【完結】四肢人類の悩み   作:佐藤東沙

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19話 良くも悪くも、親子は似るもの

 痛い程に照りつける眩しい太陽。

 やかましく鳴り響くセミの鳴き声。

 花壇で自己主張する伸び盛りの向日葵。

 

 皐月達が高校生になって、二度目の夏。殺人的な暑さの中、体育の授業が実施されていた。

 

「相変わらず希は速いわねえ」

 

「イインチョもイインチョで、バタフライでよくあの速度が出るな」

 

 目線の先では、クロールで泳ぐ獄楽と、それにバタフライで追いすがる御魂の姿。熟練者ならばバタフライでクロールに近い速度を出す事は不可能ではないが、身体能力とフォームの双方が揃っていなければならないため、難易度は高い。それをあっさりとこなしている辺り、完璧超人の名は伊達ではないという事だろう。

 

「あの羽って、水を吸って重くなったりしないのかしら」

 

「だから翼人の水泳選手の中にゃ、泳ぐ前に油を塗るヤツがいるんだろ。まあ授業じゃそこまでせんだろうが。そういう意味では、お前さんは水の抵抗が少なくて楽そうだな」

 

「まーね」

 

「すごいねタマちゃん」

 

「そうですね、あの泳ぎにくい泳法であそこまでの速度を出すとは」

 

 長い首をうにょんと揺らし、サスサススールが感心している。その水着姿は、思ったよりも哺乳類人に近い。首から上と尻尾と、卵生なのでへそがない点を除けばだが。

 

「バタフライって、ルールの穴をついて成立したものだしね。泳ぎにくいというか、不自然なのはある程度しょうがない」

 

「そうなの?」

 

「確か昔の平泳ぎの規定だと、バタフライは違反じゃなかったんだっけか。人魚の泳ぎ方を参考にしたとか、初めてオリンピックでやった奴がメダルを取ったとか聞いた覚えがあるぞ」

 

「そうそう、それで誰も彼もが平泳ぎでバタフライをやるようになっちゃって、それじゃ平泳ぎじゃないだろって独立させたのが戦後すぐだったはず」

 

 当初の平泳ぎの規定は、『うつぶせで、左右の手足の動きが対称的である事』のみであった。従って、バタフライであっても規定に反さなかったのである。

 

 尤も最初のバタフライは、手の動きだけで足は平泳ぎのままであったが、それでも平泳ぎよりは速く、1928年のオリンピックで初めてその泳ぎを披露した選手は銀メダルを取った。その後、多くの選手が平泳ぎでバタフライの手の動きを使うようになり、1956年にバタフライが独立種目になるまでその状況が続いたのである。

 

「そんな経緯があったのですか」

 

「お、終わったみたいだな」

 

 獄楽と御魂がプールから上がり、御魂がバサバサと翼をはためかせて水切りをしている。フェンス外でそれに群がっていた男子が、聖水だ慈雨だとアホな事を言っている。女子はプールだが、男子は外でマラソンなのだ。

 

「にしても……」

 

 皐月の目が名楽の背に向く。学校指定にしては、かなり背中が空いている水着だ。ワンピースタイプなのだが、背中の布地は腰の上までしかない。そこからX状で幅のある紐が上に伸び、肩を通って前に接続している。

 

 理屈は分かる。翼人、竜人は翼があるので、そのような形状にしないと引っかかるのだ。普通の服のように翼用の穴を開けるタイプだと、強度や着やすさに不安が出る。翼のない形態なら関係ないが、それでも同じデザインなのは、生産者側の都合だろう。その方が作りやすく、コストを抑えることが出来るからだ。

 

 だがしかし、皐月の感覚ではやはり背中が出過ぎているように思えるのだ。キャップやゴーグルを着けている者がほとんどいないのも、感覚に引っ掛かるところである。角や長耳が邪魔で上手く着けられない者がおり、かといって形態で分けると差別扱いになってしまうため、どこでも一律して着用義務はないためなのだが、やはり違和感は拭えない。

 

「どうしたのあやちゃん?」

 

「……いや、なんでもないわ」

 

 とは言え、それを口にする気は無い。生まれた時からそれが()()()()だった君原達には、理解されないだろうから。

 

「それより私達も泳ぎましょ」

 

「そだね、ちょうど空いたし」

 

