NEVER SAY NEVER   作:雨後の竹の子

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一日目(1)

   

 

 

 

 ――――針生えり、二十九歳。

 

 ――――二月二十二日、午後一時、雪。

 

 ――――山形県、南陽麻雀会館、和室。

 

 

 

 

 

 緊張していた。

 試合に出るのは私じゃないのに。

 本番までの猶予は、もうあと三時間しかない。

 

 全日本麻雀選手権決勝。五番勝負の第一戦。

 選手用の控え室として使用される会場の和室に、私は呼ばれた。めったに人を頼ったりしない彼女が、一介のアナウンサーでしかない私に付き添いを頼んだのだ。必要としてくれたことは嬉しかったし、なんとか力になりたいと思った。

 

 三尋木プロが助けを求める理由は、私にも想像がついた。

 ――――小鍛治健夜永世八冠。日本人なら誰もが知ってる、不敗のレジェンド。五年ぶりにこの表舞台に姿を表したと思えば、ノーシードから一度も放銃すらせずに決勝戦に勝ち上がってきてしまった。三尋木プロはこの人と何度か対戦しているが、一度も勝利したことがないのだ。そして今日、五年ぶりに二人は激突する。

 二人の因縁については、あらゆるメディアが事あるごとに話題にしていたから当然私も知っている。いったい彼女はどんな気持ちで、来たる決戦の時を迎えようとしているんだろう。私には、重圧のなかで静かに集中する三尋木プロの姿が目に浮かぶようだった。

 

 三日前、震える声で、会場に来てほしいという咏さんからの電話を受けた時は、本当にいてもたってもいられなくなった。だから、大事な仕事があったのに急遽無理を言ってお休みにして貰い、こんな真冬の大雪のなかでアクセスの悪い山形の会場に駆けつけた。この扉の向こうで、三尋木プロはどんな表情をしているんだろう。プレッシャーのあまり泣いていたらどうしよう。いや、こんな時だからこそ私が呼ばれたんだ。励ましの言葉や緊張をほぐすための冗談を、ここに来るまでに数百パターンもメモしておいた。これだけあれば十分のはず。さあ咏さん、何も心配いりません。思い切り私を頼ってくださいね――――。

 

 しかしそれは杞憂にすぎないことを、私は数秒と待たず思い知らされるのである。

 

 

 * * *

 

 

「――――おっしゃ、めくりで一発! 四光(しこう)、青タン、月見で一杯(つきみ いっぱい)! こりゃまたあたしの大勝ちだねぃ」

 

 三尋木プロが威勢よく、麻雀にはない役の名前を宣言する。

 私はいったい何をしてるんだろう。

 

「うっわ、ここまでで862文勝ちだぜぃ。針生さん大丈夫? 払えんの? なんなら身体で払ってみるかい?」

「払いませんし。そもそも賭けてませんし」

「そなの? あたしはちゃんと自分の身体を賭けてたんだけどねぃ」

「勝手に賭けないでください」

 

 もはや緊張どころではなかった。これがトッププロのメンタリティなのだろうか。大一番を間近に控えて、三尋木プロは愉しそうに私とゲームに興じている。

 

「しっかしまぁ、針生さんって花札弱いんだねー」

「いや……私が咏さんにこういうゲームで勝てるわけないじゃないですか」

「とはいってもさー。『こいこい』なんてほとんど運のゲームだよ? 麻雀と変わんなくねー?」

「麻雀と同じならやっぱりダメじゃないですか」

 

 あはは、そっかー、と笑い飛ばす咏さんにムッとする私。花札においても彼女の強運は発揮されて、私は脅威の11連敗を遂げていた。こんな状態が続いては楽しめるはずもなく。

 

「あの……正直に言っていいですか? 全然つまらないです」

「あたしの緊張をほぐすためのレクリエーションなんだから、針生さんはつまんなくてもいいんじゃないの? しらんけど」

 

 花札の山を切りながら、咏さんがぬけぬけと言う。

 

「そんなこといって、咏さん全然緊張してないじゃないですか。もう本当に心配したんですからね。あんな電話してきて、私のほうが緊張しちゃったじゃないですか」

「んじゃ緊張ほぐしてあげるからさ。とりあえず服脱ごーか?」

「脱ぎません!」

 

 のらりくらりと下ネタを飛ばしつづける咏さんに頭を抱える。この人と話しているとイライラが募って、私はつい三十路(みそじ)手前の女子が作ってはいけない表情をしてしまう。ああ、なんという取り越し苦労。今後私のシワが増えたら、ぜんぶこの人のせいにして訴えを起こそうと決めた。

 

「よーし、もうひと勝負いってみよっ」

 

 私の不機嫌顔をよそに、彼女は花札をすぱすぱと配り始める。

 

「……良いんですか? もう試合開始まで一時間もないんですよ?」

「じゃあ他に何をしたらいいんかねぃ?」

 

 わっかんね〜とわざとらしく首をかしげる三尋木プロ。この仕草をもう一度されたら暴力に訴えてしまいそうで自分が怖い。自分を諌めるためにも笑顔を作る。

 

