【完結】四肢人類の悩み   作:佐藤東沙

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後日談07話 自警団は非公式武装組織だから、普通国はいい顔しない

「はあ? ジャックが死んだ?」

 

 自警団が未だ設立されていない、とある日の事。マリアが重要極まりない情報を持ってきた。あまりに唐突な知らせに、名楽がひそめた眉を隠しもせず尋ねた。

 

「ジャックってマフィアのだろ? こないだのチンピラの上とかいう……それが死んだって、どういう事だ?」

 

「いや、ウチもよく分かっとらんやけど……別のマフィアがジャックを殺したとか何とか」

 

「抗争でもあったのか……? いやでも、そんな気配は……」

 

「暗殺でも成功させたんかもしれへんが、今はこれ以上は分からん。ただ、ジャックに何かがあったんは嘘やないと思う。部下のチンピラどもが浮足立っとる」

 

「へえ……」

 

 皐月の目が一瞬だけ意外な事を聞いたかのように見開かれたが、すぐにそれは消えた。彼女は意図して沈着冷静な表情を作ると、マリアに顔を向けた。

 

「これはチャンスよ」

 

「チャンス?」

 

「自警団設立の、ね」

 

 マリアは怪訝そうな顔で皐月を見返し、言われた事と正反対の意見をぶつけた。

 

「いや、ジャックが死んだんならいらへんのとちゃうか? そら死んだとは限らんけど……」

 

「逆よ逆。商売には詳しくても、こういう事にはうといのね」

 

「どーゆー事や?」

 

 リスのように目をパチクリさせたマリアが尋ねる。その視線を受けた皐月は、よどむ事なく流れるように説明を始めた。

 

「ジャックが死んだ、もしくは大怪我か何かで動けないのなら、部下が蠢動を始めるはずよ。聞いた話だと、二人か三人くらいはそういう事をしそうな感じのがいるらしいわ」

 

「で?」

 

「つまりジャックが生きてようが死んでようが、後継者争いが始まるのは避けられない」

 

 野心家の部下なら、ジャックが『まだ』生きていれば積極的に亡き者にしようとするだろう。そして首尾よく処分出来たのなら、ライバルになり得る者にその罪を着せて排除してしまえばよろしい。謀略における基本中の基本だが、一粒で二度美味しいので廃れる事はない手段でもある。

 

 もちろん義や情で繋がっているのならその限りではないだろうが、噂に聞くジャックのやり口では考えにくい。まあ利益と恐怖で繋がる悪党の関係性としては、実に健全であると言えるのかもしれないが。

 

「始まらなくても、他からジャックの縄張りを狙うマフィアが入って来るはずだから、どっちにしても治安は悪くなる」

 

「確かに、ありそうな話やな……」

 

 腕を組んで考え込むマリアに、皐月が説得の言葉を連ねていく。

 

「治安が悪くなってからじゃ遅いわ。自警団って言っても中身は素人、なら訓練は絶対に必要。人間、練習してない事は出来ないからね」

 

 訓練していない事でも簡単に出来る人間はいるが、それは単に才能があったというだけだ。万人にそれを求めるのは単なるアホである。

 

「今から始めれば、多少なりとも訓練を受けた人員を用意できる。自警団の必要性は皆理解してるんでしょ? なら使えないより使える方がいいわよね? ズブの素人を荒事に突っ込んでも、新鮮な肉の盾にしかならないわよ?」

 

「むむむ」

 

「それにあなたが今主導して組織すれば、先を見る目がある、という評判を得られる。女だからと見下す連中の鼻も明かせるんじゃない?」

 

「むむむむむむ」

 

 腕を組んだまま目を強く瞑り、煙が出そうな程に考え込むマリア。きっとその頭の中では、利害得失損得勘定唯我独尊の秤がぐらぐら揺れている事であろう。

 

「か、金はどうすんねん」

 

「洗濯板で出した利益があるでしょ。何ならまた新商品を教えてもいいわ。ね、羌子?」

 

「お、おう」

 

 いきなり話を振られた名楽が、それでも反射的に答えた。友人の詐欺師の如き弁舌に大分引いていたが、そんな名楽を尻目に皐月はマリアに畳みかけた。

 

「ねーいいでしょマリアー、今なら行けるわよー。一目置かれる女になるチャンスよー。今よ今だけよー、他のところが先に作り始めたら台無しよー」

 

