失意の中で何も出来なくなっていた夢子さんが、同じくアイドルの高槻やよいさんと出会い、励まされ、別の夢を見つけるお話。
※このお話の夢子さんは女の子が好きみたいで、男の子にはあまり興味がないみたいです。
※※ガールズラブ要素は薄いです。
夢としていたオールド・ホイッスル。夢としていた武田蒼一。夢そのものに私自身を拒絶されて…否定されて…前が…道が見えなくなった。
「一流と二流の差は、思いの強さだ」と武田さんは仰ったけど、その思いの強さなら誰にも負けない。
なのに…何故…?
いくら考えても答えが分からない。分かるのは、もうアイドルを続ける理由もない。ということだけ。
いえ、アイドルを続けるどころか…何の為に生きているのかも分からなくなった。生きていく理由がないから食べる理由もない。生きていく理由がないから身体を動かす理由もない。
五日前のあの日、武田さんに私自身を否定されてからずっと…自分が枯れて朽ちていくのを、ただただ眺めている。
ワンルームマンションの自室で電気もつけず、毛布に包まりながら背中を丸めて、何をするわけでもなく壁を見つめる。
「お腹すいたな」とは思うものの、何かを胃に入れようという気分にはならない。一日に一回、のろのろとベッドから這い出して水だけを飲み、またのろのろとベッドに潜り毛布に包まる。
これからどうしようか。普通の女の子に戻る? …まさか。戻れるわけがない、今更。
自虐を含んだ笑いが込み上げてくる。何やってるんだろう。何をやってきたんだろう。自分の情けなさに飲み込まれそうになったところで、ベッドサイドテーブルにおいてあるケータイの震える音が聞こえた。
緩慢な動作で立ち上がりケータイを手に取りディスプレイを見る。発信者には…アイツの名前が。
同じくテーブルの上においてある時計を見ると時刻は夜の七時を少し過ぎたところ…。仕事が終わった後だろうか、アイツはこの五日間、決まってこの時間に電話をかけてくる。ほんとにマメなやつ。
電源ボタンを押して、待ち受け画面に戻す。待ち受け画面にはアイツの画像。いつ撮ったんだっけな、これ。
その画面の端には未読メールがあることを示すアイコンが表示されていた。いつの間にかメールを受信していたようだ。メールの受信ボックスを開いて差出人を確認すると…それはスパムメールの類だった。
再び胸の内を情けなさが圧迫する。
堪らなくなってケータイを壁に投げつけようと腕を振り上げ…そのままゆっくりと下した。それから連絡帳を開き、アイツに電話を掛ける。何度目かのコールの後、繋がったかと思うとアイツの焦りを含んだ声が聞こえてきた。
電話の向こうで色々と涼が言っているけど、私はそれに応えない。久しぶりに聞いたな、涼の声…って、涼だけじゃないか。それに気が付いたら溜息に似たような笑い声が漏れた。
その私の笑い声に反応したのか、一段と涼の声が大きくなった。楽しかった映画のこと、美味しく作れた料理のこと、お姉さまとのオーディションのこと、途切れることなく様々な話題を電話越しに投げ掛けてくる。
ひとしきり涼が話した後、不意に涼の声が躊躇いがちになった。
なんだろう、と思って暫く待っていると…明日のオールド・ホイッスルに出演することになった…って。
「なによっ…それっ…!!」
終話音を規則正しく鳴らしているケータイを、今度は遠慮することなく壁に叩きつけた。頭が真っ白になって、嫌な気持ちが胸の中を渦巻いて、頭の中に鉛が充満したような眠気に襲われて…その後は覚えていない。
私は今、真っ暗な空間を走っている。
周囲を窺うと、私と同じように走っている人間がたくさんいる。中には見知った顔も。前を向きなおすと、遠くの方に光が見える。私は集団の先頭を走っているようだ。
誰かが私を追い抜いぬこうと並びかけてきた。私はすぐさまソイツの肩に手を掛けて、思いっきり引き倒した。その隙に反対側から別の誰かが私を抜かそうとするが、足を引っ掛けて転ばせる。
誰だろうと私を抜かさせはしない。
そのまま先頭を走っていると、目指していた光が不意に陰った。誰かが光を遮って立っている。誰だろう?
