【完結】四肢人類の悩み   作:佐藤東沙

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後日談最終話 帰還、そして――――

「――――さて、今日は『トクトー』の話をしようと思う」

 

 とある大学の教室にて、世界史の教授が教え子たちを見回し話し始めた。

 

「皆も『家具のトクトー』は知っているだろう。その元祖となった『トクトー家具店』の話だ。今回は、その中でも爆発的発展を遂げた、エイガム魔法帝国時代に着目していこうと思う」

 

 彼らには角も獣耳も尻尾も翼も生えてはいない。髪色は少々カラフルだが、白人なら特に不自然でもない。皐月達が迷い込んだ四肢人類の世界、その遥けき未来の光景だ。時代としては、『現代』に当たると言える。

 

「それまでのトクトーは、単なる家具店だった。貴族向けの家具を作っていたとは言えね。それが大きく変わったのは、さっきも言った通り魔法帝国時代だ」

 

 つまりマリア・トクトーが店主だった時代という事だ。あの後随分と頑張ったらしい。

 

「この時代にトクトー家具店は多種多様な商品を売り出し、一躍大商人に成り上がる。その商品の種類はすさまじく、洗濯板、手回し洗濯機や脱水機にリバーシ、積み木、『悪魔の星』に代表される木製パズルや折り紙等々、枚挙に暇がない」

 

 折り紙が売り物になるのかという疑問もあろうが、現代の折り紙はすでに『芸術』の領域に達している。おそらく世界一複雑であろう折り紙『龍神 3.5』は、100万円の値が付けられた。皐月が覚えていたものはそこまで複雑ではなかったが、それでも十分売り物にはなったのだ。

 

 ちなみに『悪魔の星』とは、同じ形のパーツを六つ組み合わせて完成する、金平糖のような形をした立体パズルだ。英語だと『Devil's Star』ではなく『Star Puzzle』だが、驚くべき事に折り紙で作る方法がある。

 

 本物の数学者が考えた折り方が、人工衛星のソーラーパネルの折り畳みに使われたり、『展開図』だけで先の龍神を折ってしまう猛者がいたりと、折り紙界はマジ魔境である。

 

「あまりの種類の多さに、『悪魔と契約して知恵を借りた』などという噂が流れたほどだ。これはよくある嫉妬ややっかみからのデマだが、根拠がない訳でもなかったようだ」

 

 情報は漏れる。必ず漏れる。何をしようとも、一度口から出てしまえば漏れるのは時間の問題にしか過ぎない。特にその情報を知る者が増えると、漏れる率は加速度的に増加していく。だからこそ『悪魔』の秘密は、マリアとハゲの二人にしか知らせていなかった。

 

「当時のトクトー家具店には、外国人の従業員がいたらしい。それも当時としては非常に珍しい、黒目黒髪だったと記録にある。その従業員と悪魔の噂が結びついたのだろう。国際都市としての性質を表すエピソードとも言える」

 

 そして情報の漏洩は、皐月達が危惧した事でもある。そうなってしまったら言い逃れは不可能だ、何せ名楽という生きた証拠が存在する。皐月だけなら言い逃れも効こうが、彼女は決してそうしなかっただろう。そういった事情もあって、早期帰還を目指していたのだ。

 

「また、『悪魔の証明』……すなわち、『2より大きな偶数は、2つの素数の和として表せる』が誕生したのもこの頃だ」

 

 つまり、『4=2+2』『6=3+3』『8=5+3』『10=5+5』……という事である。こちらの世界では名前が変わっているが、本来は『ゴールドバッハ予想』と言う。『定理』ではなく『予想』なのは、未だに証明されていないからだ。

 

「『単純そうに見えるが、決して証明出来ない事』、つまり『悪魔の証明』の語源にもなったこの予想は、現在に至っても証明されておらず、数学者を嘲笑い続けている。なにせオリジナルと思しき紙には、『悪魔からの挑戦』と記されていたのだからね」

