初めて会った『姉さん』は、ぼくより5才も上だと聞いていたのに、とても小さな女の子に見えた。
実際に身長は、10歳のぼくの方が大きかったし。
…ぼくが赤ちゃんの頃に亡くなった母さんの従妹、つまりぼくにとってはいとこ叔母にあたるジュリアは、思ったほど残っている母さんの写真とは似ていない。
もっと綺麗だと勝手に想像していたぼくは、正直がっかりしていた。
その気持ちを誤魔化す為に、ちょっと大袈裟に歓迎してみせたら、ジュリアはぼくの挨拶に、ちょっとびっくりしたみたいに、鳶色の瞳を
…だが本当は、その時ぼくは挨拶をする前に、彼女が馬車を降りる為、手を貸さなければならなかったらしい。
そういえばこの間マナーの先生に、レディーファーストの精神そのものがなっていないと注意されたばかりだった。
そして、ぼくが叱られそうになったのを見て、慌てて自分で馬車を降りようとしたジュリアを止めて、手を差し伸べた父さんの所作は、ぼくから見てもとてもカッコ良かった。
そして、それまで冴えなかったジュリアの顔色が、パッと薔薇色に染まる瞬間を、ぼくは確かに見た。
…その後、改めて挨拶を済ませ、その手を引っ張ってダニーのところに連れていったのはわざとだ。
だって、何となく面白くなかった。
同じ子供同士なのに、ぼくを見たら固まってしまったくせに父さんには憧れの目を向け、レディ然とした態度をとる彼女を、こっちに引き寄せたかった。
けど後日、正式にぼくの『姉さん』になったジュリアの口から、やはりカッコいいのは父さんだと聞かされて、ぼくはもっと勉強を頑張る事にした。
マナーの勉強は相変わらず嫌いだったけど、ジュリアが『それらは貴族の世界において、己を守る鎧であり武器となるもの』だと言った事には、すごく納得した。
『女は、男の知らないところで戦うものなのよ』
そう言ってウインクしてみせたジュリアが、初めて会った時に比べて身体も頬も丸みを帯び、パサパサだった亜麻色の髪も艶やかになっていて、健康な状態ならばとても綺麗である事に、その時初めて気がついた。
・・・
ぼくとジュリアが、本当の姉弟のように仲良く暮らし始めて2年が過ぎた日の夕食時、父さんが子どもをもう1人引き取る事にしたと告げた。
「わたしの恩人のブランドー氏が、もはや余命幾ばくもなく、その息子を託したいと手紙をくれたのだ。
名前はディオ。ジョジョと同い年との事だ。
もう1人きょうだいが増えると思って、仲良くしてあげて欲しい」
そう聞いたぼくはその時、とても嬉しかったんだ。
ジュリアの時と同様、仲良くなれることを、欠片も疑っていなかったのだから。
☆☆☆
……あの日、学校からの帰り道、町の悪ガキが女の子の人形を取り上げて泣かせていたのを、止めに入ってひどく殴られ、悔しい気持ちを抱えていた。
その途中、やはり町から帰ってきた姉さんと会ってしまい、痣の残る顔を見られてしまった。
「まあ、ジョジョ!この怪我はなに?
誰にやられたか言いなさい!!
姉さんがぶちのめしてきてあげるわッ!」
「…それは淑女のセリフじゃあないよ、姉さん」
いつもなら汚い言葉を使って注意されるのはぼくの方なんだけれど、今日の姉さんはどうやら機嫌が悪いらしい。
「何を言うの!女も不当な暴力の前には、時として戦わねばならないのよ!!
だから私はその為に、外に出る時は、一見そうとは見えない部分で、ありとあらゆる武装をしているわッ!」
「その日傘の軸をわざわざウーツ鋼で作らせたのは、そういう理由だったんだねッ!?
あと、ブーツの先に鉄のカバーを仕込んでいるのも!?」
一時期、小さかった背丈が急激に伸びた姉さんは、身に付けるものがドレスや靴、靴下や……その、下着に至るまで全て合わなくなって、一式全てを買い替えなければならなくなった事がある。
(今の姉さんの目線は、ぼくよりも少し上にある。
追い越された時は悔しかったが『お父様があれほど背の高い方だし、あと2、3年も経てば、女の私はすぐにまた、あなたに追い越されてしまうわ』と言ったのは信じる事にした)
その時に何故か、外出用の靴や小物に注文をつけて特注していたのだが、その理由が今やっとわかった。
まずい。確かに喧嘩に負けて殴られたことは悔しいが、誰にやられたか白状してしまったら、今の姉さんはあいつらを殺しかねない。
「いや、いいんだ、姉さん!
