秋である。嫁が茄子を食えなくなる季節である。そして秋と言えば、
それはこの六肢人類の世界でも変わらないのだが、変わった事が一つ。この世界の流鏑馬は、主に人馬が行うものなのだ。
君原もまた流鏑馬を嗜んでおり、今日はいつものメンバーでその見学に来ている。一頻り見た後、師範に普通の弓道をやってみないかと誘われたため移動したのだが。
「二人とも……マジ?」
「ぬっ……ぐぬぬぬ……!」
「重い……ですね」
名楽とサスサススールの二人は、弓を引くだけで精一杯のようだ。弓を保持している腕がぷるぷると震えている。生まれたての子馬よりも震えている。
「いくらなんでもこれは……」
「ワタシぁつくりが繊細なんだよ」
「南極人の通常種にあまり力はないんです」
「体育の授業で体力ないのは知ってたけど、だからってここまでとは思わなかったわ。それに比べてあっちは――――」
横に視線をずらす。そこでは獄楽が、的の中心にばすばすと当てまくっていた。
「いや、あのスポーツ万能と一緒にされても困る」
「弓を引くのは初めてという話でしたが、希さんは凄いのですね」
「肉体面での天才ね」
見本として師範の射を一度見ただけのはずだが、あっという間にそれを自分のものにしてしまった。師範は人馬で体格もかなり違うのに、である。まさに天才としか言いようがない。
「あの子ホント凄いわね……」
「師範の目から見ても?」
「そりゃあね。普通は弓を持たせるまででも二ヶ月くらいはかかるもんだけど、あの子なら明日からエースで活躍できそうよ」
感嘆の中に呆れを織り交ぜ、師範がお墨付きを出す。プロの目から見てもやはり凄いようだ。
「そういう菖蒲はどうなんだよ」
「私? そうねえ――」
前に出て、先程の師範の動きを再現していく。
いわゆる『射法八節』だ。
一、
的を見ながら左足を半歩踏み出し、右足を一度左足に引き付け、逆方向に扇形に開く。両親指を結んだ線上に的の中心が来るように、足の延長線上で作る三角形が60度になるように。
尤も手本は馬の足だったので、師範に聞いてあっさり再現した獄楽の動きを真似している。
二、
弓を左膝に、右手は右腰に。勘違いされがちだが、和弓を持つ位置は中心ではなくそのかなり下だ。大雑把だが下から三分の一より少し上の場所だろうか。中心を持つのは西洋のアーチェリーである。
三、
右手を弦にかけ、左手を整え、的を見る。『大木を抱えるような気持ちで』とよく言われる。
四、
先ほどの状態から、静かに掬い上げるように、両方の拳を上に持ち上げる。拳は額の高さよりやや高めに、腕は斜め上に伸ばし、地面と45度ほど。胸や肩の力を抜いて、矢は水平に、弓は地面と垂直に。
五、
右手首ではなく右肘で弦を引いていき、また左手で弓を押すように開いていく。左右均等に、矢が水平を保ったままになるように。最終的に、矢が口割れ(唇の合わせ目)につくまで引分ける。
六、
引分けの完了した状態。弓を射る過程で、最も力を必要とするところ。無理に射ようとはせず、そのタイミングが来るのを待つ。
七、
力が頂点に達した所で手を離す。胴がぶれないように。熟達すると、離すのではなく自然と手が離れるという。当然皐月にはそんなのは分からないので適当である。
八、
矢を射った後、その体勢を崩さず
「――――とまあ、こんな感じかしら」
「外れてんね」
一応的には当たっている。真ん中からは盛大に外れているが。
「仕方ないでしょうが、片目だとどうしてもズレるのよ。補正の仕方も分からないし……」
銃とは異なり、弓は両目で狙うものなのだ。片目で当てる方法もないではないだろうが、初心者の皐月にはどうしようもない事である。
「いや中々良かったよ。直すところはあるけど、初心者としてなら十分以上ね」
「記憶力はいいですから。弓も軽くて引きやすかったですし」
「……軽かったの?」
「え? ええ」
思案顔の師範が、壁に立てかけられていた弓を一張り取り、それを皐月の弓と交換した。
「ちょっとコレ引いてみて」
「はあ」
とりあえず射法は考えず、腕力で適当に引っ張る。弓はあっさりみょいんと伸びて形を変えた。
