翅神と巫女の物語   作:ミナミミツル

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血の巫女

 

 共和国の中心として栄える隣島のレムリア本島とは対照的に、神域とされたインファント島は静かな島であった。

 人の往来は制限され、翅神(モスラ)の棲み処であるという理由から殆ど開発もされず、その景観は原始の趣を残している。

 そこでは巨神の棲み処であるとは思えないほど穏やかな時間が流れていた。

 ただし、問題が起きさえしなければの話だが。

 

「レラ様! レラ様!」

「んん?」

 巫女の静かな午睡は、侍女の騒々しい声に破られた。

 レラは木陰の東屋に吊るしたハンモックの中で身じろぎすると、欠伸をしながら気の抜けた返事を返す。

「あ、あい」

「レラ様! 一大事でございます!」

「あ、う……そう……ついに来たのね」

 ハンモックから飛び降りると、その瞬間レラの意識はすっかり覚醒していた。

 侍女がこれほど慌てる理由など一つしかない。あの黒い悪魔が現れたのだと、レラはそう考えた。

呉爾羅(ゴジラ)は今どこにいて、何時どこで迎撃するか知りたいですわ。ヴァスキ将軍と通信を繋いでくださいな」

 レラがそう言うと侍女は大げさな身振りを交えて首を振った。

「違います、レラ様! 呉爾羅(ゴジラ)が現れたのではありません!」

「……? じゃあ何が起きたというのです?」

「バ、バラ様が評議会への虚偽報告及び国家反逆の容疑で指名手配されました!」

 

「姉さんが国家はんぎゃく、しめいてはい……」

 侍女の言葉をなんとか呑み込もうとして、レラは阿呆のように繰り返した。あまりにも突然の事で、単語の意味が中々頭に入って来ない。

 ようやくその意味を理解すると、レラは思わず唸った。唸らずにはいられなかった。

「うううう、えええええ……ちょっと意味が……」

 

 一体、何をどうすれば国家反逆罪の容疑なんてものがかかるのだろうか。

 仮にも姉さんと私は翅神(モスラ)の巫女で、これまで何度も一緒に神獣と対峙した。

 自分で言うのもおかしいけれど、結構共和国に貢献してきたと思う。

 それが一転して国家反逆罪? どうすればそんなことになるのか、さっぱり分からない。

 分からないが――姉さんなら少しあり得る気がする……。

 

「もっと詳しい情報が知りたいですね……」

「そ、そのことですが、その件でチャンドラ評議会議長から通信が入っております……」

 おずおずとした侍女の言葉に、レラは苦虫を噛みつぶしたように顔を顰めた。

 姉が反逆罪で指名手配犯になった後では、国のトップの最高議長は一番顔を合わせたくない人物だった。

 しかしそういうわけにもいかない。

「……分かりました。すぐに繋いでください」

 

 レラが手櫛で髪を梳いている間に、侍女が東屋に置かれていた通信装置を起動させた。

 一瞬のノイズのあとチャンドラ議長のホログラムがそこに出現する。

 一礼しようとするレラだったが、議長はそれを遮った。

「角張ったことは抜きだ、レラ。お主の姉が指名手配されている」

「聞きました。しかし一体なぜ?」

「……消えた翅神(モスラ)だ。ヴァスキとバラはそれを用いて、レッチ島の研究施設で我らのあずかり知らぬ生体実験をしていたのだ」

「はっ? 実験に翅神(モスラ)を!? それはどういうことです?」

 

 レラは思わず大声を出していたが、議長はそれを咎めたりはしなかった。

「詳しいことは今送付する資料を読んで確認せよ。お前もレムリアに来るのだ。なるべく早くな」

「お、お待ちください! 指名手配という事はバラはまだ捕まっていないという事ですか?」

「そうだ。今レッチ島に憲兵隊向かっているところだ。お前がレムリアに到着する頃にはバラも捕らえられているはずだ」

「……捕まっている“はず”」

 議長が何気なく言い放った一言に、レラは猛烈に悪い予感を感じて思わず鸚鵡返ししていた。

 

