由良様をハグしていると。
「な、な、ナニをなさっているのですか拓馬さあああん!!」
焦りに焦った祈里さんが俺の背中に抱きついてきた。そのまま俺と由良様を引き剥がし――
「やひいいい!! 拓馬さんとディープな一次接触ぅぅ!! ありがとうまああすすすごめんなさああいいい!!」
と悲鳴か喜鳴か判別の難しい声を上げてバタンと倒れた。
「お父さんの馬鹿! よその女に手を出す前に、娘に手を出さないでどうするのよ! お父さんの初めては娘のものなのよ!」
娘化した紅華さんが般若の形相で詰め寄ってくる。
娘がいる時点で初めてじゃないと思うんだけど、これもうわかんねぇな。
「タッくんは急に発情するようなハレンチな子じゃないよ。
目からハイライトが消えた咲奈さんが、メイドさんの方を見る。
「ヒエッ。いえ、咲奈様、こ、これは趣味と実益を兼ねた作戦であって……その、如何にも
手帳を開き何やらメモを取っていたメイドさんが、しどろもどろに言っている間に――
「アッアッアッ……ああああぁぁぁぁあああああああああ!!」
巫女さん特有の垂髪が乱れ、テレビからこんにちはのホラー映画ヒロインになった由良様が、いずこかへと走り去っていた。それも人間とは思えないスピードで。
ゆ、由良様って意外と運動が出来るタイプなんだな。
やがて由良様の走り去った方角から、岩を砕くような音が聞こえてくるのだが……天道家や中御門家の使用人さんらが大混乱している中、そんなことに注意を向ける余裕など俺にはなかった。
慌ただしいご挨拶から一時間後。
由良様はお顔を上気しながらも清楚に返り咲き、
祈里さんは胸を押さえながらも復帰し、
紅華さんと咲奈さんのファザコンとブラコンはひとまずナリを潜め、
俺はメイドさんに騙されたことを知って皆さんに謝罪し、
メイドさんは「お茶目な方なのですね。ワタクシはまったく気にしていませんから。むしろグッジョ……こほんこほん、寛大な処置をしてくださいませ」という由良様の擁護もあり大幅減給で済まされ――
色々な人に傷を与えながら、やっと本題へと話は進み出した。
「ここが、晩餐会の会場か」
中御門家には、母屋の他に国際色豊かな離れや迎賓館がある。その一つの施設で、本日晩餐会が開かれることになっていた。
細かい事情は省くが、今夜ここに来るゲスト団体を満足させなければ不知火群島国が進めている国際プロジェクトに支障が出るそうだ。
俺たち天道家は、その晩餐会の盛り上げ役として国から直々に依頼を受けたわけである。今までで一番大きな仕事だ、気張るぞ! 俺たちを起用してくれた由良様の信頼に応えるためにも! そして、誤って抱きしめてしまった詫びのためにも!
「まっ、拓馬さんは食事をしながらゲストと話していればいいから。いつも通り
「そうそう。拓馬お兄ちゃんは無理せずに楽しんで。私たちの応援もしてくれると嬉しいなっ」
「由良様からの希望があったとは言え、多数の女性ひしめく場に拓馬さんを呼んでしまい、プロデューサーとして申し訳ありませんわ。早めに切り上げますので、しばしご辛抱くださいませ」
天道家の皆さんに悪気はないのだろうが、俺のやる気に水を差さないでほしい。
祈里さん、紅華さん、咲奈さん。三人にはゲストを喜ばすために歌を披露することになっている。天道家の屋敷で練習しているのを聞いたが、三人は演技力だけでなく歌唱力も群を抜いていた。天は二物を与えない、というのは嘘っぱちだ。天は彼女らに幾つ与えているのだろうか。せめて歪んだ性癖だけは与えないでほしかった。
夜の
「タクマさんこそ生きる芸術ね。眼福だわ!」
「海外デビューはお考えになっていますの? ぜひとも我が国に!」
「結婚なさっていらっしゃないと言うのは本当? えっ、個人情報は言えない。そこを何とか!」