近付くにつれ段々と…その誰かが見えて…あれは…そう、私の夢だった人。
武田さんを認識した瞬間、私の足元がぐにゃりと歪む。バランスを崩し、走っていた勢いそのままに顔から転倒した。立ち上がろうとしても地面がぐにゃぐにゃと波打ち、飲み込まれ…沈んでいく。
もがいている内に誰かに髪の毛を掴まれ頭を無理やりに持ち上げられた。暗くて誰かは分からないけど、いびつに口角が上がっているのだけは分かる。
髪を掴まれている痛みと、無理矢理仰け反らされている苦しさで息が出来ない。これが報いなのか。私が今まで他のアイドル蹴落としてきたことへの報い。
今度は地面へと頭を叩きつけられる。そのまま後頭部を抑えこまれて、ずぶずぶと顔が、そして体が沈んでいく。このまま何処までも沈んでいくんだ。そう思ったとき、ふっと身体が軽くなった。
訳の分からない感情のまま、目が覚めた。
心臓が激しく脈打っているのを感じる。全身から血の気が引いた感覚で、胃のあたりがざわざわと落ち着かない。鏡を見ると目の周りが真っ赤に腫れ上がっていて酷いことになっている。どうも泣きながら眠っていたらしい。
涼がオールド・ホイッスルに出る、と私に言ったこと。それが単なる当てつけとかじゃないことは分かっている。わざわざ私に連絡してくるぐらいだから…私に関係している何かがあるのだろう。アイツから聞いた話によると、今日のオールドホイッスルはドームで生放送らしい。これから直接会場に向かうにしても、テレビで見るにしても開始までは十分に時間がある。
とりあえず先に身支度をしてから考えようと、私はシャワーを浴びることにした。アイツの声を聞いただけで不思議と元気になった気がする…認めるのは…癪だけど。
シャワーの後、いつもの洋服に着替えて冷蔵庫を物色する。案の定というか何というか食べる気はしないけど、何かを胃に入れておかないと移動中に倒れてしまう気がする。
冷蔵庫の扉を開けたり閉めたりしていると、訪問を告げるチャイムが鳴った。
誰だろう…? まさか…涼なわけないよね?
インターホンを覗き込むと、訪問者の身長が足りていないせいか、若干癖のある亜麻色の髪の毛とおでこだけが映っていた。
え? 本当に誰? 子供みたいだけど、迷子とか間違いとか?
通話状態にして要件を聞く。
「あ、あの…桜井さんのお宅でしょうか?」
「はい、そうですけど…」
「あっ、夢子ちゃん? 私、高槻やよいですー」
どうしてこうなった。っていう言葉はこういうときに使うんだろうか。私の部屋で、可愛らしい訪問者に手料理を振舞われている。
高槻やよいさんは武田さんの勧めで一度共演したことのあるアイドル。自分のためではなく誰かのために頑張れる人。この人の影響で私は他のアイドルへの嫌がらせ的な妨害を止めた。もっと…手遅れになる前に会いたかったな、と思うのは過ぎた望みだけど。
「とりあえず冷めちゃう前に食べちゃおー」
「あの…私、食欲なくて…」
「ん?」
「あっ、はい、頂きます」
ランクAアイドルには逆らえない。
折りたたみ式の小さな食卓の上には、文字通り所狭しと料理が並んでいる。タレの焦げた匂いが香ばしい野菜(もやし?)炒め。柔らかめに炊かれたご飯。優しい出汁の色をした豆腐のお味噌汁。艶々とした分厚い卵焼き。自家製らしいきゅうりのお漬物。
どれもこれも暖かい湯気が立ち上っていて、眺めているだけでお腹がクゥとなった。
前言撤回。食欲はないと言ったけど食べれるかもしれない。いや、食べたい。体がやよいさんの手料理を欲している。
「頂きます」
改めて両手を合わせる。
「よく噛んで食べてね」
熱くて美味しい。目から涙が溢れないように我慢するのがとても大変だった。
「残してしまってすみません」
「うん、半分も食べれたら上出来だよ。これならすぐに良くなるね」
