――――小鍛治健夜、二十四歳。
――――三月十四日、午前十一時、雪。
――――東京都、麻雀国際フォーラム、ホールD7。
その会見は予定よりも二時間も長引いた。
色々なことを聞かれ、話した。言うべきことはあらかじめ決まっていたし、質問されることも大体は予想がついたから、言葉に詰まるようなことはなかったけれど。
正直、会見の内容はあまり覚えてなかった。なるべくなにも考えなくていいようにと、機械みたいに口を動かしていたから、あまり疲れも感じなかった。ただ、フラッシュの嵐が視界を白く塗りつぶすたびに、今まで私を応援してくれた人達の笑顔がかわるがわる浮かんで、きりりと胸が痛くなった。
無心に質問に答え続けていたから、色々なことを見落としてしまった。自分の手がずっと震えていることも気付かなかったし、同じ席に座ってくれた熊倉さんが、励ますように私の手の甲をさすり続けてくれたことも気付かなかった。だから、今この瞬間に自分の前でメディアの人達がどよめきを大きくしている理由も、すぐには分からなかった。どうやら会見が終了するということらしい。そうだと気付いたのは、熊倉さんが「よく頑張ったね健夜」と優しく肩を抱いてくれた時。そうか、やっと終わるんだ。腕の中でそう思ったら、出どころの良く分からない涙が流れて熊倉さんの服を濡らしてしまった。そうして私は、自分がこの一日をどれだけ張り詰めて過ごしたのかを知った。
記者たちの声を背に、連盟の人達の案内に従って慌ただしく廊下へと出る。
その時ふと気付いた。この廊下を私は知っている。人生における最初で最後のインハイの時にも、同じ場所を歩いたのだ。ああ、そういえば、この会場だっけ。
あの夏も、私はこの場所を歩いた。
自分をエースに選んでくれた仲間の為、自分を応援する人の為に、他校の高校生たちの夢と青春を台無しにして進みつづけたあの夏。
印象に残ったのは、優勝の喜びを仲間たちと分かち合う瞬間――――――などではなかった。
今でも思い出すのは、敗退校の選手が私を見るときの、呪うようなあの目。
恨むことも怒ることもできず、魂が抜けたみたいに私を見つめる相手選手の目。
それらの視線を一身に浴びながら、この無機質な廊下を歩いたこと。あの後ろ暗い気持ちを、まだ私は忘れられずにいた。
自分が打てば、必ず傷付く誰かがそこにいる。自分が打つのを辞めても、必ず誰かを悲しませる。どの扉を開けてみても、そこには絶望が塞がるばかりだった。それでも進み続けることで、何かの答えが得られると信じてここまできたけれど、もうだめだった。また誰かの大切な何かを奪ってしまいそうで、全力で打つということが怖くなっていく自分がいた。それでも今更麻雀以外の道を選べない私だから、潰れそうな地元のクラブチームに身を寄せて、自分の力を役立てて貰おうと思った。
一人、気にかけていた選手のことを思い出す。
赤土晴絵さん。
あの夏のインターハイで、私に唯一跳満を直撃させた阿知賀高校の一年生。そして、私が壊してしまった選手の一人。
熊倉さんによると、あの人は今二十二歳。一時期は牌に触ることさえできなかったらしいけれど、現在は大学に通うかたわら、地元の子供たちに麻雀を教えているらしい。
私がこの舞台を降りるぶん、彼女のような人たちにどうか明るい道が開けますように――――私は祈りながら廊下を歩いた。
出口まで半ばというところまで来たとき、なにか後ろが騒がしくなった。振り向くと、業を煮やした記者の面々が押し寄せるようにこちらに向かっていた。
記者の波は、連盟の人達が作っていた壁も簡単に押し崩して、あっという間に私をとり囲んでしまった。すぐに大量のカメラやマイクが向けられ、四方から質問が浴びせられる。私は顔を伏せたまま、逃げるように歩みを早めた。
「全ての個人戦出場を辞退するということですが、もう一度詳しくお話してもらえますか!?」
――――記者会見でお話したことが全てですので。すみません。
「恵比寿を離れるにあたって、監督やチームメイトからの反対などはありませんでしたか!?」
――――すみません。急いでいるので。
「今まで応援してくれたファンの皆さんにもう一度コメントをお願いします!!」
――――つくばでも頑張りますので、応援よろしくお願いします。
「五輪への初出場も見送られるということですか!?」
――――もうしわけありません。
「体調不良などが原因という噂がありますが、事実ですか!?」
――――そういったことは特に。
「異性関係が原因という一部報道がありますが事実でしょうか!?」