…確かに負けはしたけど、これも本当の紳士になる為に、必要な戦いだったんだ。
だから、姉さんが怒る必要はないよ。
…それよりも、姉さん。今日は、父さんの友達の医師の先生の家に、お使いに行っていたのだよね?」
…あの悪童たちの命を救うべく、多少強引ながらもぼくはなんとか話を逸らす。
だが、ぼくの問いかけは、どうやら姉さんの不機嫌の、核心をついてしまったらしい。
「ええ、そうよ…聞いてちょうだい、ジョジョ!
お父様は近々、私を家から追い出す気だわッ!!」
「ええッ!!?」
なんだか話が思ってもみない方向に飛んで、ぼくはついおかしな声をあげる。
…だがしかし、姉さんは一旦気持ちを静めるように深呼吸をすると、その薄い肩を竦めた。
「……というか、私はそもそも出る気でいたのだけれど。
あなた知っていて?スコットランドの大学には、学費が免除になるところがあるのよ。
私は来年にはそこに通おうと思い、願書を出そうとして、お父様に反対されていたの」
その事ならば知っている。
というか、最近よく姉さんと父さんが言い争いになる…というか、姉さんの方が父さんに突っかかっており、父さんは困った顔で流しているだけなのだが、その理由が大体その話なのだ。
姉さんは将来は通訳の仕事に就いて、父さんを手伝いたいと言い始め、それに父さんが『女の子がそんな事を考えなくてもいい』などと返すものだから、正直最近は2人の間の空気感がギスギスしている。
「そして今日、お父様の言い付けで、私がペンドルトン
一旦は気持ちを落ち着けた姉さんは、話をしているうちにまた、不機嫌が再燃してきたらしい。
少しずつ吊り上がってくる柳眉に思わず視線を奪われながら、こうなったら聞き終えるまでおさまらないと覚悟して先を促す。
「わ……わからないな。なんだい?」
「…ペンドルトン
年齢は23歳、名前はクリストファーとかいったかしら。
姓は覚えていないし、覚えていたくもないわ。
将来有望だとかなんとか言われていたけど、見れば吹けば飛ぶんじゃあないのってくらいひょろっひょろのモヤシみたいな男で、それがなんだかおためごかしみたいな調子のいい美辞麗句を並べ立てるから何事かと思っていたら、どうやらお父様の差し金の、事実上のお見合いだったようなのよ!
それに気がついて、私はスコットランドの大学へ行くつもりだから、今は結婚は考えていないとお断りしたらあの男、『女に学歴は必要ないし、大学になんて行っていたら、卒業して戻ってくる頃には君は完全に
ペンドルトン
どうせ家から出すつもりならば、進学に反対などしなければ良いじゃあないの!」
…そういうことじゃあないんだが、多分ぼくが言ったところで、姉さんの怒りはおさまらないだろう。
結局、2人とも素直じゃあないだけなのだという事は、ぼくでさえも見ていれば分かる。
父さんの気持ちとしては、姉さんがうちに引き取られた事を恩義に感じて言っているのだと頭から信じて疑わず、だからそんな事など気にせず自分の幸せを考えるべきだと思うからこそそう言っているのだし、姉さんは……多分だが、父さんの事が好きだ。
それでずっと一緒にいたくて、役に立ちたくて決めた事を否定された上、他の男と結婚しろなんて言われたら、そりゃあ女の人は怒るだろう。
まあ、女の子の気持ちとか、ぼくにはわからないけど。
…不意に、さっき人形を取り返してやった女の子の泣き顔が思い出され、よくわからないけど胸の奥がつんと痛んだ。気がした。
家に戻ったぼくたちを途中から追い抜いていった馬車が、門の前に止まっているのを見て、ぼくと姉さんは顔を見合わせた。
「……そういえば近々、お父様の恩人の方の息子さんを引き取ると仰っていたわね。
あれって今日のことだったの?」
そう聞かれても、ぼくにはわからない。
…2人で駆け寄った馬車から、トランクがひとつ投げ出され、そのすぐ後に飛び降りるようにして姿を見せた少年は、金色の髪を靡かせながら、僕たちの方を振り返った。
そして…
それまで楽しかったぼくの生活は、その日からとても辛いものに変わった。