【完結】四肢人類の悩み   作:佐藤東沙

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 後日談、開始。


後日談 異世界編
後日談01話 アンニュイとメランコリックって何が違うんだったっけ


 晩秋から初冬に移り変わろうとしている、少し肌寒い時期。そんな日の民俗研究部にて、皐月は椅子の背もたれに体重を預けてぼーっとしていた。その様子は気が抜けたコーラのようで、スカスカになった高野豆腐のようでもあった。

 

 あの襲撃から、休みを挟んで数日が経っていた。その間には色々あったが、皐月の日常は変わらない。警察はテロリストの検挙に血道を上げているようで、再度の襲撃は今のところなかったし、遠慮のない好奇心を社会正義と称するマスコミどもが群がって来る事もなかった。

 

 それは即ち、来年に受験を控えた受験生として、学生の本分に立ち返らねばならぬ事を意味していた。だがしかし、どうしてもやる気というものが湧いて出て来ず、彼女としては甚だ珍しい事に、集中力に翼が生えて飛び去ってしまったかの如き様相を呈していた。

 

 皐月本人としては、久しぶりの殺しの影響というよりもむしろ、あの帰り道での名楽とのやり取りが、無意識の領域で何らかの作用を自身に及ぼしているのではないか、と分析していた。とはいえそれ以上考えを巡らす事が酷く億劫で、本調子に戻す気もどうにも起きなかった。

 

 普段隙の無い彼女がそんな調子なものだから非常に目立っており、友人達も当然気付いていた。だが、事態を打破すべく話しかけても生返事か気のない返事しか返ってこないのを見て、しばらく放っておく事に決めたようであった。名楽や君原は時折心配そうに視線を向けてはいたが、獄楽の言葉がそれ以上の行動に移させなかった。

 

 実際それは正解であったろう。彼女は過剰な気遣いは侮辱と受け取るかもしれなかったし、腑抜けていても警戒心をなくした訳ではない。襲撃を受けむしろ警戒心はいや増していたし、意思が介在しない分無意識で動く領分が大きくなっており、ゆえにこそそれが君原達に向けられる可能性がないとは言い切れなかった。

 そうなれば獄楽が物理的に止めたし、当人もすぐに気付いて止めたであろうが、誰も望まぬ展開である事は間違いなかった。

 

「寺にやまいだれで痔。昔の人はよーく分かってたと思うんですよぉ」

 

 そんな皐月の様子を知ってか知らずか、宿題を終わらせた鴉羽がおもむろに妄言を吐いた。必要のない、しかしとてもよく似合っている伊達眼鏡と、まるでひとかどの学者の如く真面目くさった表情が、この上ない残念感を醸し出していた。

 

「いきなりどーした」

 

「ヤリ過ぎでついに頭が……」

 

「センパイたち酷いですぅ」

 

 今日は何を言いだしたんだコイツ、と顔に書いてある獄楽と名楽に対し、鴉羽がぷくりと風船のようにむくれた。そんな顔でも彼女の美貌には全く陰りはなかったが、それに全く気を取られる事なく追い打ちをかけたのは、絶対零度の視線を向ける若牧であった。

 

「酷いのは天音ちゃんの頭じゃないかな」

 

「い、いつになく辛辣だねあやかちゃん」

 

「昨日鬱陶しいカンジで迫られましたので」

 

「ああ……」

 

 思わず君原も納得してしまう理由であった。ノンケにレズの相手は辛いのだ。まあ若牧が完全なるノンケかと言えば微妙なところであるが。

 

「寺と痔に何か関係があるのですか?」

 

 皆が触れずに流そうとしていた話題を蒸し返したのは、南米情勢が落ち着いた事でようやく戻れたサスサススールであった。しばらく学校から離れていた事で、ようやく実装されたエアリード機能はさび付いてしまっているようであった。

 

「それはもちろん――――もごもご」

 

「はいはいそこまで」

 

 カツカツと蹄を高く響かせ後ろから近づいた若牧が、問答無用で鴉羽の口を塞いだ。半年を超える付き合いが、鴉羽への適切な対応マニュアルを作成させるまでに至っていた。要するに腕力で物理的に黙らせてしまえという、シンプルイズベストな脳筋的対応マニュアルであった。

 

「むぐもごぉ!」

 

「サスサス先輩に変な事吹き込まないで」

 

