住む場所を追われ避難を余儀なくされた人。
親を、兄弟を、子供を、友人を失った人。
悲観もそこそこに彼らには慣れない生活が待っている。
壊滅した都市を前に、いつまでも呆然としてはいられない。生きている限りは立ち上がらないといけない。
レムリアで再興計画が動きだした頃、私にも変化が訪れていた。
『いや、見ようによっては何も変わっていないのかも知れんぞ。今も私たちは一緒なのだから』
レラはその声を振り払うように頭を振った。
あの夜、
しかし、それ以降レラは何かがある度にこう考えるようになっていた――バラならどうする? なんと言う?
今までも姉と自分は常にべったりだったわけではない。離れていたことは何度もある。しかしこれほど意識することはなかった。
時々本当にバラが隣にいるかのように声が聞こえるほどだ。
「……こんなこと誰かに喋ったら、私も狂ったと言われますわね」
『実際そうだろ。死者の幻聴を聞いていて、自分はまともだというつもりか?』
「……そんな言い方は嫌われますわよ」
レラが誰となくそう呟くと、面白がるようなバラ笑い声が聞こえた。
「レラ様、お客様がお見えです」
物憂げに今後のことを考えていると若い侍女が現れレラに来客があることを告げる。
「お通ししてください」
侍女は頷いててそっとその場を離れると、しばらくして一人の男を連れて戻ってきた。
その顔には見覚えがあった。評議会から派遣された復興担当の行政官で、何か頼みごとがあってインファント島まで足を運んだのだという。
「それでしたら通信で十分でしたのに」
「いえ、直接お会いして話し合った方がいいと思いまして……」
男はなにやら引け目を感じているようで、まるで言葉を濁しているようだった。
その様子を見て反射的に破壊されたレムリア光景が脳裏に浮かぶ。
復興担当などと言っているが、評議会は私を拘束する気だろうか?
まったくありえない話ではない。レムリアを破壊したのは実の姉なのだから。
「……私に協力できることなら、なんでも致しますよ。おっしゃって下さい」
「実は、避難民を一時インファント島で預かってもらいたいのです」
復興担当官は言いづらそうに切り出した。
レラは顎に手を当ててその言葉を反芻する。
一時避難の受け入れ要請……それは予想していなかった。予想していてしかるべきだったのに。
「この島は神の棲む島です。あまり多くの人間が足を踏み入れるべきではありません」
「はい……」
「ですが、今見て見ぬふりをするわけにも参りません。
復興担当の役人はこれまでで最も言い出すのを躊躇っているようだったが、やがて意を決したように口を開いた。
「五百人ほどです」
「分かりました。そのくらいの人数でしたらできなくもないと思います」
「寛大なお言葉ありがとうございます。もちろんレラ様が不便なさらぬよう、こちらでも便宜をはかります。それと、もう一つ言っておかねばらなないことが……」
「なんでしょう?」
「受け入れていただきたいのはヤエン族です」
「なるほど」
そういいながら、レラは少しだけ表情をこわばらせ、今一度いるはずのない姉の気配を隣に感じた。
復興担当官の言葉に苛立ちを覚える様が目に浮かぶようだ。
この場にバラがいたらなんと言うだろう?
脅すような口調で「そいつらをこの島に入れる気か?」かな。それとももっと直接的に「私は反対だ」とか。
だが私はバラではない。
「あの島の主は私ではなく
「ありがとうございます。そう言ってもらえると助かります」
ヤエン族。無数の島々で構成されるレムリア共和国にあって、彼らは他とは異質な漂流の民である。
土地を持たず、一生の大半を船――レムリア人の開発した空飛ぶ飛翔船ではなく、水の上に浮かぶ船――の上で過ごし、島から島へ渡り歩いて暮らす民族だ。
その性質の為にしばしばヤエン族ともと居た住人たちとの間に軋轢が起きる
普段は漁で生計を立てているが、裏では密漁、密売、違法な運び屋などを行うと考えられており、レムリアでは彼らを蔑視する者も多い。
神域と呼ばれるインファント島に入れるなど、かつてなかったことだ。
しかしあの夜を境に、否応なく全ては変わった。変わるべきだ。
「それにしても」
目の前の男を眺めながらレラは言った。
「ヤエン族の中のさらに一集団の為にわざわざ評議会が動くとは、ずいぶん腰が軽くなりましたわね」
「いやあ、今回のことはちょっと色々ありまして」
「どういうことです?」
「実は今回受け入れてもらうヤエン族の方々は元々バース島の近くにいた集団でしてね……
「バース島の近く、ですか」