「むぅぅううう」

 

「できるできるマリアならできるわー。邪魔なマフィアをぶっとばしてー、新商品で金もがっぽがぽー、デキる女になれるわー。金じゃ買えない名誉や評判も思いのままよー」

 

「うううううう」

 

 嘘『は』全くない皐月の言葉に、天秤の揺れが激しくなる。実際問題として、皐月の言う通りに状況が推移するなら、自警団の価値は非常に大きいだろうし、それを主導して作り上げた者の価値もまた大きくなるのは確かだろう。

 

「ホ、ホンマにそうなるんか?」

 

「そーねー、このままだと十中八九そーなるわー。他の誰かに聞いてもいいわよー。だからマリア、つくりましょーよじけーだんー。いまだけおとくなラッキータイムよー」

 

 本当にそうなれば、の話ではあるが。彼女は必ずそうなる、とは一言も言っていない。つまり嘘でもないが本当でもない。嘘をつかずとも人は騙せるのだ。まあこれを騙すと言っていいかは不明だが、少なくとも名楽が皐月を見る目はすでに、完全に詐欺師を見るそれである。

 

「だ、誰が」

 

「ん?」

 

「誰が、訓練を付けるんや? 元兵士の爺様は知り合いにはおるけど、体力的に無理やで?」

 

 ぐるぐる回ってバターにでもなりそうなマリアの頭が、重要な事を思い出したらしい。とは言えこの質問が出るという事は、設立に前向きになっているという事でもある。それを一瞬で理解した皐月が、鬱陶しい感じは崩さず追撃をかけた。

 

「もちろん私がやるわよー」

 

「だ、大丈夫なんか?」

 

「だいじょぶだいじょぶテリーを信じてー」

 

「いや誰やねんテリー」

 

 とあるテレビ番組に出ていた、ドリーが相方のコメディアンである。この番組が始まった1998年は自身が生まれた年だというのに、よく知っていたものだ。前世かインターネットのおかげだろう。

 

「まー訓練については問題ないわー、私が強いのは知ってるでしょー? だから自警団つくりましょーよー。作るんなら今しかないわよ本当にー」

 

「ううっ……や、やってはみるけどな、上手くいくとは限らへんで! やってはみるけどな!」

 

「じゅーぶんじゅーぶーん」

 

「何だこの三文芝居」

 

 まるでどこぞの第六天魔王と不老のオカマの如き三文芝居であった。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「で、どこまでだ?」

 

「えーと、どういう意味かしら?」

 

 マリアが仕事のために去ってしばらく。先ほどの気の抜けた雰囲気とは裏腹に、名楽が糸目に強い光を湛えて皐月を問い詰めていた。

 

「とぼけんな、どこまで計算通りだったんだ? いや、こう聞いた方がいいか? どこまでやったんだ、ってな」

 

「何もやってないわよー」

 

「オイ……」

 

「いやホントに」

 

 一瞬咎めるような気配を見せた名楽だったが、皐月の言葉に嘘がないのを見て取り、その気配は穴の開いた風船のように霧散した。まだ微妙に疑ってはいたが。

 

「…………嘘じゃないだろうな? お前さんは何食わぬ顔でしれっと嘘をつくからな」

 

「……私が嘘をつくのは、『嘘か本当か確認できない事』か『短期間騙せればいい』って時だけよ、基本的にはね」

 

 正直も誠実も美徳だが、それ以上に強力な武器なのだ。皐月が人を騙すのならば、一片の嘘もなく真実だけで騙してみせる事だろう。マリア相手にやってみせたように。

 

「それに、羌子相手に嘘なんてつく意味がないでしょ」

 

「お、おう……」

 

 思ってもみない言葉に僅かに顔を赤らめる名楽に、皐月が言い募った。

 

「それにねえ、ジャックの暗殺なんて意味がない、ってこないだ言ったばかりじゃない」

 

「そいつぁ自警団の話が出てない時のこったろ。ジャックとやらを消して、菖蒲がさっき言ってた理由で治安が悪くなれば、自警団設立の追い風になる。違うか?」

 

「うわー羌子くろーい、邪魔者の排除を自警団の設立にそのまま利用するなんてー」

 

「お前の考えそうなコトを考えたんだよ!」

 

 噛みつく名楽をいなし、皐月はさらっとその補足説明を追加した。

 

