【完結】四肢人類の悩み   作:佐藤東沙

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後日談02話 上の毛が薄くなると下の毛が濃くなる……スネの毛だよ?

「つまり、あなたが私達を召喚したと」

 

「いかにもその通り!」

 

 地下室から一階へと上がり、皐月と名楽は男から話を聞いていた。魔術師だと名乗った男は、地獄の魔獣たる彼女らを召喚し、自身はそのマスターなのだと主張した。部屋に電化製品の一つも存在せず、明かりが火である辺りからも、話が噛み合っていない事は明白だった。

 

「私らは地獄にも魔獣にも関係ないよ。それより――――」

 

「そんなはずはない、ならばその角と耳はどう説明するというのだ!」

 

 男は名楽の頭部を指さし、鬼の首でも取ったような顔で言い放った。男の知る限り、角と獣耳、ついでに尻尾を生やしている人間など存在せず、存在しないからにはそれらを装備している名楽は人間ではなく、それは即ち地獄の魔獣であるはずであった。だがそんな三段論法なぞ知らない彼女は、ごく真っ当に反論した。

 

「これは生まれつきで、魔獣とかそういうのじゃないの!」

 

「語るに落ちたな魔獣よ。そのような物を生まれつき生やしている者など、地獄の魔獣くらいであろう!」

 

「だーかーらー!」

 

「ちょっといい?」

 

 このままでは夜が明けても埒が明かぬと見た皐月が口を挟んだ。あまりと言えばあまりな精神的衝撃に、倦怠と草臥の海からはすでに抜け出していた。

 

「魔獣かどうかの話は置いといて、そもそも何で地獄の魔獣なんて召喚しようと思ったの?」

 

「そんな事は決まっておろうが!」

 

 男はぎょろりとした青灰色の目を、顔ごと勢いよく皐月に向けた。あまりの勢いに、正面にいた名楽が若干引いたほどであった。

 

「富! 名声! 権力! 女! 全てを手に入れるためよ!」

 

「思った以上に俗っぽかったわ……」

 

「その手段が地獄の魔獣頼りかよ。いい年こいて情けねーったらねーなオイ」

 

 名楽がまるで獄楽が乗り移ったかの如き口の悪さを見せた。そんな理由でいきなりこんなところに召喚されたと言われて頭に来ていたのか、いつになくキレッキレであった。男は当然のように、青白い肌を赤くして激昂した。

 

「何を言うか! この召喚術はワシの叡智の結晶ぞ!」

 

「使い方がしょうもないっつってんだよ! 叡智とやらで出した答えが他力本願か!」

 

「うぬぬ、言わせておけばこの小娘め!」

 

「その小娘に頼って成り上がろうとしてんのはどこのどいつだ!」

 

「はいはいそこまでそこまで」

 

「お主は黙っておれい!」

 

 皐月が再び割って入るが、名楽はともかく男は引かず、ヒートアップするばかりであった。皐月の――獄楽にも共通する事だが――欠点とも言えぬ欠点が出ていた。つまり、実際のところはともかく、“強そう”には全く見えず、従って抑止力にはなりにくいという事であった。

 

「――――そこまで」

 

 ゆえに皐月は、握りこぶしを思いっきり机に振り下ろした。元からボロかった机は真ん中から折れ、冗談のように真っ二つになった。思った以上の結果に皐月は内心では驚いたが、顔には出さなかった。哀れな机の末路を目の当たりにした男は貝のように黙ったので、彼女はとりあえず良しとした。

 

「今重要なのはそこじゃないでしょう?」

 

「そ、そうだ! 私らは元の世界に戻れるのか!?」

 

 食い気味に名楽が重要な質問を放った。男は目を白黒させ、答えようとした。

 

「む、それはだな――」

 

「――――静かに」

 

 だがそこで、皐月が男の言葉を遮った。その顔には警戒が貼りついていた。今までの付き合いから、ただならぬ雰囲気を感じ取った名楽が、先程までの激情を収めて質した。

 

「どうした?」

 

「……嫌な感じがする」

 