「お、今日はサスサスも泳ぐんか」

 

「ええ、いつまでも怖がってばかりもいられないと思いまして」

 

 サスサススールが決意を込めた顔で力強く宣言する。南極では水に入るイコール死なので、南極人は本能的に水を恐れるのだ。しかし哺乳類人社会で暮らす以上、そうも言っていられないと一大決心を固めたのである。

 

「う、うぅ……!」

 

「無理すんなよサスサス」

 

「だ、大丈夫です……! 急に深くなるのが怖いだけなので、い、一旦入ってしまえば……!」

 

「スーちゃん、本当に無理はしないでね?」

 

 水深が浅い事もあり飛び込み禁止なので、水に入ってからのスタートである。先頭を切るのは、体格が良く筋力がある皐月だ。クロールでざっぱざっぱと水を掻き、あっという間にトップスピードに乗ってしまった。

 

 その次に続くのは、意外な事に名楽である。体力クソザコナメクジにも拘わらず、泳ぎは得意なのだ。きっと水の抵抗が少ないせいだろう。何故少ないのかは言わぬが花である。

 

 三番手は人馬の君原だ。水の抵抗が大きい形状と、犬かきのようにならざるを得ない泳ぎ方のせいで、速度があまり出ないのである。パワーはあるのだが、それに応じた速度であるとはちょっと言えない。

 

 また、速度とはあまり関係はないが、足の動かし方が斜対歩から側対歩に切り替わっている。これは馬と全く同じだ。

 

 斜対歩とは、対角線上の脚が同時に前に出る歩き方だ。右後脚と左前脚、左後脚と右前脚がセットになって前に出る。身近なところでは、馬や犬が代表的だ。

 

 側対歩とは、一直線上の脚が同時に前に出る歩き方だ。右前後脚、左前後脚がそれぞれセットになって前に出る。猫や象、ラクダ辺りが代表的な例である。

 

 そして馬は、訓練をしていない限りは斜対歩だが、水に入ると側対歩になるのだ。本能であるため、教えなくても勝手にそうなる。人馬もどうやら、これと同じであるようだ。

 

「遅っ……」

 

 50mを泳ぎきり、プールから上がった皐月が思わずこぼす。最後尾で、ようやく25m地点に達したサスサススールを見て。

 

 可動範囲の広い首を前に向け、器用にもクロールで泳いでいる。フォームはそこまで悪くはないのだが、悲しくなるほどに速度が出ていない。体力も筋力も全くない上に、身体を動かす事が苦手で、水にトラウマがあるためだろう。

 

 そも通常の南極人は、泳ぎの訓練などしない。水と即死トラップが同義の南極で、泳ぐ意味などどこにもない。そう考えると、形になっているだけ凄いのかもしれない。

 

「そういや水で思い出したんだけどさ」

 

「ん?」

 

「ブラジルの両棲類人、見事に膠着したね」

 

 水を見てカエルを思い出したのか、プールから上がった名楽が出してきた話題は、人権を求めて蜂起した両棲類人についてであった。

 

 両棲類人は都市に攻め込むには戦力不足で、軍もジャングルに籠る両棲類人への決定打を持たない。もちろん軍が損害を厭わずゴリ押せば勝敗は決定されるが、そこまでする理由は薄い。下手をすれば傷痍年金だけでも国が破産する。

 

 結果としてブラジルのジャングルでは、小競り合いこそあるものの、双方決定打のない、奇妙な凪のような戦闘が続いていた。

 

「羌ちゃんとあやちゃんの言ってた通りになったね」

 

「まああの手のは、なるようにしかならないから……」

 

「やっぱ外部からの介入がないと決着つかないんかな」

 

「普通ならお互いどこかで妥協して、落としどころを見つけるものだけど……今回は事情が事情だし、難しいかもね」

 

 生存権を求める両棲類人は、文字通り死んでも引けない。ここで引くという事は、両棲類人の滅亡を意味する。

 

 両棲類人の殲滅か生存権の不成立を目指す政府には、一応引く余地はある。だが決して、決して決して敗北は許されない。敗北する事は即ち、大統領以下首脳陣の死を意味しているからだ。少なくとも大統領本人はそう信じているし、あながち根拠のない事でもない。

 