「ついでに言うんなら、ジャックの下にまとまってるマフィアの分断も狙えるわね。ほっといても内ゲバ起こすだろうから」

 

 そうなれば各個撃破の好対象だ。仮にジャックに代わるリーダーが出るとしても、主導権争いが起きる可能性は高いから、その過程での消耗が狙える。一枚岩になれたとしても、勢力縮小は免れない。

 

 内乱や内ゲバとは、言う事を聞かない自分の片手を切り落として『これで万全だ!』と宣う行為に他ならない。命令を聞かずとも腕は腕、切り落とせば大打撃である。

 

「……やっぱ考えてたんじゃねーか!」

 

「考えてただけよー。既遂と未遂と未然の間には、深くて大きい溝があるのよー」

 

 棒読みでおどける皐月だったが、名楽の目に呆れの色が浮かんでいるのに気づくと、肩をすくめてみせた。

 

「まあ真面目な話、まだ情報収集の段階だったわ。暗殺は将来の選択肢の一つってとこで、少なくともまだ実行する気はなかったの。それがこんな出オチみたいに死ぬなんて予想外」

 

 全方位喧嘩外交をやっていれば敵も増えるし、その敵に殺される確率も上がる。部下に反逆される事もあるだろう。今回は皐月が何をするまでもなく、ジャックがその可能性を引き当ててしまった、という事である。要するに身から出た錆で自業自得だ。新興マフィアらしいと言えばらしい。

 

「で、その予想外を自警団設立に繋げた訳か……発想がいちいち剣呑なのはこの際何も言わんが、そもそも何でそこまで自警団に拘るんだ?」

 

「ちょっとハ〇トマン軍曹をやってみたかった……というのは冗談として。前も言ったけど、魔導書の情報が手に入りやすくなるかな、ってね。マリアが頑張ってくれてるのは分かるんだけど、表だけだと限界もあるみたいだし」

 

「それは分かるんだが……」

 

「……? どうしたの? 今手元にある魔導書だけだと無理そうだって言ったのは、他でもない羌子じゃない」

 

 名楽は早々に文字を習得し、ハゲの指導の下に魔法に首を突っ込んでいる。もちろん使う事は出来ないが、理論を考えるだけなら問題はない。だからこそ、現状では帰還術式は組めないと分かっているはずだ。にも拘らず何故か歯切れの悪い彼女に、皐月は不思議そうな顔を向けた。

 

「……危なくないのか」

 

「そりゃ危ないに決まってるわ。でも早いとこ戻らないとまずいでしょ。私はともかく、羌子はこっちじゃ生きてけないもの」

 

 角と獣耳のせいだけではない。何か病気にでもなれば、あまり丈夫ではない名楽が死ぬ可能性は低くないのだ。異世界である以上、未知の菌やウイルスは存在していると考えるべきだし、それが致死性のものである事も考えなければならない。今まで平気だったのは単なる運であり、運を期待し続けるのは単なる愚か者である。

 

「……その――――」

 

 名楽が何かを言いかけたちょうどその時、皐月を呼ぶマリアの声が届いた。皐月は話を打ち切ると、また後で、とだけ残して声の方へと向かった。皐月の後ろ姿に手を伸ばしかけた名楽だけが、ぽつねんとその場に残された。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 棒術、というものがある。何の捻りもない、長い棒を武器とした戦闘術の事だ。剣や槍に比べるといまいち地味だが、れっきとした武術であり、今日でも多くの流派が存在する。

 

 が、いざ棒を武器にしようと思うと、これが案外難易度が高い。習得難易度ではない、棒という武器の性質が問題なのだ。

 

 持ち歩こうと思うと、長くて邪魔だし片手が塞がる。それなら腰に提げられる剣の方がいい。邪魔くささを承知で携行するのなら、殺傷力の高い槍でいい。棒より短い杖を使う技術もあるが、それこそ剣でいいだろう。

 

 だが、その殺傷力のなさこそが逆に都合がいい。この、自警団という組織においては。

 

「おおおおおっ!」

 

「叩け叩けぶっ叩け!」

 

「く、くそっ!」

 

 自警団の彼らが手に持つのは、制式採用された武器、すなわち棒だ。長さは概ね2mほどで材質は木。堅い木を選んではいるが、何の変哲もない単なる棒である。

 