 それは第六感と呼ばれるものであった。明確な根拠は何もなかったが、皐月は自らの『記憶』のせいで、そういったオカルトじみたものでも割と信じるタイプだった。

 

 第六感とは、無意識に五感が受け取っている情報を、これまた無意識に記憶や経験と照合し統合して出した結論だ、という説もあるが、役に立つのなら皐月にとってはどちらでもよかった。

 

「……足音がする」

 

 今度は、名楽の頭の上の獣耳がぴくぴくと動いた。彼女は耳介の形状上、皐月よりも耳がよかった。皐月にはまだ何も聞こえていなかったが、その名楽が言っている以上は事実として扱うべきだった。

 

「これは――――馬か人馬だな。走って、こっちに向かってきてるみたいだ」

 

「なんじゃと?」

 

 名楽の言葉に男が反応した。皐月は嫌な予感しかしなかったが、聞かない訳にもいかなかったので、嫌々ながら男に尋ねた。

 

「……一応聞いとくけど、地獄の魔獣召喚って、違法?」

 

「フン、どうせ国の騎士どもだ! ワシの偉大なる才能に嫉妬した愚か者どもよ! どいつもこいつもこの素晴らしさを理解しようともせぬ!」

 

「つまり違法って事じゃねーかこのハゲ!」

 

「ハゲではない剃っているだけだッ! この頭は魔術師の伝統ぞッ!」

 

「ハゲは皆そう言うんだよ!」

 

「ハゲではないワシはまだ25だッ!」

 

「ウッソだろオイ!?」

 

「あなたの髪はどうでもいいけど、逃げ道は?」

 

 皐月が二人の漫才を冷静に流し、今最も必要とされる事を聞いた。衝撃の事実が発覚したような気がしたが、気のせいであった。男は鼻を鳴らして胸を張ると、胸元から白い何かを取り出した。

 

「フン、騎士なぞ真正面から突破してやるのみよ! 我が秘術を見よ!!」

 

 白い何かは動物の牙や骨だった。男はそれらを地面に撒くと、呪を紡いだ。

 

『骨と牙 角と爪の(よすが)に依りて 呼び声に応えよ 牙持つ二足 切り裂き地を駆け 敵を討て!』

 

 撒かれた骨は急速に成長し、骸骨戦士とでも呼ぶべきものへと変貌を遂げた。身長は概ね160cmほどで、右手に剣、左手に丸い盾を持っていた。二足歩行だが脚は犬や猫に似ており、一見逆関節にも見える、つま先立ちの形状だった。頭は角の生えたトカゲのようであり、生前は――そんなものがあるのならだが――肉食であったと思われる、鋭い牙が口から覗いていた。

 

「あら」

 

「マジか」

 

「見たか! これぞ我が秘術、竜骨兵(ドラゴンズ・ボーン・ウォーリアー)である!」

 

 天狗のごとく鼻高々な男は、早速竜骨兵に命令を下した。馬の足音は、皐月や男にも聞こえる程近くに迫って来ていた。

 

「ゆけい! 騎士どもを薙ぎ払うのだ!」

 

 カシャンガシャンと骨音を立て、竜骨兵は玄関へと向かって行った。筋肉もないのに、動くのには支障がないようで、滑らかな動きだった。男はそれを満足そうに見送ると、二人に顔を向けた。

 

「お主らも行け!」

 

「はぁ!? 何で私らが……」

 

「ワシがマスターだぞ? 命令に従うのだ」

 

「……しょうがないわね。私が行くから、羌子はそのハゲと一緒に隠れてて」

 

「おい、本気かよ」

 

「今このハゲに死なれたり捕まられたりする訳にはいかないわ。それに――――」

 

 意見の妥当さと、言い淀んだ先の内容を悟った名楽は黙った。皐月はともかく、名楽は“地獄の魔獣”扱いされる可能性が高く、そうなればその先は言わずもがなだという事であった。なおハゲではないと主張するハゲはまるっと無視された。

 

 皐月は自身が持っていたバッグをひっくり返すと、黒光りする鋼鉄の塊を手に取った。この世界の人間では知らぬであろうが、現代人なら一度は映画やテレビで見た事があるだろう物騒な物体だった。一言で表すなら、拳銃であった。