 敗北と軍事裁判と死が等号で結ばれるのは、歴史が証明する事実なのだ。おまけに国際社会の反発を招いている現状、両棲類人が()()したところで止める者はない、と考えるのは自然である。

 

 絶対に引けない両棲類人と、絶対に負けられない政府。妥協の余地があるのは政府だが、ではどこまで譲るのか。そもそも軍事的には勝っているのに、妥協する必要はあるのか。こうした諸々の思惑が絡まり合い、泥沼のジャングル戦線が誕生したのである。

 

「お前ら、プールでまでそんな話をしてるんかい」

 

 呆れ顔で近づいて来たのは、水も滴るいい女な獄楽だ。彼女はその顔のまま、皐月達をぐるりと見渡した。

 

「もーちっと色気のある話をしろよ」

 

「希の口からそんな言葉が出ようとは」

 

「鴉羽さんの影響かしら」

 

 それはどちらかと言うと悪影響な気がするが、色気という言葉で記憶が刺激されたらしい君原が、新たな話題を口の端にのぼらせた。

 

「そうだ、羌ちゃんのお兄さんとあやちゃんって、結局あの後どうなったの?」

 

 名楽の兄とは言わずもがな、以前皐月に一目惚れして勢いのままに告白した男である。ばっさりお断りされた事もあり、印象に残っていたようだ。

 

「もう一年くらい経つんか……早いな」

 

「兄ちゃんがえらく落ち込んでた時期があったんだが……正式にフッた、ってコトでいいのか」

 

「そう思ってくれて構わないわ」

 

 実は名楽兄は、皐月のバイト先に何度も来ていたのだ。妹から聞いたのではなく、『片目で美人な店員がいるカフェ』という噂を聞きつけ、もしやと思ってやって来たものらしい。そこで半年ほど常連として店に金を落とす作業に勤しんでいたのだが、肝心の皐月を落とす事は最後まで叶わなかった、という訳だ。

 

 なおこの経緯は、聞かれない限り皐月の口から出る事はない。名楽兄を気遣っている訳ではなく、どうでもいいからだ。半年かけてこれとは、哀れさを禁じ得ない男である。

 

「断っちゃったの?」

 

「んな悪くねーように見えたけどな」

 

「何、二人ともああいうタイプが好みなの?」

 

 怪訝を顔に浮かばせて、皐月が君原と獄楽に問いかける。獄楽はさらっと、君原はわたわたとそれに答えた。

 

「なわきゃねーだろ」

 

「え、えと、そういうワケじゃなくって、その……」

 

「歯切れ悪いね姫」

 

「あやちゃんは、恋人を作ってみる気はないの?」

 

「ないわね」

 

 ばっさり切り捨てられた君原はちょっと涙目である。それに気付いているのかいないのか、皐月は言葉を続けた。

 

「大体ねえ、一帝目指してるのにそんな暇ないわよ。あっちだって受験勉強真っ最中でしょうに」

 

 一帝とは、皐月の記憶に当てはめると、東大に相当すると思われる大学だ。帝国であるこの世界の日本における、最高学府である。

 

「一帝か……キョーコも同じだったよな?」

 

「学部は違うけどね」

 

「羌ちゃんは法学部で、あやちゃんは理学部だっけ?」

 

「そだね」

 

「そうね」

 

 なお皐月は、二年になる際には理系文系でクラスが分かれると思っていたのだが、そうはならなかった。どうやら『前世』とは異なる教育システムのようである。

 

「んで姫が、地元の彼大(かなだい)と」

 

「今のところはだけど。希ちゃんもそうだったよね?」

 

「まー、そーなんだけどな……」

 

 獄楽は珍しく、憂いと思案を混ぜ合わせたかのような顔で空を仰ぐ。大きく息をつくと、その吐息に乗せるように言葉を吐き出した。

 

「将来、かぁ」

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「どうも、ご無沙汰しております」

 

 サスサススールと共に現れた、ファルシュシュに向かって頭を下げる皐月。本日は夏休みに入る直前の、三者面談の日なのだ。そこで皐月が、たまたま南極人二人に出会ったのである。

 

「お久しぶりですね。ああそうだ、いつぞやはお世話になりました。おかげで何事もありませんでしたわ」

 

「いえ、お役に立てたのなら幸いです」

 

