【完結】四肢人類の悩み   作:佐藤東沙

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最終話 両目の国でも片目の国でも、人は生きていかなきゃならないんだよね

 『授業中にテロリストが襲撃してきたら』。

 

 有名な妄想ネタである。内容は様々ではあるが一言で纏めると、『テロリストを撃退する俺(私)カッコイイ!』という、ちょっと……もとい、大分アレで暗黒面自己顕示欲満開の妄想ネタである。

 

 とは言え、もちろんこれが実際に起こると思っている者はいない。あくまでも妄想であり、精々がジョークのネタになる程度である。

 

 

「学校は我々、歴史清算委員会が占拠した!」

 

 

 だがしかし、それが現実になってしまった場合は、さて。一体どうすればいいのであろうか。

 

「正義に目覚めた者である我々がこれから、歴史裁判を行う!」

 

「支配者として人民を苦しめてきた特定形態の罪を清算するのだ!」

 

 銃と刃物で武装した、覆面を被り防弾アーマーで身を固めた男三名。生意気にもAKではない突撃銃を持ったのが二名、短機関銃を持ったのが一名。刀のような刃物も全員装備済みで、ジャージが膨らんでいる事からおそらく拳銃も所持している。どう贔屓目に見たところで、授業参観に来た父兄ではない。

 

 そいつらが教室に押し入り、君原に銃を突きつけ口から電波を垂れ流している。どこに出しても恥ずかしい、正気を彼方にうっちゃってしまったテロリストだ。まあ正気でテロリストなどやっていられないだろうが。

 

 ちなみに連中、この場の出来事をネットで生放送しているので、二重の意味で電波を垂れ流している事になる。公共の電波で電波を垂れ流すのは迷惑なので止めましょう。

 

「この放送を見た者は立ち上がれ! 今日は人民の記念すべき日になるだろう!!」

 

「傍観の罪を犯してきたお前達にも、正しい教育の機会を与えよう!」

 

「この罪人の血統を処刑し、正しい歴史認識を得るのだ!」

 

 自称、歴史清算委員会。人馬・人魚=支配者の血筋=悪と主張する、テロ組織である。当然違法組織なので、当局は躍起になって検挙しようとしているが、現状を見るに上手く行っていない事は明白だ。

 

「志願者はいるか!」

 

 普通に考えるなら、助けが来るまで大人しくしているのが正しい行動だろう。だがそんな余裕はどこにもない。このままでは人馬の君原は殺されるだろうし、その後残った生徒達も殺されないという保障はない。

 

 ゆえに彼女は、その言葉に手を上げた。同じ事を考えていたらしい御魂も同様に。

 

「ほう、二人もいるとはな。中々見所のある若者たちだ」

 

「何故手を上げた?」

 

「私は翼人。征服された北方人の末裔よ。理由なんてそれで十分でしょ」

 

 御魂は決然と、薄く笑みさえ浮かべながら言葉を続ける。少々本音が漏れているようだが。

 

「それにこの子はグズでずるくて、何かあるとすぐ人の背に隠れて他人にやらせようとするしね。見ててイライラするのよ」

 

「なるほどな。そっちは?」

 

「私も翼人よ」

 

「そうなのか……? いやしかし……」

 

 懐疑的な目を向けるテロリスト。確かに翼人を翼人たらしめる翼と輪毛が存在しない以上、無理もない事だと言えよう。そのある意味慣れ親しんだ視線を敏感に察知し、彼女は自身が狙いではない事を確信した。

 

「昔は輪毛も翼もあったのだけれども。大火傷をしてね、切除するしかなくなったの」

 

 当然大嘘もいいところである。だがそれを確認する(すべ)はないし、ここでは真実の方が嘘くさい。ならば嘘で誤魔化してしまえという、まさに嘘も方便を地で行く女であった。

 

「火傷の痕は大半消えてくれたのだけど、運悪く輪毛部分の毛根は焼け潰れて生えてこなくなったわ。この目もその時に無くしたの」

 

「ほう……」

 

「それが?」

 

「その火傷の原因を作ったのが人馬なのよ。別にこの子と関係がある訳じゃないんだけど、やっぱりどうしてもね……。後は委員長に大体言われちゃったわ」

 

