この世界──というか、ドレスローザでは『妖精』の存在が信じられている。ということをミオは最近知った。
曰く、つむじ風のようなものに遭って持ち物がなくなっていたら、それは『妖精』の仕業だから潔く諦めなさい。
よくあるおとぎ話の類のようなものなのだろうと認識していたのだが、それなりに被害(と呼ぶのもおかしいのだが)に遭っている人間がいることも街で聞き及んでいる。
ミオはなんとなく、道すがらの露天で蜂蜜飴を袋で買ってバッグに突っ込んだ。蜂蜜を用いた菓子や酒は妖精の好きなものだ。あくまでミオの知識の中では、だけど。ないよりマシだろう。
そうして歩いて、喧騒が遠ざかり、グリーンビットと島とを繋ぐ鉄橋に到着した。
物々しい、巨大な鉄橋の前にこれ見よがしに『KEEP OUT』のテープが飾られ、ドフラミンゴの忠告を思い出す。近所の人にも冒険家でもないならやめておきなと止められたし、闘魚とやらはそれほど恐れられているらしい。
かといって、他にあてがあるでなし、ミオはおっかなびっくりテープをくぐってなるべく気配を殺してそろそろと橋を渡った。
幸い、闘魚とやらには遭遇することなく渡り終えることができたけれど、広がる光景にあんぐりと口を開けた。
「でっけえ」
でかいのである。何もかもが。
島の面積として考えるのなら、そう大きなものではないのだろうが繁茂している植物群がとにかくでかい。
葉っぱ一枚が大型トラックくらいのものや、プレハブ小屋くらいはありそうなキノコ。そんなものがわさわさと生えているのだから、サイズ感が違いすぎて自分が小人にでもなったような気分だ。
その生命力の旺盛さに圧倒されてしまって、果たしてここにお墓を立てていいものかと疑問が湧いてきてしまった。
「いや、でもなあ……」
シャベルを持っていない方の手で髪をぐしゃ、とかき混ぜる。
自分がどれだけの感謝と敬意を抱いていたとて、この刀はあくまで"モノ"だ。人のためにある霊園に埋葬するのは……何かが違う気がした。
ひととおり散策してみて、無理そうならまた何か考えるか。
消極的ながらにそう決めて、ミオは自分の身長より大きな葉の下をくぐって内部へと足を踏み入れた。
木々の隙間から入ってくる日差しは細く、元気よく広がる葉っぱがいちいち視界を遮ってくるし、人の手が入ってないのか獣道すら見当たらなかった。足元は自分の太ももの倍くらいはありそうな根があちこちに伸びてめちゃくちゃ歩きにくい。
下手すると地面が露出している部分を見つけようとすることすら困難そうで、そりゃ若旦那も止めるかと妙な納得があった。
まるで自分が小ト◯ロにでもなってしまった気分でざかざかと草木を分け入ってどれくらい経っただろうか。
ふいに、ぴゅうっと。
「うん?」
小さな気配を感じた。と、思ったら腰から下げていたバッグが忽然と姿を消していた。それこそ、魔法かなにかを疑ってしまいそうなほど鮮やかに。
さては、これが妖精の仕業なのだろうか。これは、困ったな。
小銭や蜂蜜飴はどうでもいいが、中には埋葬予定だったミオの愛刀……だったものが入っているのだ。
というか、ミオの知識だと妖精という存在はなべて鉄や錆を厭うと思っていたものだから、バッグに手を出されるとは夢にも思っていなかった。
「……」
しばしミオはその場に立ち尽くし、さてどうすべきかと少し考えた。
この島にある妖精伝説は本物なのだろう。まさに今、自分が体感したわけだし。
となると、このグリーンビットはさしずめイギリスでいうところ彼らの住まう妖精の國、『
どちらにせよ、領土侵犯をしたのは自分であるし、罰として代償に荷物を取られるのは妥当ともいえる。
でも、あの刀はミオにとっても大事なものだ。せめて自分の手で静かに眠らせてあげたいと思う。
となると……。
「僕たちの"よき隣人"、"お隣さん"。どうか、どうか、お願いします」
ミオはそっと、呼びかけた。
妖精、と呼ばなかったのは妖精というワードは直接使うべきではない、という伝承に則ったものだ。
それは無粋というより、直接種族名を呼ばないことで敬意を表す、という婉曲的な表現である。ミオなりに妖精へ精一杯の敬意を払ったというかたちだ。
「
虚空に話しかけていると、かすかな、小さな気配を周囲にちらほらと感じる。妖精がいるのだろうか。
「けれど、ただひとつ。ひとつだけ。折れてしまった刀だけ、どうか返してくださいませんか」
あいにく、自分は
「それは……庚申丸は、僕の大事な刀です。ずぅっと一緒に頑張ってくれたけれど、折れてしまった。役目を果たした大切なものを、僕の手で葬ってあげたい」
ミオはただ真摯に、ひたむきに言葉を紡いだ。
それしかできることが思いつかなかった。
「ここに埋めるのが失礼ならば、立ち去ります」
彼らの領土に勝手にお墓を作るのが失礼だというなら、それはそうだ。お墓はべつに探せばいい。
「だから、お願いします」
深々と頭を下げる。
そうすると、ミオの聴覚でも捉えきれないほどの小さな囁きがひそり、ひそりと響いた。
その姿勢のままでいること数分、やがて──カチャン、と音がした。
顔を上げると、目の前にぐるぐると布で巻かれた庚申丸が無造作に置かれていた。
どうやら返してくれるようだ。
「ありがとう、本当にありがとう!」
精一杯の感謝とともに庚申丸を手に取ると、不思議なことにあれだけミオの道行きを邪魔していた葉が不自然な動きでずれてゆく。
さやさやと梢が鳴る。日差しが灯り、それはまるで道のようだ。
案内してくれる……の、だろうか?
