『男女比 1:30 』 世界の黒一点アイドル   作:ヒラガナ

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【もう一つの目覚め】

あたくしには、切磋琢磨して互いを高め合う良きライバルがいました。

こちらが才と環境に恵まれた一方、あの子は一般家庭の出自で特別な才能はなく……いえ、努力を続けることを才と呼ぶのなら、彼女は天才だったかもしれません。

目を見張る練習量でメキメキと頭角を現す彼女に、この天道美里ともあろう者が畏怖を覚えたものです、屈辱だわ。

しかし、彼女は出産を機に芸能界を引退。芸能界の頂上決戦とも言える熱い闘いは、驚くほどあっさりと終わりを告げました。

 

「産休を取るのは分かるわ。けれど、引退までしなくても」

あたくしは家庭に収まった彼女に問いました。

 

「美里さん。私にとって役者は生き甲斐でした。でも、そんなことより濃密な生き甲斐を見つけてしまったの」

 

彼女は『生き甲斐』を大事そうに抱え、あたくしに見せつけました。

 

「この子を四六時中()でる! もう私の頭にはそれしかないのよ!」

 

あたくしのライバルは、『男子』を産んだのです。男子を出産する確率は3%程度。彼女は豪運の持ち主でした。

 

「あたくしにも祈里()はいるし、とても大切な宝物よ。だけど、ファンを切り捨ててまで家庭に入らなくても……母と役者、両立は出来るわ」

そう説得しても。

 

「性別に関係なく子どもは宝、それは当然のことよ。でも、男子は何か異なるの。こう……母性と肉欲が一気に満たされるお得感と言うか、言葉に出来ない多幸感で胸が一杯になるの。ああ! 口で説明するのが難しい! とにかく私はもうシャバの暮らしは出来ない! この子から離れたら狂ってしまうもの!」

 

理解出来ないわ。

天道家は生まれた瞬間から『芸』に生きることを宿命付けられる家系。夫のことはもちろん愛しているし、密室で二人きりになると身体が勝手に足払いを仕掛けマウントを取りがちだけど、だからと言って『芸』を忘れるなんてありえない。ましてや『芸』を捨てるなんて……

あたくしという人間は『芸』を支柱として立っています。それが揺らぐことなど、あるはずがない……そう思っていました、タクマ君が現れるまでは。

 

 

 

 

 

「お母さん」

 

嫌ああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! 

 

タクマ君からお母さん認定を受ける度に、自分が自分ではなくなっていく。人間の細胞の多くは数十日から数年で入れ替わると聞くけど、あたくしの細胞はこの短時間で一気に変化し、ニュー天道美里となろうとしている。

お、恐ろしいっ! タクマ君の手によって……この場合は声だけど、それによって自分が作り替わってしまう。自分が何者かに刻々と変わる感覚。恐怖ってレベルじゃないわ!

 

「も、もういいわ。おしまいよ」

読み合わせなんて続けていられない。これ以上、タクマ君に『お母さん』されたらスクラップ&ビルドで再誕しちゃう!

 

あたくしはお手洗いに逃げ込み、洗面台の前で何度も火照った顔に冷水を浴びせました。メイクが取れてしまうけど、人間性が取れるより万倍マシ!

不意にかつてのライバルの顔が浮かびました。

そう……長い時を経て、分かったわ。あの子も『男子』だけが持つ魅了攻撃にやられたのね。受け続けて『息子を愛でるだけの生物』になってしまったんだわ。

 

「はぁはぁはぁ……負けられないのよ、天道美里。あなたの双肩に天道家の未来が懸かっている。心に防壁を敷いてお母さん化を防ぐのよ!」

あたくしは洗面台の鏡に映る不安そうな女に、何度も暗示をかけるのでした。

 

――が。

 

「母さん! いよいよ本番だね! 緊張するけど、母さんが一緒だもの。俺、全力で頑張るよ!」

 

「任せなさい! お母さんがいれば百人力よ。何もかも委ねていいわ――はっ!? ち、ちがっ! 違うの、タクマ君! あたくしは正常、ごく普通のワールドワイドな役者よ!」

 

「ねえねえ、母さん。読み合わせしていたらお腹が減ってきちゃった。母さんの手料理を食べたいなぁ~」

 

「まあ、本番前なのにこの子ったら。仕方ないわね、久しぶりにあたくしが腕によりを掛けてサービスサービス――はっ!?」

 

暗示とは何だったの!?

