翅神と巫女の物語   作:ミナミミツル

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レムリア評議会

 島嶼国であるレムリア共和国の首府は、諸島最大の島であり国名の由来となったレムリア島に置かれていた。

 有史以来、このレムリア島が文明の中心地であったことに異論を挟むものはいないが、レムリア文明において最も重要な島はレムリア島ではなく、その隣のインファント島であった。

 

 地球の王者が人間ではなく、山のように巨大な神獣たちだった時代。

 神の如く振舞う彼らに対抗するには人類はあまりにも弱く未熟であり、ただただ蹂躙され滅ぶかと思われた。

 しかしその時、インファント島に棲まう慈悲深き翅神(モスラ)は、自身の縄張りの内に人間が住むことを許した。

 こうして人類は翅神(モスラ)の庇護の下に文明を花開かせ、今日のレムリア共和国を作り上げたのである。

 いわば人類の繁栄は翅神(モスラ)に依存していたといえよう。

 

 だが、もはや揺籃の時代は過ぎ去った。

 レムリア人の科学力は鉄の舟を空に浮かべ、電気通信のネットワークで島々を結び、用いる兵器は神獣たちを駆逐するまでに到った。

 

 我らレムリアこそ神に選ばれた民なり――。

 傲岸にもそう宣言する直前、最強最悪の神獣、呉爾羅(ゴジラ)が現れ、ヒトの伸び切った鼻をへし折った。

 

 

 

「――我が方の被害は以上です。以前と同等の戦力を取り戻すには、長い時間がかかるでしょう。次年度の予算案については評議員の皆様にそう言った点を考慮していただきたい」

 レムリア評議会の議場で先の戦いの被害を報告するヴァスキ将軍の声は、まだ四十の半ばであるというのに老人のようであった。

 

 苦々しい報告を聞いて、レムリアの諸部族から選ばれた各島の代表者たちは一様に渋面を作る。

 ヴァスキ将軍は心の内で溜息を吐いた。

 軍部は艦隊を揃えるのに長年民に負担を強いてきた。それは分かるが、評議員たちの反応はあからさまに悪い。

 これでは来年以降の予算削減はまず既定路線。

 クソが。そうなったらもうどうなっても知らんぞ。

「うむ。予算については一考しよう」

 心のない返事だけが返ってきたが、ヴァスキは反射的に一礼した。

 

「では残存兵力の再配備についてはどうだね。バース島周辺の状況は?」

「軍部としてはバース島を失った以上、南東部の防衛線は下げるしかありません。事実上、周辺七島は放棄と同義です」

「外縁部とは言え国土の放棄は見過ごせない事態だ。なんとかならないかね」

 

 ヴァスキ将軍が手をかざすと議会の中央にレムリア共和国の立体地図が映し出された。

 将軍はさらに手を動かし地図の一部が拡大していく。そこに現れたのは先の戦闘で破壊されたバース島周辺の画像であった。

「で、あれば破壊されたバース島基地の一刻も早い再建。これは絶対です。地政学的にも、艦隊を受け入れるだけの広さという面でも他に適した場所がない」

「……人口の浮島を作るメガフロートというものを聞いたことがあるが、それで基地を作れないのかね?」

 いかにも軍事に疎そうな議員がそういうと、ヴァスキ将軍は思わず冷笑を浮かべそうになり、慌てて考える振りをしながら口元を手で覆った。

 共和国において軍は国民の所有物であり、評議員はその国民に選ばれた存在なのだ。いかに愚鈍に見えてもあからさまにバカにしたら飛ばされるのはこちらだ。

「結論から申し上げると無理です。かつてメガフロートによる軍事施設建設が検討されたことは事実ですが、耐久性、工費、さらにメガフロート自体が人工物であるため維持の面でも従来の基地よりコストがかかります」

 質問した議員が押し黙ると、代わって評議会議長のチャンドラが口を開いた。

 浅黒い肌をして、その細身の体は枯れ木を思わせる老人である。

「では軍としてはあくまでもバース島基地の再建を主張するのじゃな?」

「はい」

「よかろう、その先の検討は我々の領分だ。ところで将軍、先の戦闘で貴官の責任を問う声も少なくない。何かこの場で言いたいことはあるか。申し開きがあるならば申してみよ」

 

 円形の広い議会場を囲むように座る評議員たちの視線が、一斉にヴァスキ将軍へと集まった。

 ヴァスキ将軍がぐるりとホール全体を見渡すと、腹の内に燻っていた熾火がメラメラと火力を取り戻していく。

 評議員たちの表情は自分を見下すか、哀れな敗北者を見る目だった。

 

 ……なぜそんな顔ができる?

 もう俺の解任は決まっているのか? まあそんなことはどうだっていい。

 確かに俺は敗北者だ。負けたせいで政治とかいう下らないパワーゲームで落伍したのかも知れない。

 だが今、最も重要な戦い、生存競争という戦いに脱落しかかっているのは人類そのものだ。それに比べたら俺個人の進退など取るに足りん。

 お前らはそのことを何も分かってない。

 

「半世紀前、初めて奴が姿を現した時、体長はおよそ五十メートル。推定体重は約二万トンでありました」

 怒りに唇を震わせながらも、静かにヴァスキ将軍は語り始めた。

「今の呉爾羅(ゴジラ)の体長は八十メートル、推定体重は五万トン以上……未だ成長の止まる気配はなくその戦力もまた日々増え続けている」

 ヴァスキ将軍が手元のコンソールを操作すると、議場に艦隊旗艦ロード・オブ・オーシャン号の姿が映し出された。

 最も大きく、最も美しい戦艦。その姿は幅広の大剣を思わせる。

 