 

 どうもどこぞの片目が、シャレのつもりで書き残していったものであるらしい。そのせいで『悪魔の証明』の意味が変わってしまったようだ。フェルマーの最終定理でなければいいだろう、という問題ではない。

 

「本題に戻ろう。その後、エイガム魔法帝国は滅んだ。直接的な原因は他国から攻められたためだが、根本的な原因は魔法という個人の能力に依存しすぎ、人材が不足していったためだ」

 

 魔法は強力だし便利でもあったのだが、致命的な事に遺伝性が薄かったのだ。血統によって家を保つ貴族制とは相性が悪い。それがなければ今頃この世界は、魔術師と支配階級がイコールで結ばれていたかもしれなかった。

 

 まあその善し悪しは置くにしても、魔法帝国の崩壊によって多くの魔法が失われた事は確かである。例えばスケルトンが残っていれば、原発や下水道掃除、()()()()()等に大活躍だった事だろう。

 

「だが帝国が滅んでも、トクトー家具店は滅ばずむしろ発展を続けた。そして全盛期には、『玉座すらも作り出す』とまで言われるほどの大商人にまで至った。これは家具店であった事に引っ掛けた諧謔(かいぎゃく)だね。尤も当時はすでに家具店の域を脱し、総合商社と言うべき規模になっていたが」

 

 どうやらトクトー家具店は、メディチ家の如き立場になる事に成功したようだ。ハゲこと魔術師、アルベルト・トクトーの夢は叶ったと言える。その頃にはとっくに寿命で死んでいただろうから、本人がどう思うのかまでは分からないが。

 

「だがその後、不運と不況と戦争が重なって潰れてしまい、結果として店は分裂。そこから本業に戻り、成長したのが現在における『家具のトクトー』という訳だ。他にはガラス細工の『エーガ・テール』、食料品の『ニラキッパ』が有名かな」

 

 名前を変えて再出発し、そこから成功を収めた者が結構いたらしい。マリアの子孫は、いつでもどこでもバイタリティにあふれている。

 

「さて、ここまでは前提だ。君達には、『何故トクトー家具店が大きく成長出来たのか』を、エイガム魔法帝国時代を主軸にして話し合ってもらいたい。つまりこれが今回の議題という事だ」

 

 では五人組になって始めて、という声と共に机を動かす音が教室に響き、午後の陽光差し込む中授業は進んでいった。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「――――っち! あやっち! 起きてあやっち!」

 

「ん…………」

 

 肩をゆさぶる感触に、皐月の目が薄く開かれる。未だ焦点の合わない目が捉えたのは、白髪に青い瞳の小柄な角人。自身のルームメイトである、愛宕沙紀だ。

 

「ここは……」

 

 見回すと、角や尻尾、翼などなど、『余分なパーツ』が生えた、人間ではない者達が街を歩く光景が広がっていた。厭わしくも懐かしい、六肢人類の世界。彼女の『日常』の光景だった。

 

「戻った……そっか、戻った、か……」

 

「あやっちどうしたのさ、こんなとこで寝るなんて!」

 

「こんなとこ……?」

 

 言われてようやく気付いたのは、自身がベンチで寝ていたらしいという事だ。ついでに名楽も隣で寝ていたが、そちらに気を回す前に愛宕が猪のような勢いで口を回して来た。

 

「いつの間にかいなくなったと思ったらベンチで寝てるとか、マジでどうしたの? 用心深いあやっちにしちゃちょっとおかしいよ? 調子悪いの?」

 

「……ちょっとケータイ貸して」

 

「へ? う、うん」

 

 ルームメイトのマシンガントークをすっぱり無視し、要求だけ伝える。意表を突かれたように一瞬止まったが、それでも素直に渡してくれた。

 