タクマ君にお母さんと呼ばれただけで舞い上がり、彼が好きな料理は何かしらと嬉しそうに考えて……ま、まさかもう手遅れ!? 変化完了? あたくしはタクマ君のお母さんになってしまったの……そんなのヤッター、じゃなかった嫌あああああああぁぁぁぁ!!

 

再びお手洗いまで撤退し――

 

「あたくしとタクマ君は赤の他人。あたくしとタクマ君は赤の他人。あたくしとタクマ君は実の親子。あたくしとタクマ君は赤の他人。あたくしとタクマ君は赤の他人。あたくしとタクマ君は赤の他人。あたくしとタクマ君は真の家族。あたくしとタクマ君は赤の他人。あたくしとタクマ君は赤の他人。あたくしとタクマ君は深愛の母子。あたくしとタクマ君は赤の他人。あたくしとタクマ君は赤の他人。あたくしとタクマ君は赤の他人。あたくしとタクマ君はベストマッチファミリー」

 

あたくしは何度も自己暗示をかけ直すのでした。

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

 

どれほど拒もうと時間は流れるもの。ついに『親愛なるあなたへ』のパイロットフィルム、その撮影が始まりました。

 

序盤はまだ安全です。なにしろ、息子の幼少時代という事で、タクマ君の役を子役が担うのですから。

 

「おかぁーさん!」

見た目を男の子に寄せるため、短髪で半ズボン(重要)になった幼女があたくしに懐きます。しかし、いくら外見を似せようとしても、あたくしの母性はシンと静まったまま。

 

「わぁい、おかぁーさんとお出かけ! うっれしぃ!」

子どもの武器である愛嬌を振り回してあたくしの母性を突きに掛かっていますが、ちゃんちゃらおかしい。作られた可愛さなんぞ、天然物であるタクマ君産の足元にも及びません。

やはりあたくしの母性をイキイキさせるのはタクマ君だけなのね……

 

ちなみに子役はタクマ君との接触を厳しく制限されています。『男の子』役は性欲より理性が強い『キセキの年代』でなければ演じられません。でも、タクマ君と遭遇すればキセキの年代は終焉を迎え、思春期が到来するのが世の(ことわり)。貴重な『男の子』役を失わないよう撮影現場には配慮が行き届いています。

 

 

「次はシーン5です。タクマさんは準備をお願いします。興奮抑制剤を飲み忘れたスタッフはいませんか? 暴走した場合は南無瀬組に排除されますのでご注意ください」

 

ADの声で現場に緊張が走ります。

タクマ君を襲わないようスタッフは既婚者を中心に集めたけど、裏目に出たかもしれません。

あたくしが浅はかでした。タクマ君と息子役、この組み合わせは既婚者を殺しにかかる禁術だったのです。一撃喰らえば、タクマ君を産んで温かい家庭を作ってきたかのように錯覚し、自宅にお持ち帰りたくなるでしょう。恐るべき幻術だわ。

 

「み、美里さん。どうか平常心でお願いします、ほんと心を平静に」

どうしてか警戒態勢のタクマ君が、撮影セットの中に入ってきました。

 

読み合わせの時と違い、タクマ君は部屋着の上からエプロンを掛けています。彼の初登場シーンは台所に立って会社帰りの母を温かく迎える、というもの。尊すぎる姿に網膜が焼き切れそう。

小さかった我が子が母親を支えるべく家事を一手に引き受ける。息子の成長が強く感じられ感じちゃう名シーンだわ。

 