困った人もいるが、俺の一般的なファンに比べれば大人しいもんだ。車に張り付いたりしないし、ルパンダイブで襲って来ないし。
適度に相手をしていると、由良様が壇上に姿を見せた。
「ご歓談のところ、失礼いたします。今夜は我が不知火群島国が誇る芸能界の大家・天道家の方々による歌をご用意しております。皆様、ごゆるりとお聴きくださいませ」
簡単な紹介が終わり、由良様と入れ替わりに天道家三姉妹が登場する。
不知火群島国の民族衣装、晴れ着のような色彩豊かな着物に袖を通し、髪にカンザシを刺して装飾を施す三人。普段の外見を見慣れている俺でも、彼女たちの日常と異なる一面に胸の鼓動が早くなる。
祈里さんも紅華さんも咲奈さんも本当に美人なんだよ。何も知らなかったら惚れるに決まっている。ちくしょう、どうして中身がアレなんだ。もったいなさ過ぎて悔やんでも悔やみきれないぞ。
祈里さんたちが歌うのは流行歌ではなく、過去から現在に至るまで長い時を愛されてきた伝統歌である。不知火群島国の文化や魂を表現していると言っても大袈裟ではないだろう。
同じ歌詞ながら合唱のように最も高いソプラノを咲奈さん、アルトを祈里さん、ハスキーボイスの紅華さんがテノールに相当する低音を歌い上げていく。姉妹だけあって息はピッタリだ。完璧に調和された音が耳を楽しませ、観客たちが思わず「ほわぁ」と感動のままに声を漏らす。
すげぇ、練習の時よりクオリティを上げているじゃないか。
大一番の緊張すら力に変えるとは……
畏怖と憧れと好意と、たくさんの感情に翻弄されて頭がクラクラする。
これがトップクラスのアイドル、俺が目指すべき頂き。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「お疲れ様です。言いたいことがあり過ぎて、上手く言葉に出来ませんけど……俺、祈里さん、紅華さん、咲奈さんを尊敬します。本当に素晴らしくて美しかったです」
「う、うつくしっ! ひぃぃ、し、心臓がぁぁ」
「ようやく拓馬さんにもあたしの偉大さが分かったようね。感動料は膝枕で手を打つわよ」
「たくさんのお客さんに見られたから疲れちゃった。拓馬お兄ちゃん、今日は一緒に寝てもいいかなぁ?」
一仕事終えた三姉妹を熱烈に迎えていると。
「おーーっほっほほ! 噂に名高い天道家! ワタァシの芸術センサーにビンビンくる出来でしたよ!」
なんか変な人が会話に割り込んできた。
髪を蜘蛛の巣のように四方八方に広げている。メイクもドレスもど派手で目に悪いぞ。
「バタフライ婦人だわっ! 今夜もご機嫌な衣装に身を包んでいるのね! 相変わらずの狂ったセンスだわっ!」
「天道家と拓馬さんの
「でも、芸術に対する目利きも天下一品だから扱いが面倒だわっ!」
周囲の声を聞く限りでは、ゲスト団体でも持て余す問題な人物のようである。
「楽しんでいただけたようで、何よりでございます」
変人から妹たちを守るように前に出て、祈里さんが大人な対応を取る。普段はヘタレていても祈里さんは長女なのだと再認識して、俺は感心した。
「ただぁ、ブレチェ国で聴いた歌の方がワタァシ的にポイント高いですねぇ!」
「「「っ!」」」
天道家三姉妹の顔が強ばる。
「そんな! 今の歌より上? 信じられませんよ」
沈黙する姉妹に代わって俺は声を上げた。
ブレチェ国というのは、正式名称がブレイクチェリー女王国。不知火群島国から海を挟んで西にある大国であり、ゲスト団体がここに来る前に審査した国だ。国際プロジェクトはブレチェ国か不知火群島国のどちらかが担うということで、両国はライバル関係にあった。
「おや、タクマさんは知らないようですね。ブレチェ国の歓迎パーティーで歌をうたったのも天道家なのですよぉ」
「えっ? 天道家ってここにいる祈里さんたちじゃ……あっ!?」
いや、天道家は祈里さんたちだけじゃない。他にもいた!