 そのガラケーには、『2015.11.03 Tue. 14:31』と表示されていた。文化の日だ。記憶が確かならばあの世界に召喚された日付であり、あの時から30分も経っていない時刻であった。自身の腕に巻かれた時計も見てみたが、驚くべき事に結果は同じだった。

 

 どういう事かと首を捻るが、未だに少しぼんやりする頭では考えも浮かばない。とりあえず、隣で寝ている名楽を起こす事にした。

 

「…………あやめ?」

 

「あ、起きた」

 

「えーと、名楽羌子ちゃんだっけ。大丈夫?」

 

 三つの瞳が覗き込む先で、名楽がベンチからむくりと起き上がった。開いているか判別が難しい糸目をしばたかせ、彼女はぼそりと独りごちた。

 

「……なんか変な夢を見たような……」

 

「夢?」

 

「…………だめだ思い出せん。なんつーか、変な夢だったのは覚えてるんだが……」

 

「ハゲ?」

 

「ハゲじゃねーよハゲ! ……あれ?」

 

 皐月の言葉に反射的に返した名楽だったが、自分でも何故その言葉が出たのか分からないようで、不思議そうな顔で首を傾げていた。

 

「……覚えてないの?」

 

「何がだ?」

 

「……いや、なんでもない」

 

 どうやらあの世界の記憶を失っているようだと皐月は察したが、では何故自身には残っているのかという疑問が湧き上がる。偶然か必然か、何かの意図があるのかそれとも技術的欠陥か何かか。仮説が生まれては消えて行くが、そのもつれた思考を愛宕の声が遮った。

 

「なんだかよく分かんないんだけど、二人とも体調が悪いとかじゃないってコトでいいの?」

 

「ええ」

 

「まあそうだな」

 

「よかった……。でもびっくりしたよー、あやっちが外で寝るなんて。……何かあったの?」

 

「あった……はずだけれども」

 

 事実として時計の針は一時間も進んでおらず、名楽には記憶がない。普通に考えるのならば、単なる一炊の夢だ。しかしどうにも、腑に落ちない。理屈っぽい割に感覚を信じる彼女の直感が、引っかかるものを感じ取っていた。

 

「……そういや、菖蒲が寝てるトコはほとんど見た事ねーな」

 

「そりゃあやっちは警戒心強いかんねー。昔はもっと酷かったよ、手負いの獣ってカンジで。今は死んだ魚の目だけど、その頃は泥ヘドロのドブ川だったしね!」

 

「……昔は荒れてたとか言ってたアレか」

 

「あれ知ってるの? ……珍しいねあやっち、あの頃の事、話したんだ?」

 

「あー、成り行きでね……」

 

 未だ鮮明にならない意識が、皐月に曖昧な言葉を選ばせた。そんな彼女を尻目に、二人の会話は進んでいた。

 

「確か、ルームメイトだったか。昔の菖蒲ってどんなんだったんだ?」

 

「ルームメイトって言っても中一からだけど……。会ったばかりの頃のあやっちは何と言うか、触れたもの全てを傷付けるガラスの十代?」

 

 曲のチョイスが古すぎるとか今でも十代だとか色々ツッコミどころはあったのだが、それら全てを流して名楽が感想をこぼした。

 

「想像出来るような出来ないような……」

 

「まー今は割と落ち着いてるし、演技は上手いかんねー。でも昔はマジヤバかったよー。ホントに殺されかけちゃった事もある、って言ったら信じる?」

 

「マジか」

 

「マジマジ。寝てるとこにうっかり近づいたら、首を折られそうになったよあっはっは!」

 

「よー笑いながら話せんね……」

 

「死んだら死んだで、おとーさんたちのところに行けるかなーって思ってたかんね!」

 

「お、おぅ……」

 

 笑顔でとてつもなく重い事情が飛び出してきた。皐月と同室という事は児童養護施設に入っているという事で、そこに至るまでの事情が幸福なものであるはずもない。それでも笑っていられるのは、彼女の強さ故だろう。