「ええ、あんな巨神たちが侵入してくる最前線なんかにいるよりレムリアの方がいいだろうって説得したんですが、向こうは頑として聞かなかったんですよ。それでも絶対に安全だって大見え切って移動させたんですが、こんなことが起こってしまって。それで流石の評議会も今回はなるべく向こうの要望を聞くようにってお達しを出したんです」
「なるほど、よく分かりました。ヤエン族は故郷を持たない民だと書いていますが、住み慣れた環境を追われる辛さは我々と変わりないでしょう。それも二度目となればなおさらです」
かくして新たな住人がインファント島に現れたが、ヤエン族が移動やら漁業権やらの手続きをして実際にやってくる前に、レラは島を離れなければならなかった。
首府レムリアを襲った悲劇は多くの人間の心を傷つけ、科学の発展と共に忘れかけていた神への恐怖を思い起こさせた。
そういった人々を安堵させ、再び希望の火を灯し団結を呼びかける為の慰問に行かなければならなかったのだ。
小さな飛翔船に乗って、レラはいくつもの町を訪れた。生々しい傷痕の残るレムリア市や遠くに避難した市民の元へ。
彼女を迎える人々の中には、レラだけでなくバラの名を叫ぶ者も少なくない。
軍の一部ではヴァスキ将軍とバラの暴走が囁かれていたが、評議会とレムリア軍はそれを握りつぶした。
公式には彼女と今一柱の
『皆を騙すのは心が痛いな』
いつものようにバラの声が囁くと、レラの表情が固まった。
小さな飛翔船の外では市民たちが私に頭を下げている。
“戦いの中、姉を失ってなお勇敢に戦い続けた巫女”という虚構の私を。
『誰もが嘘をついている。私も、お前も、評議会も、他の人間も』
レラは冷たい笑顔のまま、民衆の声に答え手を上げる。
姉の幻聴が早く消えることを願ったが、無駄だった。
『私は怪しげな実験に手を染め、お前や評議会は民心が離れることを恐れ、真実をひた隠しにした。そしてそれが暴露されるという新たな恐怖に苛まれている』
「……」
『こやつらとて同じこと。自らの心に嘘をついている。
「そろそろ止めてください」
誰にも聞こえない小さな声でレラは言った。
「姉さんが偽の名誉なんか大っ嫌いなのは知ってる。本当は皆に真実を知らせて大悪党として唾吐かれた方がマシってこともね」
『当たり前だ。あれだけやって聖女として奉られるなど真っ平だ。私のことは偽りの英雄ではなく悪人として裁け』
「そんな贅沢はさせない。あなたの死は徹底的に利用される。これ以上何か言うつもりなら、姉さんが一番嫌うことをしてあげるわ。それが嫌なら黙ってて」
『何をするつもりだ?』
「殉教者バラの銅像を建てるの、何一つ真実のない文句を刻んでね」
どうやらこの言葉は不意打ちに近い打撃だったらしい。バラの声は少し怯んだようだった。
『……お前、性格が悪くなったな』
「私が誰の妹だか忘れたのですか?」
『ふん。いいだろう、しばらく黙っててやる。だが覚えておけ、本当の私はもういない。私の声はお前自身が思っている声だ』
永遠に続くかと思われた被災者への慰問が終わった時、レラは消耗しきっていた。
レラは慰問中、無性に叫びたくなることが何度もあった。感情が上手くコントロールできず、誰かに怒りを爆発させて当たり散らしかけたのを、寸でのところで何度も飲み込んでいた。
思えばバラはいつもレラの分まで怒っていた。怒りを感じることが自分より半歩早いバラが隣にいれば、レラ自身は怒る必要などなく、ただ姉を宥めるのが妹の仕事だった。
そのバランスが崩れると、抱えた怒りをどう発散していいものやらレラは混乱していた。しかもこの場合苛立ちの原因は、自分と評議会が嘘をつき続けていることだ。
どうしようもなかった。
そんなわけで、インファント島に帰ってきたレラは見なれた自分の部屋に入ると気絶するように眠った。
レラは暗い海の底にいた。
太陽の光も射さぬこの場所は常に暗黒の世界であるはずだが、レラの目は奇怪な深海魚や海底の有棘動物たちが優雅に踊る姿を見ることができた。
植物とも動物ともつかない生き物が触手を広げプランクトンを捕食し、海面近くでは見たこともない頭足類がゆらゆらと漂っている。
まさに地球の底ですわね、レラがそう思った時、ある事実に気付く。
……いいえ。
ここは底じゃない。
まだ先があるわ……。
底かと思われた場所に、さらにクレバスのように裂け目が生じている。
レラの意識は暗黒の孔の中へと進んでいく。
何かが光っているのが見えた。見覚えのある青白い光である。
自身の血の気が引いていくのを感じ、レラはしばらくその場へと留まることしかできなかったが、やがて意を決すると渾身の力を振り絞って光の元へ近づいていく。
想像していたものがそこにいた。
いることは分かっていたが、それでも圧倒的な威圧感にレラはのぞけった。
