「ところでよ、菖蒲」
「何?」
「羌子の兄貴とはどうなってるんだ?」
時期は未だ夏休み。だが進学校たる新彼方高校には、登校日というものが存在する。獄楽が皐月に質問を飛ばしたのも、そんな日のうちの一日であった。
「どうにもなってないわ。電話はかかってくるけど大抵他の子が取るし、そしたら適当に理由つけて取り次がないようにしてもらってるし、たまに喋っても緊張してるみたいで碌に話せないし」
「って事はどうにもなんねえかー。なんかちょっとカワイソーかもな」
「いや、そう簡単にも行かないかもしれないのよね」
「何でだ?」
「施設の子が『ねーちゃん彼氏できたんだろー』とか『姉さんの彼氏って優しい人なんだね』とか言って来るのよ」
「んあ? どーゆーこった? 付き合ってねーんだろ?」
「どうも他の子に繋がるのを逆手に取って、外堀から埋めようとしてるみたい」
「将を射んと欲すれば、ってヤツか。しっかし意外だな、そーゆー搦め手使えるタイプにゃ見えなかったが」
「私も同感。だから入れ知恵してるのがいると思ったんだけど……その辺どうなの羌子?」
話題が話題なので入りづらく、結果的に壁の花になっていた名楽に皐月が水を向ける。名楽は顎に指を当て、少し考え込むと微妙に嫌な事を思い出すかのように答えた。
「…………そりゃ多分お袋の入れ知恵だな」
「お母様の?」
「羌ちゃんのお母さんって……生きてたの!?」
「誰も死んだなんて言ってねーぞ姫」
「ご、ごめん。でもお母さんの話を全然聞かなかったから、てっきり……」
「まー家にいないのは事実だからな。離婚したとかじゃないが、この十年親らしいコトなんぞしてくれた覚えがない」
「随分奔放な方みたいだけど……そのお母様が入れ知恵してるって事?」
「消去法だけどな。親父も他の兄貴たちも恋愛にゃ疎いし、あの兄の友人どもも右に同じだ。女友達なんて高尚なモンがいるわきゃないし、となるとそういうコト教えられるのはお袋くらいって話になる」
「羌子さんのお母様ですか……どのような方なのですか?」
恋愛はよく分からないので黙って話を聞いていたサスサススールが、名楽母には興味を覚えたのか入って来た。
「そーだな、キョーコそっくりだぜ」
「誰がじゃ!」
「顔も性格もそっくりじゃねーか。あ、でもお袋さん糸目じゃねーな」
「つまり斜に構えてて向上心があり頭が良くて体力がないと」
「お前さん私をそんな風に思ってたんかい」
「同属嫌悪、というものですか?」
「同属じゃないよ、ワタシぁあんなに享楽的で無責任じゃあない」
「そうやって否定する辺りそれっぽいけどな」
「やかましい!」
珍しく感情的になっている辺り、意識的にしろ無意識的にしろ自覚はあると思われる。なお容姿も含めて、かなり似ているのは事実である。
「ってかお袋の話は今はいいだろ」
「結構面白そうだから聞いてみたいんだけど」
「却下だ却下。それより兄ちゃんだよ、実際どうなんだ? 菖蒲は外堀埋まったからどうこうってタマじゃないだろうケド、迷惑になってない?」
「迷惑ってほどでもないわ。誰が何を言おうと意味なんてないし、今んとこ興味もないから付き合う気は全くないし」
つまり名楽兄は歯牙にもかけられていないという事である。
哀れ。
「そんならいいがね……」
「ま、迷惑になるようならこっちで対処するから心配しなくていいわ」
「そうさせたくないから心配してるんだよ」
「あ、メールだ」
「お、スマホに変えたのか姫」
「えへへー」
子供っぽい笑みを浮かべながら、新品のスマホを取り出しタップする君原。だがその手付きはおぼつかない。まだ慣れていないようだ。
「えっと……こうだったっけ?」
慣れていないので操作を誤り、メールではなく別のアイコンに触れてしまう。森の映像と音楽が流れ、何かの広告が始まった。
『ジャングルの奥地にのみ咲く、特別なランの花。その成分を配合した――――』
「あっ、間違えちゃった」
「おやこれは……ジャン・ルソー氏ですね」
スマホ画面には、カエルそっくりの頭をした、四本腕の男性が映し出されている。これはCGでも合成でも何でもない。本当にそういう姿をしているのである。
「スーちゃん、このカエルの人知ってるの?」
