祈里たちの作品は、三女一男の家庭を舞台にしたホームドラマの様式を取って始まりました。
周囲のスタッフたちが『挑発していた割には手堅い内容か。ジャンル被りなら一大感動作のこっちが有利ね』と早くも緊張を解いています。
甘い、だだ甘だわ!
我が母を追悼する気満々な祈里の表情を見れば、とても油断出来るものではありません。
それに脚本家はあの寸田川先生よ。王道を毛嫌いするあまり邪道を進み過ぎて後戻り出来なくなった拗らせ作家よ。
一見平和なBGMや、のほほんとした登場人物の演技も壮大な前振りに決まっています。あたくしは騙されないわ!
――それにしても他所の家庭の子になってもタクマ君は良い味だしているわね。身内が三人もいるせいか『親愛なるあなたへ』より家族への依存度が高くて、精神の成熟が遅いようだけどそれはそれで美味しい。『親愛なるあなたへ』の本編撮影が始まったら、もっとタクマ君を母に甘えさせましょ、そうしましょ。
あたくしの幸せ母子計画が中断を余儀なくされたのは、兵庫ジュンヌさん演じる婚約者が登場してからでした。
物語の雰囲気が一変します。BGMがわざと音を外したような不協和音になり、画面の明度が若干下がり――何よりあたくしのタクマ君の笑顔が無くなり、物憂げなものに変わったのです。
い、痛い! 胸が痛いわ! こんなショッキングな映像を大画面で見せつけるなんて、とんだ外道がいたものね! あらやだ、うちの娘だわ! 見損なったわよ、祈里ォォ!
あたくしは怒りに打ち震えましたが、その感情を長く保つことは出来ませんでした。悲しみに暮れるタクマ君は外道共の先兵であり、本領はここからだったのです。
タクマ君にかつてない変化が起こりました。
嫉妬に駆られたタクマ君が、婚約者を射殺さんばかりの目で見たのです。あろうことかカメラ目線でやるもんですから、まるであたくし達を殺すみたい! ひぃやぁぁ、未曽有のドメスティックバイオレンスよ!?
心臓がキュッと縮小するのを体感したのは半世紀弱生きて初めての経験でした。はぁはぁ、危なかった……娘チームのパイロットフィルムを観てショック死なんてしたら、天道家の歴史の特記事項に載ってしまうわ。
タクマ君が吹っ切れた事により殺戮ショーの幕が上がってしまいました。主に劇中より上映会場で……
鮮やかな手口で婚約者を始末するタクマ君。表面上はオロオロと不安げな動きをしますが、誰も見ていない所で『計画通り』と狂気の笑みを浮かべます。
これで、あたくしの右隣のスタッフが椅子ごと崩れ落ちました。
婚約者の方は一命を取り留めたそうですが、スタッフの方はピクリともしません。
ああ、なんてこと……彼女はパイロットフィルムの編集担当で、作業の傍らタクマ君の音声を継ぎ
邪魔者を排除したことで、また姉妹たちとの温かい家庭を築けると信じていたタクマ君。でも、現実は残酷でした。
婚約解消でやさぐれた祈里たちは、あろうことかタクマ君を邪険にし始めたのです……ふっふふ、いけないわ。劇中の事と承知しているのに、実の娘や姪たちに仄暗い感情を抱いてしまいそう。
祈里たちの冷徹な態度が決定打になりました。タクマ君が本格的に闇堕ちしてしまったのです。
『みんなが悪いんだよ、僕のことをちゃんと見ないから……僕がどれだけ愛しているのかを叩き込まなくちゃ、骨の髄まで!』
目から光を失くしたタクマ君がすんごい事を言っています。
何なの、これは……たまげるわぁ。タクマ君から深々とした愛を感じます。それも社会的には許されないアンダーグラウンドな愛を。
これほど強烈な愛は、夫からも受けたことありません。