「重くないの?」
「いえ、特には」
「……マジ?」
「マジですが……何ですその顔は」
鳩が豆鉄砲を食ったよう……というより、豆鉄砲を撃つ鳩を見てしまったかのような顔である。
「いやそれね……。通し矢用の弓なのよ……それも人馬が使う」
「通し矢と言うと……三十三間堂の?」
「そうそれ。今でもたまにやる人はいるから、一応準備だけはしてあんの」
通し矢とは、京都三十三間堂(約121m)の軒下を、弓で射通す競技である。遠いとは思うだろうが、実のところ弓で120mを飛ばすのはそんなに難しくはない。大砲のように斜め上に撃てばいいだけだ。当たるか当たっても殺傷能力があるかはさて置いて、そうすれば120m程度なら十分届く。
通し矢の難しいところは、屋根があるせいで射角が限られる点である。角度をつけすぎると、天井に刺さってしまう。必然、強弓を使わなければ届かない。かと言って強すぎると早く疲労するため何回も射る事が出来なくなってしまう。
しかしそこは人馬用。腕力があるため、疲労より確実に届かせる事を優先し、張りを強くしているのだ。そんなもんをあっさり引いたのだからまあ、師範の驚きも当然であろうゴリラ。
「おー、相変わらず菖蒲は馬鹿力だなゴリラ」
「さっすが姫を担いで保健室まで行っただけはあるねゴリラ」
「ええと……力が強いのはいい事だと思いますよゴリラ?」
「アンタら……」
三連続の怒涛のゴリラ押しだ。サスサススールだけはよく分かっていなさそうだが、勢いに負けた。順調に哺乳類人社会に毒されてきているようだ。
「あの、何故ゴリラなのですか? 菖蒲さんはゴリラだったのですか?」
「悪気がないだけ地味に腹立つ質問ね……」
「その力はゴリラにも匹敵するだろうってコト」
「なるほど、これが比喩表現の実例というものなのですね」
「そーゆーこったぜゴリラ」
「そのゴリラの力で頭カチ割るわよ」
青筋の浮き始めた皐月から軽やかに距離を取る獄楽。少々からかい過ぎたと覚ったらしい。
「ワリィワリィ、詫びにいいもん見せっから許してくれよ」
「いいもの?」
「詫び?」
獄楽は未だ衝撃から抜けきらぬ師範からさっと許可を取ると、おもむろに靴と靴下を脱いだ。
「まさか……」
「アレか? え、マジで出来んの?」
「アレ、とは?」
「そういやサスサスは見てなかったっけ」
「まあ見てろって」
そのまま左足の親指と人差し指に弓を挟み込み、矢を尻尾で固定する。そこからえいやとばかりに一気に逆立ちし、両の手で地面を鷲掴んだ。
「素晴らしいバランス感覚ですね」
「その一言で片づけていいもんなのアレ?」
きちきちきちと、右足指を弦に引っ掛け引いていく。その姿はまるでシャチホコのようだ。そして十分に引き絞られた弦が解き放たれ、空切る矢は見事的に命中した。曲撃ちだ。それもバランス感覚と身体の柔軟性、筋力を高レベルで持ち合わせていないと成立しない曲撃ちである。
「っとミスったな、真ん中からはちょい外れた」
「いやいや、あそこまで出来れば十分っしょ」
「お見事です、希さん」
獄楽は尻尾を弓に巻き付け、落ちないようにしてから跳ねるように元の体勢に戻る。微妙に不満足そうだが、そもそもあの体勢で撃てるだけで十分人間離れしている。
「あっきれた……私がゴリラなら希はサルじゃないの。あれって姫のスマホで見た動画よね? 練習してたの?」
「いや、初めてだぜ。撃ってるうちに出来るんじゃないかって思ってな」
「もう雑技団にでも就職したら?」
「金取れる程のモンじゃねーよ」
「いやいやいや、すっごい才能よキミ」
驚き冷めやらぬ師範が話に入って来た。その顔は紅潮し、言葉に一切の嘘がない事を伝えている。
「ね、ね、ね、今からでもいいから東高に転校しない? たまに弓道部を教えてるんだけど、中々勝てなくてさ……。キミが来ればいい刺激にもなると思うし!」
「え、えっと、転校する気はないんで」
「そんなコト言わず!」
「駄目ですよ、希は姫から離れる気はありませんから」
「ちょおまっ」
ゴリラの恨みと言わんばかりに、皐月が獄楽の背中をぐっさり刺す。焦る獄楽を見て、察した師範がにんまりと笑った。