 剣や槍だと殺害前提と受け取られる可能性があるため、殺傷力が低くそれなりに威力がある武器、という事で棒になったのだ。自警団が捕まってしまっては元も子もないし、ついでに言うなら安いというのも大きかった。どんなに屈強であっても、コストには勝てないのだ。

 

 皐月はその棒を装備した自警団に、至極単純な戦術を伝授した。すなわち、人類の最強戦術である、『囲んで棒で叩け』だ。小難しい事は一切ない。元兵士の老人の槍術を参考にはしたが、参考の域を出てはいない。

 

 一応、定められた三人を一組にして、その中で日替わりの『斬り込み隊長』を定めるだとかの方法論を決めたり、閉所用にトンファーを用意したりはした。が、『囲んで棒で叩く』以外の戦術はない。精々が『不利なら一旦退いて態勢を立て直せ』程度だ。あまり複雑なものだと覚えきれないし、いざという時に実践も出来ないのだ。

 

 戦法が新選組のパクリだとか言ってはいけない。銃なしの市街戦で人員の大半が素人、という条件は同じなので、どうしても戦術が似てくるのだ。

 

 弓や投石は、場所を考えると流れ弾が怖くて使いにくい。そもそも街中では弓は使用禁止という法がある。結局、足で追いついて棒で殴る、という戦術に終始するのである。

 

「よしそこまでッ! アルファとベータは捕縛にかかれ、ガンマは衛兵呼んで来い!」

 

 アルファ・ベータ・ガンマは、三人一組(スリーマンセル)のコールサインもどきだ。本当は一番・二番・三番でいいだろうと思っていたのだが、一番隊・二番隊という呼称に被る、という事で雑に皐月が付けたのだ。

 

 フォネティックコードでないだけマシだったのかもしれないが、それにしたってやっぱり雑だ。『五月でアヤメが咲いてる時に拾ったから皐月菖蒲だな。なら誕生日も五月五日でいいか』と自身のプロフィールを決めた名付け親並みの雑さであった。

 

「サーイエッサー!」

 

 皐月の声に、きびきびと行動を開始する男三人。ここまで仕込むのは大変だった。教えられる方も大変だったが、教える方はもっと大変だったのだ。

 

 まず彼らは、整列何それおいしいの、という状態だ。当然、気を付け前へならえ、といった基礎から教えなければならない。いきなり行進させても、よちよち歩きの赤子のようにスッ転ぶだけである。そういう意味では日本の小学生の方がよっぽど上だ。……いやまあ小学生に軍事訓練させてるという事なのだが。

 

 兎にも角にも、ここで手を抜く事は出来なかった。規律のない自警団など、山賊と大して変わらないのだ。暴力は理性によって統御されねばならず、何よりそれを住人に理解してもらわなければならない。従って戦術よりも走り込みよりも何よりも、規律を叩き込む事を皐月は重視したのだ。

 

 その努力と主にマリアの財力の甲斐あって、どうにかこうにか劇的ビフォーアフターに成功した。意気込みしかなかったド素人どもも、今では立派な戦争豚である。物の例えであって本当に戦争をする訳ではないのだが、豚の方は例えではなくなってしまった者が一部誕生してしまった。進歩と発展に犠牲はつきものである。

 

「ご苦労様です」

 

「……フン」

 

 連れてこられた衛兵二人は、気に食わなさそうに鼻を一つ鳴らすと、縄でくくられた強盗を無言で連行していった。それを見ていた自警団員は、当然のように色めき立った。

 

「なんだアイツら……!」

 

「態度が悪いにもほどがある!」

 

「腐るな貴様ら」

 

 いきり立つ彼らに、皐月は不敵な笑みを浮かべてみせた。もちろん演技だが、傲岸不遜という言葉がそのまま形になったかのような笑みであり、彼女の纏う雰囲気に実に似合う笑みだった。

 

「いちいち他人の態度に右往左往するな。貴様らはつい今しがた、確かにこの街を守ったのだ。それを思えば、あんな小役人の態度なぞどうでもいい事だろう?」

 

「教官殿……」

 

 その笑みが、ささくれだっていた彼らを自然に解きほぐしていく。それを敏感に感じ取った皐月は、空気を入れかえるように声を張り上げた。

 

「よし、本隊に合流するぞ! ぼんやりするな、走れッ!」

 

「サーイエッサー!」

 

「声が小さいッ!!」

 

「サーイエッサーッ!!」

 

