モ○の君にくりそつな狼に憑依したお話。


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モロロのきみ

 古代日本。列島の大半を深い森が覆い尽くしていた神秘の時代。

 巨大な体躯。元より内包する狂暴な野性と闘争心。磨かれ、研ぎ澄まされた力。弱いものが強きものに喰われる、弱肉強食の時代であった。

 空を飛翔するものは鋭き爪を、地を闊歩するものは頑丈な牙を、海を永者するものは猛き顎を用いて、この時代を生きたのである。

 だが突如として、その時代は終わりを迎える。

 己たちを『神』と呼んだ存在。人間。彼等は巧みに知恵を用い、そして喰らっていったのだ。

 刻一刻と同族が死んでいった。数十年も、経てば、ほとんどが絶滅。

 だが生き残りがいた。

 その者はどうすれば生存出来るのか、どうすれば身を隠すことが出来るのか。考えることが出来る知恵を持っていたのである。

 彼女は自らを──モロロと名乗った。

 

   〇〇〇

 

「おい牛鬼、本当にいるのか?」

 道なき道。見たことのない草木が繁雑に茂る森を男二人───ぬらりひょんと牛鬼たちは進む。かれこれ二刻ほどこうして足を動かしているが一向に景色は変わらない。一面が緑で染まっていた。

 無精髭を生やした男は真っ直ぐに前を見据えながら、確かに頷いた。

「ええ、彼女は存在しています。私はしっかりとこの目で……大狼を見たのです」

 牛鬼にしては珍しく言葉を強くするが、それっきり口数が少なくなった。元々寡黙ではあったのだが、どうしてかこの森に入ってからかなり口数が多くなっていたのである。

(それほどに自信があるってことかい……うぅむ) 

 大狼モロロ。本当に存在しているのだろうか。

 妖は隠遁を好むものが多いが、千年もの間姿を現さなかった大狼だ。もしかしたら消滅しているかもしれない。仮に存在としていたとしても、若い妖である自分たちの百鬼夜行に加わってくれるかすら怪しい。

 遥か古代より生きる『神』と呼ばれる妖。しかし、その実『神』と名を冠したのは人間である。反面、自分たちの間では妖としての認識の方が強かった。

 ぬらりひょんは歩きながら、周囲へと注意を向けた。

「……可笑しい、畏れがないぞ、この森」

 『畏れ』を無くした妖が消滅するように、この森には微弱な『畏れ』すら感じ取ることが出来なかった。

「……牛鬼、もう──」

 すでに消滅しているのだろう。大狼ほどの『畏れ』ならば、低級の妖たちが庇護を求め其処ら中に『畏れ』が溢れているはずなのだから。

 ぬらりひょんが口にしようとしたとき、前を歩いていた牛鬼が立ち止まった。

「総大将、つきました」

「……ここか」

 いつの間にか、森を抜けたようで目の前にはいくつかの寂れた道祖神が並んでいた。

 牛鬼が道祖神を指差す。

「私がまだ妖になる前、ここで大狼に命を助けて頂いたのです」

 牛鬼が、懐古するように述懐し始めた。

 

 ───母を探しに地方を旅していた牛鬼がたまたまこの付近を通り掛かったときの事らしい。周辺では旅人が襲われる事件が多発していた。夜更けに襲われることが多いようで牛鬼は昼間に通ることにした。だがこのときは運が悪く、件のものと遭遇してしまったのである。

 その正体は山姥であった。牛鬼はまだ少年の時分。恐怖におののき、何も出来ずに身体をなぶられ続けた。だんだんと牛鬼の意識が朦朧としていく中、それは現れた。

 一陣の風が走り去った瞬間、目を瞑らんばかりの突風が巻き起こる。牛鬼少年の視線の先、道祖神の前に白銀の毛並みを持つ大狼が佇んでいたのだ。

 白銀の大狼は雄叫びを上げるわけでもなく、瞬く間に山姥を噛み殺し、骸を投げ捨てた。血が滴る顎を振るい、牛鬼少年に言った。

『人の子か』

 鋭く光る双眸が牛鬼少年を見つめていた。彼に歩み寄ると、額に鼻を近付ける。甘く優しい香りが牛鬼少年の身を包んだ。心地よい安心感が生まれ、牛鬼の意識はゆっくりと途切れていく。

『……強く生きよ』

 彼が気付いたときには道祖神の横に寝かされていたらしい。

 

「───ですからここで会えるかもしれない、と」

「なるほどのぉ。そう考えたわけか……」

 彼の語った話は真実味がある話であった。大狼が牛鬼に対して言った言葉なんて、まるで牛鬼の目的である母の行方を後押しするかのようであった。

 

 しかしどうにもその大狼が人間であった牛鬼を助けたことが疑問になる。普通なら妖は人間を助けることはしない。山姥のように、いたぶりながら殺すのか、いたぶってから喰らうのかがほとんどだからだ。

 