「ははぁん……なるほどなるほどそういうコトかぁ。姫ちゃんも罪作りなオンナねぇ」
「ち、ちげーよ!」
物凄く分かりやすい。表情が言葉をこれでもかとばかりに裏切っている。これでは三歳児すら誤魔化せないであろう。当然誤魔化せなかった師範が、グッと親指を力強く上に立てた。
「そういうコトなら諦めるしかないかぁ。お幸せにね!」
「オイ菖蒲テメェ!」
「私は真実を口にしただけでございます」
慇懃無礼な煽りに物も言わず殴り掛かる獄楽。技量では負けているので、力任せに弾き飛ばす皐月。ふしゃーと虎と龍が睨み合う。柔よく剛を制すか、剛よく柔を断つか。
「止めなくていいのでしょうか……」
「じゃれてるだけだから心配いらんよ。てか私らじゃ止めらんないし」
「それもそうですね」
南極人特有の合理性を発揮して、二人を放置する事にしたらしいサスサススール。まあ実際問題として、あの二人の間に割って入るのは無理なので仕方ない。
「二人とも何やってるの?」
「姫!?」
そこにちょうど練習を終えたらしき君原が、後輩人馬を引き連れて戻ってきた。彼女の名は
「姫は魔性の女だという話をしておりました」
「えっ、えっと、どういうコト? というかあやちゃん、何で敬語?」
「それはですね、獄楽様が――――」
「わー! わー!」
言いかけた皐月の口を獄楽が慌てて塞ぐ。その手によってもごもごと口ごもるが、何かを思いつき悪い笑みを浮かべた。
「はいどうぞ」
「ちょおい!?」
「?」
ぐいっと獄楽を姫抱きにすると、そのまま君原に手渡す。君原は何が何だか分かっていないが、反射的にそれを受け取った。人馬の腕力なら人一人姫抱きにするくらい余裕である。
「ひ、姫?」
「希ちゃん?」
やっぱり状況はよく分かっていないながらも見つめ合う二人。獄楽の顔が僅かに赤くなり、妙な空気が漂ってきたところで、後輩が横から割って入った。
「何やってるんですか!」
「えっと、何だろう?」
「いや、俺に聞かれても」
「いいから下ろしてください!」
「う、うん」
若牧の剣幕に、思わず獄楽を下ろす君原。何となく視線を外せずにいると、痺れを切らしたように若牧が二人を引き離した。
「とにかく! 次の競技会は私が勝ちます! いちゃついてる暇があったら少しでも練習する事ですね!」
「そ、そんな、いちゃついてるだなんて」
「そ、そーだぜ。俺と姫はそーゆー関係じゃねーよ」
再び甘酸っぱい雰囲気が漂わんとするが、それを若牧の地団駄が叩き割る。彼女は捨て台詞を残すと、プンスカしながら走り去っていった。
「自覚なき三角関係かあ……若いなあ……」
「全員女ですけどね」
「これが青春というものなのですね」
「青春……なのかね?」
◆ ◆ ◆ ◆
流鏑馬の歴史は古い。平安時代には実戦弓術の訓練法として、すでに存在していたという記録が残っている。鎌倉時代に最盛期を迎え、
だが時代が下り、戦が個人戦から集団戦法に移り変わるに従って、流鏑馬も衰退していく。鉄砲やそれを扱う足軽の登場もまた、その傾向に拍車をかけた。
復活したのは江戸時代に入ってからだ。といっても実戦的な意味合いはほぼなくなっており、儀礼的な色が強いものであった。将軍家の厄除けや誕生祈願等で執り行われていたようである。
その後の明治維新、第二次世界大戦と度々流鏑馬は衰退の憂き目を見るが、それでも絶える事はなく現在に至っている。
「おー」
「走りながらよー当てられんね」
「皆さん見事な腕前です」
「さすがナチュラルボーン騎兵……」
そんな流鏑馬の競技会を見る四人が口々に感想を漏らす。
選手は全て人馬だ。これは差別などでなく、人馬以外は参加する意味が薄いからだ。そもそもの話として、馬を管理する施設はここに存在しない。
人馬のみの流鏑馬競技会が開かれる理由は、一言で言うと結婚のためだ。流鏑馬には、場所・道具・時間が必要になる。どれも余裕がなければ手に入らない。即ち富裕層である事の証明であり、健康の証明にもなる。
絶対数が少ない人馬にとって、同じ人馬の結婚相手を探すちょうどいい場なのだ。現在では必要性は薄れてはいるが、それでも流鏑馬が出来る人馬は上流だ、という認識はある。
