『男女比 1:30 』 世界の黒一点アイドル   作:ヒラガナ

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【天道紅華の葛藤】

天高く広がる空が、突然落ちてくるような……

立っている大地が、突然引き裂かれるような……

 

あたしが受けた衝撃はそういうものだった。

信じていたものが、当たり前だと思っていたものが、慈悲の一片もなく壊される。

 

タクマの胸の肌触りが、香りが、あたしのお父さんを壊した。

 

「落ち着いてくれ! こっちにも色々と事情があってだな」

 

必死に弁解しているタクマへ、絶望や激怒や処理しきれない物に突き動かされ、にじり寄っていると。

 

「お待ちください」

 

メイドがあたしの行く手を阻んだ。カメラを下に降ろし、隙のない構えでブロックしている。

 

「……邪魔しないで」

 

「いいえ、ここまでです。撮りがいのあるシーンですが、何事にも限度があります。これ以上は紅華様の人生に関わります。不法侵入ならば軽犯罪で社会復帰可能ですが、男性への暴行は取り返しが付きません」

 

「……っ」

 

「紅華様が重罪人となれば、天道家の評判は地に堕ちるでしょう。人気が出始めている咲奈様の足かせとなり、祈里様の迷走する婚活にトドメを刺してしまいます」

 

「分かってる、それは分かってるけど……」

 

理屈と感情は別。初めて身を委ねられるお父さんと出会ったのに、よりにもよってそれがタクマだったなんて……

こんなのってないよ、あんまりだよ。

 

「――タクマさん。少し席を外していただけませんか?」

 

「いや、けど」

 

「お時間がないのは承知しております。すぐ済みますから」

 

「……はい」

 

メイドに言われ、タクマが廊下の隅へと移動した。

 

「紅華様」カメラを仕舞ったメイドがあたしの両肩を掴む。

あっ、久しぶりにされたな、これ。不意にそう感じてしまった。

 

幼い頃、芸能活動で忙しいお母さんたちに代わってメイドがあたしたち姉妹の面倒を見ていた。

血が繋がっているだけの旧お父さんに構ってもらえないあたしが物に当たったりしていると、「いけませんよ」とメイドが両肩を掴んで注意していたっけ? 屈んで幼いあたしと目線を合わせて丁寧に。

 

「物に感情をぶつけるのは美しくありません。ストレス発散は、もっと倒錯的にやらないと(たの)しくないのですよ」

 

メイドの言う事はたまによく分からなかったけど、あたしの事を想っているのは確かだった。

 

 

急に湧いた懐かしい気持ちが、激情にブレーキを掛け、メイドの話に耳を傾ける余裕を生ませた。

 

 

「なによ? タクマを許せって言うの?」

 

「タクマさんは公式には休養中。姿を明かせない事情があったのでしょう。勝手に父親認定してストーカーしていた紅華様に断罪する権利はありません」

 

「むぐっ」

 

「それより前向きに考えましょう。これは『体験版』なのです」

 

体験版……?

 

「タクマさんとて何時(いつ)までも若さを保つことは出来ません。歳を重ねて、いずれは渋みのあるダンディな男性へと変わっていくでしょう」

 

「渋みのある……ミスターさん(お父さん)のような?」

 

私の問いに、メイドは廊下に捨てられた付け髭を一瞥(いちべつ)して言う。

 

「ミスター様はあくまで体験版……作られた存在です、真に歳を重ねた正式版のタクマさんとは比較になりません。正式版には、体験版になかった曲がり角な肌触りや漂う加齢臭、何より人生経験から生まれる温かみが追加されて、より完成度が高まるでしょう。ミスター様より数段上のナイスミドルです」

 

そ、そんな、お父さんを超えるナイスミドルが……

 

「で、でもそれはあなたの勝手な予測でしょ。タクマが思い通りにダンディ化するなんて分からないじゃない」

 

「ええ、ですから……タクマさんを天道家に婿入りさせましょう。妻の立場でしたら、夫のコーディネートが出来、思い思いにタクマさんをダンディ化することが出来ます。マイ・フェア・ダンディ作戦です」

 

「ば、バカ言わないで! 嫌よ、いくらあいつのダンディ化をコントロールが出来るからって結婚なんて」

 

「考えてもみてくださいませ。タクマさんと結婚し、彼との間に紅華様たちがお子を()せば、タクマさんは正真正銘の『父親』になります。父性フェロモンを大量放出しながら子育てする彼は、さぞかし魅力的でしょう。まさにパーフェクトダディです」

 

「ぱーふぇくと、だでいぃ……」

 

