知りたがりのウィズ   作:氷の泥

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01 土産は魔女

 大蛇のような白煙が、天井に跳ね返って俺を見下ろしている。煙の出どころは……石。カップラーメンのフタの上、重石として置いていた小石から。

 白煙の中には人の顔が浮かび上がっていた。見間違いではない。確かにさっきからずっと目が合い続けている。そして、その煙の中から声が聞こえた時、俺はなんとなく自分の最期を悟ったような気がした。

 どうしてこんなことになったのか。走馬燈と呼ぶにはあまりにも近い記憶が一つだけ脳の中を駆け巡る。煙に覆われた視界より、よほど鮮明な記憶だった。

 

 

 聞いた話、貧困者ほど自炊をせずにカップラーメンやコンビニ弁当を食っているらしい。当然そっちの方が高くつくのにも関わらずだ。なぜそうなるのか、理由は単純で、貧困に陥る者には毎日自炊をするだけの能力なり精神力なりが身についていないらしい。自炊が出来るような人間は、そもそも比較的貧困になりにくいというわけだ。

 それを踏まえて、だからやっぱり、俺は小物だと思う。もう何年も前にそんなことには気付いていたけれども。

 自炊なんていう行為は余裕のあるやつがすることなのだ。たまの休日、土曜日に、わざわざ無駄な時間と労力を使って炊事なんざしたくない。湯を沸かしインスタント食品を調理することほど簡単なことはないのに、それ以上のことをするやつはよほど余裕があるのか、もしくは馬鹿かのどちらかだ。

 俺は身の程を知っているので、今日の昼(つまりは今!)カップ麺を食う。沸いた湯をシンクの上でカップラーメンに注ぐだけ。それだけで今日の昼飯は完成する。素晴らしいことだ。

 ……と、湯の入った鍋を容器に向かって傾けかけた、その瞬間。ピンポンピンポンと、インターホンが二度鳴った。

 こんなピンポイントで間の悪い人間が、信じられないことにこの世には存在するらしい。

「ちっ」

 思わず舌打ちしながら、仕方がないので鍋は火の消えたコンロの上に置き玄関に向かう。

「どちら様ですか」

「マコトー! 土産!」

 げっ。その声を聞いた瞬間、自分の顔がいかにも嫌そうに歪んだのがわかった。

 ともかく、ドアを開ける。今回も例に漏れず、そいつは満面の笑みでそこに立っていた。小学校からの旧友、深瀬斗真だ。

「毎度言うが、いらん」

「まあそう言わずに、邪魔になったら捨てていいから」

 言ってその男はこぶしを握り突き出してきた。俺がその下に受け皿を作ってやれば釣銭でも落ちてきそうだったが、落ちてくるのが小銭ならどれだけ嬉しいことか。

「今回はなんだよ」

「石!」

 いし…………。石をあげると言われて、快くお礼を言える人間は全人口の何パーセントくらいなのだろうか。俺は一桁を割ると思う。

 一応ダメ元で聞いてみる。

「宝石?」

「いや、石」

「パワーストーンとか?」

「いや、石だよ。宝石なら宝石、パワーストーンならパワーストーンって言って渡すから」

 やっぱりそうだ。

 深瀬斗真という狂人が今握っている物は、正真正銘なんの価値もない石ころだ。いや、もしかすると芸術的な価値がある物の可能性もあるけれど、仮にそうだとしてもその価値というのも大したことはない。せいぜい土産物屋に売っている小さなトーテムポールくらいの物だ。

「石はいらん」

「そう言うなって。なんかいい感じの石だから」

 斗真はそう言って俺の手のひらを掴むと強引に受け皿を作らせて、そこに持ってきた石ころをポトリと落とした。

 お披露目されたその石は、本当にただの石ころだった。その気になれば駐車場、河原でほぼ無限に採集できる。

「んじゃ、帰るわ。じゃあな」

「おい!」

 コミュニケーションが成立しているのかも怪しいまま、客人は帰っていった。少し離れて、高速で階段を駆け下りる音が聞こえてくる。俺の住んでいるマンションには当然ながらエレベーターが設置されているのだが……。

「……はぁ」

 ため息が出る。幸せが逃げたとまでは言わない、脱力しただけだ。

 深瀬斗真は旅行狂いだ。あいつが日本にいる時間は、たぶんその他の国にいる時間より短い。土産の石を渡すやいなや「帰る」と言ってやつは去っていったが、最悪明日の朝にでもまたどこかへ飛び立ってもおかしくないくらいだ。