「お、姫が出るみたいだよ」
「ひめねーだ!」
獄楽の頭の上で、君原の従姉妹にあたる
「いけー!」
「ガンバレー!」
紫乃とその友達の子供が応援する中、君原が走り出す。100mを10秒で走り抜くその速度の中で、あっという間に一つ、二つ、三つと的に矢が突き立って行く。歓声と拍手が彼女を包み、再度の礼を残して下がっていった。
「今回も優勝できっかねえ」
「どうだろね、本人は気にしないだろーけど」
「最後の的、中心から少し外れてたけど、今のとこトップではあるようね」
「後続次第、という事ですね」
的が新しいものに交換され、次に走るべき者の名前が呼ばれる。そこに姿を見せたのは、君原が絡むとポンコツになる、あの若牧綾香であった。
「お、次はあの後輩みてーだな」
「……なんか目付きがおかしいわよあの子。焦点があってないというか、ぐるぐるしてるというか……」
「この距離で見えんのか?」
「一つしかないけど目はいいのよ」
具体的には、視力検査のランドルト環が一番下まで見えるほどだ。最低でも2.0である。
「あー、ってことは姫、アレを言ったみたいね」
「アレ?」
「私に勝ったらデートしたげる、って言えばリラックスするよ、って」
「キョーコお前んなコト言ってたんか」
「逆効果っぽいんだけど……」
「大丈夫大丈夫、見た感じあの子は力を入れすぎて失敗するタイプだからね。混乱させて余計な力を抜けば上手く行くよ」
「混乱すると力が抜けるのですか?」
「余計な事を考えずに練習通りやれば成功する、ってコト」
合図とともに若牧が走り始めた。その結果は――――。
◆ ◆ ◆ ◆
「ごめんあやかちゃん、待った?」
「待ちました。遅刻ですよ先輩」
「あ、あれ、ここは今来たトコ、って返すところじゃないの?」
「遅刻しなければそう返してもよかったんですけどね」
駅前の『天を睨む蛙』という謎のブロンズ像の前で、若牧と君原が待ち合わせをしていた。まるで付き合い始めの恋人の如き会話である。
「さ、行きますよ。回るところたくさんあるんですから」
「え」
「競技会、私が勝ったんですから。先輩は大人しく従って下さい」
「しょうがないなあ、あやかちゃんは」
若牧は君原の手を取ると、少し赤い顔のまま歩き始める。そして、それを追う瞳が八つ。
「なんで後つけんだよ」
「いーだろ」
名楽、獄楽、皐月、サスサススールの四名である。なお皐月は隻眼だがサスサススールは三つ目なので、奇跡的に目の数は合っている。
「つっても絶対バレるわよこれ。絶望的に尾行に向いてないメンバーよこれ」
「いーから」
名楽と獄楽はまだしも、黒い眼帯が顔を覆っている皐月は、その形態も相まってかなり目立つ。極め付けはサスサススールだ。蛇で頭の位置も高い彼女は、隠れるという事には全く向いていないし、街を歩けば目立つを通り越して注目の的にならざるを得ない。実際今も、早速君原に気付かれている。
「あの、すみません。バレてしまったようです」
「早っ」
「やっぱ無理があるって」
「いーんだよ」
獄楽はそれでも引き下がろうとしないが、その時若牧と目が合った。ダッシュで飛び出そうとしたところを、皐月が反射的に引っ掴んだ。
「ちょ、いきなりどうしたのよ」
「アイツ鼻で笑いやがった……!」
「そんな性格には見えなかったけど」
考えられるとしたら、練習場での意趣返しであろうか。あの時は見せつけられたのだから、今度はこちらが見せつけてやる、的な。まあその場合悪いのは皐月だし、若牧はそういう性格でもないので、見間違いという可能性も大いに存在しているのではあるが。
「てかバレたんなら尾行はここまでだろ」
「そうね、どっちにしても野暮してるのはこっちなんだから、大人しく引っ込むわよ」
「離せ、離せー!」
獄楽は暴れるが、力に勝る相手にがっしりと抱え込まれてはどうにもならない。皐月がやる気の失せた声で宣言した。
「はいてっしゅーてっしゅー」
「うおおおおお」
「往生際が悪いぞ、希」
「青春ですね」
「弓 足で引く 女性」で検索すれば、獄楽がどうやって足で弓を射ったかが分かります。
凄いね人類!