知りたがりのウィズ   作:氷の泥

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04 魔女を観る

 魔女とカップラーメンを食べた日の夜、俺は彼女がテレビゲームをプレイしている様子を隣に座って眺めていた。ジャンルはアクションRPGで、巷の評判を参考に言って難易度は高い方のゲームだ。俺自身は慣れすぎてよくわからなくなっているが。

 開始してから数分の、ウィズのプレイの有り様ときたらひどかった。生まれて初めてテレビゲームという概念に触れた人にひどかったなんて言うのは酷かもしれないが、そうとしか表現のしようがなかった。

 まず、コントローラーを見つめながらでなければロクに操作ができなかった。となると当然、重要な場面であればあるほど、画面とコントローラーどちらを見るのか選択しなければならなくなる。それもアクションゲームなのにだ。ロールプレイングとかならまだしも、待ったなしのアクションで画面を見られないのは正直言って致命傷だ。

 普通ゲームというのは画面から目を離さないもので、コントローラーは目では見ずに感覚で操作する。改めてそんな言い方をするとものすごく高度な技術のように聞こえるけれど、まったくそんなことはない。いくらゲームが下手な人でも、コントローラーから目を離せないという人は稀だ。

 当然ながらゲームは画面を見ながらプレイすることを前提として作られている。この調子でいくと初心者のウィズには、チュートリアルを超えた先の最初のステージでさえクリアは遠い夢のように思われた。

 だが、彼女はすぐ操作に慣れた。五分も経たなかったかもしれない。ついさっきまで画面とコントローラーを交互に見ていた人が、もう熟練のゲーマーのようなプレイをしている。

 急激な成長に驚く俺の横でポツリとこぼれたそれは、独り言だったのだと思う。

「慣れてきた」

 それからの彼女のプレイはすさまじかった。俺は同じゲームを百時間は遊んでいるが、ウィズは明らかに俺よりも上手くなっていた。初見の罠にこそ引っかかるものの、一度見た場所ではタイムアタックも目指せそうな動きをしている。

 上級者面して見物していた俺は唖然となるが、初見の罠には一つ余さず全て見事に引っかかってくれているのがせめてもの救いか。

 たった一日で現代の言葉と知識を、とりあえず会話に支障が出ないところまで習得してきた魔女の、その魔法とは別の地の恐ろしさを、まさかこんなタイミングで見ることになるとは思わなかった。

「あの、ウィズさん……?」

「ん、なんだ」

 できるだけゲームが切羽詰まっていない場面を選んで話しかける。ボス戦の最中に話しかけようものならキレられそうな集中力を感じたから。

「そろそろ寝ません……?」

 時刻はすでに深夜二十四時を過ぎて、日付が変わっている。と言っても俺が起きたのは正午を過ぎた時間帯だったから、活動時間で言えば十二時間程度である。そういう意味では、時間的に大した問題があるわけじゃないのかもしれない。

 が、明日は月曜日、平日なのだ。俺は大学へ行かなければならない。俺が夜更かしをものともせずにバッチリ朝起きられる人間でないことは、今日の起床時間から察してもらえるのではなかろうか。

「ああ、日付が変わったか」

 時計を一瞬だけ見ると、特に未練もなさそうにウィズはゲームを終了した。……と思ったら、そうでもなかったらしくて。

「また明日遊んでも……?」

 そう言う彼女は強烈にかわいかった。何かのCMかと思った。

「あ、どうぞどうぞ。好きなだけ」

「ありがとう」

 丁寧に手を使ってコントローラーを元の場所に返してから、ウィズは立ち上がって一つ大きく伸びをした。ゴミ捨てはサイコキネシス的な魔法で、お片付けは手を使ってやるところからするに、魔法でのコントロールは自分自身の手を用いることと比べれば不安定なものなのかもしれない。

「歯を磨いてくる」

「あ、はーい」

 寝室(として使っている部屋であって、正式に寝室として作られた部屋なのかは知らない)に敷かれた二組の布団を思い浮かべて、洗面台に向かったウィズを見送る。

 この家には布団が一組しかなかった。それに気付いたのが夜になってからで、こいつはまずいと一時は焦ったものである。焦るというか普通に、目の前に敷かれた自分の布団を明け渡すほかに道はないと思っていた。

