知りたがりのウィズ   作:氷の泥

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05 違和感の遮断

 月曜の朝を行き交う人々は様々。制服を着た学生、スーツを着たサラリーマン、子どもの送り迎えをする主婦。さっきすれ違った私服の中年男性がどこへ行くのかは見当もつかない。

 普段は気にも留めない他人たちが、その目線が、今の俺には無性に気になって仕方がなかった。美少女と並んで歩いているからだろうか。なんだか、偏った天秤になった気分だ。

「大学が始まるのは早いんだな」

 素知らぬ顔で歩くウィズが周囲の人々を露骨に目で追っていた。その道行くコスプレレイヤーを眺める類の物珍し気な視線は、他人にはそれなりに不審者めいた物に見えているはずだ。

 しかし、誰もそんな彼女を気にも留めない。不審者めいた物に見えている「はず」なのに。

「電車で片道一時間かかるんですよ」

「なるほど。遠いな?」

「仕方ないですよ。世の中のサラリーマンだって、そのくらいの通勤時間の人たくさんいるでしょうし」

 挙動不審なウィズが注目されないことにはもちろん理由がある。魔法だ。今現在、彼女には「違和感を遮断する魔法」がかかっているらしい。

 本人の解説いわく、部外者の立場で大学に入りなおかつ絶対に問題を起こさないためには、違和感だとか不審者感だとか異物感だとか、とにかくそういった感覚を他人に与えないようにする魔法を使えばいいらしい。そこに彼女がいることを、すべての人が「普通のことだ」と思い込むようにすればいいらしい。

 しかし、魔法の有効範囲が魔女の目につく範囲に限られることを考慮すると、いちいちすべての他人に魔法をかけることは確実性に欠ける。その上まだ魔法をかけていない人間が近づいて来ないかと、常に気を張っておかなければならない。それは非常に疲れる。

 というわけでそれらの問題を解決するべく、彼女は自分自身に魔法をかけたらしい。他人の違和感を取り去るのではなく、自分自身を「違和感のない存在」に作り替えているらしい。

 理屈としては、仮にウィズから「違和感」という名の光線が放たれているとした場合、すべての人に逐一専用のサングラスを強制着用させることが、他人へ魔法をかけるという行為らしい。もちろん魔法なので、サングラスをかけさせるような物理的なアクションはないけれども。

 一方で自分に魔法をかけるのは、違和感光線をそもそも発生源から遮断する行為らしい。後者が可能だというのなら、前者がいかに無駄な苦労を要する行為なのかが分かる。

 説明されたところでなんだか納得できないというか、しっくり来なかったが、とにかく彼女の魔法はそういう理屈・仕組みで動いているらしい。

「あ、ほら。着きましたよ」

 魔法があるのをいいことにあちこちキョロキョロと見回す不審な美少女を同伴していつもの道を歩いている間に、体感いつもよりも早く最寄り駅に到着した。

 すると予想はしていたものの、ウィズが「おおー!」とテンションの高まった声を上げて、猛ダッシュで駅構内へと向かい俺の視界から消えていった。

 やれやれ、これだから魔女様は。……なんてかっこつけてのんびり歩いているうちに何か予想外のことを起こされても困るので、せっかく早く起きた日に遅刻しないためにも俺はダッシュで魔女を追った。

 魔女いわく、今日は俺にも違和感を遮断する魔法をかけてくれたらしく、俺が公共の場でウィズとどんな素っ頓狂な会話をしていても誰も気に留めないらしい。だから全力ダッシュで彼女を追っても何も恥ずかしいことはないのだ。……いや、誰も気にしなくてもやっぱりちょっと恥ずかしいぞ。

「マコトー、これが券売機というやつか?」

 追いついてみると、幸いウィズは切符売り場の前でおとなしくしていた。「これが電車かー!」とか言って、魔女パワーをフル発揮して走る車両を追って行ったりしてなくてよかった。