 よどみなく言葉を交わす二人。その片目の方の後ろで、初めて生で見た南極人に驚き、動きが止まっている男が一人。皐月の保護者役として来た、施設の職員である。

 

 その形態は、そこそこ珍しい牧神人だ。角と長耳に尻尾、そして膝下のヤギそっくりの脚が特徴である。ギリシャ神話の半獣神、パンに似た姿をしている、と言えば少しは分かりやすいであろうか。

 

 ちなみに脚は一見逆関節にも見えるが、いわば背伸びした状態で踵から先が長く伸びているようなものなので、関節が増えている訳ではない。

 

 彼は被保護者に肘で小突かれると、ハッとした顔になり南極人に向き直った。

 

「ど、どうも初めまして。五十嵐(いがらし)(あつし)と申します」

 

「事情はおそらくご存じかと思いますが、私の入っている施設の職員です。今日は私の保護者役としてご足労願いました」

 

「なるほど……私はケツァルコアトル・ファルシュシュと申します。こちらはケツァルコアトル・サスサススール。一応は私の部下という形になりますが、本日は上司というよりも後見人として来ています」

 

「ケツァルコアトル・サスサススールです。いつも菖蒲さんにはお世話になってます」

 

「こ、これはご丁寧に」

 

 驚きにどもり気味の彼ではなく、本来なら施設長が来るところではあるが、施設長は仕事とプライベートは分ける性格なので緊急事態でもなければ休日出勤はしない。このような公私の境が曖昧になりがちな仕事だと、のめり込むタイプと割り切るタイプに分かれるが、施設長は後者のようである。

 

 そんなんで三者面談は大丈夫なのかとも思うが、まあ五十嵐氏は置物なので問題はない。要するに『三者面談』という形を作るだけの人員、という事だ。話そのものは皐月がいれば問題なく進むのである。

 

「サスサスって大学には行くの?」

 

「いえ、進学はしません。そのまま就職……という事になりますね」

 

「南極人の場合は、就職って言っていいのかしら……?」

 

「他に適当な訳語も見つかりませんので」

 

「まあそうね……そういえば、妹さんは? なんかアイドルとして売れて来てるみたいだけど、そのうちそっちは辞めて就職したりするの?」

 

 ニルニスニルニーフは、史上初の南極人アイドルとして話題沸騰中だ。ビジュアルはともかく、ダンスは人並み以上、そして歌に至っては人魚よりも上手い。おまけに物怖じしない性格や、トークもそつなくこなす多芸さもあって、今や一躍時の人と化しているのである。

 

「いえ、南極としてはそのままアイドル路線で押していくとの事です」

 

「へえ、融和路線の一環って事かしら。確かに親しみを持たせるのなら、アイドルは向いてると言えるものね」

 

「そこまでは私には何とも」

 

 その時、面談の終わったクラスメイトが、サスサススールを呼ぶ。彼女達が呼ばれるままに席を外すと、程なくして入れ違いに君原と獄楽にその保護者達が入って来た。

 

 君原の両親と皐月は、流鏑馬の大会で顔を合わせた事があるので面識がある。獄楽の方も、家に遊びに行った時にその母親と顔を合わせたので同様だ。

 

「お久しぶりです」

 

「ああ、久しぶりだね」

 

 皐月が挨拶を交わすのは、ヤクザめいた白スーツの竜人男性だ。男性にしては髪が長くセミロングと言っていい程で、纏う雰囲気はどことなく軽い。この男性こそ、あまり似ていないが獄楽希の父親である。

 

「それにしても相変わらず美人だ、この後お茶でもどうかな?」

 

「遠慮しておきます、後ろの奥様に怒られたくはありませんから。というか普通、娘の友人を口説きます?」

 

「何を言うんだい、美人を見かけたら声を掛けない方が失礼じゃないか」

 

「そちらも相変わらずですね」

 

「何してやがんだこんのアホオヤジ!!」

 

「ほぶっ」

 

 イタリア人紛いな事を宣い始めた父のケツを、娘が思いっきり蹴り上げる。そのまま説教の態勢に移行する彼女を尻目に、君原が驚愕を浮かべて皐月に言った。

 

「あやちゃん、希ちゃんのお父さんと知り合いだったの?」

 

「前に一度だけ空手道場を見学に行ってね」

 