 なお()()()()事例そのものは世界中に存在していたし、人間以外の野生動物でも見られるくらいなので特に珍しいものではない。が、衆()と名付け、茶道や華道のような(ゲイ)事だと言い張ったのは日本くらいである。本当に芸能の発展に役立ったりしていたので何も言えない。

 

 十返舎一九の大作、東海道中膝栗毛の弥次さん喜多さんはそういった関係だし、足利義満の保護(意味深)がなければ世阿弥が能を芸術に昇華させる事もなかったであろう。昔からそんなんだから、日本人は未来に生きているとか言われてしまうのである。

 

「……鴉羽さん、生徒会の副会長に立候補するんでしょ? そんな調子で大丈夫なの……?」

 

 普段よりも八割増しで死んでいる目を向け、皐月がうっそりと口を開く。頭は未だぼんやりしているが、音は聞こえているし意味も理解していた。鴉羽は若牧の腕をどうにかこうにか外すと、たわわな胸を張って腰に手を当て、ドヤ顔で言い放った。

 

「センパイたちなら私に投票してくれるって信じてます!」

 

「オメーなぁ……」

 

「こんな時だけ後輩ヅラするんじゃないよ」

 

 獄楽と名楽が、揃って先程以上の呆れ顔を向けた。何か言ってやりたいが、その言葉が見つからないといった顔であった。そんな二人の様子に頓着する事なく、エアリード機能のバージョンアップが待たれるサスサススールが首を揺らした。

 

「対立候補はどなたでしたっけ?」

 

「確か、犬木(いぬき)って子だったよね。合格発表の時、天音ちゃんと一緒にたまちゃんにくっついてた」

 

 黒目黒髪のボブヘアで、敬語の『で』を省略する癖のある、天真爛漫な長耳人だ。その彼女と鴉羽で、両手に花であった御魂の様子を思い起こしながら、君原がサスサススールの疑問に答える。鴉羽はふんぞり返りながら、ふふんと鼻を鳴らして得意そうに言った。

 

「ま、私の圧勝は決まったようなものですね」

 

「あやかちゃんも出るんだよね?」

 

「ええ、会計ですけど」

 

「イインチョが会長で……書記は誰だったっけか」

 

芥子原(けしはら)って一年だね。今回出馬する中では、唯一の男子」

 

「……ああ思い出したわ。あの茶髪で背の高い」

 

 鴉羽をさらっと無視し、生徒会選挙の事に話題が移っていた。無視された鴉羽は、両手でバンバンと机を叩いて抗議した。力が足りないので、どうにも締まらぬ音しか出なかった。

 

「無視しないでくださいよぉ!」

 

「はいはい凄い凄い」

 

 途方もなく雑な感じで若牧が鴉羽をあしらった。どこが凄いのかさっぱり分からない辺り、どうでもいい感がこれでもかとばかりに出ていた。鴉羽は今回の選挙では唯一、対立候補が存在するのだが、それを凄いと言った訳ではない事は明白であった。

 

「それよりセンパイは立候補しないんですか」

 

「わ、私はいいかなあ。たまちゃんには勝てそうにもないし」

 

「……まあ気持ちは分かります。御魂センパイ、ホント凄い人ですし」

 

 普段ならもっと上に行けと君原の尻を叩く若牧はしかし、今回だけは大人しく引き下がった。生徒会の活動の中で御魂の力を見知っており、君原の言い分に納得してしまったからであった。

 

「姫ちゃんセンパイ以外のセンパイたちは、出馬しないんですかぁ」

 

 鴉羽が部室を見回し、砂糖菓子のように整った甘ったるい声で言った。彼女は、今日は不在の朱池と同じ資質を持っているようであった。即ち、同性愛者であり、無駄に不撓不屈の精神を有している、という事であった。

 

「興味ねーな」

 

「ワタシも委員長に勝てる気しないからパス」

 

「生徒会とはいえ、私が哺乳類人社会で指導者的立場になるのは何か違う気がしますし」

 

 獄楽と名楽とサスサススールが、それぞれ異なる理由ながら同じ結論に至っていた。それを見た鴉羽は面白くなさそうに口をとがらせると、椅子でぼんやりととろけている眼帯に水を向けた。

 

「菖蒲センパイはどうなんですかぁ?」

 

「……私?」

 

 皐月は、普段からは考えられない程ゆっくりとした動きで頭だけを傾けると、茫洋とした瞳を鴉羽に向けた。彼女はそれに向け、無駄に色気のある笑顔を浮かべると、言葉を重ねた。

