・皐月と名楽、トクトー家具店に就職。
・洗濯板を売ろう。
・都の治安改善の見込み、しばらくなし。
予防、という概念がある。読んで字の通り、予め防ぐ、という意味だ。どんな物事でも、事後にどうにかするよりも、事前に対処しておく方が楽だし確実だ。それが防疫であり軍備であり、知恵の使い方というものである。
だがしかし、それにも限界というものが存在する。どんなに体が丈夫でも、どんなに健康に気を付けていても、風邪を引く時は引いてしまうように。
「だからよぉ、俺らがキッチリ守ってやる、っつってんだよ」
「その代わりそっちが金を払う。簡単な話だろぉ?」
洗濯板は売れた。売れに売れた。家具店の主マリアは結局他の商会に話を持って行き、協力して売り出す事にしたのだが、それでもおっつかない程売れまくった。というか現在進行形で売れている真っ最中である。
となれば治安がよろしくない現状では、おこぼれ狙いのこういった連中が、当然のように湧いて来るのである。他商会からの嫉妬を防いでも、余所との人間関係に気を付けていても。それでトラブルを完全に予防できるとは限らない。
「失せぇや!」
マリアは三人の言を威勢よくつっぱねた。いかにもチンピラ然とした彼らの要求は単純明快、金である。一応その対価として用心棒めいた事をしてやると言っているが、全くもって信用できない。こういった事は信用第一だ。強盗に護衛を頼むアホはいない。
「ハッ、威勢がいいな。こりゃあ痛い目見ねえと分かんねえようだな……?」
「おいおい、人聞きの悪い事言うんじゃねえよ。用心棒としての力を見せてやる、くらいは言わねえとな? そうすりゃ俺らを雇いたくなるさ、嫌でもな!」
「さっすがアニキ、頭いいっすね!」
「ギャハハハハハ!!」
あまりの怒りに表情が抜け落ちたマリアが、皐月に目配せした。彼女は小さく頷きを返すと、問答無用の不意打ちでチンピラを一人殴り倒した。予防が出来ないのならば、その時に対処するしかないのだ。
「んな……」
「遅い」
残る二人は驚愕に目を見開くが、それで皐月の動きが止まる訳ではない。一人は膝を逆方向に踏み折られ頭を殴り飛ばされ、一人はみぞおちに拳を叩き込まれて瞬く間に崩れ落ちた。
頭や首を掴んで持ち上げたりはしない。遊びや脅しにならともかく、相手がナイフでも持っていたら腕を刺される。こういう時に必要なのは有無を言わさぬ先手必勝であり、皐月の力と経験ならそれが可能だ。現役JKに必要なスキルかと言われれば、首を傾げるしかないのだが。
「おととい来ぃや!!」
苦痛に呻く三人を、マリアが店の外まで蹴飛ばした。名楽とほとんど変わらぬ体格だが、案外力はあるようだ。彼女は怒りも露に吐き捨てた。
「ったく、けったくそ悪い! クラウス、衛兵呼んで来ぃ! こんな時くらい役に立ってもらわんと――――」
「待った」
マリアの言葉を皐月が途中で遮った。彼女はギンと感情のままに睨みつけるが、皐月は全く動じることなく冷静に言った。
「ちょっと気になるところがあるから、ここは任せてくれない? 悪いようにはしないから」
「……何か考えがあるんやな?」
「ええ。今は時間がないから説明は後になるけど」
「そか。ならやってみぃ、ケツは持ったるわ」
「ありがと」
太っ腹なところを見せた上司に内心感心しつつ、皐月は店の奥に大声を放った。
「ハゲ! 出番よハゲ! いるんでしょハゲ!」
「――――ハゲではないわッ!」
声に押されて出て来たのは、未だに未練たらしくハゲではないと主張するハゲだ。そのハゲた魔術師を皐月が急かした。
「カラス出して! 早く!」
「はぁ? いきなり何を言っておるか」
「叔父さん、コイツの言う通りにしたってや」
「む……仕方ないな」
姪に口添えされたハゲは、渋々といった風情で懐から黒い鳥の羽を取り出した。宙に放られたそれは、不可思議な事に大気の影響を受ける事なくまっすぐ地に落ちた。ハゲが呪文を唱えると、鈍い光に包まれた羽が一羽のカラスへと変じていた。
現実世界のヨーロッパには、黒灰や黒白のツートンカラーのカラスが存在する。しかしこの辺りのカラスは黒一色であり、今召喚したカラスも同じ色だ。よく見ると目の色が紫だったり歯が生えていたりで別種なのは明白だが、遠目では分からないので問題はない。
「やっぱり凄いわね、魔法」
「当然よ、ワシは天才だからな!」