食べきれなかった分は冷蔵庫に入れて後日食べることにして、てきぱきとやよいさんが後片付けをしている。鼻歌を歌いながら洗い物をしているランクAアイドルの後ろ姿を見て、いまだにこれが現実のことかと疑いたくなる。
洗い物が終わってやよいさんが戻ってきた。エプロンで手を拭く仕草が妙に自然で、それからそのエプロンを外しながら私の隣に座った。
「えっと、すごい今更な質問なんですけど…どうしてここに?」
「涼ちゃんに頼まれたの」
「頼まれた、って…私のやってたこと知っていますよね?」
「うーん…難しいことはよくわかんないけど」
やよいさんがちょっと顔を傾けながら言葉を選ぶようにゆっくりと話す。
「夢子ちゃんって私のトモダチにすっごい似てるんだ。だからかな? なんかほっとけなくて」
「トモダチ…ですか」
「うん、意地っ張りで素直になれなくて、それでいてすっごい優しいの」
「じゃあ、似てませんね。私は優しくないですから」
「そうかなー? そうやってツンツンしてるところなんてそっくりだと思うんだけど」
やよいさんの発言に抗議の声を上げようとしたけど「それに、アイドルが大好きで絶対に妥協しないところとか、本当にそっくり」なんてことを眩しいぐらいの笑顔で言われたら、それはもうズルイと思う。
「それで人を踏み台にして、気がつけば自分が蹴落とされて…笑っちゃいますよ」
でも、やよいさんの言葉を否定しなければ私は折れてしまう。
「ねぇ、夢子ちゃん。アイドルって一人じゃできないんだよ? アイドルって色んな人に支えられて」
「…私には…そんな人居ません」
「うん、だから私が夢子ちゃんを支えに来たの」
なんで? と問うよりも先にやよいさんが言葉を続ける。
「そのトモダチがね、言ってたの。『そんな妨害程度で折れるようじゃあアイドル辞めて正解よ』って」
「…そんなの」
「だって涼ちゃんは負けなかったんでしょ?」
その言葉が私の心に突き刺さる。私の心をせき止めていたものを全部取り払う。
人を蹴落としてここまで来たのだから、今更やり直すだなんてとんでもない。そう言いたいのに口から出てくるのは、うめき声のようなアイドルが出してはいけないような声だけだった。
あぁもういいや、甘えちゃおう。心からそう思える人に私は出会ったのかもしれない。
「私からも武田プロデューサーにお願いしてみるから」
泣きじゃくる私の背中をさすりながら、やよいさんが優しく言葉をかけてくれる。その言葉と優しさに涙の勢いがさらに増した。
「起きて、夢子ちゃん!」
体が揺れる感覚で覚醒する。
「ごめんね、夢子ちゃん。私も寝ちゃってたみたいなの」
目の前にはやよいさんの困り顔。覗き込むようにして…正直顔が近い。
寝起きなせいか、やよいさんの言葉を理解するのが少し時間がかかった。あっ、と声を上げて立ち上がろうとするが上手く起き上がれなかった。変な体勢で寝てしまっていたせいか手が痺れていて、それに肩とか首も痛い。やよいさんも足が痺れているようで、足をさすりながら若干しかめ面。
崩れた体勢で視線だけ時計に目をやると、もうオールドホイッスルは開始時間から三十分ほど経過していた。
上半身を起こすのをやよいさんに優しく手伝ってもらい、食卓の上においていたリモコンを取ってテレビの電源をつけた。オールドホイッスルのチャンネルに合わせると、ちょうど涼のステージが終わったところだった。
「男の恰好…」
涼に感じていた、なんとなくの違和感の正体。
騙されていたという失望、苛立ち、気持ち悪さ…に少しの納得を加えた、混ぜこぜで複雑な感情が思考を支配して考えがまとまらない。
『夢を諦めないで!』
ステージの上のアイツが泣きそうな顔で訴えている。
何言ってんのよ、夢に拒絶されたら…諦めるしかないじゃない。
それでも涼の悲鳴のような独白は続く。
私は見ていられなくてテレビを消した。