――――そのような事実はございません。
「今後の第一線への復帰は考えていますか!?」
――――ごめんなさい。
「監督など、指導者の道に進まれることは考えていますか!?」
――――えっと、ごめんなさい。
「小鍛治プロ!!もう少しお時間頂けませんか!?」
――――ごめんなさい。車を待たせているので。
ごめんなさい、ごめんなさい。まるであの夏みたいに、黒い何かに追い立てられて歩き続ける。
質問の雨の中を押し通り、そのまま記者を引き連れ、施設のエントランスを抜けた。
すると突然、乾いた冷気が身体を覆い、目の前に真っ白な世界が開けた。
外は大雪だった。朝方から振り続けていたけれど、もうこんなに積もっているなんて。私は思わず立ち尽くした。
埋めつくすような白さに包まれた都心の風景が、黒い雑音に染まった私の頭の中を晴らしていく。ビルも道路もなにもかも白いベールに覆われて、空の色と同化しようとしているみたいだった。私もここに留まれば、雪の中に埋もれて空の色に溶けることができるだろうか。誰に見つかることもなく、雪の中の花のように、咲くことができるだろうか。私の麻雀は、人を傷付けなくて済むだろうか。
もう私には、周りの記者の声は耳に入らなかった。代わりに注意を引いたのは、白い雪のなかに浮かぶ小さな赤い影だ。
雪の向こうから、その赤いシルエットはこちらに近付いてきた。近付くにつれて、それが着物を着た少女であることがわかった。
そうだ。あの子だ。
「健夜さん」
白い息を吐いて彼女が私を呼んだ。冷たい風にたなびくマフラーを抑えながら、その瞳を微かに潤ませて。
「……咏ちゃん、ごめんね……私」
現実を前にして、言葉が見つからなかった。私は知っていたのだ。彼女が誰よりも自分のことを慕っていることを。そして誰よりも自分と戦いたがっていたことを。きっと彼女は悲しんでいるし、怒ってもいる。マスコミの質問責めなんかよりずっと、彼女のまっすぐな瞳にいたたまれなくなる。
「咏ちゃん……私思うんだ。咏ちゃんなら、きっと」
「あたし待ちませんから!」
遮るように彼女が叫んだ。
「……え?」
「あたしは『健夜さんが帰ってくるの待ってます』なんて、言ったりしませんから」
私の周りにいた記者の輪が半分に千切れて、咏ちゃんをとり囲んだ。
彼女は気にも留めずに続けた。
「健夜さんがいなくなったって、同じっすよ。健夜さんはずっとあたしの目標で、それは変わらないんだ。だから待たない。だってあたしはこれからも、小鍛治健夜を追いかけつづけるんだから」
震えるその言葉が、硬い雪に足跡をつけるみたいに私の胸の奥を叩いた。
「だから待っててください健夜さん。あたし頑張るんで。いつか本気の健夜さんと勝負になるくらい、もっと強くなるから。絶対強くなるから。そんで、健夜さんが楽しめそうだと思うくらい強くなってたらさ、そん時はまた改めて、倒しにきてくださいよ」
彼女は何かをこらえながら、不敵な笑みを浮かべて私をまっすぐに見据える。
「慕ちゃんも、はやりんも、野依さんも、善野さんも、他の後輩達もみんな同じ気持ち。みんなで強くなって、健夜さんが毎試合、一切手加減できないくらい、ハイレベルな場所にしてあげるからさ……だから……」
言い終わらないうちに、彼女が膝をついて雪の上に倒れそうになる。あわてて周りの記者たちが支える。俯きながら彼女が続けた。
「だからお願いします健夜さん……いつか、いつかまたあたしと…………」
少女は記者の支えからゆっくりと滑りおちて、雪の上にへたりこむ。
瞳から、雪が溶けだしたようにぽつりぽつりと雫が落ちた。間を置いて、この子には不似合いなくらい弱々しい泣き声が、冬の風の中を冴え返って小さくひびいた。
もうカメラのシャッター音は止んでいる。
記者たちは、小さくしゃがんですすり泣く彼女の周りで、無言で立ち尽くしていた。
真っ白な雪の世界で聞こえるのは、真っ赤な着物の女の子の泣き声と、いつもより確かな鼓動の音だけだ。
自分の肩を見ると、少しだけ雪がかかっていた。私はそれを軽く払い、そして白い地面に膝を立てて、濡れた彼女の顔を、ぎゅっと胸の中にしまいこんだ。
「……わかった」
咏ちゃんのおかげだよ。答えが出たんだ。
約束する。いつかその時がきたら、必ず――――――。
21世紀、世界の麻雀競技人口は1億人の大台を突破。
日本でも大規模な全国大会が毎年開催され、猛者ひしめく日本麻雀界では最強の称号を掴み取るべく、プロ雀士達が覇を競っていた。
これはその頂点を争った、大人達の軌跡。