庚申丸を握りしめ、立ち尽くしていると踵をつつかれるような感触があった。押されるように歩くことしばし。
やがて、少しだけ開けた場所に出た。あれだけ繁茂している植物の隙間を縫うようにぽかりとそこだけ土が露出している。
「こんなところ……いいんですか?」
露出した土の周りには嘘みたいに大きな花が咲いている。天使が羽根を広げたような、真っ白でうつくしい花。かたちを見るとサギ草のようにも見えた。
まるで神秘の欠片を前にしたようで、どこか申し訳ない思いでつぶやいてしまう。
──戦士の誇りを汚すわけにはいかないれすから
葉擦れの囁きのような声がミオの耳朶をくすぐり、それきり何も聞こえなくなった。
都合のいい幻聴かもしれない。でも、他にこれ以上の場所を見つけられるとは思えなかった。
ミオは意を決して土の露出している場所にシャベルを突き立てて小さな穴を掘り、最後にもう一度だけ庚申丸を強く抱きしめてからそっと穴の中におさめて、埋め直した。
「きっと、"夢でもあなたを思う"」
作ろうと思っていた墓標はいらない。この美しいサギ草が目印になってくれる。
「ありがとう、ここまで僕を連れてきてくれて」
土をかけた部分をゆっくりと撫でて、黙祷を捧げて、ミオは立ち上がった。
妖精の姿を見れなかったことが、少しだけ残念だと思った。
☓☓☓☓☓
だれかが、僕の手を引いている。
だれだろう、小さい子。
小さい頭からすっぽりレインコートを着てて、男の子なのか女の子なのかもちょっとわかんない。雨も降ってないのにね。
ちっちゃなおててで僕の手をぎゅっと握ってて、ちょっぴりひんやりしてるのにそれが慕わしくて、なんだかとても懐かしい……懐かしい?
はやくはやく、という感じで引っぱってるから僕は流されるままに歩いてる。
周囲はぼんやりミルク色で、どこに向かってるのかもよくわからない。
でも、いやな感じはちっともしないから、とりあえず歩いてる。だってこの子が行きたがってるんだもの。
レインコート越しでもその子はなんだか誇らしげで楽しげで、もう片方で握っている木槌をふりふり勇ましい。なにに使うのかな。……ああ、修理だ。そうだ、そうだね。とっても大切なものだ。
だってこの子は、僕の、だいじな──
ふ、と霧が晴れた。
いつのまにか、そこは甲板近くの舳先の上。
ああ、うん、ここは。知ってる。知ってるよ。
ここは、ぼくのお気に入り。とびきりの特等席。
このみんなを乗せた大きなくじらが、白波を裂いて意気揚々と、見えぬ海路を進む姿が、とても好きだった。
小さな子が、僕の大事な子が胸を張って、僕はありがとう、そうだねって頷いた。
その子は僕の手をいちど、痛いくらいぎゅっと握って、それからレインコート越しにこちらを見上げてにっこりと笑った。
それからゆっくり、本当にゆっくりと手が離れて、いつの間にいたのか、もう一人の子の方へ駆けていく。色違いのレインコートに、片手に木槌。ちょっとだけあっちの子の方が背が高いかも?