 その昔、お互いが小学生だった頃、俺たち二人はよく冒険の旅に出ていた。近所の緑地という名の無法地帯みたいな森だとか、いつからあるのかわからない廃屋だとか、そういう場所によく挑むように足を踏み入れていた。

 中学生になって環境が変わって、なんとなく俺は自分が大人になった気がしたそのタイミングで冒険をやめたのだけれど、斗真は違った。あいつは中学に入ってからも冒険を続けていた。

 そうしていくうちに冒険の定義が広がり、「知らない駅で降りてみる」とか「行ったことのない道に入ってみる」とかいった身近な物が冒険になっていったのは、森や廃屋のような心を躍らせる場所が無尽蔵に出てくるわけじゃなかったせいだろうけど。定義と一緒に、やつの冒険は単純な行動範囲も広がっていった。俺も頻繁に誘われたけれど、すっかり冒険自体に興味を失った俺が同行したことは一度もなかったと記憶している。

 高校で別々になって、正直あいつとの縁もそこで終わったと思っていたのだけれど、俺が成人してから間もないある日に電話がかかってきたのだ。

「熊の肉、食いたくね?」

 久しぶりに聞いた彼の声は俺の記憶の中とは別物で、けれどもなぜか一発で「斗真だ」と分かった。そしてそれと同時に冒険を楽しんでいたあの頃の熱意が、高揚感が、激流のような勢いで自分の中に戻ってきた気がして、その時の俺は舞い上がってしまったのだ。

 熊の肉は旨かった。そして、それからだった。あいつがわけの分からない土産物を俺の家にしょっちゅう持ってくるようになったのは。

「捨てろと言われてもな……」

 手のひらの上の石ころを見つめる。どう考えてもいらない物だ。……けれども、置いていてもあまり幅を取る物ではない。

 玄関から戻ってきて、ここに招かれた客人になったような気分で部屋を見渡す。相変わらず、壁に掛けられた山羊の頭骨が一番目立っていた。

 棚の上にあるトーテムポールは、サイズがだるま落とし程度だからそんなに目立たない。見ると「なんだこれ」という気持ちにはさせられるが。

 名前のわからないサボテンはまだ生きている。育てるのが簡単だというのは嘘ではなかったらしい。

 たぶん珍しい種類だと思われるカブトムシの標本は、中学校の廊下に飾ってあった絵画みたいな顔をして壁にかけられている。額縁も相まって、遠目で見れば絵画に見えないこともない。

 何に使うのかわからない木製の棒は、とりあえずテレビのリモコンと並べてテーブルの上に置いてある。けれども、なぜそこに置いたのか誰かから理由を問われたら、その時は上手く答えられない自信がある。

 同じくテーブルの上に放置されているパッケージが何語なのかわからないスナック菓子は、一口目で諦めて袋の口を輪ゴムで縛ったままだ。

 俺は、俺はあいつからもらった物を捨てられない。友達からもらった物を簡単に捨てられるような人間は、見てくれがいくら人間に似ていても人の心を持ってないと思う。だからって俺が人間として正しくて模範的だとは言えないけれど。だって捨てられないことで困っているのだから、模範も何もないだろう。

「あっ」

 昼飯のことをすっかり忘れていた。台所の隅の方、暗いコンロの上で放置された小鍋の中の湯が心配になる。大した時間は経っていないだろうけど、湯ってどれくらいのペースで冷めるのだろう?

 大丈夫だろうと高をくくって見切り発車で注ぎ入れる思い切りも、熱湯かもしれない液体に指を突っ込んで確認する度胸もなかったので、無難にまた少し火にかけることにした。こんなふうに無駄な手間をかけてしまっても、自炊に比べれば遥かに軽い労力しか消費していないのだから、やっぱり俺にはこれが合っている。

 

 

 ぶくぶくと再び沸騰した湯を今度こそカップ麺の容器に注ぎ入れる。フタを閉じておくための重りに箸を使うべく、割り箸を手に取ろうとした……が、もっといい物を見つけた。

 斗真からもらった石ころだ。漬物石にはどう頑張ってもなれず、かといって他のことにも何一つ使えないただの小さな石ころでも、フタを押さえる重りにくらいはなるだろう。一見無駄なものを工夫次第で有効活用できた感じがして気分がスッキリする特典付きだ。

 スマホのタイマー機能で2分30秒をセットする。湯を注いでからタイマーをつけるまでに間がある分、その方が3分に対して正確になる気がするからだ。実際のところどうするのが正しいのかは知らないし興味もない。