「ほら、もっとこう……過去の牌譜を確認したり、牌の感触を確かめたり、集中力を高めるために瞑想したり……そういうようなことですよ」

「あー。なるほどねぃ」

 

 すると、彼女は目を細めておもむろにじーっと私のことを見つめはじめた。

 私も目を細めて尋ねる。

 

「なに見てるんですか?」

「集中するために針生さんの顔を見てた」

「……どうでした?」

「思ってたよりおっぱい大きい!」

「顔見てないじゃないですか!」

 

 まったくこの人は……。あくまでマイペースをつらぬく三尋木プロに思わず頭を掻いてしまう。

 

「でもまあうん。たしかに。そろそろちょっくら準備しなきゃだねぃ」

 

 配りかけの花札を脇に置くと、咏さんはやおら立ち上がり……なにを思ったか自分の着物の帯をするするとほどき始めた。私はその光景に面食らって思わず顔をおおってしまう。

 

「ちょっちょ、なに急に脱いでるんですか!? まさか本当に私の身体を!」

「あはは、ただの衣装替えだよ。ほら、着付けするから針生さんも手伝ってー」

「き、着付け? あ、はい、分かりました……」

 

 

 * * *

 

 

「ちょっと針生さん、ここの腰紐押さえといて。締めるから」

「ええ、私分かりませんよ。こうですか……?」

「ひゃっ……そこはあたしのおしりだよー針生さん」

「わ、ごめんなさい……って全然触ってないですよ!」

 

 密着する薄着の咏さんを前に顔を赤くしながら、着物の着付けのお手伝いをする。しかし、いつもこんな本格的なお着物を自分一人で綺麗に着こなしているのだから、女として正直感心してしまう。人は性格によらないものだ。結局、私はおろおろしているだけで、ほとんどの行程を彼女がひとりで終わらせてしまった。

 

「よし、できあがりっ。針生さんありがとねぃ」

 

 姿見(すがたみ)の三面鏡を見ながら、着崩れがないかを確かめる咏さん。私はなんとなく、その姿に不安のようなものを感じた。違和感を覚えた原因はデザインだ。いつものトレードマークである真紅のおめでたいカラーではなく、今回は白よりも白い、真っ白な単衣(ひとえ)。神前婚で着られる白無垢(しろむく)――――というよりも死に装束というべきだろうか。三角頭巾をあたまに付けてしまえば、それはもうオーソドックスな幽霊の出で立ちそのものであるように見えた。

 

「どしたの針生さん。ひょっとして見とれちゃったかいねぃ?」

 

 視線に気付いた三尋木プロが、鏡越しに私に訊いた。

 

「あの……三尋木プロ、死ぬんですか?」

「はい? いや、死なんし。どしたの」

「それ、完全に死に装束じゃないですか。なんだか縁起が悪いですよ。大事な晴れの日なのに」

 

 私は思ったことを口にしていく。背を向けたまま、鏡の中の三尋木プロがにぃっと口の端を広げる。

 

「……この白単衣、厳密に言えば『経帷子(きょうかたびら)』っていうんだよねぃ。三角頭巾は『天冠(てんかん)』。それとあわせて手甲(てっこう)脚絆(きゃはん)、編み笠に草履(ぞうり)数珠(ずじゅ)に木の杖、頭陀袋(ずだぶくろ)六文銭(ろくもんせん)とくりゃあ――――閻魔様にも覚えめでたき、死に装束ってわけだねぃ」

 

 鏡を通して不遜な笑みを見せる三尋木プロ。この人といると、たまにこんな風に雰囲気が変わる時がある。眼光はするどく、声音は凄みを増す。対局中の、勝負師としての彼女の顔が顕れたのだ。

 

「じゃあ、本当に死装束なんですか。今日にかぎってそれを着る意味があるんですか?」

「意味かあ……ま、願掛けに近いけどね。なにせ、この世ならざる者を相手に戦おうってんだ。そんなら私もそれにならって、この世ならざる者に身を(やつ)してやろう、ってとこかねぃ」

 

 この世ならざる者……他ならぬ小鍛治プロのことだ。人ならぬ麻雀の神を相手にするには、たしかにまともなアプローチではもはや通用しないのかもしれない。三尋木プロが静かに、目を閉じて続ける。

 

「……確かに勝ち目は薄いよ。でも勝ちを捨てた訳でも無い。それが砂漠の宝石だろうが、雪崩に埋もれた花だろうが関係ねぇ。どんなに小さくてもいい。そこにあると分かってるんなら、掴みに行かなきゃ嘘なんだ。……まぁ見てな」

 

 三尋木プロはこちらを振り返ると、私の前で立て膝になり、おもむろに花札の山をつかんで、裏向きにばらまいた。

 

「ここから光札(ひかりふだ)五枚、針生さんの指名どおりにめくり当てる」

 

 咏さんは高らかに宣言した。白い着物の彼女を中心に、尋常ならざる気迫のようなものが渦まいて見えた。今の彼女ならば、本当に引き当ててしまうかもしれない。私は乾いた空気をごくりと飲み込んで、最初のカードの名を口にする。