 

「オイ、んなモンどっから手に入れた」

 

「この間、善意のテロリストから提供を受けたのよ」

 

 スライドを引いて薬室に弾丸を叩き込みつつ皐月は答えた。要するに、学校を襲撃したテロリストから無断で貰い受けたという事であった。

 

 善意のテロリスト? 何、問題ない。死んだテロリストだけが良いテロリストだ。良いテロリストなのだから、それは善意のテロリストに決まっている。であるならば、人の善意は素直に受け取るべきであろう。

 

「……この際銃刀法だとかは言わねーが、死ぬなよ」

 

「私はあと百年は生きるつもりよ」

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「御用改めである!!」

 

「神妙にせよ!!」

 

 シチュエーションには合っているが、国的には合っていない台詞を吐きながら、騎士達が扉を破ってなだれ込んできた。その人数は五名と案外少なかったが、外に後詰めや包囲要員がいると考えるべきであった。さすがに馬は置いてきたようで徒歩(かち)だった。

 

 彼らは板金鎧ではなく布の服で、その下に鎖帷子(くさりかたびら)を着こみ、頭には兜を被っていた。兜はヘルメットのような形状と、バケツをひっくり返したような形状の二種類があった。全員片手には剣を持っていたが、もう片方の手には盾だったり松明だったりと統一性がなく、腰にはメイスやナイフが提げられていた。

 

 ただ、狭い室内で戦う事を考えたためか、槍や弓を持つ者はいなかった。こういう時に使えるクロスボウや小型銃もないという事は、まだ発明されていないか、禁止されているのかもしれなかった。

 

「ヤる気が削がれる台詞ねえ……」

 

 皐月はそんな彼らを、天井に張り巡らされていた梁の上から観察していた。玄関の横側に当たる場所で、骨と騎士達をちょうど斜め上から見下ろせるはずの場所だった。松明と月明かりしか光源のない暗がりでは、発見される恐れは限りなく低いと言って良かった。

 

 どうにも中世ヨーロッパを思わせる連中であったが、魔法という要素が存在している以上、想定を上回る何かがあってもおかしくはなかった。ゆえに皐月は、竜骨兵を威力偵察として正面に立たせ、自身は静観に回ったのであった。

 

「うわっ、なんだ!?」

 

「魔法生物だ!」

 

「スケルトンだ! 剣は効果が薄い、メイスを使え!」

 

「よくもジャックを!」

 

 その竜骨兵が、無言で――発声器官がないので声は出せないのだが――騎士達に斬りかかった。不意打ちで斬られた一人は首から血を噴き出して倒れた。どうも竜骨兵は見た目通り、剣で鎖帷子を抜く程の力はなく、しかし防御の薄い箇所を狙う程度の知恵はあるようであった。

 

「おおおおお!」

 

「いいぞそのまま押し込め!」

 

「コイツは頭が悪い! 足だ、足を狙え!」

 

 だが多勢に無勢で、残る四人に押されていた。両手の剣と盾をそれぞれ一人ずつに封じられ、残る二人によってメイスで骨を砕かれていた。竜骨兵は身軽さや機動力が強みのようだったが、この狭い場所ではどう見ても活かしきれていなかった。

 

「……しょうがない、か」

 

 皐月は梁の上に伏せたまま、右手の拳銃を構えた。彼女は訓練を受けた訳ではないし、右眼がないため利き手で構えると狙いが定めにくいというハンデまであった。だがそれでも、この近距離でこれだけの的の数があれば、連射すれば何発かは当たるはずであった。

 

 言語化できない何がしかの感情が影のように脳裏をよぎったが、彼女はそれを意図的に無視した。箸を持ち上げるように銃を構えると、騎士達に向けて引き金を引いた。

 

「がっ!?」

 

「な、なんだ!?」

 

「魔法か!?」

 

