「トム君っ!!」
交流センターの二階にあるセミナー室に、俺は駆け込んだ。
ここはセンター内のどの部屋よりも広く、また窓が大きいため正門やその周りの壁を一望することが出来る。
戦況を確認するのに打ってつけの位置にあるので、司令部として機能していた。
「タクマさん!? どうしたんですか、避難するとおっしゃっていたのに?」
驚きながら俺を迎えるトム君。その手には携帯電話がある。外の部隊か、あるいは警備ルームと連絡を取っていたのだろう。
「全員無事ですか!?」
司令部にはトム君の他にも数人いた。連絡員や予備戦力として待機している男子たちだ。
みんな、いきなり現れた俺に戸惑い固まっている。
「えっ、あの……何かあったんですか?」
「この建物内に女子が侵入した疑いがあります」
「「「ええっ!?」」」
男子たちの顔面が瞬時に真っ青になる。
「一階に開かずの間がありますよね――」
開かずの間、あれは外に繋がる秘密の抜け道である。
ミスターに着替えるために入った部屋で、俺はたまたまそう書かれた資料を見つけた。もしかしたら、そこを使って女子が侵入しているかもしれない。
陽南子さんの裏切りを伏せて作った説明のため、強引なところがある。だが、仕方ない。
彼女が敵だったことをバラすと、余計なパニックを引き起こしてしまうからな。
伝えるべきことを伝え、男子たちの様子を窺うと、全員顔色を青から蒼白に変えていた。
ノーメイクでホラー映画の被害者になれそうだ。
「全員の安否を確認します。建物内にいる男子は何人ですか?」
「あっはい……ええと、ここにいるメンバーを除くと、三階の警備ルームにいる柿崎君たち三人です」
柿崎君……あのメガネ君というあだ名が似合いそうな子か。
「すぐに連絡して無事か確かめてください!」
「わ、分かりましたっ」
あわわわわ、と携帯を落としそうになりながら、トム君は警備ルームの柿崎君に電話をかけた。
「もしもし! 柿崎君っ! そっちは無事? ……う、うん。実は……」
電話が繋がった……と、いうことは警備ルームが襲われていないのか。
盛大に胸をなで下ろす。
警備ルームは、交流センターのセキュリティを管理する最重要拠点だ。女子の立場で考えれば、是が非でも確保したい場所だろう。
あそこさえ手中にすれば、正門を開け、一気に男子たちを追いつめることが出来る。
そうなれば『鬼ごっこ』の結末は、男子全滅という最悪なものになるのは確定的だ。
警備ルームが安泰ということは、女子は侵入していない? 俺の取り越し苦労だったのか?
「えっ、本当に!? よ、よかったぁ~」
好転の兆しは、トム君の安堵する様子で補強される。
「タクマさん! 柿崎君からの報告なんですけど、開かずの間から女子は侵入していないそうです」
「なっ! どうしてそう言い切れるんですか?」
「警備ルームにあるたくさんのモニターには、建物内の様子も映っているんですよ。開かずの間の扉の映像は、柿崎君が座る席の目の前で表示されているから、女子が映ったらすぐに分かるらしいです」
「なるほど……そうですか」
これで不安は解消された――のか?
俺が自問している間も電話は続く。
「ありがとう柿崎君。あっ、念のために訊くけど、建物内で不審者を見かけてはいないよね…………えっ? メイド?」
メイド?