「そうですよ。この小銭入れて、数字が光った中で一番高いやつ買ってください」

 目的の駅までの切符をおつりなしでピッタリ買えるように小銭を渡す。

「小銭……ここか?」

「そう、そこに入れる。で、画面をタッチ」

 ジャラジャラと小銭を入れて、初めてのタッチパネルに緊張気味の魔女。画面に触れないように指をさして、

「これか?」

 と確認してくる。

「それです」

 印鑑でも押すかのように力強く、ウィズは正しい切符の値段をタッチした。

 初めて切符を買う子どもを見守る気持ちだった。見た目としてのウィズは若干年下か同い年くらいに見えるのだが、今みたいな時は見た目とのギャップで脳みそが混乱する。幼児退行という言葉が頭をよぎる。

 魔法で他人の目を誤魔化せるなら、いっそ子どもの姿になってもいいんじゃないかと一瞬思った。けれども家に帰ってからその子どもとずっと一緒に過ごすことを考えると、今度はそっちの方で混乱しそうだったから却下だ。誰の子だよこの子ってなる。

「おっ、出てきた」

 取り出し口からシュッと出てくる切符に若干驚きつつも、無事目的の物を手に入れたウィズ。俺はICカードがあるので切符はいらないし、これでやっと電車に乗れる。たったこれだけのことなのに、何かの関門を一つ突破したような気分だ。

「じゃあその切符を改札に通してください。ほら、いかにも切符を入れてくださいって感じのところがあるじゃないですか」

「うむ」

 朝のちょうど人が多い時間帯ということもあって、ホームに電車が来ていないタイミングでも改札を通過していく人間はそれなりにいる。魔女からすればサンプルには困らないわけだ。通り過ぎていく人たちを観察しつつ、恐る恐る切符を投入していく。

 彼女にとって不幸だったのは、今の時代ほとんどの人がICカードで改札を通るので、自分と同じ「切符を使う人」のサンプルが見つからなかったことだろう。機械の中にシュッと勢いよく吸い込まれていった切符に、彼女はまたしても驚き……というかびびっていた。

「おおっ、あ、開いた! バリケードみたいなのが開いたぞマコト!」

 バリケードって。当然切符を通したのだからあの小さなドアのような部分は開く。それだけのことがよほど嬉しかったと見えるそのリアクションは、いよいよマジで子どもじみてきていた。

「早く通らないと閉じますよ」

「えっ」

 吸い込まれた切符はバリケード(仮)の向こう側へ行ってしまった。あれが閉じてしまえばやり直しは出来ない……という思考が魔女の中を駆け巡ったのだろう。閉じるぞと言われた時の、彼女の絶望感ただよう表情はなかなか見れるものではなかった。

 そして音もなく、気付いた時には魔女は改札を抜けて向こう側に立っていた。いつの間に取ったのか切符も手に握っている。消えるように移動した彼女の行ったことが瞬間移動だったのか、それとも高速移動だったのか、俺の目では判断できなかった。

 「早く通らないと」の「はやく」の部分で解釈違いが生まれたと思われる。彼女が過去から来た人間ではなく過去から来た魔女なのだということをそろそろ忘れかけていたところだったが、今一瞬でそれらの現実を思い出した。

 俺が呆然としている間に、ウィズを通した改札のバリケードは静かに閉じた。

「間に合ったか……。おーい、マコトも早く来いよー」

「あ、あぁ」

 ICカードをかざして、普通に改札を抜ける。普通に、人間らしく、何も異次元の力を使わずに抜ける。本来これで通れるものなのだぞ、と伝える意図があったわけではないけれど。

 ホームへ続くエスカレーターを降りる時もウィズは「本当に階段が動いてる……」なんて驚きと感心の混じった声で言って、観察のためかしゃがみこんでいた。しかしすぐに顔を上げる。