 上に立つのも大変だ、と考えながら自警団員を追い立て走る彼女の顔には、演技ではない笑みが確かに浮かんでいた。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 瞬く間に数ヶ月が過ぎた。色々、本当に色々あったのだが、概ね良い方向に進んだと言える。治安は改善され、マフィアは大人しくなり、マリアの店は今日も無事に営業している。もちろん自警団だけの成果ではないが、その貢献は小さくなかったと言えよう。

 

 そして、皐月と名楽にとって最も大きな事。期待通り、裏社会に多少なりとも関わったおかげで魔導書が入って来たのだ。そのおかげもあって、ついに元の世界への帰還術式が完成したのである。

 

「長かったわねえ……何だかんだで、半年くらい?」

 

「留年確定だな」

 

「まあその辺りは、戻れるだけでも良しとしないとね。こんな事態は予想外なんだし」

 

 街を歩いていたら異世界でした、だ。三文ラノベではありふれた展開かもしれないが、現実でそうなると思っている者はいるまい。いるとしたら狂人か予言者である。

 

「そういや、良かったのか自警団はあれで」

 

「ああ、国軍に組み込むって話? 別にいいわよ拘るもんでもないし」

 

 自警団の評判を取り込みたかった国と、金食い虫の自警団を手放したかったマリア達商人の利害が一致した結果だ。自警団員は正式に衛兵として取り立てられたが、皐月は断りトクトー家具店の一従業員に戻ったのだ。

 

「随分と()()()()()()ように見えたがな」

 

「そう? 自分じゃそんなつもりはなかったんだけど……でも仮にそうだとしても、マリアを見てたらノーとは言えないわ」

 

「あー……」

 

 古今東西、軍事には金がかかる。武器防具、衣食住、各種消耗品と挙げればキリがないが、最も金を食うのはこのどれでもない。人件費だ。

 

 武器は一度揃えればそれなりに()()が、戦闘の専門家を()()()には年単位で時間がかかり、その間も給料は払わなければならない。ゆえにこそ、軍で最も高価な兵器は人間だ、などと揶揄されるのだ。

 

 自警団は促成栽培だったので時間はそこまでかかっていないが、それでも給料は出ている。この点は皐月が譲らなかったのだ。まあケチっていれば、地獄の訓練で全員逃亡していただろうから正しい。

 

 とは言え、金を吸われる方はたまったものではない。金食い虫と分かっていて国が軍を持つのは、ないと周りから攻められて滅ぶからではあるが、軍を支えられるのは国という力があってこそ。自警団程度と言えど、商会ではその負担に耐えかねていたのだ。

 

 どれほどの負担だったかと言うと、毎月の支出額を見たマリアがウキャーと猿じみて発狂するほどである。マフィアも排除でき、名誉や高評も手に入ったため損ばかりではなかったのは確かだ。だがそれはそれとして、バカみたいな額が飛んでいくのは、精神がやすりがけされるようなものであったらしい。

 

「ま、それはいいでしょ。終わった話だし。それより帰還術式の方は大丈夫なの?」

 

「十中八九な。触媒が一つしか用意できなかったから一発勝負になるが……まあ行けるだろ」

 

 名楽はそこで不自然に言葉を切り、黙りこくった。その奇妙な沈黙に皐月が訝しさを含んだ顔を向ける。名楽はその瞳に真剣さを乗せて、まっすぐ彼女を見上げ返した。

 

「――――菖蒲は、こっちに残る気はないのか?」

 

「ん? どういう意味?」

 

「そのままの意味だ…………前に言ってたよな、菖蒲にとっての『人間』は、私らじゃないって」

 

「言ったわね。で?」

 

 彼女の、心のもっともやわらかいところにかかる話題だ。『人間』ではないが、友人だとは思っている相手からの言葉でも、どうしても身構えざるを得ない。その内心を示すかのように、一つきりの瞳がほんのわずかに細くなった。

 

 

「お前にとっての『人間』ってのは……こっちの世界の連中なんじゃないのか?」

 

 

 だが続けられた言葉に、ぴたりと皐月の動きが止まった。その顔からは表情が抜け落ち、能面の如くなっていた。

 

「……菖蒲はこっちに来て、よく笑うようになった。最初は、単純に気質に合ってたからかと思ってたが……。……『人間』を、お前の同胞を見つけたからじゃあないのか?」

 

「…………」

 