 

「……その話はいいでしょ。帰りましょ、沙紀」

 

「あっそうだねごめんごめん。そんじゃ行こっか、幼女が私を待っている!」

 

 まあこの性癖のせいかもしれないが。生前の家族も匙を投げたというのだから筋金入りである。ショタロリペドでスリーアウトだが、娘なのでチェンジ出来なかったのであろう。きっと今頃、草葉の陰で大号泣だ。

 

「それじゃ羌子、また明……」

 

 言いかけた皐月の目が、地面に置いてあった名楽の買い物袋に留まった。何の変哲もない、どこのスーパーでももらえる白いビニール袋だ。だが、彼女が見ていたのはそれではなかった。

 

「…………」

 

「……どったの?」

 

 愛宕の声には応えず、皐月は自身のバッグに手を突っ込んだ。もぞもぞごそごそと中身をかき回し、何かを確認すると顔を強張らせてベンチから立ち上がった。

 

「……それじゃ羌子、私達はもう行くわ。また明日」

 

「あ、ああ。明日な」

 

「あっちょっと待っ……それじゃね羌子ちゃん! 待ってよあやっちー!」

 

 名楽の返事も聞かず、いきなり早足で歩きだした皐月に追いすがる愛宕。彼女は皐月に追いつくと、辺りを憚るように小声で尋ねた。愛宕は変態で成績もあまりよろしくないが、察しは悪くないのだ。

 

「……顔色が変わった。何があったの?」

 

「……ここじゃ言えない。部屋に着いてから」

 

「……分かった」

 

 皐月は愛宕の性癖に辟易しているし、昔の『やんちゃ』の証人でもあるので、抹殺を視野に入れているのも事実だ。しかし『夢』の出来事を話すつもり……いや、隠すつもりがないのも確かなようだ。

 

 信頼と言うには細いが、単なるルームメイトと言うには太い。この二人の間には、名前の付けがたい、どうにも奇妙な関係性が存在するようだった。

 

「…………」

 

 皐月は一つきりの瞳に(にぶ)く強い光を浮かばせ、前を向いた。次に何をするか……否。()()()()()()()()()()()()は、すでに決まっていた。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 次の日、新彼方高校。ケツァルコアトル・サスサススールが、トイレに入っていた。南極人と言ってもトイレには行くのだ。そんな彼女が出ようとしたその瞬間、扉の隙間から何かが滑り込んできた。

 

「失礼」

 

「え?」

 

 それは、皐月だった。いきなりの暴挙に狼狽するサスサススールに構わず、彼女は素早く後ろ手で鍵を閉めた。

 

「ごめんねサスサス。ちょっと話があるの」

 

「え、えと? 話なら、教室に戻って――」

 

「誰にも聞かれたくないの、クラスメイトにもあなたの護衛にも。じゃなきゃこんな事はしないわ。手早く済ませるから。ね?」

 

 口調は優しく表情も笑顔ではあったが、目がその全てを裏切っていた。拒否は許さないと、何よりも雄弁に語っていた。その張り詰めた空気に押されたのか、サスサススールが首を縦に振った。

 

「……分かりました。なんでしょうか」

 

「昨日、変な夢を見たのよ」

 

「夢? ですか?」

 

「そ。私と羌子が、四肢人類の世界に召喚される夢。中世ヨーロッパみたいなところでね、魔法が存在する世界だったわ」

 

「ええと」

 

 話が飲み込めずサスサススールは目を白黒させるが、それを無視して皐月は畳みかけるように続けた。

 

「それでまあ、最終的にはその魔法で元の世界――つまりここに戻る事になったんだけどね」

 

「はあ」

 

「その帰還するための魔法のゲートから、南極人の戦闘種が出て来たのよ。それで気付いたら戻ってたって訳。何故かこっちだと一時間も経ってなかったし、羌子は全部忘れてたんだけどね」

 