 そこで言葉を切り、死んだ目のまま思わせぶりに君原を見やる。

 

「それに、個人的な恨みもない訳じゃないし、ね」

 

「そんなぁ」

 

「ふむ。動機は何にせよ、革命的思想を持ち、同志となりうる者が二人もいる事は喜ばしい」

 

「一丁しかないが、処刑用の銃だ。弾は一発だけ、正確に狙え」

 

「どちらがやるのだ?」

 

 掌サイズの小さな銃を差し出しつつ、テロリストが二人に問いかける。だが御魂はそれには応えず、テロリストにするりと近づいた。

 

「いいえ、こっちを借りるわ」

 

「あ」

 

 テロリストの腰からスラリと刀を抜き出すと、やる気も(あらわ)にブンと一振りする。

 

「武士の末裔なのだから、やはり首切よね」

 

「おっ、おう」

 

「ヤル気あんなぁ」

 

 テロリストも若干引くが、そんな事にはお構いなしに、今度は皐月が動いた。

 

「なら私がこっちね」

 

「あ、あぁ」

 

 ひょいっと軽い調子で銃を取り上げる。使い方が分からないと言わんばかりに、上に下にと眺めまわし、その間に周囲を確認していく。

 

 御魂が獄楽に目配せをしているのが横目で見える。獄楽は成績はあまりよろしくないが、地頭は悪くないし察しもいい。あれなら問題なく動いてくれることだろう。

 

 ついでに窓の外をちらりと見ると、警察が来ているのが確認できる。何に使うつもりなのか、戦車まで引っ張り出しているところを見るに、軍も一緒のようだ。初動が早いとは感じるがしかし、未だ動く気配はない。

 

 というか動くなら、とっくの昔に動いているはずだ。内部の様子はご丁寧にも現在進行形で流出しているし、間抜けな事にカーテンを閉めていない。狙撃には絶好のチャンスのはずだが、そうしていない。それはつまり、原因は不明だが、動くに動けない理由があるという事だ。

 

 そこまで高速で頭を回転させた彼女は、仕方がないかという諦観と共にテロリストに声をかけた。

 

「ねえ、これはどうやって使うのかしら。安全装置? というのがついてるはずだけど、解除されてると思っていいの?」

 

「ああ、解除されてる。後は標的に向けて引き金を引けば弾が出る」

 

「何だか随分小さいけれど、これで人が殺せるの?」

 

「問題ない、これだけ近ければな」

 

 そこまで聞いた彼女は、ごく自然に流れるように、テロリストに向けて銃を撃ち放った。パンッと、引き起こす事象に比して軽い音と共に、柔らかい眼球を貫通した銃弾は、その勢いのまま脳を破壊し、テロリストは物も言わず地に(くずお)れた。

 

「あらほんとね、きちんと殺せたわ」

 

 皐月には敵意こそないが、悪意は溢れんばかりに持っているし、殺意は売るほど満ち満ちている。買ってくれる殊勝な相手はいないので、こういう機会に押し売りするしかないのである。

 

「なっ……」

 

「貴様!!」

 

 残るテロリスト二人のうち、片方は想定外の光景に固まったが、片方は怒気と共に皐月に銃を向ける。だがその時、突如として二人は目を押さえて屈みこんだ。

 

「がっ!」

 

「いつっ!」

 

 獄楽が指弾の要領で消しゴムを飛ばし、テロリスト二人の目に命中させたのである。二ヶ所同時に、しかも片方は利き手ではないというのにこの正確さ、まさにスポーツ万能空手少女の面目躍如と言えよう。

 

「おおらぁあ!!!!」

 

 その隙を逃さず、小守(こもり)(まこと)が机を投擲し、テロリストに命中させる。竜人であるにもかかわらず、『人馬の突進を正面から止める』その怪力は如何なく発揮され、強制的に机と一体化させられたテロリストは、横一直線に吹き飛び窓から下へと落ちて行った。

 

 あっという間に残るテロリストはただ一人。当然のように御魂もまた、その隙を見逃す事はなかった。

 

「キャア!!」

 

 君原の後ろ蹴りがテロリストにヒットし、凄まじい勢いで吹き飛ばす。人馬には、臀部に触れられると反射的に蹴りが出るという危険な習性があり、それを知っていた御魂が君原を利用したのだ。