「そのまま通わなかったんだ」

 

「余裕がないのもあるけど、向いてないって分かったから」

 

 格闘技に限らず技術とは、当然ながら一般的な人類基準で作られている。なので人外めいた身体能力を持つ皐月とは、あまり相性がよろしくない。細かい技術を学ぶよりも、怪力でゴリ押す方が手っ取り早いのだ。“柔よく剛を制す”は真実だが、“剛よく柔を断つ”もまた真実なのである。

 

 もちろん技術を学ぶ事には意味がある。同じ体格で同じ力の者同士が対峙すれば、技術を持つ方が勝つのは当然だからだ。だが経済的余裕があまりない皐月には、そこまでするほどの価値が見いだせなかった。要するに費用対効果の話なので、皐月が技術を軽視している訳では特にない。

 

「おっ、揃ってるね」

 

「羌ちゃん!」

 

 声と共に姿を現したのは名楽であった。彼女は他の面々と違い、保護者が同行していない。曰く、ルポライターの父親は〆切り前で動けず、兄を連れて来ても仕方ないから、との事だ。

 

 ちなみにどうでもいい事ではあるが、彼女が『兄』と呼ぶ相手は複数いる。だが実際の兄は一人だけであり、他は叔父やいとこ等の親戚だ。彼らは『おじさん』と呼ぶと怒るため、兄と呼ばざるを得なくなったという、本当にどうでもいい経緯が存在するのである。

 

「あー、いたいた羌子ちゃーん!」

 

「ゲッ、お袋ッ!?」

 

 やほー、と軽く片手をあげて近づいてきたのは、角人の女性だ。そして名楽の言葉が示す通り、彼女の母親でもある。見た目はかなり若く、高校生の子供が二人いるようには思えない。

 

 成人女性にしては背は低めで、娘よりせいぜい5cmくらい高い程度だ。未だに身長が伸びており、ついに160cmを超えた皐月よりも低い。

 

 波状にうねる長く濃い茶髪に、羊のように渦を巻いた角と、一見娘にはあまり似ていない。だが目を糸目にして髪を短くすれば、親子である事が一目で理解できる事だろう。まあそれでも身体のごく一部は、まったく似ても似つかないのであるが。

 

「久しぶりに会った母親に、ゲッはないでしょゲッは」

 

「母親だぁ? どの口でほざくんだ、この十年母親らしいコトなんざしてねーだろ」

 

「あら、でも戸籍上では母親なのよ」

 

 母親相手だと口が悪くなる羌子を見ながら、皐月はその名前に納得する。『羌』は『羊』と『人』が合わさり生まれた漢字なのに、特に羊要素がない事を不思議に思っていたのだ。母親の角は羊そっくりなので、成長したらそちらに似るのではないか、という予想から名付けられたのであろう。

 

 赤ん坊の頃の角人の角は、精々でっぱり程度なので、成長しないとどんな形になるかは分からない。名楽娘の角は、予想に反して父親の方に似たという訳だ。

 

「ま、とりあえずそれは置いといて。どーも皆さん、娘がお世話になってます」

 

 まだ何か言いたそうな娘を一旦放置し、名楽母が実に適当な感じで皆に挨拶する。面食らってどーもとしか言えない保護者達を尻目に、その瞳が皐月に留まった。

 

「眼帯に黒髪、翼と輪毛のない翼人……ってコトは、アナタが羊介(ようすけ)が惚れてフラれたって子ね?」

 

「ええ。どうも初めまして――――何か?」

 

 じーっと無言で見つめ続ける名楽母。怪訝さが皐月の死んだ瞳に浮かぶ。名楽母はその顔を引き締め、若干真剣な表情となって言った。

 

「やー、こりゃ確かに羊介の手にゃ負えんわ。難儀な子に惚れたモンだ」

 

「何ですいきなり……というか息子さんから伺いましたが、色々と入れ知恵して下さったそうで」

 

「いやいや親としてはさ、息子の恋愛事なんて面白そうなコトに肩入れしない訳にゃいかないじゃない?」

 

「限度というものがあります。外野の声など意味はありませんが、だからといって鬱陶しくない訳ではないのですよ?」

 

 その隻眼がすっと細くなり、急速に色が消えて行く。どうやら施設の子たちに彼氏だ何だと言われるのが、かなり煩わしかったようだ。

 