「シーン5、スタート!」

監督の掛け声からすぐに。

 

「お仕事お疲れ様、お母さん!」

エプロンを揺らし、玄関 (セット)まであたくしをお出迎えするタクマ君。もうこの時点で、仕事の疲れが完全消滅すること請け合いです。

 

「今日の夕飯はね、お母さんの好きな野菜スープだよ。栄養満点、僕の愛情も満点で美味しいよ~」

「あら~、野菜スープまで料理出来るようになったのね。もう、お母さんより料理上手なんじゃない?」

 

会話していてジワッと目頭が熱くなります。なんて……なんて出来た子なの。

あたくしの家に連れ込み、とことん愛でたい。夫も加えて食卓を囲むの。夫とタクマ君が和気あいあいと作った御馳走で舌鼓を打ち、三人でお風呂に入って、最後は大きな布団に親子水入らずで眠りにつく。はぁはぁはぁ、想像しただけで昇天モノだわ……って、しまった!?

 

あれほど自己暗示でタクマ君は他人だと戒めていたのに、気付けば幸せ家族計画を立てているだなんて……やってくれるわね、タクマ君。

この天道美里を手玉に取るとは、あなたはあたくしにとって、いえ天道家にとって最大の敵だわ!

 

 

役者であり前当主としての矜持にかけて、あたくしは死力を尽くして闘いました。

加減を知らないタクマ君の攻撃は苛烈を極めましたが、あたくしは負けません。敗北は天道家の滅亡へと繋がる道。ご先祖様たちが不断の努力で築き上げていた栄光を無にし、これから羽ばたいていく紅華や咲奈の未来を閉ざすわけにはいかないのです!

 

 

 

「シーン7に入ります。美里さんとタクマ君は準備してください」

 

体感時間で数十時間にも及ぶ山場を越え、撮影は終盤に差し掛かりました。

厳しい闘いでしたが、ここまで来れば勝ったも同然です。

結婚を拒否して反抗的になる息子。ストーリー上では息の詰まる展開ですが、甘々なタクマ君の演技から解放されるのであたくしにとっては悪い流れではありません。

 

「スタート!」

 

監督の一声で、あたくしとタクマ君は役に入ります。

 

「あなたもいい歳なのよ、わがまま言わないでこの中から妻を選びなさい」

 

数人の女性の写真とプロフィールが書かれた冊子をタクマ君に渡そうとしますが。

 

「僕は誰とも結婚しない! こんな物を突きつけないでよ!」

肩を怒らせて、タクマ君は冊子を叩き落とそうとしました――が、勢いを付け過ぎたためか彼の手は冊子ではなく、あたしの手に当たり。

 

「くっ!?」

バチッと肌と肌が衝突する音が響きました。

 

どぅぐん!

 

えっ?

想定していなかった痺れと痛みに、あたくしの身体は苦痛を訴えるべきなのに……

 

どぅぐん!

なにこの高鳴り、得も言われぬ快感は……?

 

「あっ」

故意ではなく、あたくしを叩いてしまった事で一瞬素になるタクマ君。

しかし、話には矛盾しない動きなので監督の口から「カット!」は出てきません。撮影続行です。

 

「いつまでもお母さんとは暮らせないのよ。そう法律で決まっているの。あなたはあなたの家庭を作りなさい」

 

床に落ちた冊子を拾い上げたあたくしが、もう一度タクマ君に渡そうとしたところで。

 

「お母さんはそうやって世間体ばかり気にする! 僕の気持ちなんてこれっぽっちも考えずに! お母さんなんて大っ嫌いだ!」

タクマ君はこちらを小突いて、そのまま居間から走り去ってしまいました。

 

愛する息子から『大っ嫌い!』と怒鳴られ、手まで出される。メンタルとボディへの同時攻撃です。普通の母親ならショック死確定の凶行なのに……

 

どぅぐん!

どぅぐん!

どぅぐん!

 

なんなの!? どうしてこんなに身体が熱いの!? あたくしの中で何が起こっているの!?

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