「不思議ですね。でもそれは、夢の話なんですよね?」

 

「バッグからある物が消えてなければそれで済んだんだけどね」

 

「ある物、ですか?」

 

「そ。詳細は言えないんだけど、その辺で落とすような物じゃない、とだけ言っておくわ」

 

 昨日見ていたのは、名楽の持っていたビニール袋ではない。そこから覗いていた、ネギだ。記憶が確かならば、あの世界に召喚された初日に食べてしまったはずのネギだ。それが残っていたのは、明らかにおかしな事だった。

 

 そこではたと思い出し、自身のバッグを漁ったのだ。拳銃の弾数を確認するために。その結果、マガジンからは“5発”だけなくなっている事が確認出来た。これは、あちらの世界で使った弾数の記憶と合致する。残りは全て、何事もなかったかのようにマガジンに収まっていた。銃身から抜いていた一発すらも、だ。

 

 何故ネギは残り、銃弾は消えたのかは分からない。しかし、一炊の夢ではないと確信させるには十分だった。

 

「で、本題なんだけど」

 

 皐月はそこで一旦話を切り、サスサススールを正面から見据えた。彼女はたじろいだように一歩後退したが、それを気にも留めず皐月は切り出した。

 

 

「あの世界が何なのか、何か知らない?」

 

 

 もしもあの世界が、()()()()()ものであったのならば。

 もしもあの世界が、『前世』の記憶を元に()()()()()ものであったのならば。

 

 決して許しはしない。それは彼女の心の、新雪のように柔らかな部分を、無遠慮に踏み荒らしたという事を意味するからだ。悪意を抱くには、十分に過ぎる理由となる。

 

 期せずして同属を見つけた事で弱まっていた悪意も、そうなれば燃え上がるであろう。酸欠の炎に一気に酸素が供給されたのなら、爆発するように燃え盛る。悪意のバックドラフトだ。

 

 そんな悪意が、彼女の一つきりの瞳の中で、蛇の舌のごとくちろちろとゆらめいていた。海中から見上げる夜の漁火(いさりび)のように、それは弱々しくも確かに存在を主張していた。

 

 そして、瞳に宿る激情を焔が裏側から照らし上げていた。混沌としていながらも決して混ざり合う事のない、オパールにも似た感情のモザイク模様が、悪意の焔によって浮き彫りにされていた。まるで炎を押し固めた、万華鏡のように輝く宝石だった。

 

「ぁ…………」

 

 その感情に。期待、羨望、不安、ありとあらゆる感情に。南極人が持ちえぬ強すぎる感情に、初めて自身に向けられる強い感情に、サスサススールは見惚れた。哺乳類人の持つ感情に惹かれた南極人は、確かにその三つの目を奪われた。

 

「…………それは、別の宇宙なのではないか、と思います」

 

「別の、宇宙」

 

 だから彼女は、故意に口を滑らせた。まるで恋に浮かされた、夢見る乙女のように。

 

「私も詳しくはありませんが、別の宇宙は確かに存在し、さらにそこに何らかの形で干渉する技術がある、とは小耳に挟んだ事があります」

 

「……仮想世界、とかじゃあないのね?」

 

「そのはずです」

 

「……………………………………………………そう」

 

 短くも長い沈黙の後、皐月は吐息のように言葉を吐き出した。ただの一言に、黒く重苦しい何かが全て詰まっていた。そんな彼女に、サスサススールが首を揺らして問いかけた。

 

「……私が言うのもなんですが、こんな話を信じるのですか?」

 

「聞いといてこう言うのもなんだけど、言っていい話だったの?」

 

「よくはありませんが。誰かに言ったところで、到底信じられないでしょう」

 

「……でしょうね」

 

「それに」

 

 サスサススールはまっすぐに皐月を見つめ、はっきりとした口調で言い切った。

 

「菖蒲さんなら軽々しく漏らしたりはしないと思いますから」

 