 ウィズが平然と自分用の布団をその場で生成したのを見て、そろそろ丸一日経つのだし自分も魔法に慣れていかなければならないなと肝に銘じたのが、ほんの数時間前のことである。だから今、さすがの俺も「歯ブラシが一個しかねえ!」なんて騒いだりはしない。

 ただ、もし一つ騒いでもいいのなら騒ぎたいことがある。この家は大して広くなく、当然寝室も広くはない。むしろ狭いのだ。

 つまりそこで眠ると、ウィズの布団が俺から近くなる。死ぬほど近くなる。お互い意識して壁側に避けて寝なければ、添い寝するのと大して変わらない距離感になってしまうのである。一大事だ。

 一人暮らしの男が美少女と添い寝なんてすれば「うひょー! 最高!」では済まない。俺の理性は「なんでもする」と言われることには耐えたけれど、実際に息もかかりそうな距離に接近されたあげくに「睡眠」という隙をさらされた場合、その視覚的に強烈な誘惑を振り切れる確証はない。確証はないし自信もない。

 何か使用例が間違っている気がするが、ともかくこれが百聞は一見に如かずというやつだ。言葉よりも実際に見る方が価値は重い。

 それで万が一俺が出来心で手を出して、ウィズに「これからも協力してくれるなら」なんていって受け入れられてしまったら……。俺は弱みにつけ込むゲス野郎になってしまう。法で裁けない悪というやつだ。それは避けたい。

 あれ、いや、ウィズが「無理やりされたんです」と証言すれば負い目のある俺はそのまま法で裁かれるのか? いやそういう問題じゃないわ。とか考えていたところで、洗面所からウィズが帰ってきた。

「マコトは歯みがいたか?」

「いや、まだ」

 仮に虫歯になったとしたら、ウィズの魔法はそれを治してくれるのだろうか。パソコンと違って虫歯は昔からあったはずで、彼女が魔法で何かをなおす際の条件が「なおる、とはどういうことか」を理解していることらしいので、その理屈でいくと虫歯は治せそうに思える。

 なにも医学的な知識がなくたって「健康な歯」を知っていればいいのなら、虫歯を治すことくらいできるのでは。むしろ人間が治すよりも遥かに高度に、治すというより戻せるのでは。

 まあ、そうだったとしても、その魔法をアテにしておんぶに抱っこの状態になるつもりはないけれど。

「先に寝ててくれていいですからね」

「了解」

 歯を磨きに向かう途中で気付いた。寝室の問題、俺が居間で寝れば解決するだけの話じゃないか。いつもの癖で寝室に布団を配置したところで脳みそが停止していたんだ。

 寝る支度をすべて終えて寝室に戻ってみると、ウィズはすでに眠りについているようだった。そしてそれを見るとやはり、同じ部屋で寝た場合事実上の添い寝が発生するのは明らかだった。

 隣で眠る魔女を起こさないようにそーっとそーっと、敷いた布団を引きずる形で居間に運び出そうとする。その道中で、なんとなくウィズの寝顔を見てしまった。さらになんとなく、目が離せなくなってしまう。

 めったに感じる物じゃないドキドキ感を覚えて、なんのために布団を運ぼうとしているんだと自分を奮い立たせる。寝室から完全に撤退を完了する頃には、ドキドキ感はむしろ罪悪感に変化していた。女性の寝顔をまじまじと観察するのは褒められたことじゃない。

 居間に布団を敷いて寝るという初めての試みにはまったくドキドキすることなく、俺は明日のためにもさっさと寝ることにした。布団に入って、目を閉じる。そのまましばらくしていれば、いつの間にか眠れるものだ。そういうものだ。

 ……そういえばウィズが眠りにつくのは早かったな。

 目を離してから十分も経っていなかったと思うけれど、魔女でも夜中まで起きていれば眠くなるものなのだろうか。いや、深夜十二時に眠くなるって人間として見ても結構早寝の部類に当たるような。