「マコトのさっきの、なんとかカードってやつ。あれは切符と違ってかざすだけでいいんだな」

「え、あぁ。そうですね」

「どういう仕組みなんだ?」

 ICカードに磁石を近づけないでね、という注意書きをどこかで見たことを思い出した。逆に言えば、それしか思い出さなかった。

「なんか、磁気でこう……なんかなってるんですよ」

「なるほど」

 まさか今の説明で納得したのか、それとも俺には説明できないということを理解したのか。まあどっちでもいいけど。

「そっちの方が便利そうだな。ほとんどの人が使っているみたいだし」

「そうですね、切符は買うのが面倒なので。……あっ、このカードもお金は使ってるんですよ?」

「わかってるよ。でもそうだなぁ、私もそれが欲しいなぁ」

 めんどくせ、と正直真っ先に思った。ICカードは発行が微妙に面倒だ。というかそもそも、魔女がこの先電車に乗る機会なんてあるのだろうか。目的地さえ知っていれば瞬間移動できるのに。

 というかさらに言えば、目的地がわからなくても適当な電車に魔法での高速移動か何かでついていけばいいんじゃないか? 今日は彼女からすれば未知の物である「電車」を体験するために乗るのだろうけど、他人の目を魔法で誤魔化せるなら今後は電車なんか必要ないのでは。大前提として高速移動による体力消費がないことが必要になりはするけれども。

 いや、それ以前に、そういえばさっき改札を高速移動なんだか瞬間移動なんだかわからない方法で抜けていたけれど、他人の目が誤魔化せて瞬間移動が可能なら切符を買う必要もなかったのか……?

 いやいや、ダメだダメだ。可能かつ有益だからといって、それを理由に悪事に手を染めてはいけない。なんでもすると言われて欲望をさらけ出してはいけないことと同じようにだ。

「このカードは…………ウィズさんがもうちょっと現代に慣れたら作りましょうね」

「ん、慣れたらか。わかった」

 また適当なことを言って、子どもの厄介なおねだりを無かったことにする父親の気持ちとはこんなものだろうか。だとすると「慣れたらっていつ!?」とか詰められると俺も折れてしまいそうなので、そういう部分も含めて全国のお父さんの気持ちがわかったような気がする。

 ウィズをはぐらかしながらエスカレーターからホームに降りて三分程度、すぐに電車は来た。ドアが開いたので普通に乗り込もうとするが、何やら隣の様子がおかしい。

「ウィズさん……?」

 表情から察するに、目の前に走ってきた物の質量とスピード感に圧倒されたらしい。かといって怖がっているわけじゃない、目をキラキラさせている。しかし、悪いが観察する時間はないのだ。

 仕方がない、これは正当な行為だ。自分にそう言い聞かせながら、俺はウィズの手を引いて電車に乗り込んだ。自分から女子の手を握りにいったのは人生初だったけど、これはノーカウント、ノーカウントなんだ。そういうあれじゃないから。

 乗ってすぐにドアが閉じる。その時にぷしゅーと鳴る音でさえも、魔女の興味を十二分に引いたらしい。違和感を遮断する魔法がなければ、部外者どうこう以前に挙動が不審すぎて大学にたどり着くことさえ叶わなかった気がする。魔法があって本当によかった。

 走り出した電車の中で窓にへばりつくようにして外を眺める魔女は放っておいて、俺は空いている席がないか車両全体を見渡してみる。普段からそうであるように、残念ながら一人分も空いてはいなかった。

「こんなに速い物に乗っても一時間かかるのか」

 出入り口の窓から外を眺めたままウィズが話しかけてくる。水辺や山でも見えていればまだしも、外には街の建物が映るだけで何も面白味はないように見えた。

「まあ、遠いですし。というかウィズさん瞬間移動とか出来るみたいですけど、高速移動はできないんですか?」

「できるぞ。この電車よりもずっと速く」

 振り向きもしない、自慢げな声だったわけでもない。何を当然のことを、と言わんばかりだった。俺も当然と言われればその通りだなとは思うけれど、それならなぜ窓に釘付けなのかが分からない。そこから見える景色は、その気になれば自力で見れる物なんじゃないのか。

「それでも電車って興味深い物なんですか……?」

「もちろん。人間がこれを作ったということに価値があるんだ。人間がこれを動かしていることに価値があるんだ。こんな景色を人間も見るようになったんだなぁと、感慨深いよ」