 

「ナイスよ二人とも」

 

 どう見てもテロリストは戦闘不能だが、それで油断する皐月ではない。地に伏すその両手を踏み砕き、片足を鉛筆か何かのようにへし折った。差別主義者に人権はないので、別に殺してもよかったのだが、生かしておけば警察が背後関係を調べやすかろうという気遣いである。

 

 次いで頭を撃ち抜いた方の首を踏み抜いて絶命を確実なものとすると、まだ生きている方のそばに膝をつき、武装解除を始めた。

 

「随分用心深いのね……」

 

「昔油断してえらい目にあったからね。トドメはきちんと刺さないと」

 

「……というか、なんか慣れてない?」

 

「別に慣れたくて慣れたんじゃないわよ――――やだ、血がついちゃったわ」

 

 ぽいぽいと武装を剥ぎ取りながら、そこはかとなく闇の深いセリフを吐く皐月に、御魂が何かを言おうとする。が、それを遮るように校庭から銃声が響き、同時に階下から足音と怒号が聞こえて来た。どうやらようやく警察か軍の狙撃と突入が始まったようである。

 

 それは即ち、この馬鹿騒ぎも終わりだという事を意味していた。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

『自称歴史清算委員会の学校占拠事件は、生徒側の被害が死者重傷者ゼロという極めて喜ばしい結果に終わりました』

 

『警察や国軍の対応が良かったのでしょうか』

 

『いえ、生徒の高度な自主性が発揮されたようです』

 

 放課後の地学準備室。民俗研究部の部室となっているそこで、パソコンからニュースが流されていた。

 

「みんな無事でよかったね」

 

 君原が胸の下で手を合わせながら朗らかに言う。豊満な胸部装甲がふにゅんと潰れて強調されている。

 

「ま、ウチのクラスはテロリストが臆病だったみたいで」

 

 鴉羽が何の事もなさそうな様子を見せて話し始めた。

 

「急にがくがく震えだして、そのまま卒倒しました。心不全ですねあれ」

 

 と言っているが、偶然などではもちろんない。鴉羽には超能力じみた力があり、強く意思を込めて睨むとその対象に様々な影響を及ぼすことが出来るのだ。本人は『眼力』と呼んでいる。

 

 軽く動きを止める程度から、今回やったように気絶させるに至るまで、融通が利いて使いやすい。反面、全く効果のない者もいたりと、本人にもよく分かっていない点もある。

 

「それより、あやかの方が」

 

「まあでも、ウチもそんなに」

 

 鴉羽が若牧に話を振った。

 

「私は犯人が教室を占拠した時その場にいなくて。たまたま犯人が廊下に落とした銃を拾って。外から撃っただけですよ」

 

 さらりと言っているが、中々の剛運である。今回のテロリストは人馬を目の敵にしていたので、最初から教室にいたとしたら人馬の彼女はタダでは済まなかっただろう。

 

 銃を拾ったというのも、本来ならばありえない事だ。それが使いやすい短機関銃であったのも運がいい。敵の間抜けさもあったが、まさに天祐というものなのであろう。

 

 まあ彼女は日頃から銃を持ち歩いている(もちろん違法)からそれを使ったのかもしれないが、実際はどうだったのかは若牧にしか分からない。それに真相がどうあれ、『テロリストは間抜けにも自分が落とした銃で撃たれた』というのが真実なのだ。何も問題はない。

 

「やっぱり連中、素人だったみたいね」

 

「そうなの?」

 

「ええ、カーテンも閉めようとしなかった時点で分かり切ってたけど」

 

「ああ、狙撃されるもんな」

 

 少なくとも皐月なら、カーテンは真っ先に閉めて電気も消す。これで窓の外からの狙撃はほぼ防げる。その後は銃で追い立てて、全校生徒を体育館にでも集める。一ヶ所にまとめておけば監視もしやすいし、守る場所が減るので警察に対抗もしやすくなる。

 

 そうしなかった理由は皐月には分からなかったが、何か教室に拘る理由があったにしても、生徒たちは教室の隅にでもまとめて机と椅子でバリケードでも作って隔離し監視すべきだった。そうすれば間抜けにも反撃される事などなかったのだ。