 そういえば、そもそもウィズは今日何時から起きていたのだろう。俺は昼に起きたけど、彼女は前日からこの時代のことを学ぶためにどこかに出かけていたはずだ。外で寝てきたのか、それとも徹夜だったのか。前者はわざわざそうする必要が感じられないし、後者なら夜中までゲームしたあとマッハで寝るのも納得だ。

 ふと、目覚まし時計をセットしたか記憶が曖昧になって枕元を確認する。寝室から布団と一緒に持ってきたそれは、確かに明日の朝に俺を起こすべくセットされていた。

 でも考えてみれば、ウィズに魔法で起こしてもらうという選択肢もあったんじゃないか。せっかく向こうが願いを叶えてくれると言っているのだから、それくらいのことを頼んでみた方がむしろ良かったのではないか。

 ただ頼むとしても、魔法の性質を完全に理解できている気はまだしないから、頼むなら頼むでそれが可能なのかは彼女が寝る前に聞かなければいけなかったことになる。済んだことだし今日のところは良しとして、また明日聞いてみようか。

「…………」

 …………聞こえる。

 カッ、カッ、カッ、カッ、と、秒針が進む音が聞こえる。俺の耳が日中まったく認識しない音だ。俺が羊を数える代わりに、時計が勝手に秒数を数えてくれる。

 一秒、二秒、三秒……。まだ、まだ、眠れない。やがて十秒……二十秒……三十秒……。

 なぜか唐突に、ウィズの寝顔が俺の頭の中に鮮明に浮かんできた。彼女はすぐ隣の部屋で、ぐっすりと眠っている。一方俺は。

 …………眠れねえッ!!

 

 

 視界が白くぼやけている。何をしていたのか覚えていない。

「コト……。マコト……!」

 誰かが俺を読んでいる。小さな女の子だ。俺は彼女を知っている。

「マコト! こっちこっち!」

 顔がよく見えないけれど、彼女とはずっと仲が良いのだ。それは確かなことだ。俺は呼ばれるがまま彼女の方に駆けていく。何を見せたくて俺を呼んでいるのだろう。きっと楽しいことに違いない。

 なんだか彼女に向かって走っているだけで、なんともいえず心地よい幸福感に包まれる。このままずっと幸せでいたい。毎日冒険して遊ぶんだ。次はどこへ行こう?

「おい、マコト!」

「……んっ!?」

 べしべしと体を叩かれて目が覚める。

 目の前に数字が丸く並んでいた。一から十二まで。ずいぶんと顔に近いせいで、秒針の音がはっきり聞こえる。

「起きたか?」

「ん……うん……」

 魔法で楽に起こしてもらえれば、なんて考えていた気がするけれど、まさか魔女から普通に大声で叩き起こされるとは。

「なあコレ、目覚まし時計ってやつだろう? どんな音が鳴るんだ?」

「どんな音って言われても」

 それを俺に聞くために、目覚ましが鳴るよりも早く起こしたのか? 具体的な時間までは見ていないけれど、昨日はだいぶ遅くまで眠れなかった気がする。遅刻するよりはマシだけど、なんだか体が重い。だるい。

「目覚まし時計の存在は知ってるけど、音は聞いたことないんだ。教えてくれマコト、そういう約束だろう」

「えー……」

 俺が現代のことを教える代わりに、ウィズは俺の願いを叶える約束。とは言っても、ウィズの魔法には一定のルールがあるから、叶える願いは可能なものに限られる……。

 って、そうだ、それは俺も同じだ。

「どう説明していいのかわからない。出来る限りのことしか教えられないって、言ったはずだ、確か」

「むぅ、それはそうだが」

「というか、鳴るまで待って実際聞けばいいのでは?」

 百聞は一見に如かずだ。この場合は実際に聞くことが「一見」に当たる。

 と、至極当然のアドバイスをしたつもりだったが、ウィズは納得いっていなさそうな顔をして未練あり気に目覚まし時計を持ったままだ。

「いつ鳴るんだ……?」

「ん……あと五分」

「五分! それなら待とう」

 目覚まし時計の存在だけを学んだらしい彼女は、そのセットの仕方を知らなかったらしい。手に持ったそれが何時に鳴るようにセットされた物なのかも、見ただけでは判断できないということか。