 馬より速く走りたければ、昔は私が運んでやるしかなかったんだ。本当に嬉しそうに、彼女はそう言った。

 これでもかというくらいの上から目線。まるで子どもの成長を見守る親だ。それが魔女なのだと、本来の力関係はそうだったのだと、忘れかけていたことを思い出させられる。そんな力関係の上で今と同じように、きっと彼女は昔から人間と仲良く生きていたのだ。昔からずっと、封印されるまで。

 思えば不思議だ。こんな友好的な人物を封印した人は、なぜそうしたのだろう。悪人を封じ込めたというならわかるが。

「この電車みたいに速く走りたいという人を、昔はウィズさんが運んであげたりしていたんですか」

「何度かやったな。降ろしてやる頃には、大体みんな怖がって二度とは頼んで来なかったが」

 思い出を語る魔女は不満げだった。やってくれというから協力してやったのに、想定していた好意的な反応が返ってこなかった時は、彼女もそれを不満に思うのか。人間らしかったり、人間とかけ離れていたり、まったくよくわからない。

 しかし外の景色が変わるとはいえ、密室の中で一時間揺られて待つのはかなり退屈なことだ。普段は音楽を聴いたりしている俺だけれど、電車の中で話し相手がいるというのはなかなか嬉しいことなのだと初めて知った。

 大昔に生きていた、それもただの人間ではなく、人間の世界に混じって生きていた魔女の思い出話だ。ネタが尽きることはないだろう。

「ウィズさん空も飛べるみたいですけど、昔も飛んでたんですか?」

「もちろん。でも昔は今ほど高い建物はほとんどなかったよ。今は意識して高度を上げないと、見下ろしている気分になれない」

「見下ろしたいんですか」

「他意はないぞ。ただやっぱり、開けたところを飛ぶのは楽しいじゃないか」

「いや、飛んだことないのでわからないですけど」

「今度飛ばしてみてやろうか?」

「たぶん二度とは頼まなくなってしまうので遠慮しときます」

「なんだ、マコトは高所恐怖症か」

「そういうわけじゃないんですけどね」

「じゃあどうして?」

「高いところに登ったことはあったし平気でしたけど、登るのと飛ぶのは別ですよ。飛んでいるんじゃない、かっこよく落ちているんだという言葉がありまして」

 通り過ぎていく駅の名前が、どんどん目的地に近くなっていく。いつもより早い気がする。いっそ面倒な大学なんて、このまま終点まで走っていってサボってしまおうかと思った。

 もちろんそんな一時のテンションに身を任せることはしないが。そもそもウィズは大学という施設の見学に来ているわけで。そういう意味でもサボることはあり得ない。

 やがて俺たち二人が電車を降りる時が来る。結局いくら俺にも好奇心があったところで、さすがに「なんで封印されたんですか」という話を振ることはできなかった。

 

 

 今度はウィズも普通に歩いて改札を抜けて、そこからしばらく徒歩で移動すればいよいよ俺の所属する大学にたどり着いた。いよいよも何も毎日通っているのだけれど、今日はなんだか「いよいよ」という感じがする。

 建物が見えてきた段階でウィズがすでにわくわくしていることは察知した。しかし目的地に足を踏み入れての彼女の第一声は予想の斜め上をいった。

「別行動にしないか?」

 保護者になったつもりはない。見ていたからといって何かあった時に俺が魔女を止められる気もしないし、逆にかばってあげられる気も正直しない。別行動をしてはいけない理由は事実上ほぼ存在しないことになる。

しかし、しかし気の問題で、二つ返事でいいよとは言えなかった。不安だからだ。この魔女は携帯電話も持っていないからだ。

「なにゆえ」

「大学というのがこんなに広い場所だとは思わなかった。探検したい」

「探検って……」

 子どもかよ、と思うと同時に自分の小学校時代を思い出す。探検冒険アテのない旅大好きなあの頃の俺が、大学施設内を自由に走り回ることを許されていたなら……。そんな楽しそうな話をスルーするわけがない、間違いなく飛びついていただろう。

