「この度は、紅華様がご迷惑をおかけてしているようで、大変申し訳ありません」
深々とお辞儀するメイドさん。
礼儀正しく、とても慎ましそうな人……なのに、なぜだ?
自分でもよく分からないが『心を許すな』と第六感が言っている。
「ミスター様、少々よろしいでしょうか? お話があるのですが」
「話、ですか?」
「模擬デートの対応策についてでございます。特に、紅華様へ打ち明けようとしている事柄について……」
なっ!? このメイドさん、俺の心を読んでいるとでも言うのか!? ただ者じゃないな!
うぅむ……ほぼ初対面の彼女の話に乗るのは躊躇してしまうが、聞くだけなら……
「その話とやらを伺いましょう」
「ありがとうございます。そういうことで紅華様、ミスター様をお借りします」
「あたしは聞いちゃダメなの?」
「紅華様についてのご相談でございます。本人がいたら話し辛いものです」
「……わかったわよ」
強気な紅華が大人しく引き下がるとは……メイドさんはただの雇われ人ではないらしい。
紅華が俺たちから離れたタイミングで――
「あなた様は、タクマさんですね?」
メイドさんはいきなりぶっ込んできた。
「……っ!?」
「分かる人には分かるものです」
驚愕する俺を、得意げになることもなく淡々と見つめるメイドさん。
「……そうですか……まいったな」
否定しようとも思ったが、この人に下手な言い逃れは無駄な気がした。時間もないし、素直に認める。
「で、俺の正体がお見通しのあなたが、どんな話を聞かせてくれるんですか?」
「保証をいたします」
「ほしょう?」
「タクマさんは、正体を打ち明けて紅華様にご助力を願うつもりでございましょう? それについての保証でございます。紅華様は必ずタクマさんの力になってくれるでしょう」
なんと……彼女の言葉が事実なら喜ばしい事この上ないが。
「その自信の根拠は?」
「私は長年天道家に仕えてきました。天道家の方々のプロ意識は熟知しております。一度上がった舞台から、たとえどんな理由があろうと紅華様は降りたりしません。また、ミスター様の正体を吹聴するような低劣な行為もしないでしょう」
「なるほど……でも、紅華は俺を嫌っています。『ミスター=タクマ』だと判明すれば、あいつの性格からして暴れて手がつけられなくなる気がしますけど」
「多少の混乱はあるでしょう。けれど言葉を重ねれば、いずれは耳を貸してくれます。説得には私も参加しますし、ご心配なく」
ううむ、信じて良いのだろうか……
メイドさんの発言は整然としていて変なところはないのに、どうしてか不安が拭えない。
「そうだ、それよりメイドさんが俺の相手役をやるのは?」
「非常に魅力的なお誘いですが、主人を差し置いて私がタクマさんの相手をするわけにはいきません。それに私は小心な女でございます。あのような大舞台に上がるなど、とてもとても……」
ほんとぉ? 細い見た目だけど、神経は図太そうに感じるぞ。
「分かりました、紅華に打ち明けます。あなたの言葉、信用しますからね? もしもの時はフォローをお願いしますよ」
「私は誇りある天道家のメイド。虚言は口にしません。どうぞ、タクマさんの思うがままに……うぷぷ」
「うぷぷ?」
「げふげふ、いえいえ何でも。さあ、時間がございません。思いっきりやってしまいましょう」
ちくしょう。やっぱり怪しいぞ、このメイドさん!
「ねえ! まだ話は終わらないの?」
遠くから紅華が待ちくたびれた声を出す。
紅華がこうなのだから、セミナー室の少年少女や公開授業を観る世界中の人々も痺れを切らしているかもしれない。
ええい、時間が惜しい。こうなれば、メイドさんの言う通りにするしかないか。
紅華だって(一応)人間だ。話せば(多分)分かってくれる。
「紅華さん。ちょっと、いいかな?」
「はぁい! お父さんの誘いならいつでもどこでもウェルカム!」
発令直後の『お父さん禁止令』を早々に破りつつ、紅華がリズミカルなステップで接近してくる。
本当に大丈夫なんでしょうね――隣のメイドさんに目で問う。
それに対してメイドさんは静かに頷いてみせた。彼女の口がプルプル震えているように見えるのは、俺の気のせいか?
「これから重大な告白をします。出来るだけ心を落ち着かせて聞いてください」
「告白っ!? 一線越えちゃう系の?」
「違うから」
落ち着くどころか興奮するファザコンに「くそっ、もうどうにでもなれ!」の境地で、俺は爆弾発言を投下した。
「私は……俺は、ミスターではなく、タクマなんだ」
「…………………んん??」
紅華は知らない国の言葉を耳にした人のようなリアクションを取る。要は『訳が分からない』である。
言葉だけでは伝わらないか。だったら……
俺はサングラスを外し、付け髭を取り去り、頭のハットを持ち上げた。
ナイスダンディのミスターの面影は消え、三池拓馬の素顔が白日の下に晒される。
「ほら。見ての通り、ミスターは俺が変装した姿だったんだよ!」
ナ、ナンダッテー!