 

 そうしたら後は簡単だ。体育館にしても教室にしても、生徒に処刑させるなどというリスクなど冒さず、自分達でやればよろしい。処刑終了後は生徒達を人質に取って立てこもるもよし、(みなごろし)にして逃げるもよしだ。

 

 どうせすぐに捕まるか射殺されるだろうが、テロの目標そのものは達成できるし、やりようによっては突入してきた警察官も何人か道連れにできるだろう。まさか連中、生き残るつもりでいた訳でもあるまい。

 

 悪辣さと高い知性を有する皐月は、そこまで簡単に思いついたが、口に出すことはなかった。

 賢明である。

 

「狙撃と言えばあやか、よく当てられたわね?」

 

「狙撃じゃなくて、あんな近距離で据え物撃ちだもの、外しっこないわよ」

 

「すごーい、映画みたーい」

 

「ああでも、弓道の心得が役に立ったと思います。それよりも、まだ生きてる犯人を皆が吊ろうとするのを止めるのが大変でしたね」

 

 差別主義者を吊るせをスローガンに、生徒達が自主的に犯人をぶち殺そうとしたのである。若牧はむしろそれを止めなければならなかった。

 

 マッポーでサツバツと思われるかもしれないが、これは何ら法律に反する事ではない。テロリストに人権は存在しないのだ。正確には、形態間差別を名分にするテロリストに人権はない。

 

 形態差別罪は非常に厳しい法律だ。差別発言ですら問答無用で矯正所送り。形態間差別を口にしてテロを起こせばその時点で人権は剥奪され、法的には人間ではなくなる。従ってそのテロリスト共をどうしようが何の問題もない。当然過剰防衛になるはずもなく、むしろ『駆除』を称賛されるのである。

 

 相当強引ではあるのだが、こうでもしないと形態間差別が横行してテロの温床になったり、内戦になって各国に飛び火し、果ては第三次世界大戦が引き起こされる危険性すら存在するのだ。それを思えば、テロリストの人権や命など塵に等しい。

 

 まさに『平等は命より重い』世界なのである。

 

「センパイのところはどうでした?」

 

「私が一人撃ち殺して、小守君が机を投げて一人仕留めて」

 

「姫が最後の一人を、手加減一発骨を砕いておしまいだったな」

 

「それは、希ちゃんが助けてくれたからだし。それに、その言い方だとなんか私がマッチョみたい」

 

「間違ってないと思うけど。いい蹴りだったわよ」

 

「もー、あやちゃん酷いよぉ!」

 

 ぷんすかという言葉が似合う君原を、うっかり失言した皐月がなだめる。本気では全くなかったようですぐに落ち着いたが、そこで若牧の顔が皐月に向いた。

 

「撃ち殺したって、銃はどうしたんですか?」

 

「処刑用って言って渡されたのでね」

 

「自分が処刑される事になっちゃったんですねぇ」

 

「随分手慣れてなかったか?」

 

「まあ別に初めてじゃないし……」

 

 実は銃を撃つのは初めてではない。テロリストに色々と聞いていたのは単なる時間稼ぎである。

 

「センパイのコトだから、テロリストの頭を握り潰したかと思ってましたよぉ」

 

「演舞で真剣白刃取りを見せた男は、『実戦でもそれをやるんですか?』と聞かれてこう返したそうよ」

 

 いきなりの話題転換にきょとんとする鴉羽だが、それに構わず皐月は続ける。

 

「『実戦だったら刀を使うに決まってるだろう』ってね。銃を持ってるんだったらそっちを使うに決まってるでしょうが」

 

 思わず納得してしまう鴉羽だったが、そこでふと何かに気付き、意地の悪そうな笑みを浮かべた。

 

「それもそうですねえ……ところでセンパイって、随分戦い慣れてるみたいですけどぉ、今まで何人くらい()ったんですぅ?」

 

「君は今までに食ったパンの枚数を覚えているのかね?」

 

 間髪入れずに飛び出したのは、某吸血鬼の名言だ。それに対する後輩二人の反応は対照的であった。

 

「うわぁ、ハマってますねえ。ラスボスみたいですよ」

 

「まさか実際にその台詞を聞くとは思いませんでした……」

 