「その天才にやって欲しい事があるの」
にっこりと笑顔を作った皐月にハゲがたじろいだ。彼女の笑顔は危険を意味する、といい加減気づいて来ているようだった。そんな様子を気にする事なく、皐月はハゲに要請した。
「さっき叩き出したチンピラどもをそのカラスで尾行して、どこに行くのか探って頂戴。一人は足を折っておいたから、速度的には問題ないはずよ。カラスと視覚共有が出来るのよね?」
「う、うむ、ワシは天才だからな」
カラスを使い魔として召喚できる魔術師は多少存在するようだが、視覚共有まで出来る魔術師はほとんどいないらしい。天才というのもあながち間違いではないようだ。
「なら問題ないわね。頼むわ、天才様」
「任せるがいい!」
微妙に心配になってくるちょろさだが、都合がいいので何も言わない。ハゲが命令を下すと、カァと一声鳴いたカラスが店の外へと飛び立った。
「ふむ…………見えたぞ。足が折れた男に肩を貸しながら歩いておるな」
「やるわね。それじゃあとよろしく」
ハゲは目を閉じ、カラスから送られてくる映像に集中し始めた。この中世程度の時代に、半自律行動可能かつ街を飛んでいても目立たない偵察ドローン、と考えればその威力が分かる。視覚共有は術者専用で射程もさほどではないとの事だったが、二人と二羽用意すれば、文字限定だが超高速通信も可能であろう。十二分にオーパーツと言える代物だった。
「そろそろ説明してくれへん?」
マリアが先程よりは落ち着いた様子で、しかして未だに鋭い目を皐月に向けた。彼女はそれに、平坦な声で答えた。
「ちょっと不自然だとは思わなかった?」
「何がや」
「チンピラは基本アホよ。『暴力で脅して金を引き出そう』ならともかく、『強引に用心棒になって継続的に金を吐き出させよう』なんて考えられると思う?」
酷い言い草だが間違ってはいない。こちらのチンピラは碌に教育も受けていない。受けているのならチンピラにはなっていない。教育を受けていないという意味は、おそらく現代日本人が考える以上に大きい。現代日本人なら当たり前に知っている事を知らず、当たり前のように出来る事が出来ない。
一言で表すのならば、思考の幅が非常に狭い。広げる方法を知らず、広げられるとも気付いておらず、広げる手段も持っていない。読み書き計算の出来るチンピラが生息する現代日本とはそこが違う。まあ教育を受けていてもチンピラになる者もいるという事は、教養の有無は当人の賢さにはさほど関係がないのかもしれないが、今重要なのはそこではない。
「……誰か、あのアホどもに入れ知恵した奴がおる、っちゅーことか」
「その可能性は高いと思ってる。いないんならそれでいいんだけど、いたら対応を考える必要があるでしょうね」
「それで尾行して根城を突き止める、か……」
皐月の脳内では、三人をとっ捕まえてインタビューして情報を絞り出すという案もあった。あったがさすがにどうかと思い、穏便な手段に変更したのだ。叩きのめして放り出すのが穏便なのかは気にしてはいけない。
「一応聞いておくが、お主には出来んのか?」
「尾行は出来ないとは言わないけれど、無理なのは言わなくても分かってるでしょ?」
「まあな。聞いてみただけよ」
この国では非常に珍しい黒髪、眼帯、美人、外国人、(時代的には)長身と、目立つ要素しか揃っていない。これほど尾行に不向きな人材も稀であろう。他の面子では尾行という行為そのものが不可能なので、必然的に使い魔の出番となるのだ。
「……む。建物に入って行ったぞ。あれは……廃屋だな、『茶色壁』の廃屋だ」
「ああ、あの角の……って事は、『ジャック』の手下か」
「ジャック?」
「最近売り出し中のマフィア、ってとこやな」
「詳しく」
曰く、皇都の混乱に乗じて勢力を伸ばしてきた新参のマフィア。ジャックという名も本名ではないだろうとの事。あの廃屋は勝手に占拠しているようで、ジャック本人はおそらくあそこにはいない。拠点はいくつかあるらしいが、ジャック本人がどこにいるのかは不明。
「そりゃまた面倒そうな手合いねえ……」
「やり口が乱暴で強引なんで、他でも嫌われとるっちゅー話や。ただ勢いがあるから、なびく奴も多いらしいで。あのアホどもみたいになぁ」
「そういう輩は諦めが悪いと相場が決まっておる。また来るだろうな」
「ハン! 追っ払ったるわ、何度でもな!」