男性を病ませて特大な愛を持たせるなんて……神を足蹴にするほどの冒涜だわ。男性のタクマ君が演じるからクレームは少ないかもしれないけど、まともな人間なら発想しても具現化しないわよ。それこそマサオ教や由良様が黙っていないわ。それだけじゃありません、男性の人権が整っている国からも抗議される、世界を敵に回すわよ。
ゴーを出したのは誰? 寸田川先生? それとも祈里? いずれにしてもイカレている……
けれど――
「はぁはぁはぁ」
あたくしの左隣のスタッフがすっかり発情しています。だらしなく舌を出して息を荒げる様子からして、もう脳がトロ殺されているわ。
ああ、なんてこと……彼女は小道具担当で、撮影後にタクマ君の使用した食器類をプラスチックの保管袋に入れて持ち帰ろうとするほどタクマ君LOVEでした。たまたま目撃したあたくしに「うっ、落ち着いてください! タクマ君が口を付けたスプーンを贈呈しますから! えっ、フォークも付けろ? そんな殺生な!?」と半泣きでプレゼントしてくれるほど話の分かる人だったのに……惜しい方を(人間として)亡くしたわ。
恐ろしいわね、狂った愛に憑りつかれたタクマ君は。
非倫理的なシナリオに憤りを覚えるのに「もっと観たい、もっと愛されたい」という気分になってしまう。未婚者なら脳と下半身がイチコロだわ。
でも、あたくしには効かないわよ! タクマ君を汚れ役にする作品――たとえ世間が認めても、この天道美里が認めません!
フロンティア祭で最も評価されるべき『革新性』で負けたのは認めましょう。しかし、所詮実力のない者が刺激のみを追求しただけのこと! 深愛かもしれないけど浅はかだわ!
男性を貶めるかのような内容、上映が終わったら真っ先に祈里を糾弾しなくちゃ!
あたくしは固く決意しました……しましたが……
そこからの展開はさらに衝撃的でした。
なんとタクマ君が咲奈や紅華を捕らえてイチャイチャ――げふげふ、ではなく監禁したのです。
はっ? なにあれ羨ましっ――げふげふ、ではなく男性をここまで悪しく描写するなんて前代未聞よ! 許せない!
糾弾なんて生易しいわ! 祈里の頬を思いっきり引っぱ叩いてやる、この上映が終わったらね! なるべく長く上映して構わないわよ!
なんでしょう、あたくしはかつてないほど興奮しています。これはきっとアレです、タクマ君を貶める物語に対して義憤を覚えているからです。
タクマ君がいそいそとロープを巻いて咲奈や紅華を拘束している姿には、特段思うことはありません! ありませんから!
あっ、急に思いついたのだけど、この作品には大きな欠点があるわ。そう、母親の欠如ね。
この家族はどうして親不在で暮らしているのかしら? 明確な説明はないし、単なるキャストの問題でしょう。だったらあたくしも母親役と出演して病んだタクマ君から寵愛を……って待ちなさい、天道美里!?
危ない思考に陥っていたわ。まるでパイロットフィルム対決で敗北して、祈里の作品に参加させてもらうみたいな……やだ、プライド無さ過ぎでしょ、あたくし!
そもそも負けたら、祈里たちはタクマ君を諦めずにアタックし続けるわ。叶わぬ恋に貴重な時間を浪費させることになる。母として娘を不幸にさせるわけにはいかない!
ふぅ、オーケー。冷静になってきたわ。迂闊にもタクマ君のSっ気フェロモンに我を忘れたけど、もう大丈夫。
どんな誘惑にも負けない。あたくしはクールよ。
あたくしは冷徹な目で画面を観ました。ちょうど祈里がタクマ君を問い詰め、警察を呼ぼうとしています。
対してタクマ君が取った行動は――
「なぁぁ!?」
思わず声を上げてしまったわ。仕方ないでしょ、まさかのムチよ。タクマ君ったらムチを持ち出したのよ!