 喜ぶ鴉羽にげんなりする若牧。その時君原の表情が、何かに気付いたかのようなものへと変化した。

 

「そういえばスーちゃん、そろそろ戻って来るかな?」

 

「あー、ブラジルの内戦終わったんだっけか。どうなったんだっけ?」

 

「政府が停戦に合意して、両棲類人は人権を認められる事になったわね。あくまで停戦だからはっきり白黒ついた訳じゃないけど、実質的には両棲類人が勝ったって事でいいんじゃない?」

 

 細かい経緯は省くが、怪獣の出現が大きなファクターとなり、両棲類人は人権を勝ち取った。彼らは独立ではなく自治権を得るにとどめ、旧来の政府に合流したのだ。それに伴い様々な変化が起ころうとしているが、一段落がついたのは確かである。

 

 なお人権と市民権を認められた怪獣は、器用にも通常サイズのスマホでツイートしたり、CGなしの怪獣映画やテレビに出演したりと、人類社会に馴染んで生活している。ラウラ・タゴンを名乗っているので、女らしい。どこに驚けばいいのであろうか。

 

「そっか、ならもうすぐ会えるかな」

 

「多分ね」

 

 今回テロリストが襲ってきたのは、サスサススールについてる警察がいなくなったからだろうなー、と皆何となく察しているが、誰も口にはしない。エアリード機能は哺乳類人の必須スキルなのである。

 

「ところで、どうしたの羌ちゃん? 何か元気がないみたいだけど」

 

「えっ……あっと、その」

 

 君原が名楽に声をかける。今まで全くと言っていいほど会話に入ってこなかったので、心配になったようだ。その名楽は、受け答えがしどろもどろである。聡明な彼女にしては非常に珍しい。

 

「あんな事があったし疲れてんだろ。キョーコは荒事にゃ向いてねえしな」

 

「う、うん……」

 

「じゃあ今日は早めに帰る?」

 

「そうですね、暗くならないうちに帰った方がいいでしょう」

 

「ならちょっと早いけど、今日はもう解散という事で」

 

「そだな、帰るか」

 

 そういう事になった。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 陽の傾く、どこか物寂しい晩秋の住宅街を、皐月と名楽が並んで歩く。本来降りる駅が違うのだが、不調そうな名楽のために、皐月が送って行く事にしたのだ。なお獄楽は駅は同じだが帰る方向が異なり、君原は駅が異なるので、双方不適である。

 

「――――で、どうしたの?」

 

「え?」

 

 ぼーっとしていた名楽に、皐月の視線が落とされる。名楽は今気づいたというように、左側を歩く皐月を見上げた。

 

「いや、どう見ても様子がおかしいから……。どこか怪我でもしたの?」

 

「い、いや、そんな事はないよ」

 

「ならいいけど……」

 

 名楽が顔を落とし、二人の間に沈黙が流れる。足音だけが響く中、その沈黙を引き裂いたのは、再び顔を上げた名楽であった。

 

「…………その、なんだ、菖蒲は大丈夫なのか?」

 

「何が……ああ、怪我なら無いわよ。それがどうしたの?」

 

「……………………いや、そういう意味じゃ……ごめん、やっぱ何でもない」

 

 どう見ても何でもないという顔ではないが、聞くのも躊躇われる雰囲気だ。皐月は首を傾げるが、何を心配されているのかよく分からない。代わりに別の心配事が記憶の片隅から頭をもたげて来た。

 

「そういえば……一つ心配な事があったわね」

 

「……心配?」

 

「不可抗力とはいえ、私の姿がネットに流れちゃったのがね。私狙いのテロリストがまたぞろ動き出さないか心配よ」

 

 『真の形態間平等』を謳い、特異な形態の皐月を目の敵にしていたテロリストの事である。警察からは大半を捕殺したとは聞いているものの、油断する事は出来ない。

 

 ネットに教室の様子を配信していたカメラは、小守の机投擲に巻き込まれて壊れたが、皐月が映っていたのは事実。彼女は目立つので、知っている者が見れば一目で分かるであろう。

 

「あー……。確か、そのせいでこっちに来たんだっけ?」

 

「そうね。対策としては、なるべくサスサスと一緒にいるとかだけど……。万一を考えると、あんまりやりたくはないわねえ」

 