 スマホを見たついでにネットを巡回してみるかと思い立って、そこらへんの床に座ってスマホをいじる。そうしていると3分、もとい2分30秒なんかすぐに過ぎてしまう。

 タイマーが俺を急かし始めたところで、特に未練も感じずスマホの画面からバックライトを落としてカップ麺を取りに行く。…………と、顔を上げた時だ。視界が妙に白かった。すべてが、白かった。

 は? というのが感想になる。部屋中が霧に飲み込まれたみたいにうっすら白くなっていた。煙が充満していることに気付くまで何秒かかったのかわからないが、俺にとってはかなり長い時間だったように感じた。

 火事だ。煙といえば、まずはそれを真っ先に想像する。火を起こせる道具は、家にはコンロしかない。さっき湯を沸かしなおした時にガスの元栓でも閉め忘れたか。

 慌てて確認するが、元栓は閉まっている。よく考えてみれば元栓を閉め忘れたからってたったの3分で火事にはならないし、そもそも仮にガスが原因で火事になっていたら、今頃こんなのんきでいられる状況じゃなくなっているだろう。

 じゃあ何だ、火なんて他に扱わなかったし、煙が出るような物は他にない。なのに部屋の中は白煙で埋め尽くされている。……そういえばこんなになっているのに、火災報知器が鳴らない。

 ふと、カップ麺を見た。蒸気機関車の煙突から出る煙みたいに勢い良く、フタの上から煙が噴き出している。信じられないけれど、見えていることが事実だ。確かに間違いなく、カップ麺から煙が出ていた。

 よくわからないが、とにかくあのカップ麺は捨てなければ。捨てれば煙も収まるだろう。急がなければ、たしか火事の死因は焼死よりも煙を吸うことによる窒息が多くを占めているはずだ。このままでは俺も多数派の死因で倒れてしまう。

 カップ麺の容器をわしづかみにして排水溝めがけてぶちまける。使ったことのない最大の勢いで水道水もぶっかけてみる。さすがに解決しただろうと思った。

 そして特に理由なく、なにか本能的に、俺は上を向いた。……大蛇のような白煙が、天井に跳ね返って俺を見下ろしている。

 白煙の中には顔が浮かび上がっていた。見間違いではない、確かに目が合った。そして合い続けている。

 その煙の中から声が聞こえた。

「はっはっはっはっはっ!!」

 笑っていた。煙の中の顔が笑っていた。ファンタジーとかホラーとか、とにかく創作物を思い出す。映画なりアニメなり、とにかくフィクションを。「自分の頭がおかしくなった」。そうなるに至る理由に心当たりはまったくないが、俺はそう確信した。

「キミか、私の封印を解いたのは!」

 心なしか煙の顔は上機嫌に見えたが、俺はなんとなく「魅入られた」と感じた。

「ふ、ふういん……?」

「ああ、そうだ、封印だ。キミが解いたのだろう?」

 今さらながら、煙の声が女だということに気付く。

「な、なんだそれ。知らないぞ、俺はなにも……!」

「そんなに怯えるなよ。突然現れただけのことがそんなに恐ろしいか?」

「いや、突然っていうか、それもそうだけど、煙が喋ったら、煙が……」

「けむり? ……あっ! 失礼!」

 煙の女が何かに気付いたようだった。すると、部屋中に滞留していた白煙が、まさに霧散といった様相で消えてなくなる。

 消えた煙の代わりに、俺の目の前には一人の女性がたたずんでいた。

 ……彼女は何と言うべきか、そう、一言で表すなら「歴史の教科書で見た当時の美人」だろうか。もしくは「納豆のパッケージでよく見る顔」だろうか。

 とにかく、失礼なので口には出さないけれど、ずばり言って「古い顔」の人だった。というか、服装まで含めて「古い」人だった。ここで言う「古い」は、例えば「昭和や大正」を「最近」とした場合の「古い」である。

「失礼、久しぶりなものでウッカリ気体化していたみたいだ。これで怖がらずにいてもらえるかな」

 とりあえず俺は心の中で目の前の女性を「おかめ納豆」と名付けたけれど、依然として状況は飲み込めない。飲み込めないのにのんきに名前なんか付けているのは、現実逃避の一種なのかもしれない。

 というか、ここは本当に現実なのだろうか? 俺はもしや気づかぬうちに昼寝していたのでは?