「カエルの人はマズいんじゃない?」
「んじゃなんだよ」
「両棲類人かな」
「言いにくいなー」
「あえて言うなら『フランス人』でしょうか。彼は国籍上フランス人ですから」
ジャン・ルソー氏は、子供の頃南米のジャングルで行き倒れていたところをフランス人宣教師に拾われ、哺乳類人社会で教育を受けた。そこから両棲類人としては初めて高校・大学と進学。卒業後南米の小さな貿易会社に入社し、社長に登りつめ、親会社を買収してコングロマリットの会長になったのだ。
「――――というのが大まかな経歴ですね」
「会長がわざわざCMに出るんか?」
「少数民族保護活動等で、元々メディアへの露出も多いですから」
「両棲類人と言えばサスサス」
「はい、何でしょうか菖蒲さん?」
「彼らにとって南極人は神だって聞いた事があるんだけど、本当なの?」
「そうですね……それは正確ではありません」
「どゆコト?」
「両棲類人だけではなく、あの周辺一帯の哺乳類人にも私達をそのように崇める者がいます」
これは歴史に由来する。コンキスタドール――15~17世紀の、スペインによるアメリカ大陸征服事業――によって、アメリカ大陸の先住民達は侵略された。だが、この世界の先住民達はこれを撥ね返した。その原動力となったのが、南極人だったのだ。
元々インカ帝国等の南米先住民達は、蛇に似た頭を持つ南極人を創造神ケツァルコアトルと同一視し、信仰の対象としていた。そのために、スペイン人が攻めて来た時南極人が結束の象徴として機能し、侵略を撥ね返すことが出来たのである。
スペイン人は銃や鉄鎧、馬を持っていたのではないか、という疑問もあるだろう。だが人数としては数百人が精々なので、士気が高い万単位の軍と正面から戦えば勝敗は見えている。
銃と言ってもマスケットなので連射が利かず、近接戦に持ち込まれると人数差が出る。馬だって船で運ぶのは大変だから数は少なく、戦局を左右する要素にはならない。四肢人類の世界でスペイン人が勝てたのは、戦闘能力以外の要因が大きい。
尤も南米先住民は、戦闘には勝てても、天然痘等の免疫を持たない病気には対応出来なかったと思われるが、サスサススール曰く『政治には口を出さなかったが、幾つかの知識や技術を渡した』との事なので、その中に種痘等の防疫に関する知識が入っていたのかもしれない。
とはいえ、侵略に屈した国もまた存在した。ゆえに現在の南米は、先住民族系の国家と、侵略者系の国家の二種類に分かれている。
閑話休題。ともあれそういう事情より、南極人は南米においては神として崇められている。それは現在進行形であり、南極人が他国に行く時には、アステカ諸邦のチャーターした飛行機を使うほどである。
「しかし私には、神というものがよく分かりません」
「そうなん?」
「そもそも神は実在しないと思うのですが、それを崇めるというのがよく飲み込めず……。私達は存在しているのに、実在しないものと同等に崇拝する、とは一体どういう事なのでしょう?」
「言われてみりゃ変な話だな」
「神っていうのは概念上の存在で、えーと」
「人間の力の及ばぬもの、例えば自然現象とか災害とか、そういうものを神の仕業、もしくは神そのものだとしたのが宗教の始まりとする説もあるね」
「それって結局、神なんていないってコトじゃね?」
「と言っても、科学は『どういう仕組みでその現象が起きるのか』は分かっても、『その仕組みで何故その現象が起きるのか』は分からないからねえ。そっちは哲学とか神学の領域」
「えーと……」
「空が青くなるのは太陽光が散乱するからだけど、太陽光が散乱したら何故赤でも緑でもなく青色になるのかは科学じゃ分からないって事」
「てか科学は、『どのようにして』を追及する学問だから、当然っちゃ当然だぁね」
「それで、結局神とはいかなるものなのでしょう?」
「いや俺らに聞かれても困るっつーか……そうだ」
何かを思いついたらしき獄楽がポンと手を打つ。
「プロがいるじゃん」
「プロって……私は実家が神社なだけで、神学者でも拝み屋でもないんだけど」
振り向いた先にいたのは、委員長オブ委員長こと御魂真奈美であった。彼女は一応程度だが巫女であり、実際にお祓い等を行う事もある。
