翅神と巫女の物語   作:ミナミミツル

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侵攻

 レラの足取りは重く、その心はさらに重かった。

 まるで石になってしまったような体を引きずりながら、一歩また一歩と姉の元へ向かう。

 ここに来るまで、そこかしこに死が溢れていた。

 憲兵隊を乗せていたはずの飛翔艦は地に叩き落され、折れ曲がり拉げた艦の残骸は火を吹いて無残な姿を晒していた。

 ある部屋を開けると、死体が積み重なるように血だまりに沈んでいた。まるで仲間内で争い、殺し合ったようだった。

 しかし、その場にいた一人は生き残ったようで、滴り落ちた血の道標は研究所の屋上へと続いている。

 レラはその跡を追った。

 その先に誰がいるかは知っていた。

 

 屋上の扉を開け放つと、血だらけのバラが手すりに寄りかかり景色を眺めている姿が見えた。

 レラは無言のまま近づいたが、途中でバラは妹の存在に気づいたらしく、まるでいつもと変わらない様子で、腕を上げ「ここに来い」というサインをした。

 

「遅かったな、レラ」

「これでも急いで来たんですけどね……姉さんこそ酷い恰好ですが、お怪我などなさっていませんか」

「ああ、これか」

 バラは自分の服を引っ張って血の跡を見た。

「大事ない。全部返り血よ」

「そうですか……良かった」

 レラはそう言うと、すうっと深呼吸をして、次の瞬間思い切りバラの頬を張った。

 これほど強く姉の顔をはたいたのは初めてだった。

 叩いた手に熱さと痛みを感じながらレラが叫ぶ。

 

「バラの馬鹿ッ! 本当に馬鹿ッ! いくらなんでも度を越しているわ!」

「……」

「まさか人殺しまでするなんて! いつもの癇癪じゃ済まされないよ! 何考えてるの!?」

「……他に方法がなかった」

 まくしたてるレラに、弱々しい声でバラが答える。

 その答えはレラをさらに燃え上がらせた。

「他に方法がなかったって……そんなわけないでしょうが! なんでこんなことをしたの!? 答えなさい!」

「全ては呉爾羅(ゴジラ)を倒す為。私はただその為に必要なことをしただけだ」

「人を殺した理由を呉爾羅(ゴジラ)のせいにするな! 評議会にも同じことを言うつもりですか! それじゃ誰も納得なんてしないわ!」

「いや。評議会には行かない」

 小さな、だが確かな声でバラは宣言した。

 二人の間に、さらに張り詰めた空気が流れる。

 

「このまま捕まったら私は拘束されて監禁されるだろう。それは御免被る」

「……っ!!」

 頭に血が上りすぎて、レラは目を白黒させた。まるで普段のバラのように眉間にしわを寄せて、さらに凄む。

「そんなことが許されると思いで? 次の追手はすぐに来る。泣こうが喚こうが姉さんは評議会に連れていかれるわ」

「だろうな。だからレムリア共和国と一戦交えることにした」

「はっ何言ってるの?」

「私の邪魔をするならレムリアも潰すと言っているんだよ。やられる前にやれ、さ」

 レラは肩を怒らせて呟いた。

「姉さん。それをやったら本当に姉さんは怪物よ」

「ハハハ。怪物望むところ! それくらいでなければ呉爾羅(ゴジラ)は倒せん!」

 

「姉さん」

 怒りと悲しみ声を震わせながらレラは姉に呼び掛けた。ここが最後の一線だった。

 これより先は骨肉相食む争いとなる。それだけは何としても避けたかった。

 レラにとってバラは姉妹以上の存在、一つの人格を共有する半身、もう一人の自分だった。

 多分バラにとってのレラも。それが争うなど考えられなかった。

「お願い、そんなこと言わず一緒に来て。まだ罪を償う方法はきっとあるはずよ」

 言葉と同時に、レラは思念波を送った。

 それは言葉にはできない幾つもの思いが入り混じった感情そのものだったが、あえて言葉にするなら、ただ一語。

 

『行かないで』

 

 しかし、バラは拒絶した。

「レラ、もはや私に人の法など通用しない。罪などあろうものかよ。聞け! 恐れ多くも我が声は神の声なり! 我が前に立つならばレムリア滅ぶべし!」

 

