翅神と巫女の物語   作:ミナミミツル

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敗北の味は苦く

 ローマより旧き時代。

 ギリシャより旧き時代。

 かのアトランティスすら、ようやく双葉をつけた芽に過ぎなかった頃。

 世界には神の如き巨獣が闊歩し、<翡翠海>の百の島々に跨がり興ったレムリア共和国は彼ら神獣と覇を競っていた。

 

 

 

 流星が奔ると空が燃えた。

 光は二十キロも離れた隣の島からでも見ることができ、そのように遠く離れた場所からならば、空が焼ける光景はある種の幻想的な風情があるように思われた。

 火に近づきすぎた羽虫が音もなく焼けて落ちていくように、空に浮かぶ火の粉がパラパラと輝きを放っては落ちていく。

 

 しかし、光により近い場所にいた人間は地獄を味わっていた。

 

 

「巡洋艦マレガー、及びバンニケド轟沈!」

「戦艦グラス・ランダ中破、戦闘続行不能! 後退していきます!」

「打撃艦ドゥルーガーより打電『我、航行力ヲ喪失ス。コノ上ハ我ガ身ヲ火船トシ呉爾羅ニ最後ノ一撃ヲ加エン。レムリアニ栄光アレ』」

「先の攻撃で第一、第二航空隊が消滅! 第三航空隊も出撃できません!」

「駆逐艦の七割が既に戦闘不能です!」

「対巨大生物用燃料気化爆雷、残弾なし! 呉爾羅は依然として健在!」

「メインエンジン出力低下! 防御スクリーンの展開率が40%を切っています! 次に熱戦を受ければ、我が艦もこれ以上は持ちません!」

 

 輝いては散っていくように見えた羽虫の正体は、レムリア軍の飛翔艦の群れであり、美しく軌跡を残す流星の正体は巨獣の発した死の熱線であった。

 この日、レムリア軍は共和国にとって最大の脅威である大巨獣、呉爾羅(ゴジラ)へと戦いを挑み、暗澹たる結果を目の当たりにしていたのである。

 艦隊の中でも一際巨大な戦艦、レムリア艦隊旗艦、大海の君主(ロード・オブ・オーシャン)号は、大海原に君臨する真の王によって今や死に瀕しており、そのブリッジにはけたたましく怒号が飛び交っていた。

 

「将軍、これ以上は無理です! 退避のご決断を!」

「防御スクリーンを切れ、もはや不要だ。全エネルギーを主砲に回し、できる限り攻撃し続けろ」

 副官から上がってくる報告を無視して、艦隊司令であるヴァスキ将軍は火器管制官にそう伝えるとメインスクリーンに映る宿敵、呉爾羅(ゴジラ)を睨みつけた。

 

 呉爾羅(ゴジラ)。破壊の神。神獣の中の神獣。ヒューペルボリアの災い。そしてレムリアを滅ぼすもの。

 荒々しい岩石に似た黒い表皮は、あらゆる兵器に対して驚くべき耐久力を示し、数万トンに達する体重を支える両足は、踏みしめる度に大地を震撼させる。

 背に屹立する背びれは禍と死の前兆。それが輝く時、呉爾羅(ゴジラ)の口からは恐るべき熱線が吐き出される。

 

 その怪物は炎の只中にいた。近づくことも困難な灼熱地獄の中心で、それでもなお呉爾羅(ゴジラ)は命を保っている。

 レムリア軍は来たるべき決戦に備え艦隊を建造し、三年かけて幾重にも罠を張り巡らせた戦場を構築し、そこに呉爾羅(ゴジラ)を誘い込んで総攻撃を加えた。

 

 その結果がこのざまか。

 艦隊の半数は焼け落ち、残りも戦闘不能となりつつある。

 ……だが、まだ我々は負けていない。

 