「あはは、ごめんごめん。まー親の贔屓目だと思って笑って許してよ」

 

「贔屓の引き倒し、という言葉もありますが」

 

「倒すまでもなく脈はなかったみたいだけどねえ」

 

「すみません、私達はそろそろ……」

 

 別れの挨拶を残し、君原一家が退出していく。獄楽一家もそれと共に出て行き、そこにちょうどサスサススールが皐月を呼びに来て、名楽親子だけが残された。

 

「――――いやー、久々にマジ緊張したわー」

 

 皐月とその保護者役の姿が見えなくなるや否や、名楽母が大きく息をつく。何言ってんだコイツと顔に書いてある娘に向け、彼女は自分の掌を見せた。

 

「……どーしたんだコレ」

 

 そこにはべっとりと手汗が滲み出ていたのだ。名楽母は、気楽さの中に固さが残る声で言った。

 

「ありゃあ()()()()()()()()()よ。いやいや、おっとろしい友達持ってるわねアンタ」

 

「……確かに妙な迫力はあるが、大ゲサだろ」

 

「あー、付き合いが長いと逆に分かんないのかしら? ワタシぁ羌子ちゃんより少しばかり人生経験があるかんね。あの手の人間にも会ったコトがあんのよ」

 

 そんな物騒な人間にどこで会ったんだよという無言の疑問は無視して、ハンカチで手を拭いながら話を続ける。

 

「あの眼帯もズイブン年季が入ってたし、三年遅れの中学二年生ってワケじゃないんでしょ? なんか込み入った事情がありそうだし、確かに羊介じゃどうにもならんねありゃあ」

 

「前半はともかく、後半は同意だな。兄ちゃんにどうこう出来るタマじゃねーよ菖蒲は」

 

 自分の息子と兄に対して大概な評価である。しかしこれも捻くれた家族愛の発露なのだ。きっとそうだろう。

 

「その兄ちゃんだけど、野球選手になるとか言ってたのよねえ。……………………なれるの?」

 

「沈黙の長さが答えみてーなモンじゃねーか。まあでも兄ちゃん真面目だし、野球は無理でも人生の方は何とかなんじゃね」

 

 腰に両手を当て息をつく娘に、母は少しだけ心配そうに言った。

 

「人生か……アナタはしっかりしてるから、そっちは大丈夫だと思うけど。友達というなら、その為人(ひととなり)くらいは把握しときなさい。ありゃ本気でヤバイ手合いよ。眉一つ動かさずに人の首を掻っ切っても驚かないわ」

 

「物騒だな……菖蒲が仮にお袋の言う通りだったとしても、心配するよーなコトは何もねーよ」

 

「あら、どうして?」

 

「友達だかんな」

 

 軽く言い切った娘に、母は瞳をぱちくりとさせる。彼女は笑顔を浮かべると、やにわに娘を抱きしめた。

 

「うぷっ!? 何すんだいきなり!」

 

「やーやーやー、子供の成長って早いのねー。おかーさんびっくりよ!」

 

「分かったから放せ!」

 

 豊満なる胸部装甲から逃れんと暴れるが、体力クソザコナメクジが祟って全く抜け出せない。母は娘の耳に口を近づけると、一転して静かな口調で語り掛けた。

 

「確かにワタシぁ母親らしいコトなんぞ何もしてない、ダメな母親だけどね。それでもやっぱり母親だから、幾つになっても子供は心配なモンなのよ」

 

「…………」

 

 娘の返事はなかったが、動きが止まったのが何よりも雄弁な返事となっていた。

 

「でも、思ったよりもずっと成長してたのね。色々言おうと思ってた事もあったけど、今のアンタにゃ要らなさそうだわ」

 

「…………」

 

「好きなようにやってみなさい。ワタシはダメな母親だけど、いつだってアンタの味方よ」

 

「……………………こんな時だけ、母親面しやがって…………」

 

「こんな時くらい、母親面させなさいよ」

 

 母はぽんぽんと娘の背中を軽く叩く。娘のその長い耳は毛に覆われ分かりにくいが、近くで見れば真っ赤になっている事に気付けただろう。二人は面談を終わらせた皐月が呼びに来るまで、その体勢のまま動かずにいた。

 




 羌子はきっと母親似。

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