レムリアの都はまるで積み上げられた宝石だった。
網の目のように街灯の輝きが走り、それを縫うようにいくつもの尖塔が立ち並んでいて、無数の塔は夜闇の中で篝火のように煌いている。
あの光の一つ一つが誰かの営為なのだな……。
一度そう思うと、バラにはレムリアがまるでケーキの上に灯された蝋燭のように見えた。
ふふふ。一息に吹き飛ばせそうだ。
そして実際そうした。
怪物を倒すために怪物を育てた女の心は、いつしか育てた怪物と同化していた。
十歳の少女であるカマラは、雑踏を歩きながら消えた
その日は午後を過ぎた辺りに神獣がレムリア向かっているという悪いニュースが入り、カマラ自身も母と避難壕に向かう途中であった。
多くの人々が同様に避難壕に向かっていて、長い列を作っていた。
突然空が明るくなった気がして、カマラがふと上を見上げると
すると人々は叫び声を上げて浮足立ち、あっという間に周囲に混乱が広がった。
人々は我先にと駆け出すと、カマラの母はパニックになった歩行者から娘を守れるよう、狭い路地に引っ張って、そこで身を寄せ合うことにした。
カマラが母に抱かれて身を縮めた瞬間、凄まじい爆音と猛烈な風が吹き荒れて、頭上には砕けたガラスがばらばらと落ちてくる。
耳鳴りが酷く、抱き合っている母の声さえ聞こえなかったが、やがて聴力が回復すると、親子は恐る恐る顔を上げ、通りへと視線を向けた。
すると景色は一変していた。
いくつもの尖塔が崩れ落ち、あれだけいた人々は消えていて、代わりに異様な死に方をした死体が転がっている。
殆どはまるで飛び降り自殺をしたように地面に叩きつけられて潰れていて、壁に叩きつけられてめり込んでいる死体もあった。
地獄のような光景に、カマラはもう一度
貿易で富を為した老商人スジャタはある種の喜びをもって滅びを受け入れていた。
スジャタは貿易商としては成功したが、商いでの成功と比例して人間というものに敵意を抱くようになっていた。
頭脳明晰であった若き日のスジャタには他人が愚鈍に見え、老人となり思考が硬直していくと、その感覚はいよいよ耐え難いものになり、そこに現れたのが
妻も子供もおらず、やがて稼いだ富に囲まれて死を待つばかりだった老人にとってある意味で救いだった。
彼にとってレムリアの街が破壊されていく様子は爽快だったのだ。
風の壁は尖塔をへし折りながら、割れたガラス片と共に、地べたを這いずり回る人間を空高く投げ出した。
まるでゴミのように人間がボタボタと落ちていく。
「フェッフェッフェッ!」
目の前で繰り広げられる凄惨なショーを見つめながら偏屈な老人は笑った。
もっとよく見ようと、スジャタは酒を煽って窓に近づいていく……それが失敗だった。老人の濁りきった目はもう二度と下衆な欲求を満たす光景を見ることはなかった。
スジャタは何が起こったのかもわからぬまま、自分の住居が崩れて死ぬまで呻きを上げて床をのたうち回った。
多くの証言があるが、結局誰も
青というものもいればピンクという者もいた。黄色だという者も白だという者もいた。
カッシンという青年は紫色だと感じていた。
丁度その時、カッシンは人波を掻き分けながら逆走し、若妻と老母が待つ家に向かう途中であった。
頭上で何かが輝き、そこでカッシンの意識は一度途切れた。再び目を開けると街は炎に包まれていた。
そこかしこで火災が起こり、家屋が破壊されたりしていて、カッシンは一時自分がどこにいるのかも分らなかった。
今すぐここから離れねばいけないと生存本能が叫んでいたが、妻と母は無事か確かめずにいられなかったカッシンは、意を決してさらに進むことにした。
火災の熱波がそこらじゅうで吹きつけてきているにも関わらず、そこでカッシンはぞっと背筋か凍えるような光景を見た。
半身が焼けただれる酷い火傷を負って這う這うの体で少しでも炎から逃れようとするもの。吹き飛んだガラス片が幾つも足に突き刺さり歩く度に顔を歪ませる子供。
水を求めて川岸に向かう亡者如き人の群れ。ある女とすれ違った時、その女はピンク色の肌をしていた。熱風が女の皮膚を焼き剥がしたのだ。
その女を見た時、思わず身がすくみ、家族の姿が頭に過った。
妻と母は無事だろうか? 自分は彼女たちに出会った時、それと気付くことができるだろうか? 仮に生きていたとしても変わり果てた姿で再会するかもしれない……。
家まであと少しという所で、カッシンの往く手を炎が遮った。
不退転の決意さえ挫く圧倒的な熱風。これ以上は絶対に進めない……仮に越えられたとしても、この先に生きている人間がいるなど考えられなかった。