あたしの脳裏に、自分の娘を膝で寝かしつけるタクマの姿がよぎった。中年で顔に皺があるが、逆にそれが表情に人間味を持たせ、父としての色気を増大させている。

 

『おっ、ママも膝枕されたいのか? いいよ、ちょっと待ってて』

 

そう言って、可愛らしく眠る娘をベッドに運んだ後……タクマはあたしに膝を差し出して。

 

『おいで、仕事で疲れているんだろ。パパの膝でゆっくりお休み』

 

輝くタクマの膝があたしを強制的に子どもへ戻す。

逆らえない……あたしは吸い寄せられるように、タクマの膝に自分の頭を――

 

 

 

「ふんっ!?」

 

――自分の頭を廊下の壁に叩きつけた。ゴンと鈍い音と振動が脳内に響く。

 

「ヒエッ!?」

離れた所からタクマの驚く声が聞こえる。

痛ッ……あ、危なかった。一瞬トリップして、屈辱的な想像をしてしまった。

 

なに考えているの、あたし!

相手は憎むべきタクマよ! 男ってだけでチヤホヤされていて、実力も二流のエセアイドルよ! 

心に決めたじゃない、あんな奴に屈しないって!

 

「いかがしました紅華様? 急に頭突きなどと、ロックなことをなさいまして?」

 

メイドがニコニコしながら尋ねてくる。むかつくっ!

 

「……何でもない、あたしは正常よ。ともかく、正式版タクマの件は置いておくとして、この舞台をチャッチャと終わらせましょう」

 

「そうでございますね。模擬デートを成功させ、タクマさんの好感度を稼ぎませんと、結婚フラグが立ちません」

 

「フラグは関係ないわよっ! あたしは名高い天道家の一員として、仕事をやりかけにしないだけ。それだけ!」

 

タクマと模擬デートをするなんて冗談じゃないけど、これって世界で放送されているわけだし。

このまま放り出したら、世界で活躍しているお母さんたちの顔に泥を塗りかねないし。

つまり、タクマの好感度とかどうでも良い! 天道家の事情を優先して、あたしは舞台に戻るだけなんだからっ!

 

 

「タクマ、話は決まったわ! 正直、これ~~っぽっちもやりたくないけど、あたしはプロよ。仕事は全うするわ」

 

「お、おう……本当にありがとう。後で正式にお礼するから」

タクマが猛獣に接するように、おそるおそるあたしの方へ来る。せっかく協力してやるって言ったのに失礼な!

 

「ったく、早くセミナー室に戻るわよ」

 

「あっ、ちょっと時間をくれ」

 

「なによ? みんなを散々待たせているのよ、つまらない用事なら後にして」

 

「いや……ほらさ、またミスターの格好をしないと」

 

タクマが慌てながらスーツを着直し、放り投げていた付け髭やサングラスを拾っている。

 

「えっ……なるの? お父さ……あ、ミスターに」

 

「そりゃミスターの公開授業だからな。タクマが現れたら大パニックだろ」

 

そうだけど……そうなんだけどぉぉぉ!!

 

「うしっ、準備完了だ」

タクマが再びお父さん、じゃなかったミスターになった。

 

あれほど恋い焦がれていたミスターだけど、中身がタクマだと分かった今、あたしの心は――

 

「行くぞ、紅華」

タクマがあたしの手を握った。

 

「うん! ……って、なに触ってんのよ!」

 

「いいっ!? わ、悪い。デートの続きをやるから、つい手を……」

 

「舞台以外で気安く、さ、触るんじゃないわよっ」

 

はぁはぁ……心臓の鼓動が激しい。

これは――怒りよ。

お父さんと手を繋いで喜んだんじゃない、タクマと触れ合ったから身体が拒否反応を起こして……それで、ドキドキしているんだ。そうに決まっている。

 

「すまん、気をつける」

タクマが、いじらしく頭を下げてくる。

 

「わ、分かれば良いのよ……」

おのれぇ、お父さんの格好で謝られたら、これ以上強く言えないじゃない!

汚い、流石エセアイドル汚いっ!

 

「紅華様、タクマさん。お二人のご活躍を心からお祈りしております」

 

これ以上ないほど晴れやかな顔をするメイドに送り出され、あたしとタクマはセミナー室へ進む。

 

 

その道すがら、タクマが囁く。

 

「色々迷惑かけてごめんな、もう少し付き合ってくれ。よろしく……紅華」

 

付き合う……っ!?

ふん、そんな嬉しい言葉であたしをヨイショしようだなんて、舐められたものね。

 

あたしは、天道家の天道紅華よ!

絶対、あんたなんかに屈したりしないんだから!


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