逆位置悪魔は星屑と踊る   作:大岡 ひじき

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序章〜クルセイダース・ゼロ〜
前編


「更科樹里。アンタ、おれの女になれ」

 …いきなり何を言いだすんだこの巨人は。

 一学年上の、言葉を交わしたのは昨日が初めての、よりにもよって『悪霊憑き』と呼ばれている女であるこの私に。

 

 ☆☆☆

 

 母方の曽祖母がロシア人で、その隔世遺伝で日本人とは異なる髪と目の色の私は、この外見で幼い頃から散々な目にあってきた。

 同年代の子供たちからは気持ち悪いと苛められ、年長の男性からは気持ちの悪い接触を受けた。

 後者は珍しい色というよりは、同い年の他の子供達よりも発育が良かったという理由の方が強かったのだろうけど。

 そして後者の最たる出来事は7才の時に、近所の大学生の男に拉致され、10日以上監禁された事だ。

 監禁されている間の私はその男に…挿入以外の、ありとあらゆる辱めを受けたとだけ言っておこう。

 そして最後にそいつが、オイルライターの火を、寝台に両腕をくくりつけられた格好の私の顔に近づけながら、

 

「一緒に死のう」

 と血走った目で告げた時、それは現れた。

 黒いヤギの頭部に人間の男の上半身。

 下半身は…やはり黒ヤギなのだろうか。

 だが私が驚いたのはその存在よりも、目の前に現れた『それ』に対して、男がまったく反応を示さなかった事だ。

『それ』は長い爪の指先をオイルライターに触れ…火が、唐突に消えた。

 

「……!?」

 突然火が消えた事に訝しげな表情を浮かべながらも、別段何事もない仕草で火を点けなおそうとする男の眉間に、『それ』の指先が触れる。

 次の瞬間…その眉間から後頭部までを、()()()()()()()()()

 

「ギィヤアアァァァァア!!!!」

 およそ人間があげるとは思えないような叫び声が男の口から出て、男は後ろ向きに倒れる。

 その後頭部から溢れた火が、倒れた先の畳に燃え移り、たちまち炎が燃え広がった。

 …覚えているのは、そこまでだ。

 気がついた時は、何故か全身ずぶ濡れだったが全くの無傷で、私は母親の腕に抱かれていた。

 その夜から一週間高熱に苦しんだ後、ようやく身体が起こせるようになった時…件の黒ヤギ人間が、私のそばに立っていた。

 それに助けられたのだと、本能的に理解した。

 

 その事があって以来、私は大人の男性が怖くなった。

 父親ですら、その対象だった。

 そして常に私のそばに立つそれは、私が恐怖を感じたものに攻撃した。

 炎はあの日以来出なかったが、鋭い何かで切り裂かれるような幾条もの傷を、私に近づくたびに負わされた父は、次第に私を気味悪がるようになった。

 私にしか見えないその存在は、周囲の人間にとっては、まさに『悪霊』だった。

 それから1年後、両親は離婚して、私は母に引き取られた。

 美人で社交的な母にはそれから何度か恋人ができたが、いつも母の縁は、私と恋人を引き合わせるたびに切れることになった。

 母の恋人として現れた男が、悉くまだ子供の私に興味を示した挙句、『悪霊』の攻撃を受けたからだ。

 私が高校に入学したと同時に、母は私にそれまで二人で暮らしていたマンションを譲り、自身は結婚を決めた恋人の元に移った。

 生活費は毎月口座に振り込まれてきて、大学までの学費もきちんと面倒をみるからと言われれば、それまで母の幸せを悉く潰してきた私としては、わがままなど言える筈もない。

 あれから母とは電話でやり取りをするくらいで会ってはおらず、新しい父は顔も知らない。

 互いの心の平穏の為に、それでいいのだと思っている。

 

 そして、以前よりはマシになったものの、私の男性に対する恐怖心は消えたわけではなく、また、おかしな男を引き寄せてしまう体質も健在で、一人暮らしを始めてから2年半あまりの間、『悪霊憑き』が噂になる程度には、私に近寄る男性に『悪霊』は相変わらず被害を与えていた。

 

 ☆☆☆

 

 昨日のそれは、形の上では単なるナンパだった。

 だが、ただ声をかけてきたなんだかチャラいだけの男を、型通りにあしらってその場を去ろうとしただけなのに、何故か相手が腹を立て、私に掴みかかろうとした。

 いつもならば『悪霊』が攻撃しただろうそのタイミングで、伸びてきた手は『悪霊』のものではなかった。

 それは、私に掴みかかろうとした男の腕を掴んで、更に捻り上げた。

 

「ひィッ!!痛ててッッ!!!」

「無抵抗の女に、男が手なんざ上げるもんじゃあねーぜ」

 …それは、大きな男だった。

 鎖などジャラジャラしたものを下げた、相当改造された学生服は、恐らくはうちの学校のものだ。

 それをボタンも閉めずにさらけ出されたアンダーのTシャツを、分厚い胸筋が押し上げている。

 その学生服の上、女としては背の高いはずの私が見上げる位置にある頭には、これも恐らくは学帽なのであろう、それにしては妙な装飾がつけられた帽子が乗っており、その帽子のツバの下の、強い意志を感じる瞳が、緑色に見えた。

 そいつは捻り上げたナンパ男の手をすぐに離して、私の前まで移動する。

 

「なにしやが……げっ!」

 恐らくはなんらかの攻撃をしようとしたのだろう、こちらに向き直ったナンパ男の顔に、一瞬にして怯えが走った。そして。

 