と驚いてくれれば、こちらとしても対応しやすいのだが。
「もぉ~、お父さんったら」
予想に反して、紅華は破顔した。
「……えっ?」
「ビックリしちゃったよ」
「……く、くれか?」
「お父さんがこんな高い変装技術を持っているなんて知らなかった。ほんと、どこから見てもタクマね」
「いやいや、だから本人だって」
「そんな声まで変わって……でもタクマなんて、お父さんが変装するほどの相手じゃないよ。ねっ、そろそろいつものお父さんに戻ろ。お父さんが凄いのは十分伝わったからさ」
紅華のノホホンとした顔が、焦る俺のカンに
こいつ、意地でも俺がタクマだと認めない気か! いい加減にしろ!
東山院に来て以来、溜まりに溜まっていたストレスと鬱憤が、言っても聞かないファザコンを前にして頂点に達する。
みんなが俺の授業を待っているんだ、これ以上ファザコンのペースに付き合っていられるか! もう手段は選ばんぞ!
俺はバッとスーツを脱ぎ、ネクタイを取り、両方をその辺に放り投げた。
「お、お父さん、どうしたの!? 突然のサービスシーン!?」
驚く紅華を無視して、カッターシャツの前ボタンを開けていき……
「きゃっ!?」
俺は紅華を引き寄せ、肌が覗く自分の胸元に、奴の顔面を押しつけた。
「ふがふがっ」
「どうだ、感じろ! この肌の
「うぷぷしゅぅぅ!!」
すぐ近くからメイドさんの物と思しき奇怪な噴き出し音がするが、そんなことを気にしている余裕はない。
紅華の後頭部を掴み、グリグリと奴を俺自身に擦り付けること十秒。
「これで分かったか。中年男性のミスターでは絶対にここまでの変装は出来ない。俺はタクマだ」
紅華を解放し、ビシッと言い放つ。
「……あ……あ……うあ……」
紅華は、よろめきながらも何とか倒れず踏みとどまった。その顔から血の気が引いている。ようやく、真実にたどり着いたようだな。
「ショックなのは理解している。けど、俺も事情があってミスターの格好をしていたんだ。お前を騙そうとか、悪意があって偽っていたんじゃない」
「…………嘘よ、そんな……嘘だと言ってよ、お父さん」
虚ろな様子で懇願する紅華。勝気な彼女からは想像も出来ない姿だ。
俺は静かに首を横に振り、「嘘じゃない、現実だ」と無慈悲な言葉を告げる。
「……じゃ、じゃあ……あたしが摂取していた『お
さあ、何だろうね? それは本当に知らない。
「……全部、偽物……あたしの、気のせい……せっかく手に入れたと思ったのに……ずっと願っていた安らぎ……」
すっかり自分の世界に入ってしまった紅華をこのままにしておくわけにはいかない。
傷心のところ悪いが、何度も言うように時間がないのだ。
「その、後でいくらでも謝るからさ。公開授業に最後まで協力してくれないか? 男子たちの未来が
「みんな嘘なんだ……嘘……嘘……嘘……嘘……嘘……嘘……嘘……嘘……」
「く、紅華さん。ねっ、ちょっと俺の話を聞いてくれないかな?」
「嘘……嘘……そう、嘘吐きを大人しくさせなきゃ。こんな残酷な嘘を吐く奴を」
これはいけません! 空っぽになっていた紅華の表情に『怒』の感情が芽生えだしている。
血の気の引いた白い顔が、奴の赤毛同様に赤く染まりつつある。
危険だっ!? このままじゃ襲われる!
「メイドさん! 出番ですよ。紅華を説得してください」
もしもの時は自分が説得するから心配するな、と言っていたメイドさんに助けを
紅華にとって彼女は頭の上がらない存在みたいだし、どうにかしてくれ………えっ?
「●REC」
「な、何しているんですか?」
「撮影でございます。お二人のやり取りが思いの
そう言うメイドさんの手にはハンディカメラがあった。つい、と言うわりには準備が良いな。
「悠長なことしている場合ですかぁ! 早く紅華を止めてくださいよ!」
「嘘吐きの処分は……火が良いかな……うん、火葬……火葬
ひぃぃ、すっごいバイオレンスなことおっしゃってるぅ! メイドさん、早く説得して!