「まあまあいいじゃん、それで神って結局なんなんだ?」
「そんな事言われても……」
御魂は困惑顔だったが、何かに気付いたように不自然な笑顔になった。まるで商品を売り込む営業マンのようなスマイルだった。
「神様というのは、とてもありがたーい存在なの」
「お、おう」
「ウチの神様は特に霊験あらたかで、痩身美顔・無病息災・交通安全・家庭円満。特に学業に験ありよ」
「誰が実家の売り込みをしろと言ったのよ」
「あら事実よ」
彼女の成績は学年二位である。そういう意味では説得力はない事もないが、そういう意味で獄楽が話を振った訳ではない事は明白である。
「そんな事より、あなた達ジャン・ルソー氏に興味があるのよね?」
「断定形な辺り嫌な予感が……」
「今度ルソーさん、ウチの学校に講演に来て下さるの。だからあなた達にも準備委員お願いできるかしら」
「私達でよければ」
「オイ」
間を置かずに了承の返事を返したサスサススールに、獄楽が軽く肘打ちを入れる。それに対しサスサススールが、慌てた様子で言った。
「あ、私、何か外しました?」
「いや、そーじゃねーけど」
「そんなコトないわよ。夏休みが終わってからの話だけど、よろしくね」
言うだけ言って御魂は去っていく。その背中を見送ることなく、皐月が低い声でサスサススールの名を呼んだ。
「サスサス」
「はい」
「ここは外したとかじゃなくて、私達の意見も聞かずに勝手に了承したのが問題なの。複数形で答えた以上、私達もそうせざるをえなくなるでしょ? それじゃダメよ、私達はあなたの部下でも子分でもないんだから」
「なるほど……申し訳ありません、考えが足りませんでした」
「私は気にしないよ?」
「そこまで言わなくてもよくね?」
「そういう問題じゃなくて、これは筋の問題なの。親しかろうが何だろうが、曖昧にしていいところじゃないわ。まあ次から気を付けてくれればいいから、グチグチ言う気はないけどね」
皐月に哺乳類人の流儀を聞いているヘビと、スマホの画面に表示されっぱなしだったカエルを順繰りに見て、名楽がポツリと一言こぼした。
「しっかし最近ウチの学校は、すごい事になってんね」
◆ ◆ ◆ ◆
両棲類人。南米ア河(おそらくアマゾン川に相当)流域に棲んでいる、ホモサピエンスではない知的種族だ。
外見は四本腕のカエル人間といったところだが、カエルとは異なり尻尾がある。単に姿が似ているだけで、遺伝子的な類縁関係はあまりない。水辺で暮らしている事は事実で、名称も両棲類人だが、完全肺呼吸で恒温動物だ。幼い子供は本能では泳げないので溺れたりする。
またルソー氏が証明している通り、知能面では哺乳類人と遜色ない。だが現在でも昔ながらの漁・狩猟採集生活をしており、大規模な文明を築く事はなかった。これは熱帯が農耕に不向きである点、肌が哺乳類ほどの乾燥耐性がない点、そして何より水から離れられない点のためだと言われている。
彼らは胎生ではなく卵生であり、卵を孵すには水が、それも条件の整った水が必要なのだ。だからこそ、水から離れた場所で生きていくことは出来ないのである。
そんな両棲類人は、南米諸国、特に侵略者系の国家において、人権は認められていない。より正確に言うのなら、知性の存在しない単なる動物というのが公的見解である。ジャングル開発における邪魔者になる上、知性を認めると各種権利をも認めなければならなくなるからだ。
そんなコストをかけるくらいなら、蛙のように踏み潰してしまった方が手っ取り早い。数も精々数万で、部族ごとに分かれており、碌な武器も持っていない相手である事だし。
ついでに言うなら、両棲類人は水で錆びない
そして南米諸国のこの政策は、平等を国是とする先進諸国には甚だしく受けが悪い。また当然ながら、両棲類人もやられてばかりではない訳で。表にはまだ出ていないものの、現在の南米情勢は水面下でキナ臭さを増している。
とは言え未来がどうなるのか、今はまだ誰にも分からない事である。
◆ ◆ ◆ ◆
『――――ありがとうございました。では皆さん、ジャン・ルソー氏に盛大な拍手を!』