トム君の不思議そうな声が、俺の自問を断ち切った。
「……う~ん、さすがにそんな人はいないんじゃないかな? 見間違い……そうだね、気のせいだよ。じゃ電話を切るね。監視がんばって!」
携帯を下ろしたトム君に尋ねてみる。
「今のメイドって何のことですか?」
「柿崎君の班員の子が見たそうなんですよ、廊下のモニターの隅に一瞬映ったメイド服を……はは、ないですよね。女子はみんな防弾装備にフルフェイスヘルメットをしています。そんな中、誰がメイド服を着るっていうんですか?」
「そりゃ……ありえない、と思いたいですね」
もし、メイド服で『鬼ごっこ』に参加する人がいたら、その人は酔狂を超えて変態だ。
うん、ないない。
「きっと監視に疲れて見間違えちゃったんですよ。柿崎君が全モニターを注意深くチェックしたそうですけど、メイドの姿は見ていないそうですし」
こうして謎のメイド出現は、軽く処理された――されてしまったのである。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
女子は侵入していない。
その事実に、セミナー室に沈殿していた重い空気が換気される。
壁際防衛も順調で、予想以上に粘ってくれているようだ。後はこのまま競技終了まで行けば――
そんなことを考えていると、セミナー室にスネ川君が入ってきた、保健医の丙姫さんに肩を貸してもらいながら。
心なしかスネ川君のトレードマークであるスネオヘアーが前に垂れ下がっている。
「あっ、スネ川君。足は大丈夫なの? さっき電話で痛そうに話していたけど」
「悪い、足首を捻挫だってよ……って、タクマさん? なんでここに?」
足に湿布を貼ったスネ川君が俺へ不可解な視線を送る。
俺はトム君たちにした説明を繰り返し、それが終わるとスネ川君の怪我した経緯を訊いた。
防衛班のリーダーだったスネ川君は自ら先頭に立ち、壁を越えて乗り込もうとする女子たちを相手にしたらしい。
特定の防衛場所を持たず、各グループを支援する形で動き回り、ゴム弾を撃ちまくって縦横無尽の活躍を見せていた彼だったが……
普段以上に身体を酷使した結果、疲労と地面の凸凹が足かせとなって転び――足を捻挫した、とのことだ。
「しばらく走るのはぁ禁止よん。無理してぇ外に出ようとするならぁんわたしがベッドに叩き込むからねん」
軽い調子で言う筋肉ウーマンの丙姫さんだが、有言実行の凄みが背中から沸き上がっていた。
スネ川君に首を縦に振る以外やれることはない。
「スネ川君の代わりに予備戦力を投入したから大丈夫だよ。お疲れさま、あとはここでゆっくりしてね」
「ちっ、肝心なところで役に立てないとは情けないな、オレ。なんか手伝えることはないのか? ほら、タクマさんが言っていた侵入者探しを協力しようか」
「あれは、見間違えだったよ。柿崎君が言っていたもん。
……………………
…………………………
………………………………嘘だろっ?
トム君とスネ川君の何気ない会話。
そこに潜んでいた悪魔が、俺の心臓を鷲掴みにした。
そ、そんな、バカなっ。
さっきトム君が俺に言った報告と、たった今スネ川君に言った報告は似ているようで、まったく異なっていた。
「と、と、トムくん……」
やべぇ、震えが止まらない。
「正確に教えて! 柿崎君は開かずの間のモニターを見てなんて言ったのっ!? 俺に言った『開かずの間から女子は侵入していない』? そ、それともいま口にした『開かずの間のモニターにはずっと誰も映っていなかった』?」
「えっ……えと」どうしてそんなことを訊くのですか、という顔でトム君は答えた。
「『開かずの間のモニターにはずっと誰も映っていなかった』ですよ」
「携帯貸して!」
言いながらトム君の手の携帯を奪う。
リダイヤルをするには……必死に操作しながら柿崎君の番号を呼び出す。
「ど、どうしたんですか! タクマさん!?」
「なにがそんなにヤベェっすか?」
尋常ではない俺の様子に、慌て出す男子たち。
彼らにも聞こえるように携帯をスピーカーモードにしたところで。
『もしもし……柿崎です』
メガネ君のか細い声が聞こえてきた。
「タクマです! すぐに確認したいことがあります! 答えてくださいっ!」
有無を言わさぬ物言いで、無駄な会話を省く。
『は、はい』
「『鬼ごっこ』が始まって今まで、開かずの間の扉のモニターには誰も映っていないんですか!? 間違いないですか!」
『え、え、はい、そうです』
「ああくそぉ!! ここまですんのかよ!!」
俺はセミナー室の机に拳を全力で下ろした。
ガンと響いた音に、男子たちがビクつく。
「柿崎君!」
『は、はひぃ』
「そのモニターはダミー、映像は偽物です!」
ええっ!?