 その宣言はついにバラが巫女という役目を逸脱したことを示していた。

 巫女は神託を告げるが、それは巫女自身の言葉ではない。翅神の巫女は神に寄り添うものであって神ではない。

 もう、バラはレムリアの守り手ではない。

 その事実にレラは身を引き裂かれる様な痛みを覚えた。

「バラともあろう人が、神の力に魅入られるなんて……」

 だがそれでも、やらねばならないことがある。自分にしかできない務めがある。

 歯を食いしばるように、レラは叫んだ。

「咎人よ、レムリアに仇為すならば翅神(モスラ)とその巫女が相手になるわ! 翅神(モスラ)よ! レムリアの守護者よ! ここに畏こみ奉る、我が願いを聞き届け給え!」

 ついにレラは巫女の力を用いて神の名を呼んだ。

 

 その呼び声に翅神(モスラ)が答える。

 水しぶきを巻き上げながら海から陸に上がったそれは、鎌首をもたげて甲高い鳴き声を上げた。

 その姿は芋虫のようだった。しかし山のような大きさの芋虫だった。ただ這いまわるだけで木々を薙ぎ倒し、岩を押しのけ、あらゆる壁を粉砕する生きた破城槌であった。

 翅神(モスラ)は地響きを立てながら、バラとレラの立つ研究所に迫る。

 

 バラは翅神(モスラ)を一瞥すると微笑を浮かべた。

「そう来るだろうな。だがレラよ、一発は叩かれてやったのはお前にも相談なく事を進めた詫びだ。ここからは我らも易々と殴られてやらんぞ。来い!」

 

 バラがそう宣言すると、破壊の化身として生まれ変わったもう一柱の翅神(モスラ)が、研究所の地下より姿を表わした。

 それは土埃とつんざめく轟音を立てて巣穴から這い出すと、鎌首をもたげて屹立し、かつての兄弟を威嚇する。

 その姿はもはや同じ卵から産まれたものと思えないほど変わり果てていた。

 体表は黒くゴツゴツとひび割れた硬質の皮膚へと変化し、背には赤と黄色の縞模様が浮き上がっている。また胸脚や腹脚も鋭い刺に似た構造のものへと変わっていた。

 とりわけ顔は凶相と化し、翅神(モスラ)には存在しない牙と長い角が生えている。

 

「……っ」

 悍ましい実験の成果。話には聞いていたが、その痛ましい姿にレラは言葉を失った。

 もうこれは翅神(モスラ)ではない。そう呼ぶことはできない。

バラの神(バトラ)……」

「その通り私の神、私だけの神だ。見るがいい、呉爾羅(ゴジラ)を超える羽斗羅(バトラ)の力を!」

 バラの言葉と共に、羽斗羅(バトラ)ドォンと大地を打つと、猛烈な勢いで翅神(モスラ)に突進した。

 

 両神は双子だが、勝敗は戦う前から明らかだった。

 翅神(モスラ)がモゾモゾと体を震わせて地面を這うのに対し、筋力で遥かに勝る羽斗羅(バトラ)はまるで蛇のように全身をくねらせて動く。

 そのしなやかな動きは翅神(モスラ)とは比較にならない。

 羽斗羅(バトラ)はあっという間に翅神(モスラ)の横腹に回り込むと、翅神(モスラ)の腹の下に巨大な角を滑り込ませて、まるでカブトムシのように翅神(モスラ)の巨体を放り投げた。

 

「――!?」

 翅神(モスラ)はまさに投げ飛ばされた。それも純粋に筋肉の力だけで、である。

 一万トンを優に超える翅神(モスラ)が五十メートル……いや百メートル近い高さまで投げ出されている……この光景に巫女は思わず目を背けそうになった。

 次の瞬間必ず訪れる翅神(モスラ)の痛みを思うだけでレラは身の毛がよだつ。

 ほんの一瞬が恐ろしく長く感じられた。

 なにもできない。見るだけしか……。

 

 翅神(モスラ)が大地に叩きつけられた音は、地鳴りのような恐ろしく低く響く重低音だった。

 次いで土埃と共に衝撃が風となって吹きすさび、翅神(モスラ)の痛ましい悲鳴が響く。

「ギギギ……」

 その口からドパッと鮮血が溢れた。

 痛みに身をよじりながら翅神(モスラ)はとぐろを巻くように体を丸めていく。

 

「勝負あったな。さようなら、レラ」

 そういうとバラは身を翻して妹に背を向けた。

「ま、待ちなさい、バラ!」

 ほとんど反射的にレラはそう言って姉を引き留めたが、バラは首を振って翅神(モスラ)を指差した。

「このままでは、あいつ死ぬぞ。私の相手をしている場合か。巫女の仕事をしろ」

「……」

 