「いや、えーと…………どちら様ですか?」

 おかめ納豆が得意げな顔をしたのがわかった。現代人と違った顔つきの人でも現代人と同じような表情をするらしい。おかめ納豆というより、おじゃる丸のことを好きな人と名付けるべきかもしれない。

「私が何者なのか聞きたそうな顔だな。私は魔女、無知の魔女だ。人間流の名前はキミが好きにつけるといい……!」

「えー……」

 心の中ですでにつけた名前を言ったら怒るだろうなぁ……。

 魔女を名乗った彼女は、別に頭のおかしい人というわけではないと思われる。何せ突然現れたのだし、あの煙を発生させそして消したのも彼女の仕業と見て間違いないだろうから。

 一周回って、もはや常識を捨てる覚悟は容易に決まった。そうだと信じるしかないが、俺はいま人ならざる存在と相見えているらしい。そうらしい。そうに違いない。そうとしか思えない。

 そうだとすれば光栄なことだ。普通の人は一生お目にかかれない高位の存在に会えたのだから。いやはや、俺は幸せ者だな。あっはっはっ。…………もう、わけがわからない。

「まあ、いきなり名前を求めるのもおかしな話か。それよりも、いくつかキミに聞きたいことがあるのだが、いいかね」

「あ、はい。なんなりと」

「ここはどこだ? 時代は?」

 どこ、という質問に「東京」と答えることがこの場合正しいのだろうか。たぶん違う。なんとなく分かってきた。

 この魔女は、どうやら長い間封印されていたらしい。おそらくその容姿が「普通」であった時代からずっと封印されていて、それがなぜか今解放されたのだ。だから「時代は?」と訊いてくる。彼女は大昔の人で、魔女であっても自分が置かれている状況をすべて自力で理解することは困難なのだ。そうに違いない。

「日本の東京という場所です。時代は、平成ですね。西暦で言うなら2018……ああでも平成はもうすぐ終わるって話が」

「ちょっと、ちょっと待ってくれ」

 おかめ納豆の魔女が手のひらを突き出してストップをかけてくる。

「申し訳ない。何を言っているのか理解できない」

「えーと、とにかくここは日本で、2018年です。俺から言えることはそれだけです」

「……なるほど、なるほど」

 あごに手をあてて考え込むようにしていた魔女。そして不意に手のひらを突き出す。ストップ、というか「ちょっとタンマ!」の多い魔女だ。

「少し外を見てくる。すぐ帰るからここにいてくれ」

「わ、わかりました」

 無意識にぶんぶんと首を振ってうなずいていた。なんとなく、彼女よりも下の存在になった気分だ。

「助かる」

 魔女は駆け足でベランダへ向かうと、鍵まで閉じていた窓を当然のようにすり抜けて外へ出た。すり抜けというよりも素通りといった方がイメージに近く、まるで今起こったことが、本当に大したことじゃなかったかのような印象を受けてしまう。

 そして彼女はそのままベランダの淵から飛び立った。飛び降りたのではない。鳥が風に乗るように、ふわりと浮かんだ彼女は空を飛んで行った。まるで世界の法則が元々そうだったと錯覚するかのような、至極自然なこととして目に映る光景だったと思う。

 見た目がおかめ納豆でさえなければかっこいいシーンだったのかもしれない。

 それで、残された俺は一体どうしたらいいのだろうか。魔女の言った「ここにいてくれ」というのは、彼女から俺へのちょっとしたお願いだったのだろうか。それとも、命令だったのだろうか。

 後者だったとすると、この場を離れることはワンチャン命に関わる。魔女の力は今この目で確認したところなので、ここにいろと言われてOKと答えたのにも関わらず俺がどこかへ消えた場合、機嫌を悪くした魔女が何をするかわかったもんじゃない。

 ……いや、でも、ちょっとくらい。一瞬だけ。いいよな?

 数十秒後、俺はコンロの前に立って湯を沸かしていた。昼飯になるはずだった物をぶちまけてしまったので、代わりとなる物を作ろうとしているのである。その物とはトマト味のカップラーメン。本来だったら今頃シーフード味を平らげている頃だったのに。

 魔女の言う「すぐ帰る」の「すぐ」がもしかしたら二秒くらいである可能性も考えたけれど、結局カップラーメンが完成するまで彼女が帰ってくることはなかった。すぐというのはコンビニに行くくらいのノリで、行ってみたらちょっと混んでいたくらいの遅れが出ているのかもしれない。

 テーブルの近くの床にそのまま座って、赤いスープに浸かった麺をすする。この味はこの味で旨いのだが、今日はシーフードの気分だった。別の日に食べていてば、きっとこいつはもっと旨く感じていたはずだ。