 

「御魂センパイの対抗馬として会長に立候補したりはしないんですかぁ? センパイなら案外行けちゃったりするかもしれませんよぉ?」

 

「…………無理じゃないとは思うけど、私がやると公正公平な恐怖政治になるからダメ」

 

「きょ、恐怖政治ですか……」

 

 物騒な台詞に、若牧が顔を引きつらせた。最近髪型を変えた獄楽が納得したように深く頷き、名楽が糸目に何とも言えない色を乗せて彼女を見た。

 

「あー、スッゲーありそう」

 

「恐怖政治て、お前さんね……」

 

「だってねえ……面倒だし……」

 

 悪手なのは知っているが、それが最も手っ取り早い。全て平等に()()ではない相手に、大層な手間をかけてやる意義も見いだせない。公正公平なのは単に、人間ではない者を特別視しないからである。

 

 それでも友人と見なしている者ならばともすれば、といったところだが、彼女らは友誼を利用して便宜を図ってもらおうという性質ではないので、やはり皐月が公平平等の姿勢を崩す理由にはならぬのであった。

 

「そもそもの話として、御魂センパイに勝てるんですか?」

 

「本人は生徒会長を面倒だって言ってたし……貸しもあるから、頼めば譲ってくれるんじゃないかしら…………」

 

 約一年前、御魂家の末妹を助け出した一件である。それを盾にすれば、譲ってくれる可能性は実際高かった。しかしそれを知らない――いや、知っていても同じ顔をしたであろう――鴉羽が、小悪魔のような笑みを浮かべて問いを発した。

 

「譲ってくれなかったらどうするんですぅ?」

 

「あー…………ネガキャン?」

 

「初っ端からそれかい」

 

「『家族を大切にし過ぎ、公務を疎かにしてしまう彼女には、生徒会長という役職は不向き』みたいな感じで、適当にある事ない事フカすとか…………。私に投票しない者は特異な形態の存在を認めない差別主義者だ、って片っ端からレッテルを貼っていくとか……」

 

「お前な……」

 

「でも一番手っ取り早いのは、どんな方法でもいいから相手を降ろしちゃう事なのよね……。別に勝負しなければならない訳じゃないし、相手を消しちゃえば戦わないでも勝てるし……」

 

 少々呆けてはいても、その悪辣さと頭脳に陰りはない。むしろストッパーになるべき理性が弱っているため、揺蕩う悪意が透け始めていた。黒く輝くその邪悪は、すりガラスの向こう側で妖しく揺らめく篝火(かがりび)のようだった。

 

 付き合いの長い二年生四人は適当に受け流しているが、まだ半年程度の付き合いしかない一年生二人は、先輩が有する思った以上の悪性にドン引きであった。

 

「うっわぁ……」

 

「さすがに私も引きます……」

 

「何よ……聞いたのは若牧さんと鴉羽さんじゃない……」

 

 皐月は気怠さと倦怠感を、溜息に乗せてまとめて吐き出した。だが全く気は晴れなかった。まるで、吸い込む息から再度吸収されてしまったかのようだった。意識にかかる薄霧は依然として、月のない夜の砂漠のように、終わりが見えず茫漠としていた。

 

「まーそんな方法で勝っても誰も付いてこないだろうから、本当に会長になるため“だけ”の方法なんだけどね……」

 

「焼畑選挙かい」

 

「あら上手い事言うのね……。それで後に続かせようと思ったら、恐怖と利益で分断して統治しないといけないから……だから私じゃダメ」

 

 偉大なる外道先達たる、ブリテン式植民地統治法だ。彼らは植民地を、人種民族宗教文化言語等々ありとあらゆる要素で分断し、一致団結できないようにした。その上でヘイトの矛先をずらす為、直接的な統治は現地の人間に命じてやらせ、自分達は最低でも三枚はある舌を使い分けた。『分断して統治せよ』はスローガンではなく、単なる事実だ。

 

 皐月が生徒会長の座に就いたのなら、これに倣い、しかしてもっと露骨に恐怖や利益を使って統治する事だろう。一旦は上手く行くかもしれないが、しばらくすればイスラエルでパレスチナするのが目に見えている。しかしその頃には彼女は卒業しているというのがまたタチが悪い。

 