 うきうきした顔で時計を床に置き、その前に正座するウィズ。大好きなアニメが始まる直前にテレビ前で待機している子どものようだった。俺も昔はそれくらい夢中になるものがあったっけなぁ……。

 睡眠時間が足りないと、どうも頭が冴えなくていけない。おそらく十分な睡眠を取っていれば目が覚めた瞬間に「こんな美少女が俺を起こしてくれるなんて!」みたいな気持ちになっていたはずなんだけど……。今はダメだ、美少女とか全然どうでもいい、大学行きたくない。

 のそのそと立ち上がって、亡者のように生気のない動きで朝食とする物を探す俺の姿に、目覚まし時計に釘付けだったウィズが何かを感じ取ったらしい。立ち上がってこっちに近寄ってきた。

「マコト、もしかして調子悪いのか……? 大丈夫か、熱とかあるんじゃ……」

「いや、大丈夫ですよ。ただの寝不足なんで」

 昼飯食う頃には朝方調子でなかったことも忘れてるよ、くらいの意味で言った。心配無用だぜって意味で。

 しかしすり寄ってくるようだったウィズが、何か取り返しのつかないことをしてしまったような重々しい語調で言った。

「す、すまない。私のせいで……」

 なぜ謝られたのかわからなかったが、ウィズがらしくもなく不安そのものといった様子でうつむいていた。会って数日で「らしさ」の何がわかるのかも、そもそもいま何が起こっているのかもわからない。が、なぜか良心は痛む。

「な、なにがです……?」

「私が昨日遅くまでゲームしてたから、マコトが寝れなかったんだろう……?」

「ち、違いますよ。そうじゃないです」

 言われて初めて、なるほどそういうことかと、一応ウィズの思考回路を理解することはできた。理解はできたが、共感はできない。なんでそうなる……? 何にでも自分に責任を感じる気弱なタイプには見えないが。

 ……いや、どうだろう。案外そのあたりはデリケートなのかもしれない。瞬間移動で突然現れるウィズに俺が驚いた時にも、彼女は自分に非があると言っていた。

「昨日は俺が勝手に眠れなくなっただけで。あの時間から普通に寝てれば寝不足にはなりませんよ」

「私が原因なんじゃないのか……?」

「……うーん」

 言葉に詰まる。原因がウィズだったのかというと、ある意味イエスだ。仮にあの時ゲームをやっていたのが斗真のような男友達で、その後あいつが泊まることになっても、俺はその日いつもと変わらずにぐっすりと眠っていたはず。

 つまりは女の子が同じ屋根の下にいると思うと落ち着かず眠れませんでした、というのが答えになるわけだけれど。そんなこと今の状況で言ったら「存在するだけで迷惑です」と言っているようなものだもんなぁ……。どうするべきか、この状況。

「何か私に原因があったなら、今度から改める。言ってくれ」

 なぜか過剰に心細そうな魔女を鎮めるため。そう、仮に俺に「出ていけ」と言われても痛くもかゆくもないはずの魔女が、なぜか心細そうにしているので、そんな彼女のために。

 俺は適当にはぐらかすことにした。

「あー、ウィズさんに原因はないですよ。なぜか眠れなくなる日ってあるんですよね、たまに。原因不明で」

「そうなのか……? もしかして現代の人間にはそういうことが」

「ありますあります。個人差があるので、全然ないって人もいますけど。俺はあります」

「へぇー……そうなのか……」

 さっきまで不安そうだったウィズの表情が、急に「実に面白い」とか言い出しそうな研究者風の、自分の内面に潜っていくような真剣なものになった。

 ほぼ嘘と言ってしまっていいような情報を刷り込んでしまって良心が痛む。原因無しで眠れなくなる人なんかいるものか。俺にも原因はあったし、不眠症の人だって不眠症になる原因があるだろうに。しかし、こう答えるしか俺には思いつかなかった。

 真実をそのまま話していればきっと俺の良心はもっと痛んでいたはずだし、ウィズも何かしら嫌な思いをしていたはず。だから、これで良かったはず。魔女よ許してくれ、人間は弱いのだ……。