 ましてや伝承によると『神』と呼ばれる妖たちを狩り尽くしたのは人間だ。なおさら助けたことが疑問になってしまう。それこそ気まぐれだったとしてもだ。

 

 だが───。

『珍客か』

 どこからともなく、何者かのくぐもった重低音が耳に届く。

「っ!! この声は……」

「牛鬼!」

「モロロのきみです。……モロロのきみよ! 私です! あのとき命を助けていただいたものです!」

『……ふぅむ。数多の人間には手を貸したが……そちのような男は……』

「山姥に、山姥から私を救ってくださいました!」

『……おお。あのときの小僧か』

 

 直後、風が吹き荒れる。思わず目を閉じる二人。閉じた瞼が更に暗くなった。

 

 突風がおさまり目を開いたときぬらりひょんと牛鬼の眼前には悠然と佇む白銀の大狼の姿があった。

「お、おお……!」

「モロロ……!」

 巨大であった。

 とにかく目の前にいる大狼はその体躯が立派であった。

 白銀の毛並みはともかく、ぬらりひょんたちを見据える金色の瞳は自分の掌位にある。顎は閉じられているものの、おそらくは自分たち二人を飲み込むことは容易い。優美な二尾からは警戒の色は感じられず少しだけゆらゆらと揺れていた。

 

 大狼モロロ。それはぬらりひょんが考えていた以上に規格外の存在だった。確かに人間が『神』と揶揄するのも無理はない。

 大狼は閉じていた口を開く。何十本も並ぶ鋭き牙が見えた。

「……まさかあのときの小僧が妖になり得ているとはな」

「は、はい、様々なことがありまして……」

 牛鬼は辟易したように、顔を下にした。

 ぬらりひょんは面白いものを見たと内心微笑む。あの牛鬼が緊張感を持っていることが以外だった。

 だがふと思う。確かに目の前にいる存在がいれば誰であろうと緊張するだろう。しない方が無理だろうと。──現に、ぬらりひょんも少しばかり腰を引いていた。

 大狼は咎めるように瞳を細め、牛鬼を見た。

「私は強く生きよと言ったはずだが……」

 失望したかのような声色を牛鬼に向けている。彼は瞼を閉じ、堪えるように口元を固く結んでいた。

「……」

「……まぁよい。して、なにようだ」

「……は、はい、実は」

「牛鬼、ワシから話す」

 ぬらりひょんは一歩踏み出した。

 

   〇〇〇

 

 モロロ。

 もう何百年も前にそう名乗ったと記憶している。水面に映る、己の姿を見て閃いた名だった。自分は所謂、憑依者だった。だがその人格はほとんど潰れてしまっていた。謂わば今の己は知識を持つだけの狼だ。

 

 元の自分かわ何者であったかなど定かではない。

 

 『神』、大狼モロロ。人間や妖怪は己をそう呼んだ。

 そのためなのか、数ヵ月に一度、人間や妖怪が己を下そうとやってくる。

 

 特に人間が厄介だった。天皇の勅命だ、幕府の命令だ、など訳の分からない理由で討伐軍を向けてくるからだ。そんな下らない理由で殺されるのはたまったものではない。

 

 とはいえ、楽しみなこともあった。力量を確めたいと言う変わった人間や妖怪がいたのだ。

 

 そして今回は───どうやらモロロを下したい方らしい。

 彼等の話では百鬼夜行と呼ばれる妖怪の集団に加われということだった。

 

 モロロは嘲笑し、同時に怒りも沸き出た。

 己は神代の時代を生き抜いた唯一の大狼。たかだか、百年生きた妖怪の下につけなど、傲慢も甚だしい。

 

「わたしにお前の下につけと?  クハハハッ! 矮小な妖め、思い上がるなよ」

 

「なんじゃ?  ワシが怖いのか?」

 挑発するように不適な笑みを浮かべるぬらりひょん。一気にモロロの怒りは頂点に達した。

「つけあがるな小僧っ!! この牙で噛み殺してくれるっ!」

 四肢に力を籠め、彼を噛み殺すことだけを考え、知恵のない獣の如く駆けた。

 ──今にして思えばそれが敗因だった。怒りで我を見失い、目先しか見えなくなる。その瞬間敗北は決まっていた。

 己が侮辱した、たかだか百年単位の妖怪に無様に敗北を喫し、挙げ句の果てに誇りはずたずたにされてしまったのだから……。

 

   〇〇〇

 

 大阪城の頂上。そこでは大妖怪同士の戦いが巻き起こっていた。

 片や、ぬらりひょん。かたや羽衣狐。

 ぬらりひょんは好いた女の名を有らん限りの声で叫ぶ。

「珱姫っ!!」

「あやかしさまっ!!」

 二人の姿をみた羽衣狐はククっと嗤う。

「おお、滑稽よのう、ぬらりひょん。……さて、このおなごの生き肝を食したらどうなることやら、妾は気になるのう」

 羽衣狐は珱姫の髪を掬いながら、したなめずりをした。

「羽衣狐ぇ!!!」

 ぬらりひょんは刀をぐぅと握りしめた。今すぐにでも奴を斬り伏せたかった。だが、懐へとは飛び込めない。

 狐の尾が畏れと反応し、四方八方から襲いかかるのだ。仮に珱姫の元にたどり着こうものなら、共に串刺しされる。

(珱姫だけでもどうにか……)