「もう一度聞きますけど、魔法があれば絶対に、ぜーったいに何があっても大丈夫なんですよね?」

「絶対だとも。何度でも言うぞ、万が一にも私が問題を起こすことはない。マコトに迷惑をかけることはない」

 数名の男女が俺とウィズの横を通り抜けて中に入っていく。誰もこちらを、ちらりとも見はしなかった。

「……いいですよ。好きに見てまわってきてください」

「話がわかる人間は大好きだ! またあとで会おう!」

 言うが早いか、エンジンが付いているかのような速さでウィズはどこかへと走り去っていった。もっとのんびり見てまわればいいのではないかとツッコみたかったが、もはやその背中は俺の視界から抜け出してしまっている。

 と思ったら、去っていった時の倍くらいのスピードで帰ってきた。

「帰りに落ち合う時間と場所だけ決めておこう」

 ウィズの魔法のルールは、自分の目の届く範囲が射程限界であることと、知ることが出来ないこと。一度別れたあと再会しようとする場面では、そのために便利な魔法を使うことはおそらく不可能だと思われる。

 考えればわかることなのに、危うく俺もあのまま彼女を見送るところだった。携帯電話などの通信機器をウィズが持っていないというのは思ったよりも致命的だ。不安なんて一言じゃ済ませられない。

「それもそうですね。じゃあ落ち合う場所はここにしましょう。時間は……」

 俺のスケジュールを考えて正確な時刻を決めることは簡単だが、外せない都合というのは俺の意思に関係なく唐突に現れる。直接話して伝える以外の連絡手段が一切ないとなると、万が一待たせてもアレだし、どうしたものか……。

「日が傾いて来たら、定期的に私がここに戻るようにする。それでどうだ?」

「あ、わかりました。そうしましょう」

 こっちが多少待つ分には構わないかと判断して了承する。それになんとなく、この魔女はそれほど相手を待たせることはない気がする。

 今まで彼女があらゆる物に興味を引かれていたことを考えると、何かしらの見物に夢中になって戻ってこないなんて展開も容易に想像できるけれど、たぶんそれは俺の考え違いなのだと思う。人間に迷惑をかけるということに、なぜかウィズはすごく敏感な気がするから。

「じゃあ、今度こそ。またあとで会おう!」

「はーい、またあとで」

 特に深く考えずこっちが手を振ると、彼女も気づいて振り返してくれた。妙なところで律儀だ。

 ともかく俺もここへ遊びに来たわけではない。単位を取るべく、しかるべき場所に向かうことにしよう。

 ……と、魔女と別れてから少し時間が経って、一コマ目の講義を受けていた時のこと。講義が始まってから二十分くらい経った頃に、早くも彼女はやってきた。

「おーい、マコトー!」

 教室内に響く、どこか自信に満ちた若い女性の声。ものすごく聞き覚えがあった。大体俺のことをマコトと呼ぶ女性は、実の母ともう一人しかいない。

 何考えてんだと罵詈雑言を内心で吐きつつ、声がする方を向くと案の定ウィズがいた。教室の出入り口のあたりに立って、友達を見つけてテンションの上がった子どもみたいに大きく手を振っている。

 状況的に授業参観の親ポジションは彼女の方かもしれないけど、そんなくだらないことはどうでもいい。俺はあわてて周囲を見回す。突然乱入してきた謎の女に、もしくは俺の名前を記憶している人間がいれば俺に対しても、奇異の視線が注がれているのではないかと思うと恐ろしかった。

 ……が、実際は誰一人見向きもしていなかった。教授に至っては講義を止める気配も一切ない。まだウグイスの鳴き声でも聞こえてきた方が誰かが興味を示すのではないかと思えるほど、全員が全員完璧に無関心だった。

 こ、これが魔法……? 魔法の力ってすごい。

「いやー、偶然見つけたんだよ。これは今あれか、授業をやっているのか?」

 当然の権利だというように教室に入ってくるウィズ。しかも電車の中と同じノリで俺に話しかけてくる。が、それだって気に留める人はいない。俺以外には。

 ところで考えてみれば、違和感を遮断する魔法をウィズは自分にかけているはずなのに、なぜ俺はそんな彼女に違和感を覚えることができるのだろう。こんな場面でそんな素朴な疑問に気付きたくはなかった。