巨大な黒い神が発する熱で、周囲の水がブクブクと沸騰している。レムリア軍の与えた傷はほぼ癒えつつあるようだ。
今はただ身の内にエネルギーを蓄えている。今度こそ私たちを残らず焼き尽くすために。
向こうにとって自分は塵に等しい存在であるはずなのに、
レラは目を覚ました。
そこが海の底でなく自室であることに気が付いて、ほうっと息を吐く。
しかし完全に安心はできない。これがただの夢だとは思えない。一瞬だけ
巨神は力を蓄えていた。時間はあまりない。急いで備えるように評議会に伝えなければ。
しかしその前にレラは体を清め
レラは真実に飢えていた。そして
そこへ侍女が現れ、レラを呼び止める。
「レラ様、お客様がお見えです」
また仕事か、と僅かな苛立ちを覚えたが、その気持ちはおくびにも出さずレラは訊ねた。
「おや、予定にありましたっけ? 誰がいらっしゃったのですか」
「ヤエン族のエズラ様です」
「ああ、ヤエン族の……ヤエン族?」
レラはエズラなるヤエン族の知り合いのことを思い出そうとしたが、どうしても思い浮かばなかった。そもそも彼らの中に知り合いなんかいない。
「……誰ですか?」
「エズラ様です。今、インファント島にいるヤエン族の族父殿です。レラ様にご挨拶したいと」
「ああそうですか。分かりました、ではまずそちらに顔を出しましょう」
それから四半刻もしないうちに、レラはおよそ五百名のヤエン族を率いるエズラという若者と対面していた。
若者……そう若者。
レラは自分のことを棚に上げて驚いていた。
姉と共に十歳で巫女になってから今日まで八年間、誰かに会う度ずっとその幼さを驚かれていたが、その自分と一つか二つしか違わない。
五百人とはいえ一つの集落をまとめる男がこれほど若いとは。
「挨拶が遅れて本当にすんまへん。レラ様に世話んなっとる連中のカシラやらせてもらってる、エズラっちゅうもんですわ」
訛りのある口調で若者は言った。
海風に晒されて焼けた肌は一般的なレムリア人と比べてなお色が濃く、服の下には船仕事で鍛え上げられた筋肉が覗いている。
レラは若者を見てオロボンという怪物を思い出した。それは山猫の頭を持つという奇怪な鰐である。
海を狩場とする獰猛な怪物、それがエズラの第一印象だった。
しかしこの程度で怯んでいては巫女など務まらない。レラは若者の言葉に頷く。
「楽にして下さい。災難続きでさぞ苦労したと思われますが、ここは安全です。安心して傷を癒してください」
「……レラ様のお気遣い痛み入ります」
「まだ少し硬い顔をしていますね、お茶でも如何ですか? 落ち着きますよ」
侍女が動き出したのをレラは手を上げて制止した。
「私が淹れます」
「どうぞ」
翅神の巫女が自らが淹れたお茶を差し出すと、エズラは会釈して、一気にお茶を飲み干す。
「……美味い」
「それにしても若いのに大胆なことをなさる方ですね。評議会をやり込めてここに来られるとは。誰にでもできることではありませんわ」
レラは微笑を浮かべながらそう訊ねた。注意深くしていれば声まで笑っているわけではないことに気が付いただろう。
「一族一門の安全を守るんが、自分の役目なもんで。その為なら何でもします」
ギラギラした、しかし嘘偽りのない言葉、レラはそう感じた。
それだけに続くエズラの言葉に耳を疑った。
「できるだけ早う、元の場所に戻りたいですわ。それまでレラ様には何卒よろしゅうお願いします」
「元の場所? 荒神のうろつく世界の縁に?」
「ま、そう言われてもしゃあないと思いますけど、あそこはレムリアの人間が思っとるよりずっと安全なんですわ。
「避けるといっても……」
とレラは口を濁した。
神なる獣と呼ばれる巨獣はただ近くを通るだけで危険。それがレラの実感であった。
しかし、エズラは真顔で言った。
「奴さんの
レラは青年の真意を確かめるよう訝し気な目を向けた。
頭の中ではバラのけたたましいの哄笑が聞こえる。
『ハ、ハ、ハ、アーッハハハハハハハ!
バラの声を聴きながら、レラは口をきつく結ぶ。
レラだけに聞こえるバラの声は、レラの心が生んだもの。いわばレラの或る一部分の叫びだ。
それを無視して普段通り振舞うのに、レラはありったけの意志の力を要した。
「今、
やんわりとレラは窘めた。しかしエズラは退かない。
「ほなら、俺は教えたりますわ。奴の居場所」
「<翡翠海>がどれほど広いか理解していないようですね……」
この発言に、いよいよレラは苛立った。
また嘘か。聞きたくない。
そう考えたレラは意地の悪い提案をした。
「もしそれが嘘なら、ヤエン族はこの島から出て行ってもらいます。それでも
「ええです」
眉をひそめたレラは静かに頷いて、なるべく感情を出さぬよう、侍女に伝えた。
「外出します。乗り物を用意してください」