マリアは鼻息が荒い。これは戦力たる皐月と、ハゲが使役する竜骨兵がいるからというよりも、単に元からの気質であろう。尤もこの二者が揃っているのなら、あの程度の人数を追い払う事は難しくない。しかしそれだけでは足りなくなるだろうと考えた皐月が、パンと手を打ち鳴らした。
「よし、自警団を作りましょう」
「は?」
思考のステップを何段階か飛ばした言葉に、マリアの目が点になった。
◆ ◆ ◆ ◆
数日後。自警団設立の話を、他の商会に打診してみたマリアに、皐月が進捗を尋ねていた。
「で、どうだった?」
「アカンな」
「アカンか」
「『必要なのは分かる。しかし余裕がない』っちゅートコや。確かになぁ、どこも余裕がある訳やあらへんからなぁ」
「自警団が活躍すれば、安全を買えるだけじゃなくて出資したところの宣伝にもなる、ってちゃんと説明した?」
「してそれや。まーその逆もまたしかりやからな、及び腰になるんも無理ないわ」
自警団に悪評が立てば、出資している者にもまた悪評が立つ。信用は築くに難く、失うに易い。であるならば、メリットよりデメリットが上回る、と判断するのも不自然な事ではなかった。
「それでも必要性そのものは理解してる、と。なら十分ね」
皐月の口角が小さく吊り上がる。マリアはそれに気付かないが、それなりに付き合いの長い名楽は気付いて呆れたように糸目を向けた。
「オイ、悪い顔になってんぞ」
「あら失礼ね。自警団を作ればマフィアに対して睨みが効くし、表に出にくい魔導書の情報も入って来るかもしれない。誰がどう見ても善行なのに、悪い顔なんてするはずがありませんわ」
「お前さんのコトだから、ジャックとやらを暗殺する、くらいは言い出すかと思ったが」
「発想が物騒ねえ。そんな事をしても意味ないわよ、殺しても別のが来るだけだからね」
「物騒代表に言われたかねーな……てか考えはしたんかい」
縄張りの主となっている動物を殺しても、また新たな同種の動物がやってくるだけである。それが嫌ならその動物を絶滅させるか、都合のいい主を据えるか、自身が縄張りの主になりおおせるしかない。
今回のケースでは、マフィアの根絶は実質的に不可能。かといって、自身にとって都合のいいマフィアを探すアテもない。であるならば、自身が縄張りの主になるしかないのだ。マフィアの傘下に収まりたくないのなら。しかしマフィアそのものになるのはリスクが大きいので、自警団という形を取る事にした次第だ。
「ま、暗殺の話はともかくとして自警団よ。作るんなら早めにしないとね」
「焦ってもそんなすぐには出来ひんよ」
「でも急がないと、報復や見せしめで店が燃やされたりするかもしれないわよ」
「む……」
手に入らないのなら破壊してしまえ、という事である。他に対する見せしめにもなるし、マフィアが暴力の行使を躊躇うとも思えない。もちろん入る金が減る以上、取りたくない手段ではあるだろうが、警戒しなければならない事には変わらない。
「ホントそういうコトには頭が回るのな……」
「まあ回らなきゃ死んでたし」
「姿が変わらんからたまに忘れるけど、やっぱ地獄の悪魔なんやな」
◆ ◆ ◆ ◆
人間という生物は、足が遅い。
世界最速の男でも、100mの平均時速は37.6㎞で、最高時速でも45㎞に届くかどうか。一般人なら、30㎞も出れば十分に速い。しかしこれは、陸上動物としてはかなり遅い。
クマやキリンはあの巨体で時速50㎞を叩き出すし、ウサギも種類によっては時速60㎞を超える。人間と同じ二足歩行でも、ダチョウは時速70㎞以上。チーターの時速110㎞超に至っては、本当に生物なのか疑わしいくらいだ。まさに『あんなんチートやチーターや』である。
人間という生物は、足が速い。
42.195㎞を2時間1分39秒。ケニアのエリウド・キプチョゲによって打ち立てられた、2018年現在の世界記録だ。非公式では、2時間を切った事すらあるという。これを超えられる可能性のある陸上動物となると、一部の犬にオオカミ、馬くらいしかいない。当然だが鳥は除く。
動物とは基本的に長距離を走り続ける事が出来ない。長距離を走り続けるには身体能力よりむしろ排熱能力の方が重要なのだが、毛皮に覆われている動物ではこれが上手く働かない。長時間走り続けると、自己の生成する熱によって熱中症になってしまうのだ。