「そうです。ここにいる天道家の母親たち。先代の天道家がブレチェ国でワタァシたちを歓待してくれました。芸歴の差というものは歌に出るものですね。どちらの歌も素晴らしかったですけど、軍配を上げる方を迷うことはありません。おーっほほっほほ!」
高笑いを上げ、言いたいことだけ言ってバタフライ婦人なる怪人は離れて行った。
俯く今代の天道姉妹と俺がその場に残される。
「な、なんで祈里さんたちのお母さんがブレチェ国側に着くんですか? こんなのおかしいですよ」
「母たちがブレチェ国の晩餐会に出た、との情報は聞き及んでおりました。それに負けないよう歌ったつもりでしたが……すみません、拓馬さん。少し夜風に当たってきます。ほら、紅華に咲奈。行きますわよ」
俺と話をしたくないようで、祈里さんは消沈する妹たちを連れて出口の方へ歩いて行った。
「くそっ」
苛立ちを隠しきれない。先代の天道家、どうして娘たちの邪魔になることを……
このままじゃ、国際プロジェクトはブレチェ国が担うことになる。負けた原因が祈里さんたちにある、とはならないだろうが現天道家の看板に傷がつくかもしれない。
「よろしいでしょうか、三池様」
これまで壁際の置物と化し、目立たぬよう気配を殺していたメイドさんがやって来る。
「……教えてくれるんですか、どうしてこんな事になったのか」
「ダンゴの方々には遠方警護に切り替えてもらいます。内密の話ですので場所を変えましょう」
会場の隣、酔ったお客の介添えに使うであろう別室に俺とメイドさんは移動した。
「先代様は今の天道家に対して、良い感情を持っていません」
常日頃「うぷぷ」と愉悦を楽しんでいた人と同一人物とは思えない。それくらい憂いのある瞳でメイドさんが語り始める。
「分かりません。祈里さんたちに何か問題があるんですか?」
「あなたでございます、三池様」
「お、俺?」
「先代様たちには、今の天道家が次代を遺すことを軽視して、三池様に熱を上げているように見えるのでしょう。伝統を重んじる先代の方々には看過出来ないことでございます」
「なん、ですってっ……」
「天道家三百年の歴史は三池様が思っているよりずっと重いのです」
現代日本では家より個人を優先しがちだ。自分の家のために他家の見ず知らずの異性と結婚する、なんていうのは今は昔の話である。
そんな常識の中で育った俺にとって祈里さんの婚活は「大変そうだなぁ」と感じるものの、危急なものと捉えてなかった。でも、本当はかなり深刻だったんだ。
「事前に不知火群島国側のホストが祈里様たちと知った先代様たちは、ブレチェ国に手を貸しました。目的は警告のためでございます」
「警告?」
「祈里様たちの鼻っ柱を折ることで、紅華様と咲奈様には男に
叶わぬ男。胃に来るワードである。
「俺があの屋敷から出て行く方が、祈里さんたちのためになるんでしょうか?」
「先代様は、そう思っているのでしょうね」
気付いた。メイドさんの手が硬く握られ震えている。怒りで震えているのだ。
「メイドさん……あなたの立ち位置はどっちなんですか。先代側なんですか、それとも」
「私を天道家のメイドに雇ったのは先代様たちです。恩義を感じたことは一つや二つではありません。しかし、今の私の主人は祈里様であり紅華様であり咲奈様であり……歌流羅様でございます。あの方々が幸せになることこそ、私の本懐です」
その時、メイドさんが見せたのは『母親』の顔であった。先代の天道家の面々は、年少の祈里さんたちの世話をメイドさんに丸投げして芸能活動に集中したという。メイドさんが母親代わりとなって今の天道家を育ててきたのだ。
「三池様、あなたは悩んでいらっしゃいますね。祈里様たちを助けたい。ですが、結婚する気のない自分が手を差し伸べて良いものかと」
「……はい」
お見通しか。人の心を読むことに関して、メイドさんは一流だ。
メイドさんは「――ふっ」と一瞬、不敵に笑った。
「私が手塩に掛けた子どもたちを舐めないでくださいませ。三池様が如何に拒もうとも、あの子たちはあなたの心に潜り込んできますよ」
「いいっ!?」
「現に、今まで何度もときめいたでしょ? 先ほどの歌の時など頬を赤らめておられましたよ」
「み、見てたんですかっ!?」
「それはもうバッチリと。うぷぷ、三池様はご自分の思うままに行動してくださいませ。どう転ぼうと、祈里様たちはあなたの前に立ちはだかりますから」
「ああもう! ったく、俺を落とそうと言うならどうぞご自由に。けど無駄ですよ、天道家に屈したりしませんから!」
「いいですね、そのフラグ発言。私は好きでございますよ」
おのれ、減らず口を。
「思うことは色々ありますけど、今は祈里さんをフォローするのが先決です。晩餐会は終わっていません。メイドさん、まだ祈里さんたちの催しはありますよね?」
「はい! 晩餐会のフィナーレにもう一曲歌うことになっています」
「じゃあ、そこが仕掛け所ですね。次は俺も参戦します」
「三池様っ」
愉悦する時の邪な笑みじゃない。純粋に微笑むメイドさんに微笑み返す。
「今代の天道家のフルパワーをゲストの皆さんに、ついでに海の向こうの天道家に見せつけてやりましょう!」