 沈黙が落ちた。まるで月のない夜の水面のような、波紋一つない沈黙だった。皐月はその静寂に風穴を開けるように、名楽の帽子を取るとその頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でまくった。

 

「わっ、な、なにすんだ!」

 

 硬いストレートヘアの皐月とは違い、名楽は柔らかな癖毛だ。一度崩れると直すのが大変なので当然のように抵抗するが、力と体格の差がそれを許さない。あっという間に髪とモップの区別がつかなくなり、名楽が何かを言わんとした時、ぼそりと低く言葉が呟かれた。

 

「…………そんなに心配しなくても、きちんと帰るわよ」

 

「…………そうか」

 

 しかしモップの隙間から見える名楽の糸目から、心配そうな色が消える事はなかった。皐月は優しげに目を細めると、意図して作った声で言葉を重ねた。

 

「こっちには、羌子もいない……いや、いなくなるしね」

 

「そ、そうか……」

 

 慮外な言葉に少し顔を赤らめさせた名楽には、皐月の喉から出なかった言葉を察する余裕はなかった。あっちでやらないといけない事があるしという、どこか不穏さを孕んだ言葉は。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「――――よし、これで行けるはずじゃ」

 

 次の日。地面に描かれた、円を基調とした帰還用の魔法陣の前で、ハゲがいつものように自信満々に胸を張っていた。その自信はどこから来るのかと皐月は内心で首を捻っていたが、まあ自信がないよりはいいかと流す事にした。

 

「いやー、なんだかんだで世話んなったなぁ。商売のネタも色々もろてもーたし」

 

「その辺りはお互い様でしょ」

 

「そうだな、受け入れてくれて助かったよ」

 

 マリアと悪魔二人が別れの挨拶を交わしていると、ハゲが声をかけて来た。

 

「準備が出来たぞ」

 

「ん」

 

 皐月は無言で行動を促した。情が皆無という訳でもないが、別れを惜しむような間柄でも、仰々しく別れを告げるべき間柄でもなかった。

 

 それを理解しているハゲ……いや、魔術師は、魔法陣の上に石のようなゼリーのような、不思議な緑色の物体を落とした。この時のために用意した触媒であった。

 

「RSCGBX REXXEJ RBTXHK REATNXXB――――」

 

 高性能翻訳システムでも翻訳しきれない、唄のごとき呪文が朗々と響き渡る。触媒が溶け、魔法陣と一体化し、中空にパチッと緑色の火花が散った。火花は瞬く間に巨大化し、浮遊するリングと化した。それは扉であり、術式が正常に機能しているのならば、元の世界に繋がっているはずであった。

 

「この臭いは……排ガス?」

 

「……重低音……車のエンジン音だな」

 

 懐かしい気配を感じ取った名楽はスマホを取り出した。電源を切って放置していたものだが、充電はまだ残っていた。それに自撮り棒もどきをくっつけ、動画撮影モードで録画してリングの向こう側を偵察する作戦だった。

 

 視覚共有の出来るカラスが使えれば話は早かったのだが、魔術の同時使用は不可能。またリングが電波を通さない可能性も考慮した結果、この形になったのだ。

 

「これで、最後、か」

 

 スマホを操作する名楽を横目に、皐月の口から感傷めいた言葉が出て来た。らしくもない物言いであったが、その隻眼からはいかなる感情も読み取れなかった。パリパリと紫電が立てる音だけが、ただ響いていた。

 

「…………すまなんだな」

 

「――――え?」

 

 ぼそりと、男の声で何かが呟かれた。皐月が聞き返そうと顔を向けたその時、隣の名楽から慌てたような声が発せられた。

 

「うわっ!?」

 

 その声に反射的に前を向くと、リングの中から異形の姿が覗いていた。

 

 まず目に付いたのは白色だ。輪を内側から押し広げるように、白が侵食して来ている。それが化学防護服そっくりだと気付いたのは後の事。今見えているのは、片手に光線銃のような物体を持つ何かだ。

 

 人間にしては高すぎる場所に位置する頭。長い首に、大きな両手。顔こそ見えなかったものの、特徴的にすぎるその姿は――――

 

「――――南極人!?」

 

 皐月の叫びと同時にその場は光に包まれ、彼女達の意識はそこで途切れた。

 




 次で終わるとか言っといて終われなかったアホがいます。私です。
 あ、明日までには書き上げられる……はず。

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