「共和国に残っている飛翔艦を全て出せと本部に伝えろ。兵力を温存していては奴に勝てない」

 ヴァスキが思い出したように通信手にそう言うと、副官はいよいよ色めき立って声を荒げた。

「将軍、本気ですか!?」

「何が言いたい?」

 ヴァスキは顔を上げてまだ若い副官の方を向いた。

 副官の瞳の中で、自分のすっかり白くなってしまった髪が、画面に映る炎に照らされてオレンジ色に変わる。

「本国の守りを空にするつもりですか!? それに例え増援が間に合ったとしても、とても奴は倒しきれません。みすみす被害が増えるだけです!」

「倒しきれんだと? まさに今こそがこの二十年で最高の好機なのだぞ! 見ろ、傷ついているのは我らだけではない、奴も同じだ! 今ここで倒せないなら永久に倒せんわ!」

 

『退け』

 

 将軍がそう言い終えるかどうかという瞬間、不意に言葉ならぬ言葉が頭に響いた。

 

『退け!』

 

 二度目の言葉はより強く、まるでハンマーで殴られたような衝撃があった。その言葉が頭に響いたのは将軍だけでなく、戦闘に参加していた全ての人間が同じ言葉を聞いた。

 声の主はなおも続ける。

『これは評議会の決定である。全艦、戦闘領域から離脱せよ。繰り返す、これは評議会の決定である』

「……翅神の巫女か! 今更現れおって何のつもりだ!」

 頭に手を当てながらヴァスキ将軍は唸った。

 戦場にあまねく轟くテレパシーはそれ自体が一種の音波兵器に似た衝撃をもたらしていたのである。

 

 その時、レーダー管制官は高速で接近するテレパシーの発信源の姿を捉えていた。

 彼もまた頭を押さえながらヴァスキに報告する。

「翅神と思われる機影を捕捉! 映像出します!」

 

 目標であるゴジラの映像が一時縮小して、その隣に映し出されたのは、極彩色の翅を羽ばたかせる大いなる巨神だった。

「おお……」とブリッジの中が俄かにどよめく。

 翅を広げたその姿は、超ド級飛翔戦艦である大海の君主(ロード・オブ・オーシャン)号にも引けを取らない壮麗さ。

 それほど巨大でありながら、その輝くものは、鳥のように羽ばたいて飛翔していた。騒々しいエンジンの無骨さなど欠片もない。

 青き複眼でレムリアの島々を見守る神、その名は翅神(モスラ)

 

 その翅神(モスラ)の頭には、薄手の皮服を着た二人の乙女が、互いの身を支え合うように手を結んで立っていた。

 彼女たちが口を開くと、その声は音ではない思考の波となって艦隊の乗組員たちに届く。

『我らが呉爾羅(ゴジラ)の注意を引く』

『その隙に撤退して下さい。翅神(モスラ)とて長くは持ちません』

 その思念波がいきわたると同時に、二人の乙女を乗せた翅神(モスラ)は果敢に呉爾羅(ゴジラ)へと向かっていく。

 

「……!」

 ヴァスキ将軍は目をむいた。

 今更引けだと!

 それが評議会の決定だと!?

 信じられんバカどもだ!