 そう言ってバラはその場を離れ、羽斗羅(バトラ)の元へと向かっていく。

 取り残されたレラは奥歯から血が出るほど歯ぎしりしたが、やがて口を開くと古から伝わる呪い歌を謳い始めた。

 

 

 

 

「クソが」

 レムリア軍第一工兵大隊を率いるナトナカル大佐は苦々しい顔で双眼鏡を覗き、不機嫌さを隠そうともせず悪態をついた。

 双眼鏡の向こうには、巨大な毒虫に似た神獣が徐々にレムリアに迫りつつある。報告によれば、あれはなんでもトチ狂った|将軍と巫女が作り上げた悪神であるらしい。

 波間から覗くその毒々しい姿に、ナトナカル大佐はもう一度悪態をついた。

「クソが。来るなら来い」

 その声には静かな闘志が燃えていた。

 レムリア軍の花形は勇壮な飛翔艦艦隊を有する空軍だが、神獣と呼ばれる超巨大生物との戦いにおいて最も重要な働きをするのは工兵である。

 空軍はその機動力と打撃力こそ無類だが、それでも時々捕捉した相手を取り逃がすことがある。

 だが工兵は違う。工兵は決して相手を逃がさない。

 彼らは罠を張り、獲物を抑え込み、もがくその首を落とす。

 先のバース島の戦いにおいても、彼らの構築した陣地は火を吹いて暴れる五万トンの怪物を一時間以上に渡って拘束し続けた。普通の神獣であれば十分に殺せていたはずの時間だ。

 その自分たちの本拠地に、今悪意を持った神が迫っている。まるで工兵隊など物ともしないとでも言うように。

 それだけで舐められているのも同然。

 全くふざけたことだった。

「地雷の敷設及び湾岸部に設置した防御スクリーンの起動準備が完了しました。いつでもいけます!」

 副官の報告にナトナカル大佐は頷くと、部下に向かって檄を飛ばす。

「兵ども! お前たちはなんだ! 答えてみろ!」

「俺たちは工兵! レムリアの工兵隊!」

 大佐はさらに首を傾げ、部下に問いかけた。

「工兵隊は空軍の二軍か?」

「違う! 空軍の使う飛行場、港は俺たちが作った! 俺たちが空軍の兄だ! そして俺たちこそレムリアの盾だ!」

「今レムリアに敵が向かっているそうだ。何故だと思う?」

「レムリアに工兵がいることを知らないからだ! 俺たちが守っていることを知らないからだ!」

「吼えたな、工兵ども。ではあいつに工兵の戦い方を教えてやれ!」

 

 

 海を越えた羽斗羅(バトラ)は砂浜からレムリア島へと上陸した。

 バラはその巨大な角に寄りかかり前方を見る。

 守備隊の姿は見えない。だが気づいていないという事はないだろう。

 そこら中に潜んでいるはずだ。

「さて、人間どもがどう出るか、お手並み拝見といこうか」

 

 羽斗羅(バトラ)は体をくねらせ侵攻を開始した。

 神の前に立ち塞がるものは何もない。

 都までこのまま一息に潰す。

 そうバラが思った瞬間、ナトナカル大佐麾下の工兵隊が動いた。

「やれ」

「はっ。防御スクリーン起動!」

 

 ブゥゥゥンという低い唸りを上げて、突如羽斗羅(バトラ)の目の前に半透明の壁が出現した。

 それは戦艦の非物質装甲として使用されるエネルギーシールドで、出力次第ではゴジラの放射熱線を防ぐことも可能とされている代物である。

 そんなものを躱しきれるわけもなく、羽斗羅(バトラ)は真正面から防御スクリーンに衝突した。

「……っ!」

 千もの岩を砕いたかのような轟音が響き、バラは身を投げ出されそうになったのを辛うじて踏みとどまる。

 羽斗羅(バトラ)は怒りの咆哮を上げた。

 

 

 神と呼ばれる生物であろうと、不意に現れた壁に全力でぶち当たって無傷とはいかない。

 しかしこれはダメージを目的としたものではなかった。

 強烈な衝撃に防御スクリーンもすでに突破されかかっているが、それでも十分。

 一番の目的は、敵の足を止めること。

 羽斗羅(バトラ)がひるんだ隙に、工兵隊は次の行動に移る。

 

