翅神と巫女の物語   作:ミナミミツル

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夜明けは別離と共に

 

 まるで嵐が過ぎ去った後のように、激しい戦いの痕跡を残して瓦礫となった都は静まっていた。

 地に横たわった翅神(モスラ)の体に付いた無数の傷痕、そこから流れ出る血は爆発の熱によって焼き焦げて、じゅうじゅうと音を立てている。

 その音と肉の焼ける嫌な臭いでレラは目覚めた。

 視界に映ったのは砕かれた都市の死体。壮麗だったレムリアの都が、砕け、焼き尽くされ、栄光の残骸を晒している。

 

 死の世界で、ただ一人自分が無事なのが不思議だった。恐らく爆発の瞬間に翅神(モスラ)は自分を庇ったのだろう。

 だがその代償は大きく、満身創痍の翅神(モスラ)は弱々しく鳴いた。

 その翅を動かす度、呼吸で腹が動く度、レラには翅神(モスラ)の痛みが伝わってくるようだった。

 

 その痛みが和らぐよう、レラは翅神(モスラ)の奮戦を讃える歌を歌ったが、歌い手のレラ自身ですらその声は荒地に吹く風のように空虚なものに感じた。

 死の世界の只中では神の栄光さえ色褪せるのだろうか。

 それでも歌い終えた時は、さきほどまでよりも翅神(モスラ)は落ち着いているようだった。

 翅神(モスラ)は助かる。神はなお健在だ。そう確信すると、レラ自身もホッとした。

『ありがとう。ここで少し休んでいて。私は辺りを見てきます』

 レラは翅神(モスラ)にそう伝え、瓦礫の中に足を踏み入れた。

 

 崩れかけた道路を辿り、レラは生きている人間を探した。

 遠目には生者など見つからないように思えたが、暫く進んでいくとチラホラと生きている人間の姿が現れ始めた。

 避難壕に入るのが間に合ったのか意外なほど身綺麗な者もいて、彼らの姿を見て徐々に人心地が付いてくる。

 勿論これからの苦労もあるだろうが、死体の山よりは生きている人の方が見ていて気が楽だ。

 

 レラがさらに歩くと五、六人の人間が何かを遠巻きに眺めていた。

 道を塞ぐように巨大な何かが横たわっている。

 ……羽斗羅(バトラ)だ!

 

 翅神(モスラ)も酷い怪我を負っていたが、羽斗羅(バトラ)はもっと酷い状態であった。

 片目は爆ぜ飛び、手足の何本かも吹き飛んでいた。

 さらに口部から喉にかけて深い傷が走り、顎が千切れそうになっている。

 腹部が僅かに動いてはいるが、これでは死にかけ――。

 

 ――じゃあ姉さんはどこだ?

 ハッとしてレラは声を張り上げて呼びかけた。

「バラッ!」

 返事はない。

 もう一度呼んだ。

「バラッ! バラッ! どこにいるの!?」

 返答はない。

 

 レラは羽斗羅(バトラ)の元に駆け出していた。

 近づくにつれて肉が焦げ付くむわっとする悪臭が鼻をつく。

 その臭いを無視して、羽斗羅(バトラ)の元まで近づくと、神獣の流した血だまりの中に、小さな体の人間が倒れていた。

「バラッ!」

「……」

 近寄ってレラがさらに呼びかけると、奇跡的にバラは目を開けた。

 虚ろな目で空をしばし見つめ、何やら言葉を喋ろうとした途端、むせるように血を吐き出す。

「喋らないで下さい。傷が広がります」

『もはや助からぬことは自分でも分かる。今更傷の心配をする必要はないだろう』

 言葉の代わりにバラは心の声でレラに語り掛けた。

 

『私……私がこれをやったのだな、本当に』

 心の声を通して伝わる言葉に、レラは静かに頷いた。

「覚えていないのですか?」

 バラは顔を歪ませた。

『覚えているとも。だがずっと夢を見ていた気分だった。悪夢だったかもしれぬが、心地よい夢……。こうして覚めるまではな』

「……」

 しばらく二人は無言で佇んでいたが、バラは両手で顔を覆った。

『信じられぬだろうが、私はただ呉爾羅(ゴジラ)を倒す為にこれを始めたのだ。だが、気がつけば私の憎しみは人間へ向いた……見たこともない呉爾羅(ゴジラ)より我が身の足元で這い回る者へ』

「見たことのない? 私たちは一緒に呉爾羅(ゴジラ)戦いました。それは現実です」

『そう、だったな……すまない、もう自分がバラなのか羽斗羅(バトラ)なのかよく分からんのだ。それでもお前と話していると、少しは自分を思い出せる……そうだ、私は呉爾羅(ゴジラ)を倒そうとしていた』

「心が神に近づきすぎたんです。気をしっかり持ってください」

『いや、もうダメだ。わた、私……私たちはもはや』

 

 

 そこまで言うと死んだと思われていた羽斗羅(バトラ)が瀕死の体を持ち上げた。

 弱々しく吼えると、隻眼の眼が巫女たちを見下ろす。

 レラは驚き身構えた。あれほどの傷を負い、まだ動けるなんて!

羽斗羅(バトラ)! もう終わりよ! 動かないで!』

『まだ終わりではない。例え死すとも翅神がその身を大地に横たえることは許されん。亡骸を晒せば神は神でなくなる』

 羽斗羅(バトラ)が破れた翅を広げると、体中から血が噴き出した。

 バラもまた羽斗羅(バトラ)の血を浴びると、よろよろと身を起こす。

 

『神送りの時だ。私も行かねば』

「神送りなんて無理に決まってる! もう羽斗羅(バトラ)を止めて下さい!」

『できるさ。だが一柱で行かせるわけにはいかん。あれをあの姿にしたのは私だからな』

「やめなさい!」

『私はやめろと言われれば逆らいたくなる性分でな』

 レラが語気を強めるとバラは顔を背けた。

『離れろ、レラ……歌で送ってくれとは言わない』

「待って……」

 

 姉の体を掴もうとレラが伸ばした手は、虚しく宙を掻いた。

 レラが目を見開く。

 彼女が掴もうとしたのは思念を応用した幻だった。姉の実体は幻よりも一歩前にいて……。

 

 バグンッ。

 

 羽斗羅(バトラ)の大咢がバラを呑み込んだ。

 破れた喉から血をまき散らしながら羽斗羅(バトラ)が咆哮する。

 そして飛んだ。

 羽ばたく度に血と臓物を振りまきながらも、それでもなお神は太陽とその向こうに向かって飛んだ。

 レラの目には今にも墜ちそうな弱弱しい飛行に見えるが、見る限りそれは最後まで墜ちず彼方に飛び去った。

 

 湧き上がる激情を抑えきれず、レラは泣きながら太陽に向かって叫んだ。

「最後まで勝手な真似して! 歌なんて歌ってあげないわよ! バラの、バラの、バラの、バカァァァァァァ!」

 

 暁の空に巫女の声が響き渡る。

 荒神は去り、レラとレムリアは破滅の夜を生き延びた

 だが、神と巫女の片割れは消え、都は破壊され、そしてまだどこかに呉爾羅(ゴジラ)が残っている。

 真の脅威が。


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