 名楽の言う通り、まさに焼畑選挙となるであろう。しかも焼いた熱帯雨林が再生不能の荒野になってしまう系の、ダメな方の焼畑だ。

 

「何よりめんどくさい……何が悲しくて愚民を世話する権利を奪い合わないといけないのか……」

 

「愚民て」

 

「ならジャガイモでもニワトリでもいいわ……。とにかくそういう事だから、立候補はしないから……」

 

 そこまで言い捨てると、彼女は力を使い果たしたかのように大きく息を吐き、くたりと椅子の背もたれから頭を半ばはみ出させた。その姿はどこか退廃的で、阿片窟の淫蕩な娼婦のようであり、垂れる直ぐな黒髪は、人を蕩かす麻薬の煙のようでもあった。

 

 鴉羽はその肢体に顔を僅かに赤らめさせると、浮かんだ感情を振りほどくかのように、話題を別のものへと転換させた。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「やるな犬木。長いのも短いのも、跳ぶのも跳ねるのも何でも出来るなお前」

 

「いやあ、それほどでも」

 

「このポテンシャルならどの競技でも行けるね」

 

「かけもちでいいからこっちにも来て欲しいぞ」

 

 その次の日。副会長に立候補した犬木が、自らが所属する陸上部にて砲丸を投げていた。彼女の周囲には、御牧(おまき)を始めとした部活の先輩が集まり、その類まれなる身体能力を自身の競技に引き込むべく胸算用を立てていた。

 

「ああいたいた……」

 

 とそこに、波間に漂う海月のように揺れながら、おぼつかぬ足取りで皐月がやって来た。彼女は御牧に近づくと、ポケットからシャーペンを取り出し差し出した。

 

「はいこれ……落とし物……」

 

「ありゃ、落としてたのか。わざわざワリィな」

 

 頭の後ろに手をやりながらペンを受け取る御牧は、こうして見るといつにも増して男のようだった。ベリーショートの髪型とジャージ姿に、すらりとした四肢と中性的な顔つきが、その印象を助長していた。声は高いので喋ればすぐに女だと分かるが、いわゆるところのおっぱいのついたイケメンであった。

 

「あ! 皐月センパイ!」

 

「あらいたの犬木さん……」

 

 ふらふらゆらゆら、ここではないどこかを見つめているような皐月の瞳が、元気よく駆け寄ってきた犬木に向けられた。二人は特別繋がりが強い訳ではなかったが、会えば挨拶と軽い会話を交わすくらいの関係は持っていた。彼女は皐月の様子を見とめると、こてんと首を横に傾げて問いかけた。

 

「センパイ今日はアンニュイでメランコリックでダウナーっすか? 調子悪いっすか?」

 

「……意味分かって言ってる? まあそんな感じだけど……」

 

「……ひょっとして、この間のテロリストのせいっすか?」

 

 原因を推測した犬木が、心配そうに皐月を覗き込んだ。厳密には微妙に違うのだが、否定するだけの理由も気力もない彼女は、曖昧に同意の返事を返し、クラスメイトの御牧へと視線を向けた。

 

「まあそんなとこ……。あの時この女は全く役に立たなかったしね……少しくらいは手伝ってくれてもよかったんじゃないの」

 

「おっとこりゃ手厳しいな。でもワリィな、あん時は手が塞がっててよ」

 

 あの時、怯えるクラスメイトを宥めるために、御牧の両手は使われていた。当然、手を貸す事など出来るはずもなかった。それは当然皐月も見ていたから知っている。その上で彼女は言葉を連ねた。

 

「オトモダチを慰めてれば、テロリストが消えてなくなるの……? 戦えるんなら戦いなさいよ、人任せにしてないで……」

 

 普段の皐月なら思っても言わないであろう、急所を刺し貫くレイピアの如き口舌に、御牧は息を呑んで絶句した。その様子にこりゃいかんと思ったかどうかは定かではないが、犬木が慌てた風情で身体ごと割り込み口を挟んだ。

 

「そ、その、皐月センパイ、しょうがないんじゃないっすか? 誰もが戦えるってワケじゃないっすから」

 

「なら死ねば……?」

 

 躊躇いがちに述べられた正論を皐月は、ばっさりと切り捨てた。それはもう、土壇場の前の首切り役人もかくやという切れ味だった。絶句する長耳が二人に増え、話が聞こえていたギャラリーもまた固まった。

 