 サスサススールには護衛の公安やSPが常時ついているが、彼女が傷つけば国際問題待ったなしだ。いかに皐月と言えど、いくらなんでもそれは躊躇われた。

 

「あなた達も、しばらく私と距離を置いた方がいいかもね。巻き込まれるかも――――」

 

「舐めんな!」

 

 突然の大声に、一つきりの瞳をぱちくりとさせる皐月。名楽は僅かに気まずそうにしたものの、その勢いのままに言い切った。

 

「んな理由で、友達から離れると思ってんのか」

 

「ど、どうしたのよ、急に」

 

 珍しく感情を剥き出しにした名楽に、うろたえ気味の皐月。ひょっとしてあの日だったかとアホな考えが思い浮かぶが、さすがに口にはしない。しばらくの間、重い沈黙が二人の間にとぐろを巻くが、それを破ったのはやはり名楽だった。

 

「…………私は、菖蒲を友達だと思ってる。たとえ菖蒲が、私らを人間だと思ってなくても」

 

 ピタリと皐月の足が止まる。それにつれて、名楽の足もまた歩みを止めた。

 

「お袋が言ってたんだ。『()()()()()()()()()』って。今日の事でよく分かったよ。確かにありゃその通りだ」

 

 堰を切ったように言葉を吐き出す名楽に、嵐の前の静けさのような無言を貫く皐月。名楽を見ているはずのその顔は、オレンジ色の逆光に隠れてよく見えなかった。

 

「……………………それで」

 

 普段よりも低く重い声のトーン。皐月が名楽に向けて一歩踏み出した。

 

「そうだとしたら、何だと言うのかしら」

 

「ヒッ」

 

 その時ちょうど陽が建物の影に隠れ、逆光が消えた事によって皐月の顔が薄明かりの中に浮かび上がる。そこにあったのは、『無』であった。いかなる感情も映さぬ無表情であった。

 

 ただ、名楽が息を呑んだのはそのためではない。目だ。その目のせいだ。

 

 普段から死んだような目だが、今はもはや目とは言えないものと化している。どこまでも黒く深く、まるで底なしの穴のようであり、そこから泥かタールのような粘つく何かが覗いている。

 

 ブラックホールのように、何物をも呑み込む穴ではない。漏れ出す何かで全てを焼け爛れさせる、ドス黒く輝く太陽のような穴だった。

 

「ええ、よく分かったわね。さすが年の功とでも言うべきかしら? 確かに私にとっての『人間』はあなた達じゃないわ」

 

 彼女の記憶の中にしかない『前世』。そこに棲んでいた者どもこそが彼女にとっての『人間』だ。

 

 妄想なのかもしれないと思っていても、根拠などないと知っていても、皐月はそれを捨てられない。いかなる形態にも属さぬ身体もまたその記憶を支持し、この世界そのものも、その思いを助長こそすれ否定する事はなかった。

 

 人と違う、というだけで片目は抉り取られ。

 道を歩けば警察官か憲兵に懐疑の目を向けられ詰問される。

 どの形態にも属さないから人間ではない、とクズどもは(うそぶ)き。

 そうして彼女は歪んでいった。

 

 歪みを表に出さぬ理性と、歪んだままでもどう振舞えば人に排除されず溶け込めるかを解する知性を、『前世』のおかげで有していたのはさて。悲劇なのか喜劇なのか。

 

(かん)に障るのよ、(しゃく)に障るのよ。人間だと思い込もうとしても慣れようとしても、ふとした弾みに『違う』と感じてしまうのよ」

 

 人馬が蹄鉄状のゴムで出来た履物を脱ぐ瞬間だったり。

 角人が角を上手くよけてシャツを着る瞬間だったり。

 限りなく似ているからこそ目に付いてしまう差異。

 

 気にしなければいい、そんな事は言われなくても分かっている。分かっていてもどうしようもない。高い知性も豊富な知識も悪辣なる頭脳も、何の役にも立ちはしない。

 

 何故ならばそれは、感情の問題だからだ。理性で感情をどうにか出来るはずがない。そんな事は分かっている、分かっているからこそどうしようもなく(おり)は溜まるのだ。

 