 光源の松明を目標に、三連続で吐き出された銃弾は、鎖帷子など存在しないかのように貫通した。予想通り命中率そのものはあまり良くなく、当たったのも倒れたのも一人だけだったが、竜骨兵にとってはそれで十分だった。竜骨兵は多少骨を砕かれていたが、その程度では動きには影響が無いようであった。

 

 暗闇のマズルフラッシュと発砲音は酷く目立つはずであったが、反撃はなかった。それどころではなかっただけだと思われたが、ひょっとしたら騎士達には、弾ける火薬の光と音が何を意味するか分からなかったのかもしれなかった。

 

「おぐっ」

 

「ベルト!」

 

 倒れた一人に気を取られた隙を突いて、右手側で剣を押さえ込んでいた一人を竜骨兵が斬り捨てた。謎の襲撃者に対応すべきか、目の前の竜骨兵に対応すべきか、残る二人の思考が惑い、動きが一瞬だけ止まった。そこに狙いすましたダブルタップが叩き込まれ、竜骨兵に首を斬られた最後の一人と同時に地に這った。

 

「ぐ……なに、が……」

 

 撃たれた騎士は、重傷ではあったが致命傷ではなかった。そもそも射手の腕がさほどでもないので、当たったのも太腿に一発だけであった。従ってすぐに処置すれば助かるとは思われたが、すぐその必要がなくなった。

 

「さて――――二人を呼んで、とっとと逃げないと」

 

 騎士達は装備からしても、国かそれに類する、大きな組織に属している事はほぼ間違いなかった。それを殺してしまったのだから追手がかかるのは確実だろうし、そもそも後詰めもまだその辺りにいる可能性は高かった。

 

「…………」

 

 だから、死体を見て湧き上がってきた感情が如何なるものか、考えているような時間などないのだ。その感情を感じるのはおそらく初めてでも。それがどういったものか、薄々分かっているとしても。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 その後。人手不足だったのか、予想に反して後詰めはいなかった。魔術師一人程度、取るに足らないと思われたのかもしれなかった。実際、竜骨兵一体だけなら、騎士が五人もいれば突破出来ていた事はほぼ間違いなかった。

 

 しかしその侮りは好都合であった。そこでまず騎士達が乗って来た馬を奪うと、余った馬を暴れさせ、男の家に火をかけて陽動とした。そして三人は馬を走らせ、ここまで逃げて来る事に成功した。正しく火遁の術であった。

 

 なお現代人二人は馬に乗った事は殆どなかったが、皐月が知識だけは持っていたので、運動神経と身体能力と馬に任せてどうにかこうにか成功させていた。名楽はさすがに無理だったので、皐月にしがみつき布で身体を固定した状態で二人乗りだった。夜の乗馬は危険ではあるのだが、そんな事を言っている場合ではなかった。

 

「ふう……ここまで来れば、とりあえずは問題あるまい」

 

 道から少し外れた森の中。男はそこを本日のキャンプ地に決めたようであった。本来なら陽が沈む前に終わらせておかねばならない作業ではあったが、やはりそんな事を言っている場合ではないので仕方がなかった。不幸中の幸いか、野宿でも問題ない気候だった。

 

「森の中はクマとかオオカミで危ないんじゃないの」

 

「来るか分からんが、追手の目をくらますためじゃ、我慢せい。それに見張りもおるからな」

 

「あの骨? 確かに見張りくらいは出来そうだったけど」

 

「いや、あれは出し続けるとワシが疲れる。お主らに決まっておろうが」

 

 ふざけた言い分に、皐月の額に青筋が浮かんだ。真っ先に言い返しそうな名楽は、体力クソザコナメクジin絶対に落馬してはいけない24時のせいでグロッキーであった。

 

「……そういえば、聞かなきゃいけない事があったのよね」

 

「ああ……そうだな」

 

 三つの瞳が男を捉えた。名楽は疲労が顔に出ていたが、引くつもりがない事は見て取れた。怪訝な顔をしながら振り返った男に、名楽が意を決したように問いかけた。

 

「単刀直入に聞く。私らは元の世界に戻れるのか?」

 

「なんじゃ、そんな事か……」

 

「答えて」

 