「あの、ウィズさん、今あれなんで。そう、授業中なんで」

「あ、邪魔だったか……?」

「邪魔ってわけじゃないですけど。でもほら、あの、集中力とか? あるじゃないですか」

「そ、そうだな。すまない、いろいろ見れて少し興奮していて……」

 アニメなら頭から汗のマークがちょちょっと飛び出しそうな焦り方で、ウィズは自分の顔の前で手のひらを合わて「ごめんなさい!」のポーズをした。

 そのポーズは「ごっめーん遅れちゃった!」みたいな時とか「お願い!少しだけお金貸して……!」みたいな時に使う物のはずなので、彼女が人間と同じ感覚でそうしているなら本当にテンション上がりまくりの状態だ。楽しめているのは何よりだけど、ただ今だけは、俺に見えないところで楽しんでくれるとさらに良い。

「楽しんでいるなら何よりです」

「うむ、迷惑かけて悪かったな、約束だったのに。それじゃあ」

 これ以上迷惑をかけないために一刻も早くと思ったのか、それともうっかり乱入してしまったこの場から逃げだしたかったのか、魔女は走り去るどころかその場で消えた。瞬間移動だ。

 突然大声と共に乱入しても平気なのだから、瞬間移動で突然消えたり現れたりするところを誰かに見られたって問題ないのだろう。万が一もあり得ないほど絶対に安全だというのは嘘ではなかった。彼女の魔法へ対する自信の根拠を、いま身をもって知った。

 しかしその後の講義の内容はほぼ頭に入ってこなかったので、万が一これで支障が出ることがあればウィズにアンキパン的なアイテムを魔法で作ることを要請するはめになりそうだ。いや、それは「知ることはできない」のルールに触れるのだろうか……?

 そうだったとしたらもう、今のは野犬が迷い込んできたということにして諦めるか。別にそれでもいい気がしてきた。

 

 

 あれ以降特に変わったことはなく、昼になったので俺は食堂へ向かっていた。

 すると、違和感を覚えない魔法の効果がなぜか俺にだけ適用されないせいだろうか。同じく食堂へ向かう人混みの中に、ウィズが平然とまぎれているところを自分でも驚くくらい瞬時に発見した。やはり俺には彼女が違和感というか、部外者感その物の存在に見える。

 違和感遮断の魔法は俺にもかかっている。講義中にウィズが来た時に彼女のことはもちろん、動揺する俺のことさえ誰も気に留めなかったことからそれはすでに証明されている。ならば魔法を信じて、魔法の効果を踏まえた上で行動するのが道理。

「おーい! ウィズさーん!」

 大声で呼んでから後悔した。確かに呼ばれたウィズ本人以外は、俺のことなど存在さえしていないかのように無視してくれていたが、それはそれとして普通に恥ずかしい。羞恥心は他人の反応とは無関係に発生するのだと知った。

 せっかく魔法があるのだからと、他人に構わず大声で叫んだけれど、大声を控える理由は自分が恥ずかしいからというだけで十分なのだとこれで学んだ。もう二度としない。

 そんな決意を固める俺のもとに、川の流れのようになって進む人たちの中を器用に交わしてすり抜けながらウィズが近寄ってきた。その光景を見るとその時だけ、なぜかウィズがただの人間に見えた。

「あ、マコト。昼を過ぎてから大勢が同じ方向に向かい始めたんだが、これはもしかして」

「昼食ですよ。食堂があるんです」

「やっぱりか!」

 あからさまに魔女の目が輝きだす。好奇心の中でも、食に関することは彼女の中で若干ランクが高いことなのかもしれない。

「食堂に着いたら切符を買うみたいに食券を買うんですよ。それと引き換えに昼食を受け取るんです」

「なるほど。……ちなみにその食券を手に入れるには」

「はい、これです」

 とりあえず何があってもいいように千円札を渡す。大学構内の食堂はかなり安めの値段設定になっているので、この千円もってしてもどうにもならなかった場合はさすがに手に追いきれない。そういう意味での、ボーダーラインの千円だ。