「平等、平等、平等。素晴らしい言葉ね、反吐が出るわ。ええ平等でしょうとも。どいつもこいつも平等に、私にとっては人間じゃないわ」

 

 誰も彼も彼女にとっては亜人で人間ではない、ならば皆等しく平等だ。皮肉にも、何の形態にも属さない彼女こそが、誰よりも平等を体現していた。

 

 盲人の国では片目は王様。ならば、両目の国に迷い込んだ片目とは。足りぬのだから平等ではないのか、見えているのだから平等なのか。その答えは彼女には分からない。ただ、自分以外の誰も彼もが『平等』である事が、彼女にとっての真実だった。

 

「で、それが何?」

 

 ()れ龍の蟲たるや、柔にして()らして()るべきなり。

 ()れども其の喉の下に逆鱗の径尺なる有り。

 ()し人(これ)()るる者有らば、(すなわ)ち必ず人を殺す。

 

 皐月は龍ではないが、逆鱗が存在するという一点において龍と共通する。龍ではないがために逆鱗は目に見えないが、龍ではないがために名楽は未だ生きている。

 

 硫酸の如き気配を何とか抑えこみ、名楽に言葉をかけている程度には冷静だが、誰かに聞かれたら即矯正所送りの、危険な感情をぶちまける程度には激昂している。タガが外れやすくなっている自覚はあるが、それを抑えようとする思考があまり働かない辺り、普段通りではない自覚もある。

 

 それはネットに弾かれたテニスボールだ。冷静と狂熱どちらに落ちるかは、本人にすら分からない。

 

「それ、でも、私は菖蒲の友達だ」

 

 そんな皐月を、名楽はまっすぐに見つめて言葉を吐き出す。声の震えを隠しきれていないが、それでも目を逸らすことはない。

 

「私だけじゃない、希も姫も、サスサスだってきっとそう思ってる。だから――――」

 

 謝罪はしない、プライドの高い皐月には逆効果であるがゆえに。今の状況では、命の危険すらも有り得る。『人を人として見ていない』とはそういう事だ。

 

「――――菖蒲は、一人じゃない。何かあれば皆、菖蒲の力になる」

 

「は」

 

 最初は呼気のような微かな声だった。だが次の瞬間、それは爆発した。

 

「ははははははははははははははははっ!!!!」

 

 その声には、あらゆる感情が含まれていた。ありったけの悪意を込めて愚者を嘲っているようにも、歓喜に満ち溢れているようにも、燃え立つ怒りを吐き出しているようにも、力の限りに憐れんでいるようにも聞こえる声だった。

 

 どうしてそんな声が出たのか、それは本人にすら分からない。ただ分かるのは、瀑布の如き感情の奔流が、声という形を取って流れ出ている事だけだった。

 

「ははははははは―――――――――はぁ」

 

 そして唐突に、いっそ不自然な程に声が途切れる。彼女は何事もなかったかのように、腰を抜かしてへたり込んでいる名楽を見下ろした。

 

「そんな事を言うために、足をガクガクさせて声を震わせて腰を抜かしてるの?」

 

「そんな事を言うために、足をガクガクさせて声を震わせて腰を抜かしてるんだ」

 

 未だ立ち上がれず、腰を抜かしたままの名楽。しかし眼光は真っすぐに皐月を見据え、決して逸らす事はない。

 

 『力がなくとも正しい事を出来る』。それこそが、名楽羌子が持つ強さ。頭が良いとか力が強いとか、そういった事柄とは別次元の、得難き資質にして、揺らがぬ善性。

 

 皐月は深く吸った息を長く長く吐き出すと、眩しいものを見たかのように一瞬だけ目を細め、彼女に向けて手を差し出した。

 

「――――立てる?」

 

「…………ちょっと無理」

 

「ん」

 

 ひょいっと軽く持ち上げ、泡を食う名楽に構わず背負う。そのまま皐月は、ゆっくりと薄暗がりの道を歩き始めた。

 

「…………友達、ね。友達、か。そうね、私はあなたたちを、人間だと思っていなくとも、友達とは思ってるみたいね」

 

「そいつぁ、よかった。恥と無様を、まとめて晒した甲斐が、あったってもんだ」

 

「よかったの?」

 

「よかったさ」

 