 男は気のない素振りだったが、皐月の声が低くなっているのを感じ、面倒臭そうに話し始めた。

 

「可能とも言えるし、不可能とも言える」

 

「どういう事?」

 

「お主らを召喚出来た以上、理論上は送還する事も可能なはず。だがワシは、その研究はしておらん」

 

「つまり?」

 

「方法はあるだろうがワシには無理、という事よ。少なくとも今はな」

 

「そう……」

 

「もうよいな? ワシは疲れた、寝る」

 

「そうはいかないわねえ」

 

「何じゃ――――ぐっ!?」

 

 腕という胴体をしならせ、蛇の如き皐月の右手が男の首に絡みついた。牙のような指が、男の喉笛を捕らえていた。男は突然の展開に目を白黒させていたが、皐月はそれに構わず言った。

 

「“地獄の魔獣”を召喚したのなら、こうなる事くらい予想出来たでしょう?」

 

 一つきりの瞳に、冷酷な殺意が静かな怒りによって縁取られていた。それを真正面から見つめてしまった男は、全ての言葉を飲み込まざるを得なかった。その様子を、今の状況を理解していないと解釈した皐月は、分かりやすく理解できるように言葉を重ねた。

 

「召喚された、だから従う、とでも考えてたんじゃないでしょうね?」

 

 あるいは男は、彼女らに安全装置をかけ命令権を得るような、魔術的細工をしていたのかもしれなかった。が、それが全く機能していない事は明々白々であった。

 

「あなたを守ったのは、あの時はそれが必要だったからにすぎない。要するに単なる利害の一致」

 

 送還方法を持っているのかもしれなかったため、あの時点で男をどうこうされるのは都合が悪かった。しかし今、その制限は男の手で取り払われた。であるならば、この世界では異形である名楽の存在を知る男の存在は、不都合以外の何物でもなかった。

 

 これが名楽ではなく例えば君原だったなら、元の世界に戻せなくとも協力者の存在は必要だったであろう。人馬の身体は隠しきれるようなものではないため、必然表に出て何らかの身分を得なくてはならず、それには現地の協力者が必須であるからだ。

 

 しかし名楽にはそこまで大きな制限はない。尻尾も角も耳も隠すのはさほど難しくはないのだ。ならば彼女の存在を知り、上から目線でこき使う気満々の非協力的な協力者など、いなくても何とかなる――いや、いない方がいい、と考えるのは不自然ではなかった。

 

「元の世界に戻せない、というのならもう用はないわ。死になさい」

 

「がっ……」

 

 男の足が宙に浮く。ぎりぎりぎりと、蛇の牙が喉に食い込んでいく。首を絞められ長い呪文を唱えられない男は、それでも決死の覚悟でどうにか言葉を絞り出した。

 

「ま゛っ……待でッ……!」

 

「何?」

 

「も、もどず……も゛どず、から……!」

 

「へえ」

 

 パッと手が離され、地面に落ちた男はぜいぜいと荒く息をついた。皐月はそれを色のない目で見下ろすと、容赦というものが抜け落ちた声で訊問した。

 

「方法はあるだろうが無理、と言ったのはどこの誰? 出任せだったら本当に殺すわよ」

 

「り……理論上は、可能……と、言ったじゃろう……」

 

 男が息も絶え絶えに告げたところによると、送還術式を組むことが出来れば可能である、との事だった。肝心のその方法は、召喚術式が大いに参考になるというのは素人でも分かる理屈だったが、しかし。

 

「召喚は偶然の要素が大きかった、ねえ……」

 

 つまり運任せの面が強く、もう一度やっても召喚術式ですら成功するかどうか分からない、という事だった。もちろん、そこから送還術式を組む難易度は言わずもがなだった。

 

 皐月の目が再び危険な光を帯び始めた。ここまでの流れは、馬上で名楽と打ち合わせた通り――と言っても『強く当たって後は流れで』程度であったが――に進んでいるが、そこから外れる時が来たのかもしれなかった。

 

 騎士達が竜骨兵を魔法生物と呼んだ事から、他に魔術師が存在している事は確定している。この男に固執する理由は弱く、逆に見切りをつける理由は強くなって来ていた。それを覚った男が、狼狽と共に口を開いた。