 表情筋はなくとも、その顔にはまごう事なき信頼が浮かんでいた。それを見て取った皐月は、驚いたように一瞬だけ目を見開くと、優しげに目を細めた。

 

「………………そ」

 

 彼女はそこで視線を下に落とし、大きく息を吸い込み吐き出した。サスサススールは何も言わずそれを見守っていた。

 

「……こんな形でいきなりごめん、でもありがと。この詫びは後で入れさせてもらうわ」

 

「いえそんな……」

 

「親しき仲にも礼儀あり、よ。あと」

 

 皐月は自身よりも高い位置にある、サスサススールの耳に顔を近づけ言った。

 

「それとは別に、これは借りにしておくわ。一度だけ、何でも言う事聞いてあげる。それこそ暗殺でも何でもね。南極人だけだと、()()()()()事もあるでしょう?」

 

 色気のある声で囁かれた内容は、美しくも艶やかな剣呑さを孕んでいた。あたかもそれは、優美さの中に猛毒を隠すトリカブトのようだった。

 

 その危険な香りを嗅ぎ取ったサスサススールは、本気かとは聞かなかった。聞くまでもない事だったからだ。代わりに、別の問いを投げた。

 

「……そこまでの、事だったのですか?」

 

「少なくとも私にとっては、ね。ああ、この借りの有効期限は、私があなたを信頼し、友情が続く限りにおいて、だから」

 

 機密であろう事を教えてくれた友情に報いる為に、という事だ。ただし、その内容が嘘であったならば――という事でもある。

 

 信頼とはそれだけ重い。他人が何を考えているかなど、究極的にはその本人でないと分からないからだ。()()()()()を信じる、それが信頼なのだ。

 

 その重さを知る皐月が信頼すると口にした以上、それはこの上なく本気という事である。単なる口約束でしかないが、必ず履行される事であろう。彼女にとって、それだけの価値がある事だったのだから。

 

「じゃ、先に戻ってるわ」

 

 サスサススールが何かを言う間に、早業で開けた扉の隙間からするりとすり抜け、彼女は音もなく姿を消した。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「お、遅かったな」

 

 教室に戻った皐月を出迎えたのは、机で頬杖を突いている獄楽だった。彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべると、しょうもない事を口にした。

 

「デカかったんか?」

 

「おりゃ」

 

「イテッ!」

 

 そんな獄楽の後ろから、名楽が容赦なく頭にチョップを入れた。彼女は勢いよく振り向くと、勢いよく端的に苦情を入れた。

 

「何すんだ!」

 

「品がないぞ希」

 

「だからって叩くこたぁねーだろ!」

 

「それはすまん。だが、いきなり下ネタに走るのは品性を疑われるぞ」

 

「うっ……なんか、今日のキョーコは手ごわいな……」

 

 名楽はどうやら完全に忘れているようだが、それでも影響は僅かなりとも残っているようだ。獄楽が言うところの『怖がりの癖に怖いもの知らず』、つまり気が強いのは元からだが、今日はいつにも増して落ち着きがあって腰が強い。獄楽もそれに押され気味だ。

 

 まあ覚えていないのならそれはそれで構わないか、と思いながら二人の様子を眺めていた皐月に、君原が何かに気付いたように横から声をかけた。

 

「あやちゃん、何かいいことでもあったの?」

 

「え?」

 

「なんだか元気が出たみたいだし、顔がいつもより柔らかいように見えたから」

 

「そうね…………そうかもね」

 

 あの、魔法が存在する世界は、別の宇宙に実在するのだと言う。仮想現実でも幻でもなく、今もなお確かにどこかに、在り続けているのだと。

 

 であるならば、『前世』の世界もまた。どこかの宇宙に存在しているに違いない。身体的特徴から無意識に作り上げた妄想ではなく、早熟児の夢想でもなく、確かにどこかに。魔法などありえない、四肢人類の世界は、きっとどこかに。

