなんて知らなかった」

 

「Richelieuがつくってあげてもよかったんだけど、あなたの話からするとね、お店で食べたほうがいいんじゃないかしらと思って」

 

 提督は最後のひとくちを掬った。

 

「これは、きみがつくってくれたも同然だよ」

 

 リシュリューの横顔から、花がこぼれる。

 

「ばかね」

 

  ◇

 

 その夜、通路の窓外で雪がちらついていた。冷えるはずだ、と提督が歯を吸いながら、あすの仕事の準備のため執務室に帰ると、コタツでリシュリューがくつろいでいる。コタツに足を突っ込んで背を丸くしている姿がほほえましい。

 

「出られないわ」

 

「わかる」

 

 書類をやっつけようとした提督は、先にも増して底冷えを覚えた。コタツで暖まるリシュリューをみているからかもしれない。チェックと決裁はコタツでもできよう。

 

「じゃあ、わたしもお邪魔させてもらおうかな」

 

 提督がなんの気なしにいうと、

 

「あら、しかたないわね。詰めてあげる」

 

 リシュリューがわずかに右へ腰をずらした。

 

 当然のことながら、コタツは四方に開口部をもつ。いまコタツに入っているのはリシュリューだけだ。三方が空いている。提督はリシュリューの言葉に判然としないながらも、彼女を北とすると東に足を差し込もうとした。

 

 視線を感じて、ふと顔を右に向けると、リシュリューがろう人形のように無表情でこちらを直視していた。みかんの皮をむく手も止まっている。

 

 提督は思いなおしてリシュリューのすぐ隣に移動して足を滑り込ませた。肩が触れ合う。狭い。しかし暖房以上に暖かい。

 

「……ん、よろしい」

 

 リシュリューがまたみかんをむきはじめる。

 

 四人席でわざわざ隣りあって座るように、コタツにわざわざ隣りあって入るように、はたからみればおかしな、だが自分たちにとっては代替のきかない幸せを、ひとつずつ重ねていければ。天花舞う静謐な夜に、提督は思いを馳せるのである。


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