だが人間には毛皮がなく、汗腺が発達しているため、走りながら気化熱で身体を冷やす事が出来る。同じ事が出来るのは馬くらい*1だ。オオカミはほとんど汗をかかず、パンティング*2しか出来ないため、長距離を走る際は寒冷な場所でないと排熱が追いつかない。
そして人間には発汗機能と体毛の薄さ以外にも、長い距離を移動するのに有利な条件が揃っている。体格に比して太めの脚、巨大なアキレス腱、膝関節の精巧さ、生物界で唯一アーチ構造のある足裏、二足歩行のエネルギー効率の良さ等々、枚挙に暇がない。
人間とは、長距離移動速度に優れる、持久型の生物なのだ。特に炎天下の超長距離移動ともなれば、右に出る陸上動物は存在しない。アトラトルどころか石器すら発明していない時代の人間が、生存競争に打ち勝てた一因でもある。
「トロトロするな! 走れッ!!」
ゆえにこそ、皐月が人間の男どもを追い立てて走らせているのは、とても正しい行為なのだ。生物的には。
「お、鬼……! 悪魔……!」
「し、しぬ……」
走らされている方から怨嗟の声が漏れ出ていても、追っかけている方が明らかに楽しそうでも、それはそれ。あくまで正しいのは生物としてだけなので、その他の正しさは考慮外なのである。
「くっちゃべっているとは、まだ余裕があるようだな! あと十周追加だッ!」
声にならない声なき悲鳴が響いたが、ノリノリで鬼教官をやっている皐月は容赦しない。声が低い上に大きいので、非常に迫力がある。おまけに
「お、おぅうぅぇえ……」
「何を吐いている! そんな軟弱さで自警団が務まるかッ!」
何故彼女が男口調で鬼教官なぞやっているか。それは今まさに口にした言葉が答えである。自警団を設立する事に成功したので、その訓練を行っているのだ。
『兵隊は走るのが仕事』という言葉があるように、いざという時に動けない戦闘者など何の役にも立たない。自警団員は軍人ではないが、その点は全く変わらない。とにかく走ってスタミナをつけるのは、基本中の基本である。
また、限界ギリギリに追い込む事で、根性をつけるという目的も存在する。辛い時苦しい時は誰にでもあるが、戦闘者ならばその時にこそ動けなければならない。そういう時に身体を動かす力はもう、根性としか表現しようがないのである。
根性だけでは決して勝てないが、根性がなければ決して勝てない。もちろん『精神力さえあれば勝てる!』とか言い出すのは論外なので、限度というものはあるが。
「ま、まだ、ま゛だやれまずっ!」
「その意気やよし! ならば走れ、苦しくとも走れッ! それが生存への唯一の道だ!!」
皐月は人員の確保と武器の選定にこそ関わったが、衛兵への根回しや各所からの予算調達、住民への周知、給料の差配等の面倒なところは、頼れる上司マリアに丸投げだ。訓練メニューも、アドバイザーとして招聘した元兵士の老人が決めている。皐月の現代スポーツ知識を元に若干の変更は加えたが。
つまり今現在の彼女の仕事は、
「どうした速度が落ちてるぞ! 声出せ声!」
「サーイエッサー!」
「ふざけるなタマ落としたか! 腹の底から声を出せッ! そして走れッ!」
「サーイエッサーッ!!」
どこぞの軍曹のパクリと言ってはいけない。訓練法としては有効なのだ。アドバイザーの元兵士もそれは認めている。代償として、皐月が化物を見るような目で見られたり、目覚めてはいけない性癖に目覚めかけている者が出たりしているが、まあ些細な事であろう。
「よし、ひとまずここまで! 休憩に入る――――座り込むなッ! 立ったまま休め!」
「サ、サーイエッサー……」
「声を出せと言ってるだろうがッ!! 何度同じ事を言わせる、蹴り潰すぞッ!!」
「サーイエッサーァッ!!」
「よぉしそれだけ元気があるなら休憩はいらんな! あと十五周だ! 走れッ!」
皐月にケツを蹴り上げられ、声にならない怨嗟と共に再度走り始める男たち。逆らうという発想すら出なくなっている辺り、調きょ……もとい、訓練は順調なようだ。何ヶ月か後には、きっと立派な自警団員になっている事であろう。
さて、商会連中は自警団の必要性は認めていても、設立は渋っていた。というのに何故、こうして自警団設立にこぎつける事が出来たのか。そのきっかけとなった出来事が起きたのは、およそ一ヶ月ほど前の事だった。
気分転換と思ってギャグ短編書いてたら遅れましたごめんなさい。
それもこれも全て、邪ンヌちゃんのぜかましコスのせいなんです。