 

 ああ、本当の同属は、遠く離れてはいても、間違いなくどこかに。一人では、なかったのだ。ならば、この世界でも頑張れる。生きていく――生きていける。その支えがある限り。

 

「――――――」

 

 皐月は、ゆっくりと周りを見回す。その視界に入って来たのは、普段と変わる事のない、どうという事のない光景だ。

 

 また何かをしでかしたのか、小守を説教する御魂。教室に戻って来たサスサススール。机に突っ伏し、恋人の犬養に慰められている朱池。何かを言い合っている名楽と獄楽。そして、隣で佇む君原。

 

「…………」

 

「?」

 

 その君原と目が合う。皐月はそんな彼女に向けて何かを言わんとしたが、口ごもってしまって言葉にならない。珍しい皐月の様子に、君原は不思議そうに首を傾げるが、急かす事はなかった。

 

 僅かな、しかし不愉快ではないそんな沈黙を破って、皐月がおずおずと話しかけた。

 

「……あー、その、姫」

 

「なあに?」

 

「こ、これからも、よろしく」

 

「――――うんっ!」

 

 少しばかり顔を赤くして、似合わない言葉を吐いた皐月。そんな彼女に何かを感じ取ったのか、君原は満面の笑みでそれに応えた。まるで陽だまりのような、見る者を安心させる笑顔だった。

 

 人は、自分の選んだ選択肢を良いものだと思いたがる。これをコントロール幻想と言う。より正確に言うならば、自分がコントロール出来ない事象を制御出来ている、と思い込む事こそが()()だ。

 

 自分の選んだ方は良い、選ばなかった方は悪い。そうなるかどうかは、大抵の場合運任せだ。誰が見ても明らかな場合もあるにはある。だがそういう選択肢は普通選択肢として示されないし、そうでなければのっぴきならない事情があるだけだ。

 

 だがしかし、結果がどうあろうとも、人は選択せねばならない。選択しなければ、結果すらも出はしない。

 

 皐月には、選択肢があった。すなわち、あの世界に残るか、戻るかという選択肢が。そして彼女は、事情はあれども、選択した。六肢人類の世界に帰還する事を。おそらく二度と四肢人類の世界には戻れぬだろうと知りながらも。四肢人類は、六肢人類の世界で生きる事を決めたのだ。

 

 その選択が吉と出るか凶と出るかは、誰にも分からない。それでも生きていかねばならないし、生きていくことを決めたのだ。この六肢人類の世界で。

 

「おっ、今日はどうしたんだ菖蒲? ズイブン殊勝な事言うじゃねーか。こりゃ明日は雪か?」

 

「希も難しい言葉を使えるようになったのか。いつも勉強を見てる身としては、感無量だよ」

 

「おいキョーコ、今日は言うじゃねーか……」

 

「まあまあ二人とも」

 

「何か心境の変化があったようですね、菖蒲さん」

 

「まあ…………そういう事なんでしょうね」

 

 だがきっと、悪い事にはならぬであろう。皐月は、()()()()()()のだから。遥かな彼方には同属がいて、手を伸ばせば届く此方には友人がいるのだから。

 

 人は一人では生きていけない。一人では生きていく甲斐が見つけられない。一人山奥で生きていける能力があったとしても、そうしたいと思う者は稀であろう。

 

 つまるところ、皐月は。この世界で生きる、意義を見つける事が出来たのだ。ゆえにこそ彼女は、この世界で生きていく。友人が『人間』ではないとしても、この世界に『人間』が一人もいないとしても。

 

 それでも明日はきっと明るいと、信じる事が出来るようになったのだから。

 




 今度こそ完結! 皆様、読んで下さってありがとうございました!
 これ以上の後書きは活動報告で。

 公式ページの更新次第で、番外編を書くかもしれません。

 あらすじを変更しました。各話もちょこちょこ修正してます。
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