なんてこと、革命だわ! 男性とムチ。マッチング100%じゃない!
あたくしは震えました。ムチで叩かれる祈里を観ていると悔し涙が出てきます。なぜなの! 母を差し置いてムチを味わうなんて親不幸にも程があるわよ、祈里!
あたくしも頂けないかしら……『親愛なるあなたへ』でムチを出す? でも、母子が山あり谷ありで絆を深めていく内容のどこにムチを挿入する隙があるの? 反抗期だからって息子がムチを振るい出したら観客がポカンとしてしまうわ。ああ、憎い。ムチがアブノーマルな世間の常識が憎い。
あたくしは深い思考の海に沈みました。
第一目標は【天道美里がタクマ君にムチで叩かれること】
そのためなら、娘の婚活問題や天道家の未来は一旦脇に置きましょ。人としてダメな方へひた走っている感はあるけど、その不安も脇に置きましょ。なんでも置いちゃいましょ。
さて、可能な限り無理なく目標を達成できる手段は何かしら――
周囲が騒がしくなっていますけど、あたくしにはどうでも良いこと。とにかく思考を走らせます。
そうそうムチは当然だけど、タクマ君の母親ポジも譲れないわね。いくら第一目標を優先するからと言って、ポッと出の脇役で登場してタクマ君にムチでぶたれて退場はナシよ。
タクマ君との母子の触れ合いは衣食住も同然。それ無くしてあたくしの人生は立ち行かないわ。
多くの未来図を描き、その中で最もしっかり線の引けた物を選び抜くには相当な時間が必要でした。
――うん、これだわ。
ようやく納得のいくものを描き、現実に意識を戻すと――あらっ?
会場がひと騒動あったように荒れています。なにかしら、意思疎通の出来ない猛獣でも暴れたのかしら?
猛獣と言えば、我が娘の祈里が簀巻きになって転がされています。不思議なこともあったものね。
「天道美里様。不知火群島国がフロンティア祭に出展するのは『親愛なるあなたへ』に決まりました。おめでとうございます」
――と、呆けている場合じゃないわ。ここで勝つわけにはいかないのよ。
「――――お待ちください、由良様。結果を出すのは早計です」
「えっ?」
あたくしの抗議に周りは目を見開いて驚きを露わにしています。なんだか思った以上の過剰反応ね……まあ、いいわ。それより予定通りに動きましょう。
あたくしは祈里に接近して、なぜか施されている口の手ぬぐいを取って――
「成長したわね、祈里。見直したわ」
と、心を込めて言いました。
「ふぁ!? お母様! なぜに急なデレを?」
祈里がミノムシ状態のまま、顔だけ頑張ってこちらへ向けます。
「あなたの斬新な作品があたくしを動かしたのよ。胸を張りなさい」
嘘ではありません。あたくしをここまで動揺させたのは見事でした。何より『タクマ君』と『ムチ』を関連付けた発想を讃えないわけにはいかないでしょう。
「お母様……ありがとうございます。あっ、胸を張りたいので縄を解いてくださいまし」
仕方ない子ね、まったく。それにしても縄もかき立てるモノがあるわ――そう思いながらあたくしが縄に手を付けると。
「しょ、正気でございますか、美里様!? もしや祈里様のご乱心でお心を痛めてしまったのでは?」
由良様が大層心配そうにお声を上げました。こちらへ注ぐ視線が病人用のソレになっています。
「おほほほ、由良様も冗談をおっしゃるのですね。気が触れているように見えまして、あたくしが?」
「えっ、失礼ながら割と」
「そ、そうでございますか……お、おほ、おほほほ。由良様は心配性でございます。あたくしは正気です。なので、使用人に医者を呼びに行かせるのはお止めになって」
由良様の行動を制止しながら、あたくしはさっさと場の主導権を握るべく言葉を続けました。
「負けとは申しましたが、祈里の作品が世間的にNGなのは分かっております。ですので、あたくしから提案したい事があります――」