「生きる事は戦う事で、戦う事は生きる事でしょ……? 戦えない事が仕方ないって言うんなら、戦えないのが死ぬのも仕方ないわね……」

 

 それは善悪正邪の埒外にある、単なる野生の掟であった。彼女はその事を、骨身と無くした右眼に染みてよく理解していた。

 

 尤も普段は口にする事はないはずだから、こうしている事自体が平常の精神状態ではない事の証でもあった。要するに取り繕ったり他者を理解しようとする余裕がなく、地金が出て来ているという事だった。

 

「戦えないんなら、せめて邪魔にならないようにはして欲しいところだわ……」

 

「…………そいつぁ強い奴の理屈さ。誰もがお前みてえに強い訳じゃねえんだよ」

 

「私より希の方が強いと思うけど……。力では勝ってるのに、正面からだと未だに滅多に勝てないのはどういう事なのかしら……」

 

「いやそーゆー意味じゃ……」

 

「……?」

 

 仕草だけは流麗に、しかして隠し切れない(なまく)らな訝しさと共に、皐月が浄瑠璃人形のように首を傾げた。肩にかかった長い髪が、流れるように下に落ちて行った。

 

 皐月の中で、生存と戦闘が分かちがたく結びついている事を悟った御牧は、それ以上言い募る事を止めた。良し悪しではなく、価値観の乖離を感じ取ったからであった。

 

 御牧は賢く、人の価値観についてどうこう言う事は得策ではないと知っており、そうしたいのならばそれこそ一生をかける程の覚悟が必要になる事も知っていた。それは賢さとは対極にあり、愚かさと呼ばれるべきものであった。もしも彼女が愚かになるのであれば、その理由は御魂であり、皐月ではなかった。

 

 皐月の周囲には『強い』人間が多い。獄楽や君原は物理的にも強いが、この場合はそういう意味ではなく、自身の足でしっかり立っているという意味だ。

 

 御魂は言うに及ばず、名楽もサスサススールも後輩の若牧と鴉羽も、変態だが朱池や愛宕であっても自分というものをしっかりと持っている。犬養は少々怪しいが、皐月とは実はそこまで親しいという訳ではない。どちらかというと、朱池を通した繋がりと言った方が適切であろう。

 

 類が友を呼んだのか、友だから類となったのか。どちらなのかは分からないし重要でもないが、その彼女らの『強さ』こそが、皐月が『弱さ』を理解する事を阻んでいるのは確かであった。

 

「まあそれよりも……犬木さん」

 

「は、はいっ!」

 

「今度生徒会役員に出馬するんでしょ……? ……当選できそう?」

 

 傾いだ首をそのままに、死んだ魚の瞳が犬木に向いた。彼女は内心慌てながらも、立候補者として問われれば答えなければならない事を口の端にのぼらせた。

 

「え、えっと……部活の後援会を作る、っていう公約を出そうかと思ってるっす」

 

「へえ…………いいんじゃないかしら、細部は詰めないといけないでしょうけど」

 

 選挙の公約について話し始めた皐月と犬木を見ながら、御牧は静かにクラスメイトとの価値観の差異を受け入れた。自覚があるのかどうかは本人ですら不明瞭であったが、それもまた人が持つ強さの一つであった。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 ここ数日ですっかりと温度の下がった風が雲を吹き飛ばし、青色を空一面に塗りたくっていた。まるで吸い込まれてしまいそうな、遮るものの何もない青色であった。

 

「はあ……何が悲しくて、休みにあなたと一緒に出歩かないといけないのか……」

 

「調子も口も悪いねあやっち!」

 

 憂いと愁いを帯びた皐月が、ルームメイトの変態こと愛宕と共に祝日の街を歩いていた。皐月はルームメイトだからという理由で、この問題児の相手を押し付けられている節があった。

 

「あ」

 

「あら……」

 

「ん?」

 

 曲がり角から出て来た角つきの少女が、黒い眼帯に引かれて足を止めた。その角人を見とがめた皐月も足を止め、それにつられて愛宕もまた同じようにした。

 

「菖蒲じゃん」

 

「羌子……間の悪い……」

 

「知り合い?」

 

 買い物袋を両手に下げた名楽を、愛宕が不思議そうに見た。実はこの二人に面識はない。というか、愛宕と君原、獄楽、名楽の間に面識はない。サスサススールと御魂はたまたま会った事があるので例外である。

 