「おお……」
往生したカッシンはその場に崩れ去り嗚咽の声を上げていた。
「おおおお……」
「あなた?」
聞き覚えのある声がしてカッシンが振り返ると、びっくりした顔の妻が立っている。
まさか、とカッシンは目をこすったが、それはまさしく妻だった。見る限り殆ど怪我もないようだった。
「サーナ!? お前無事か、怪我はないか?」
「ええ、私は大丈夫。運が良くてちょうど義母さんを病院に連れて行ってたところだったの。そっちの方はまだ被害が少ないみたいで。あなたの方が酷い怪我してる、頭から血が出てるわ」
「こんなもん何でもねえよ。よかった、本当に……」
失われた活力が急速に戻ってきた。希望が見えると立ち上がる力も湧いてくる。
「ここは危ない。すぐに離れよう」
「ええ、あなた」
夫婦が肩を並べて歩みだそうとした時、二度目の光が閃き、カッシンとサーナの肩を寄せ合った姿は、そのまま影としてコンクリート壁に焼き付いた。
“タフガイ”モミールは軍に入ったばかりの頃、上官や周囲から大した存在だとは思われていなかった。真面目が取り柄の、目立たない物静かな男だとみんなそう思っていた。
入隊から二年が過ぎた頃、周囲がモミールの内に秘めた不屈の闘志に気が付いた。
どんな過酷な訓練でも、彼は決して弱音を吐かない。どんな状況でも命令を遂行しようと最善を尽くそうとする男だった。
入隊から五年、これまでで最悪な状況に直面した時、今日こそ今までの訓練の成果を見せる日だと、モミールは確信していた。
モミールの班が燃え落ちた町の中で市民たちを誘導していると、班員の一人が瓦礫の中から聞こえる奇妙な音に気が付いた。
「誰かいるのか?」
「~~~」
返ってきた声はか細く、瓦礫越しではよく聞こえなかった。だが確かに誰かがそこにいる。
モミールは大声で叫んだ。
「今助ける、安心しろ!」
瓦礫が崩れぬよう慎重に、しかし手早くモミールの班は崩れた建物の残骸を取り除いていく。
やっと人一人が通れる穴を確保すると、そこから這い出てきたのはまだ幼い子供だった。
建物が崩れた時うまく空間ができていて、その子に大きな怪我がなかったのは不幸中の幸いと言えるだろう。
危機から脱した子供は緊張が途切れたのか、モミールに抱かれた時それまで抑えられていた涙がワッとこぼれた。
「もう大丈夫。ようし、いい子だ。シェルターに行けば薬も食べ物もあるからな」
そう言いながらモミールは子供の頭を撫で、担架に寝かせてやった。
「お母さんは?」
モミールはやや答えに窮したが、淀みなく言い切った。
「お母さんも……きっとシェルターにいるよ」
嘘ではない。生きているなら最寄りのシェルターにいる可能性が最も高いはずだ。生きているなら……。
「
モミールはさらに答えに窮した。確かに守護神である
「少し遅れているけど、もうすぐさ。もうすぐ
その言葉に子供は安心したように頷いた。
モミールはそうやってシェルターに運ばれていく子供を励ましながら見送ると、再び炎に包まれた街の中に飛び込んでいく。
自分は無責任な嘘をついたかもしれない、とチクリと良心が痛んだ。
だが自分に今できることは、一人でも多くの人間を助けることだけだ。
「……だから、早く来てくれ、
それは“タフガイ”モミールが初めて口にした弱音だった。
『レムリアとそこに住まう全てに者に死を――我が目はただ一人とて逃さぬ』
「ひぃっ!」
バラとレラがいなければ
街を通り過ぎるたびに巻き起こるソニックブーム、額から発せられる熱線、どれも恐ろしい
しかしアイシャにとって真に最悪のものはそういった表面的なものではなく、内側から発せられる
『燃えろ燃えろレムリアよ、その手に罪を抱いて焼け落ちるがいい』
耳を塞いでも、アイシャには神獣の声が聞こえた。
あれは人間を恨んでいる。自分をこんな体にした人間を、自分を軽んじた人間を決して許さない。
……私が心に触れたことを
あいつは今にもシェルターをこじ開けて、私を殺すためにやってくるかもしれない……。
アイシャは手を結び、震えながら唯一の希望へ祈った。
傷ついた
繭に包まり微睡む神を前にして、
『
身分卑しき貴神の下僕は
祈りの言葉を唱えます
その大いなる体をもたげ
どうかあなたの魔力をお見せ下さい
光輝を齎す翅持つものよ
その力を以て
我らに平和と繁栄を与え給え
偉大なるものよ
そうして
どうか我らを守り給え』
巫女がその歌をうたい終えた時、繭の中から現れたのは、見る者の心を奪う美しき翅と、そしてレムリア最後の希望だ。