 と、そんな時に。

 ジリリリリリリッ!! と予想外の大音量が俺の耳になだれ込んできた。

「うわっ!」

 本当にこれでよかったのだろうか……なんて悩んでいたところだったので、言うほど大した爆音でもないのに心臓が跳ね上がった。

 一方、魔女は大はしゃぎだ。

「おおー! これか、これか!」

 床に置かれたそれを拾い上げて、彼女にだけ波の音でも聞こえているんじゃないかと思えるほど穏やかな表情で、ウィズは鳴り響き続ける目覚まし時計を耳に当てていた。さすがにゼロ距離だと鼓膜が心配だ。

「……あの、うるさいんで満足したら止めてもらえると」

「どうやって止めるんだ?」

「そこの上のところの大きいボタンを」

 どうぞいつでも押してくださいと言わんばかりにデカデカと配置されたボタンが押されて、朝のなんともいえない静けさが帰ってきた。ちょうどいいタイミングで外からチュンチュンとスズメの鳴き声も聞こえてくる。

「よく出来た物だなぁ、目覚まし時計」

 どこに関心しているのかわからないが、ウィズは鳴りやんだ後も時計をあらゆる角度から観察している。俺は台所の棚から朝食用のクリームパンを見つけた。冷蔵庫の牛乳も出してきてさっさと食べる。

「あれ、そういえばウィズさん朝なに食べます? このパンとか……?」

 五個入りのクリームパンのうち残り四個を差し出して聞く。返事はなかったが、パンは一つウィズの手中に収まりかじられていった。

 カップ麺を食べた時と同じように、しばらく咀嚼したあとウィズは一切の動きを停止する。この魔女、毎度そのリアクションで疲れないのだろうか。

「マコト、これはいくらで買った」

「百何十円かで買った気がします」

「そうかぁ」

 かじった残りのパンを口に放り込むと、彼女は二つ目のパンに手を付けた。直感が、四つ全部食べられることを予言する。

「喉に詰まりません……?」

 コップに入れた牛乳を渡すとそれも一口で飲み干す。で、三つ目のパンをかじる。食べている量は普通なのに大食い選手権的なオーラを感じるというか、貪り食うという言葉がものすごく似合う光景だった。

 ちなみに昨日の夜はゲームを始める前にカレーを食べている。散々迷った末のレトルトだったが、その時にも今と同じような反応を見たのでそろそろ魔女の餌付けにも慣れてきた。たぶんこの人、何食べても救助された遭難者みたいな勢いになるんだ。

 結局、案の定四つのパンをすべて胃袋に収めたウィズ。満足そうだった。

「これはクリームパンという物なんだよな。つまり、パンなんだよな?」

「そうですね」

 ついさっきまで食べていた物を思い出すかのように。もしくは、遥か前の時代の思い出を掘り起こすかのように。ウィズは遠い目で宙を見つめながら話し始める。

「パンは食べたことがあるんだ」

「そうなんですか」

 彼女がいた時代の日本にもパンがあったのか! と驚きはするけれど、そもそもパンがいつ頃日本に伝わったのか、詳しいことを俺は知らない。

「けど、ちょっと違う感じだったな。何よりクリームとやらは初めて食べた」

 愚問だと思いつつも、聞く。

「クリームは口に合いましたか」

「合うなんてものじゃない。革命だと思ったよ」

 でしょうね、とはさすがに言わない。するとウィズが続けた。

「だが今のところ、同じ感想をこの時代の食べ物すべてに抱いている。この程度で毎度驚いていては、キリがないのだろうな。きっと」

 それは同感である。が、そう言いつつもウィズの反応が現代人らしくなる兆しは見られない。これもゲームのように、いつか「慣れてきた」と言って急激に変わっていくのだろうか。それはちょっと寂しい気もする。

 それでも、いつかは彼女も現代の全てに慣れるはず。魔女が人間と同じように、食べたことがないからではなく、おいしいことを知っているからを理由に食べ物を選ぶ日が来るのだ。