「ロード・オブ・オーシャン号は呉爾羅(ゴジラ)が放つ最大出力の熱線を、正面から受け止められるはずの防御スクリーンを装備していました。想定出力は過去のデータから導き出されたものです」

 そこまで言うと議場に浮かんでいたロード・オブ・オーシャン号の姿が、痛ましい物へと変わった。

 あちこちが融解、あるいは破損し、今にも折れそうな朽ちた剣と成り果てている。

「しかし、先の戦いでは防御スクリーンを角度を付けて展開し熱線を逸らすのが精一杯。三度目の熱線を受けた時はそれすら叶わずに被弾し、たった一撃で艦は深刻なダメージを受けている」

 ヴァスキ将軍はさらに話を続けた。

「私はこの場で進言する! 可能な限り速やかに軍備を再建し、もう一度総攻撃を仕掛けるべきだ! 一刻も早く! これ以上手をこまねいていたら、手に負えなくなる! 奴は今も成長を続けているのだぞ! 呉爾羅(ゴジラ)は今が一番弱く明日はもっと強くなる!」

 

 議場にどよめきが走った。怒号のように評議員たちから反論の声が飛ぶ。

「無茶を言うな。これ以上の被害は看過できん!」

「この作戦にどれだけの資金資材そして人材をつぎ込んだのか忘れたのか!」

「そもそも過去の例からいって呉爾羅(ゴジラ)翅神(モスラ)の縄張りの奥まで侵攻するとは考えにくい」

 ヴァスキ将軍もカッとなって叫び返した。もうヤケクソである。

「だから過去のデータなど通用しないと言っている! 今は翅神(モスラ)の存在が牽制になっているとしても、これ以上成長したらレムリアは奴の狩場となるぞ!」

 

「静粛に! 静粛に!」

 チャンドラ議長の声は白熱した議会の熱気にかき消された。

 騒然として収拾が付かなくなりかけた瞬間、巨大な思念の波が轟き、議会を津波のように浚う。

 

『お 静 か に』

 

 突然冷や水を浴びせられたように、評議員たちは深と静まり返った。まるで耳元で大音量の声を叩きつけられた気分であった。

 こんなことが可能なのは、大いなる巨神と交信する巫女しかいない。

 

 その考えは正しく、進み出たのはやはり翅神(モスラ)の巫女、美しき双子の姉妹だった。

 ほどよく焼けた褐色の肌や顔には、翅神(モスラ)の羽模様を模した化粧が施されている。

 二人は瓜二つの顔立ちだが、表情筋の発達が微妙に異なっていて、少し注意すればその見分けは容易であった。

 姉のバラは眉間にしわを寄せた厳めしい顔つきで、政治家などという伏魔殿の古狸などハナから信用していない、という態度を隠さない。

 妹のレラはそれとは反対に常に柔和な笑みを浮かべていて、見る者におしとやかな印象を与えた。しかしその力は姉に劣らず強力なもので、決して侮ってはいけない。

 

 ヴァスキは長年の付き合いから、議会を黙らせたのはレラの方だな、と確信していたし、実際その通りであった。

 もしもバラの方ならもっと乱暴に押さえつけるからである。

 

「悲観的なニュースばかりではありません」

「我らから一つ朗報がある。この場を借りて報告させてもらおう」

 二人の乙女は議長の方を向いて目配せすると、チャンドラ議長は続けるよう促した。

「我らの守り神、長年にわたりレムリアの庇護者であった大いなる翅神(モスラ)の命は尽きようとしている。だがそれは悲しむことではない。一つの時代の終わりは新たな時の始まりでもある」

「時を置かず卵より次代の翅神(モスラ)が孵るでしょう。先日、私たち姉妹は翅神(モスラ)の卵から新たな命の声を聴きました」

「その声は一つではなく、二つである」

「……」

 

 翅神(モスラ)の巫女の神秘さゆえか、回りくどい言い方ゆえか、評議員たちは巫女の真意を計るように無言で聞き入っていた。

 だがレラには聴衆のその反応が今一つだと感じられた。

 彼女はもっと素直に喜んで欲しかったので、言い方を変えた。

「ああ、オカルト姉妹がまたなんか変なこと言ってるって思わないでくださいね。ちゃんと科学的に卵のエコー検査もしましたから。次の翅神(モスラ)は双子です」

 

「ふ、双子? 双子の翅神(モスラ)だと!? なんということだ」

「それでは戦力も二倍…… 呉爾羅(ゴジラ)とてそう易々とは……」

「……神は未だレムリアを見捨ててはおらなんだ」

 再び議会は騒然としたが今度は、先ほどと違って怒りではなく深い安堵が評議員たちに広がっていた。

 巫女の双子は議会から祝福の言葉を受け取り、ヴァスキ将軍ですらそれは共和国にとって非常に喜ばしいことであると認めたのである。

 最後にチャンドラ議長がヴァスキ将軍に謹慎を申し付けたとはいえ、荒れに荒れると思われた作戦の結果報告は、思いのほか静かに幕を閉じた。

 

 

『ヴァスキ将軍』

 報告会が終わり、議員たちが退席していく中、ヴァスキ将軍は巫女の声を聴いた。

 顔を上げようとすると再び届いた巫女の声がそれを遮る。

『そのままで。こちらを向くな、周りに気付かれる。何でもない振りをしろ』

『……なんのつもりだ?』

『少し顔を貸せ、お前に用がある。今日の零時、レムリア港334-12番地の倉庫で会おうぞ。難しいだろうが必ず一人で来い』

『コソコソするのは好かん。言いたいことがあるなら今堂々と言え』

『黙れ。いいから来い。待っているぞ』

 向こうが言いたいことだけ言うと思念による会話は一方的に打ち切られた。

 ヴァスキが顔を上げた時、もはや議場に巫女たちの姿はなかった。

 


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