 その理由は、横目で愛宕を見る皐月の顔が雄弁に物語っていた。会わせたくなかったと、その顔にはでかでかと書かれていた。

 

「……クラスメイト」

 

「その割に親しそうだけど……。まあいいや、私は愛宕沙紀! あやっちのルームメイトだよ!」

 

「名楽羌子と言うんだが……菖蒲から聞いてないか?」

 

「ぜんぜん」

 

 首を横に振る愛宕を見て怪訝そうな顔をする名楽は、苦々しい表情の皐月を見て何となく事情を察した。彼女はその詳細を尋ねようか迷ったが、幸か不幸かその事情の方からやってきた。

 

「おっいい幼女! ヘイ彼女!」

 

 みょんみょんみょんと愛宕の頭のアホ毛が動いた。翼人の輪毛のなりそこないか突然変異だろうと思われていた代物だ。しかしそれがいかなる仕組みで幼児を感知して動くのかは、本人にすら全く分かっていなかった。

 

 その幼児レーダーによって幼女を感知した愛宕が、二人の脇をすり抜け脱兎の如く駆け出した。皐月は精神状態のせいで動きが鈍く、名楽は全く事態を飲み込めていなかったとは言え、無駄に機敏な動きであった。皐月の形相が般若へと転じた。

 

「あんのクソ変態が……!」

 

「……まあ、今まで話にも出なかった理由は何となく分かった。苦労してるんだな」

 

「恥よ」

 

 皐月はこの上なく端的に吐き捨てた。身内の、とは言わない。愛宕は皐月にとって、ルームメイトであるがそれ以上ではないからだ。むしろ本物の身内であったなら、とっくに始末がついていたかもしれなかった。

 

「止めないと……」

 

「手伝うよ」

 

「…………ごめんお願い」

 

「ま、ほっとくのも何だしね」

 

 瞬く間に人波に消えた愛宕を追うべく、二人は足を踏み出した。だがそこで全く唐突に、彼女らの体を浮遊感が襲った。

 

「へ?」

 

「な」

 

 反射的に下に向けた目線は、足元に闇が広がっているのを捉えていた。だが記憶に留める事が出来たのはそこまでであった。何が起こっているのか理解する間もなく、二人の意識は闇に呑まれて途切れた。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 狭く薄暗い石造りの部屋であった。壁や床のそこかしこは、意味があるのかないのか分からぬ魔法陣のような記号と文字で埋められていた。直方体の巨大な岩が部屋の中心に鎮座し、それを囲むように四本の松明がぱちぱちと燃えていた。揺らめく炎に照らされるその岩は、まるで祭壇のようだった。

 

「――――い! 起きろ! 起きろ菖蒲!」

 

「う……ん」

 

 その祭壇の上で、名楽が皐月を揺さぶっていた。皐月は目を覚ますと、辺りをゆっくりと見回し、眉を顰めて名楽に問うた。

 

「……どこ、ここ」

 

「分からん」

 

 その返答は簡潔にして明瞭であった。実際、名楽も何が起こったのか分かっていなかった。

 

「…………何だかよく分からないけど、大変な事になってるみたいね」

 

「ああ、大層に変な事になってるようだな」

 

 名楽は以心伝心というには微妙にずれた台詞を吐いた。外見には出ていないが、大層に混乱しているようであった。とりあえず高台から降りて周囲を調べてみようとした時、闇の中から男の声が響いた。

 

「おお、お主らが地獄の魔獣か!」

 

 ぬうっと姿を現した男は、いかにもな黒いローブを身に纏っており、不審人物だと全身で自己主張していた。身長は皐月よりも若干高く、顔つきと青灰色の瞳から、人種は白人のように見受けられた。スキンヘッドのせいで年の頃は分かりにくかったが、不惑(四十)に届くか届かぬかといった程度だと思われた。

 

 だが、そんな事は全く重要ではなかった。少なくとも、皐月にとっては。

 

「我こそが汝らを召喚せしマスターである!」

 

 普段なら譫妄(せんもう)状態だと断じるに些かの迷いもないその男には、翼も角も尻尾も長耳も馬の下半身も存在しなかった。

 

 皐月の一つきりの瞳が、限界まで見開かれた。

 




〇アンニュイ
  フランス語。気怠いさま、退屈、物憂げなさま。

●メランコリック
  英語。憂鬱なさま、塞ぎ込んでいるさま。
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