「点火」

 工兵隊員が起爆スイッチを押すと、羽斗羅(バトラ)の周囲から一斉に衝撃と雷が爆ぜた。

 地面から巨大な大穴が覗き、肉食獣が獲物を食らうように、羽斗羅(バトラ)をその大口の中へと呑み込んでいく。

 落とし穴の深さは百メートルはあろうか。呉爾羅(ゴジラ)の上陸を想定し予め構築されていた工兵隊のブービートラップの一つである。

 

 間髪をおかず、罠に嵌った羽斗羅(バトラ)に、さらに容赦のない攻撃が加えられた。

 爆弾の投下である。

 この時使用されたのは俗にいう燃料気化爆弾であり、レムリアでは対巨大生物用燃料気化爆雷という名称で呼ばれているものだ。

 神獣と呼ばれる巨大生物たちは総じて耐熱と弾性に富んだ強固な皮膚装甲を持っている為、一瞬の爆風や金属破片を高速でぶつける従来の爆弾やミサイルではダメージを与えることは難しい。

 そこで考えられたアプローチが気化爆弾による攻撃である。

 空中に気化した燃料が一瞬で燃え上がり、広範囲に長く巨大な衝撃波を発生させる気化爆弾は、衝撃こそ神獣の外殻を破壊できないものの、発生する急激な気圧変化により対象の内臓にダメージを与えるのだ。

 その熱と爆風の嵐が、逃げ場のない羽斗羅(バトラ)へ向かって容赦なく降り注いだ。

「奴に頭を上げさせるな! そこを奴の墓穴にしろ!」

 ナトナカル大佐が叫び、工兵たちはそれを実行した。

 呉爾羅(ゴジラ)にぶつけられるはずの気化爆雷が、本来国の守護神であった羽斗羅(バトラ)へ向かって絶え間なく降り注ぐ。

 炎は身を焼き、空気の波は肺を破く。

 圧縮された熱と衝撃波が解放されると羽斗羅(バトラ)の落とされた壕内は煮えたぎる火炎地獄へと化した。

 

 二十を超えた数の気化爆雷が投下され終わると、観測ドローンが羽斗羅(バトラ)の映像を指揮所内のモニターへ飛ばした。

 立ち上る煙が爆撃の凄まじさを物語っている。その中で巨大な毒虫は沈黙しているようだ。

 さらに煙が晴れ映像が鮮明になっていくと、羽斗羅(バトラ)の背中がぱっくりと裂けている。

 爆弾の熱と爆風が神の背を裂いたのだろうか……?

 

「ドローンをもっと近づけろ」

 大佐の指示で羽斗羅(バトラ)の姿がさらに大きく映し出されていく。

 映像がズームされていくと羽斗羅(バトラ)の背でウゾウゾと動きがあった。

 裂け目がさらに広がり、そこから何かが這い出して来る。

「馬鹿な」

 ナトナカル大佐はハッとして驚きの声を漏らした。

「繭もなしに変態したとでもいうのか?」

 

 南国レムリアの夕暮れは短い。傾いた日があっという間に落ちる。

 羽斗羅(バトラ)の変化が始まると同時に落ち始めた夕日は、その変化に呼応するが如く、急速に地平線の向こうへと消えていく。

 陽が海の向こうに消えた時、幼体の身体を脱ぎ捨てて、羽斗羅(バトラ)はその翅を広げた。そこに刻まれた赤と黄の稲妻模様は、これから起こる禍を予告している。

 羽斗羅(バトラ)の魔力により爆撃を凌いだバラは、巨神の頭の上に座り込み静かに目を瞑った。

 目を閉じていながら、バラは羽斗羅(バトラ)の目を通して世界を眺めることができた。

 

 素晴らしい。

 これまでよりも遥かに深く、強く、自分は神と繋がっている。

 自分を捕らえようとした羽斗羅(バトラ)の怒りが分かる。この身を焼いた恨みが伝わる。

 ……いやこれは羽斗羅(バトラ)の怒りかだったか? それとも自分の怒りだったか?

 まあどうでもよい。その二つは今や同じもの。

 

 驚き戸惑う人間たちを尻目に、羽斗羅(バトラ)は力強く羽ばたいた。

 

 

 夜が来る。

 夜が来る。

 恐ろしい夜が来る。夜の魔女の刻が来る。

 赤子は泣き、男たちさえ震えあがる刻が来る。

 破滅の翅が空に舞い、レムリアに滅びの刻が来る。


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