 あの姉がいつまでも逃げ回っているはずがない。そういう性格ではない。

 強引に捕えようとすれば、きっと激しく抵抗するはずだ……多分傷つく者が出るほどに。

「……少し議長にはお待ちになっていただくことはできませんか。姉さんがまだ捕まっていないのなら、私が説得できると思います。評議会へは二人で行きたい」

「危険だ。ヴァスキの兵が抵抗するかもしれん」

「怒った姉さんは兵士などよりもっと危険です」

 レラは断言するように言った。

「力ずくで連れていこうとすれば、姉さんは暴れるでしょう。きっと姉さん自身か他の誰かが傷つく。でも私なら無傷で連れてこれます」

「……」

「あの黒い悪魔と戦う気なら、姉さんは絶対必要な人です」

「……」

 

 チャンドラ議長は押し黙った。長い沈黙だった。

 まるで議長のホログラムはフリーズして固まったように思えた。

 ひょっとして通信機が壊れたのかとレラが思い始めた時、ようやく議長は口を開いた。

「説得が不可能だと感じたらすぐにレッチ島を離れよ。お主まで失うわけにはいかぬ」

「ありがとうございます、議長」

 そう言ってレラは通信を終えた。

 

 頼むから、ほんの少しだけ我慢してて、姉さん。

 

 

 

 レッチ島に置かせた仮設研究所――その一角にあるバラの部屋は薄暗く、濃厚な甘い香りに満たされていた。

 香を焚いた部屋の中心に座ったバラは、自ら奉じる神へ無言の祈りを捧げている。

 ばたん、とその部屋の扉が乱暴に開いた。

 バラはドアに背を向けたまま言った。

「騒々しいな、ヴァスキ将軍」

「バラ、我々のことが評議会に漏れた。もうすぐ憲兵隊が来る!」

「そうか。ならば迎え撃って蹴散らせ。頼んだぞ」

「バカを言うな!」

 

 ヴァスキ将軍は声を張り上げて詰め寄った。しかし、バラは背を向けたまま将軍の方を向こうともしない。

「同胞とは戦えん! それに我々には自分のしたことに対して責任がある」

「ほう責任だと? 何をするつもりだ?」

「評議会に全てのことを明らかにした上で、裁きを受けるのみだ。それが共和国に仕える者の道義というものだ」

 バラは全く他人事のように、事も無げに言った。

「そうか。では達者でな、将軍」

「お前も来るんだよ!」

 将軍がそう言うとその後ろから武装した兵がゾロゾロと現れた。

 みな一様にライフル銃を構え、その銃口をバラへと向けている。

 

「やれやれ。将軍、それは心得違いというものだ。私は軍人ではなく巫女だぞ。共和国(レムリア)に仕えているわけではない」

 バラは全く焦る様子も見せずに、ゆっくりと振り返った。

 そして自分に向けられている銃を見てせせら笑った。

「ははは。これはこれは……雁首揃えて丸腰のおなご一人がそんなに怖いか?」

「黙れ。立て、妙な真似はするなよ」

「……一つ言っておこう。思念が伝わる速さに比べたら、弾丸などミミズが這うようなもの」

 

 巫女が交信する神獣は、体長なら百倍、重さなら何千倍も大きな相手である。

 その巨獣の思念を受け止め、なんとか人間に分かる言葉に翻訳する。または逆に心の声を張り上げて神に思いを伝えるのが巫女である。

 それほどの力を、全く加減せずにたった数人の人間に向けて使ったらどうなるか。

 バラは悪意を持ってそれを実行した。

 