 好いた女だけでも助けたい。しかし自分が彼女と共に生きることが出来なくなるのは心残りとなる。消滅してもなお、彼女へ未練を残すはずだ。自分のことだ。分からないはずがない。

 それでも目の前で彼女が殺される姿を見るよりは幾分か気持ちが楽だった。

 決意を固め、ぬらりひょんは地を蹴ろうとすると突如、ぶわぁっと突風が巻き起こった。

 反射的に目を閉じる。

(……っ! 尾が!)

 咄嗟に身構えるが衝撃は襲って来なかった。

 そっと目を開けると、白銀の大狼が降臨していた。

「モロロ……」

「無様を晒さずに済んだな、ぬらりひょん」

「……総代将であるワシに何て口を聞くんじゃ」

 ぬらりひょんが言うと、モロロは朗らかな口調で返す。

「たかが化け狐ごときに苦労する大将に言われる筋合いはないさ──さてぬらりひょん」

 モロロがくいと顎を動かした。ぬらりひょんは瞬時に意図を理解し、駆けた。

 羽衣狐はそれを止めようとはしなかった。蠢いていた八尾がぴたりと動きを止めていた。茫然自失が似合う、それこそ棒立ちで彼女はそこに突っ立っていた。

「化け……狐だと……」

 さも意外そうな表情をしたモロロは大口を開けた。

「尾が増えただけで意気がる狐を化け狐といって差し支えはないだろう」

「っ!!………このっ犬畜生風情がぁああああ!!!」

 彼女は怒り狂ったかのように叫んだ。

 尾がモロロに襲いかかろうと、畏れと共に広がる。

「……っ!? 尾が動かん!?」

 動揺する羽衣狐にモロロは悠然と構え、口を大きく開けて嘲笑った。

「フハハハハ!己の力量差すら計ることを知らんか、化け狐よ……噛み殺してくれる」

「妾の……妾の尾が……」 

 呆然と立ち尽くす羽衣狐にモロは四肢を蹴って走る。

「さらばだ」

 次の瞬間、羽衣狐は大口に飲み込まれた。悲鳴すら上げることなく、羽衣狐はこの世から消えさった。

 

   〇〇〇

 

 牛鬼は天守閣で戦うぬらりひょんの許へ急いでいた。勿論それは彼だけでなく、仲間である雪女の雪麗や烏天狗、木魚達磨を含めた百鬼も階段を駈け上がっていた。

「っ! 更に強いだと!?」

 不意に鋭く、そして広がった畏れ。ぬらりひょんを信じていたが、この時ばかりは最悪な状況を想像してしまっていた。

「牛鬼! 上から来るぞ!」 

 烏天狗が降ってくる敵を切り裂きながら言った。

「……っ!」 

 見上げると敵方の低級妖が降り注ぐ。しかし彼等は一瞬にして、凍り漬けになった。

「アンタ、早くあいつの所に! あぁ、もう本来に多い! 」

 雪麗は一瞬にして氷で薙刀を造るとそれを振るう。すでに天守閣に近いこともあり、攻勢が激しかった。

 だが難なく彼等は突破する。ほどなくして牛鬼たちは天守閣に到着した。

 そして彼等の目に飛び込んで来たのは敵大将、羽衣狐に刃を向けるぬらりひょんだった。既に満身創痍が相応しいほどに衣服は破れ、身体中、血だらけであった。

「──ぬらりひょんっ!!」

 雪麗が叫ぶ。

 ぬらりひょんの四方八方から羽衣狐の尾が襲い掛かろうとしていた。

「「「総大将っ!!」」」

 牛鬼たちも叫ぶ。中には庇おうと走り出す者がいた。牛鬼とて例外ではない。彼も駆け出していた。

 そのとき。

 突如として突風が巻き起こった。竜巻のように渦巻いた風に吹き飛ばされる者もいた。

(この風は……まさか!)

「な、なに!?」

「くっ!? なんだこれはあ!」 

 少しして風が止んだ。まるで何かを運ぶような風であった。

 彼等は閉じていた目をゆっくりと開ける。

 眼前には、白銀の獣が、降臨していた。

「な……なによ、あれ」

「……狼、か?」

「……まさかとは思うが。あれは」

 彼等は目の前にはいる超上の存在に程度の差はあれど驚愕していた。中には畏れからか、後退りする者もいた。

「モロロ様、来て、くださったのですね」

 ぼそり。牛鬼が呟いた。

 

 

 



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