 どちらからともなく話が途切れ、無言が二人の間に降りる。宵闇に包まれ始めた住宅街に人気はなく、枯葉が落ちる音すら聞こえそうなほどの静寂で満ちていたが、それは決して不快なものではなかった。

 

「というか何でまた、いきなり友達だとか言い出したの?」

 

「あー、菖蒲は野生動物みたいなモンで、弱みを絶対に見せないって希が言ってたんだが……」

 

 それが話に何の関連があるのか分からず、小首をかしげる皐月。名楽は言いづらそうに、しかしはっきりと口にした。

 

「その、なんだ、テロリストっつっても……殺してただろ」

 

「…………まさか、それを私が気に病んで、でも隠してるんじゃないかとか考えた訳? 人間だと思ってないって分かってたのに?」

 

「気にしてないようには見えたが、ひょっとしたら無意識では、って考えたら、な。実際、情緒不安定だっただろ。前に倒れた事もあったし……」

 

「…………だとしても、腰を抜かしてまで羌子がやる事はなかったんじゃないの」

 

「それは忘れろ! …………友達だし、命の恩人、ってヤツだったからな」

 

 気恥ずかしそうに、ぷいと顔を横に向けながら名楽は言う。

 

「そんな相手に、私が何が出来るか、って考えてたら……勝手に口が動いてた」

 

「……夢遊病?」

 

「なんでじゃ!」

 

 半ば意識的なボケに、名楽が勢いよくツッコミを入れる。どうやらいつもの調子が戻ってきたようだ。

 

「分かってるわよ、羌子の優しさは。いつも私の右側に立つのは、私の死角を補うためでしょう?」

 

「んなっ」

 

 瞬間湯沸かし器の如く、顔が真っ赤になる名楽。幸か不幸か、つるべ落としに暗くなりつつある街のおかげで、それは皐月に気付かれる事はなかった。

 

「気付いてたんかい……」

 

「いい母親になるわよ羌子は。母親のいない私が言うんだから間違いないわ」

 

「反応しづらい自虐だかブラックジョークだかはやめてくれ。てか母性を褒められても困るわ。ワタシぁ自分が前に出たいんだから」

 

 皐月は笑った。何の含みもなく、子供のように笑い声をあげた。重力から解き放たれたカモメのように、軽く羽ばたくような声だった。

 

 彼女の問題は何一つ解決していない。テロリストの脅威はそのままだし、誰も彼も人間として見る事が出来ないのも変わらない。『前世』についても全く決着はついていないし、無くした片目が再生した訳でもない。

 

 それでも、少しだけ。そう少しだけ、気が楽になったのだ。我知らず、口角がほんの僅かに吊り上がっていた。

 

「てか、重くないか?」

 

「軽いわね……胸もないし。お母様と顔はそっくりなのに、そこだけは似なかったのね」

 

「ほっとけ!」

 

 左肩の上から抗議の声を上げる名楽を見る。その頭からは角が伸びており、耳の位置も形も自身とは異なり、尻尾すら生えている。

 

 友達だとは思っているが、やはりどうしても人間だとは思えない。それに折り合いがつく日は来るのだろうか。それとも、折り合いをつける必要などないのだろうか。

 

 未来の事は分からない。だが、明日の事なら少しは分かる。明日はきっと、テロリストが乱入して来る事などない、極々普通の日だろう。そんな日はそう、きっと――――

 

「――――悪くない、か」

 

「何か言ったか?」

 

「何でもないわ」

 

 悪くない。

 同種がいなくとも、問題がちっとも解決していなくとも、この日々はきっと悪くない。

 ならば、この世界もまた、悪くないのかもしれない。

 

 皐月は名楽を背負いなおすと、すっかり陽が落ち暗くなった夜の街を、街灯の明かりを頼りに、しっかりと前を向いて歩いて行った。

 




 この最終回は一話目から決まってましたが、書き直し&書き足しに時間を食ってしまいました。
 ここまで辿り着けたのは、間違いなく応援して下さった皆様のおかげです。

 これにて完結!
 皆様、お付き合い頂きありがとうございました!


 P.S.
 244様、みえる様、誤字報告ありがとうございました。助かりました。

 P.S.その2
 活動報告に後書きを追加しました。

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