 てっきり俺は、ウィズがそれを受け取ってうきうき気分でさっさと食堂に駆けていくと思っていた。だが実際には千円札を握りしめた彼女が、うきうきどころかむしろ足取りを重くしたように見えた。

「……マコト」

「はい」

「マコトは私にいくら金を使った……?」

「え?」

 まず思いついたのは今朝の電車賃だ。往復となるとそれなりの金額になるはずだが、あれ、いくらだったかな……。十の位が思い出せない。

 他に、今までウィズが食べてきた食料を恩着せがましく数にいれると、そこそこの数字は出てくるけれど。それでも大した額じゃない。俺も一緒に食べたので大きく見えるだけで、彼女が胃に収めた分だけなら真面目に千円に達していないのではないだろうか。……それはそれで問題があるように思えてきた。

「さあ、憶えてないですね」

「でも、私が何も返せていないことはわかるだろう……?」

「返す、ですか」

 知っていることを教える代わりに願いを叶えてもらう約束。「教える」に食べ物を与えることが含まれるなら、確かに俺には与えただけの願いを叶えてもらう権利があるのかもしれない。

 だけど、人間より遥かに優れた魔女という存在に数百円を奢ったところで、いったいどれだけの権利が発生するものなんだろうか。うまい棒が何本かもらえるくらいじゃないのか。

「いいんですよ別に。俺が何も願い事を思いつかないのがそもそもですし」

「でも、これでは魔女のプライドが許さない……!」

「な、なんですかそれは」

「魔女としてのプライドだよ。人間から施しを受けるだけじゃあ、魔女の名が泣く」

 魔女が高位の存在だということを思い切り前提とした話だった。俺は元々そういう風に考えていたけれど、本人もモロに同じ考えらしい。電車内での会話からなんとなく察せられた部分ではあるが、そもそも魔女が傲慢な存在なのか謙虚な存在なのか全然わからない。プライドって何なんだ。

 単純に考えれば、施しうんぬんを抜きにして「ドラゴンボール集めて呼び出されたシェンロンが願い事を叶えずに帰る」ようなものなのかもしれない。だとすればプライドというのもなんかわかる気がするし、ここは何か願っておかなければならない気がする。たとえそれがギャルのパンティーおくれだったとしても。

「そう言われても、俺の方も大したことはしてませんけどね。……でも、せっかくそう言ってもらえるなら、一つ願い事をいいですか」

「なんでもいいぞ!」

 なんでもという言葉から献身の気持ちだけでなく、自分の魔法への絶大なる自信を感じる。

 そんなに人の願いを叶えたいとは、俺には理解できない珍しい趣味だとしか言えない。他人に迷惑をかけないようにとは俺も日ごろから思うけれど、他人を幸せにしたいとまでは思わないからなぁ。

 魔女ほどの高位の者になると、自分の人生に余裕が出てきて考え方も変わってくるのかもしれない。ウィズの精神は本人のみぞ知るとして、客観的に見て突然現代によみがえった人生そのものに余裕があるようには見えないけれど。

「本当になんでもいいんですか?」

「ああ、なんでもだ」

「じゃあ……」

 なんでも、なんでも、と何回も言われると、だんだん「なんでも」の意味がわからなくなってくる。だって彼女はなんでもと言う割に、故障したパソコンを直すことはできないのだから、元々それはなんでもではないのだ。

 彼女の魔法の特性をよく理解して願わなければならない。まだ俺の知らない特性が隠されているのかもしれないが、とりあえずそれは考えないことにして。

 そして、これまでのことを踏まえて俺がウィズに願うことは一つだ。たった一つだけ、これは彼女に願うしかないということがある。

 俺はウィズに願いを伝えた。彼女は若干いぶかしげにしつつもそれを承諾してくれた。そしてなぜその願いにしたのかという話をする前に、ウィズにとっては未知の世界、食堂に到着してしまう。

 当然、その話はお預けとなった。

 




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