「素敵な脚本を書いたのにボツにしたそうね。『親愛なるあなたへ』だったかしら、テレビ局の方が嘆いていたわよ。ねえ、あたくしにも読ませてくださらない?」
やはり目的は、あの脚本か。
「お目汚しの駄作です。ボクとしては自分の恥を広めることは避けたいんですけど」
「傑作か凡作か駄作かはあたくしが判断するわ。元来、自分で見たものしか信じないことにしているの。さあ、見せて」
押せばボクが折れる、そう計算している顔だ。積年の恩とは厄介極まりないな。忌々しく思いながらボクはカバンからメモリーカードを取り出して渡した。
「ありがとう。早速、確認させてもらうわね。寸田川さんはこの後、時間ある?」
「……もう帰って寝るだけでしたから、あるにはあります」
「枯れた発言ね。今晩はあたくしの奢りよ。付いてきて」
その人はタクシーを停めると、世界のグルメ本に載ったこともある三ツ星店へボクを連れて行った。予約は取っていなかったが、その人を見るなり店長が血相を変えて奥の個室を用意する。不知火群島国を離れて何年にもなるのに、相変わらず抜群の知名度だ。
個室のテーブルに手持ちの小型PCを置き、その人はボクのメモリーカードを挿した。
「このデータね。ふぅん……」
と言ったきり黙り込む。店員が注文を聞きに来ても無反応のため、ボクが適当にオーダーした。
黙々と読む顔を見ていると、嫌な予感がふつふつと湧いてくる。
この流れはまずい。何とかしないと。
前菜が運ばれたタイミングで、その人はPCの画面から顔を上げた。
「これを未発表に……本気なの?」
容赦のない視線が痛い。
「つまらない作品です。毒がなくて味気ないでしょ」
「普通の人間は毒を拒絶するわ。味わうなんて変態の所行よ。寸田川さん、あなた変わったわね」
「変わっていません。本来のボクに戻っただけです」
「……まあ、いいわ。思わぬ収穫ね。この脚本は使わせてもらうわよ」
くっ、嫌な予感が的中だ。
「困ります。それは日の目を見てはいけない代物です」
「どうして? 大陸を股にして活躍するあたくしが断言するわ。『親愛なるあなたへ』は世界トップレベルよ。成長したわね、誇りなさい」
「で、ですが」
「この脚本、黒一点アイドルのタクマ、さらにあたくしが加わればフロンティア祭は勝ったも同然だわ。寸田川さんの名は世界中に轟く。何が不満なの?」
「それは……」
毒のない話はボクの主義に反するし、タクマ君の童貞が美しく散るなんて見るに耐えない。と言っても理解してくれないだろう。
煮え切らない態度のボクに、その人はため息を一つ吐いた。
「寸田川さんと出会ったのは十年くらい前よね。当時のあなたは無名の脚本家。実績一つなかった。そんなあなたの才覚を見出し、積極的に雇用して、プロデューサーたちからの覚えを良くしたのは誰だったかしら?」
「…………」
「恩着せがましい言葉で不快よね、ごめんなさい。でも、あたくしにも事情があるの。不出来な娘たちの意識を変えるためにも、『親愛なるあなたへ』は利用させてもらうわよ」
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
「えっ!? やっぱりあの脚本を採用するんですか?」
「せや、テレビ局のスタッフはんが言うてきたわ。誰かが寸田川センセを説き伏せたみたいやな」
世界文化大祭のPR映像の収録を終え、炎タメテレビの控え室で休憩していた俺の下にその情報はもたらされた。
「しかも、母親役が決まったそうやで」
「っ、もうですか!?」
座布団に落ち着かせていた身体を無意識に起こしてしまう。
「ねえねえ、静流ちゃん。母親って重要な役なんだよね。そんなに早く決まるものなの?」
「今回の作品はフロンティア祭に出展するもの。本気で制作するならメインキャストはオーディションを重ねて慎重に吟味するのが普通。だが、プロデューサーや脚本家が始めから適役を選んでおく場合、話は違ってくる」
「へえ、よっぽどピッタリな人がいたのかな?」
「四十代の役者……母親……国を代表するレベルの演技力……まさか、いやそんな……」
再採用された脚本に、突然決まった母親役。
俺の知らないところで何が起きているんだ――と訝しんでいると。
「失礼します。拓馬さんに面会を求めている者が二名やって来ました」
どこにでも出没するパンツァー対策として、控え室前の廊下で警備に付いていた組員さんが入室してきた。
「誰なん?」
「一人は寸田川先生で、もう一人は母親役に就任された方で名前は――」
組員さんが口にした二人目の名前に、俺たちは硬直した。意外にも程がある。
戸惑うものの顔を合わせなければならないだろう。相手は俺の母親役になる人なのだ、きちんと挨拶しなければ。
「分かりました、会います」
「では、お通しします」
一度組員さんが廊下に引っ込み、数秒後。再び控え室のドアが開き、寸田川先生とその人が入ってきた。
「あっ」
これはデジャヴ。初めて会うのに既視感を覚える。
当然と言えば当然か……先日この場所で、俺は彼女の娘に会っているのだから。
その女性は、天道祈里さんと同じ優美なブラウンヘアーをなびかせ、瓜二つの顔をしていた。しかし、艶はマシマシで何よりパンツァーのように挙動不審の欠片もなく堂々と振る舞い――
「タクマ! 会いたかったわ、お母さんよ~」
いきなり両手を広げて俺を抱きしめにかかった。
「このぉ舐めんな!!」
が、そんな大振りを見過ごすダンゴではない。音無さんが割って入り、女性の腕を掴もうとする。
「あら、危ない」
すんでのところで腕を引っ込め、バックステップする女性。半秒でも離脱が遅ければ、音無さんに腕を取られ畳に押さえつけれ関節を極められただろう。
「っ、あたしの攻撃を躱すなんて……でも、これ以上来るなら折りますから、その手」
「ふふ、こわいこわい。優秀なダンゴを抱えているのですわね。男性でアイドルをしているけれど、貞操知らずではないと」
ギリギリで助かったにも関わらず女性は涼しげに評価している。
「あんたなぁ! 拓馬はんを襲おうやなんてええ度胸しとるやん!」
「ごめんねさい、ちょっとしたジョークですわ。本気で抱きしめるのなら隙を突いてやりますし、あくまで寸止めする気だったわ。嘘じゃないの、寸ハグよ。タクマ君の緊張を
「え、ええ。少しは」
本当は全身が固まったけどな。
「おほん、では改めまして――」
母娘だからか、女性は祈里さんと同様にスカートの裾を摘まんで丁寧なお辞儀をした。
「『親愛なるあなたへ』でタクマ君の母親役を務める