 

「ま、待て!」

 

「待てと言われたら問答無用と返すのが私の国の伝統よ」

 

「そいつぁダメな方の伝統だろ……」

 

 疲れを隠し切れない名楽が、それでも律義にツッコミを入れた。実際、問答無用と返した連中は失敗しているので、縁起が悪いと思ったのかもしれなかった。

 

「問題は、このハゲが術式とやらを組めるかどうかだろ。召喚は一度成功させてるんだ、なら送還にも成功するかもしれない。少なくとも、他の魔術師を探して一から研究するよりかは早いはずだ。事情を知ってる協力者もいた方がいいしな」

 

「一理あるけど、急がば回れとも言うしねえ。何より羌子、あなたの事を知ってるこのハゲを野放しには出来ないわ。協力者と言っても信用できない以上、どこから情報が漏れるか分からない。ここは後腐れのない選択肢を選ぶべきじゃない?」

 

 どちらの意見にもメリットデメリットが存在した。ならばどちらを選ぶかは、もはや好みの範疇であると言えた。なお、二人称はもはやハゲで固定されているようだった。

 

「私は私と羌子の安全を優先するわ。少しくらい送還が遅れる事になっても」

 

 ようやく会えた同属を殺す事になっても、という言葉は口の中から出る事なく、泡沫の如く形になる前に消えた。いつの間にか皐月の中で、名楽の存在が大きくなっていた事の証左であり、同時に彼女が『人間』と定義する者を殺せる事の証左でもあった。

 

 生来の気質なのか、それとも『人間』ではないとは言え、テロリストを殺してきた事から培われた精神性なのか。それは本人すら知るところではなかったし、彼女はそれについて深く考える事を放棄していた。何となく嫌な予感がしたからであり、現状では都合がいいからでもあった。

 

 兎にも角にも、名楽へ向ける感情の反動として、安全を脅かす者への攻撃性は高まっていた。それを否応なく感じ取ってしまった男は、慌てて自己アピールを始めた。

 

「ど、どちらにしろ術式を組むには魔導書が必要になる! 入手そのものも難しいし、一から組み立てるのなら、それこそ膨大な時間がかかるぞ!」

 

「だからあなたを手助けして、魔導書を手に入れろって? 嘘をついてない保証もないのに?」

 

「う、嘘ではない! 魔術の祖と我が魔術に誓ってもよい!」

 

「嘘はついてないと思うが……」

 

 名楽が判断を求めるように皐月を見た。見られた皐月は内心ではその意見に賛同していたが、それを表に出すのは得策ではないと判断し、沈黙を保っていた。それをどう判断したかは分からないが、男は更にアピールを続けた。

 

「そ、それに、魔導書の入手は金もそうだが、それ以上にツテが必要になる! お主らにそれはあるまい! 持ちだせた魔導書では全く足りぬのは明白だしな!」

 

 それを聞いても皐月は沈黙したままだったが、その意味合いは先ほどとは変わっていた。少なくとも名楽はその事に気付いており、一つ息をついて皐月の肩に手を置いた。

 

「決まり、だな」

 

「…………そうね」

 

 首の皮一枚で繋がった事を理解した男が、安堵したように息を吐き出した。その間隙にするりと入り込むように、皐月が男の頭を強引に上げさせ目と目を合わせた。

 

「あなたに協力してあげる。ただし――――」

 

 穴のような瞳からどろりと溢れる、硫酸の如き何かを直視してしまった男は、思わず体を強張らせた。彼女はそんな男の様子を無視し、耳に口を寄せて低い声で告げた。

 

「――――裏切れば殺す」

 

 男は元から青白い顔を白くして、びくりと体を震わせこくこくと何度も頷いた。それを確認した皐月は、男から離れると慈悲深い天使のようににこりと笑みを作った。

 