言いようのないやり切れなさがお腹の中を這い回る。座ったままの姿勢から身じろぎできない。俯いた顔は上げれないし、膝に乗っている手の震えも止めることができない。
震えるその手を見るに見かねたのか、やよいさんの手が重なった。暖かい感触。重ねられた小さな手。私の心音に合わせるように時計の針がかちこちとうるさい。
どれくらいそうしていたかは分からないけど、不意にやよいさんの手が離れた。それから頭を撫でられる感覚の後に、私の顔がいびつに歪む感覚。駄目だ、もう完全に…これって。
しばらくして、やっと顔を上げれる状態になってから、やよいさんに向き直る。やよいさんの表情は妙に落ち着いていた。
「…やよいさんは知っていたのですか? 涼のこと」
「うーんとね。涼ちゃんに夢子ちゃんのことを頼まれたときに教えてくれたの」
黙っててごめんね。と舌先を少し出してやよいさんが困ったような笑顔で謝った。
「…でも、どうして…涼は事前にやよいさんに教えたんでしょう?」
「なんかフェアじゃないからって」
「…フェアじゃない?」
「うん。私もよく分かんないんだけど、なんか涼ちゃんらしいよね!」
やよいさんが若干前かがみになりながら、両手を握りしめてぐっと胸に引き寄せた。
その仕草が格好良くって可愛くって、もう。
「やよいさんは受け入れられているのですね、涼が男だった、てことに」
「そうだね、涼ちゃんは涼ちゃんだから。夢子ちゃんは?」
「もう少し時間がかかりそうです…いえ、受け入れてると言えば受け入れてるんですけど…受け入れられていないのはそっちじゃなくて…」
「…うー?」
この気持ちを言葉にするのは難しい。考え込んでいるやよいさんに素早くケータイを向けてパシャりと写真を撮った。
「ええっ!?」
「一枚頂きますね」
「うーん…よく分かんないけど」
変なことに使っちゃダメだよ? と念を押されて許してくれた。
「それじゃ、だいぶ夢子ちゃんも落ち着いたみたいだし、そろそろ帰るね」
立ち上がろうとするやよいさんの手を反射的に掴んでいた。完全に無意識の行動。掴まれた腕を見てやよいさんが不思議そうにしている。
「あっ、あのですねぇ!」
声が上ずってとても恥ずかしいけど何か言わないと、やよいさんが帰っちゃう。
「結婚して下さい!」は、心の準備ができていない。
「付き合って下さい!」は、焦りすぎな気がする。
「泊まっていきませんか?」は、もう少し仲良くなってからでしょ。
「また会えますか?」…よし、これだ。
やよいさんを掴んでいた手を離して少し深呼吸してから、やよいさんの目をまっすぐに…は見れないので少し俯きながらさっき考えた言葉を口に出す。
「きょっ、今日は本当にありがとうございましたっ! あの、その…また…会えたりできますか…?」
「もっちろん!」
やよいさんは私の目をまっすぐに見て、とびっきりの笑顔で即答してくれた。
危ないのでタクシーを拾うまでは一緒について行こうとしたが、近くまで迎えが来ているらしいとのことだった。なので、やよいさんとは玄関でお別れした。
扉を閉めたあと、三秒だけ待って静かに扉をまた開ける。顔を出して外の様子を伺うと、廊下を歩く可愛らしい背中が見えた。じっと見つめていると、やよいさんが思い出したように振り返った。
視線が合う。やよいさんが意地悪そうに白い歯を見せた。それから何かを呟いた後、小走りで戻って来てくれた。
「忘れ物しちゃった」
「忘れ物…ですか?」
再び玄関にやよいさんを招き入れた。
「ね、夢子ちゃん。右手を上げてくれる?」
「右手…こうですか?」
促されるままに右手を軽く上げる。
「うんっ、いきますよーっ!」
あ、これって。
「ハイ、ターッチ!!」
心が弾むような軽快な音が部屋一杯に鳴り響いて。
「いぇい!!」
それから二人の声が重なる。
この時の気持ちの高ぶりと、やよいお姉様の手の感触は生涯忘れられないものとなった。
※「おしゃべりーす」に続く?