 しかしそう考えると逆に、現時点での彼女の食の好みに興味が出てくる。好奇心で食を楽しんでいるように見えるけれど、昔は何か好物とかなかったのだろうか。

「パンは食べたことあるって言ってましたけど、現代にも置いてそうなウィズさんが食べたことのある物で、特別これが好きだって物は何かあります?」

「魚の刺身だな」

「刺身ですか」

「寿司とかいいな」

 なんとなく、言葉の節々に「食べに連れて行ってくれ」という意味合いを感じる。一般の大学生に寿司をねだるのはちょっと無謀というか、正直やめていただきたい。スーパーで売ってるやつでもいいなら話は別だが、遥か昔から寿司が好物だと言う人がそれで満足するとは思えない。

「現代には、寿司が店内を回遊する楽園があるのだろう?」

「ああ」

 回転寿司か。寿司職人は遥か昔からいただろうから、たしかに機械で回転している寿司の方が魔女の目からは目新しく素敵な物に見えるのかもしれない。

 ラッキーだ。回らない寿司は高すぎるからな、大学生でも行けるところという条件が上手く魔女と噛み合った。お互いにラッキーだ。

「今度食べに行きましょうね」

「……なんだか都合が良すぎて不安になるな。マコトの収入源はどうなっているんだ」

「バイトですよ。寿司くらい余裕です」

 一皿百円に限るけどね。

「バイトか……。私もいつかこの時代で働いてみたいものだな」

「ウィズさん昔は働いてたんですか」

「そういう時期もあったよ。遊び歩いていた時期もあった」

 目覚まし時計にあれだけの興味を示す人のことだから、もしかするとずっと昔には「仕事ってなに?」みたいな時代があって、好奇心の赴くままに働いていたりしたのかもしれない。それだと遊び歩いていた時期があることもすんなり飲み込める。要は働きつくして飽きたんじゃないか?

 そうだとすれば現代で再び好奇心をパワーにバイトをしてもらって、寿司のための金を自力で稼いできてくれればそれに越したことはない。ただその場合、戸籍がない魔女がどうやって書類を通すのだろうとか、そもそもこの魔女は人間風情に敬語を使えるのだろうかとか、いろいろ問題が浮上してくるわけだけれども。

「ところでマコト、何か急ぐ用事があるんじゃないのか?」

「あっ、そうだ。やばいやばい」

 目覚まし時計の存在から察してくれたのかもしれない。予期せず若干早起きしたとはいえ、俺はさっさと支度をして大学に行かなければならないのだ。のんびりお喋りしている場合ではない。

 そういえば寝不足による体のだるさは、予想外の魔女の態度にあせっていた時あたりからどこかへ飛んでいった感じがする。結果オーライということか。

「じゃあウィズさん、俺ちょっと出かけてくるんで。夕方か夜まで帰らないと思いますけど大丈夫ですか」

「どこへ行くんだ」

「大学に」

 魔女の目の色が変わった。もちろん比喩で。

「私も行きたい」

「えっ」

 知識としては知っているが、実際に見たこと聞いたことのない物に興味を示す。そんなウィズの性質をそろそろ俺も理解してきた頃だったけれど。けれども、そうか、そうなるのか……。

「いや、でも」

「不審な人物と思われないように魔法で隠れる。それでもダメか……?」

 捨て猫のような目で見つめられた。

 脳みそが冴えてきたおかげで今の俺は、ウィズがどこかの女優みたいな美少女の姿をしていることを正しく認識できている。お喋りするだけで緊張してしまって仕方ないということはなかったけれど、しかしその目は反則だ。

 ここできっぱりダメだと言える人が、きっと人間として優れている人なのだろうなと感じた。ダメなものはダメと言える人間に、俺もできればなりたい。

「……その魔法、絶対なんですよね」

「誓って絶対だ」

「じゃあ、いいですよ」

「やったー!」

 魔女はバンザイをして喜びを全身で表した。魔女を見ながらとても失礼な想像だけれど、つい娘を甘やかしてしまう全国のお父さんの気持ちを少しだけ理解できた気がした。

 しかし冷静に考えてみると、絶対に人から隠れられる魔法があるなら、ウィズはそれを駆使して俺を尾行し大学へ潜入することもできたのではなかろうか……? その魔法、本当に絶対なのだろうか。急に不安になってきた。

 ともかく、覆水盆に返らず。言ってしまったからには仕方ない。俺の人生において初めて、女子と一緒に学校に向かうイベントの発生だ。

 

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