「通信手、巫女の思念波とシステムを同調させろ! 俺が話をつける!」

 通信手の女性は将軍に言われるがままおっかなびっくり指示に従った。

 ブリッジ内に不快なハウリング音が響き、それが収まるとヴァスキ将軍は通信機に向かってがなり立てた。

「こちらはレムリア艦隊司令ヴァスキだ! 翅神(モスラ)の巫女よ、これはなんのつもりだ!」

 戸惑いがちの声が将軍の元へ届く。

『ん、ヴァスキ将軍……か?』

『私たちは共和国評議会の命を受け、艦隊の撤退を補佐する為に参りました』

「怯懦を理由に作戦の参加を見送ったお前たちが今更何を言うか!」

『我らは何も恐れてなどいない』

『もはや翅神(モスラ)に戦う力など残されていないのです。今にも翅神(モスラ)の命は尽きようとしています。将軍も早く後退させてください』

「ここまで来て逃げろだと! 今死にかけているのは我々でも翅神(モスラ)でもない! 呉爾羅(ゴジラ)の方なのだぞ!」

『私たちはゴジラの生命力も感じています。死にかけているとは言えません』

『何度も繰り返すようだが、撤退は評議会の意志だ。従わぬというなら共和国への背信となるぞ』

「……ではこの戦いは何だったというのか! 兵は何のために死んでいった! 無駄死とでも言うつもりか!?」

『そんなことは思っていません。ですがこれ以上戦うというのなら、死ぬべきでない者の死体が積み重なるでしょう』

「評議会は事態を分かっていない。このバース島は南東部の軍備の要なのだぞ! ここを放棄すれば、防衛線も下げざるお得ない我々は国土を失う!」

『貴官の心配は評議会も理解している。撤退命令と同時にバース島周辺の七島に対して住民の一時避難命令が発令された』

『一時避難? 一時避難だと!? 一時とはいつまでだ! 一度失った国土はもはや――!』

『申し開きがあるなら、貴官が直接評議会に行って直訴しろ。我々に言われても困る』

 

 その言葉を最後に通信は途絶えた。

 戦場を映すスクリーンの中では、翅神(モスラ)が闘牛士のようにひらりひらりと呉爾羅(ゴジラ)の熱線を躱し続けている。

 

「……全艦へ通達」

 ヴァスキ将軍の声は先ほどまでと打って変わって疲れ切っていた。

 老人のかすれ声が重々しく響く。

「作戦終了。戦場を離脱し、帰投せよ」

 それだけ言うと将軍は深く椅子へと沈み込んだ。

 

 ……我々は敗北した。

 

 

 艦隊が後退していく中、翅神(モスラ)とその巫女は撤退の時間を稼ぐべく果敢に呉爾羅(ゴジラ)へと向かっていく。

 吐き出される熱線が何度も空を焦がし、死の炎が肌をかすめるが、彼らは一歩も引かなかった。

 しかし、巫女の二人はそれが絶望的な戦いであることを誰よりも分かっていた。

 翅神(モスラ)の巫女はその強大な感応力を持って人々の願いを神に伝え、反対に神の神託を人々に告げる媒介者である。

 故に巨大な神の精神に触れた時、巫女は神の心を知る。

 言葉ではないいくつもの巨大な感情のうねり、そこに恐怖があることを巫女は知る。

 

 恐怖!

 これほど偉大な生き物さえもが、あの黒い破壊者には恐れを抱いている!

「行くぞ、レラ!」

「はい、姉さん!」

 巫女の姉妹は互いに励まし合いながら、翅神(モスラ)の心を奮い立たせる古の呪い歌を歌い上げる。

 翅神(モスラ)の魔力で護られているとはいえ、超音速で飛び回る者の背の上で呪い歌を歌うのは容易なことではない。まして相手はあの呉爾羅(ゴジラ)である。

 生身の人間がこれほど呉爾羅(ゴジラ)に接近してまだ生きているだけで驚くべきことだった。

 

 もうどれほど曲芸じみた飛行を続けただろうか。

 何度目かの交差の瞬間、巫女はこちらを睨みつける呉爾羅(ゴジラ)の目を見た。

「――――!」

 飽くことなき闘争心と深い憎悪を湛えた瞳に、さしもの気丈な巫女もぞっと射竦められた。

 その瞬間巫女の一人は歌うことを忘れ、呪い歌の旋律が乱れる。

「姉さん!」

「……はっ」

 呉爾羅(ゴジラ)は相手に起きた隙を見逃さなかった。

 翅神(モスラ)が僅かに失速した瞬間を正確に捉え、灼熱の炎が吐き出される。その時、呉爾羅(ゴジラ)の視線の先にいたのは翅神(モスラ)ではなく、巫女であった。

 

 翅神(モスラ)の巫女は死を覚悟した。だがとっさに翅神(モスラ)は体をひねり、自身の身を盾に頭の上に乗った巫女をかばう。

 その代償に熱線を浴びた翅神(モスラ)は痛々しい苦悶の声を上げた。

 錐もみに落ちかけたところを何とか体勢を立て直すと、巫女の一人が思わず叫ぶ。

「姉さんこれ以上は無理よ!」

「おのれ! 奴め、私を狙いおったな! この借りはいつか返すぞ!」

 

 巫女の一人が苦々しくそう言うと、傷ついた翅神(モスラ)は戦場を後にした。

 

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