「しっ、失礼しましたアァァ〜〜!!!」

 こけつまろびつ、ナンパ男が私たちから離れていく。

 

「…アンタ、大丈夫か?」

 私に向けられた大きな背中が振り返り、緑の瞳が私を見下ろした。

 

 …というか、私はこの男を、一応は見知っている。

 同じ学校の私より一学年下、いつも周囲に女の子を侍らしていて、その女の子たちから『ジョジョ』と呼ばれている男だ。

 確か…空条とかいったか。

 母が好きなミュージシャンと同じ姓だから何となく覚えていたが、それ以上の私の興味を引く存在ではなかった。

 そもそも私は男性は苦手だし、その上女の子にチヤホヤされ慣れた男など、近寄るだけで虫唾が走る。

 けど、一応助けられたのだから、礼くらいは言わねばならないだろう。

 

「助けてくれてありがとう。

 けど、危ない真似はしない方がいいわよ。

 むこうが逃げてくれたから良かったものの、喧嘩になればあなただけじゃなく、一緒にいる人にも迷惑がかかるわ」

 そう言って彼の後方に目をやる。

 そこにいたのはやはり女の子の一団。

 まともな感性を持った女の子なら、コイツにこんなふうに助けられたら、次の日からもうあの仲間に加わるんだろうが、そうはいくか。

 

「あんなの、勝手についてきてるだけだ。関係ねえ。

 むしろうるせーから、迷惑だぜ」

「そういうわけにはいかないでしょう。

 …まあ、私には関係ないわね。

 とにかく、ありがとう。それじゃ」

 思わず説教モードに入りかけ、気を取り直して、そそくさとその場を離れる。

 

「……」

 空条は一瞬何か言いかけたようだったが、それ以上追いすがることもなく、私はそのまま歩いて自宅へと帰った。

 

 次の日の放課後。

 帰宅する為、自分の教室から出ようとしたところ、開けた筈の教室の扉に壁ができており、その壁が唐突に、私の名を呼んだ。

 

「おれは、二年の空条承太郎だ。

 更科樹里。アンタ、おれの女になれ」

 そして、冒頭に至る。

 

 ☆☆☆

 

「…で?

 わざわざ三年の教室に押しかけて、血迷った事を言い出した理由は何かしら?」

 とりあえず人目を避けて『空条承太郎』を引っ張ってきた学校の屋上で、私は彼の緑の目を見据えて言った。

 …日本人離れした体格といいこの目といい、私と同じように彼も、純粋な日本人ではないのだろう。

 体格のいい男と二人きりでいる状況に、不安を覚えないといえば嘘だったが、そんな小さな共通点を見つけたせいなのか、不思議とこの男に対しては恐怖を感じなかった。

 

「アンタの噂はあらかた聞いてる。

『悪霊憑き』、『切り裂き樹里』…アンタにちょっかい出す男は、謎のカマイタチに襲われるってな。

 失明したヤツや、脚の腱が切れて立てなくなったヤツもいるって話だな。

 アンタがやったって証明もできなくて、最後には事故で決着したって聞いたが」

 高く丈夫なフェンスに寄りかかり、腕を組みながら空条が言う。

 こうしてみると顔立ちも非常に整っていて、そんな姿が様になっているのが、何故だか腹立たしい。

 

「わかってて近寄ってくるって事は、自分もそうなりたいって事かしらね?」

 今のところ、『悪霊』が暴れる気配はないが、油断はできない。

 身近な人間が傷つくのは避けたいから、私はこれまで友達すらつくらなかった。

 私は父親すら傷つけた女なのだ。なのに。

 

「悪ぶるんじゃあねーよ。ちっとも似合ってねー。

 …おれは、『悪霊』より役に立つぜ」

 空条は帽子をかぶり直しながら、意外な事を口にする。

 

「どういう意味?」

「その『悪霊』は別に、誰彼構わず襲うわけじゃなく、アンタに危害を加えようとしたヤツを切り刻んでるだけだ。

 …おれと居ればアンタには、そもそもそんなヤツは近寄ってすら来ねえ」

 確かにこれまではそうだが、これからもそうだとは限らない。

 しかし彼の言葉に、ストンと腑に落ちてくるものがあった。

 

「…なるほどね。

 そしてあなたにも、って事かしら?」

 昨日言葉を交わすまで、てっきり私はこの空条を、女を侍らせてチャラチャラしている男だと思い込んでいた。

 だが、彼は取り巻きの女の子たちを、勝手に群がってきてむしろ迷惑だと言った。

 その言い草もどうかとは思うが、意図しない接触が迷惑という感情は、私にも理解できなくはない。

 確かに彼と『付き合っている』という事になれば、私に不用意に近づく男は居なくなる。

 そして私の存在があれば、彼にまとわりつく女の子たちも、自然に離れていくという意図があっての事ではなかろうか?

 

「……まあな」

 空条は私の言葉を否定しなかった。ならば。

 

「いいわ、空条。

 そういう事なら、あなたの彼女になってあげる。

 けど、形だけよ。それと、私が卒業するまで」

 お互い、それ以上の時間を拘束し合うのは不毛だろう。

 

「…決まりだな。よろしく頼むぜ…樹里」

 ニヤリと大人びた笑みを浮かべた空条に名前を呼ばれ、ほんの少しだけドキリとした。

 

「ええ、よろしくね、空条」

 うっかり赤くなりそうな頬を誤魔化すように、私は答えながら、彼から目をそらした。




前後編。
もう一話ある。
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