「私達に従えば、富と名誉を約束してあげる。地獄の魔獣の名にかけてね」

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 ぱちぱちと焚火がはぜ、二人の異邦人の顔を下から照らし上げていた。彼女らは名楽がスーパーで買っていた食材のうち、日持ちしないものを持ちだした鍋で調理して夕食としていた。なお男は、疲れたという言葉は真実だったようで、食事も摂らずに寝ていた。

 

「尻が痛い……馬ってあんなに揺れるんだな……」

 

「まーしょうがないわ、サスペンションなんてついてないし」

 

 馬と言っても名楽の知る馬は、ここまで乗って来た四本脚ではなく六本脚だった。とはいえそれでも乗り心地は大して変わらないのは、幸か不幸か彼女の知るところではなかった。

 

「菖蒲はなんで平気そうなんだよ」

 

「時々脚で身体を浮かせてたからね。(あぶみ)があって助かったわ」

 

「どういう脚力してんだよ……そんなんだからゴリラ呼ばわりされるんじゃね……?」

 

「うっさい」

 

 そこで何となく会話が途切れ、お互い無言のうちに食料を胃に入れていく。木皿が空になり、炎が立てる音だけが静寂を否定する中、名楽がぽつりと問いかけた。

 

「なあ、あんなコト言ってよかったのか」

 

 主語を抜いた言葉だったが、問題なく通じた皐月は、しれっとした顔で返した。

 

「私達は別に地獄の魔獣じゃないもの、そんな名にかけたところで無意味でしょ」

 

「お前さん結構さらっと嘘をつくよな……」

 

「嘘じゃないわ、今はまだね」

 

 実際、魔導書を手に入れる為、何らかの手段を取る必要はあった。その過程で富や名誉が手に入る可能性はあり、ゆえに、全てが全て嘘という訳ではなかった。尤も、嘘となる可能性もまた存在していたが、皐月は特に気にした様子はなかった。

 

「――――なあ、どう思うよ」

 

 しばらくの沈黙の後、名楽が再び主語を抜いた言葉で問いかけた。やはりそれで通じた皐月は、無表情のまま返した。

 

「本物の異世界、量子コンピュータが創った1と0の仮想世界、全く未知の技術による夢。推測だけなら色々立てられるけど、人為的な何かが介在しているのはまあ、間違いないでしょうね」

 

「だよな……映画の吹き替えを見てるみたいだったもんな」

 

 二人は別に読唇術を使える訳ではないが、それでも男の口の動きと聞こえてくる声が合っていないのは分かった。一応確認したところ、翻訳魔術は男の知る限りでは存在しないという事なので、誰か、もしくは何かが言語を翻訳している事は間違いなかった。

 

「と言っても、『内側』の私達にはどうしようもないんだけどね」

 

「それはまあそうなんだが……」

 

 歯切れの悪い名楽とは対照的に、皐月は気のない素振りだった。自身が口にした通り、現状ではどうしようもない、ならばじたばたしても仕方ない、という事だった。

 

 しかしそんな態度とは裏腹に、その胸の内にシミの如く浮かび上がる思いがあった。

 

 この世界が本当に存在しているのなら、それで構わない。しかし、そうではなかったら? もしも、誰かが創った世界であったなら? もしも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 仮に仮想世界を創れるほどの力があるのなら、対象に気付かせずに記憶を読み取る事くらい出来てもおかしくはない。

 ならば。

 ならば、もし。

 もし、そうであったとしたならば。

 もしも、読み取った記憶を元に世界を創り、そこに放り込んだのならば。

 

 ()()()()()()()()()()()。ありとあらゆる手段をもって突き止め、ありったけの悪意をもって応報せねばならない。そいつらは、心の最も柔らかいところを踏み荒らしたのだ。

 

「ああそうだ、忘れるところだった」

 

 だが現状では邪推の域を出ないし、何よりどうしようもない。ゆえに黒い感情は胸の底に沈め、何でもないかのように名楽に声をかけた。

 

「何だ?」

 

「これ、渡しておくから」

 

 ぽんと軽い調子で手渡されたのは、黒く光る鉄の塊、即ち拳銃であった。予想外の展開に名楽は完全に固まったが、皐月はどうという事もなさそうに説明を始めた。

 