電話の向こうと、セミナー室から同様の声が上がる。
「俺はさっき開かずの間に行きました。扉を開けて、実際に中がどうなっているか見ました。だから! モニターに俺が映っていないのはどう考えてもおかしいんですよ!」
おそらくあらかじめ用意した『何の異常もない開かずの間の扉の映像』が延々とループされているのだ。
屋内の奥まった場所にあり、人通りが皆無の開かずの間。そこの映像にまったく変化がなくても誰も不自然に思わないだろう。
散々してやられていたのに、またしてもザマスおばさんの恐ろしさを見誤った。
そうなのだ、この施設は男子たちが使う前に仲人組織の手が入っている。
『鬼ごっこ』が計画されたのは男子たちが入居する前だ。
開かずの間は、その意味を隠され、こうやって『鬼ごっこ』中に最高で最悪な仕事をしている。
ならば疑うべきだった。
その開かずの間を監視するモニターが、本当に正常なのかを……
今にして思えば、開かずの間のモニターが、監視員の目の前という絶妙な場所に設置されていたのでさえ、ザマスおばさんの悪意が介入している気がしてならない。
ザマスおばさんめ、こちとらまだ十代の子どもなんだぞ!
子どもに本気を出しやがって、もうちょっと手心を加えてもバチは当たらないんじゃないのか!
「他のモニターの中にもダミーがある可能性があります! 敵はすぐ近くまで来ているかもしれません! 警備ルームは施錠していますか!?」
『ひぃ……い、いえ……』
「すぐに鍵をかけてください!」
ガラッ。
携帯の向こうからドアが開く音がした。
俺が「施錠しろ」と指示したばかりだ、柿崎君たちがドアを開けるはずがない。
柿崎君たち以外の男子はセミナー室か、外で防衛戦を行っている。警備ルームに行けるはずがない。
柿崎君たちではない、他の男子たちでもない。
管理ルームの扉を開けたのは、それ以外の存在だった。
つまり――
柿崎君を含め、管理ルームにいた男子三人の命運は尽きてしまったのだ。
『ぃぃきゃああああああ!!』
『うううわああああああ!!』
『ひぃいぃぃぃいぃいい!!』
セミナー室の男子たちは聞いた。
柿崎君たちの悲鳴を、断末魔を、独身最後の声を。
柿崎ぃぃぃぃぃぃぃ!!
なす
周りの男子は誰も声を発しない。魂が抜け落ちたような顔で呆然としている。
沈黙の時がどれくらい経っただろうか。
ピピッと手の中の携帯にメールが届いた。
その音で俺は我に返る――送ってきたのは誰だ?
文字が読めないため、携帯をトム君に渡す。
「……か、柿崎君からです」
画面を見て、トム君が死にそうな声で呟く。
全員の顔が限界まで
「画像付きのメールみたいです。ひ、開きますか?」
みんなに決定権を
「わかりました……開きま、ひぃぃ!?」
メールを見たトム君が携帯を手放し、尻餅をついた。
携帯が床を滑り、椅子の足に当たって止まる。
「な、なにがあったんだよ、トム?」
スネ川君を始め他の男子たちはおそるおそる床の携帯の画面を見て、
「ひえぇぇぇ!!」と同じような泣き声を上げ、机の下に潜り込んだり、床に背中を丸めて倒れ込んだりする。
たった一つのメールで男子たちの戦意と熱血成分が消え去ってしまった。
セミナー室で立っているのは、俺だけになった。
ちなみに丙姫さんは座り込んで、ハリネズミのように丸まって震える男子の背中を優しく撫でている。
俺は床の携帯を拾い上げ、覚悟を決めて画面を覗いた。
送られてきた画像には二人の人物が映っている。
一人は柿崎君だ。
名画ムンクの『叫び』に描かれた人のように死相の出た顔を晒している。
もう一人は、多分柿崎君をターゲットにしていた女子だろう。
防弾チョッキやものものしい出で立ち、フルフェイスヘルメットを外して見せる表情は、長年追い続けてきた獲物をゲットしたハンター特有の満面の笑顔だった。
完全に対照的な二人は、腕組みをして……手錠という一方的な愛の鎖で手首を繋いでいた。
画像と一緒に届いた文章は、たった一文。
シンプルだったので、俺でも何とか意味を読み解くことが出来――不覚にも俺は、親に毎年届く年賀状を思い出してしまった。
メールには、こう書かれていた。
『私たち、結婚しました♥』
柿崎君たちが
ついに