 銃を構えた兵たちは一斉に頭が割れるような衝撃に襲われ、その内の一人は揺れる視界の中で、バラがするりと脇を通りすぎて逃げていくのを見た。

「が、ああああ! ま、待て! これを止めろ!」

 引き金が引かれ、バンッと乾いた銃声が響いた。

 しかしバラは凄まじい速さで飛びのいて銃弾を躱す。そして(ましら)の如く天井に張り付き、壁を駆け抜け、部屋中を飛び回った。

「くそっ! くそっ! くそっ!」

 バンッバンッバンッと兵は狂ったようにバラへ向けて銃を乱射した。しかし縦横無尽に駆けるバラには到底追いつけない。

 そんな馬鹿な。これほど至近距離で弾が当たらない。こんな人間がいるのか? こんな……。

 

 バンッ。

 

 それがその男の最後の思考となった。ヴァスキ将軍が額を撃ち抜き、ようやく男は狂気から解放されたのだ。 

 バラはその場から一歩たりとも動いておらず、それどころか立ち上がってさえいなかった。

 不意に強烈なイメージを叩きつけられた男は、そのイメージを現実と誤認したのである。

 そして男がバラがいると思い銃弾を浴びせた場所には……バラではない死体がゴロゴロと転がっていた。

 

「調子が良い。はっはっは。こう上手くいくことは私でも珍しい」

「貴様っ……何をした!」

「別に大したことではないぞ将軍。隠し芸みたいなものだ」

 人と人が互いに殺し合う凄惨な現場が繰り広げられたあとだというのに、不思議とバラの機嫌は良さそうだった。

 いつもしかめ面のバラの顔には笑みが浮かび、面白そうにひらひらと手を振る。

 

 その姿を見て、ようやく将軍は自分の過ちに気が付いた。

 バラに感じていた漠然と不安は正しかった。

 こいつは小さな怪物だ。

 頭痛に耐えながらヴァスキ将軍は銃をバラに向けて引き金に力を込めた。

 

 思念波を相手にぶつけ、イメージで現実の光景で塗りつぶすのはいつも上手くいくわけではない。

 相手が緊張しているとか、混乱しているとか、そういう時だけ上手くハマるのである。

 頑強な意思を持って抵抗する構えの相手には効かない。

 そして将軍はまさにそのような状態であった。

 

「……将軍、今お前が撃とうとしているのは本当に私かな?」

 バラは言葉で揺さぶった。迷えばそこに付け入る隙が生まれるからである。

 将軍はそれに答えず「立て!」と怒鳴る。

 バラにとってはそれで十分だった。

 

 一瞬、将軍の脳裏に立ち上がるバラの姿が浮かんだ。まるで本物のような圧倒的な現実感。

 しかし、立ち上がったバラはすぐに掻き消えて、代わりに見えたのは倒れた兵士の握る銃に飛びつくバラであった。

 銃口の照準がぶれる。

 撃てない。

 再びバラの方に照準を合わせようとした時「助けて下さい」という声がした。

「痛い、痛い、助けて下さい……将軍……」

 ヴァスキの視線が声のした方へと移る――だがそこには、誰もいない。

 

 ヴァスキはやられた、と思った。

 バラが欺くのは視覚ばかりではない。

 聴力もまた……。

 

「大儀であった、ヴァスキ将軍。あとのことは心配するな」

 

 バンッと乾いた音が響いた。

 

 

 血だまりの中で転げまわった為、立ち上がったバラの姿は血に塗れ、その両手からは生温い血が滴っていた。

 銃を放り捨てると、手を拭う代わりに、血塗れた両手で顔を撫でる。すると、少女の頬に幾重にも走る稲妻模様が現れた。

 そして血化粧で彩られた巫女は、導かれるように上へ上へと研究所の階段を上がっていく。

 

 ついに屋上へバラが辿り着くと、潮の匂いが混じった波風がバタバタと巫女の黒髪をなびかせた。

 その風がやってくる向こうに、自分を捕えにやって来た飛翔艦が浮かんでいた。軍艦の中ではそれほど大きい方ではない。多分あれは巡洋艦だろう。

「小舟一隻か。我らも舐められたものだな」

 バラがそう呟くと、まるでそれに答えるかのように、巨大何かが身をよじり、研究所がぐらりと揺れた。

 

 


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