 

「それなら……『桜に幕(さくら まく)』で」

「ふふ、お易い御用だねぃ」

 

 言うが早いか、三尋木プロはすぐにひとつの札を選び、パチンと鋭い音を立ててひっくり返した。私は絵を見る前から、引き当てられたことを直感して、思わず顔を背けてしまった。私は恐る恐る、その札をあらためる。

 するとその札は――――――『梅に鶯(うめ うぐいす)』だった。

 

 

 

 * * *

 

 

「もう、元気出してくださいよ三尋木プロ」

「元気の出し方なんて知らんし……うう」

 

 結局のところ、あれから何枚も札をめくってみた咏さんであったが、お目当ての札を当てたのは12枚目のことであった。

 今はもう、すっかりさっきの迫力が霧散して、テーブルの上に突っ伏すだけだ。

 

「だってさ……超カッコわるくね? もうダサすぎて生きていけねーって。一体誰なんだよ、あたしにあんな恥かかせたのは」

 

 それは咏さんです。という言葉は、さらに彼女の腹の虫を暴れさせそうなので言わずにおいた。

 

「はあ、こんな気持ちで健夜さんと試合かー。だから花札なんてやりたくなかったんだよねぃ」

「えーっとはい……そうですか。私はおかげさまでリラックスできたので問題ないですが」

 

 支離滅裂な主張をする彼女を見ていたら、この前うちの局でやった報道特番にでてきた犯罪者を思い出してしまった。さすがにこれを言ってしまうと本当に傷付きそうなのでこれも言わないでおいた。

 

「こうなったら、針生さんのエロ画像でも見て元気出すかねぃ」

「早く削除してください。訴えますよ」

「ちっ、大人げないなー。ってかそんなもん持っとらんし」

「大人げないのはどう考えても咏さんですよ?」

 私は満面の笑顔で答えた。

 

 と、ここで、「失礼します」という声が扉の向こうから響いた。大会進行スタッフが三尋木プロを呼びにきたのだ。

 彼女は「ほーい」と気のない返事をして、軽い手荷物と猫蛇の人形を手に取って立ち上がる。

 

「それじゃあ行ってくるねぃ、元気無いけどさ」

 

 浮かない顔で私を見る咏さんは、なんだか本当に寂しげだった。あるいは、もっと別のなにかを期待しているようにも見えた。――――ああ、なるほど、そういうことか。私はひとつ大きなため息をついてから、ひとつ隠していたことを教えてあげることにした。

 

「……元気を出して戦って、いつもみたいに笑顔で帰ってきてください。そうじゃなきゃ明日の誕生日ケーキは、私ひとりで食べてしまいますからね」

 

 それを聞くと、咏さんの表情が分かりやすすぎるくらいにぱーっと明るくなっていった。誕生日覚えてくれてたんだ、という心の声がそのまま漏れ聞こえてくるみたいだった。

 

「え……ええっと、そうなんだ、ふーん。それじゃあ余裕でぶっ倒して速攻で戻ってくるかねぃ!」

「はい、応援してます」

「頑張るからね。……おっとそうだ、あたしからもこれあげる」

 

 彼女から差し出されたのはペットボトルだった。

 

「なんですかそれは」

「これ、飲みかけの午後ティー。これ飲むと三尋木プロと間接キスできるんよ」

「そうですか、じゃあそこのゴミ箱に捨てときます」

「決断早くね!? あ、もう時間だわ。じゃあ行ってくるからねぃ、えりちゃん!」

 

 あからさまに嬉しそうにはしゃぎながら、咏さんはついに会場のほうへ移動していくのだった。

 えりちゃんって誰のことだろう? あ、私のことか。

 

 それにしても……サプライズにするはずだったのに、予定が変わってしまった。私が咏さんの誕生日を忘れるわけがないじゃないか。三尋木プロという人はいつも肝がすわってるくせに、変なところで小心なところがある。でも、それが可愛らしくもあるんだけれど。

 

 私の手には飲みかけの午後ティーが握られていた。まぁ、ちょっとくらいなら、飲んでみてもいいかな……。

 そんなわけで私は、それをどきどきしながら飲んでみたんだけれど、それはやっぱりちょっと温いだけの普通の午後ティーだった。

 

 私はその後、試合を見に行かなかった。なぜだか、テーブルの上に突っ伏して眠ってしまった。早起きしたから、疲れてしまったんだろうか。適当にばらまかれた花札を見ていたら、なんだかとても眠くなったのだ。夢の中で出会った咏さんはとても積極的で、なんどもキスをしてくれた。それがありえないことだと分かっていたから、私もそれが夢だとすぐに気付いて、目覚めた時に少し悲しくなった。

 

 それから、後になって分かったことだけど――――――咏さんのくれた午後ティーには薬が混ぜられていた。そして三尋木プロが病院に運ばれたことを知ったのは、私が眠ってから五時間後のことだった。

 

 

 




 
 毎日書けたらいいなあ。

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