「ただいま」

「うおっ!?」

 突然となりから声がして死ぬほどびびった。危うくラーメンを吹きそうになったがセーフ。声の主は確認するまでもなく魔女だろう。

 よく考えれば相手は得体の知れない高位の存在、瞬間移動くらいお手の物なのかもしれない。ベランダから飛び立って見せたのは、無知な人間に魔女の力の片鱗を見せつけてやるためだったとか。

「おかえりなさ……はっ?」

 カップ麺を机に置いて声の方に顔を向けると、そこに立っていたのはおかめ納豆の魔女などではなかった。広瀬○ずが、広瀬○ずがそこにいた。

「私の知らない間に人間の容姿はずいぶん流行りが変わっていたようで、外でそれに気付いたので私も姿を変えてみた。……というわけなのだが、どうだ?」

 どうだ、というのがどういう意味なのかよくわからなかった。そしてよくよく見てみると、彼女の顔は完全に広瀬○ずと同じ顔というわけではなくて、ものすごく精度の高いそっくりさんといったような具合だった。

 どちらにせよ、言えることは一つしかないのだけれども。

「か、かわいいです」

「自然か?」

「自然かと言われると、うーん……。現代の人間としては自然ですけど、庶民としてはいささか美人すぎる気がしないでもないです」

「これで人通りの多いところを歩くとどうなる」

「さ、さあ……?」

 ふむ……と魔女はあごに手を当てて何かを考え始める。容姿が変わるとそのポーズも神々しいまでに美しく俺の目に映った。いや、もはや焼き付いたと言った方がいいかもしれない。眼福以外の何物でもないわけだし。

 と、顔ばかりに気が引かれていたが、冷静に見れば服装まで現代女子風になっている。これが魔女の力か……ッ!

「まあいいか。それで、キミにもう一つ頼みがあるのだが、いいか?」

 容姿が変わってくると、そのいかにも尊大な印象をふりまく口調には多少の違和感が生まれたが、それはそれで新鮮な感じがして良い気もするし、女優がそういう役作りをしている最中と言われればそうとも見えてくる。

「……おい、聞いてるか?」

「え、あ、はい。なんなりと」

 突然、広瀬魔女は口調と今までの態度に似合わない、すごく申し訳なさそうな顔をした。

「私はまだ現代の言葉に慣れていない。正直キミの話していることもなんとなくで聞いて、あとは表情などの雰囲気を頼りに読み取っている。なので、少し勉強をしに行きたい」

「えっ」

 今までのやり取りからして当然言葉は通じているものだと思っていた。というかそれ以前に、本人が思い切り現代日本語を話している。

「でも今普通に喋ってますよね……?」

「ああ、これはキミにとって聞きやすくなるように「意味」だけを発信している物で、まあつまりはそういう、コミュニケーションを円滑にするための魔法だと思ってもらえればいい。だから私はこの時代の言葉を話してはいないよ」

「じゃあ聞くのも魔法で」

「それはできないんだ。……それで、私は少し勉強をしに出かけたいのだけれど、明日の朝までキミにここにいてもらうことはできるかな」

 明日の朝というと日曜の朝。今日の夜も明日の朝も特に出かける予定はない。ゲームでもしながら休日を満喫するつもりだった。

「平気ですよ。あ、でも、ちょっとコンビニへ行くくらいのことは……ってこれも伝わってないのか? なんて言えばいいんだろう」

「いや、なんとなくわかる。基本的に家にいるが、少し外へ出る時がある……ってところだろう?」

 返事をしようとして、俺は思い立ちうなずくことにした。言葉が通じないなら、首を振ってイエスかノーを示した方が伝わるはずだ。……もっとも、縦に振ればイエスで横に振ればノーだという常識が通じればの話だけれど。しかしなんとなく、この魔女はそこまで異国の存在という感じがしない。たぶん大丈夫だろう。

「わかった。それじゃあ行ってくる。今日は帰らないから、また明日会おう」

 言葉だけがその場に残されたかのように、パッ、と魔女が消えた。やっぱり瞬間移動ができるのだ。

 取り残された俺は、とりあえずトマト味カップラーメンを食べきって、それから予定通りゲーム機の電源を入れた。取り残されたというのは今まで一心同体で生きてきたはずの、常識的なこの世界とか、そういうものから取り残されたの意味もある。追放されたと言った方が正確なのかもしれない。

 ゲームの中で魔法の矢を放つたびに、あの魔女もこんなことができるのだろうかと想像してしまって集中できなかった。

 

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