その子は僕の手を引いていた子の頭をよしよし、という感じで撫でて、僕に向かっておおきく手をふった。僕も振り返した。
浮かんでる、まんまるの月。潮騒が耳朶を打つ。光の強い星々がきらきらしてる。月がこぼした涙みたいな、尊くてさみしい、たくさんの星。
月の光が海面に回廊を作って、それはひととき道筋になる。遠くまで。
「まァた面倒くせぇことになってんなァ、おい」
ぼす、と頭に重み。
声も重くて、しみるみたいで、あったかい。
振り向くとおおきな、本当におおきな身体が精一杯に腰をかがめて、僕を見つめている。
「身体はガタガタ、心臓は作りモノ、おまけに記憶までどこぞに落としてきやがって。無茶に無謀を重ねてそれだ、ちっとは反省しろアホたれが」
おおきな身体、おおきな心、おおきな白いおひげ。
「けど、よく頑張った。おめェは確かに生き延びた。おれの娘はそうでなくっちゃいけねェ」
僕の大好きなひとが、さびしいくらい優しい顔で微笑んでいる。
おおきな手が、いつものように僕をすくうように抱き上げて。酒瓶を傾け、ぐいぐいあおる。
「海賊にいちばん大事なのはよ、生き様よりも死に様だ。好き勝手に暴れたんだ、好き勝手に暴れ続けて笑って散るのが相応ってもんだ。馬鹿みたいにな」
ぶはあ、と吐息をこぼし、口の端を面映そうに上げて、だってのに、と。
「それを台無しにしやがって。まったく、おめェは手に負えねェじゃじゃ馬だよ」
愚痴みたいなのに、世界でいちばん愛しいひとへ語るように。
「誇れ、ミオ。おれの愛しいばか娘、チェレスタの"いっとうだいじなおほしさま"」
にっ、と白いひげが動く。
それは海賊の笑みなのに、父親が家族を世界に自慢するときみたいな満面の笑顔だった。
「最後はちぃっとゴタゴタしちまったが、まァ、おおむね大往生だ」
するりと僕をおろして、大きな身体が動く。
酔っ払い特有の重力のない動きで、両腕をめいっぱいに広げて、まるでファンファーレみたいに。
「おめぇは確かにやりきった!」
それが、その一言がすべてだった。
思いが伝わる。はち切れそうだ。なにかが堰を切った。心臓の奥のもっと奥にじんじん響いて、溶けて、膝からちからが抜けていく。
ぜんぶ、ぜんぶわかってしまったから。
そうか、そうなんだ。
意味はあった。間違いだらけでも、貫き通した意地はここに報われた。連れて行けたのだ。夢のまた夢の、その先へ。だけど、僕はもうあえない。あえないんだ。
僕の大好きなひと。大事なひと。生き方を教えてくれたひと。どうしても、生きてほしかったひと。
「おとう、さん」
これが夢ならどんなにいいか。でも、そうじゃない。
そうじゃ、ないから──
「グラララ……せいぜいあっちで土産話をたらふく聞かせてやらあ」
心があふれて止まらなかった。
「好き勝手に生きろ、ミオ。馬鹿みたいにな」
ぼろぼろこぼれて、落ちて、息の仕方も忘れてしまいそうだった。どうやって止めればいいんだろう。そんな術は知らない。
「あー、泣くな泣くな。べっぴんさんが台無しになっちまう」
もう一つ、声。
ぐしゃぐしゃ、となだめるみたいに髪をかき混ぜる感触。渋くて、ちょっぴり甘い声。僕はこの感触と声をよく知ってる。
ああ、なんてことだ。
「オヤジの供回りなんて大役だろ?」
茶目っ気混じりのウインクひとつ、フランスパンみたいな髪が揺れる。
その周りで、二人のクラバウターマンが踊るようにきゃらきゃらとまとわりついていた。
「悪ィけど、ウチの末っ子を頼むぜ。スゲェ荒れてんだわ。アイツはなんも悪くねェのによ」
夢中で頷くしかできなくて、それがひどく歯痒かった。
大好き。大好きだからさびしくて、苦しくて、つらい。大好きな人たちがいなくなる。ここでないどこかへ、旅に出る。
いかないで、ここにいて。だけど、それは口にしちゃダメだ。
「じゃあな、ミオ」
「愛してるぜ、ミオ」
この世界は優しくない。海賊はそういうものだと知っている。
「船出の時間だ」
だから、僕にできることは──
「ぼくも、あいしてる!!」
力の限り叫んだ。
それしかできなかった。
「ありがとう────!!」
耳元で風が鳴る。
いつの間にか岸壁にいた。
大きな船が遠ざかっていく。月の道をたどるように。追従するように小さな船が見える。水音が大きくなっていく。
「ずっとずっとずっと、だいすき────!!!!」
胸が熱くて目が熱くて苦しくて切ない。
さようなら、と口にできない弱さをどうかゆるして。
おとうさん、サッチ、モビーディック、モビー・ジュニア。
どうか、どうか、よい旅を。
今回はここまでです。
次回更新は年内を目指しているのですが、現在の進捗を鑑みるとちょっと厳しいかもしれません。申し訳ありません。