「派生品が多過ぎて細かいところは分からなかったんだけど、ベレッタ92とか言うらしいわ」

 

 イタリアの老舗、ピエトロベレッタ社の名銃だ。名銃過ぎてバリエーションが多く作られ、全てを把握するのは至難の業となっている。ネットで調べただけで、ガンマニアでも何でもない皐月が分からずとも仕方のない事だと言えよう。

 

「弾は9ミリパラ。装弾数は15+1の16発。5発使ったから残りは11発。残念ながら補給のアテはないから、使い切ったらそれで終わり」

 

 弾丸の正式名称は9x19mmパラベラム弾。『戦いに備えよ』というラテン語を冠する、極々一般的な拳銃弾だ。まあ拳銃に『ピースメーカー(平和をつくる)』とつけるよりはマシなネーミングセンスであろう。正しいは正しいが、少々露骨に過ぎる。

 

 15+1の+1とは、弾倉とは別に拳銃本体に装填出来る一発の事だ。ベレッタのようなオートマチックの拳銃は、マガジンを入れて手動でスライドを引く事で、最初の一発が装填出来る。そこでマガジンを取り出し新たに一発入れて戻すと、マガジン内の弾数+拳銃内の一発、となるのだ。

 

 なお皐月が手に入れた時は+1まで入っていたが、暴発防止のために抜いていた。今はそれも入れ、自動装填されていた銃身内の一発もマガジンに戻したため、マガジン内に11発入っている状態である。

 

「で、肝心の使い方は――」

 

「ちょ、ちょっと待った!」

 

 再起動を果たした名楽が、慌てて皐月の言葉を止めた。皐月は眉を寄せ、名楽の顔を見た。

 

「何?」

 

「い、いや、こんなモン渡されても……。私じゃ上手く使えるとも思えないし、菖蒲が使えばいいだろ」

 

「私だって訓練を受けた訳じゃないから、練度はどっこいどっこいよ」

 

 それでも名楽よりはマシではあった。ベレッタ92は厚みがあるので、ある程度手が大きくないと持ちづらいのだ。撃った反動だって無視できない。小柄な女性で、しかも力のない名楽には、少々扱いにくい銃だと言えた。

 

 だが、それでも名楽に持ってもらわねばならない。何故ならば。

 

「何かあったら、羌子じゃ抵抗出来ないでしょう? 私も羌子を守るけど、最終的には自分の身は自分で守ってもらわないと」

 

 さらっと告げられた言葉に、だからこそ名楽は体を強張らせた。言い方はどこまでも軽かったが、どこまでも本気だと、理解してしまったからだ。

 

 生きる事は戦う事で、戦う事は生きる事。今がいつで、ここがどこであろうとも、皐月の信条には些かの陰りもなかった。あるいはそれは、自身の生存を自身の手で掴み取って来た彼女が抱く、戒律にして信仰であるのかもしれなかった。

 

「…………そうだな」

 

 それを薄々感じ取っていた名楽は、だから了承の返事を返した。実際問題として、皐月がいつも近くにいるとは限らないため、そういう時の備えは必要だった。戦えないと泣き言を言えば、おそらく守ってくれるであろうが、名楽の自立心と自尊心はそれを良しとはしなかった。

 

 名楽は我知らず、自らの手に視線を落とした。弾丸を含めても精々1㎏程度しかないはずの鉄の塊が、やけに重く感じられた。人を殺すための重みか、身を護るための重みか。どちらにせよ、命の重みである事は間違いなかった。

 

「話が早くて嬉しいわ。まず――――」

 

 そんな彼女の様子に気付いているのかいないのか、皐月はあくまでもフラットに銃の取り扱い方を説明していった。知らない星空の下、焚火に照らされながら、森閑と時が過ぎて行った。

 




 竜骨兵の元ネタは竜牙兵。誤字じゃないです。
 原作には出てませんが、これくらいなら出来てもおかしくないかなあ、と。

 書き溜めはここまでなので、次は遅くなりそう。

 244様、誤字報告ありがとうございました。
 英語が苦手なのがバレてしまう……w

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