体育館に万雷のような拍手が巻き起こる。と言っても全校生徒が集まり、音を反響する構造になっているからであって、本心からそうしている者がどれほどいるかは不明だが。まあいくら珍しい両棲類人の講演とはいえ、高校生ならそんなものである。
「んーっ、終わった終わったやっと終わった」
「つっても委員の仕事はまだあるけどね」
「それは委員長がやんだろ? 俺らの仕事はもう終わりだろ」
講演で喉が渇いたであろうルソー氏に、お茶を出す系の仕事である。メイドっぽく見えるエプロンと、フランス産の紅茶を用意する程度には気合が入っている。
「菖蒲がやっても良かったんじゃね? 本職だろ」
「確かにウエイトレスは堂に入ってたね」
「…………」
「あやちゃん? どうしたの?」
返事のない皐月を不審に思った君原が声をかける。皐月は今気づいた、といった様子で応答した。
「え、ああ、何でもないわ。……ちょっとぼうっとしてただけよ」
「珍しいですね」
「……そりゃ私だって、そういう時もあるわ」
そこで言葉を切り、壇上を見上げる。先ほどまでジャン・ルソー氏が喋っていた壇上を。
「………………」
その心中に渦巻く感情は複雑だ。本当にカエル頭で驚いただとか、四本腕が器用に動いていただとかそんな事ではない。もちろんそういう生物学的興味もない訳ではないが、割合としては非常に少ない。
彼女がジャン・ルソー氏に抱くのは、主に二つの感情だ。
一つは共感。彼は哺乳類人社会の中、唯一の両棲類人として育った。それは六肢人類の中、唯一の四肢人類として生きる自身と、どうしても被る。だがその感情が占める割合はあまり大きくない。大きいのは、もう一つの感情。
即ち、嫉妬だ。
両棲類人はこの世界に間違いなく存在する種族であり、会う事もまた可能である。つまり、同属が存在する、という事だ。
翻って四肢人類は、この世界のどこにも存在しない。いやそれどころか、本当に存在するのかも分からない。ただ自身の肉体的特徴から、無意識的に作り出した妄想なのかもしれないのだ。
それが厭わしく、腹立たしい。あちらには同属がいるのに、何故こちらにはいないのかと。
六肢人類を同属と思うには、差別主義者のテロリストは疎まし過ぎた。今となってはもう大して気にも留めていないのだが、それでも残るものもある。指先に刺さった1mmにも満たないトゲが、折に触れて意識されるように。
それでも六肢人類を同属と思えたのかもしれない。『前世の記憶』がなければ。それさえなければ、自身を単なる突然変異の一個体と思う事も出来ただろう。
しかしその場合、保護者のいない皐月がこの年まで生き残れていたかは甚だ怪しい。記憶があろうがなかろうが、悪目立ちする彼女は差別主義者に襲撃されていただろうし、記憶のない単なる子供であったのなら、その時点で終わっていた。
彼女が今生きているのは、記憶に伴う高い知性や豊富な知識を幼くして有しており、子供相手で油断しきっていた相手の隙を突けたからだ。
だからこそ、負の念は募っていく。さして強い感情ではなくとも、澱みに溜まる泥のように、確実に。それはルソー氏に対するものなのか、この世界に対するものなのか、本人にすら分かりはしない。
「ったく、新学期早々コキ使われた気分だぜ。準備にもうちょい余裕ありゃよかったのによ」
「会長さんなら忙しいだろうし、仕方ないよ」
「そうそう、姫の言う通り」
とは言えそれを表に出すことはない。ルソー氏には関係のない話であるし、何より皐月にもプライドというものがある。こんな事で当たり散らすなど、出来るはずもない。そも前世の事は誰にも漏らした事はないし漏らす気もないのだ、当たれる相手がいる訳もない。
「このパイプ椅子の山ってどうするんだったっけ」
「知らねーけど」
「何も言われてないんだし、戻ってもいいんじゃない?」
「それもそーか。てかこの上で片付けとかカンベン。うっし、戻ろーぜー」
「……そうね、戻りましょうか」
だから彼女は何も言わず、先程までルソー氏が立っていた壇上を再び見つめ、踵を返す。分かっていてもどうしようもない感情を、胸に沈めて。
「……………………」
外からでは感情を窺わせぬ南極人の三つの瞳だけが、後ろからその様子を見ていた。